《 岡山 グリーフケアの集いの部屋 》
※「生と死を見つめ」「生と死を語り合い」不思議とこころが軽くなっていく会です。
◆「岡山 グリーフケアの集い」
※「生と死を見つめ」、「生と死を語り合い」ながら、
グリーフワークを、ぼちぼち行っています。
次回の予定は以下の通りです。
4月24日(水) 午前10時~12時
4月24日(水) 午後 7時30分~9時15分
新型コロナウイルスのさまざまな事情に配慮し、お隣の席との距離を保つこと、マスクを着用すること、換気を逐次行うことなど、いつもと違う仕方で行っています。ご心配がある方は無理しないで下さい。お問合せの電話も歓迎いたします。
さらにその次は 2024年 6月26日(水)に行います。
時間は 毎回
午前の部:10時~12時
午後の部:7時30分~9時15分
関心のある方はお気軽にお電話ください。会費は無料ですが、教会への支援の献金・カンパ、歓迎いたします。
現在、ふた月に一度のペースで行っています。今は無理でもいつかあなたもどうぞ。
※クリスチャンでない方も安心して集える会です。お気軽にお問合せを。
わたしたちの岡山市東区西大寺にある旭東教会を会場にしての「グリーフケアの集い」は二ヵ月に一度おこなっている会です。スケジュールは上にご案内の通りです。会場は教会ですが、布教・宣教活動はいたしません。仏教徒の方、自覚的な信仰を持たない方はもちろん、キリスト教に近しい思いを抱かれる方々の参加も歓迎です。
わたしたちの「グリーフケアの集い」は大人数の集いではありません。3名~12名程度までを想定し、コツコツと続けていきます。
まずは、岡山市近郊の方(遠方の方もお出でになります)で、グリーフケア・グリーフワーク(悲嘆の消化作業)の場を求めて居られる方が居られましたら、ぜひ一度、ご参加くだされば幸いです。早めにグリーフケアを必要としていると感じて居られる方は、遠慮なくご相談ください。
*
◎このような会を行っています 岡山近郊でグリーフケア(「生と死を見つめ」「生と死を語り合い」ます) を必要としている方々の集いです
人生途上の様々な喪失・悲嘆の中にある方々の自主参加による時間が「グリーフケアの集い」です。信仰の有無に関わらずご参加頂けます。教会員以外の方でも、安心してご一緒頂けますし、実際に、教会外のノンクリスチャンの方たちが継続して参加して居られます。
わたしたちの会で無理にお話をして頂くことはありません。
参加者同士で一定の配慮の原則を確認して、心を傾け合うことをたいせつにします。教会で行いますが、祈る心はもっていても、お祈りはいたしません。そのような会です。進行係に近いですが、今のところ牧師が導き手(=ファシリテーター)となっています。
わたしたちの人生の中には多くの別れの経験があります。
大切な方の召天・突然死、自分自身の病、ペツトロス、定年や人生の転機、転居・転校・転勤、育児ノイローゼ、介護・看護、自身の病気(特に何かを失っていく病との闘い)などによる環境の変化で元気を失っている方、お疲れの方、悲嘆の中に居られる方、そのような方々はみなグリーフケア・グリーフワーク(悲嘆の消化作業)を必要としている可能性があるのです。
限られた時間ですが、喪失体験の現れ方や回復のプロセスを学び、静かに思いを聴き合います。
シェークスピアは「口に出して嘆きなさい」と語ったと言います。実は何よりもそのことが癒しの機会となり、こころの支え、安心となっていくのです。悲嘆を乗り越える上で、最も大切な要素は、悲しみの感情を自由に、そして、十分に安心出来る環境の中で発散させることなのです。感情を抑圧してしまうと、悲嘆はいつしか心病む状態を生みだしてしまいます。
また、グリーフケアにつながる「絵本」の読み聞かせの時間も持ちます。最近では『悲しみのゴリラ』を読みました。
グリーフケアのための基礎知識を身に付けることは、悲嘆の中にある方にとっても、寄り添いをされている方にとっても大変有益です。
わたしたちには、大きなことはできません。でも、コツコツと、ちいさな会を続けてまいります。
あなたのご参加をお待ちしていますし、ぜひ、グリーフケア・グリーフワーク(悲嘆の消化作業)を必要としている、あなたの大切な〈あの方〉にもご紹介ください。
●人生途上の様々な喪失・悲嘆の中にある方々の集いです。
●ご家族の召天、ペツトロス、定年や人生の転機の中、元気を失っている方、ご参加下さい。
●限られた時間ですが、グリーフケアの基本を学び、絵本の紹介・朗読を予定しています。
●静かに思いを聴き合う時間を持ちます。
●会場は教会ですが、信仰の立場や背景は全く無関係に、どなたも参加頂けます。会費は今の所頂いていません。今後必要になった時には、参加している皆で相談いたします。
はっきり言っておく。
一粒の麦は、
地に落ちて死ななければ、一粒のままである。
だが、
死ねば、多くの実を結ぶ。
(聖書の言葉より)
沈黙はやがて 歌に変えられ、
深い闇の中 夜明け近づく。
過ぎ去った時が 未来を拓く。
その日、その時を ただ神が知る
『讃美歌 21』575番「球根の中には」 2節より
*
*
*
*
5 私とグリーフケア
*
*
*
★ その後の〈補記〉
あらためて申し上げます。「グリーフケアの集い」は大切な人や、大切な何か、そして、自分自身の大切なものを失った経験や体験をおもちの方たちの集まりであり、その思いを語り合い、聴き合う場である、ということです。
最初のうちは、話ができないことがしばしばあります。でも、ここでは、上手に語ろうとする必要は少しもありません。たどたどしくてもよいのです。自分のことばで自分のいたみや悲しみをお話ください。出席者は互いにしずかに心傾けます。
心の奥深い所にあるものを、一度きりの参加で語りきることができることなどありえません。だからこそ、何回も参加してください。そして、同じ内容のことを同じようにお話くださっても構わないのです。安心してお話ください。
ファシリテーター(導き手・司会進行役)を務める私が、「今日はこのあたりまでにした方がよいかな」と気付いた時は、ちいさな助言のことばを、お話をさえぎってでも、必ずお伝えします。
もう一つ、他の参加者の方のお話を聴くということも、自分が話す以上に慰めになったり、希望になったりすることがあることを知っておくことも一方で大事なことかも知れません。「きょうは他の方のお話を聴くために参加いたしました」ということもよい切っ掛けになります。
なお、悲しみの大きさや嘆きを、他の方と比べてしまうことがありますが、一人ひとりの生きて来た文脈をすべて理解できることなどはわたしたちにはできません。
そのような「比較」からの解放・自由は、すこしの努力を続けることが必要かも知れません。(以上です)