2017年5月13日(土) № 115 『 童心に帰ろう 礼拝での紙芝居や絵本の力 』

2017年5月7日の主日礼拝 子どもたちは最前列で紙芝居に集中 おとなの皆さんも、たぶん集中(^^♪
2017年5月7日の主日礼拝 子どもたちは最前列で紙芝居に集中 おとなの皆さんも、たぶん集中(^^♪

旭東教会の10時15分からの主日礼拝。

 

よその教会の礼拝を見ているわけではありませんので、簡単に比較はできませんが、紙芝居や絵本が登場することが多いと思います。

 

それだけではなく、キリスト教の名場面が描かれている絵画の紹介も時々しています。

 

わたくし(牧師のもりでございます)、それらを使って説教をすることがあるのです。

 

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紙芝居や絵本は、日曜日に教会にやって来る子どもさんが、ぱらぱらっと居られますから、その子たちに向けて一応読むわけです。

 

もちろん、子どもさんは喜んで聴いてくれます。

 

でも、どうやらそれ以上に、おとなの方々も、グーッと引き寄せられて、世界に入っていく気配を感じます。

 

ジュニアサークル(教会学校)の時間、他のスタッフが、ご自分で描いた絵を使ったり、絵画を持って来て下さったり、紙芝居のある場面だけをピックアップしてメッセージを語ることがありました。

 

そういう場面は、聴いているわたしもとても楽しみでしたし、大好きでした。

 

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5月7日(日)は、旭東教会に生まれる前からやって来ていたはずの〈Y・泉さん〉が、神戸からゴールデンウィークということで里帰り。ご主人さまとお子さん三人と共に、礼拝に出席してくれました。

 

前日夜、「泉さん、明日は旭東教会で、礼拝ご一緒できそうですか?」とメールを入れましたら、「楽しみにしています」とのお返事を受けて、迷子の小羊の紙芝居を選んで準備いたしました。

 

今年年長さんのはるちゃん、〈もりせんせい に Love ラブ〉なのが感じられて、こちらもはりきってニコニコです。

 

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やるとなったら、なりきってやるしかありません。

 

羊飼いや、迷子になるメー子、そして、お友だちなどの声を使い分けながら(のつもり)、頑張りました。あるいはいつもガンバッテます。

 

さすがに、会衆席の皆さんが、どんな様子で紙芝居をみて、聴いているのかわかりません。

 

というよりも、席の方をみる余裕もありません。紙芝居の名人のような方はどうするのでしょう。

 

でも、空気としては、おとなの方たちの多くも、おそらく童心にかえって、10分弱の時間を豊かな気持ちで過ごされたのではないか、と思います。

 

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岡山県内のとある教会の礼拝や説教についてお話を聴く機会がありました。

 

いろいろと刺激を受けるお話でしたが、ここでは説教だけに絞ってご紹介します。

 

「わたしたちの教会の説教は教会学校の子どもにわかるお話しかしません。皆さんよろこんで聴いてくださいます」とハッキリと言い切られました。複数の牧師で牧会されている教会ですが、互いに約束を確認して、徹底されているとのこと。

 

さらに、何年か前から、礼拝では福音書だけしか読まないと決めたそうです。つまり説教はイエスさまのお話だけだそうです。

 

そちらの教会、イースターに6名の方が受洗予定とその頃お話になっていました。

 

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迷子のメー子の紙芝居。礼拝から数日後、5月11日(木)の祈祷会でも助けになりました。

 

詩編を学び続けている旭東教会の祈祷会ですが、2017年度は、月に一度、福音書の譬え話を学ぶことにしました。

 

その第一弾が、ルカによる福音書15章1節~7節の「羊飼いのよろこび」の箇所だったのです。

 

肝心な骨組みや文脈についての解説のあと、黙想の時間を6分程もちました。

 

わたし自身が、迷子のメー子の紙芝居から大事なことを示されていたことに気付いたのです。

 

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実は、紙芝居の中に、羊飼いのおじさんが、崖から落ちてケガをしているメー子を助けに、傷つきながら危険を顧みずに降りて行く場面がありました。

 

福音書そのものには、もちろんそのような描写はありません。

 

でも、迷子になった羊を捜しに出掛ける羊飼い。

 

何の危険もなしに、旅行気分で、99匹の羊たちを残してのんきに出掛けたなんて考えるのは間違いでしょう。

 

実に傷つきながら崖を駈け下りるその羊飼いこそ、十字架の上で、わたしたちの罪のために命を投げ出して下さったイエスさまだということが、紙芝居の一場面には預言されていたのです。

 

とわたしは黙想していて気付いたわけです。

 

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余韻が数日は残るような説教にふれられる日曜日は幸いです。

 

聖書を読み直してみたいと思いました、なんていう言葉を聴いたら牧師みょうりにつきます。

 

それぞれの暮らしの中で、聖書の場面が立ち上がってくるような日曜日の礼拝。気がついたら賛美を口ずさんでいるわたしに気がついたら、なんと豊かなことかと思います。

 

教会の皆さんの理解とお支え、お祈りを頂きながら、迷ったり、悩んだりしながら、今の時代の旭東教会にふさわしいものを求めながら、わたしはこれからも、紙芝居や絵本も積極的に活用して、福音を語っていきたいと願っています。

 

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旭東教会の礼拝堂。

 

天井がとーっても高くて気持ちのいい空間です。

 

講壇からそう遠いわけではありませんが、礼拝堂後方のお席の方たち、親子室の方からは、紙芝居や絵本の絵がどの程度見えるのか、見えないのかが気になるところです。

 

プロジェクターに絵を取り込んで大きく写し出す、という方法も考えられます。そうすれば、何人かで、役割分担もしやすく、一人で何人もの声を使い分けなくてもいいかも知れません。

 

あれこれを、スタッフと相談しながら取り組んでみたいなぁ、と楽しみにしています。

 

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紙芝居や絵本で聖書を伝えること。

 

それは、教会や聖書、キリスト教が初めての方々にとっても、たぶん、ハードルが低くて、馴染みやすいものではないかと思います。

 

もちろん、ガッチリした説教をと思われている方々のために、わたくし、そちらも一所懸命準備をしてメッセージしていますので、心配なくお出掛け下さい。

 

どうか皆さま、旭東教会の礼拝で童心に戻ってみて下さい。

 

いいものですよ。会員一同、初めての方々のご来会を心よりお待ちしています。end