『 教会報  緑の牧場 』・特別室 旭東教会の仲間たちの「あかし」です


旭東教会の教会報・『緑の牧場』です。2006年10月に復刊しました。年に3回~4回程を目標に発行しています。
旭東教会の教会報・『緑の牧場』です。2006年10月に復刊しました。年に3回~4回程を目標に発行しています。

〇旭東教会報・『緑の牧場』を、ホームページにお越し下さった皆さんにもそのその一部をご紹介するページです。

 

〇『緑の牧場』では、「信仰告白」や天国へ召された方々への「追悼文」、「リレー私の愛唱賛美歌」「ジュニアサークルだより」などが掲載されています。

 

〇ホームページでは、教会に連なる方たちの折々の投稿文を、過去にさかのぼりながら、少しずつご紹介予定です。おたのしみに(^^♪

 


2017年10月29日発行

『  旭東教会報 緑の牧場 NO.34  』 より 

 

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夕涼み映画会を振り返って歌
                                              信徒 H子

 

 この夏(2017年)の8月16日、17日の両日、旭東教会礼拝堂で映画会を開催いたしました。「夜だけど、皆さん来て下さるかなあ」と、共育委員会のメンバーである(牧師のお連れ合いである)美樹さんと私は、落ち着かない気持ちで当日を迎えました。

 

 礼拝堂に夏の夕暮れの明るさがまだ残る頃、「早かったかなあ」と言って一番乗りで来て下さった九四子さんに、私は思わず抱き付きたくなりました。その後は皆さん次々においでになり、最終的には二日とも、普段の礼拝の半数近い方に足が運んで下さいました。

 

 森牧師から、「礼拝堂で映画会をしたいので、共育委員会で準備して欲しい」と伝えられたのは7月の初旬。委員会も立ち上がったばかり、プロジェクタ―の導入も始まったばかり、私は洗礼を受けたばかり。そんな私の不安を受け止めるように、森先生は続けて次のように言われました。

 

 「旭東教会には、すばらしいところがたくさんあります。それを教会員の皆さんで分かち合い、愛して欲しい。その一つである礼拝堂の空間の素晴らしさを〝夜の映画会〟を通して皆さんに感じてもらえればと思います。」と。

 

 旭東教会の礼拝堂は、白と淡い青色、そして濃い茶色を基調にし、讃美歌が天に昇っていくように感じられる美しい空間です。
 
 大好きなその礼拝堂が映画館になる。想像しただけで嬉しくなり、私の不安は一瞬消えて「やります」とお返事し、映画会に向けて準備が始まりました。
 
 その少し前から礼拝にプロジェクターが導入され、美樹さんがその扱いに習熟されていたのは大きな安心でした。(それでも当日までに何度も夜、リハーサルをしましたが。)
 
 森牧師、共育委員会で上映作品を「ローマの休日」と「カサブランカ」に決め、私はそのポスターを作りました。少しずつ形になっていくのがとても楽しく、調子に乗って、カサブランカ帽子まで夏のバーゲンで買ってしまいました。(余談ですが)
 
 そして迎えた上映の夜。礼拝堂に差していた夕焼けが消えた頃、礼拝堂のスクリーンいっぱいに白黒の映画が映し出されたそのとき、私には礼拝堂に大きな白い百合の花が咲いたように見えました。
 
 皆さんがじっと見つめる礼拝堂の正面に咲き、右に左に揺れる大きな白い百合の花。初めて教会に来たとき、教会員の方の笑顔にふれ、この教会には花が咲いていると思ったことを思い出し、神様の恵みにもう一度ふれた気がしました。
 
 映画が終わり、百合の花がすーっと消えたその後には、映画を楽しんで下さった皆さんのたくさんの笑顔がありました。そんな笑顔の花にふれ、映画会を開催して本当によかったと思いました。

 

 カラーの映画だったら、次はスクリーンにはどんな花が咲くのだろうか。そんなことを思いながら、次回は新春の映画会を予定しております。皆さま、美しい旭東教会の「夜の礼拝堂」でまたお会いいたしましょう。end

 


2016年2月28日発行

『  旭東教会報 緑の牧場 NO.29  』 より

  

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わたしの愛唱賛美歌
                                              信徒 IR子

 

私の愛唱歌は493「いつくしみ深い」です。

 

讃美歌と聞き真っ先に思うのがこの旋律でありこの歌詞です。昔からあまりになじみすぎているので、最初は何だか気恥ずかしくこれが愛唱讃美歌ですとは言いにくかったのですが、かの新島八重そしてこの教会内アンケートのベストワンもこの曲だと聞き、自分の中で斜に構えてカッコよく見せようとする浅はかさに気付き、反省しきりです。

 

やはりシンプルイズベスト、この身から自然に湧いてくるメロディを飾らぬ自分と重ねられるように、歌詞の清潔さに近づけるように精進したいと思います。

 

そしてもう一曲は、ある日の礼拝後「今日は歌の練習をしましょう」と○光代姉がアフリカの打楽器を出してこられ教えてくださった「43-3主よおいでください」です。

 

不勉強のためアフリカ民謡まで讃美歌に入っているとは全く知らず新鮮でした。歴史を遡るに、初代教会より打拍子は礼拝にもあったそうですが聖歌隊設立後は一切禁止となったと聞きました。

 

時代の流れを経て、アメリカ南部ノースカロライナ州アフリカンアメリカンのリズムをガラ族言語を、私たちが歌う事になる、この地球的エネルギーには感動すらおぼえます。

 

「kum ba yah =come by here」直球なメッセージに心打たれます。隣人の礼拝を覚えるという「隣人」を自ら狭めることなく心を解き放つ教訓としたいです。

 

この度「讃美歌と私」について色々と調べ考える機会を頂き感謝いたします。

 

考えに引っ張られそうな気がしたので、あえて祖父母父母の愛唱讃美歌は調べませんでした。ただ一番手元にある父の「讃美歌21」には故人の○チェックがあちこち書き込まれてあり、上記二曲ともそれに入っていたことを報告いたします。

 

 

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2015年10月25日発行

『  旭東教会報 緑の牧場 NO.28  』 より

 

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はじめまして
                                              〇〇八重子

 はじめまして、〇〇八重子と申します。2015年6月28日に日本〇〇キリスト〇〇教会より転入会させて頂きました。

 

 わたしのキリスト教との出会いは、思いがけない形で与えられました。夫・正光の最期の日々と繋がります。夫は2013年10月14日に74歳で召されました。そこまで3年程の闘病がありました。夫の命に限りがあるということが分かってしばらくした頃、神戸在住の娘が帰省し、主人とわたしに向かってこう話し始めたのです。それは寝耳に水の内容でした。

 

 「わたしはキリスト教を信じているクリスチャンなの。お父さんが必ずよくなって、お父さんとお母さんが二人仲良く暮らせるようになるから、わたしと同じ神さまを信じてほしい。お願い」というものでした。

 

 娘が神戸に帰ったあと、主人は「美千子があれだけ熱心に言っている。今まであの子には苦労をかけることもあった。せめて最期は娘の願いを聴いてあげよう」と語りました。

 

 その時のわたしは、夫の決心の言葉を聴いて、少しの迷いもなく、この道を進んで行くという覚悟が出来たのです。神さまの力が働いたと思います。その後、神戸の教会から牧師先生方がお出でになり、夫と共に自宅で洗礼を受けました。2011年1月15日のことです。

 

 洗礼を受けてからの夫は身の回りのことを何でも自分で出来るほど元気でしたが、やがて別れの日が来る覚悟があったようです。ひとり遺されることになるであろうわたしのために、あれやこれやと丁寧に整理をし、わたしが困らないように準備してれました。

 

 やがて主人はホスピスに入院。一週間程で容態が急変。神戸の娘と横浜に暮らす息子も帰って来て、わたしも含め家族三人が見守る中、病棟で安らかに召されて行きました。とても穏やかないい顔をしていたことが忘れられません。

 

 でも、その後のわたしは、自分でも想像出来ないほどの辛く悲しい日々を歩み出しました。独りぼっちの家の中で涙の日が続きました。近所の方にも顔を合わせたくない気持ちだったのです。

 

 心配する娘からは、近くの教会の礼拝に行ってみなさいと言われ、幾つかの教会を訪ねてみました。でも、どうしてもなじめません。娘はわたしがうつ病になることを心配していたようです。

 

 そんなわたしが、聖霊の導きによって旭東教会に行ってみようと思ったのが、今年(2015年)のイースターのことです。自分でも本当に不思議なのですが、初めての礼拝出席以来、毎日曜日に教会へ行くことが心からの楽しみになりました。

 

 森牧師をはじめ、皆さんからいつもあたたかく声をかけていただき、教会に来るととても穏やかな気持ちになり元気が出ます。また、教会に行くようになってからは娘とも共通の話題が出来て電話で話をすることが多くなりました。

 

 先日の転入会式の時の写真を頂いて驚いたことがあります。それはわたし自身の笑顔です。まさか自分にこんな笑顔があるとは思ってもみなかったのです。旭東教会に繋がれてから、このように嬉しく感謝なことばかりです。

 

 今年76歳のわたしです。まだまだ分からないことばかりですが、イエスさまの一番小さな僕として皆さまのあとについて歩んで行きたいと願っています。旭東教会との出会い、そして転入会は神さまからの贈り物です。どうぞよろしくお願いいたします。 

 

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以下、ご本人の了解をいただき、旭東教会の会報より転載いたします。バックナンバーからのご紹介もコツコツと始めます。

 

2006年10月29日発行(緑の牧場 復刊号)

『  旭東教会報 緑の牧場 NO.1  』 より

 

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○田美○子姉 2004年4月11日受洗
「教会に招かれ、神様に出会いました」

 

今ふり返ればそれは世の中にはもっともっと苦しい思いをしている人達もあるのに、と思える程の私にふりかかった心配事でした。

 

食欲はなく体重も5~6㎏減りました。夜は安定剤で眠る日々が半年余り続いたある日、ふと昔親しかった人が思い出されてあの頃はよく教会の話をして居られた、となつかしくその事はいつまでも心の中に止まりました。

 

私は主人に「西大寺に教会ってあるの?」と聞きました。「そりゃあるわ」とか何とか言って教えられた教会の玄関に立ちました。

 

何度もためらいましたが勇気を出してチャイムを押しました。中に入り礼拝堂をのぞいていた時、かすかな匂いがしました。それは今でも感じる礼拝堂の好ましい匂いです。

 

先生に出会い、とりとめもなく話していましたが先生は十字架の前でお祈りされ、そして一言、「大丈夫です」と言われました。

 

私は今までの苦しさの中、誰からも聞くことのなかったその一言で長年忘れていた涙がこみあげてきました。

 

この一言がなければ自分の弱さと幼稚さを露呈しただけの恥ずかしい出来事であり、再び教会を訪れる事はなかったと思います。

 

そして今まで知らなかった世界に導かれ洗礼を授けていただきました。洗礼式の頃の一部始終は鮮明に思い出すことが出来ます。

 

多くの方々に祝福の言葉をかけていただきました。いつも暖かく迎えてくださる方々のやさしいまなざしがあり、背中を黙って二度たたいて下さった方もありました。

 

でも私は神様のあることだけは信じていましたが聖書の事は何も解らないで注目の中に居ることが恥ずかしくもありました。

 

お祝いにずっしりと重い聖書を頂いてほんとうに感謝でした。

 

あれから3年と半の月日が流れました。賛美歌「いつくしみ深い」を歌う時、自分の心情そのものだと思って大好きな歌となりました。

 

そして今、この3年余りの月日、日常のわずらわしい事にはあまり深く悩まなくなったそれ位の変化でしょうか。

 

聖書はむつかしくお祈りの言葉もままなりません。教会員の方々とは信仰生活の長さ、深さ、その他あらゆる面に於いて大きな差を感じ落ち込むこともありますが、それは神様のみ心の視点ではない、と良い方に解決して心を閉ざすことなく、「神様の教えを学ぶことは生き方を学ぶこと」と教わったことを忘れない様に歩んでゆきたいと思います。

 

さまざまな角度から学び、導かれ、支えられ、恵まれた時でした。旭東教会ことを覚えてわたしたちもいつも祈っております。皆様に主の祝福をお祈りいたします。

 

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2015年2月22日発行

                    『  旭東教会報 緑の牧場 NO.26  』 より

 

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                         「受洗を赦されて」
                                                                     若〇 宗〇

 

私は一九二八年生れ、今年七月には八七歳になります。

 

昨年のクリスマス礼拝の日に主の御赦しとお導き、そして敬愛する多くの方々のお祈りに支えられ指方信平牧師から洗礼を授けて頂くことができました。

 

旭東教会員の平均年齢は六七歳とのこと。これをはるかに越える私が、やって神様に捉えて頂き皆様の仲間に加わらせて頂くことができ、心から感謝しております。

 

ふり返ってみますと浅口郡黒埼村(現倉敷市玉島黒崎)で生れた私は旧制金光中学校に入るまでキリスト教についての知識は白紙に近いもので、何を聞いても見ても初めてのことばかりでした。

 

日本の敗戦と共に学徒動員令により送り込まれていた兵庫県の軍需工場から生家に帰った私は翌年四月、旧制の同志社外事専門学校に入学、同校を経て一九五一年には大学経済学部を卒業しました。

 

五年間の同志社生活では授業だけでなく課外活動でもキリスト教について学ぶ機会が多く、恵まれた環境ではあったが自身は教養程度にしか受け止めていませんでした。

 

大学卒業と共に入社した〇〇新聞社では一九八五年の定年までの三十五年、第二番目の職場・全〇〇販では二〇〇〇年までの十五年、通算五十年間働きましたが、この間病気や怪我で欠勤したことは皆無でした。

 

明日の命さえ分からない現世でのこと、私は主のお導きと愛の証し以外には考えられない事と思っています。

 

また人との交わりを通して仕事をして来た五十年にわたる会社生活は、“健全な宗教”と“健全な信仰”の大切さを学ばせてくれたと確信しています。

 

幸い私の周囲は妻子、孫五人にいたるまでキリスト者として御言葉を信じ、堅実に信仰生活を守っています。

 

特に大きな障害を経験した娘は「神はあなたがたを耐えられないほどの試練に遭わせることはない。むしろ耐えられるよう試練と共に脱出の道も備えて下さいます」(Iコリント10:13)の御言葉に励まされ障害をのり越えることができました。

 

“この世的”に言いますと私に残された時間は少なくなりましたが、私は求道生活四年間、神様のお招きを頂き主日礼拝を守り、牧師を通して御言葉を学ぶことをゆるされてきました。

 

私はこうしたことを通し神様の深い愛に触れ、この度の受洗に導かれたと思います。

 

「わたしは門である。だれでもわたしを通って入るものは救われる。その人は門を出入りし牧草を見つける」(ヨハネによる福音書10章9節)

 

私は今、小学生の昔に返った気持ちでこの門をくぐらせて頂きました。

 

残された日々を主にすべて委ねて歩んでいきたいと思っております。

 

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                            信仰告白
                                                                 〇野〇子

 

物心ついた頃より祖母〈〇野〇〉に連れられて、私の教会生活は始まりました。祖父〈猛之〉が絵本を読んでイエス様のお話を聞かせてくれた事も覚えています。

 

ごく自然に始まったこの生活は、また自然に私の心より離れていったり再び寄り添ったりしていました。祖父母の想いは両親にも引き継がれ、常に「旭東教会」は家庭内に当たり前に存在していました。

 

洗礼については、長い間の迷いがありました。根拠も無く「まだ、その時期ではない」と思い込んでいました。

 

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しかし、周囲の皆様より「受洗してから学べばよい。何度でも繰り返し学ぶところから、人は先へ進む。」と教えられ、自分の邪魔をしているのは自身の思い込みに囚われている傲慢な自分そのものであると気付かされました。

 

そして前に進む未来を選ぶ事を決意した次第です。

 

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この度、教会生活の具体的な事をご教授戴き、実は自分は何も理解してないと思い知りました。

 

核とするべきはかたちではなく自分の心、それも自身の思い込みではなく、神に求められた事への感謝であると、忘れること無くゆきたいと思っています。

 

思い込みについては、保身に走る己れの弱さであり自己中心的な考えに囚われる自分の姿を思います。

 

間違いに気づいても引き返す勇気もない現状に立ち向かい、逃げない強さを求めてゆきたいです。心の勇気には、父なる神の御力が必要なのです。

 

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自分にとって『神とはいかなる存在か?』は生涯のテーマです。

 

雑事に追われる日常を鑑みるに、あまりに面映ゆく私などには無縁な主題だと思っておりました。

 

しかし、それを逃げる口実に人生の核心から目を背けるのも間違いだと思います。自分の一挙一動を自信につなげることも大切です。

 

それゆえに、先ずは神にすがる弱さが露呈してしまうのも人間です。それを正して下さるのが神の教えです。

 

自分が望むのではない、神に求められたから自分がここに居るという教えが、一番心に響いています。

 

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私は旭東教会が好きです。

 

年月を越え新改築をされても、正面の聖壇は祖父母の頃から変わらぬ神々しさを讃えて、私を健やかなる時も心暗き時も迎え入れて下さいます。

 

正に神様そのものです。

 

この度の洗礼への講習会で「旭東教会は懐の深い教団である」と何度もお話を頂き、誇らしい気持ちになります。

この宗教生活を整え育ててくれた家族、それに支えられ今ここに居る自分を省みる度に、居させて下さっている神に、感謝を捧げたいと思っております。

 

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日常生活の中で、宗教について真剣に向き合える機会を頂けまして、幸せだと思います。

 

精神世界が幼少時より身近にあった幸運を今まで無駄遣いしていた事が悔やまれます。

 

自分の存在は神に愛され赦されたものである、とも教えられました。心に掛けて下さる強みに自身を持って、歩みたいと思います。

 

目に見えるものにしかすがれない弱さも否定出来ませんが、教えを受けた自分がそれを支える事も学びました。

 

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私は救われて神に求められた者であり、それへの感謝を忘れることなく信仰の道を進んでゆきたいと思います。

 

以上、観念的なお題目ばかりでお恥ずかしい限りですが、洗礼への告白とさせて頂きます。end