2018年1月17日(水)144号 『 牧師室便り 2018年1月号 』

ふっと息抜きをしたいなと思い出かけたとある美術館のティールームからの一枚。
ふっと息抜きをしたいなと思い出かけたとある美術館のティールームからの一枚。

      『 旭東教会  牧師室便り』
              2018年1月7日 № 32
                     牧師 森 言一郎                

 

大晦日の夜、「元旦祈祷会の聖書はどこにしよう」と考えていました。

 

創世記1章だけは決めていました。混沌の中に「光あれ」のみ言葉を皆さんで聴きたかったからです。大晦日はその他を楽しみながら選びました。

 

以下、朝の光の中、いつもと違う並びの礼拝堂の長椅子に座った参加者一同、声を揃えて読んだみ言葉です。

 

あっ、賛美歌の歌詞もしっかりと味わいました。

 

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まず、詩編96編の「新しい歌を主に向かって歌え。全地よ、主に向かって歌え」を声高らかに朗読。

 

福音書はルカより、5章1節以下のペトロが経験したガリラヤ湖での出来事を選びました。ペトロは「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と語った後に網を投げ込みます。

 

直後、舟が沈みそうになるほどの大漁を経験するのです。ペトロは主イエスの足もとにひれ伏して言います。「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と。

 

旭東教会でも恵みゆえの悔い改めが起こることを祈っています。

 

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もう一つは、使徒言行録2章の最後にあるパンの分かち合いの箇所です。

 

当日は〈聖餐式〉ではなく「愛餐式〉を行いたいと考え、大晦日の夜遅く、某所に出向きパンを準備。願いどおり、全ての参加者がお隣の人のために手にしたパンを裂いて分かち合う時をもちました。

 

聖書にこうあります。「毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし・・・」と。

 

明るい気分でパンをを頂きました。

 

元旦祈祷会を振り返ってとりわけ嬉しかったのは、参加者16名の中に3名の求道者が居られたことです。

 

その他、沈黙の祈りの時もありましたし、「病床の夫のために〈神の家族〉のお祈りをお願いします・・・」のお声にふれるなど、意味深い時となりました。

 

心が満たされるだけでなく、実に清々しい時間となったのです。いい正月でした。

 

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北海道の地吹雪や除雪の日々をすっかり忘れてしまい、岡山の冬でも十分に寒いなぁと感じることが多い私です。

 

ある朝、スロージョギングをしていて、たまたま目に入って来たものがありました。冬の小菊の美しさです。

 

何が美しいのか。ご存知の方にとっては当たり前のことかも知れないのですが、見かけた小菊たち、茎の方は枯れ始めていても、寒空の澄んだ空気の元で、ひっそりと、でも凛として身を寄せ合いながら生き生きと咲いていたのです。

 

そう言えば、冬の夜空も美しいものですね。私はオリオン座が夕暮れと共に見え始めると、中学・高校時代、故郷・大分の田舎道を、国鉄・大在(おおざい)駅から自転車を漕ぎながらの帰り道に見上げていた夜空を思い出します。

 

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何事も道具はやっぱり大事。そんなことに今更ながら気付かされたことがあります。

 

私はほぼ毎日、豆を挽くところから始めて珈琲を煎れていますが、豆を挽くための器具(ミル)を手動から、準プロ仕様の電動に変えたところ、粒が揃い、味が格段によくなったのです。

 

手動ミルで60㌘を挽くと道具の後片付けまで含めると10分以上掛かることが多かったのですが、数十秒で終わるようになりました。豆が均一に削れるからなのか、いまひとつ分からない部分がありますが、とにかく珈琲がおいしいのです。

 

7月の〈夏祭り〉には更においしくなった珈琲を〈森カフェ〉でお煎れいたします。これまでの苦労があった分、新しい道具のありがたみが身に染みます。

 

考えて見れば、珈琲専門店で手動ミルでガリガリと豆を挽いているところはありません。やはり、プロも道具を選んでいるのです。料理人の包丁もしかりであります。

 

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ホスピス=終末期医療病棟で働いている友人の言葉を耳にしました。「わたしたちはみんな、死に向かって生きている」というものです。

 

中世の修道士たちが挨拶の時に交わした言葉が「メメントモリ・汝死すべきを知れ」であることはよく知られているところです。何かそれに通ずるものでもあります。

 

ただ、〈メメントモリ〉の肝心な意味は、死の先にある時への期待や備えであろうかと思います。

 

今年も、日毎の感謝と共に、程よい緊張感をもってみ言葉に仕え、従って行きます。end