〈 聖句随想・折々の言(ことば) 〉


旭東教会の礼拝でで説教中の 森 言一郎(もり げんいちろう)牧師です
旭東教会の礼拝で説教中の 森 言一郎(げんいちろう)牧師

旭東教会の会報『緑の牧場』や、他の形で森牧師が折々に記してきたメッセージを、じっくり、お読みいただけるページです。

 

その時々の森牧師の胸のうちが記されていると思います。「説教」というより「聖句随想」また、「証し」という性格のものかなと思います。

 

PDF版にしますので、ダウンロードしてお読み下さい。

 

さかのぼって、2015年からの聖句随想を少しずつアップロードの予定です。もちろん、新しいものも、時々新しくお届けします。


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★最新です 2024年2月27日(火) ※会報『緑の牧場 53号』巻頭言より 『アドヴェントからクリスマス その小さな発見」
・・・・わたしが五歳の頃のことです。故郷・大分市の臨海工業地帯で私の祖父や両親も仲間入りして開拓伝道を始めていた「鶴崎伝道所」(のちの大分東教会)が行った初めてクリスマス会に参加したとき、「もろびとぞりて」(讃美歌21-261)を歌いました。その日の「主は来ませり」は身体の深い所に興奮と共に刻まれました。意味はよくわからないのですが、ウルトラマンが口にする「シュワッ」に重ねて子どもの心はたかぶりました。そして「主は来ませり 主は来ませり」が本当に大人になるまで、ずーっと忘れられない賛美歌となったのです。・・・・
緑の牧場53・2024年2月末発行・巻頭メッセージ・「2023年 アドヴェントか
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★2023年10月31日(火) ※会報『緑の牧場 52号』巻頭言より 『うれしい信仰』
パウロの時代はどのようにして手紙が届けられていたのでしょう。飛脚をなりわいとする人がいたのでしょうか。「うれしい信仰」を生みだす人・編み出す人となるために、私たちは少しばかりの勇気を出し、努力をしたいものです・・・・詩編122篇をきっかけとしての随想です。
「うれしい信仰」・2023年秋・聖句随想・PDF版.pdf
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日本聖書神学校同窓会・会報・2023年7月・巻頭言に寄稿・『このことは片隅で起こった出来事ではありません』
・・・・冷静な診察をしてくださり、ある意味恩人とも言えるような存在となったドクターは私の話を聴き終えると、「森さん、そんな所に居続ける必要な少しもありません。人事権を持つ人は?」と言い、転任を勧めた。「離れてください。そうすれば治ります」ということだった。

・・・・この随想のタイトルは使徒言行録二六章から摘んだものである。つい先日、新約学者として知られる(と言っても半世紀前の巨匠だが)コンツェルマンがこのみ言葉を「中心的な出来事」と言っていることに気付いたが、説教には反映できず、間に合わなかった・・・・・・
加筆版・日本聖書神学校同窓会・会報・2023年7月・巻頭言に寄稿・『このことは片
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★故・脇本 寿 牧師 葬儀・告別式式辞全文 2023年2月25日(土)午前10時 ※緑の牧場51号巻頭言より
普段、葬儀の式辞を公開することはありませんが、例外的に、ここにご紹介いたします。
脇本寿先生 葬儀・告別式式辞.pdf
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『教団新報』からの依頼を切っ掛けに ― クリスマスに感じた「1分間の分かち合い」による小さな実り ―・2023年2月
新明解国語辞典で「伸び代」という言葉を調べました。「人や組織について、成長・拡大・発展できる余地や可能性。」とあります。正に、「1分間の分かち合い」は私たち旭東教会のこれからの「伸び代」の扉のように思えてならないのです。しかめっ面で悩みながら「1分間の分かち合い」のお話をする方は居られません。実際には、誰もが気軽にできる、ミニミニ証し的な時間となっているのです。
「『教団新報』からの依頼を切っ掛けに ― クリスマスに感じた「1分間の分かち合
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★関田寛雄先生説教・「 共に喜び 共に涙する 」※付録 森牧師による、恩師・関田寛雄先生ご紹介 2022年6月末 緑の牧場48号より
日本のキリスト教界を、今も支え、導いて下さっている関田寛雄先生の貴重な記録です。以下の言葉から始まります。
皆さま、おはようございます。「共に喜び共に涙する」という説教のお題をいただきました。「共に」というところに大変アクセントがあるわけですが、今この世界は「共に」ではなく、お互い自分の国だけを、自分だけを大事にするという風潮が広がっています。大きく豊かな国同士が、大変な対立をもたらしてしまい、「共に」という世界から本当にどんどん離れていっている。そしてお互いに力のある兵器を作り、音よりも早く飛ぶミサイルを作る。そんなものを作って本当に使うのかと思うようなものを、お互いにもっと強く、もっと大きくもっと効果がある兵器を作る、そういう競争が始まっている。・・・・・
「共に喜び 共に涙する」・関田寛雄先生・2022年1月30日・創立119周年記念
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徳之島教会通信・喜界教会通信合併号に寄稿 「眠りこけても だいじょうぶ」に寄稿 2022年2月
土曜の夜になっても説教の準備どころじゃない。そういう巡り合わせの日があります。そんな時になぜか手元に届くのが、『徳之島教会通信』や『喜界教会通信』、そして『結い』なのです。献金者リストをぼんやり眺めているだけでも、じんわり元気が出てきて、説教が出来そうな気分に変わる、不思議な力のある通信。
徳之島教会通信・喜界教会通信・合併号 2022年2月・「眠りこけても だいじょう
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★「名脇役 エトロと出会う」-読み飛ばさなくてよかった 出エジプト記18章-・2022年2月
エトロは、聖書の中で大物と呼ばれるような人物ではありませんでした。名前すら忘れられることの多い存在かも知れない。でも、そんなエトロを通じて示されていることがあります。神さまは脇役を求めておられるのです。みんながモーセになる必要などありません。今回の学びは、わたしたちのこれからの旅路のために与えられた聖霊の導きによるものです。
「名脇役 エトロと出会う」 聖句随想・折々の言(ことば)・2022年2月・森 言
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★「犬養光博先生から問われていること」・2021年12月
先生は、呪いの祈りが含まれる、詩編の120篇2節を引用しながらこう記された。「偽って語る唇から欺(あざむ)いて語る舌から助け出してください」という呻きのある所に教会は存在しなければならない。イエス様に出会うために」と。

犬養牧師が詩編を愛されるのには理由(わけ)があるのだ。詩編詩人の呪いの祈りは、どこから、誰に向けて、どのように発せられたかを、ずっと求められていたのではないか。

犬養光博先生は決して社会活動家などではなかった。ただ、ナザレのイエスに従おうとされた結果、聖書に学ぶこと抜きに、聖書の権威に従うこと抜きに、筑豊で信実な言葉を語り得ない、ことに気付いておられたのだと思う。
「犬養光博先生から問われていること」 聖句随想・折々の言(ことば)・2021年1
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★「連なりの力」・2021年10月
わたしが強く感じるようになったことがあります。それは、失敗や挫折と思われるような過去の日々が、不思議な形で繋がり始めている、ということです。その時々に最善を尽くし、一所懸命にやって来たことが糸のように紡がれることが実にしばしば起こるのです。それが、結果として、説教の言葉を生み出す力になっている。

8月8日、説教を語ることができたのは「つらなりの力」があったからです。見えないけれど、確かに存在する「つらなり」は、生かし合う力を生み出している。そう思わずにはおれません。それは、イエスの時から始まり、パウロの時代にもあり、今もあり、これからもきっと変わらない、福音の力なのです。
「連なりの力」 聖句随想・折々の言(ことば)・2021年10月・森言一郎牧師.p
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「マタイの創造」・2017年9月
ひとりの詩人の言葉をご紹介します。随筆家であり薬草商もされる、若松英輔さんの初めての詩集『見えない涙』(亜紀書房)におさめられる「薬草」という詩の冒頭の言葉です。 ・・・・・・・・・・・・ この第一連の詩を心に留めながら、しばしわたしたちの黙想を深めます。この日のマタイはイエスさまとの出会いを、イエスさまからの言葉を、収税所で聴くことになりそうだと、予想できていたのでしょうか。いいえ、違います。彼は不意をつかれたのです。決して、「イエスさま、待ってましたよ」とばかりに立ち上がったわけではない。人生における決定的で、二度と同じことは起こらない出会い。邂逅(かいこう)を経験したのです。
「マタイの創造」聖句随想・折々の言(ことば)・2017年9月・森 言一郎牧師.p
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「素通りできない 悪人のクリスマス」・2018年2月
【結語】・・・・・・・クリスマス物語に続くマタイ福音書の3章は洗礼者ヨハネの【悔い改めよ。天の国は近づいた】という叫びと共に本格的に扉が開きます。悪人であり罪人の頭のひとりであることを認めざるをえない私たちは、その声を聴いているでしょうか。私たちは、素通りできない降誕節の歩みを、既に既に今年も始めているのです。end
「素通りできない 悪人のクリスマス」 聖句随想・折々の言(ことば)・2018年2
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「聖書味読 味わいのある生き方へ」・2018年7月
【結語】・・・・・・・わたしたちは『聖書』のあらすじを追いかけるに留まっていないか。上っ面だけしか味わっていないのではないか。否、少しも味わえていないことがあまりに多過ぎはしないだろうか。若松栄輔さんによる夏目漱石の『こころ』を巡る随想の言葉に触れると、いささか心配になってきます。時代と共に読み継がれてきたのが『聖書』です。何よりも『聖書』は神の言葉としての包容力をもってわたしたちを迎え導いてくれます。お勉強でもない。あらすじを知るためでもない。時代の荒波を乗り越え、生きることの喜びを見いだせる源泉が『聖書』であるとするならば・・・・・・・・・・・
「聖書味読 味わいのある生き方へ」 聖句随想・折々の言(ことば)・2018年年7
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「2018年〈夏〉の3冊から 想うこと」・2018年9月
2018年の夏は酷暑だった。その夏の終わりに、私は母校・日本聖書神学校の卒業生研修会に久方ぶりに参加した。場所は福島。8月27日(月)の朝は赤穂線で岡山に出て、東海道新幹線で東京に向かい、常磐線でいわき市に降り立った。西大寺発5時31分の列車に乗り込むために4時50分起きという修行僧並みの早い朝だった。久し振りの旅である。車窓から遠くをボンヤリ眺めながら・・・・・・・・・・
「2018年〈夏〉の3冊から 想うこと」 聖句随想・折々の言(ことば)・2018
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「人生いかにいくべきか ~ 老シメオンの物語より ~」・2019年2月
福音書記者ルカの筆によるクリスマス物語。その初めとおわりに登場するのが老人たちであることは、偶然でしょうか。わたしにはそうは思えません。いえ、わたしはやっと気が付きました。歳を重ねた人々が、救い主イエス・キリストの降誕物語の単なる引き立て役になっているのではない。彼らは、なくてはならない存在感をもって読み手にそっと近づいてくる・・・・・・・・・・・
「人生いかにいくべきか  ~ 老シメオンの物語より ~」 聖句随想・折々の言(こ
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「今、二人のアナニアから学ぶ」・2019年6月
聖書には二人の「アナニア」が登場します。いずれも使徒言行録に出てくるのですが、一人は5章1節以下に出てくる、エルサレムに暮らす「アナニア」です。彼は妻のサフィラとともに献金額をごまかし、神をあざむいた人として描写されます。先ず、アナニアが、続いてサフィラが、それぞれ神に裁かれ、息絶えた夫婦として紹介されているのです。新約聖書の中でも実に後味の悪い記事・・・・・・・・・・・・
「今、二人のアナニアから学ぶ」 聖句随想・折々の言(ことば)・2019年6月・森
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「今、ここで共に、福音にあずかるために」・2019年9月
私が曲がりなりのサラリーマン生活を経て、あるいは、B型肝炎との闘病をしながら、福音伝道のために献身したのは1989年・平成元年のことでした。今年は2019年・令和元年ですから30年が過ぎたことになります。もうそんなに、という気持ちもありますが、あっという間の30年でした。そんな私も来年は還暦。30年前ならば定年退職後を真剣に・・・・・・・・・・
「今、ここで、共に福音にあずかる」 聖句随想・折々の言(ことば)・2019年9月
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「〈ラハブ〉との出会いを喜ぼう」・2020年2月
2019年のクリスマス前。私はイエス・キリストの系図に登場する女性たちの存在から、新たに学び直してみよう、という思いが与えられました。中でも丁寧に読み直し、学び直して本当によかったなと感じたのが、「ラハブという遊女」が登場するヨシュア記でした。ここでもう一度・・・・・・・・・
「〈ラハブ〉との出会いを喜ぼう」 聖句随想・折々の言(ことば)・2020年2月・
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「パウロとテモテ そして私たち」・2020年6月
人は実にちいさなことで、こころ持ちが変わるものです。誰かが痛いところにそっと手を置いてくれるだけで(手当て)その痛みを忘れてしまうことがあります。あるいは、お医者さまが、うんうんと深くうなずいて話を聴いてくださって、「森さん、痛いだろうけれど、出来る限りのことをしてみますからね。諦めないで、一緒にがんばりましょう。」等と言ってくださるならば、ただそれだけ・・・・・・・・・・
「パウロとテモテ そして私たち」 聖句随想・折々の言(ことば)・2020年6月・
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「望さんとラザロ」・2020年9月
エルサレムまで3㎞の所にあるベタニア村に暮らすラザロ。彼の姿はヨハネによる福音書11章と12章だけに描かれます。聖書が伝えるラザロという人は、ひと言も口を開かない。彼は徹頭徹尾、受ける側に見えるのです。ラザロは自分一人では何も出来ません。・・・・・・・・
「望さんとラザロ」 聖句随想・折々の言(ことば)・2020年9月・森 言一郎牧師
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「トマスを知って また 歩み出す」・2021年6月
私が東京にある夜間学校の日本聖書神学校に入学したのは1989年4月だった。サラリーマン生活に区切りをつけ、29歳になろうとする春のことである。入学式の日、神学校の礼拝堂で初めて歌ったのは・・・・・・・・・
・「トマスを知って また歩みだす」 聖句随想・折々の言(ことば)・2021年6月
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