2015年11月1日(日)『 200年プリント? 〈聖徒の日の写真帖〉です 』
※写真はclickで大きくなり、簡単な説明文が読めます。
この日は日本キリスト教団の聖徒の日。旭東教会では召天者記念礼拝を行いました。
わたくし(牧師のもりでございます)、旭東教会に着任一年目のよちよちさん。旭東教会のこの日にはどのような準備が必要なのか、まだ分からないことが多くあります。
とりわけ、既に11冊目が必要になった『写真帖』を一体どのように礼拝堂に設置するのかとても気になりました。
とは言え、その設置の構図がさっぱり絵が思い浮かばないわたくしでした。
長年キリストの僕としてご奉仕なさっている正さんからも、木曜日夜の祈祷会終了後の準備の時間、「森先生はここに座って見ていてください」と言われるような具合でした。まっ、実際は右往左往しながらご一緒いたしましたが。
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歴史ある教会で、創設当時の牧師写真や歴代の牧師の写真が会堂の片隅に掲げられている、ということは時々見かけておりました。
けれども、旭東教会では、聖徒の日には、会員と近い関係にあった天上の聖徒たちの写真を、書道の専門店などで扱われている屏風のような形の一冊に、14人程ピシッと貼りつけているものを並べるのです。
その数、今年で11冊目。100名は随分前に超えて150名に迫っているということになります。
その壮観な様子は幾枚かの写真を上に掲げていますのでご覧頂けると思います。
とは言え、見慣れない方にとってはさまざまな意味でドキッとしたり、子どもたちも「コワイ」と小声で口にする可能性もあるかも知れません。
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しかーし、キリスト教会が大切にしている「主の晩餐」のための「聖餐卓」を囲むという信仰的なイメージを明確にすると、なんだか、嬉しい気持ちになってきました。
イエスさまからの命のみ言葉である食卓のパンを、聖徒たちと共に分かち合う、と考えると豊かな気持ちに包まれたのです。
やっぱり聖餐って大切ですね。
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さて、屏風のようになった写真帖。
その発想はどなたのものだったかは、さすがに91歳の正さんもハッキリとはわからないようです。
でも、この日の夕刻、ちょっとした時間があって正さんにわたくしが「一体、あの写真帖はいつ頃から」と質問をした時に、とても嬉しそうにさっと手帳を開き、簡潔な歴史をご教授下さいました。
「よくぞ聞いて下さいました。調べておきました」と口にされたその内容は概ね以下の通りです。
つい先ほど、『日本基督教団旭東教会一〇〇年史』をわたくしも自ら開いて学習しなおしてのご報告です。
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〇1953年(昭和28年) 伝道師 西村 哲 先生の時代
5月24日 教会創立50周年及び献堂30周年記念式典
同時に、「物故教会員追悼」「信仰永続者表彰」
〇1960年(昭和35年)牧師 脇本 寿 先生の時代 *着任2年目
9月18日 物故教会員記念会 物故者アルバム作成
〇2005年(平成17年) 牧師 指方信平 先生の時代
この年から、9月に行われていた記念礼拝を、日本基督教団の行事暦に倣い、11月の第一主日に実施。
というような歴史があるようです。なるほど、物故者アルバムが最初の頃の呼び方だったようです。
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一冊目写真帖には、着物を召された聖徒たちが見えます。昔ながらに髪を結われたご婦人の写真もあります。
そして、写真の裏には、その後の全ての写真帖も含めてですが、以下のことが記録されて、貼りつけられています。
●氏 名(AD ~ )
●受洗年月日
●系譜
●略歴
●横顔
●永眠年月日
この記録の文字がまた何ともやさしく美しい!
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医療の分野で長年お働きになっていた正さんから、「そうだったのか!」というお話を伺いましたので、それを記して今号を終わります。
正さんは小児科医として旭東教会の立つ町で出来ることは何でもしよう、という祈りをもってとにかく誠実なお働きを続けて来られた方です。
子どもたちのレントゲン写真も撮りますし、現像も自らなさってきた。
そうです。実に、旭東教会の写真帖の200年プリント!は、それゆえに、既に60年近くの年月が経過しても、全く色あせることなく、維持されてきたというわけです。
正さん。少しでも納得いかないものは採用せず、満足できる状態に近いものを、寝る間を惜しむか、食べる間を惜しみながらご奉仕下さっていたわけです。ありがたいことです。
むしろ、最近のカラープリントの方が、今後の維持が大変かも知れません。
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講壇に段組をして設置するのはそろそろ限界、という声も聞こえてきます。
しかし、講壇に乗せなくても、礼拝堂を取り囲むようにして、毎年の聖徒の日に並べる工夫をすれば、300年先でも、聖徒たちと共に旭東教会は礼拝を守り続けているのではないか。
そんなことを夢に見る、わたしなのであります。end