2017年4月15日(土) № 111 『 洗足の木曜日、そして受難日礼拝にて 』

2017年4月13日(木)の午前、「受難の賛美と黙想のとき」をもちました。その中で、ヨハネによる福音書13章に倣って洗足を実施!
2017年4月13日(木)の午前、「受難の賛美と黙想のとき」をもちました。その中で、ヨハネによる福音書13章に倣って洗足を実施!

こんにちは、明日はイースター・復活祭ですね。

 

Blog・教会日記のライターは今日もまた牧師のもりでございます。よろしくお願いします。

 

今、お昼の12時前。午後からは、教会のお台所で、明日の愛餐会に向けて、ばら寿司の仕込みが始まる頃です。

 

ばら寿司。

 

岡山にはじめて降り立ったときに、ご馳走して頂いたのが、JR岡山駅の駅ビルにある、とてもきれいなカウンターのお寿司屋さんのばら寿司でした。

 

それから、着任歓迎の愛餐会のメニューもばら寿司だったことを思い出します。キーボード入力しているだけでお腹がすいてきます。本当にたのしみだなぁと思います。

 

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さてさて、今回は、受難週の振り返りの日記です。

 

これまで何十年にもわたって続いてきたはずの「受難週・早天祈祷会」に代えて、今年は思いきって「受難の賛美と黙想のとき」を洗足の木曜日に、そして、きのうは「受難日礼拝」を守りました。

 

いずれも、朝10時からと夕方は19時半からの二回。

 

今年は5時過ぎに起きる早起きもないし、だいぶ楽な受難週になるかも知れない。そんな悪魔のささやきが、少なくともわたしの耳元には聞こえていました。

 

結果はどうだったか。正直に申し上げると、なかなか鍛えられる一週間でした。

 

すごーく恵まれましたが、なにぶん初めて取り組むことが多く、すこしばかり準備が大変だったのです。

 

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見本となるプログラムなどが手元にあるわけでもありません。さまざまなことを学ばせて頂いたり、経験して来た中でのオリジナルを創り始めました。

 

場所はいずれも礼拝堂。

 

でも、それだけで準備が整うわけがありません。日曜日の礼拝の席に座って、ただ何となく、賛美歌をめくっては歌い、立ち止まるというのではもの足りないなぁ、と思ったわたくし。

 

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火曜日の朝だったでしょうか。

 

そうだ、先ずは、礼拝堂のセッティングをしようと思いたちました。そして、下の方にupしたような、なかなか、goodな空間が誕生。

 

旭東教会では夕礼拝を5月から月に1,2度始めますが、夕拝もこんな形でしたいなぁ、と思う程に気分が落ちつく配置が生まれたのです。

 

夕礼拝の方は、椅子の移動が大変なのでちょっと無理だとは思いますが。

 

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でも、お席の準備が出来ても、それからのプログラム作りに悩みました。

 

「受難の賛美と黙想のとき」がおわってから、出席しておられた教会音楽に造詣が深い女性がこう言われました。

 

「先生、オラトリオでしたねぇ」「『礼拝と音楽』(季刊・日本キリスト教団出版局)に投稿したらどうですか」と。

 

まぁ、そんなことを感じるような、深く、豊かな、時になったということです。

 

よかった、嬉しいです。

 

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プログラムでは、まず【 降誕・公現 】【 生涯 】【 過越 】【 洗足 】【 裏切り 】【 苦難・十字架 】【 死 】【 信仰者の生き方 】【 永遠のいのちへの希望 】【 愛 】という項目立てを考えました。最後に【 主の祈り・祝福 】も置きました。

 

それから、ふさわしい賛美歌を、歌詞の内容からピックアップする作業が始まりました。

 

ヒムプレーヤーをかけたり、賛美歌略解をひらいたりしながら、ある賛美歌は2節だけ、ある曲は2節と4節、あるいはすべての歌詞、というような形で構成を練っていった次第です。

 

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わたくし、賛美していて泣けました。しばらく皆さんの歌声に心を傾けているだけの時間がありました。

うーん、何かのスイッチが入ったのでしょうか。

 

でも、それくらい豊かな、迫ってくるものが溢れるような時間だったのです。

 

参加された他の方たちはどうたったのか、まだ、聴いていませんが、たぶん、これまでに経験したことのないものに出会う経験をされたのではと思います。

 

いろいろな賛美歌の良さをあらためて学ぶ機会にもなりましたが、21-107「主イェスのみ名は」など、区分が「葬儀」に置かれている不運な賛美歌のようにおもいました。その歌詞の内容、そして、後半に入った辺りの高音の曲調、しびれました。

 

テゼ共同体の賛美21-112「イェスよ、みくにに」。

 

イェスよ、みくにに おいでになるときに
イェスよ、わたしを おもいだしてください。

 

こちらは繰り返しで(20回以上は続けました)、日本語でも日本語でも自由にどうぞ、ということで賛美しました。こちらも、すごい力をもっている賛美歌でした。

 

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とりわけ、「洗足」を実施したのは意義深いものとなりました。

 

ちょっとフライングぎみですが、2017年4月16日発行の週報:「窓」欄にその時のことを記していますので、ご紹介です。

 

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【窓】『洗足(せんぞく)』


洗足の木曜日の(4月13日)朝夕。「受難の賛美と黙想のとき」をもった。主のご生涯をたどる賛美と共に〈洗足のイエス〉の姿も含まれるヨハネ福音書13章を朗読。

 

式次第には記していなかったけれど、水の入った〈たらい〉と新品の〈タオル〉も準備。洗足を行うことができた。

 

ひざまずいて足を洗う僕(しもべ)役を立候補された方から指名をお願いし「○○さんの足を洗わせて下さい…」という形で実施。

 

洗う役・洗われる役をされた双方、感慨深げな様子。「これは人生が変わります」のお声も聞こえた。

 

実はわたし、お子さんの足を洗わせて頂いたことはあるものの、まだ自分の足を洗われたことがない。どちらも必要、とようやく気付いた。(もり)

 

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というような具合です。感謝な経験となりました。

 

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もう一つは、聖金曜日の「受難日礼拝」

 

朝に夕に、それぞれやってよかったなぁ、と思うことがありましたが、こちらも、ただ、聖書朗読して、お祈りして、賛美歌を歌いましょう、ではもの足りません。

 

何より、説教を準備するのに、式次第があるのとないのとでは全く違います。賛美歌を選び、祈りを配置し、黙想を入れ、聖餐式を行い、さいごは祝祷する。

 

普通ですと、この段階で語るべきことが見えて来ることが多いのですが、今回はメッセージが与えられるまでに、少し苦労がありました。

 

でも、今できる精いっぱいのことはやり切れたのでは、という感じもしています。メッセージそのものは、礼拝メッセージブログにアップロードしていますのでお聴きになれます。

 

よろしければどうぞ。

 

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説教うんぬん以上に、あの時間を共有できた方たちは、それを経験しなければわからない何かに触れられたのではと思います。

 

夜は、ある事情もあり、特に聖餐式を執り行ったのですが、今までに経験したことのない、主の血潮の力が迫ってくるひとときとなりました。

 

受難日に聖餐式。意義深いものだと教えられた次第です。

 

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18歳になったばかりの感性豊かなお嬢さんも出席してくれていて、

 

「もりぼくし、せんせいにあとででんわするかもしれない。いいですか」

 

と礼拝後に迫られて(笑)びっくりするやらうれしいやら。

 

そんな恵みにもあずかった次第です。

 

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たくさんの方でご一緒するのもうれしいですが、程々の人数で、しずかに、奥深く、過ごせた時間は貴重な経験となりました。

 

聖霊の導きを頂きながら、また、これからも受難週のプログラムをともに実践していきたいなぁ、と思った次第です。

 

つたないご報告でした。

 

旭東教会が経験しためぐみを少しでもお届けできれば幸いです。

 

素敵なイースター・復活祭をお迎え下さい!ご機嫌よう。end

 

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