【 窓 】 旭東教会の『週報』よりミニコラム *補筆版です


【 旭東教会の集会室に設置されているステンドグラス 「最後の晩餐」 】(下村満智子作)
【 旭東教会の集会室に設置されているステンドグラス 「最後の晩餐」 】(下村満智子作)

 京都在住のステンドグラス作家(キリスト者)・下村満智子さん作のステンドグラス・「最後の晩餐」が集会室の〈窓〉として納められています。

 大きさはなんと2m×1m程もあり、とってもおおきな立派ものです。わたしたち旭東教会のちょっぴり自慢の〈窓〉です。集会室が実に格調高い空間になっています。教会の側道からもご覧頂けるように設置されています。ぜひ、お出かけ下さってご覧下さい。


※以下、バックナンバーは容量の都合で削除しています。


20019/5/12 の礼拝にて 講壇に置かれているのはジュニアサークルのなおちゃんが描いたもの。さ、さ、さっと見事です。
20019/5/12 の礼拝にて 講壇に置かれているのはジュニアサークルのなおちゃんが描いたもの。さ、さ、さっと見事です。

  ◎2019年5月12日

 『 ひざの痛みを経験して 』

   【窓・211号】

 

3週程前から、じわりじわりと〈左ひざ〉が痛み始めた。

 

スロージョギングや散歩が出来ない程ではないのだが、痛さが気になる時間が次第に長くなった。

 

どこかにぶつけた跡があるわけでもない。自然とかばおうとするからか、足全体が重いような気もする。

 

やがて、ラジオ番組で宣伝しているのが耳に残っている「再春館製薬所の〈痛散湯〉」の文字が頭をよぎったりするようになった。

 

体重増が負担を掛けていることも否めないが、うっかり「老化が始まりました」等と言おうものなら「20年早いです!」と叱られるだろうか。

 

考えた末に、ある方が通っていると言われていた整骨院に行ってみることにした。学生時代、サッカーのゴールキーパーをしていた頃にその系統の医院に通ったことがあるが、おそらく40年近く前のことと思う。テーピングすることも懐かしいことだ。

 

ひざが痛くなっての効用もある。ひざを痛めている方のご苦労を僅かばかりでも想像できるようになった、というのは本当である。

 

何しろ、ひざの痛みというのは、人間の行動範囲を様々に制限させている、というのが本当に実感なのである。

 

そして、今までほとんど目に入って来なかった、整骨院の看板がやたら目に入ってくるようになるから自分でもおかしくなって来た。へぇー、こんなに沢山の方が開業しているのか、とびっくりだ。新聞にも、その関連の宣伝がやたら多いことに気付く。これは一種の現代病に違いない。

 

さて、今後どうしようかなぁ、と考えて来たが、現時点では、整骨院に行くよりも効き目がありそうなことが幾つかあることに気付いたので、そちらを先ずやってみようかなと思っているところである。

 

完治は無理そうなので、上手に折り合いをつけて歩いていこうかな、というのがもっかの自分自身の〈落とし所〉である。(もり)

 

 


2019年5月5日の献花より
2019年5月5日の献花より

   ◎2019年5月5日

 『 〈たいせつ〉を考える 』

    【窓・210号】

 

特別に長いゴールデンウィークの大連休。

 

持て余すか、あるいは、とんでもないことじゃないか、等と思っていたが、実は、そんなことは少しもなかった。

 

個人的には、やはり休みは必要だなぁと感じて有難かったし、困惑された方々にはまことに申し訳ないのだが、長い休みは日本でも当たり前にとれる時代を迎えているのでは、と考えたりしていた。牧師もというか、わたしも休まないといかんな、とかなり強く思ったのだった。

 

そんな中、5月3日(金)の朝パソコンに届いていた、勝間和代さんが毎日配信するメルマガ(誰でも読めます)に深く共感する文章があった。

 

以下、私なり受けとめての要約である。一々、勝間さんの文を読み返さなかったけれど、私の心に残ったのはこういうことだった、とご理解いただければと思う。

 

「落ち着いた暮らしをしたいと思うのに、今の時代、情報が多すぎていつも追いかけてくる。自分にとって何が優先順位が高いのか、それをどう見極めるか。時間の使い方も含め、自分自身が判断しなければならない」

 

勝間さんは経済や経営の評論が出来る方でもあるし、テレビ番組は見ないのでわからないけれど一時期は大いに用いられた方のはず。

 

そして昨年は、旭東教会でも真摯に向き合い始めたLGBTの一員であることを表明された方だ。そうそう、旭東教会でも大活躍のお掃除ロボットを日々活用されている方であることをメルマガを読んで知っている。

 

勝間さん、間もなく参議院選挙に立候補されるパートナーとの時間を有意義に過ごすために京都に滞在することが多くなったことも記しておられるが、最近、わたしが常々かんじていたことを指摘されていて我が意を得たりだった。

 

今、必要のない情報、耳にしなくても、目にしなくてもよい情報が多すぎると思う。このエッセイのタイトル、最初は、「ぼーっとしましょう」にしていた位である。小学生の頃のわたしは、ぼーっとした少年以外の何ものでもなかった。

 

あることに集中しようとするならば、わたしたちは、様々なことに断固たる決意をもって、訣別すべき時代を生きていると強く思うのである。(もり)

 

 


2019/4/28  復活節第二主日の講壇献花より
2019/4/28 復活節第二主日の講壇献花より

 ◎2019年4月28日

『 福音の〈使徒K〉の言葉 』

   【窓・209号】

 

はじめに
〈使徒K〉とは〈使徒パウロ〉と同じような意味でここに記している。

 

**************

 

過日、次のような文面の手紙を下さっていた、昭和2年1月1日生まれのKさんが召された、という知らせが届いた。Kさんは92歳だった。ご本人もご家族も、もしかして100歳までは大丈夫、と思っていたはずなので、驚いた。

 

実はわたしの父の誕生日がKさんと同じ昭和2年4月1日なので、いつも、あー、オヤジと同じ歳なんだよなぁ、と思い巡らすことができる貴重な存在だった。父は、わたしと違って160㌢もない小柄な人だったが、Kさんは更に小柄な方だったのだ。

 

かつてわたしは新井教会に兼務者として仕えていたのだが、Kさの所には、一升瓶を抱えて謝りに行ったこともあるし、どうやらコワイ先生、と思われていたふしもある。身長の差があまりに大きいので、Kさんは見下ろされている、或いは、見上げている感が強かったことも大いに影響しているかも知れない。

 

Kさんは、新潟県の豪雪地帯のひとつ新井という町(信州・長野県寄り)の小さな新井教会(*現在礼拝出席4名~6名ほど)の〈教会守〉と呼ぶに相応しい方だった。〈教会守〉はどこにでもいそうで居ないものだと思う。本当に平日の教会に足繁く通って下さっていたことを知っている。

 

Kさんは、時折、元気な万年筆で記された手紙で私を励まして下さっていた方だ。これもまた、少し、父と似たところがある。父はいつも万年筆を使っていた。

 

例えばKさんは、こんなことを記して下さっていた。

 

「み言葉”余滴”を読み創めて今日は「終末を見つめる生き方」(№19)です。どの一枚を手にしても余滴は短文にして明解、親しく読みやすく、読むほどに心捕らえる名文です。感謝致します。・・・・・・み言葉”余滴”は、本にして出版されたらキリスト教伝道に大きな力になることを確信しつつ感謝して読み続けて参ります。本当にありがとうございました。」(*2017年7月1日付)

 

思わず、本気でそうかなぁ、と思いそうになってしまうくらい、勇気づけられる言葉だった。

 

そして、毎週、だいぶ努力して記している『み言葉"余滴"』に込めているわたしの思いを、殆どすべてくみ取って下さっている、数少ない方の一人だったのだ。

 

2007年7月15日に無事に終わった、新井教会の会堂改装・補修工事は、全国289教会と1団体、そして、228名の方々と共に、主のみ業に仕えさせて頂いた、思いで深い取り組みだった。年間予算の4倍位の規模の工事だったので、現在の旭東教会に当てはめると、その工事の大きさが推測できる。

 

手元にある、その工事の感謝報告書の表紙の写真は、Kさんが朝早くにシャッターチャンスを狙いに狙って撮影してくださったもので、新井教会の誇らしさが溢れていて見る度に惚れ惚れする。

 

同時にまた、裏表紙は、2006年1月の豪雪時に撮影したもので、雪に埋もれる会堂、そして後ろに青空が広がる、それはそれは美しい写真で、全国募金を始めようとした時に用いたものだった。Kさんが愛してやまなかった新井という町を象徴するような美しさが感じられる。

 

写真好きのKさんにとって、生涯に於ける傑作の二枚ではなかったか、と推察している。

 

お世辞を聞いたことのない〈使徒Kさん〉の言葉に支えられ、今週「み言葉"余滴"」は200号を迎えた。(もり)

 

 


2019年4月21日 イースター愛餐会にて 賛美歌のイントロ当てクイズをしましたが・・・・問題を出す方のご苦労をご覧頂きます。ヒムプレーヤーは旧型の方がスピード調整がしやすいので選ばれます(^^♪
2019年4月21日 イースター愛餐会にて 賛美歌のイントロ当てクイズをしましたが・・・・問題を出す方のご苦労をご覧頂きます。ヒムプレーヤーは旧型の方がスピード調整がしやすいので選ばれます(^^♪

  ◎2019年4月21日

   『 新しい歌 』

   【窓・208号】

 

4月11日(木)の《夜》の「祈祷会」では詩編98篇を学んだ。冒頭の98篇1節「新しい歌を主に向かって歌え」について、朝の会では全く思いもしなかったことを、夜の会では気付いたら30分近く語ってしまっていた。

 

というのも、その日の郵便物の中に、日本聖書神学校の学報があり、現在、礼拝学ほかを担当されている荒瀬牧彦先生の巻頭の説教に出会い、心底感動し、そのことを夜の祈祷会に参加しているメンバーに伝えずにはおれなかったのである。

 

目から鱗が落ちたというか落とされたというのか、「どんなに新しい賛美歌を歌っても、自分自身、或いは教会に、神によって変えられていく信仰の姿勢がなければ新しい歌にはならない。〈新しい〉は歌う者の新しさから来る」というメッセージだった。


※「メッセージ」として記したのは、荒瀬先生の言葉そのままではない。私が受けとめ、窓欄に紹介するためにまとめるとこういう風になりました、ということをご了解頂きたい。絵画でもそうだし、私が語る説教もそうなのだが、描き手や語り手の一端離れた作品は、もはや、受け手にどのように受けとめられても自由というか、仕方ないのである。

 

さらに言葉を添えると、荒瀬牧彦先生は、詩編98篇を元に説教されているわけではない。ヨハネの黙示録の連続講解説教を教会でなさり、その文脈と、現在の日本という国の文脈を織り交ぜながら、語っておられる(だけ)である。

 

それだけでも傾聴に値するし深く考えさせられたのだが、当日の詩編98篇の学びと考え合わせたり、4月から、小さいながらも聖歌隊を始めましょうという声が上がっている旭東教会において、これは、しっかり立ち止まる意味があると感じた次第である。

 

上の荒瀬牧彦先生のメッセージは、〈賛美歌を歌う〉ことの本質的な意味を教えてくれる。見方を変えると、昔ながらの賛美歌も、いつでも新しい歌になり得るということだと思う。

 

嬉しいことに、荒瀬先生のお父さま〈荒瀬正彦牧師〉と私は、日本聖書神学校に入学した時の同級生であり友人であることも実に感慨深い。そして、荒瀬牧彦先生は私と同じ歳。大いに刺激を受けている。(もり)

 


2019年4月14日・棕梠の主日に合わせて礼拝堂の片隅に飾られていた。
2019年4月14日・棕梠の主日に合わせて礼拝堂の片隅に飾られていた。

      ◎2019年4月14日

  『こんな人になりたい』【窓・208号】


4月12日(金)、○□教会での葬儀に出席した。〈MMさん〉という〈団塊の世代〉の方が召され、関係の方から連絡を頂き、告別式に参列した。

 

教会関連の小さな交流の中で、あー、このような方と仕事をしてみたものだと惚れ込み、とある会のメンバーが欠員となり、是非とも、とお誘いして二年間をご一緒して来た。

 

そして、想像していた通り、かゆいところまで手が届く目配りをしてくださって、本当に頼りになるお方だった。

 

一年以上前に、体調が今ひとつである旨、かなりむつかしいご病気であることはお聴きしていたが、偶然、昨年10月のある日の会合の直後に、部屋の片隅で〈余命数ヶ月〉との話を直に伺い、そのおりにお祈りを合わせた。

 

教育畑を歩み抜かれたMMさんらしく、教え子さんたちがご自宅や療養先でのことまでお世話してくれることを心から喜ばれていた姿を想い起こす。えーっ、そんなことまでしてくださるのかと驚いた記憶がある。

 

人生の終い支度をされていること、乗ってみたいとずっと思っていた赤色の車につい最近乗り換えてハンドルを握っていることも教えてくださった。

 

「あなた、また乗り換えたのと言われてもいいんです」と仰っていたが、小学生時代からの車好きのわたしにとっては、本当にしみじみ感じ入る言葉だった。

 

そして、それからというもの、同じ車種の、同じ色の車を見かけると、あっ、Mさんの・・・と思うようになったし、これからも永遠にそうだと思う。

 

いつも凜としているお姿やお話の様子から、てっきり信仰の大先輩と思い込んでいたが、受洗は2000年のクリスマスと知り驚いた。もちろん、子どもの頃から、クリスチャンのお母さまからの素晴らしい感化を受けていたようだ。

 

甥っ子さんのお話に「小学4年の授業参観の帰り道、泣きじゃくるわたしに、母は、いいのよ、大丈夫よ、神さまは全部ご存知だから」と語られていたことがでて来た。

 

葬儀説教では、昨年11月最初の日曜日の礼拝出席直前に、牧師先生宛に届いたメールが紹介された。確かこのような内容だったと思う。

 

「わたくし、一度だけ奇跡をお祈りしましたが、その後は、神さま、み業(*ご自身が括弧をつけて以下を記入とのこと「奇跡ではありません」)をお示しください」

 

それが最期までの祈りだったと紹介された。

 

わたし宛の年賀状を取り出してみたが、そこには「今年をもちまして、賀状による新年のご挨拶」は最後とさせていただきたく存じますので、ご理解のほどよろしくお願いいたします」とある。

 

そして、手書きで「お祈り感謝します」と添えられていた。

 

葬儀会場の教会礼拝堂には、おそらく、お若い頃の教え子さんとおぼしき方々が沢山出席されていた。

 

参列されることを予想した教え子さんたちのために、牧会され、葬儀も司式をされた先生に「彼らのために聖書からの福音を説き明かしてください」と頼まれていたのではないか、と思うメッセージが講壇から語られた。

 

MMさん、出会いに、本当にほんとに感謝します。限られた時間でしたが、ご一緒させて頂き、幸せでした。天国で会いましょう。(もり)

 


       ◎2018月4月7日・【窓 207号】
        『あなたはどこにいるのか』

 

▼1989年4月。東京・目白駅(山手線)を降りて徒歩10分の小さな森の中にある夜間の神学校(日本聖書神学校)に入学した。入学式の賛美歌は、当時の小林利夫校長が選ばれた、「心を高く上げよ!」(その頃は、第二編の一番)だったことを鮮明に記憶している。

 

▼入学して間もなくのこと。それまで考えたこともなかった言葉が飛び込んで来た。耳にした言葉は、私と歳が同じ○○□□さんという最上級生の先輩が口にした、「あのさぁ、結局さ、俺たちの実存がどこにあるのかが問題なんだよ」というものだった。確か29歳だった私。B型肝炎の治療の情報はだいぶ知っていたけれど、恥ずかしながら「実存」等ということは考えたことも無かった。

 

▼4月に入り、2019年度も新年度が始まった。1993年に神学校を卒業して26年目に入ったが、「今のあなたの実存は?」と問われるならば、明確に答えられるのはこれだけだなと思う。「向こう岸に向かっている〈旭東教会丸〉にイエスさまと皆さんと乗っています」と。

 

▼嵐で波にもまれることもあるだろうし、方向を見失いそうになることもあるかも知れない。それだからこそ、永遠に変わることのない神の言葉に信頼する航海を続けたい。もしも沈没するしたとしても、イエスが共におられるのであれば本望(ほんもう)である。end(もり

 

 


2019年3月31日(日)の講壇にて 森牧師が洗礼を受けたときに届いた〈ひさか先生〉からのカードを説教のさいごに朗読
2019年3月31日(日)の講壇にて 森牧師が洗礼を受けたときに届いた〈ひさか先生〉からのカードを説教のさいごに朗読

◎2018月3月31日・【窓 206号】

      『  原点への招き 』 

 

 

▼手前味噌という言葉を知っている。念のため辞典を引くと「自分のことを誉めたり自慢すること」とある。遠からずの感ありだが、以下、嬉しいことなのでご報告。

 

▼日本キリスト教団出版局書籍編集部の方から便りが届いた。中身は「『信徒の友』でこの十年間連載が続いた「神に呼ばれて」(正確にはその前にも続いて居た)を6月に書籍化予定。

 

ついては、2014年6月号の森牧師執筆〈力は弱さの中でこそ 人生の転機となった病床洗礼〉の掲載の可否をお知らせ下さい」というもの。

 

▼早速、同封されていたの拙文を読み直した。そこにあるのは「神に導かれてキリスト者となり、アッいう間に献身し、いかに伝道者として回り道して生きて来たか。振り返るとそこにある自分自身の原点は〈病・弱さ・小ささ〉なのです」と証ししている。

 

▼必要であれば若干の赤字修正をとのこと。感謝して取り組みたい。このような者の証しが少しでもお役に立てるのならばこんな感謝なことはないと素直に思う。

 

「初心忘るべからず」のみ声が聞こえた。(もり)


2019年3月24日(日)のジュニアサークルの時間 ヨハネ13章を読み、洗足を実際に行った場面 Nくん張り切ってます(^^♪
2019年3月24日(日)のジュニアサークルの時間 ヨハネ13章を読み、洗足を実際に行った場面 Nくん張り切ってます(^^♪

 ◎2018月3月24日・【窓 205号】

    『  もう一度 君に会いたい 』 

 

数日前の夜7時過ぎ頃。

 

「お預かりしていたパソコン修理が終わりました」という連絡が入り、教会から車で7分程のところにある大手家電量販店に出掛けた。

 

厳重に梱包された、かなり大きめの液晶画面をもつパソコンで、これはうっかりすると落としかねないなと思い、ガラガラと音のする手押しのかごに乗せ恐る恐る店外に運びだそうとしていた私。

 

はたからみると、だいぶ危なっかしいおじ(い)さんに見えたのだろう。

 

店内で目に入っていた高校二年生位とおぼしき背の高い青年が「持ちますよ」と言って近づいて来てくれた。

 

「あっ、ありがとう」と言いながら今度は自家用車の近くで、再び私はもたついた。ドアを開けるのに手間取ったのだった。

 

すると、先程の青年が再び、「お入れしましょう」と声を掛けてくれて、後部座席に置いてくれたのだった。あまりに親切なので「お店の人?」と聴くと、彼は笑顔で首を振り、自転車で爽やかに立ち去っていった。

 

彼はこの町に暮らして居るのだろうか。

 

ほんと、イイやつだよなと、何度思い出しても嬉しくなる。そしておじさんは、年甲斐もなく、オレも倣いたいな、と素朴に思うのだった。

 

迷惑を掛けないように、しなければなりませんが。(もり)

 


2019年3月17日 礼拝堂献花より
2019年3月17日 礼拝堂献花より

 ◎2018月3月17日・【窓 204号】

    『  召天後20年の〈伝道集会〉 』  

 

淑子(よしこ)さんが召されたのは1999年(平成11年)1月25日のこと。それから2ヶ月後の3月17日、ご主人の照夫さんが召されている。

 

半年程前、関西在住のご子息・Sさんから丁寧なご相談があり、3月16日(土)午前、20周年の記念会を礼拝堂で行った。

 

5年に一度の時を定められての記念会。故人やご遺族が相当意識をしていなければ、続けるのはむつかしいものだと思う。キリスト教は、法要はどうなっているのですか? 先祖を大事にしないのですか?等という声が聞こえてくることがあるので、お手本だと思う。

 

Sさんからのご依頼・相談のお手紙には、「私ども、クリスチャンは限られています。私たち夫婦は、集う者一同への〈伝道〉をと願っております」という意味の言葉が添えられていた。

 

記念会に仕えることは、牧師としていつも心を込めてなすことと思っているが、いつも以上に、確かな目標をもって準備を進めることが出来て感謝だった。さらには、当時の教会内の交わりや資料をひもとくことが出来たことも幸いだった。

 

その後、Sさんからは、お心のこもった感謝のお便りが届いた。こんなことばが添えられている。

 

**************

 

旭東教会を訪れるたびに、母が神さまと皆さまに守られて生き生きと信仰のはせ場を走りきった姿を思い描くことができ、信仰の先輩としての一面を見る思いがしております。

 

また、Hさんのご指摘通り、「照れ屋」の父をも教会の方々がやさしいお交わりの中に入れて下さって、「おじいちゃん、クリスマスに来たんよ」とうれしそうに見せてくれた写真には、礼拝堂の椅子に座る父の照れくさそうな姿が写っていました。

 

父が「**さんがお花を喜んでもらってくれた」と目を細めていたことも思い出します。ありがとうございます。

 

教会の方々にもどうぞよろしくお伝えくださいませ。お礼まで。

 

**************

 

少しでもお役に立てたのならば、こんな感謝なことはないのだが、伝道できたかどうかは、「ただ神のみが知る」のである。(もり)

 


2019年3月10日・受難節・レント第1主日の講壇
2019年3月10日・受難節・レント第1主日の講壇

   ◎2018月3月10 ・【 窓 203号

       『  あれは元年だった 』

 

1989年の早春、山手線巣鴨駅から徒歩7分の所にあった勤め先から六畳一間のアパートに帰ると、赤鉛筆を片手に必死になって読んでいた本があった。故・清水恵三先生著『イエスさまのたとえ話』だった。

 

夜間の神学校である日本聖書神学校への入学を志した私は、事務局で進められたのか、神学校で出会った福永先輩から教えられたのか、「過去問」を購入した。

 

おそるおそる過去問を開いてみると、新約聖書の試験には、「イエスの譬え」がかなり高い確率で出ることを知った。これは学ぶしかない、と思い、とある日曜日の午後、東京・銀座にある〈教文館〉というキリスト教書店に乗り込んだ(というか、不安げな顔で立ち寄った)。

 

おそらく、何時間も迷い悩んだ末、独習でも、辛うじてわかるような気がして購入した本が『イエスさまのたとえ話』と思う。

 

2年前の5月、教会の祈祷会での学びが『詩編』だけでは不足と考えた私。月に一度の割りで皆さんと読み始め、先日、めでたく読了した。

 

それにしても、『イエスさまのたとえ話』が、今でも自分には丁度良い、と感じるのは、いったい何を意味しているのだろう。

 

5月から元号が変わるが、献身後30年の時が流れている自分にふと気付いた。(もり)

 

 


◎2018月3月3 ・【 窓 202号

     『  落語と牧師と 』

 

休暇を頂き車で大阪へ。

 

コンビニのおにぎりをほおばりながら、上方落語の昼席公演を目指して、「天満天神繁昌亭(てんまてんじん はんじょうてい)」に滑り込んだ。

 

晩年クリスチャンになられたことで知られる、上方落語協会会長も務められた、〈露の五郎兵衛さん〉の直弟子と言われた、〈露の団六さん〉の噺も聴けた。

 

「あんたぁ、まだ、教会いってんのぉ」・「イエス」。

 

「あんたこそぉ、相変わらず仏(ぶつ)かいな」・「ほっとけー」。

 

ちなみに、露の五郎兵衛さんのキリスト者としての歩みは、『五郎は生涯未完成 ―芸と病気とイエスさま―』(発行:マナブックス、販売:いのちのことば社)に詳しい。わたしの大切な一冊だ。

 

**************

 

前半のトリでは、一年前に同じ場所で惚れ惚れと聴き入り、その存在を知った、私と同い年の〈笑福亭松喬(しょきょう)さん〉だった。

 

私にとっては、偶然とは思えぬ再会。

 

当時は、松喬襲名前の〈三喬〉さんだったが、以来、ABCラジオなどの番組で声を聴く度に、相当な勉強家であり実力者だと気付いた次第だった。

 

〈松喬さん〉、この度は『転宅』という演目を演じられた。

 

東京の噺家は「お妾さん」と言い換える「お手掛けさん」と「盗人(ぬすっと)」のやり取りを、ほのかな色気、とろろ汁のお椀をきゅーっと口に運んで聴衆の腹を空かせる芸ををきっちり30分。

 

まるで目の前に映画の情景が広がるようで、数日経った今でも、その場面が思い浮かぶのだから芸の奥深さに頭がさがるばかりだ。

 

講壇から語る牧師の説教もかくあるべし、と思う。(もり)


今年の会陽(えよう)の風景 A(株)さんの関係者の男衆です。右手奥がA(株)さんの社屋です。日本三大奇祭のひとつとされていますが、奇祭なんてことはありません。大切な伝統文化だなと思いますよ(^^♪
今年の会陽(えよう)の風景 A(株)さんの関係者の男衆です。右手奥がA(株)さんの社屋です。日本三大奇祭のひとつとされていますが、奇祭なんてことはありません。大切な伝統文化だなと思いますよ(^^♪

 ◎2018月2月24 ・【 窓 202号

 『 お隣A(株)さんから〈福〉来たる 』 

 

旭東教会役員会の3ヶ月ほど前からの継続課題に「A(株)さんの駐車場 日曜日使用の件」があった。

 

ひと先ずの結論は「牧師が時を見定め、打診に赴くことで一任」となっていた。

 

現在は、教会の駐車場数台の他、教会ホームページの中にも掲載しているが、100メートル程の所にある栗原医院(小児科)さんの駐車場に車を停めて来る方が多い。

 

しかし、そこからの距離に年齢に関わらず、歩くことの困難を覚える方や、それでなくとも「栗原医院の駐車場」と聞いて〈?〉と思われる新来会者のこと等を考えると、少しでも近くの駐車場確保は長年の課題で在り、高齢化が進む今日この頃では、急務だと思っていた。

 

とは言え、A(株)さんのへの打診は、なかなか難しいものだなと感じていたし、訪ねてみるとお留守だったり、言い出しにくい話でもあったのだ。

ところがである。

 

全く思いも寄らぬ形でその扉が開いたというとオーバーだろうか。

 

旭東教会がたつ町・西大寺名物・会陽の〈福男〉を祝福する【福受け式とその後の片付け】に関連し、今年の〈祝い主〉だったお隣のA(株)さんが、「この度は私共の配慮が・・・・・・」と丁寧なご挨拶に来て下さったのだ。

 

お出で下さったのは、東備支店の支店長さん、そして、本社の取締役さんだった。

 

ちなみに、岡山県の地元紙・山陽新聞には、当日のことが、こんな風に取りあげられていた。web siteからの内容を貼り付ける。

 

**************

 

【会陽祝い主・A(株)が福受け式】(Clickで山陽新聞へ)


西大寺会陽の祝い主、A(株)(岡山市南区西市)は17日未明、福男のグループを祝福する福受け式を、同社東備支店(同市東区西大寺中)で行った。

 

午前0時すぎ、宝木を手に寺坂グループのメンバーら約10人が到着すると、役員や従業員ら約100人が拍手で歓迎。西大寺観音院の坪井全広名誉住職が読経した後、宝木を厨子(ずし)に納め、福男に守護札の牛玉紙(ごおうし)を授けた。

 

M常務は行灯(あんどん)に「御福頂戴」と揮毫(きごう)。M社長はあいさつで、西大寺が同社創業の地であることに触れ「宝木に会社の発展を願い、これからも会陽を通じて町を盛り上げていきたい」と述べ、鏡割りや乾杯で福男をねぎらった。

 

**************

 

A(株)さんからの「この度は、本当に・・・」のご挨拶を受け、あれこれ穏やかにお話しているときに、私はふと、もしや「時は満ちたているのかも知れぬ」と感じて思いを定め、日曜日の駐車場の貸し出しについて、お二人に腹を割って相談することにした。

 

「実は、私たちの教会、毎月第二日曜日に、役員会を行っていますが、そこで、継続議案となっている課題があります。それが・・・・・・」

 

すると「どんなことでしょう。あぁ、駐車場ですか。もう、どうぞ遠慮なく、ご近所さまのお付き合いですから。賃料? とんでもない。遠慮なくお使い下さい。教会の使用とわかる標識を準備くださればそれで結構です」と快諾下さったのだった。

 

少しの迷いもない、即答だった。

 

双方が笑顔となり、全く思い掛けない展開となった。

 

わたしたち旭東教会にも、今年の会陽(えよう)の「祝い主・A(株)さん」から〈福音〉が届いた。何より、じいっと見守り続けて下さっていた神さまのみ手が差し伸べられた、としか思えない、本当に感謝な出来事である。

 

地元西大寺の一員として感謝しつつ共に歩ませて頂きたいと心から思う。(もり)

 

 


2月17日 森牧師が兼務する十文字平和教会の庭にて 見事な蝋梅(ろうばい)
2月17日 森牧師が兼務する十文字平和教会の庭にて 見事な蝋梅(ろうばい)

 ◎2018月2月17 ・【 窓 201号

    『 牧師のしあわせ 』

 

10日程前のことである。所用の帰り道、ちょっと立ち寄ることが出来た、八重子さん宅におじゃまし、久しぶりにコタツでぬくぬくしながらお話をしていた時に感動したことがある。

 

八重子さん、「せんせい、わたし、毎晩寝る前、(ジュニアサークルの時間に歌う)〈キリストの平和〉を手話をしながら歌っています。」と教えて下さったのだ。他にも、主の祈りを祈ると仰ったかも知れない。

 

《牧師冥利》というものがもしもあるとしたら、まさにその瞬間だった。

 

直後、いつもはゆっくりと行動される八重子さん、すっ、パッと立ち上がり、『讃美歌』を大事そうに抱えてもって来られた。聖書かなと思ったら違った。

 

八重子さんが開かれたのは470番の『やさしい目が』だった。「自分は教会で一番後ろかも知れないんですけど、この歌の歌詞のように、イエスさまについて歩こうと思うんです」と言われた。

 

『やさしい目が』にはこうある。

 

1
やさしい目が、きよらかな目が、
きょうもわたしを 見ていてくださる。
「まっすぐに あるきなさい」と
見ていてくださる。

 

2
大きな手が、あたたかい手が、
きょもわたしを 支えてくださる。
「はなれずに あるきなさい」と
支えてくだある

 

3
かぎりのない ひろい心が、
きょうもわたしを 守ってくださる。
「やすらかに あるきなさい」と
守ってくださる。

 

歌詞の下には、ルカによる福音書22章61節のイエスのまなざしを感じながら大泣きして大祭司の中庭から出ていくペトロの姿が指示されている。

 

聖書をひもとき、歌詞をこうやって味わうと楽しいですよと伝えた。

 

そして、心を込めて二人で歌った。

 

歌い終わってから、八重子さんが言うには、娘さんが関西から帰省されたとき、「歌ってもらえるかな」と言うと、「わたしは歌ったことがないなぁ」と言いながらギター片手に歌ってくれたものの、少し難しかったようだ。

 

失礼する直前、「八重子さん、あのねぇ、賛美歌は上手に歌えなくても大丈夫。一番から毎日一曲ずつ、歌詞をじっくりと読んで味わうだけでもいいんですよ」とお伝えした。

 

数日後、八重子さんから電話があった。

 

電話口から「…先生から教えていただいたとおり、賛美歌をはじめから読み始めています」と弾む声が聞こえた。(もり)

 


2月10日 十文字平和教会の布下満(画伯)さんをお招きして、約40年前の手作り紙芝居『くつやのマルチン』を上演。そのワンシーン。
2月10日 十文字平和教会の布下満(画伯)さんをお招きして、約40年前の手作り紙芝居『くつやのマルチン』を上演。そのワンシーン。

 ◎2018月2月10 ・【 窓 200号

    『 賛美歌の力 』

 

先週本欄でご紹介した十文字平和教会のTさん(先月召天)は賛美歌を深く愛する方でもあった。

 

礼拝後のお茶の時間(十文字平和教会では伝統的に「愛餐会」と呼んでいる)に、「森山良子さんはクリスチャンですかねぇ。私は彼女の賛美歌のCDを聴いて、歌に合わせてピアノを弾いています」とよく語っておられた。

 

ご主人を天に送られた奥さまは、今、そのCDを流してお過ごしだと電話口で言われた。

 

Tさんの青年時代に交流があった仙台北教会のオルガニストで、東北学院大学で宗教哲学を教えられた川端純四郎先生が居られた。川端先生、新約学者のブルトマンという一時代を築いた著名な先生の元で学ばれた稀有の日本の神学者のひとりだが、牧師ではない。

 

その川端先生が天に召されたのち、論文や講演が一冊の本にまとめられた『教会と戦争』(帯には「キリスト者の生き方」「論文・講演・エッセイ類から28編を精選」とある本)がある。題名はだいぶ固めだが、中身は多様で読みやすい。バッハからオルガニストの講習会でのお話も含まれる素晴らしい一冊なのだが、そこにこんなことが講演記録として記されている。

 

「自分は賛美歌も奏楽も素人だが、見様見真似(みようみまね)でここまで来ました。父も賛美歌に救われたとずっと言っていました」「賛美歌はもう一つの説教です」「賛美歌を上手く歌うとか関係ないのです」

 

これらの言葉。大いに刺激を受け教えられるものだ。十文字平和教会のTさんの死、葬儀のお世話を通じて、川端先生のご本を読み直したのだが、いいものはやっぱりいいな、と感じた次第だ。

 

私は旭東教会が胸を張れる豊かさの一つに、たかーい天井をもつ歴史ある礼拝堂に響き渡る賛美があるとずーっと思ってきた。4月以降の2019年度、なんとかこの長所を伸ばしたいものだ。

 

何しろ賛美歌が嫌いという方は少ない。無い物ねだりをするよりも、みんなの力が既に満ち満ちている賛美をきっかけにして、本当の意味で豊かな教会生活、礼拝を共に求めて行きたいと考えている。(もり)

 

 


2月3日 森牧師が兼務する十文字平和教会の講壇献花は、文中のT兄を記念して房子さんがささげられたもの。
2月3日 森牧師が兼務する十文字平和教会の講壇献花は、文中のT兄を記念して房子さんがささげられたもの。

 ◎2018月2月3 ・【 窓 199号

    『 シメオンの召天 』

 

1/29日(火)の朝、十文字平和教会でご一緒しているTさんのご家族から電話が入った。87歳のTさんが召されたとの知らせに驚いた。

 

Tさんは二週前の礼拝に出席。礼拝後のお茶の時間には、「先生から勧められた『リビングバイブル』を手にしましたが、よくわかりますね」と語っておられた。

 

というのも、「聖書をひとり読むのですが、むつかしいです。どうしたらいいんでしょう」と一度ならず仰っていたので、思いきって勧めてみたのが『リビングバイブル』だった。

 

どうかなと思って見守っていたところ、さっそく購入され、ご自宅で読んで下さっていたことがわかった時は、牧師の小さな幸せをかみ締める経験となった。

 

ご家族からの相談があり、ご家庭での静かなお別れの式を行うことになった。いわゆる家族葬だった。それも本当にお身内だけで行う葬儀に仕えさせて頂いた。

 

葬儀でルカ福音書2章25節以下を選び、式辞を語ることにした。

 

そこには、老シメオンが幼子イエスを腕に抱き締めた時、「主よ、今こそあなたは、お言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます。私はこの目であなたの救いを見たからです。」と讃美する姿がある。

 

これは言い換えれば、「私はいつ死んでも構いません。救いを見たからです」となるだろう。

 

T兄は大学で地形学を専攻され、ついには日本でも数少ない珊瑚礁の専門家としてご活躍された方だった。ご著書の後書きには、お若い頃から一本の道を求め哲学を学びたいと考えられていた記されていた。珊瑚礁を求めて、徳之島や奄美大島の平磯(ひらいそ)と呼ばれる珊瑚礁の海岸を歩くことと、聖書を読み信仰の道を求めることは別の事柄ではなかったのだ。

 

私は、賛美歌をこよなく愛するTさんが『リビングバイブル』によって「聖書がわかるようになった」と感じられたその時、イエスを確かにその胸に、人生の最後に抱き締められたのだと悟った。否、T兄はイエス・キリストによってしっかりと抱き締められたのだ。

 

きっと喜びに満ちて、穏やかに感謝の賛美歌を歌われていたことだろう。

 

救急車で病院に運ばれる前日まで、ご家族とスーパーマーケットで買い物されていたTさんは急逝されたかのように見えた。

 

しかし実はそうではなく、神さまに備えられていた時を穏やかに迎えられたのだ、と今は信じている。(もり)

 


1月27日の特別伝道礼拝で説教する森牧師 さて、二度打ちはどんな具合だったかな? YouTube・音声ブログで聴けます(^^♪
1月27日の特別伝道礼拝で説教する森牧師 さて、二度打ちはどんな具合だったかな? YouTube・音声ブログで聴けます(^^♪

 ◎2018月1月27 ・【 窓 198号

    『 落語の〈二度打ち〉と説教 』

 

一年程前になるが、本格的な上方落語を初めて目の前で見たのは〈繁昌亭(はんじょうてい)〉という大阪の寄席でのことだった。

 

関東では、もちろん、寄席にも行っていたし、旭東教会のある西大寺の雄神(おがみ)地区には桂米吉さんが公民館にやって来て毎年落語を聴かせてくれるので、これまで三度聴きにいっている。

 

繁昌亭のその日の〈とり〉は、「笑福亭松喬(しょきょう)」を襲名する直前の頃の「笑福亭三喬(さんきょう)」さんだった。たぶん、襲名披露のための、お囃子等との調子合わせも兼ねてのお稽古を兼ねた出番だったのではと思う。

 

その噺の旨さ、深さ、落語の世界の豊かさに心底驚かされたのを記憶している。感動した。当時のわたしは、松喬さんが上方落語の世界はもちろんのこと、関西方面では相当な人気者であることを知らなかった。

 

その後、あれこれ注意してアンテナを張っていると、ABCラジオの番組のパーソナリティーもしておられる松喬さんが居た。日曜日の朝は8時過ぎから毎週お出ましだし、先日は水曜夜の番組で、上方落語の言葉の世界の一端を聴かせてくれた。

 

上方落語は伝統芸能であり、その世界だけで使う独特の言葉が出てくること、その言葉を使う必然があることを語られた。そして上方落語を知らない人が多い場面では、「二度打ちしますねん」と言われた。

 

例えば「おまん」(=饅頭)や「おため」(=当座のお返し)は、即座に意味がわかるよう「二度打ち」するそうだ。他にも独特な言葉を口にされたと思う。

 

どうやら「二度打ち」とは、言葉の置き換えのことのようだ。

 

きょう1月27日は旭東教会の創立116周年を祝いつつも、同時に、特別伝道礼拝の日だ。

 

もしも、新来会者が与えられたならば、キリスト教にとって肝心かなめの一語「贖い(あがない)」をいきなり語るのはハードルが高いと私的には感じている。

 

わたしも「二度打ち」が必要だろう。(もり)

 

 


2/10 (日)に森牧師が兼務する十文字平和教会の満さんがやって来て、紙芝居を上演してくれます。今年で三回目。「くつやのマルチン」をファミリー礼拝でたのしみます(^^♪
2/10 (日)に森牧師が兼務する十文字平和教会の満さんがやって来て、紙芝居を上演してくれます。今年で三回目。「くつやのマルチン」をファミリー礼拝でたのしみます(^^♪

 ◎2018月1月20 ・【 窓 197号

    『 語ることの秘義 』

 

今週の題『語ることの秘義』は、正直なところ、なんとも格好良すぎなものだと思っている。

 

実はこれ、最近、偶然手にしていたく感動した『キリスト教図書総目録 2014年版』の「25周年記念号 巻頭エッセイ」のひとつ、若松栄輔さんの『読むことの秘義』の“もじり"である。

 

そこではCSルイスの代表作のひとつ『痛みの問題』(新教出版社刊)の前書きの最後の一行が引用されている。

 

わたしの【窓】欄の短文とどれほど関係があるかと言うと、表面的には一切無し、というのが実情である。

 

ただし、2019年1月20日の使徒言行録からの礼拝説教『手引きするのは誰ですか』には、根っこの所でだいぶ関係あり、と私的には考えているのだからややこしい。

 

若松さんが引用されたCSルイスの言葉をちょっと紹介しておこう。ルイスは1898年に生まれ、1963年に召されていった英国の小説家・英文学者で信徒である。あの『ナルニア国ものがたり』の原作者だ。

 

**************

 

ルイスはこう言っている。

 

【神学者には、わたしがどんなものを読んだか――というより、どんなわずかしか読んでいないか、すぐにわかると思います。】

 

それに続けてに、若松さんはこう言われている。

 

【ここにルイスの謙遜を読むのは十分ではない。むしろ、彼の「読む」ことをめぐる、ほとんどゆるがない自負を感じ取るべきなのだろう。・・・・・・彼が願ったのは、多くの言葉に出会うことではなく、魂の奥にとどく、真実のコトバとの邂逅だった。よろこばしき者が来訪するとき、出会いを成就させたいと願うなら、私たちはその場を離れず、静かに佇んでいかなくてはならない。ときに動かないことはもっとも積極的な営みとなる。】

 

以下、週報のミニコラムは、上に引用させて頂いた、若松栄輔さんの言葉やCSルイスの言葉とどれほど関係があるかと言うと、〈ない〉のだけど〈あるのです〉と記しておきたいと思う。

 

**************

 

月に一度、祈祷会で清水恵三先生のご著書を辿りながら、「イエスの譬え話」を学ぶ時間はいつも楽しい。清水先生の丁寧で深い講解にふれると、良い意味での溜め息が最後に出てしまう。

 

ただし、私は清水先生のご本を牧師室で一人孤独?に予習していても、よく分からないことも多く、時間切れで、祈祷会を行っている木曜の朝を迎えてしまうのだ。

 

「こりゃ、ぶっつけ本番だな」というのに近い状況の中、祈祷会の出席者の前で、立ち止まっては解説し、横道にそれているうちに、はたと気付くことが出てくるのだ。そして、やっぱり皆で学ぶというのは素晴らしいことだな、有り難いことだな、学ぶとはこういうことか、といつも思う。

 

先日、朝の祈祷会の時間には見えていなかったことを、夜の祈祷会ではかなり明確に語ることが出来た。

ルカ福音書13章の「イチジクの譬え」で、聖書に文字としては記されていないイエスの言葉が、すくと立ち上がって見えたのだ。

 

それは、「もし、それでもだめなら〈私=イエスを、十字架の上で〉切り倒してください」という主の愛の言葉だった。

 

〈私=イエスを、十字架の上で〉は見えないけれど見え、語るようにと促されたと言うのはオーバーだろうか。

 

わたしの牧師としての〈つとめ〉は、読むこと、聴くこと、触れること、そして、何気ない日常のすべてが統合されて、語ることに結び付いているのだろうなと思う。(もり)

 


1/27 (日)は教会創立116周年記念日の日曜日。そして、森牧師が講師を務める〈特別伝道礼拝〉ということで、先ずは教会の皆さんに光代さんがアピール。スケッチブックが大活躍 (^^♪
1/27 (日)は教会創立116周年記念日の日曜日。そして、森牧師が講師を務める〈特別伝道礼拝〉ということで、先ずは教会の皆さんに光代さんがアピール。スケッチブックが大活躍 (^^♪

 ◎2018月1月13 ・【 窓 196号

  『 「そうだよなぁ」と思いつつ 』

 

「スペインに巡礼旅行に出掛けていました」という言葉が手書きで添えられていた同労の友からの年賀。

 

一度読んだだけで深く心に残り、思い起こしては反芻(はんすう)した。印刷文の方には、「自分にしか出来ないことを大切にしたいと思っています」という意味のことも記されていたからだろうか。

 

その友は、真に開かれた教会形成をと願い、あるところで懸命に開拓伝道に取り組み、〈LGBT〉の働きにも努力して関わって来た人。

 

今は(おそらく熟考と祈りの末に)教会という場を離れ、賜物をさらに生かす道を歩み始めていて、すごいなぁと思っている。

 

「自分にしか出来ないこと」。

 

じつは、その言葉を私自身に当てはめると、正直なところ、少し落ちこむような気もする。

 

なぜなら、今の私に出来ることは、牧師として、〈ごく普通の働きを、日々、コツコツと続けているに過ぎない〉からだろうと思う。

 

だが、同時に、「それでも、俺も、自分にしか出来ないこと」をしているのかなぁ、と思ったりもするし、そう思いたいと感じている自分が居ることに気が付く。

 

小学二年生頃だろうか。

 

「ぼくは おもちを五こ たべました」などと、大きな字で書き、競いあっていた年賀状がなぜか懐かしくなった。(もり)

 

 


最近、教会のお茶の時間に頂いた、素敵なお菓子です (^^♪
最近、教会のお茶の時間に頂いた、素敵なお菓子です (^^♪

 ◎2018月1月6 ・【 窓 195号

  『 パンフも本も購入の映画 』

 

元旦祈祷会もおわり、ほっと一息した1月2日(水)の午後、松竹のお正月映画・『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』を観にいってきた。いや正確には、松竹のお正月映画等ということは知らなかった。

 

ちいさめのホールだったとは言え、ほぼ満席。最前列から2番目にやっと空席を見つけて滑り込んだのにもまず驚いた。危うく満席で希望の時間に入館出来ないところだった。

 

しかし、それ以上の驚きは、映画自体の素晴らしさである。私としてはかなり珍しく、眠くなる間はゼロ。少しオーバーに言うならば、私的にはこの10年で一番の傑作だと思った。笑って泣いて、怒って、悲しくなってと、映画らしさを満喫できた。

 

事前に知っていた情報もかなり少なめだったので、興奮冷めやらぬうちに、外に出てまず売店でパンフレットを購入。その日の夜には、少し大きめの書店に出向き、映画の原案を書いた〈渡辺一史〉さんの文庫本『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』(文春文庫)を購入してしまった。

 

筋ジストロフィーという病を生き抜いた〈鹿野(しかの)靖明さん〉という実在の人物は、『こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち 』(文春文庫)で紹介され、 ノンフィクションの分野で知る人ぞ知る人だったこともその夜初めて知った。

 

パンフレットに記されていたが、主演の大泉洋(よう)さんが「こんなに色々考えさせられた映画はない」と語ったことも頷(うなず)けるし、大泉さんは〈鹿野ロス〉を経験するほどだったという。

 

映画は軽いのに厚みがあり、スピードがあるのに、深く立ち止まらせる。私たち観客の方が更に考えさせられ、自分の今までのありよう、そしてこれからを見つめざるを得ないところにいつしか置かれていた。

 

生き生きと演じる俳優陣も見事で、超大物俳優が出演していないことも良かったのかな、と思う。

 

冒頭、超ワガママで嫌な奴にしか見えなかった〈障がい者の鹿野さん〉が求めた「自立」とは、実は、「他人や社会に堂々と助けを求めること」だと学ばされた。

 

「出来ることより、出来ないことが多いんだよ」という医者の卵への鹿野さんの叫び。「俺のボラ(ボランティア)はみんな家族なんだよー」との言葉に至っては、「神の家族として生きる教会」を思わずにはおれず、暗闇の中、メモしたくなる衝動が続いた。

 

だから、パンフレット、そして、脚本以上に詳しい本までも手にすることになったのだった。これは久し振りの傑作ではないか、と心底思う。

 

どなたにもオススメできる珍しい映画だ。(もり)

 

 


2018年12月24日(月)のクリスマスイヴ礼拝にて 前週の窓の写真と見くらべて下さると、その変化もたのしいかも知れません(^^♪
2018年12月24日(月)のクリスマスイヴ礼拝にて 前週の窓の写真と見くらべて下さると、その変化もたのしいかも知れません(^^♪

 ◎2018月12月23 ・【 窓 193号

    『 祈りの宝箱 』

 

12月20日(木)の祈祷会の時間には「クリスマスを歌おう」。同じく13日(木)には「アドヴェントを歌おう」という会を行った。今年で3回目だ。旭東教会の恒例となってきたが、いずれもとても良い時間だったと感じている。

 

同様の会を行っている教会があるのだろうか?とふと思うことがあるが、この会は、「どこかの教会でやっていることを学んで来て似たような会を始めました」ということではない。少し自慢げに言うならば、「エッヘン、オリジナルなんですよ」ということになる。

 

とは言え、気まぐれで好きな賛美歌を歌うということをしているわけではない。限られた時間の中でアドヴェント・クリスマスの賛美歌を歌うための準備は必要だ。

 

特に、本としての賛美歌集の中の分類を超えたところに隠されているものを探し当てるのは何とも言えない喜びであり楽しみでもある。

 

それにしても、賛美歌の「歌詞」を皆でゆっくり読んで味わったり、紹介してから歌ったり、関連の聖書箇所を開いてみると、多くの学びや気付きがあることを今年も再認識した。

 

私はお祈りをする時に賛美歌の歌詞を参考にしながら祈ることがある。それは、神学校の時代に礼拝学やキリスト教教育を講義して下さった今橋朗先生が、「祈祷書としての賛美歌」ということを時々口にされていたことにも通じている。

 

先日の「クリスマスを歌おう」の夜の部でそのことを告げてから実際にお祈りしてみた。元来、賛美歌の歌詞は言葉が吟味されているものだから、歌詞を元に祈ることで、祈りがとても豊かになっていくのが参加者には伝わったのではと思う。

 

そう言えば朝の部では、「この賛美歌の歌詞をつなぎ合わせて、少し言葉を変えていくと、クリスマスのメッセージ=説教になりますね」とも語った。

 

自分自身を顧みても、祈りに〈賛美〉や〈悔い改め〉の言葉が少ないことに気付かされることが多いので、お祈りの本としての賛美歌は、誰にもお薦め出来る。正に太鼓判を押せるものなのである。(もり)

 


2018年12月16日(日)旭東教会のアドヴェントクランツです。第三のロウソクも灯されて、降誕日が近づいて来た。
2018年12月16日(日)旭東教会のアドヴェントクランツです。第三のロウソクも灯されて、降誕日が近づいて来た。

 ◎2018月12月16 ・【 窓 192号

    『 インド再訪 』

 

先日、37年振りにインドを旅する時間をもてた。

 

と言っても、『ガンジスに還る』(原題「HOTEL SALVATION」)という映画の中の話である。

 

当時は恐い物知らずで、大きなリュックを背負い、一泊200円程を払い、寝袋で寝ていた。飛行場のロビーでも眠れたのが今では信じられない。

 

故郷大分の母からは、マラリア予防の薬ほか夏みかんの箱の小包で送られて来たのを思い出す。

 

余談ながら、当時は、国鉄の駅留めという荷物の受け取り方があって、武蔵小金井駅(その頃、東京都府中市に住んでいて最寄り駅だった)によく出掛けたことを思い出す。まだ、宅配便というシステムがよちよち歩きの頃なのだと思う。

 

映画『ガンジスに還る』の舞台はインド北東部にある「バラナシ」(英語読みでは「ベナレス」)という町の現在だ。そこはヒンズー教の聖地として知られる。

 

主人公の父は75歳で死期を悟り、働き盛りのサラリーマンの息子を無理矢理そこに連れて死を待つ為の宿にやって来る。そこが原題での「HOTEL SALVATION」という設定だった。

 

私がバラナシを訪ねた時に泊まった「久美子の家」という民宿のようなゲストハウスは、現在も存在するようで、Wikipedia・ウィキペディアでも検索できて、懐かしい。

 

以下、Wikipediaより少し引用
【1977年頃に26歳でインド人と結婚し、インドに渡ったガンゴパダヤイ久美子が、1982年頃にバラナシのガンジス川に面する3階建ての自宅を改修し、安宿として開業。現在も一泊100ルピーの安価な相部屋のゲストハウスとして国内外のバックパッカーに知られた存在。・・・・・・】(引用おわり)

 

私が21歳の時、ガンジス川のほとりに立って感じたことがある。それは、1㎜の誇張もなく心底ガーンと来て目が覚めるおもいをしたのだが、火葬がなされるそのすぐ横で、人々は歓喜に満ちて沐浴し、ガンジスの水を喜んで飲み、感謝を捧げる光景だった。

 

映画を通じてではあるが、バラナシは今も全く変わらなかった。映像に映し出される、りきしゃが行き交い、アンバサダーというタクシー専用車の天上に荷物を載せる光景も、男たちがのんびりと昼間から座り込んで話し込む姿も、本当に変わらない。

 

日本各地のこの40年近くの変わりようと、全く違うことにある主のカルチャーショックすら覚えた。

 

死を前にして父は息子に言う。映画の中のアクセントとして使われていた携帯電話を指差しながら「食事中くらい携帯を切れ」と。

 

その一方で、「私は長年、お前を自分のものだと思ってきた」と語り、生きるとは何であるか、死ぬとはどういうことかを、哲学させてくれたのだった。

 

『ガンジスに還る』を観に行って、映画のよさを再認識した時間となった。感謝。end

 

【追伸】

 これまた余談になるが、インドの、どの町だったか。映画館に入り大興奮したことが懐かしい。観客は、スクリーンのヒーローたちに拍手喝采し、笛を吹き、歌っていた。いまだかつて、日本ではそのような映画館を見たことがないし経験していない。

 このような映画館での光景も、おそらく何の変わりもなく今も続いているのがインドという国であり、これからも変わらないと思う。猛烈な下痢が襲って来る恐怖がなければ、もう一度行ってみたいところだ。(もり)

 

 


2018年12月2日(日)待降節・アドヴェント第1主日を迎えた旭東教会の玄関先で クリッペが大好きな八重子さんと共に
2018年12月2日(日)待降節・アドヴェント第1主日を迎えた旭東教会の玄関先で クリッペが大好きな八重子さんと共に

 ◎2018月12月2 ・【 窓 190号

    『 交換講壇のお昼に 』

 

11月25日(日)は鳥取県の倉吉市にある倉吉上井教会に交換講壇で出掛けた。奥田望牧師が牧会される教会だ。

 

礼拝後には、わたし自身が自己紹介を兼ねて説教の中で語った、B型肝炎による闘病生活や居場所が与えられての信仰の喜び・受洗について前向きに応答して下さって、実は、わたしの弟が・・・とお話下さる方も居られ、有り難いことだと思った。

 

「お昼はお弁当です」と事前にお聞きしていたので、以前、東中国教区の会議で伺った時のおいしい〈あのお弁当〉かなと期待してしていたところ、今回は〈スシロー〉という回転寿司屋さんの9種類のネタ入り〈海鮮ちらし〉だった。スシローに走られたTさん曰わく「倉吉で20人も並んで待っているお店は初めてですよ」と皆さんに報告された。

 

実はこの回転寿司屋さんのちらし寿司という割り切り方が、私にとっては本当に良かった。というのも、あまり準備に力がこもりすぎているのも申し訳ない気持ちになることも少なくないからだ。私達の教会でも大いに参考になることだなと感じた。

 

さらに、お味噌汁もチューブをしぼりお湯を注ぐものであることも嬉しかった。このチューブのお味噌をしぼって頂くお味噌汁。これは、私が東京の銀座教会の神学生の頃、早天祈祷会後の朝食と同じ仕方なのだ。何か懐かしさを感じて、ひそかに心が弾んでいた。

 

迎えて下さった方の中には銀座教会の礼拝に出席されたことのあるご夫妻も居られた。

 

お昼ご飯会話が弾む中、一人の方が、お帰りになった求道者の言葉を伝えて下さった。

 

「私のために、奥田牧師が森牧師にあらかじめ相談して、こういう人が居るから、こんなお話をして下さいとお願いしていたのですか?と言われたんですよ。」と。

 

さてさて、〈真相はいか〉にと言うまでもなく、そんなことはあり得ない。何より、その求道者の方が、心のそこからみ言葉を求めるこころを持っておられたのだなぁ、と感じた。

 

それにしても、神さまは不思議な働きをなさる方だとあらためて知った。何とも言えない感謝の余韻の残る交換講壇となった。いや、交換講壇には必ず何かしらのドラマがあるような気がする。神さまが準備された物語が。

 

いつかまた、倉吉上井教会の礼拝におじゃましたいと思う。(もり)

 

 


2018年11月25日(日)交換講壇で訪れた、鳥取県倉吉市・倉吉上井教会の礼拝にて
2018年11月25日(日)交換講壇で訪れた、鳥取県倉吉市・倉吉上井教会の礼拝にて

 ◎2018月11月25 ・【 窓 189号

     『 新潟県 妙高市より 』

 

かつて、新潟県上越市の高田教会時代に兼務していた新井教会。雪の重みで会堂からミシミシと音がするような豪雪地帯にある。

 

その新井教会の昭和2年・元日生まれの〈Kさん〉より便箋でお便りを頂いた。

 

少し前に、『み言葉余滴』と共に教会報『緑の牧場』をお送りしての応答。

 

かたじけない言葉に力を頂き、何度も読み返した。

 

「『緑の牧場』巻頭随想より『バルトと蕎麦(そば)の花』を知りすぐに取り寄せました・・・信濃村伝道所と影山讓先生の話から、当時、信濃村におられた〈清水恵三牧師〉により新井伝道をつなげて頂いた時の事を思い出します。主日礼拝に誰一人見えず、牧師と二人の時、私が自転車で礼拝に来る様、声をかけて廻った時もありました。今にして思うと、これも神の摂理であったと感謝しています。このことから、清水恵三牧師の本を求め、今回は『近づきたもうキリスト』『辺境の教会』・・・を手に入れることが出来ました。今、読み続けています。ありがとう」

 

〈Kさん〉とは大喧嘩してしまい、ご自宅に、ある日の夕刻、日本酒を片手にもって詫びを入れにいったりした思い出もある。

 

さいごに〈Kさん〉「森 言一郎牧師の伝道手段として、わたしは高く評価し、感謝しています」と記して下さり、「主の御名により感謝し アーメン 2018年11月19日 K 」で締めくくられた。

 

昭和2年と言えば、今は亡きわが父・誠太郎と同じ歳である。元気でいて頂きたいと心から思う。ありがとうございます。(もり)

 


2018年11月11日(日)秋のファミリー礼拝を兼ねた子ども祝福礼拝の献花と講壇
2018年11月11日(日)秋のファミリー礼拝を兼ねた子ども祝福礼拝の献花と講壇

 ◎2018月11月11 ・【 窓 187号

  『 2018年 聖徒の日を終えて 』

 

今月、わたしは58歳の誕生日を迎える。

 

わたしの母が亡くなった時の年齢は52歳。7年程の闘病生活を経てのことだった。姉は41歳と更に若い。育ち盛りの男の子をふたり残して無念だったと思う。姉も、母と同じ位の間、病と闘い、計り知れない苦悩があったのだろう。

 

「ついで」と言ってはなんだが、父は70歳で召された。今考えると、みんな早く逝ったのだなぁと気付く。

 

母や姉たちにとって、「もう少しだけ時間を」という思いがあってしかるべきだったことを考えると、「言ちゃん、あなた、わたしたちの分もしっかり頑張りなさい」と言われているような気もする。

 

**************

 

作家の伊集院静(いじゅういん しずか)さんが一年程前、わたしが愛聴している大阪ABCラジオの道上洋三さんの朝の番組にゲスト出演された時にこう言われた。

 

「いつ終わってもいい人生を生きる」

 

それは、さり気なかったけれど、確信をもって語っておられた言葉だった。

 

伊集院さん、本当のことしか書かない、言わない方。そして、誰に対してもぶれない。だからこそ信頼できるなといつも思っている方だ。

 

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過日、天に召され行った樹木希林さんを追悼する言葉を毎日新聞の〈新・心のサプリ〉に記されていた海原純子(うみはら じゅんこ)さん。

 

「死を見つめ 丁寧に生きる」というエッセイでこう言われる。

 

【先日なくなった樹木希林さん・・・・・・・がんの治療と仕事の他によくここまで丁寧になさっていたなぁ、と感じた。「丁寧に生きる」。その言葉が最もふさわしいと思ったが、その生き方の根底にあるのは、「死をみつめデッドラインに気付く」ことにあったのではないだろうか。】

 

【死を見つめる生き方は、残された時間を十分に活かし生きることを可能にする。〆切というのは、本当に大切だ。・・・・・・人生の〆切を意識してしたいことを明確にしてみると、時間が豊かになるような気がした】

 

*いずれも、2018年10月7日(日)号

 

**************

 

先日、11月8日(木)夜の祈祷会。

 

マタイによる福音書25章14節以下の「タラントンのたとえ」を清水恵三先生のご本をもとに学ぶ時間をもったのだが、その際わたしは、「これが最後の礼拝になるかも知れない、という緊張感は大切ですよね」と語っていた。

 

聖徒の日、信仰の先達達の写真と共に、家族の写真も礼拝堂に置かせて頂いたことは、こんな思いを紡がせてくれたように思う。(もり)

 


2018年11月4日(日)の午後 教会墓地で行った墓前の祈りで賛美した賛美歌 秋空の陽射しが楽譜に美しく射し込んでいる
2018年11月4日(日)の午後 教会墓地で行った墓前の祈りで賛美した賛美歌 秋空の陽射しが楽譜に美しく射し込んでいる

 ◎2018月11月4 ・【 窓 186号

  『 お祈りはいたしません 』

 

2ヵ月に一度の「グリーフケアの集い」。「布教・宣教」はしないことを掲げ、教会ホームページにもその存在を知らせコツコツと続けている。

 

「グリーフケアとはなんですか」と言われれば、死別のみならず、人生途上の様々な悲嘆を抱える方(ペットロス、転職、引っ越し、病気による喪失など領域は幅広い)、寄り添いを続けている方の為にコツコツと続けている会ということになると思う。

 

先週水曜の朝は6名が参加されたが、半数は教会員以外の方だった。

 

お一人は、教会員の中学生時代の同級生が参加して居られ、これもまた奇遇というか、神さまのお導きとしか思えない。

 

少し遅めに集会室に入って行くと、ステンドグラスの近くに居られたUさん。私を見るなり「5回連続で来ました」と照れながら挨拶して下さる。さらに「YouTubeで礼拝みましたよ」と声掛けして下さった。

 

様々推測すると、礼拝や祈祷会にお出でになるのはハードルが高いと感じたUさんを想いつつYouTubeによる礼拝・祈祷会の配信準備をして来たので、心底嬉しかった。そしてまだ、試験配信中だが、手応えを感じた。

 

9月に茨城県からお迎えした飯塚拓也先生が礼拝と午後からの講演を終えたあと、ジュニアサークルのスタッフたちとの懇談をしていたとき、「この部屋はいいですねぇ。色んな可能性がありますよ」と言われていたことも思う。

 

2回目になる参加者有志(今回は全員参加)での昼食は150円のパンと紅茶だった。朝、コンビニで買ってきたパンと差入れの柿などみんなで分け合って頂くだけなのにとても美味しい。程よい人数であることも深く関係しているかも知れない。

 

昼食が終わると、Uさん「よー聴いてもらったぁー」と呟きながら教会を後にされた。足取りは私には少し軽く見えた。

 

次回は12月26日(水)、クリスマスの翌日である。朝10時と夜7時半から行っている。(もり)

 


「もったいない言葉」をくださった〈M子さん〉を送る
「もったいない言葉」をくださった〈M子さん〉を送る

◎2018月10月21 ・【 窓 184号

 『 もったいない言葉です 』

 

大正13年(*1924年)生まれのM子さん。94歳で天国へ帰られた。〈前夜の祈り〉の後、その時に集うことが出来たお子さん・お孫さん・ひ孫さん計14名と小一時間を過ごした。

 

予想していたよりも遥かに多い方たちが集まられたことで、お話の聴き方を急きょ予定変更。

 

「おばあちゃんの素晴らしいところを、ひと言書き込んで教えてください」と部屋にあったメモ用紙を渡して1分後に回収した。

 

無記名としたので、「これは誰が書かれた言葉かな」と私が読み上げ、手を挙げていただき、少し言葉を添えてお話していただくことを繰り返した。

 

「ファイトばかりの人でした」「何事にも積極的で前向きな人生」とは晩年の30年程をご一緒されたご家族お二人の言葉だった。もうそれだけでも、M子さんという方がどのような生き方をされたのかが浮かび上がる。

 

告別式の朝、式辞の準備をしつつ、あれこれを思い巡らす中で、旭東教会の教会員の方々何名かに「どんな思い出をお持ちですか」と電話して備えた。

 

「厳しくも優しい方でした」

 

「今の私があるのはM子さんの存在」

 

「5分あるとしたら、あと5分しかないではなく、まだ5分あるじゃないと言われる方」

 

「35年前に先にご主人が先に召されました。献体されるということで、ご主人をご自宅から見送られるとき、〈あなたあ、天国で会いましょうねぇ〉とずーっと手を振り続けて居られたのを忘れられません。天国への期待する信仰をしっかりともって居られる方だ思っていました」

 

等のお声を聴けた。

 

いずれも、そのまま式辞で紹介したわけではないけれど、本当の意味での家族葬だったがゆえに、わたしは教会の皆さんの思いを抱きながら葬儀に臨みたかった。

 

晩年、聴力が弱られていたM子さん。耳元で話し掛けてもようやく何かを聴き取られる位だったと思う。それでも、教会備え付けの補聴器を使うことなく礼拝出席を続けられた。当然、わたしは説教が聞こえていないことを知っていた。

 

ある日「いいんですか」と訊ねると「先生の顔が見えればねぇ」とほほ笑まれた。

 

確かに、M子さんは、いつも講壇の方をじいっと見上げたまま、いつもそこに居られたのだ。私も支えて頂きました。ただ感謝あるのみ。(もり)

 

 

 


10月14日(日) 兼務する十文字平和教会 Hさんが撮影された「あきあかね=赤とんぼ」
10月14日(日) 兼務する十文字平和教会 Hさんが撮影された「あきあかね=赤とんぼ」

◎2018月10月14 ・ 【 窓 183号

     『 みんなで伝道 』

 

お隣の教会・西大寺キリスト教会の赤江牧師が来会された。

 

「終活です」と手渡して下さった先生のご本『聖書信仰に基づく教会形成 西大寺キリスト教会の歩みを一例として』を読ませて頂いたのち、我が身を振り返る時間があった。

 

ご著書の終盤、「長屋の教会から取り組んできたこと」の項に〈心がけて来た牧師像〉として「頼もしいお父ちゃん・面倒見のよい親分・月光仮面・面白くて一緒にいたい・謙遜な祈りの人を心がけて来た」とある。

 

さすが、赤江先生だと深く教えられながらも、何かを比較してしまう自分に気が付き少し気持ちが落ちてしまったが、気を取り直して?スイッチを入れ直す。

 

先週の礼拝説教でのこと。数分の間だが、私は会衆席にマイクを渡した。何を目指していたのかは礼拝報告時にひと言触れたのだが、その復習(おさらい)です。

 

あのひと時の究極の目標、それは〈皆さんの伝道力の引き出し〉にありました。

 

今週は「信徒伝道週間」。(もり)

 

 


9月30日(日)礼拝堂前方のスクリーンを指すときに使用する自家製の〈指差し棒〉ですが、この日からバージョンup。長くなりました。
9月30日(日)礼拝堂前方のスクリーンを指すときに使用する自家製の〈指差し棒〉ですが、この日からバージョンup。長くなりました。

◎2018月9月30 ・ 【 窓 181号

 『 老舗菓子店 喫茶ルームにて 』

 

先週の水曜(9/26)、夏期休暇を利用し、お世話になっていたにも関わらず、ご無沙汰してしまってい先輩牧師を〈関西〉に訪ねた。

 

昼過ぎには到着してご一緒に遅めの昼食のつもりが、2号線も山陽道も事故のため渋滞。なかなか目的地に着かず、J先輩からは幾度も携帯に電話が入った。待っていて下さることが、じわっと伝わって来た。

 

龍野西インター付近で見つけた焼き肉のお店のランチがお値段のわりにかなり上質で息抜きになったのは幸いだった。

 

J先輩からは、ある駅付近を指定されたのだが、その駅が地下にあるとは関西音痴のわたしは露知らず、さらにまた、目的地付近でご一緒するのに時間がかなり必要となった。

 

駐車場を探し、良く知られる商店街をぶらぶらと歩きながら案内して下さったのは、神学者にして医師であったS博士も愛したお菓子で知られる老舗喫茶ルームだった。

 

既に午後3時を過ぎていたと思うが、2階の喫茶ルームは程よく空いていて、こちらにとっては好都合。話が弾み始めた。

 

J先輩は、牧会の第一線を離れられて数年が経つ恩師とも言える方。年賀状の交換程度は続けていたが、いったいどうしておられるのか伺っていなかった。いや、うかがえなかったというのが本当だった。

 

この日、J先輩から伺ったお話は、わたしが想像していたのとは全く異なる日常だった。

 

「家内の体調が悪くてね、今ねぇ、僕、主夫してます。一日三食の準備があるから、遠くには行けないんです。今日は」。その言葉に耳を疑ったが、こちらは驚きながらも少し平静を装った。奥さまのために日々介護状態とは露知らなかった。

 

もっともJ先輩は奥さま共々、ある教会の会員となってお過ごしのご事情もお話下さった。そうかぁ、そういうことかとわたしは自分を納得させる自問自答を続けていた。J先輩が近況をお話できるようになったのも、一定の時間が経過したからではないか、と思ったりもした。

 

先輩と初めて出会った時、末っ子さんは幼稚園の年長さんだったはず。今は成田空港でのお仕事に就かれていると聴いた。時の流れは何とはやいものだろう。

 

先週だったか、わたしは伝道の現場に経って中間地点に居るとしたら、あと25年、83歳迄は牧会の現場を目指したい、等とこの『窓』欄に記したのだが、複雑な気持ちになった。

 

やっぱり、何があるのか分からないのが人生。そんな思いを抱かざるを得なかった。伊集院静氏が、〈いつ終わってもいい人生を生きよ〉と言われているが、そんなことも思うひとときとなった。

 

ご馳走して下さった喫茶ルームはまことに居心地がよく、「もり先生、つよくなったわぁ」などと少し真顔で言われ恐縮。わたしも、「先生、ぼく、辛酸なめ尽くしてますが、無駄なことはひとつもありませんでした」と真顔で応えていた。

 

話の流れの中で、「僕、近かったら森先生の教会行くのになぁ」とこれ以上ない励ましの言葉を頂いた。

旭東教会で履物のまま会堂に入れるようにしたこと、車椅子でも従来以上に快適に安心してトイレに入れるようになったこともお伝えしたが、J先輩にとっては、お連れ合いと共に礼拝に出掛ける時、とっても安心材料だからだと思った次第である。

 

またお訪ねしたい人、場所が与えられ心から感謝。(もり)

 

 


9月9日(日)お昼からの恵老祝福愛餐会の終了後、今年はじめて恵老対象者としお迎えした八重子さんをhugする寿子さんが居られました。
9月9日(日)お昼からの恵老祝福愛餐会の終了後、今年はじめて恵老対象者としお迎えした八重子さんをhugする寿子さんが居られました。

◎2018月9月9 ・ 【 窓 178号

    『 独学より共学 』

 

敬愛する清水恵三牧師(1931~1987)が書かれた『イエスさまのたとえ話』(YMCA同盟出版・絶版 そう分厚い本ではありません、念のため)を月に一度、祈祷会で読んでいる。読み進む中で深く思うことがある。

 

それは、このご著書が聖書の決してやさしくない譬え話を、奥深く、豊かに説き明かす名著だということ。

 

三鷹教会で牧会しつつ、農村伝道神学校の責任を負われたこともある清水先生の力が満ち満ちている50代前半に、いわゆる神学をわきまえながら講解を進めるその手腕には、オーバーではなく驚嘆する。

 

むつかしいことを〈専門家〉だけがわかれば良いように記すことは普通のことだと思うからだ。

 

この『イエスさまのたとえ話』を初めて手にしたのは、1989年の春、母校日本聖書神学校の入学試験に備えるために、東京銀座の教文館3階・キリスト教書専門店の棚の前に立ったときだった。

 

「過去問題集」を手にしてみると、どうやら、イエスの譬え話はしばしば出題されているようだと分かり、助けになりそうな本を探したのだった。とは言え、その時に参考にできたのは18ある講解のうちの半分に満たなかった。

 

旭東教会の祈祷会で取りあげた切っ掛けは、詩編のわたしによる講解も一定の意味があるとは言え、ずーっと詩編だけを読み続けるのはトータルで考えるといかがなものか、と考えたからだった。もちろん、わたしも時には違うことを学びたかった。

 

しかし、恥ずかしくも、いい加減なことを正直に言うと、講解する立場で予習をしていても半分も頭に入ってこないことがある。先日も「第14講  やもめと裁判官」を前日に読み直して見たものの、どうもぴんとこない。いわば、ぶっつけ本番のような朝を迎えてしまった。

 

ところが、不思議なことが起こる。

 

というよりもしばしば経験してきた事なのだが、皆さんに読み聞かせながら立ち止まり、小さな気付きを思い巡らして語っていると、何かが急に見えてくる瞬間が来るのだ。

 

つまり、私はよく分かったから皆さんに話せるのではなく、一緒に学ぶからこそ何かが感じられるし、なーるほど、そういうことかと納得できるのだった。

 

独学も意義深いし、楽しいものだと思う。しかし、共に学ぶ喜びと秘儀がここにある。思いがけない質問が結果として皆のためになることも多い。だから、月に一度のこの学びは当分やめられそうにない。

 

そう言えば、8月の下旬、神学校の卒業生研修会に参加した際、夜だいぶ遅くまでみんなで語らいの時を持っているとき、ある方が清水恵三先生に関連して嬉しい話をしてくださった。

 

「今の自分の説教の理想は、清水恵三先生なんです」とハッキリとおっしゃった。

 

これまた、我々の祈祷会の学びを継続させていく上で大いに勇気づけられる言葉だった。「そうなんだ、やっぱりそうなのだ」と励まされた次第である。

 

清水先生の実際のお声や語り口は想像しかできないけれど、それはそれで未知のままでいることも良いことなのかも知れないと思っている。(もり)

 

 

 


8月26日の礼拝のための献花 講壇のさまざまな色合いと見事なハーモニーに感嘆!
8月26日の礼拝のための献花 講壇のさまざまな色合いと見事なハーモニーに感嘆!

◎2018月8月26 ・ 【 窓 176号

  『 半歩前進 グリーフケアの集い 』

 

「行き当たりばったり」で行わざるを得ない面をもつ〈集い〉を始めてから4年。

 

現在、二ヵ月に一度開催中の〈グリーフケアの集い〉のことだ。ホームページ通じて教会外・ノンクリスチャンの方にも開かれた集いであるため、頑固にお祈りもしない会を貫き通してぼちぼち続けている。

 

そもそもグリーフとは、死別の悲嘆だけでないことを我々は深く自覚する必要があるとあらためて思わされているこの頃である。グリーフ・悲嘆は人生の途上のあちらこちらに転がっているし誰もが経験しているのだ。

 

香山リカさんの『悲しむのは、悪いことじゃない』(筑摩書房)をパラパラと読んでいると、グリーフへのさまざまなケアの必要性についてやさしく考えさせてくれて有り難い。

 

マイクを使わなくても互いの話に心傾けられることが肝心なので、わたしとしては決して拡大路線を求めているのでもない。一度の会に最大7名位がご一緒できる限界だろうな、と感じている。

 

8月22日(水)は午前の部を終えると、少し前から計画していた会費100円でサンドイッチ他の軽食を初めて囲んだ。教会員以外の方々にも、おそらく居心地のよい時間になったと思う。わたし自身もMさんとの会話が一弾みあっという間に時計は1時を過ぎていた。

 

「次はキュウリのビール漬け持ってきます」という声や「もっと(代金を)とって下さい」のカンパがあったりで嬉しかった。ほんとうの意味での癒しの空間となるようにグリーフケアの集いを続けて行きたい。

 

冒頭の「行き当たりばったり」とは〈イイカゲン〉という意味ではない。初来会の方があれば最大限の心配りを忘れない〈好い加減〉のこと。お一人でも初顔の方が居られれば最初に戻り、かつて読んだ絵本でも読み直す。

 

出たとこ勝負はスリルもあるしかなりの緊張もある。しかしそれが苦労であり、喜びでもあるのだ。(もり)

 

 


8月5日(日)の礼拝堂献花です。歴史ある講壇の柱とあいまって今週も素晴らしい。夏ですね。
8月5日(日)の礼拝堂献花です。歴史ある講壇の柱とあいまって今週も素晴らしい。夏ですね。

◎2018月8月5 ・ 【 窓 173号

    『 餃子の王将にて 』

 

時に出掛けることがある〈餃子の王将〉という庶民に味方の中華料理の店がある。

 

東岡山店であるとか、岡山京山店には行くことがあったが、先日の昼、初めて岡山市中区の平井店に入りカウンターに座った。

 

同じ〈王将〉の中でも平井店の店内は格段に綺麗で好印象だ。

 

カウンター越しの2㍍前方には注文を一括采配する店長の後ろ姿。

 

厨房の仕事は細分化され、餃子担当、鍋を振る人、麺類担当等、全体の動きがほぼ丸見えである。

 

皆さん忙しくというか本当に、こんなに忙しくて、あまりにハードなのでは、とこちらが心配になる。それ程人気店の模様。

 

斜め左で展開する電話注文の受け答えも素晴らしい。なる程、来客が絶えないわけだ。

 

        **************

 

そんな中、私は、思わず食すのも忘れる40分弱が2㍍先で続いた。店長さん、餃子の焼き具合を見て「焦げた餃子は出さない!」と少しの容赦もない。

 

一度のことではなく、少なくとも4度は職人さんにダメを出しをした。そして、即廃棄。しかも、餃子担当の職人さん、本当に顔色一つ変えずに、黙々と餃子を焼き続ける。

 

その一部始終を、実は、わたしに見えているだけでなく、他の職人さんなり、アルバイトの方たちも全て知っているのだった。つまり、他の担当の方たちも、明日は我が身の可能性があることを知っているのだ

 

余所(よそ)なら構わず客席に運ばれたり、お土産に使うのならばこの程度大丈夫、OKなのにと私には見えたが、プロの仕事の厳しさを見た。

 

「餃子の王将」との看板を掲げるプライドだけでなく、社長さんを筆頭にしての徹底的にやりなさい、という指示があるのか。それとも、店長さんが心を鬼にして厳しく新人を鍛えているのだろうか。

 

        **************

 

かつて、神学生を夏期伝道実習に迎え入れていた頃(5年連続で迎えた時期もある)、私は「プロの牧師になろうよ」という意味の声掛けを実習にお出でになった方々に話していたことがある。

 

今では赤面ものだが、その当時は真面目にそう思っていたし、一所懸命に伝えたものだ。

 

さて我々は、現在の教会生活の中で「餃子の王将」で垣間見たような厳しさをもっているだろうか。そんなもの要らないとも言える。

 

だが、大事なことを突き付けられたように思うのも事実なのである。また、あのカウンターに座って餃子を食べたいと思う。王将ラーメンも美味しいですが!(もり)

 


7月29日(日)の礼拝堂献花より。うつくしい、本当にそう思います。
7月29日(日)の礼拝堂献花より。うつくしい、本当にそう思います。

◎2018月7月29 ・ 【 窓 172号

    『 ロボコン 』

 

外履きのまま教会で過ごせるようになってから早いもので一年が過ぎた。

 

あの時思いきって購入した「ロボットクリーナー(愛称:ロボコン)」(ダスキンさんが取り扱う〈Panasonic製〉)には教会の掃除をする上で大いに助けられている。

 

いわゆる、〈土足解禁〉を教会の皆さんに始めましょうよ、と提案した言い出しっぺとしては、なんとしてもこれまで以上に教会内が美しく、しかも、お掃除当番の方々の負担増がないように、と願っていたのだった。

 

何しろ、創立115年目にしての大変革?だった。

 

実は、ロボコンが活躍するためには人の手が様々に掛かる。

 

いきなり彼に働いてもらうのでは負担が大きすぎるし、彼の得意分野が生かされない結果になりかねないのである。

 

下準備というのか、一応のモップ掛けやクイックルワイパー系のものを使って掃除をする。そして、それからあとの、細かなところをロボコンに助けてもらっている。

 

したがって、ロボコンが働きやすい環境をつくるために、応援部隊の目立たないところでの奉仕、例えば〈椅子〉や〈ゴミ箱〉の移動や、ロボコンのあらぬところへの侵入を防ぐ手立ては必須なのである。

 

わたし自身、毎日曜の夜遅くには礼拝堂と集会室にモップ掛けをして彼の出番に備える。30分程掛かるけれど、そんなひと時が、土日の緊張をほぐしてくれる場となっている。何しろ、わたしの神学生時代の仕事のひとつは、とある教会での清掃だったのである。

 

先週、ロボコンのだいじな回転ブラシを初めて交換した。開ききってしまって、お湯につけて整えることも不可能になってしまったのだった。

 

開ききった一年と少し使用してきたブラシと新品のブラシを比べてみると、あらためて「ロボコン、一年間ありがとう」と思った次第である。

 

そう言えば、先の大地震を想定しての避難訓練。表通りへの避難となれば、靴の履き替えどころではなかったことに気付く。やっぱり土足解禁してよかったのだなと思う。(もり)

 


6月24日(日)聖霊降臨節第6主日の献花です。何という落ち着き。色合いのすばらしさ。感動しました。
6月24日(日)聖霊降臨節第6主日の献花です。何という落ち着き。色合いのすばらしさ。感動しました。

◎2018月6月24 ・ 【 窓 168号

   『 マタイが好きです 』

 

6月22日(金)、教会から車で10数分。旭東教会からだと岡山市内中心地寄りの〈可知(かち)〉という町の方に用があり、金曜の夕刻、八重子さんのお宅を訪問した。

 

2015年4月5日は「イースター・復活祭」だった。その日が私にとって旭東教会での初説教の日曜だったのだが、八重子さんはその日に初来会の同級生にあたる。

 

その後、八重子さんは、洗礼を受けられた神戸の他教派の教会から旭東教会への転入会に導かれた方。

 

                **************

 

八重子さんのお話を聴いているうちに、何かの拍子に、毎朝、兵庫県に在住の娘さんから携帯に届くという聖書日課のお話が出て来た。

 

わたしはそのことを以前にも聞いていたが、どうやら、毎日娘さんからの配信を元に、八重子さんは忠実に聖書を開いて読まれているご様子。おそらく、お祈りとセットだろうと思う。

 

同時に、ご自分のペースで娘さんから届く聖書日課とは別に、聖書を読んでおられることがわかった。

八重子さん、笑顔でこう言われたのだ。

 

「先生、私、マタイ福音書が好きなんです」

 

私はその言葉を聞いて、少しオーバーに言えば、飛び上がるほど嬉しかった。なぜなら、4年前の八重子さんは、福音書の違いがどれほどあるのかということなどハッキリと理解されていなかっただろうと思う。

 

さらに、「好きな福音書はマタイです」と言えること自体に、信仰生活の深まりが表れていることを確信したからだった。

 

私は神学校の最終学年の頃に、新約学の教授から、とある場所で、「森さんは、どの福音書が好きですか」と聴かれたことをハッキリと記憶している。

 

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更に耳を傾けていると、八重子さんの日々を支える大切なみ言葉はマタイによる福音書6章34節「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」だということを知った。

 

「その日、その日を感謝して生きることを大切にしています。それが一番大事だと思っているので、誰に対してもそう伝えられるのです」という意味のこともお話になった。

 

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30年近く前、東京都練馬区の桜台という町の6畳ひと間と小さな台所のあるアパートに暮らしていた私は、地下鉄有楽町の氷川台駅(東武東上線と相互乗り入れ)から電車に乗り込んで会社勤めをしていた。

 

満員に近い列車の中、受洗時に頂いた聖書を体をよじらせながらも読み、自分を支えてくれるみ言葉を探していた当時のことを思い出した。列車を降りてから、会社までの徒歩10分程が貴重なお祈りの時間だった。

 

牧師として生きている今、説教する者として聖書を読みがちな自分が居る。昔は、単純に、いいなぁ、と思う救いの言葉を探していたと思う。

 

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「私は教会で奉仕が何もできなくて申し訳なく・・・・・・」とおっしゃる八重子さん。

 

私からすると、「いえいえ、それは八重子さんにしか出来ない伝道ですよ、本当にすごい!有り難い」と思うような執りなしをなさっていることも言葉にされた。

 

もっと正確に言うならば、八重子さんは、それが伝道であるとか執りなしと考えておられるわけではない。

 

ご自分の控えめに語られる信仰生活を静かに語り伝えていることが、実は最大の伝道なのだ、と無意識のうちに証しされているのである。

 

こういう嬉しいことが起こると、私はすごく安心して元気が出る。

 

何より、聖書を信頼し、毎日を感謝してお過ごしの八重子さんの素朴な信仰にふれ、私は信仰の原点に立ち帰らせて頂いたと感じている。心から感謝。(もり)

 


6月17日(日)早朝、お台所でカレーを食べる会の準備をしてくださっている女性たち。Sさん、ここでも心をこめてご奉仕下さってました。
6月17日(日)早朝、お台所でカレーを食べる会の準備をしてくださっている女性たち。Sさん、ここでも心をこめてご奉仕下さってました。

◎2018月6月17 ・ 【 窓 167号

   『 小六で覚えた賛美歌 』

 

6月13日、水曜日の夜、受洗後1年目講座の時間をもった。私ともう一人役員さんに居て頂くことにしてSさんを迎えた。

 

会の冒頭「Sさんの今お好きな賛美歌は?」とお尋ねすると、即座に「504番の〈主よ、み手もて〉です」と答えられた。

 

「なにか切っ掛けがありますか?」と聞くか聴かないうちに、「NHKラジオ講座の基礎英語を聴くために父が買って来たラジオで、夜9時からいつも流れていた番組があって覚えました。辛いことがあった頃でした。布団の上で歌詞を暗記するほど好きで大人になっても口ずさみました。」と続けてくださった。

 

そして、「クリスチャンでもない私が大きな声で歌ってよいのだろうかと、ずーっと思ってました」とお話になった。

 

これは、受洗準備の頃にも伺った言葉だったかも知れない。しかし改めて聴くと、Sさんの誠実さを思わずには居れない。

 

小学校6年生の時から、教会にお出でになるまでのあいだ、ずーっと〈主よ、み手もて〉を心の支えにして来られたこと。それは、神さまのご計画だったのだなぁと確信する。

 

そして、40年以上前、独りの少女の魂に、み言葉ではなく、まず賛美歌が福音として宿っていたことに驚きを覚える。賛美歌ってやっぱり素晴らしいなぁ、とつくづく思うのだ。

 

Sさん、「504番の3節はまったく知りませんでした。ラジオで流れてなかったのかも知れません。今は3節が一番好きです」と教えて下さった。3節にはこうある。

 

   主よ、飲むべき わがさかずき、
   えらびとりて さずけたまえ。
   よろこびをも かなしみをも、
   みたしたもう そのまま受けん

 

1年近く前から、旭東教会の礼拝では賛美歌の歌詞をスクリーンに写し出しているのだが、その歌詞の準備を担当して下さっているのはSさんだ。初めは数曲だったが、今では全曲となっている。

 

この奉仕を続けていかれると、Sさん、ますます賛美歌の歌詞を大切にされる信仰が深まっていくことだろう。

 

「もう一つくらい、お好きな賛美歌あるでしょ?」とお聴きすると、「513番の〈主は命を〉」ですと即答頂いた。やはり歌詞を大事に思って居られることを教えて下さった。

 

日頃からそういう思いを抱いておられることがずーんと伝わって来て感慨深い。

 

礼拝や祈祷会では、じつに生き生きと大きな声で賛美するSさんのお姿が目に入ってくるこの頃である。ただただ主に感謝。(もり)

 

 

 


4月16日(月)の午後、ジュニアサークルのイースター礼拝に出掛けたサイの公園に出掛けた。新緑の銀杏の木の下にサイのお尻。心がなごむ。
4月16日(月)の午後、ジュニアサークルのイースター礼拝に出掛けたサイの公園に出掛けた。新緑の銀杏の木の下にサイのお尻。心がなごむ。

 

◎2018月4月15 ・ 【 窓 158号

    『 素敵な嘘 』

 

旭東教会から車で30分と少し。

 

ハンセン病の療養所内にある光明園家族教会の礼拝形式の祈祷会の奉仕に出掛けた4月11日(水)は忘れられない一日となった。

 

当日は、妻の友人も大阪からやって来ていたので、3人で車に乗り込んで出掛けた。

 

その日の祈祷会には、とても快活なH子姉も出席されていた。お伴の方も居られてお嬢さんかな、という位の年齢の方。大阪府の堺市からお出でだという。

 

光明園家族教会の方が「いやぁ、H子姉には負けるなぁ」と仰る声が聞こえていたが、最初はなんことだかわからなかった。

 

わたしは手のひらに「H子」とメモ。あとで必ずご挨拶をと思った。

 

**************

 

祈祷会終了後のお茶の時間、H子姉は、随分昔から光明園家族教会の祈祷会に定期的にお出でになっている方と知ったが、わたしは初対面。でも、この日お目に掛かれて本当に幸いだった。

 

手作りの名刺を頂いたり、あれこれと話が弾んだのち、間合いを見計らって、わたしは「お歳をお聞きするのは失礼だと承知していますがお幾つですか?」とお訊ねした。

 

するとH子姉はにっこり笑顔で、「そう、先生、失礼ですよ。1920年生まれ」とお答えになった。

 

光明園家族教会の長老が90歳。それを超えてお歳を重ねられた方なのだなぁと感じてはいたが、一瞬頭が回らなかった。今年は2018年だから、98歳である。

 

大正9年生でこのお元気さはいったいどういうこと!と思わずにはおれない。

 

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H子姉からいろいろと伺っていると、週5日は俳句ほか予定がびっしりとあると言われる。「では、あとの二日は何を?」とお訊ねすると、「金曜と日曜は教会です。20分程歩いて通っています。帰りは送って頂くことが多いかしら」と続いた。

 

さらに、H子姉のお話に心を傾けていると、どうやら定期的に老人ホームのお茶汲みボランティアもなさるらしい。

 

「わたしが本当の歳を言うと、入所されている皆さん年下だから恐縮なさるでしょ。だから嘘をついてね。でも、この嘘だったら神さまも赦して下さると思ってます・・・」とお話になった。

 

アーメンである。

 

デジカメもごくごく普通に使いこなされ、先生、住所を教えて下さい。先生、写真できたらお送りしますから、と言われる。実際、数日後には丁寧なというのかチャーミングなお便りと共に、素敵な写真が堺市から届いた。

 

光明園からの帰りはJR西大寺駅までわたしの車に乗って頂いた。数年前の教会学校のイースター礼拝の時には、公園の木登りを、こどもたちと同じようになさったとか。木登りする95歳?のおばあちゃま、なんて初耳である。

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お元気の秘訣はおみ足が丈夫なことも大きいと感じた。日本各地の名山をほとんど登山されて来たそうで、足腰の丈夫さには相当な自信がお有りだとわかった。

 

H子姉を駅前に下ろしたあと、わたしは直ぐに、旭東教会の長老94歳の正兄に興奮気味に電話を入れた。

 

「す、す、すごい方に、光明園家族教会でお目に掛かりましたよ。98歳のH子姉。ほんと、ピンシャンです。正さんよりも毎日やりたいことがありそうなご様子でした」と。

 

「いやぁ、それは嬉しいです。負けてはおられませんな」が正さんの締めくくりのお言葉だった。

 

H子姉。

 

あまり先の予定は立てないとも仰った。どんな文脈だったかは忘れたけれど、地上での旅路の終わりは「明日かも知れないでしょ」とキッパリと光明園家族教会の長老に語られた。

 

本当に教えられること、励まされることの多い2時間余りだった。いのち輝くH子姉に出逢えて、ただただ感謝である。

 

またお話を聴きたいと思っている。(もり)

 


4月8日(日)のイースター礼拝・愛餐会のあと、十文字平和教会の方々と森牧師で記念の一枚 旭東教会礼拝堂にて
4月8日(日)のイースター礼拝・愛餐会のあと、十文字平和教会の方々と森牧師で記念の一枚 旭東教会礼拝堂にて

*4/1の窓は記述内容に鑑み、ホームページでは公開しておりません。 

◎2018月4月8 ・ 【 窓 157号

    『 十文字平和教会

      MMさんより

        旭東教会御中 』 

 

4月1日(日)は2018年の「イースター・復活祭」だった。この日から、旭東教会の牧師であるわたしは、神さまのお導きにより、この2年間礼拝応援に出掛けていた十文字平和教会の兼務主任担任教師としての責任を担うことになった。
 当日は、十文字平和教会の方々からのお申し出があり、旭東教会での合同礼拝となった。豊かな礼拝だった。そして、昼からは愛餐会と続いた。
 火曜日だったと思うが、以下にご紹介するお葉書が教会宛に届いた。何度読み直しても素晴らしい味わいのあるお便り。
 以下、ホームページ版は色々と考えて一部を削らせて頂いているけれど、それでも十分にMMさんの熱い思いが伝わってくる。味わって頂ければ幸いです。(もり)

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 主に感謝
 旭東教会の皆様、本日は本当に有難うございました。
 長い間便り等、書いたこともない私が書かずにはいられなくて・・・・・・ 御すし、多くさんの食べ物、おいしかった。あれだけの量を作られた方々大変だったでしょう。
 そちらに居らせて頂いて居る間に、段々 段々 楽しくなって来て、皆様どなたもニコニコしてらしてやさしく接して下さり、私の心は温かくてたまらなくなった。
 くそ この楽しさ、嬉しさを ・・・・・・出ていたら もっと上手に 表現出来るのに。  ありがとう
              岡山市北区日近(ひじかい) MM

 


もう少し受難節・レントが続きました、当然、その先にあるイースターに向けての準備が必要ですね。寿子さん、美樹さんが知恵を絞り時を捧げてくださって完成の復活祭のご案内です。ほとんど牧師は口出ししていません。嬉しいです。
もう少し受難節・レントが続きました、当然、その先にあるイースターに向けての準備が必要ですね。寿子さん、美樹さんが知恵を絞り時を捧げてくださって完成の復活祭のご案内です。ほとんど牧師は口出ししていません。嬉しいです。

 ◎2018月3月18 ・ 【 窓 154号

       『 教会トイレ事情 』

 

びろうな話?

 

いえいえ、今週も大事なお話を一つ。

 

わたしも多くを学ばせて頂いている、ある伝道熱心な先生のご本によれば、「トイレは我慢して外に出てからよそで」という教会には、新来会者の方は二度とお出でにならないと記されている。

 

同様に、説教者の声が聞き取りにくい教会も要注意と言う。声が聞こえないということは様々な場面で疎外感を感じるし、周囲の人たちの配慮が必要、というのもうなずける。

 

さて、旭東教会の現在のトイレ事情はどうか。

 

昨年秋の大改装後、思いがけず続いた年末年始の葬儀、会堂が満杯となる100人規模の世界祈祷日の集会でも、安心してお客様をご案内できて一安心との声があった。

 

トイレのみならずではあるけれど、私もつい小まめに掃除をしたなる。

 

教会でのゆったりとした交わりの中、トイレ空間に身を置くとほっとする瞬間が生まれるのは有り難いことだと思う。

 

やはり、トイレの居心地、安心感はゆるやかではあるけれど深い所で伝道に通じているようだ。(もり)

 

 


3月11日(日)の礼拝後、創作紙芝居で『幸福の王子』を演じてくださった布下満さんは十文字平和教会の会員です。このサンタさんの作者でもあります。いや、よーくみると本当に精巧なお人形なのです。
3月11日(日)の礼拝後、創作紙芝居で『幸福の王子』を演じてくださった布下満さんは十文字平和教会の会員です。このサンタさんの作者でもあります。いや、よーくみると本当に精巧なお人形なのです。

 ◎2018月3月11 ・ 【 窓 153号

       『 説教者のつとめ』

 

私が献身する少し前の20代半ば頃(当時の私は、様々な小劇場の芝居をわりにこまめに観ていた)、劇作家・放送作家・小説家として知られる井上ひさしさんが当時主宰していた劇団「こまつ座」の芝居を東京・浅草公会堂で観て深く感動したことがある。

 

井上ひさしさんはカトリックの信者か、あるいはそれにかなり近い環境の中で幼少期を過ごした、と聴いたことがある方だ。

 

その井上ひさしさんの語録の一つに、「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」がある。

 

最近、出典を辿(たど)ってみた所、〈仏教の説教者〉の話術の極意を井上さん流に言い換えた言葉だと知った。印刷物としては劇団発行のものに載っているらしいことが、国立国会図書館への問い合わせ情報で確認できる。

 

「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」

 

深い言葉だと思うし、大事にしたいことだと無意識のときも含めて、常々考えている。井上ひさしさん、すごい!と心底思う。

 

てっきり、井上さんのことだから、書き物の関連の言葉なのだろうとの先入観があったのだが違った。

 

国語辞典を引くと「つとめ」は「務・勉・勤・努」の文字があてられる。学ぶに終わりなし、といつも思うのだが、説教者のつとめもたゆまぬ修行が必要だなと思う。

 

修行とはもちろん、座学を言うとは限らないのだが。(もり)

 


1月28日(日)の特別伝道礼拝の説教の中でふれた大分上野丘高校1年生当時(1976年・昭和51年・9月)の実力考査成績表。11月、1月と同様の状態が続いていた。
1月28日(日)の特別伝道礼拝の説教の中でふれた大分上野丘高校1年生当時(1976年・昭和51年・9月)の実力考査成績表。11月、1月と同様の状態が続いていた。

 ◎2018年1月28 ・ 【 窓 147号

    『 病床受洗 』

 

31年前、私が洗礼を受けたのは東京下町・浅草橋にある柳橋病院という、当時は順天堂大学の関連病院の一室だった。タクシーの運転手さんの指定病院であることや、川越しに、両国国技館の相撲の太鼓の音が聞こえて来ていたのを覚えている。

 

母教会・銀座教会で復活祭(*イースター)に幾人かの方々と一緒に受洗の予定だったが、20代半ばになってから闘病が始まったB型慢性肝炎(現在は奇跡的に完治)の幾度目かの急性悪化で、またもや入院という事情だった。

 

主任牧師の鵜飼勇先生を始め、副牧師の斎藤寿満子先生、福音会英語学校でご一緒したことからその後ずっとお世話になった年配のO姉、青年会のF君も居られたと思う。

 

その日の、思いも拠らない病室のベッド上での受洗が、その後の私に明確な決心を与える事になるとは思いもしなかった。それが病床伝道だった。

 

ちなみに当時の私は、肝癌で帰天した母と同じ52歳で人生は終わると信じていた。この命には限りがある。人生に悔いを残さないためにも、病床にある方たちの為に、救いの福音を運んで行く働きに専心仕えたいと真剣に祈り始めていた。

 

「受洗で何かが変わりましたか?」と問われるならば「変わりました」と即答する。

 

有り難いことに、私は新しい人となり今年58歳を迎える。今日は特別伝道礼拝の日曜日である。(もり)

 


S君が二日間を見守った葬儀のお花の一部。
S君が二日間を見守った葬儀のお花の一部。

 ◎2018年1月14 ・ 【 窓 145号

        『 地獄? 』

 

〇〇信治兄の葬儀が執り行われた二日間をずーっと一緒に過ごした小学5年生の少年が居た。

 

安佐子姉の弟さん、K兄のご子息・S君だ。

 

以前、教会に来てくれた時は、ドッチボールを頑張っている、と話していた記憶がある少年だった。

 

信治兄の告別式を終えて、西大寺の斎場での火葬が始まり、待合室で皆さんとひと息いれ、一時間が過ぎた頃だったと思う。お父さんに連れられてS君が私の側にやって来た。

 

お父さんが「先生に質問があるんだよなぁ」と言うとコクリと肯いた。

 

聴いてみると、信治さんの葬儀、前夜式・告別式の式辞には〈天国〉はなんども出て来たけれど、〈地獄〉はなぜ出て来ないのか…、とのこと。

 

何とも素晴らしい質問だ。

 

少し慌てたが、マタイ福音書25章41節を交えながら一所懸命に話した。途中、お骨拾いが始まったので、席を移して食事の前にも続きを話した。

 

S君が聴きたかったことは見つかったのだろか。あるいは、ますます何かが気になり始めたのか。

 

後日、安佐子姉から、「時が来たらS君へ」と信治さんが買い置かれていたという、子どものための聖書を手にして帰宅したそうだ。さて、どこをめくっているだろうか。

 

楽しみに次の機会を待ちたい。(もり)

 

 


2017年12月12日(火)朝 徹さんの告別式の朝の礼拝堂にて
2017年12月12日(火)朝 徹さんの告別式の朝の礼拝堂にて

 ◎2017年12月17 ・ 【 窓 141号

       『 最期の言葉 徹さんの場合 』

 

※大辞林によれば 「同音語の「最後」は物事の一番おしまいのことであるが、それに対して「最期」は人の死にぎわのことをいう」とある。

 

12月10日(日)の朝、天国に召されていった〇〇徹兄の葬儀(*〈〇〇正兄〉の10歳下の弟さん)。

 

故郷・西大寺(*旭東教会)でのお別れはご家族だけのひとときとなり、「知らない人が一人もいなかった」という温かな時となった。

 

つまり、この度の葬儀は、教会員の列席はなかったわけだが、ご遺族の選択であり、しばらく教会から離れておられたご夫妻の日々から考えると、それが自然だったのだと思う。

 

**************

 

前夜式・告別式で一同で歌った賛美歌。

 

それは、徹兄が9月上旬の夕べに、ふらりと来会され時にリードオルガンで奏でられた「いつくしみふかき」「きよしこのよる」だった。

 

この時、徹兄は、わたしが着任してから初めて礼拝堂に足を踏み入れられたし、そうでなくとも、相当久しぶりの礼拝堂だったと思う。

 

「いやぁ、懐かしいなぁ」を繰り返しておられた。

 

**************

 

そして、もう一つの賛美歌は、9月10日(日)の恵老愛餐会でご自身が歌われた「うるわしの白百合」だった。

 

その日徹兄が歌われた「うるわしの白百合」は、決して上手に賛美できたわけではない。

 

愛餐会では、徹兄はご自分では、もう少し上手に歌えるイメージを抱いておられた様子が端から見て伝わって来ていたから(少なくとも私にはそう見えた)、ほろ苦い時間でもあった。

 

だが、それはそれですごくいいものだったと思う。

 

今振り返って見るならば、徹兄は、帰るべき場所に帰ってきた。天国への旅立ちの準備を始めておられたのだと気付かされる。

 

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告別式で〈思い出〉を語られたご長女によれば、召される二日前、耳元で「ママごんが来たよ」と伝えると、苦しい息の中「ママごん、ありがとう、ありがとう」を繰り返しておられたとのこと。

 

美しい言葉での旅立ちに感謝。

 

奥さまもその言葉を抱えて、今を、これからも生きて行けるはず。

 

わたしたちも倣いたい。(もり)

 

 


文集に出てくる祖父のNEB(THE NEW ENGLISH BIBLE)の最終ページ。万年筆を愛用していた祖父ならではの文字。ヨハネの黙示録22章です。私の宝もののひとつ。
文集に出てくる祖父のNEB(THE NEW ENGLISH BIBLE)の最終ページ。万年筆を愛用していた祖父ならではの文字。ヨハネの黙示録22章です。私の宝もののひとつ。

 ◎2017年12月3 ・ 【 窓 139号

   『 えんがわの歌 』

 

祈祷会では月初めのイエスさまの譬え話を学ぶ会以外は、こつこつと詩編を読み続けている。過日は、詩編71篇を祈祷会で学んだ。

 

71篇、作者はダビデの名を借りた老人(或いはそれに近い世代の人)と思われるが、この人は賛美歌を大切にしていることに気が付いた時、わたしは、なぜか父方の祖父・明麿(あきまろ)じいさんを思い出した。

 

**************

 

私は12歳まで、両親と姉と4人で〈納屋〉を改造した家に住んでいて、食事や風呂は祖父母の暮らす母屋で、という毎日だった。

 

トイレはあったものの、炊事場はなく、簡易ながらも流しが届いた時には飛び上がるほど嬉しかったものだ。

 

話は戻って、祖父のことである。

 

祖父・明麿は、孫が言うのもどうかなと思うが、勉強熱心なクリスチャンだった。というよりも、信仰の篤い人だったと思う。

 

**************

 

手元にある祖父の遺品、英語の新約聖書(THE NEW ENGLISH BIBLE)の最終ページの通読記録を見ると、1977年(昭和52年)に初めての精読了76歳と記録し、その時は2年間掛けている。しかも、他の英語聖書とも併読(Rsv)とある。

 

その後、1979年晩秋に78歳で読了、1981年早春読了、1983年初夏6月読了、1984年早春2月読了83歳、1987年早春1月読了86歳、1988年初秋9月1日読了87歳、1989年秋10月24日読了88歳とある。

 

神学校に入学したわたしのことをこの記録に拠れば知っていたことになる。

 

**************

 

だが、そんな祖父から、私は聖書の話をじかに聴いたことはなかった。

 

ところがである。祖父は縁側(えんがわ)にどっかりと腰を下ろして、しばしば音痴も気にせず賛美歌を歌っていた。

 

ただそれだけのことながら、振り返って見ると、その賛美歌を聴きながら私は間違いなく成長していったのだ。それは、祖父自身も知らざる伝道だった。

 

今、賛美歌が好きなわたしのルーツが「えんがわの歌」にあったことを知った。(もり)

 

 


野外バーベキューの会場となった十文字平和教会の「愛の鐘ロッジ」のステンドグラス。時を経て、あらためて見つめてみると、なんて素敵なステンドグラスなのだろう、と感じる。ベニヤと丸太に浮き彫りになる十字架。イエスさまが貼りつけにされるに相応しい十字架だ。ノアの箱舟の物語の虹への思いも起こされる。
野外バーベキューの会場となった十文字平和教会の「愛の鐘ロッジ」のステンドグラス。時を経て、あらためて見つめてみると、なんて素敵なステンドグラスなのだろう、と感じる。ベニヤと丸太に浮き彫りになる十字架。イエスさまが貼りつけにされるに相応しい十字架だ。ノアの箱舟の物語の虹への思いも起こされる。

  ◎2017年9月24 ・ 【 窓 NO.129

      『 史上初 バーベキュー礼拝 』

 

2016年4月から、礼拝応援ほかの為に月に2度伺っている十文字平和教会からのお招きを受け、総勢20名が愛の鐘ロッジでの野外バーベキューに参加した。

 

クルマ5台を連ねてのひとときは、単にドライブ以上の貴重な時間になったような気がする。他の4台の車中の様子は分からないが、おそらく、なにがしかの新しい何かを産み出すひとときとなったのではないだろうか。

 

旭東教会のこの20名という参加人数。

 

十文字平和教会の方たちからするとおそらく倍近い数。準備は緊張と不安も伴ったのではと思う。だからこそ、なおのこと、迎えてくださった十文字平和教会の方たちにはあらためて感謝で一杯だ。

 

当日は、十文字の方々10名と他教会10名の参加者があったのっでおよそ40名ほどの集い。

 

台風一過の爽やかな秋空の元、聖書を読み、『日々の聖句・ローズンゲン』を読み、賛美し、祈り、各自挨拶など、出会いを分かち合った。もちろん、肉や野菜・おにぎり・お好み焼き・栗・ピオーネ・アイスクリームも満喫。

 

わたしはと言えば、いつものようにカメラをもって、集った方々の笑顔を追っていたけれど、さまざまな場面での、主イエス・キリストにある語らいの場面が見られて幸せを感じた。それはまた、参加した一人ひとりの実感かも知れない。

 

野外バーベキューの終了の間際、ご自身が創作されたフランダースの犬の紙芝居を旭東で上演して下さった、この日の総合司会のN満兄が近づいて来られた。

 

そしてこう言われた。

 

「もり先生、終わりに祝祷お願い出来ないでしょうか」と言われた。

 

もちろん喜んで引き受けたのだが、祝祷する迄の数分の間に、私には思いも寄らなかった気付きが与えられたのだった。

 

それは、我々が40名が集い共に過ごしていたこの2時間余りは、実は、礼拝そのものだったのでは、というものという確信である。

 

祝祷するだけではもったいない、と思った私は、明確にこの時間が礼拝だったのだということが分かるようにするために、頌栄「父・子・み霊の」を賛美することにした。その意味するところの説明も行った。

 

そして祝祷。

 

祝祷の時、一同の心の目は開かれたのだと思う。そうだ、これは丘の上の〈バーベキュー礼拝〉だったのだと。(もり)

 

 


2017年8月6日は平和聖日 聖餐式をおこなった 杯は備前焼 会員の陶芸家明美さん作
2017年8月6日は平和聖日 聖餐式をおこなった 杯は備前焼 会員の陶芸家明美さん作

◎2017年8月6 ・ 【 窓 NO.122

       『  神の言葉への期待  』

 

若松英輔という方が居られる。

 

『イエス伝』(中央公論新社)も書かれる随筆家であり批評家、そして薬草商でもある。1963年生まれだから同世代の方だ。

 

薬草商という珍しいし仕事に携わっておられることは実に興味深い。

 

そこにたどり着くまで、若松氏の人生の紆余曲折があるらしい。順風満帆からは程遠い歩みを経験されているそうだ。近しく思う。

 

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詩人の〈和合亮一氏〉は〈若松英輔氏〉と書簡のやり取りをする信頼し合う間柄だが(『悲しみが言葉をつむぐとき』岩波書店)、あるところで若松氏の詩を読み解かれ、こう記されている。

 

【私たちは薬草の「はたらき」のように、ゆっくりと確かに効能が現れてくる言葉や詩を欲している。若松英輔氏はそれを伝えたいのではないかと思った】と。

 

**************

 

私も初めての詩集だという『詩集 見えない涙』(亜紀書房)の作品「薬草」に惹かれた。

 

以下は、その一部。「言葉」に心を向けて黙想すると、実に深い余韻がある。以下、「言葉」に添えた〈〉は私の手によるもの。

 

**************

 

○「誰が命名したのか  言葉〉は その名のとおり 植物のはたらきに よく似ている 予期せぬ場所から 舞い降りて 人生の季節が変わったと しずかに告げる」

 

○「薬草が必要なときは どんなに苦くても ぐっとこらえて とり入なくてはならない 〈言葉〉も同じだ 苦い言葉も あるときは じっとこらえて 受け容れなくてはならない」

 

○「薬草は じっくり煎じてから飲む 効能が潜んでいるのは色素 薬効が からだに浸透するにも 少し時間を要する 〈言葉〉も同じだ 隠れている意味の色を 時間をかけて ゆっくり 味わい 感じなくてはならない」

 

○「ときには ひとつかみの 草を探すためだけに 山深く 分け入らなくてはならないように たった一つの〈言葉〉を探すために 人生の長い旅に出なくてはならないこともある」

 

**************

 

若松氏は「言葉」の力に信頼している方だと、薬草の効能のようにじんわり、否、確かに伝わって来る。

 

そう、もしかすると、聖書に馴染んで居られない読者には感じないかも知れないが、彼は明らかに、いつも聖書を心の片隅に置いているのだ。

 

実際若松氏は、井上洋治神父さま他の影響を受けたカトリックの信者さんだと聞いた。

 

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私たちはいったいどのような〈言葉〉を探す旅を続けているのだろう。

 

どんな効き目の〈言葉〉があれば、薬草がなくとも癒しや救いを経験できるのだろうか。

 

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共に思い巡らして見よう。

 

私たちには〈み言葉=イエス・キリスト〉があることを。

 

やはりそう想うのだ。(もり)

 

  


2017年3月12日(日)、礼拝堂の献花の中に様々な春が隠れている。
2017年3月12日(日)、礼拝堂の献花の中に様々な春が隠れている。

   ◎2017年3月12日 ・ 【 窓 NO.101

       『  床屋さん 』

 

幼い頃のことも含めて引っ越しの多かったわたし。

 

これまで何軒の床屋さんに行ったことかなと思う。小学校の頃は、自転車で10分、江村理容店の土佐犬を自転車で散歩させていたこわーいおじさんと、かたや、まったく正反対のお人柄に見える優しいおばさんの所に一ヶ月に1度出掛けていた。

 

「げんちゃん、髪が赤いのは、わかめを食べんからや」と注意されるのが辛かった。

 

中学生の頃から、あーでもない、こーでもないと友人らと言いながら、少しでも自分の思いに近いカットをしてくれる床屋さんをさがし始めたような気がする。

 

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岡山に来てからも何軒かの床屋さんに行った。

 

ま、これ位ならいいか、と思って妥協することもあったし、安いから仕方ないなと考えたりもした。

 

いいかなぁ、と思いかけた床屋さんの店主が、こちらの好みを行く度に伝え直さなければならない人だと気付いてガッカリしたり、だった。

 

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ところが、心底素晴らしいなと思う理容師さんに、この度ついに出会った。お値段もフルコース?で2,500円は決して高くない。

 

お名前は土居さんと言う方で50代の女性。

 

とあるお店のスタッフで経営者でもない。一回目の時に「店長さんですか?」と私が言うと「とんでもないです」と言われた。

 

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何に感動するのか。

 

彼女にとっては当たり前らしいさり気ない職人技があるのだった。

 

理容師さんの世界では今では当たり前なのだろうか。初めて出会った時、おおむねのカットが終わったところで、「ドライヤーで乾かしてちょっと確認しますね」と言われたのにまず驚いた。

 

濡らしたままのカットでは確かに仕上がりがわからないとは思う。

 

でも、人生56年と数ヶ月。そんな風に言われた理容師さんは一人もいなかったのが現実。

 

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今回はシャンプーの丁寧さに驚いた。

 

前回は若手の方に分業するようにして任せられたので土居さんは担当されなかったのだが、シャンプーが始まって直ぐに何かが違うと感じ、終わる頃には確信に変わった。

 

お声を掛けて手を止めてもらって「不満ではなく、感謝ですよ」と伝えながら「土居さん、土居さんの洗い方、僕が自分で洗うのと全く同じ感じなんですよ。こんなの生まれて初めて」と。

 

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笑顔の彼女は嬉しそうに「自分の頭を洗う感じをいつも想いながらシャンプーするんですよ。前回も本部にメールに頂いて・・・・・・森さんには勇気づけられます」と言われた。

 

いいものや良いことに出会うと、自分の思いをお伝えすることが歳のせいか多くなったわたし。もう一つの気付きがあって更に続けた。

 

「土居さん、このお仕事が本当に好きなんですね」と。

 

肯く彼女は「休みの日も手を動かしてしまうんです」と仰った。

 

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YouTubeで「プロフェッショナル・仕事の流儀」という番組をたまーに見ることがある。

 

各分野でこつこつと当たり前のことを丁寧に続ける、その道の最高方の方々の仕事ぶりや信念、いや、生き方に本当に多くの刺激を受けている。

 

意識の高いプロフェッショナルとの出会いは、結果的には、牧師としてのわが身を顧みる最良の機会と思う。

 

学ぶに終わりなし、を思いながら仕えて行きたいものだ。(もり)

 


2017年1月29日(日)の礼拝収録が終了したあと、日々のキリスト教放送局・日本FEBCのお働きについて伺っているときのひとこま。
2017年1月29日(日)の礼拝収録が終了したあと、日々のキリスト教放送局・日本FEBCのお働きについて伺っているときのひとこま。

  ◎2017年2月5日 ・ 【 窓 NO.96

       『  伝わることば 』

 

キリスト教放送局・日本FEBCからの旭東教会での「主日礼拝収録番組 全地よ主をほめたたえよ」の取材のために、スタッフでパーソナリティも務める安保ふみ江さんが来会。

 

控えめでありながら爽やかに収録のお仕事を終えられ、すーっと旭東教会を後にされた。

 

なんと、旭東教会をあとにされたあと、さらにもう一つの協会取材に向かわれたとあとで知った。

 

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数日後「なにか、実家に帰ってきたような安心感で過ごさせていただきました」

 

「お昼もとても美味しい〈かけ汁〉!そして、何より皆様の明るい笑顔が、一番のごちそうでした」

 

とのとの嬉しいメールが届いた。

 

肌に感じられた率直な思い、と素直に受け取らせていただこう。ありがたいこと。今頃、2月10日(金)朝10時からのインターネット放送に向けて編集作業中なのだろうか。

 

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さすが、放送局でのお仕事を長年続けて来られた方と気付いたことがある。

 

それは、FEBCの日々のお働きやリスナーの方々との深い交流の様子について〈あかし〉をして下さった時のマイクの持ち方がさり気なく、美しく、的確だったこと。

 

この道に入られて28年とお聞きしたので、もう完全に無意識の世界かも知れないけれど、口元に向けるマイクの角度、何㌢くらい離せばよいのか、声の大きさの加減を熟知しているのだ。聴きやすい。

 

ワイヤレスマイクをお渡しするときに「かなり感度がいいと思います」と伝えたことがあとで恥ずかしくなった。

 

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東京の同労の仲間たち=伝道者たちが、もう70歳に近い大先輩も仲間入りして、舞台俳優さんさんから発声を学んでいることを最近知った。

 

どんなに素晴らしい説教であれ講演であれ、それが、聴き手に伝わらなくては元も子もない。学ぶに終わりなしをふと思い出した。(もり)

 


2015年11月22日(日)の礼拝報告時、関田寛雄先生をあらためて紹介。関田先生、ここでフーテンの寅さんを引用しながらみんなをお笑いさせられました(^^♪
2015年11月22日(日)の礼拝報告時、関田寛雄先生をあらためて紹介。関田先生、ここでフーテンの寅さんを引用しながらみんなをお笑いさせられました(^^♪

◎2015年12月13日 ・ 【 窓 NO.37】

    『  恩師からの補講の直後に  』

            (『週報』のミニコラムにちいさな加筆をしています)

 

過日、旭東教会の特別集会においで下さった関田寛雄先生は私にとって恩師とも言うべき方の一人。とは言え、世には「関田寛雄先生こそ我が恩師」と思っている人は何千人、何万と居るだろう、というレベルの話なのだが。

 

それでも、間違いなく、私自身が人として生きるとはどういうことか、クリスチャンとして牧師として、いつもその存在は重しとなり、座標軸となっていると思う。

 

旭東教会にお迎えした11月22日(日)の夜、妻と共に西大寺の片隅で夕食をご一緒させて頂いた。かつてはマイ箸を持って歩いておられたけれどこの間は出されなかった。

 

地元の岡山の米ビールなるもの少し口にされ、あれやこれやと話をし、いつしか、神学的な話題も食事の席で出てきた。特に、現場から生まれてくる言葉の重さについて考えさせられお話が展開していた。

 

関田寛雄先生は、各地の神学校で説教学や牧会学の講義も担当された方。現場に出て20数年の私は今頃になって教えて頂きたいなぁと思うことが不意に胸から飛び出した。それは「葬儀説教」についてのものだった。

 

先生の言葉を必死になってノートしたわけではないので、そのままをご紹介するわけではないけれど、先生は私の質問に対して、深く頷き、身を乗り出しながら3つのことを口にされたと思う。私からの問い掛けは敢えて伏せるけれど、それでも、葬儀全般に通じる大事なことをお話下さったと思う。

 

「その人がどんな人生を歩もうとしたのかを語りたいねぇ」「未来志向でね」「教会だけでしか通じない言葉は使わないように」。

 

思い掛けない形の「説教学」「牧会学」を兼ねたような補講受講後2週が経って、K義兄が召天。葬儀を迎えることとなった。(もり)

 

 


文中の萩焼のお店。扇窯 佐久間正和さんのお店。萩市川上2662が住所。
文中の萩焼のお店。扇窯 佐久間正和さんのお店。萩市川上2662が住所。

◎2015年9月27日 ・ 【 窓 NO.26】

 

『  旅の楽しみ  』 (『週報』のミニコラムをそのまま転載しています)

 ※〈加筆版〉は別ブログの【森牧師の部屋】というBlogに(赤をclick)にアップ予定です。 

 

▼夏休みを頂き久しぶりに九州へ向かった。途中、心地よい思い出のある萩市にも出掛けた。

 

萩焼が目的というわけではなかったのだが、ぶらぶらと歩いている内に青色の珈琲カップとお皿のセットが目に止まり2千円の買い物となった。

 

▼店番の婦人に「何だか、気分がいい作りですね、このお店」と話しかけた。

 

「一ヶ月前に開店したばかりなんです。夫が焼いたものを置いているのですが、この辺りにずっと店を構えたいと・・・・・・」との声。

 

▼ここ数年、色んな場で声掛けすることが多くなった。

 

歳だろうか。

 

いやいや、教会での出会いの数に比例し話し好きな人になって来たようにも思う。(もり)