暦の上では立冬を過ぎましたから、秋が深まるのも自然のことかも知れません。
旭東教会がある西大寺の町並みにも、紅葉が見られるようになって来ました。
お変わりございませんか?
今週も書き手はわたくし牧師のもりでございます。よろしくお願いします。
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さてさて、過日、11月5日(日)は日本基督教団の暦に合わせて、旭東教会でも聖徒の日の一日を過ごしました。
とりわけ、わたしたち旭東教会では、午前には召天者記念礼拝をささげ、午後からはクルマで10分程の所にあります教会墓地で、祈りの時を持ちました。
年に一度、この日だけは礼拝にと心を定めて来会して下さる方、夏にご家族が召されその写真を携えて来られた方も居られました。
また、はなのみやこ巴里(パリ)でご活躍中の画家のA兄が偶然帰国されて、諸聖徒たちのお顔が記録されている写真帖の並ぶ礼拝に出席され、本当ににこやかに、喜んでマイクをもってご挨拶されるなど、多くの恵みが溢れる日曜日でした。
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出席していた一人ひとりが携えてきた何かが、礼拝堂で一つになるという不思議。
数えだしたら、どれほどのドラマや物語が織りなされているのかなぁ、と思うのですが、とてもご紹介することも想像することも出来ません。
でもそれでも、確かなことがあります。
礼拝報告時に溢れていた空気は、穏やかな笑顔は、皆さんが平安で、ここに来ることが出来てよかったなぁ、天国の家族も喜んでくれたなぁ、旭東教会っていいなぁというものだったはずです。
わたくしの立場で申し上げると、ちょっとナニカモ知れませんが、間違いございません。
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そんな日曜日からはや六日、今日は土曜日です。
このBlog・教会日記にどんなことをご紹介しましょうかと思いまして、「今週の3枚!」にアップロードいたしました写真を見直しましたところ、決定しましたのは、OH子さんを巡る感動の物語です。
上の写真は、礼拝後、OH子さんが、講壇に並べられた旭東教会名物とも言える、聖徒の日の写真帳(逝去者の写真が屏風のように並びます)を清美さんと一緒に見入っているところです。
それから、礼拝報告時に、お客さまからマイクをもって年に一度の来会のご挨拶など頂いたあと、久しぶりに礼拝に出席することが出来たOH子さんにもお願いしたのです。
ひと言、お声を聴かせて下さい、と。
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さかのぼること、3ヶ月程前の月曜日だったと思います。OH子さんから悲壮感あふれるお電話が教会に入りました。
「かくかくしかじかで、わたくし入院いたします。先生、お世話になりましたが、賛美歌と聖書は先生にお伝えしていると思いますので、よろしくお願いいたします・・・・・・」というような内容でした。
そうです。お具合が悪くて、ご自身は葬儀を覚悟して居られたのでした。
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ところが、どうでしょう。
11月5日の聖徒の日・召天者記念礼拝の日曜日には、お二人のお嬢さんを引き連れて・・・
もとい、お二人のお嬢さんに伴われたOH子さん、元気いっぱいに礼拝にご出席になられました。
いえいえ、それどころか、わたくしが旭東教会に着任してからお見かけしていたOH子さんの中で、一番元気なご様子で、礼拝の後もしっかりとした足取りで、歩きまわっておられるではありませんか!
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これまでのOH子さん。礼拝後のお茶の時間など、とてもではありませんが、残っている体力がありませんでした。
でも、聖徒の日のOH子さんは、違いました。えっ、なに、ひゃーぁー、という感じで、あちこちが痛くて、辛くて、悲しくてというOH子さんではなく、しっかりと前を見据えて礼拝の時をご一緒して下さいました。
二人のお嬢さんの姿も見えました。朋子さんと尚美さん、感慨深いを通り越して、涙を流しておられたのは間違いありません。
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慣れないマイクを手にされたOH子さん。心を込めてのお言葉を紡ぎだされたあと、暫くの間を置いて、さいごに、はっきりと、こう仰ったと思います。
「生きとりましたっ」
と。
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うゎぁー、復活だなぁ、甦りだなぁ、と感じました。
わたくし、甦るという文字はすばらしいなぁ、と最近気付いたのです。
左には「更」。つまり、〈新しくなる〉という文字が鎮座します。それから右側には「生きる」がそっと寄り添い、一つに合わさって、「甦り」なのですねぇ。
そうです、新しく生きる、まっさらになって生きる。
それが、甦りのいのちです。
なぁんだ、そんなことに、今頃気が付いたのか、とお叱りを受けるかも知れません。
が、自分独りで、ふとしたことから気が付いたわたくし、心から感動いたしました。
はい。
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そして、OH子さんのお姿を通して、じわりじわりとその喜び、感謝が、いのちの奥深くに宿っているのを今覚えているのです。
これは、ひとりの牧師の喜びというのではありません。
神の家族である旭東教会全体の喜びであり、神の国の喜びだと確信いたしております。end