2017年6月24日(土) № 121 『 〈み言葉カフェ〉の秘密? 』*ミニ写真館付

2017年6月18日(日)の午後、日曜日の恵みの分かちあい〈み言葉カフェ〉のひとこまです
2017年6月18日(日)の午後、日曜日の恵みの分かちあい〈み言葉カフェ〉のひとこまです

皆さんは礼拝後の時間、どんなふうに過ごすのがお好きですか?

 

十人十色とはよく言ったもので、好みや考えは人によってそれぞれだろうと思います。

 

きょうは、旭東教会でこの春から始めた〈み言葉カフェ〉についてお話しようと思います。

 

最初は少し、遠回りさせてくださいませ・・・。書き手はいつものように牧師のもりでございます。

 

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二世代前の著名な牧師にして神学者であった○○先生は、長年牧会されていた教会で、日曜日の礼拝以外はほんとうに何もなさらなかった、と聞いたことがあります。

 

40年前に神学生として在籍していた牧師が、今、気軽にお話できる所におられて、○○先生の説教はほんとうにすごかった。自分の説教の基礎は、あの頃にある、とはっきりと言われます。

 

いえいえ、それどころか、○○先生の説教の豊かさについては、ちょっと注意深くアンテナを張っていると、時々目にとまります。つい最近も耳にしました。

 

或いは、わたしの学んだ神学校でも、ある旧約学の先生が、やはり○○先生の説教に触れて、「○○先生の講解説教は、釈義でもあるから説教集から学んでいるし、皆さんもぜひ」と言われたのをはっきりと覚えています。

 

だから、わたし自身、牧師に成りたての頃や神学生の頃、説教というものをいったいどのように語ったらよいのかわからなくて、○○先生の説教集からよく学んだものです。

 

最近はすっかりご無沙汰していますが。

 

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ちょっと視点を変えてみて、もしも、その素晴らしい○○先生の説教を当時の礼拝に出席され聴いていた方が、その喜びと感謝を、ひとり黙って帰宅し続ける毎日曜日だったとしたら、少しばかり勿体ないような気がしませんか?

 

いかがでしょう。

 

だって、素晴らしい宝物は、いえ、命のパンは、分ければわけるほど増えていくはずですから。

 

ご夫婦で礼拝に来られた方は帰り道、或いは、ご自宅で何かを分かちあったかも知れないですが・・・。

説教について語り合うのは御法度なんて時代でも今はないと思います。

 

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戻ってまいりました。み言葉カフェの話題に。

 

春から始まったみ言葉カフェ。礼拝が終わり、それぞれの簡単なご用を終えてほっとする頃に始まります。

 

6月18日(日)の午後は、呼びかけ人のひとり、安佐子さんが時計を見ながら12時10分に、礼拝堂の後の方で始めたいと思います、とご案内下さってました。

 

実際は少し遅れての開始ですが、確か、わたしも含めて8名が集まって来ました。

 

とーっても楽しくて豊かにされる時間。そう感じました。

 

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み言葉カフェの時間、旭東教会の場合、わたしの経験上からもそうしていますが、大きな机をはさんで肘掛け椅子とか背もたれのある椅子はあまり似合いません。

 

ソファーもどうかな、と思います。

 

ベストなのは丸椅子です。何人集まって来ても輪になれて、参加者の声がちいさくても聞こえる距離感。

それがとっても大切なのです。

 

だって、たいせつなことを、大好きな人に伝えるとき。ほとんどは小さな声が届く距離に居るはずです。

 

マイクをもって、「愛してます」はたぶん無い。

 

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み言葉カフェにはお約束があります。

 

これから記すことは、みんなが安心して時を過ごすための大切なものです。

 

それは、誰かが語って下さったことに、賛成も反対もないということ。よかった、恵まれた、感動した、救われた、というような経験に、「それは違うでしょ」「そんなこと先生は言ってなかった」「うっそー」とかないのです。

 

だから、わかりやすく言えば、反論なんて絶対ない場です。「うん、うん」とただ〈うなずく〉。

 

たとえ、自分とは感じ方が全く違うなぁと思っても、お約束ですから、これまた、ただ〈うなずく〉。

 

これが大事なんですね、ほんとうに。感じ方に正解はないのです。

 

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もう一つ心の心配りは、信仰の健康のために、腹八分目か腹七部目を心掛ける、ということです。

 

お腹一杯になるような分かち合いはしない。それが、不思議な爽やかさを残してくれます。

 

ですから時間は、旭東教会では30分以内、と決めました。先日は27分位で終了したはずです。

 

あともう少し、という所で終えると、次が不思議と楽しみになります。何事もほどほどがよろしい。み言葉カフェにも当てはまります。

 

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旭東教会では、礼拝後においしい珈琲を頂けるように準備されていますので、み言葉カフェの時、それぞれが、集会室からコーヒーカップを持参します。

 

そんなノンビリとした空気の中、信仰の大先輩も、求道中の方も、こころに感じたことを語るのです。

 

語り合う、というのではありません。批評とももちろん違います。恵みの分かちあいに徹する。

 

よろこびと感謝を言葉にする。

 

結果的には、これで十分なんですね。思いも寄らない気付きを頂けることが多いのです。みんな感じていることは違いますから。

 

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わたしが力をこめたこととは違う所を通しての気付きを、先日も、かなり聴かせて頂きました。

 

うれしいものです。

 

はぁー、そう言われてみると、皆さんがそんな感じ方をするって、納得だなぁ、と牧師であるわたくしも、やさしく経験できるのです。

 

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礼拝堂の献花に感動する日曜日もいいものです。

 

新しい賛美歌にビックリした、というお声もありました。歌詞がメロディーについて行けなかったけれど、その分、歌詞を味わってみたら、ドキッとしたなんて声もありました。

 

こどもたちの声にも慰められることがあります。

 

ようするに、なんでもよいのです。日曜日のよろこびを分かちあえれば。

 

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とは言え、十人十色でありますから、恵みは静かに心の中で反すうする、というタイプの方も大切にされるべきでしょうね。

 

なので、み言葉カフェは有志の集いです。

 

参加できなくても困ることはありません。ガッカリすることもない。牧師が居なくてもよいのです。

 

ただ、リーダー的な方が、上手に会を導くお手伝いをする方がよいことがあると思います。

 

一人の方が喜びのあまり長い時間話し続けるとか、ちょっと脱線気味かな、と言うときは、勇気をもって、軌道修正が必要かも知れません。

 

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旭東教会では、毎月第3日曜日に、このような形で、み言葉カフェを始めた次第です。

 

たぶん、無理なくスタートしていますから、定着していくと思います。

 

気楽な会です。旭東教会にまだお出でになったことのない方。み言葉カフェがある日曜日、よろしいかも知れません。

 

礼拝の恵みがさらに深まり、ちいさな出会いも備えられていると思いますよ。心よりお待ち申し上げております。end

 


み言葉カフェの こんな雰囲気です クリックで大きくなり  ひと言があります