2016年11月19日(土) № 91 『 レマちゃんを記念して 』

右端が安佐子さん、お母さまの光子さん、左は美樹さん。2016年11月16日(水)の11時頃、秋、空気が澄み小鳥たちの声が聞こえていました。。
右端が安佐子さん、お母さまの光子さん、左は美樹さん。2016年11月16日(水)の11時頃、秋、空気が澄み小鳥たちの声が聞こえていました。。

何だかわかりにくい?堅いタイトルになりました。

 

今号のブログ。11月15日(火)の夕刻、18年と数日の〈人生〉ならぬ〈犬生〉を終えた、まさに「クリスチャン犬」と言えるのではないかと感じる〈レマちゃん〉を通じての物語です。

 

レマちゃんを見送られたご家族との時を通じての思いを、少しばかりお分かちいたします。書き手はいつものように、牧師のもりでございます。

 

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ご遺族となられた安佐子さんから涙ながらの電話が教会にあったのはサッカーワールドカップの天下分け目の試合が行われることになっていた日の夕刻でした。

 

テレビがない我が家(携帯電話はガラケーで観ようとすればみえますが)では、最近使い始めたソニー製の新型ラジオのスイッチオンにして身構えていた頃です。テレビの音声もバッチリ入るのです。

 

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10日程前、(獣医さんから)「人間ですと100歳位になりますから、老衰ですねぇ」という言葉を聴いておられた安佐子さん。

 

「もり先生、お祈りして頂けますか」と、レマちゃんが点滴治療を受けて、少し元気を取り戻した頃に電話を下さいました。

 

土曜日の夕方だったような記憶がありますが、大阪から娘さんのHさんもレマ危篤!の知らせに、お仕事の都合をつけて帰省されていて、「主われを愛す」の賛美歌の歌詞をご家族とゆっくりとかみ締めて読み、わたくしと安佐子さんがお祈りしました。

 

レマちゃん、犬生を終えるその日の朝も、ヨーグルトをしっかりと口にしていたので、覚悟をされていたこととは言え、やはりお辛い時をご一家でお過ごしでした。

 

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実は、「お祈りして頂けますか」のお声掛けを頂いたその日に、急いでコピーして持参したものがありました。

 

わたしの大切な先生のお一人である関田寛雄先生のご著書・『「断片」の神学」―実践神学の諸課題―』(日本キリスト教団出版局)の中の小論でした。

 

題は「異種家族(いわゆるペット)とその葬儀について」とあります。

 

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ただ、ブログの読者の皆さんに先に申し上げなければならないのは、決して〈葬儀〉について絞り込んで書かれた論文などではない、ということです。

 

しかも、この論文の解説的あとがきに、関田先生がこの論文を記さなければならない実存的な出会いが、ご自身の川崎戸手教会の牧会の場で幾度もくり返されてきたことが土台になっているものだと「私的事情」として丁寧に記されています。

 

他に共に在るご家族が居られない方々が、多摩川の土手に捨てられていった犬たちと共に生きて居られた。そのような方々との掛けがえのない〈邂逅・かいこう〉の中から生まれた論文なのです。

 

「断片!」の中にこそ、神の国があると見抜かれて、これまでも、今も歩み続けて居られる関田寛雄という方の真骨頂がそこにあります。

 

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「お祈りして頂けますか」の願いに対して、もちろん、お祈りもいたしました。

 

でも、ある意味、上にご紹介したタイトルの本のコピーを差し上げるのは酷であることは気付いていました。

 

しかし安佐子さんは、その奥底にある何かを受け止めて下さったのだと思います。よかったです。

 

レマちゃんとの別れの儀式がおわってご一緒に語らう中で、「あれを読ませて頂いたこともよかったです」という言葉にも触れることができました。

 

ぜひ、多くの教会の方、関心のある方に手にして頂ければと思う小論です。

 

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18歳と数日の犬生を終えたレマちゃんの所をお訪ねし、賛美し、聖書を読み、祈りました。

 

いわば、前夜式のようなものでしょうか。

 

翌朝10時半、ご希望にそって、ご自宅からほど近い所にあるご一家の広い墓所の一角にレマちゃんを記念する一角が備えられました。わたくしはスコップを手に、長靴を履いて普段着です。

 

埋葬し、お花を置き、み言葉が添えられたboardを立てました。そして、聖書を読み、祈り、「花彩る春を」「神ともにいまして」を歌って祝祷したのです。そうそう、脇にある木立からは、小鳥たちの賛美の声が響きも美しく響いておりました。

 

お天気もよく、それぞれに仕事の都合もつき、その時を共有できた4名は、不思議なほど爽やかな気持ちになれたのでした。

 

上の写真には、カメラマンだったわたしの姿はありませんが、安佐子さんの賛美するその表情から感じることができる何かがあることを確信します。

 

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関田寛雄先生はことばを選びに選び抜いて、「異種家族」ということばを創られたのだと思います。

 

愛玩=ペットの存在を越えた家族との別れ。

 

わたしたちはこれからも様々な形でこれをくり返し、或いは立ち会うことがあるかなぁと思います。

 

悲しみを受け止め、悲しみを抱きながらも、なお、共に主の道を歩んで行けるわたしたちでありたいと心から願っています。end