2017年8月11日(金)№ 128『 教会で戦争体験を聴くということ 』

2017年8月6日 平和聖日インタビューのひとこま。インタビューを受けて下さったのが真ん中の靖さん。聴き手は左が安佐子さん、右側が森牧師です。
2017年8月6日 平和聖日インタビューのひとこま。インタビューを受けて下さったのが真ん中の靖さん。聴き手は左が安佐子さん、右側が森牧師です。

 

こんにちは。皆さんの教会では、平和聖日をどんなふうにお過ごしになりましたか?

 

あるいは、まだ教会につながっていない方は、今年の夏、平和への思いをどのように深めるきっかけを持とうとしておられるでしょう。

 

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わたしたち旭東教会では、昨年に続いて、礼拝後の報告のあと35分程ですが、戦争体験インタビューという形でお話をお聴きする時間をもちました。

 

昨年は、光子さんより、広島県呉市に疎開をされていた当時のことを中心に伺いましたが、今回は、昭和4年・1929年生まれの靖さんがお話し下さることになりました。

 

写真がその時の一枚です。

 

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岡山空襲が1945年6月29日の未明にあった。

 

それは去年、会員の関係者が、高校生に舞台で演じてもらう形で、演出助手的な立場で製作に関わっておられたことから、私も(牧師のもりでございます)はっきりと知るようになりました。

 

岡山に来てから、まだ、3年目ですので、知らないことが当然たくさんあります。

 

それでも、今回、靖さんのお話を聴いていて、そうか、そうなんだと、B29の飛来の姿、大量の焼夷弾を落としていく様子が、これまでよりは、かなりリアルに思い浮かぶようになりました。

 

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当日は全部で16ページにわたる『岡山空襲の記憶』という冊子を教会内でも配りました。どうやら、小学生以上のお子さんたちの平和学習のための資料のようです。

 

そこには1944年11月29日から始まったと思われる、日本各地でのアメリカ軍による空襲の年譜がわかりやすくまとめられています。

 

もちろん、わたしたち、戦争に対する加担責任もありますから、その点は決してけっして忘れてはならないものです。零戦が奉納されることを祈願する、祈りを、日本基督教団はささげておりました。わたしたちはその責任を担って行くことも必要です。

 

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さて、インタビューを受けて下さった靖さんですが、実は、そのまま読み上げて下さってもよかった手書きの原稿が準備されていました。

 

88歳のご婦人がそれをまとめるのは、わたしがキーボード入力するのとはわけが違います。あっちこっちにしまい込まれていた情景、音、匂い、そして、恐怖や悲しみ。

 

そうしたものを紡いで下さるのに、どれほどのエネルギーが必要だろうか、ということを、今こうしてBlog・教会日記に書き始めて改め知るものです。

 

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とても小柄でいらっしゃる靖さん。お疲れになるのも当然だろうな、と思います。

 

インタビューが終わってからのほっとタイムというお茶の時間に、教会の方々と一緒に写っている写真には、疲労の色が感じられました。

 

へぇー、やっぱりそういうものなのか、と思うことがありました。それは、いつも靖さんと一緒に礼拝にお出でになるご長女の言葉です。

 

ひとづてに先日聴いたことですが、そのお嬢さんも、平和聖日礼拝で初めて、お母さまの空襲体験を聴かれた、ということです。この事実に触れて、わたくしあらためて、戦争とはどういうものなのか、を考えさせられます。

 

今は亡きわたくしの父方のクリスチャンの祖父が居りました。明治43年・1910年生まれで、平壌、現在の北朝鮮での少年院関係の仕事に就いていたことを知っています。しかし、平壌でのことについて殆ど語ろうとしなかったと思いますし、聴かせてもらう努力も、足りなかった。今更ながら思います。

 

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神の家族として生きるわたしたち。こんな形でお話を聴くことが出来るのは、とても意義深いことだと思い直しています。

 

いつもとは違う、遠いどこかに出掛けて行って戦争の恐ろしさについて学ぶ、ということではなく、わたしたちクリスチャンにとって日常空間である、礼拝後の報告時に、席を移動することなくお話に心傾けることが出来たこと。

 

これが何よりの恵みだと思います。礼拝の空間でこうしたお話を聴くこと。他の教会でもそれぞれ工夫をされているとしても、意外にむずかしいことではないかと思うのです。

 

そういう意味からも、わたしたち旭東教会、このような時間を続けられる限り、努力しながら、なんとか続けていきたいと考えております。

 

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わたしの母は昭和6年生まれであります。30数年前に52歳で召されていきましたが、中学生だったであろう母の終戦はどんな風だったのか。

 

残念ながら、わたしは知りません。父は昭和2年生まれ。父の終戦もはっきりと聴いた記憶がないのです。

 

これまた少し複雑な思いになります。そして、だからこそとも言えるかも知れません。

 

神の家族の証言を、教会の礼拝堂で、神の家族と共に聴き続けることをたいせつにしていきたいと。end

 

 


平和聖日インタビューの様子をもう少し写真でどうぞ Clickで拡大