2017年4月22日(土) № 112 『 信仰の〈 かたち 〉 』

2017年・旭東教会の〈イースター卵の樹〉です。紫陽花の枝と共にうつくしい、と思いました。感謝
2017年・旭東教会の〈イースター卵の樹〉です。紫陽花の枝と共にうつくしい、と思いました。感謝

イースターおめでとうございます。

 

各地の教会、それぞれのお宅で、イエスさまのご復活の恵みが豊かに広がりますように。

 

さてさて、きょうのBlog・教会日記のタイトル。『信仰の〈かたち〉』といたしました。

 

なんだか、ちょっとむつかしい感じがするタイトルですが、これをもとに、わたくし(牧師のもりでございます)ご一緒に分かちあえればと願っています。

 

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2017年のイースターを迎えて、考えはじめていることがあります。

 

それは「イースター卵の樹」(勝手につけた名前ですが)が礼拝堂に飾られて、その創作のご奉仕をされた(風邪をひいて休んでいた)美樹さんの言葉を聴いたことが切っ掛けでした。

 

そして、あー、それって、とっても多くのことにつながって行く大切な鍵、或いは、扉なのではないかなという気付きを与えられたように思うからです。

 

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美樹さん、わたくしの妻の名前です。

 

牧師館で家族として共に暮らしているわけですが、4月16日のイースターの数日前から、発熱でダウン。

 

イースター前の大切なひととき、洗足の木曜日の「受難の賛美と黙想のとき」や聖金曜日の「受難日礼拝」にも出席できませんでした。ようやく、快復しつつあるこの頃です。

 

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美樹さん

 

復活祭に向けてたぶん3ヶ月近く前から何やら構想を練り始めて、イースターのシンボルのひとつである卵を使っての創作(工作に見えましたが)をこつこつと続けていました。

 

こんな感じになる、というのをご本人はイメージしていたのだと思いますが、わたくしの鈍感な感性では、カンセイ後の予想図が正直なところ分かりませんでした。

 

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イースター当日、陽射しがやさしく射し込む礼拝堂前方に置かれた〈卵の樹〉ほか、とってもうつくしいものでした。

 

美樹さん、教会に暮らして居るということで、体調がすぐれない中、前日の土曜日遅くに、わたしでは役に立たないこともあり、何日も前から完成していた飾りを降ろしました。

 

遠くから眺めても、近くから見てもうつくしいなぁと感じました。

 

人それぞれに受け止め方はあると思います。でも、どこかの書籍に全く同じものがあるのを観たこともありませんでした。

 

卵の樹の枝は紫陽花でした。書子(ふみこ)さんのお宅から頂いたものが、芽吹き、緑がまた素晴らしくうつくしい。感嘆しました。

 

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旭東教会ホームページを観て、美樹さん宛にですがお葉書が届いていました。信頼する信仰の友からのもの。

 

そこには「愛餐会で卵を配ることしか考えていなかったので反省しました」という意味のことが記されていました。

 

そうか、そうだよな、でも、普通はそれで精いっぱいだよなあ、○○さんの教会は大きな教会だし、と思ったものです。

 

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復活祭の夜か、その翌日だったか。美樹さんがぽつりとこう言いました。

 

九州は博多出身の美樹さんですから博多弁です。

 

「あの卵、わたしの信仰告白やけん」と。

 

その時も、素直になるほどと思いました。特に美樹さんの場合、人前で話をすることは苦手だなぁ、との思いがあるのかも知れません。

 

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そして、今、もう少し大きな目で〈信仰のかたち〉ということで思い巡らしてみると、人にはそれぞれの信仰の現し方があることに気付かされたのです。実に鈍感な話で恥ずかしくもありますが・・・。

 

考えてみれば、週毎の、礼拝堂に〈お花を生ける〉奉仕もしかり、礼拝の予告掲示のための〈毛筆〉奉仕もそうです。もちろん〈奏楽〉奉仕も立派な芸術であり信仰のかたちです。

 

愛餐会の〈お料理〉も、綿密な準備が必要。旭東教会のイースターの食卓に並んだ「ばら寿司や桜餅」。心底美しいものだと思いました。食べ始めるのがもったいないくらいきれいでした。

 

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わたくし、礼拝説教でも、世の同労の牧師たちと比べ、比較的たくさんのキリスト教絵画に触れることが多い者です。

 

そのようにしているのは、個人的にキリスト教絵画によって信仰の眼が開かれてきたいろいろな経緯があります。

 

そして、長いキリスト教会の歴史の中で、やはり、芸術は信仰のひとつのかたちとして、重んじられてきたことと無関係ではありません。

 

キリスト教はことばが重んじられる宗教だと言います。それは間違いないこと。神のみ言葉、聖書、説教、さんび、信仰の告白とどれもことば抜きでは考えられません。これからも変わらないでしょう。

 

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けれども、今一度、やわらかな心と感性で、考えて見る必要がありそうだと思い直しています。

 

信仰の立場にたって、プラカードを掲げて声を上げる生き方もあります。座り込みをすることもある。

 

芸術の世界も幅が広いものです。音楽の分野も含まれます。キリスト教絵画、あるいは、初めて見たときにわたしには奇異にさえ感じた、リタージカルダンス、というものもあります。

 

水野源三、星野富弘、八木重吉というキリスト教信仰に生きる(生きた)詩人たちも思い出します。

 

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信仰義認の立場を最重要と考える方たちからすると(例えばルター)、「藁(わら)の書簡」とすら呼ばれ、軽んじられた歴史もあるのは『ヤコブの手紙』です。

 

しかし、最先端を歩まれる聖書学の先生からすると、今日(こんにち)、『ヤコブ書』こそ、もっとも見直されるべき書簡である、ということも言われるのがキリスト教の世界の現実でもあります。

 

わたしなど、ことばで語り伝えることが当たり前のつとめに仕えていますから、苦労はあるにせよ、お話することを通して、信仰を表明するということに慣れすぎているのかも知れません。

 

もっとことばを添えるならば、存在の貴さ、Beingの貴さから、わたしたち、教会生活を考えて行く必要がありそうです。

 

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教会の世界、信仰の世界の奥深さを考える切っ掛けとなった旭東教会の〈イースター卵の樹〉。

 

そして、「あの卵、わたしの信仰告白やけん」ということば。

 

主がお示し下さったこととして、しっかり受け止めて行きたいな、と思った次第です。

 

どうぞ、旭東教会にどなたもお気軽においで下さい。一同、心よりお待ちいたしております。信仰の旅路をご一緒いたしましょう。end

 

以下、ミニ写真館で、ゆたかな信仰のかたちをお楽しみ下さい。


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