2015年7月12(日)NO.20 『 信治(のぶはる)さんと共にあゆむということ  』

2015年7月12日(日)の夕方、信治さんを有志で訪問しました。こども讃美歌を歌ったのですが、後ろに居られるのは奥さまの安佐子さん。そして森牧師です。
2015年7月12日(日)の夕方、信治さんを有志で訪問しました。こども讃美歌を歌ったのですが、後ろに居られるのは奥さまの安佐子さん。そして森牧師です。

7月12日の日曜日の夕べ。旭東教会の月に一度の定例会議が終わったのは16時頃でした。

 

それから身支度をして、4人が一台の車に乗り込んで、岡山市内にあるキリスト教主義の施設と病院(博愛会と言います)を訪問。

 

同じ敷地内にある病院には、勝子さんが入院しておられます。

 

勝子さんは入院してからほぼ5年が経過していることが、枕の上の方のお名前のプレートで分かりました。本当にさまざまな人生がわたしたちの教会の群れの中にあります。

 

『いつくしみ深い』を賛美していましたら、ご主人の正さんと泰さんもお部屋に姿を見せられましたので、一端ストップ。

 

そして、もう一度最初から『いつくしみ深い』歌い始めました。

 

**************

 

さて、今日の写真。

 

ベッドに横になっているのは信治(のぶはる)さん。です。

 

そして、寄り添って居られるのが奥さまの安佐子さんです。安佐子さんも喜んで写真をホームページにということを了解下さいました。嬉しいです。

 

安佐子さんは毎日信治さんを訪ねているご様子です。これは出来そうでできないことだなぁと思います。

 

団塊の世代の信治さん。

 

少年時代は野球一筋でお過ごしになったそうで、枕の近くには、野球用とも見える紺色のキャップが置かれています。おそらく、車椅子での散歩がゆるされるときには、被られるのでしょう。

 

**************

 

『緑の牧場』という旭東教会の会報(2015年2月22日号)に、信治さんの日常が、安佐子さんの筆によってこう記されています。

 

【発病して一年八ヶ月、現在は老人介護保険施設に入所しております。朝ごとに御言葉がスピーカーを通して聞こえるようです。現在は聞くことが残された最大の機能です。

 

 歩くこと、食べること、話すことができなくなり、全介助が必要となりましたが、週二回の車椅子での散歩、日々の御言葉と祈りの時間を大切に、主の平安に守られ過ごしております。

 

……「信治」 信仰を治めると名前をつけて下さった両親と神様に感謝を申し上げます】

 

**************

 

この日は最初に信治さんをお訪ねしました。

 

先に、【現在は聞くことが残された最大の機能……】というところを『緑の牧場』よりご紹介しましたが、実際は、もう少し色々な様子が伺えます。

 

わたしたちが讃美歌を歌うと、賛美に合わせて足を動かして下さっていることが伝わって来ます。

 

また、写真撮影をして、こんな風に撮れましたよ、というのを同行者のひとり美樹さんがお目にかけると、グッと焦点を合わせてデジカメの画面を見入る様子もはっきりと分かります。

 

時に、涙を流すこともあるようにもお見受けします。

 

**************

 

二ヶ月ほど前ですが、信治さんをわたくし(牧師の森でございます)が訪問した時のことを、礼拝説教で語らせて頂きました。

 

その部分を書き起こし、最新号の『緑の牧場』に掲載していますので、抜き出してご紹介して、今週のブログを終わろうと思います。

 

 

【金曜日の午前中には信治兄を訪ねました。お連れ合いの安佐子さんに案内され院内を散歩する時を過ごしました。

 

 実はこの時、わたしは牧師として何かを届けることが出来たとは思えません。

 

 むしろ、迎えて下さった信治兄を通じて、わたしの方が癒される経験をすることになったと感じているのです。

 

 信治さんと過ごした一時間はゆったりと進みました。日頃、バタバタと過ごすことの多いわたしが、信治兄と共にあることを通じて、いつもとは違う時間を過ごさせて頂いたのです。

 

 院内をのんびりと散歩する中、いつしかわたしは慰めに満ちた時を過ごしていました。

 

 わたしたちは、互いに必要とし合っている存在ではないでしょうか。み言葉に促されご一緒に主の道を求め、主に従う道を全うしたいのです。】

 

**************

 

このブログを記していますのは、7月13日(月)の夜ですが、夕方、こんなことを妻の美樹さんがお話ししていました。

「信治さん、別れ際に、写真を見せて手をとったら、笑ったよねぇ」と。

 

信治さん、安佐子さんご夫妻の元には限りなくあたたかな空気があります。多くのことを教えられ、イエスさまの影がそこにあるようなのです。

 

神さまがみ手を置いて下さって、さらなる主にあるシャロームが深まること、それが、ゆっくりと広がって行くことを希望しつつ今号は終わることにいたします。end