【 窓 】 旭東教会の『週報』よりミニコラム


【 旭東教会の集会室に設置されているステンドグラス 「最後の晩餐」 】(下村満智子作)
【 旭東教会の集会室に設置されているステンドグラス 「最後の晩餐」 】(下村満智子作)

 教会員のK正兄による献品の下村満智子さん作のステンドグラス・「最後の晩餐」が集会室の〈窓〉として納められています。

 大きさはなんと2m×1m程もあり、とってもおおきな立派ものです。わたしたち旭東教会のちょっぴり自慢の〈窓〉です。集会室が実に格調高い空間になっています。教会の側道からもご覧頂けるように設置されています。ぜひ、お出かけ下さってご覧下さい。

 2012年10月18日(木)~20日(土)には、旭東教会を会場に下村満智子さんのステンドグラス展を開催。多くの方にご覧頂きました。


※以下、バックナンバーは容量の都合で削除しています。


2017年8月19日(土) 教会のある西大寺の町の風物詩 灯籠流しが行われた。こころ和む夜です。こんな町にある教会はしあわせかも知れない。
2017年8月19日(土) 教会のある西大寺の町の風物詩 灯籠流しが行われた。こころ和む夜です。こんな町にある教会はしあわせかも知れない。

◎2017年8月20 ・ 【 窓 NO.124

       『  やってみたわかったこと  』

 

「第1回きょくとう教会シネマ・夕涼み映画会」が無事に終了。

 

ごくごく身内である《 神の〈家族〉》を対象とする映画上映を教会で行った。楽しかった。

 

決してたくさんの来会者を求めていたわけではないけれど、1日目「ローマの休日」:16名、2日目 「カサブランカ」:18名はできすぎ。

 

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お出で下さった方々皆さんが、それぞれの思いを抱きつつ来会。楽しみにして居られたのだなぁ、という思いが自然に伝わってきた。

 

今後のさまざまな可能性が感じられ、企画の段階から相談しながら準備された共育委員の方々も一安心の様子。

 

なにしろ、定刻になっても映画が始まらない、なんていう悪夢を見たとは言われないけれど、かなり緊張して準備されたことは間違いない。

 

何度もスクリーンに写し出し、声は聞こえるか、大きすぎないか。

 

パソコンを使っているから、突然、マイクロソフトのupデートが始まったりしないか等など。本当に見えない所でのご苦労は計り知れない。

 

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10代後半から、それなりに、いやいやかなりの映画好き(だったはず)の私。

 

高校生の頃は、東京は池袋の文系座と文芸座地下だったか、二つの名画を上映する映画館によく出掛けたもの。どれほど多くのことを、そこで考え、吸収しただろうか。

 

40代前半の15年程前頃までは、日曜日の夜くたくたでも、深夜割引の上映を楽しみに出掛けていた。

 

ちょうど、当時暮らしていた新潟県の上越市にもシネマコンプレックスが誕生。日曜日の夜中まで、大いに楽しませて頂いたもの。

 

あるいは、福岡では、一般上映に先だっての試写会をよく申し込んでいたことを思い出す。

 

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ところが、そんな私だったはずなのに、この5年程で映画館行き自体がめっきり減ってしまった。

 

まだまだ還暦前(旭東教会の先輩方を前提にしての言葉です)の若さであるにもかかわらず「映画、いいんだけど疲れるなぁ。明日に響く」といつしか自己抑制し始めていた。

 

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この度の旭東教会での夜7時からの夕涼み映画会。

 

80代後半のご夫妻はラブラブに見えた。そしてとても楽しみにしていて下さったのが我々に伝わって来た。90代の方もお二人が来会。80代も、70代も居られた。

 

そう、いつもの教会ならば、夜でも安心・安全なのだ。これは実にたいせつな気付きと言える。

 

皆さん余力を残して名画を堪能し、家路につかれた。

 

私も、共育委員の皆さんも心の中に財産とも言えるおおきな力を頂いた。感謝。(もり)

 

  


2017年8月6日の平和聖日礼拝後、M姉に、岡山空襲を中心とした戦争体験をインタビュー形式で語って頂いた。
2017年8月6日の平和聖日礼拝後、M姉に、岡山空襲を中心とした戦争体験をインタビュー形式で語って頂いた。

◎2017年8月13 ・ 【 窓 NO.123

       『  防空壕  』

 

「十年一昔」というが、これは日本だけで通じる言葉なのだろうか。英語だと「Ten years can bring a lot of changes.」と言うらしいが。

 

だが、今を生きる私たちにとって、10年はそう昔ではないと思う。「ついこの間」くらいではなかろうか。二十歳くらいの方はまた感覚が違うのかも知れないけれど。

 

「15年前は何を?」と言われて全く記憶なし、という方は居ないと思う。

 

私の15年前は・・・・・・かなり鮮明に覚えている。もちろん、今より若かったよなぁ、などとも考えたりするが。

 

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私が生まれたのは昭和35年である。西暦で言えば1960年。東京オリンピックが昭和39年だから私にはその記憶は微塵もない。

 

そして、昭和35年は、戦争が終わってから〈まだ15年〉に過ぎない頃なのだ。

 

敗戦後の日本は、高度成長時代に向けて国中を挙げて足を速めて行った。その波に乗って私も育った。

 

わが家に車が無かったからかも知れないが、憧れであり本当に大好きな自動車が、幼い頃はエンジンから煙を上げ田んぼの真ん中で立ち往生という時代だった。だが、その後、様々な技術が本当に次々に発表され、成長は永遠に続くような感覚はどこかにあったと思う。

 

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私が幼小中学時代を過ごした大分県大分市の田舎の村(実際は〈大在村〉とは当時は言わなかったが、本当に村だったと思う)には〈防空壕〉が遺っていた。

 

草が入口付近にあったけれど間違いなく防空壕だった。

 

そこは、よく遊びに出掛けた〈たかゆきちゃん〉とか〈あだちくん〉の家の近くであり、また、お世話になったカトリック系の幼稚園の裏手の、少し薄ら寒さを感じる道端である。

 

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ところが、幼い頃から物心付いてからも含めて、〈防空壕〉がなぜここに掘られたのかについて、周囲の大人の誰も口にしなかった。

 

15年前の8月15日迄続いていた大東亜戦争)(=太平洋戦争)での敗戦に大人は目を背けたかったのか、それとも偶然か。

 

否、時代の必然だったのだろうか。

 

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先週の平和聖日。

 

1945年(昭和20年)6月29日の「岡山空襲」の折、防空壕で夜明けを待ったと語られたM姉は、召天後20年近く経つ私の父より二歳年下、また、52歳で召されていった母より二歳年上である。

 

両親が語らなかった、或いは語れなかったことを、教会で聴かせて頂く、とても貴重な証言だった。

 

そしてまた、M姉のお嬢さん(私より確か3歳上、姉と同じ歳)も、岡山空襲を母が語るのを聴くのは初めてだったと後で知った。(もり)

 

  


2017年8月6日は平和聖日 聖餐式をおこなった 杯は備前焼 会員の陶芸家明美さん作
2017年8月6日は平和聖日 聖餐式をおこなった 杯は備前焼 会員の陶芸家明美さん作

◎2017年8月6 ・ 【 窓 NO.122

       『  神の言葉への期待  』

 

若松英輔という方が居られる。

 

『イエス伝』(中央公論新社)も書かれる随筆家であり批評家、そして薬草商でもある。1963年生まれだから同世代の方だ。

 

薬草商という珍しいし仕事に携わっておられることは実に興味深い。

 

そこにたどり着くまで、若松氏の人生の紆余曲折があるらしい。順風満帆からは程遠い歩みを経験されているそうだ。近しく思う。

 

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詩人の〈和合亮一氏〉は〈若松英輔氏〉と書簡のやり取りをする信頼し合う間柄だが(『悲しみが言葉をつむぐとき』岩波書店)、あるところで若松氏の詩を読み解かれ、こう記されている。

 

【私たちは薬草の「はたらき」のように、ゆっくりと確かに効能が現れてくる言葉や詩を欲している。若松英輔氏はそれを伝えたいのではないかと思った】と。

 

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私も初めての詩集だという『詩集 見えない涙』(亜紀書房)の作品「薬草」に惹かれた。

 

以下は、その一部。「言葉」に心を向けて黙想すると、実に深い余韻がある。以下、「言葉」に添えた〈〉は私の手によるもの。

 

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○「誰が命名したのか  言葉〉は その名のとおり 植物のはたらきに よく似ている 予期せぬ場所から 舞い降りて 人生の季節が変わったと しずかに告げる」

 

○「薬草が必要なときは どんなに苦くても ぐっとこらえて とり入なくてはならない 〈言葉〉も同じだ 苦い言葉も あるときは じっとこらえて 受け容れなくてはならない」

 

○「薬草は じっくり煎じてから飲む 効能が潜んでいるのは色素 薬効が からだに浸透するにも 少し時間を要する 〈言葉〉も同じだ 隠れている意味の色を 時間をかけて ゆっくり 味わい 感じなくてはならない」

 

○「ときには ひとつかみの 草を探すためだけに 山深く 分け入らなくてはならないように たった一つの〈言葉〉を探すために 人生の長い旅に出なくてはならないこともある」

 

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若松氏は「言葉」の力に信頼している方だと、薬草の効能のようにじんわり、否、確かに伝わって来る。

 

そう、もしかすると、聖書に馴染んで居られない読者には感じないかも知れないが、彼は明らかに、いつも聖書を心の片隅に置いているのだ。

 

実際若松氏は、井上洋治神父さま他の影響を受けたカトリックの信者さんだと聞いた。

 

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私たちはいったいどのような〈言葉〉を探す旅を続けているのだろう。

 

どんな効き目の〈言葉〉があれば、薬草がなくとも癒しや救いを経験できるのだろうか。

 

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共に思い巡らして見よう。

 

私たちには〈み言葉=イエス・キリスト〉があることを。

 

やはりそう想うのだ。(もり)

 

  


2017年7月23日(日)夏のファミリー礼拝の献花 雅代さん あらためて見ますと、やっぱり色合いが見事ですねぇ。旭東教会は幸せです。
2017年7月23日(日)夏のファミリー礼拝の献花 雅代さん あらためて見ますと、やっぱり色合いが見事ですねぇ。旭東教会は幸せです。

◎2017年7月30 ・ 【 窓 NO.121

       『  かたじけない  』

 

キリスト教放送局日本FEBCFEBCによる旭東教会の礼拝放送があった7月23日(日)午後9時半、周波数AM1566にダイアルを合わせ、牧師館の居間で放送開始を待った。

 

取材があったのは、2017年1月29日、半年が過ぎた。

 

あの日のことを思い起こしながらラジオの前に身を置いた多くの教会の皆さんが居られたはず。

 

      **************

 

韓国済州島(チェジュとう)からのラジオ放送は雑音も入るし、電波の受信状態が怪しくなることもしばしばある。

 

しかし、それでもなおと言うか、それだからこそ、今ここに聞こえて来る声に耳を、いや、身を傾けることになる。

 

      **************

 

幼い頃に、どちらの放送かは不明ながら、布団の上に正座して賛美歌を聴き、聖書のお話を聴いていたというご婦人のお話を思い起こす。

 

インターネット放送と異なり、全く同じ時間に、日本の各地で耳を傾け、司式者の祈りに、全国で一斉に「アーメン」し、オルガンと我々の声に合わせて賛美する方が居られるのだなぁと思うと、感謝あるのみだった。

 

かたじけないことだと心底思う。

 

考えてみるならば、この日は、何千人、否、何万人もの人々と共に時を同じくして礼拝していたのだなぁ、と今更ながら気付かされる。

 

      **************

 

翌朝9時、倉敷市内在住の70代のご婦人から、「先週、〈次週は日本基督教団旭東教会の礼拝にあずかりましょう〉と聴いてから、心待ちにしていました」との電話があった。

 

兎にも角にも、ひと言を伝えてくれようとする思いが心に届いた。

 

やはり、FEBC頼みの方が居られることを直接に知った。他にも、以前の放送でも聴きましたが、あらためて、聴き直しましたというお声が届いた。

 

FEBCのスタッフの皆さまのたゆみない貴いお働きが守られること、ここまでの歴史があることを改めて心にとめて、祈り、応援し続けたい。(もり)

 

 

  


2017年7月23日(日)夏のファミリー礼拝の献花 雅代さん あらためて見ますと、やっぱり色合いが見事ですねぇ。旭東教会は幸せです。
2017年7月23日(日)夏のファミリー礼拝の献花 雅代さん あらためて見ますと、やっぱり色合いが見事ですねぇ。旭東教会は幸せです。

◎2017年7月23 ・ 【 窓 NO.120

       『  夢解き  』

 

7月20日(木)朝。

 

スロージョギング、シャワーも済ませたあとのの朝食の頃、何やら悪寒を感じた私。

 

準備された食事も半分程しか進まなかったので体温を引っぱり出した。測ってみると38度。驚いた。

 

実は、朝4時過ぎから、かなり激しい腹痛と下痢の症状があり、その後も複数回続いたので、考えてみれば、もうその時には既に熱があったのだなと気付いた。

 

前夜、ダンベル体操をPassしたのも何となくそうだったのではなく、既に、怠さが体にあったのだろう。

 

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祈祷会はとても無理と悟り、信徒の皆さんに委ね、いつもお世話になっている診療所に向かった。

 

念のために便の検査もしましょう、ということあったりで大変だったが、帰宅後は、ひたすら横になっていた。

 

例年ならば、冬から春にかけて必ず発熱する私が珍しく一度もカゼもひかず、インフルエンザにも罹らずで過ごしたツケ?が今頃まわって来たかも知れない。

 

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最近は、しだいしだいに長時間寝ているのが苦手になってきているので、久しぶりにずっと布団に入って横になるのも結構辛いもの。

 

すぐに腰が痛み始めた。

 

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極めつけは金曜日の日中見た夢だった。

 

なぜか、ほとんど出かけたことの無い大阪方面のとある駅でのこと。

 

目の前の階段が、なぜか足場が確保出来ない程に崩れ落ちているではないか。

 

もちろん夢だから状況設定など滅茶苦茶。しかし、困り果てるような状況に違いない。

 

途方に暮れてしまったわたし。うなされてか、目が覚めた。

 

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20代の頃、入退院を繰り返し、仕事も見つからないような頃に、自転車をこいでもこいでも前に進まない夢を見たのに似た感じがした。

 

この度の夢解き。

 

「このままじゃ、日曜日に週報が間に合わん」の焦りかなと気付いた。

 

説教の準備が出来ているかできていないかは、会衆には礼拝が始まっても、或いは、説教が終わっても何も分からないだろう。

 

でも、受付にも週報棚にも「週報」がないとしたら、やはり、日曜日の教会は大いに動揺するかも知れないな、と思うのだ。(もり)

 

 


2017年7月16日(日)の礼拝献花 雅代さんのさり気ないけれど、祈りのこもったご奉仕による夏の献花だなぁと 感謝
2017年7月16日(日)の礼拝献花 雅代さんのさり気ないけれど、祈りのこもったご奉仕による夏の献花だなぁと 感謝

◎2017年7月16 ・ 【 窓 NO.119

       『  "余滴"の"余滴"  』

 

毎日曜に発行の『み言葉"余滴"』。前週の説教要約(そもそも説教を要約するのは不可能と考えている)ではなく、皆さんのためにも、わたし自身の為にも少しでも違う視点からメッセージを書き続けている。

 

     **************

 

過日、かつて信仰生活を共にした新潟県妙高市の新井教会(*高田教会と兼務していた、現在、礼拝出席6名~7名程の教会)の長老・K兄(*昭和2年生まれ・90歳)に全号を贈った。

 

K兄は私の父と同い年の方。お元気で居て下さって嬉しい。

 

在任中は、日本酒をもってお詫びに出掛けたり、役員会のあとはしばしば食卓でごちそうになっていたご夫妻のご主人さまである。

 

     **************

 

K兄のお好きな写真などを送って来て下さり、『み言葉"余滴"』の最近号を数枚お送りしたところ、「信仰を養う上からも、〈伝道の書〉としても最高です。素直な信仰心が向上いたします」とお便りを下さり励まされたことが全号をお送りした切っ掛けだ。

 

このような実直な言葉はまさにK兄らしいもの。

 

その後、更に「24号に感銘」という電話があったことを妻から聴いた。読み返してみるとルカ福音書2章に登場する〈老シメオン〉についての号。

 

K兄の心に響いたのは、「神さまが必要とされるのは特別な人ではありません。・・・まじめ一筋のあなたを神さまは必要とされています」かなと想う。(もり)

 

         **************

 

以下、み言葉"余滴"の24号 貼りつけます。

K兄の心には他にも響いていたかなぁとも思うので。

 

    《  み言葉 余滴  》     NO.24
                      2015年9月13日
               『  大事なものの託され方  』
                            牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)

 

◎ルカによる福音書 2章28節~32節
  28 シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。29 「主よ、今こそあなたは、お言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます。30 わたしはこの目であなたの救いを見たからです。31 これは万民のために整えてくださった救いで、32 異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。」

 

シメオン。彼が一体何者であるのか実はよく分かりません。『ルカによる福音書』の最初に登場するザカリアが、「アビヤ組の祭司」として紹介されるのと大きな違いがあります。

 

ザカリアは【主の掟と定めをすべて守り、非の打ち所がない】(1:6)と紹介されていますが、実はシメオンも【この人は正しい人で信仰があつく】(2:25)と紹介されています。

 

けれども、シメオンの方は、その生い立ちも、務めも、家族のことも分からないのです。

 

                    **************

 

ここには深い意味があります。福音書記者ルカは、そーっとではあるけれど、明確な意図をもって伝えようとしていることに関連します。

 

ルカはごくごくふつうの、つまり「祭司」でも「預言者」でもない、世に身を置く実直な信仰者であるシメオンのような人を通じて、福音の広がりを描きたいのです。それが聖霊による導きです。

 

                    **************

 

ルカが記したこの福音書は不思議な魅力のある書だなぁと思います。1章~2章までと24章の最後の最後の場面設定が、当時のユダヤ地方の中心地、神殿のある「エルサレム」にあります。ルカはエルサレムを大切にしているのです。

 

そうであるにも関わらず、ルカは福音がエルサレムに限定されないものであることを明らかにします。彼はエルサレムから遠くはずれる、【異邦人】や【万民】のための福音がここから広がって行くことを、この『ルカによる福音書』と続編として記した『使徒言行録』で明確にするのです。

 

だからこそ、シメオンが祭司や預言者ではないことは重要です。神さまは、名前以外には何者であるのか分からない人を必要とされるのです。

 

                    **************

 

イエスさまを腕に抱いたときのシメオン。彼の腕は折れ曲がっていたと推測される書き方が原文ではされています。

 

老齢だったのでしょう。その腕には力強さはありません。けれども、弱い力しか残っていなかったシメオンを神さまは用いられたのです。

 

シメオンは「救い」を抱き抱えました。待ち続けていた救いをうっかり落としてしまってよいわけがないのです。

 

神さまが必要とされるのは特別な人ではありません。力は弱いけれど忍耐強く待ち望む、まじめ一筋のあなたを神さまは必要とされています。ここにも福音の喜びがあります。(end)

 


2017年7月9日(日)の礼拝献花 C兄を送るのにもふさわしいお花に見えるの気のせいだろうか
2017年7月9日(日)の礼拝献花 C兄を送るのにもふさわしいお花に見えるの気のせいだろうか

 

◎2017年7月9 ・ 【 窓 NO.118

       『  最期の言葉  』

 

イエスさまの十字架上の七つの言葉は広く知られているが、はたして私たち、自分の人生の終幕で何を口にするのだろう。

 

              **************

 

7月3日(月)の早朝に急逝されたC兄。

 

○○市の居室をK兄や妻とお訪ねし、小礼拝を守り、説教を聴いて頂いたのは6月14日(水)のことだった。

 

礼拝後には、C兄らしさが溢れる応答あり、それでなくても忘れられないひとときだった。

 

純粋素朴に、「もう、自分はいつ逝ってもいいと思っとる。マリアさんにお願いしているんだ」と言われていたことも「あー」と思わざるを得ない。

 

プロテスタントの教会ではマリアを通して、という祈りはないけれど、広く知られるアヴェマリアの一節にはこのような言葉がある。

 

アヴェ・マリア・・・・・・
御もとに安らけく 憩(いこ)わしめたまえ
悩めるこの心 君に祈(ね)ぎまつる

 

              **************

 

2015年の11月、居室にて86歳で受洗されたC兄。

 

今振り返って見るならば、そう遠くない時の死を意識するがゆえに、妻と同じクリスチャンとなり、罪の赦しを得て備えたいと考えておられたと言っても間違いはないだろう。

 

いずれにせよ、C兄のご結婚後の歩みは、いつも寄り添い続けた奥さまD姉に支えられてここまで来られた。

 

その奥さまとご長女が見守る中、呼吸が止まる直前に、口の動きから「ありがとう、ありがとう」を最期の言葉とされたと伺った。

 

本当にその言葉を最期に息を引き取られたのだ。うつくしい。素晴らしい天国への凱旋。心打たれる。

 

              **************

 

私は、6月の『牧師室便り』で「この説教を聴いている方の中に、最後の説教になる方が居られるかも知れない。それを意識しながら、毎回の説教に仕えて行きたい」と記した。

 

記した時には、日曜日の礼拝堂での説教を第一に考えていたが、C兄のあの時の礼拝もそうだったのだ、と今は想う。(もり)

 

 


2017年7月2日(日)の礼拝後、靖さん(森牧師の母と同年代)が娘さんの薫さんのあとを追ってお帰りになるときのひとこま(^^♪
2017年7月2日(日)の礼拝後、靖さん(森牧師の母と同年代)が娘さんの薫さんのあとを追ってお帰りになるときのひとこま(^^♪

◎2017年7月2 ・ 【 窓 NO.117

       『  掃除する心  』

 

幼年期から小学6年生迄暮らしていた田舎(*大分県大分市の旧・大在という村)の家は〈納屋〉を改造した家だった。

 

子供でも天上が直ぐ近くに感じるような低さで、ぶっとい柱がむき出し。

 

でも、物心付いた時には、既にそこで暮らしていた私にとっては、愛着のある立派な家に違いなかった。

 

                **************

 

大分市で一番最初だと父から聞いていた地域の区画整理が始まり、我が家は移転を迫られることになる。

 

そしてその時が、両親にとっては初のマイホームの夢をかなえる時となった。

 

木造二階建ての実際に建ったのは昭和47年・1972年、私が12歳の時だったはず。

 

地域で一番の腕の棟梁・新吉さんによって立ち上がって行く様子は、子供ごころにも誇らしかったことを思い出す。

 

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亡き母が、完成した新居の玄関の土間を、せっせと雑巾掛けしているのを少し不思議に思った。

 

だが、それくらい、うれしくて嬉しくて弾む心で暮らしていたのだな、と今は思う。

 

セールスにやって来る若者をじゃけんに追い返せないと言っていたのは、そこに私の将来の姿を重ねただけでなく、新しい家の奥さんとして、優しい人になりたくなる心も備えられていたのだろうか。

 

**************

 

旭東教会のお台所。新築部分も既に20年が経過し汚れが目立つ箇所のひとつだった。

 

このたび、床が一見すると大理石のようになったので、大掃除がおわったあとに掃除をしてみたくなった。さすがに、大掃除の時は、大掃除の対象になっていなかったのだった。

 

きっと他のどなたかも、お台所のことを気にかけてくださっていることだろう。

 

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それって、30年近く前になるが、私が神学生時代の仕事がとある教会の掃除だったからだろうか。

 

いやいや、私も母から生まれてきた者。その後ろ姿がなぜか少し恋しいのかも知れない。

 

母が召されてから35年が過ぎた。

 

私が仕える旭東教会との歩みもゆっくりと深まって行く。(もり)

 


2017年6月25日(日)の朝、礼拝前の〈キリスト教基礎講座〉がおわったあと。Rさんの後ろ姿が目にとまった。
2017年6月25日(日)の朝、礼拝前の〈キリスト教基礎講座〉がおわったあと。Rさんの後ろ姿が目にとまった。

◎2017年6月25 ・ 【 窓 NO.116

       『  呼ばれてます  』

 

〈み言葉カフェ〉の2回目が行われた先週の日曜日・6/18の礼拝後、礼拝堂後方で小テーブルを囲み、8名程が丸椅子に座りひざ詰めで心を傾け合った。

 

丸椅子は教会のような場で、よいコミュニケーションを生み出すのには最適なツールだと思う。

 

どっかりと腰を下ろすのとはこれだけで雰囲気が違って来る。何より互いの距離がぐーんと狭(せば)まる。

 

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み言葉カフェに初めて参加してくれたメンバーのひとりは、旭東教会の教会学校で育ち、この半年程、熱心に礼拝に出席されているRさんだった。

 

彼女に順番が回ってきたとき、説教について何かをお話されるのかなぁと思っていたら、よい意味で期待を裏切ってくれた。

 

Rさんはこういう意味のことを言われた。

 

「子どもの頃には確かに教会に来ていたけれど、いま、何かがわかっているわけではありません。でも、なにか、私、呼ばれているなぁって感じてるんです」と。

 

一同、身を乗り出した(ように感じた)。

 

「呼ばれる」とは正に信仰の言葉。

 

わたしは〈み言葉カフェ〉を始めてよかったと心底思った。

 

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広辞苑によると「召命」はvocation(イギリス)・Beruf(ドイツ)とあり、続いてこう解説される。

 

【ある使命を果たすよう神から呼びかけられること。預言者や聖職への召命のほか、ルターの宗教改革以降は一般の職業への召命も言われる。】

 

「calling=召命・呼び出し」は牧師になる人だけに向けられた神の招きではない。

 

Rさんを通しての主のご計画があるのだと知り楽しみになった。

 

**************

 

ちなみに、内田樹氏(武道と哲学の研究家と今はご自分で言われている)は「calling」について、とある著書の中でこう記しておられる。

 

【人間がその才能を爆発的に開花させるのは、「他人のため」に働くときです。人の役に立ちたいと願うときにこそ、人間の能力は伸びる。それは適性の問題ではない。ピンポイントで、ほかならぬ私が、余人をもっては代え難いものとして召喚されたという事実が人間を覚醒に導く】

 

【宗教の用語ではこれを「召命」(vocation)と言います。神に呼ばれて、ある責務を与えられることです。callingという言葉もあります。原義は「神に呼ばれること」です。】

 

**************

 

Rさんへの呼びかけは、「はぁー、そうなんや」で終わってしまってはもったいない。

 

わたしたち、自分自身への神さまからの呼びかけ「calling」を聞かなくてもよい音でかき消してしまって、聞き逃すことのないような暮らしを送りたいものだと改めて思う。

 

既にRさんは、我々への注意喚起のためにも、ご自身が気付かないうちに、神さまに用いられているのだろう。(もり)

 


旭東教会の絵手紙の会の方々が『信徒の友』の祈りの教会宛てに贈ることにされたカードたちです。
旭東教会の絵手紙の会の方々が『信徒の友』の祈りの教会宛てに贈ることにされたカードたちです。

◎2017年6月18 ・ 【 窓 NO.115

       『  裏も表も  』

 

山口県にお住まいのYS姉からお便りが届いた。

 

「今年も誕生カードを頂きありがとう。感謝して、何度も表にしたり裏にしたりして眺めています」とあった。

 

また、「献金が出来るというだけでも感謝です。いつか礼拝に行けることを祈っています」との言葉も添えられている。

 

さっそく電話を入れてみた。お元気そうなお声が聞こえてなによりだ。

 

私の方こそ、幾度も、お便りを読み返している。

 

**************

 

旭東教会の誕生カード。

 

長年、一昨年召天された、故・N和義兄が長年担ってくださり、今は、和義兄のお連れ合いの書子(ふみこ)姉が描いて下さっている。

 

そこに、私がひと言添えたり、皆さんが記名をしている。

 

一枚一枚を描かれるのに、どれ程の集中力が必要だろうか。まさに、祈り抜きには考えられないご奉仕だと思う。

 

**************

 

もう一通のお便りも嬉しかった。これもまた、絵手紙がらみである。

 

滋賀県東近江市にある能登川教会からは、「絵手紙の会」の有志が『信徒の友』の祈りの教会宛てに送った絵手紙へのお返事があった。

 

能登川教会からの御礼のハガキ。

 

文字が弾んでいるように感じられるの気のせいではないはず。

 

絵手紙の力はすごいな、と感じる。能登川教会でも、裏にしたり表にしたりして居られるのかも知れない。

 

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絵手紙というもの。

 

以前から、〈ヘタでいい ヘタがいい〉が基本だと聞いていたが、もうすこし知りたいと思い、日本絵手紙協会のホームページを訪ねてみた。

 

巻頭のページに、〈ぶっつけ本番で、上手にかこうと思わないで、その人らしさが出ることが大切、お手本なし〉との案内がある。

 

これならば、わたしもじゃあ、始めてみようかな、と思う人が出てくるわけで、輪が広がっていくのも納得がいく。

 

実際、旭東教会の絵手紙の会の雰囲気もとても楽しげである。

 

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わたしたちの福音の種まきの働きが祝され、広がって行くためのヒントのようなものを絵手紙には感じる。

 

絵手紙を始める方へのご案内にあるように、気さくさや継続がしやすくなるための心配りが、もっと、色々とあるべきかも知れない。

 

そんな気付きも与えられて心から感謝だ。(もり)

 

 


2017年6月11日(日)の夕礼拝開始前、プランターにイソトマさんを見つけました。どなたが運んできてくれたかな。かぶれることがあるから、手袋をしなさいとNHKのテキストにありました。(^^♪
2017年6月11日(日)の夕礼拝開始前、プランターにイソトマさんを見つけました。どなたが運んできてくれたかな。かぶれることがあるから、手袋をしなさいとNHKのテキストにありました。(^^♪

◎2017年6月11 ・ 【 窓 NO.114

       『  愛される土地  』

 

6月8日の祈祷会は、月に一度、福音書を読む祈祷会の日だった。

 

5月から、譬え話を学び始めている。今回は、マルコによる福音書4章より「種蒔きの譬え話」を学んだ。

 

その時、ご実家がイチゴとお米の専業農家だという方が亡きお父さまが心血を注がれた〈土作り〉についてお話して下さった。

 

感銘を受けた。

 

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曰わく

 

○土が全てです。ふん尿を稲わらに積み重ねて腐らせた肥料をつくるために、実家はずっと、ぽっとんトイレでした。

 

○土地は自分では良くならない。放っておけば必ず痩(や)せます。固くならないように鍬(くわ)を入れないと水も入らない。

 

化成ではだめなんです。全くちがう。父は稲わらをつくることに心血を注いでいました。

 

○近所の小学生が、ビニールをかけて発酵させている時に、その上に乗って遊び出すと、学校に電話して〈お願いだからやめさせてください〉と電話を入れていたものです」と。

 

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土は大事、とどこかで聴いたことはあったのだが、よいものをという本物の農家の方は、並々なら思いを込めて土を耕しておられることが伝わって来た。

 

お父さまの生き方を傍らで見守っているご家族の言葉の重みがズシンと伝わって来た。

 

聴かせて頂いて、本当にありがたいことと思った。

 

勉強というようなものではなく、その道を誠実に生き抜こうとされている方のお姿が目に浮かぶようでもあった。前号の続編のようで、もうひとり「せんせい」と出逢ったようでもある。

 

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み言葉という名の種が聖書を通して、神さまから与えられるわたしたち。

 

譬え話をあらためて読むと、良い土地に種が蒔(ま)かれれば豊かな実を結ぶという。

 

さてさて、我々の人生が豊かな土地になるための土作りはどこに糸口があるのだろう。

 

わたしは、という限定付きではあるけれど、〈傷〉と〈弱さ〉、そして〈回り道〉だと今は思うのだ。(もり)

 

 


2017年6月4日(日)はペンテコステ・聖霊降臨日でした。聖霊はこんな形でも感じられましたよ(^^♪
2017年6月4日(日)はペンテコステ・聖霊降臨日でした。聖霊はこんな形でも感じられましたよ(^^♪

◎2017年6月4 ・ 【 窓 NO.113

       『  せんせい  』

 

教会の台所の床張り替え工事に来られた職人さん。

 

傍らでそーっと仕事ぶりを見ていたのだが、無駄のない動きをなさる。なにより集中の度合いがすごくて美しかった。

 

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先日の祈祷会、「教会に来るまで、委ねるということを知りませんでした」と言って下さった方が居られた。

 

その感覚は既にわたしには分からなくなっていたもの。

 

新鮮な言葉だった。

 

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哲学者でもあり武道家でもある内田樹(たつる)さんが、「誰もが尊敬できる先生」なんて存在しないし、昔からいなかった。あなたが「心底すごい」と思った人、それが「あなたの先生」なのだとが言って居られる。

 

まったく同感。

 

確かに、わたしにも沢山の大事な「せんせい」が与えられてきたと思う。そしてこれからもきっとそうなのだろう。

 

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〈素晴らしいなぁ〉〈この方に学びたい〉と感じた時には、素直な心で、たとえ恥をかくことがあったとしても、少しでも何かを真似ることから始めたいと思う。

 

せんせいとの出会い。まさに、人生の喜びであり楽しみではなかろうか。(もり)

 

 


2017年5月28日(日)の献花のてっぺんをお届けします。アートっていう感じですね。
2017年5月28日(日)の献花のてっぺんをお届けします。アートっていう感じですね。

◎2017年5月28 ・ 【 窓 NO.112

       『  じわーっと  』

 

気がついてみると色んな薬にお世話になっているわたし。

 

たとえば、偏頭痛時のとんぷくは二種類を小銭入れに胃薬と共に常備していたりする。

 

確かにそれを飲めば効くので有難いのだが、一ヶ月の使用回数に制限があるような薬。注意が必要なのは明らかな事実。

 

やはり、切れ味鋭い良く効く薬には危険な副作用があるのだろう。

 

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詩人の和合亮一(りょういち)氏は《薬草》の働きに注目してこう言われる。(『詩の橋を渡って』〈毎日新聞・2017年5月24日〉)

 

「わたしたちは「薬草」の働きのように、ゆっくりと確かに効能が現れる言葉や詩を欲している」と。

 

この言葉は、和合氏が〈薬草商〉でもある評論家・若松栄輔(えいすけ)氏の生き方に興味をもったことがきっかけで生まれたそうだ。

 

日々、ことばを探求されている方たちの関心事は牧師であるわたしにも興味深いもの。

 

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聖書のみ言葉には「薬草」の効き方に通じるものが確かにある。

 

時にそれが苦くても。(もり)

 

 


2017年5月21日(日)の午後3時前、礼拝応援で十文字平和教会に向かった。あと2分で到着というところで、教会堂を遠くから撮影していると目にとまったのがこちら。初夏のトンボさん。羽まできれいにピントがあったのは7枚中一枚だけでした。
2017年5月21日(日)の午後3時前、礼拝応援で十文字平和教会に向かった。あと2分で到着というところで、教会堂を遠くから撮影していると目にとまったのがこちら。初夏のトンボさん。羽まできれいにピントがあったのは7枚中一枚だけでした。

◎2017年5月21 ・ 【 窓 NO.111

       『  ハードルは低く  』

 

香山リカさんという方をご存知だろうか。

 

精神科医であり、NHKラジオ番組のパーソナリティーをされ、立教大学では現代心理学部教授として教鞭をとっておられるなど多才な方。

 

香山さん、キリスト教に対して一定の、あるいはそれ以上の親しさをもっておられる方であると伝え聞いたことがある。

 

だからこそ、聖公会が母体の立教大学で学生達と向き合うのだろうとも思う。

 

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最近、彼女の本を読んで心底感動した。

 

手にしたのは図書館で借りた『幸福の胸のウチ』 東京書籍という割に新しい本。調べて見れば彼女は、作家もできるじゃないかという位、沢山の著書を記されている。

 

香山さんは(以下、本からの抜粋ではなく、私の心に残ったものを私なりに文章化したものです)

 

「私はいつも幸せです。なぜなら、幸せのハードルが低いから・・・些細なことが出来たり、発見しただけでも嬉しいのです」

 

と記される。本当に励まされた。

 

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香山さんのように私も幸せのハードルを下げることが出来るなら、パウロが記した「いつも喜んでいなさい」(第一テサロニケ書 5章16節)を生きて行くことが出来る、と気付いた。

 

なんだかすごく安心した。ほんとうに安心した。

 

ちなみに、『幸福の胸のウチ』はいつでも読み返せるようにと思って購入した次第である。(もり)

 

 

 


2017年5月14日(日)は夕礼拝が始まった日曜日。朝の献花を亮子さんが活け替えてくださった。これがまた、夜の帳が下りる頃にぴったりでした。
2017年5月14日(日)は夕礼拝が始まった日曜日。朝の献花を亮子さんが活け替えてくださった。これがまた、夜の帳が下りる頃にぴったりでした。

◎2017年5月14 ・ 【 窓 NO.110

       『  いつも聴いていると  』

 

プロ野球のペナントレース、セントラルリーグの順位争いに異変が起きている。

 

確かめてはいないけれど、昨年優勝の広島カープがダントツで強く、その次に、大型補強をした読売ジャイアンツが続く、というようなものが3月末の野球評論家やスポーツ担当記者の予想だったような気がする。

 

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なんと、大方の予想を覆して、昨年から金本監督率いる阪神タイガースが、ゴールデンウィークの頃からよもやの首位に躍りでて早10日程が経過している。

 

現時点(2017/05/16・火曜日夜)でも、驚くべきことに11勝の貯金があるのだ。

 

古くからのファンの方たちは「なんや、落ち着かんなぁ」「あんまりいいことが続くとなぁ」と言いながらも、「今年は、本物かも知れへんでぇ」と思い始めている様子。

 

どうやら、去年までのタイガースと違うのは、ミスはするけれど、それを帳消しにするような何かを起こし続けている、ということらしい。

 

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毎朝聴いている大阪・ABC朝日放送のラジオ番組がある。

 

道上洋三(どうじょう ようぞう、1943年3月10日生まれ~ )さんがパーソナリティをつとめる番組だ。なんと道上さんは、番組を担当し始めてから今年で40年目を迎えている長寿番組。

 

内容も飽きないものばかり。

 

この番組、タイガース勝利の翌日には、道上さんとアシスタントの吉田詩織さんのお二人が、「阪神 タイガース  フレ  フレ フレ フレー」と応援歌=「六甲颪(おろし)」を歌い始める。

 

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阪神びいきの番組で「六甲颪(おろし)」をラジオで聴いていると、いつしか私などでも、そのフレーズを暗記して口ずさめるようになってくる。

 

ましてや、今年は、よもやの首位を突っ走っているわけだから、歌う回数も急増でますます可笑しくなる。

 

岡山に暮らし始めて2年が過ぎ、まさか、阪神タイガースを愛すようになるとは思いもしなかったけれど、何だか楽しい気分であることに微塵の嘘もない。

 

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わたしたち、幼い頃に限らず、どんな形であれ、賛美歌や聖書を聴き続けていると、だいじな言葉がいつしか心のどこかに宿り、いつの間にか口ずさんでいる自分に気がつくことがある。

 

なるほど、昔も今も〈福〉は〈音〉で伝わってくる。

 

自然な形で、賛美歌をあたりまえのように聴き続けているならば、やがて時が来ると、〈福音〉のことばが、魂の奥深くに宿るように思うのだが、どうだろう。

 

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主日礼拝の賛美歌。

 

今、派遣と祝福前には、讃美歌21-91「神の恵みゆたかに受け」を一年を超えて歌い続けている。ウェールズ民謡のこの曲。好きな方が多いと思う。

 

歌詞もすばらしい。わたしは時々涙がこぼれそうになっている。

 

「神は招き、愛は結び、み国のため 働こう」
「どんな人とも 肩を組もう」
「みんなを一つに してください」

 

いつも歌い続けているなら、賛美歌は祈りなのだから、やがて、それが実現する日が来るはず。

 

阪神タイガースの快進撃は、牧師のわたしにそんな希望すら抱かせてくれている。感謝。(もり)

 

 


2017年5月7日(日)の献花はこちら。亮子さんが、本当にあれやこれやと工夫し祈りをもって準備されたもの。こころから感謝。
2017年5月7日(日)の献花はこちら。亮子さんが、本当にあれやこれやと工夫し祈りをもって準備されたもの。こころから感謝。

◎2017年5月7 ・ 【 窓 NO.109

       『  一汁一菜  』

 

お料理研究家・土井善晴さんの近著、『一汁一菜でよいという提案 』(グラフィック社)を読んだ。

 

後で知ったことだが、かなり話題の本らしい。

 

「日本の食卓は毎食一汁一菜でよい」という考え方、いや、生き方が記されていて、感動した、というのがわたしの率直な思いだ。

 

土井善晴さんは、わたしの母の世代が家庭料理について多くを教えて頂いた土井勝さんのご子息、と言う方がわかりやすいかも知れない。

 

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日本には「一汁三菜」という言葉もあるようだが、副食物としての汁一品、おかず一品だけの食事でよいのです、ということを丁寧に記される。

 

お料理の本というよりも、生き方の本と言うのがふさわしい。

 

もっというなら、人生哲学がそこにあることがわたしたちにも伝わってくる。

 

図書館で借りていたけれど、いつも手元に置いておきたいと感じたので、近く、購入しようと思う。

 

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どうやら土井さん、お料理の世界で生きて行こうとする中、紆余曲折を経て、『一汁一菜でよいという提案 』であきらかにされた思いに至ったようだ。

 

発酵食品のお味噌汁に重点を置き、家庭料理なのだから、残り物の野菜やら何やら(目玉焼やトマトでも)どんどんお味噌汁に入れてよいのです、という考え方をわかりやすく説かれる。

 

「へぇー、そんなんでいいのかぁ」と、気持ちが急に楽になる方が少なくないはず。

 

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特に、次の言葉にふれてわたしはうなった。

 

「毎日食べても飽きないご飯とお味噌汁、漬物は、人間が意図してつけた味ではありません。日本で古くから作られてきた味噌は微生物が作り出すもの。人間の技術で合成した美味しさとは別物。人間業ではない」

 

土井さんに「人間業ではない」と書かれると、こちらは「土井さん、やっぱりそれは、神業ですね!」と突っ込みたくなる。

 

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土井さんのご本の中でも少しふれられていた話題に、「ハレとケ」というものがある。

 

古来より、日本人は、普段通りの日常を「ケ」の日、祭礼や年中行事などを行う日を「ハレ」の日と呼んでいて、日常と非日常を使い分けていると言われる。

 

元々「ハレとケ」は、柳田國男によって見いだされた日本人の伝統的な世界観のひとつらしい。

 

土井善晴さんも「ハレとケ」にふれる。つまり、「ハレ」の日には、晴れ着を着たり、神聖な食べ物である餅や赤飯を食べたりするけれど、家庭の食卓は、「ケ」の普段通りの生活を送る日の繰り返しなのだ、と。

 

だからこそ土井さんは、あなたも、けっして力むこともなく、家庭料理こそ、いちばんのおご馳走という自信と確信をもって、一汁一菜の静かな暮らしを送ればよいのです、と言われるのだ。

 

**************

 

この考え方、そして、生き方。

 

毎日、今夜は何を作ろうかしら、と悩む方々への応援歌でもあり、飽食時代の「もっと、もっと」を求める時代への警鐘にも聞こえた。

 

**************

 

合わせて、結婚式の司式の折りにこれからご家庭を築き始めようとするお二人に読んで差し上げることも多かった星野富弘さんの言葉をご紹介しよう。

 

わたしの闘病時代に出会ったたいせつな一冊・『鈴の鳴る道』(偕成社)の中の作品のひとつ。

 

「日日草」

今日も一つ 悲しいことがあった
今日もまた一つ うれしいことがあった

笑ったり 泣いたり
望んだり あきらめたり
にくんだり 愛したり・・・・・・

 

そして これらの一つ一つを
柔らかく包んでくれた
数え切れないほど沢山の 平凡なことがあった


(星野富弘/『鈴の鳴る道』P23より)

 

**************

 

わたしが子どもの頃も、今振り返ってみれば、本当に質素な食卓だった。

 

祖父母を交えて6人で囲む小さな掘りごたつ型の食卓に、焼きたての鮭の塩焼きがでてくると(ほんとに小さな一切れだった)、飛び上がらんばかりに嬉しくて、「やったぁー、これで、今日はご飯三杯食べられる」と、子ども心に〈しあわせ〉を感じていたのが懐かしい。

 

昭和45年・1970年頃のことである。イエスさまもそこに居てくださったのだと心の底から思う。(もり)


2017年4月30日(日)の一枚 この4月から、月に2度、日曜の朝9時10分から行っている〈キリスト教基礎講座〉の開始前のひとこま。緑色のお洋服の光代さんがおかしいこと言ったかな? 3月迄は土曜日午後開催だったのを移動しました。このあと更に数名が参加し10名を超えました。びっくり。
2017年4月30日(日)の一枚 この4月から、月に2度、日曜の朝9時10分から行っている〈キリスト教基礎講座〉の開始前のひとこま。緑色のお洋服の光代さんがおかしいこと言ったかな? 3月迄は土曜日午後開催だったのを移動しました。このあと更に数名が参加し10名を超えました。びっくり。

◎2017年4月30 ・ 【 窓 NO.108

       『  イエスの譬え話  』

 

毎週木曜日の朝10時からと夜7時半から行っている祈祷会。

 

5月からは月に一度、福音書を読むことにした。初回は5月11日である。

 

ひとつの福音書をずーっと読み続けるという形ではなく、タイトルの通り、イエスの譬え話にしぼって読み始める。

 

**************

 

旭東教会着任以来、さいしょの数回を除き、2年間『詩編』を学んで来た。詩編の奥深さは確かに格別。わたし自身準備が楽しい。

 

現在、詩編58篇までたどり着いたのだが、2年で50数篇のペースで進むと、150篇まである詩編を読み終わるのはだいぶ先の事。

 

とりわけ119篇は、ヘブライ語のアルファベット順に22段落に区切られていて、根気と覚悟がいる。

 

聖書を読み始めて間もない方も出席されているので、やはり、福音書には何らかの形でふれたいと思った次第だ。

 

**************

 

『イエスさまのたとえ話』(1982年・清水恵三著・日本YMCA同盟出版部・絶版)という本が手元にあり、そこで扱われている「譬え話」を順番に読む予定。

 

清水牧師のこの本、神学校の入学試験がらみで1988年頃購入したはず。

 

わたしの母校となった日本聖書神学校の入試で、「あなたの知っているイエスの譬え話について述べなさい」というような問題(当時はやさしかった?)が過去に幾度も出ていたのが切っ掛けだった。

 

わたしは銀座教会の会員だったので、礼拝の帰り道、徒歩2分のところにある教文館という歴史あるキリスト教書専門店に立ち寄り、ずいぶん時間がかかったと思うけれど、自分で捜し求めたのだった。

 

他に比較できるような書があったかどうかは記憶がない。でも、これなら辛うじて自分でも読めるかな、と思って手にした一冊だ。

 

懐かしい。

 

**************

 

清水恵三先生。

 

わたしがかつて兼牧していた、新潟県の新井教会から車で30分程の所にある、現在の信濃村教会(当時は伝道所)の牧師だった方。

 

神学校の入学試験に備えていた頃は、そんなことは気にもしなかったが、実はその後、奥さまとお嬢さん、そして、お孫さんたちが新井教会の礼拝に出席してくださったことがあった。

 

あれやこれやとお話が出来た楽しい思い出があり、決してご縁のない方ではなく親しみがある。

 

**************

 

清水先生は、農村伝道神学校の教師もなさった方。

 

久しぶりにパラパラとめくってみたけれど、一読してすぐに分かるような内容ではない。神学的な考察が丁寧になされているのだ。

 

例えば、それぞれの譬え話の「生活の座」ということについて探りながらしっかりとした視点をもって読み解かれていて、相当な深さのある本だと気付いた。

 

**************

 

実は、イエスが語られた〈譬え話〉は、決して分かりやすいものとは言えない、とわたしは思っている。

 

清水先生のご本では18の譬え話が扱われているが、目次に鉛筆で〈丸印〉をつけているのは半数ほどに過ぎない。

 

その〈丸印〉はいったい何を意味するのかと言うと、これなら、何とかオレにも分かるかな、という印なのだと記憶している。

 

神学校への入学を志していた頃からすると間もなく30年。

 

少しは理解力がましただろうか。「やっぱりよく分からん」ということもあるような気がするのが正直なところでもある。

 

**************

 

でも、それはそれ。

 

普段の詩編と違って、深い調べ方はせずに、幾つかの聖書の翻訳の比較程度にとどめ、素読を楽しみたいと思っている。

 

出席者のこころに働きかけてきた福音の分かち合いから、どんな世界が見えて来るだろうか。

 

このホームページをご覧の方も含めて、新しい方、久しぶりの方も気楽にご一緒いただければと願っている。(もり)

 


2017年4月30日(日)の一枚 この4月から、月に2度、日曜の朝9時10分から行っている〈キリスト教基礎講座〉の開始前のひとこま。緑色のお洋服の光代さんがおかしいこと言ったかな? 3月迄は土曜日午後開催だったのを移動しました。このあと更に数名が参加し10名を超えました。びっくり。
2017年4月30日(日)の一枚 この4月から、月に2度、日曜の朝9時10分から行っている〈キリスト教基礎講座〉の開始前のひとこま。緑色のお洋服の光代さんがおかしいこと言ったかな? 3月迄は土曜日午後開催だったのを移動しました。このあと更に数名が参加し10名を超えました。びっくり。

◎2017年4月30 ・ 【 窓 NO.108

       『  イエスの譬え話  』

 

毎週木曜日の朝10時からと夜7時半から行っている祈祷会。

 

5月からは月に一度、福音書を読むことにした。初回は5月11日である。

 

ひとつの福音書をずーっと読み続けるという形ではなく、タイトルの通り、イエスの譬え話にしぼって読み始める。

 

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旭東教会着任以来、さいしょの数回を除き、2年間『詩編』を学んで来た。詩編の奥深さは確かに格別。わたし自身準備が楽しい。

 

現在、詩編58篇までたどり着いたのだが、2年で50数篇のペースで進むと、150篇まである詩編を読み終わるのはだいぶ先の事。

 

とりわけ119篇は、ヘブライ語のアルファベット順に22段落に区切られていて、根気と覚悟がいる。

 

聖書を読み始めて間もない方も出席されているので、やはり、福音書には何らかの形でふれたいと思った次第だ。

 

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『イエスさまのたとえ話』(1982年・清水恵三著・日本YMCA同盟出版部・絶版)という本が手元にあり、そこで扱われている「譬え話」を順番に読む予定。

 

清水牧師のこの本、神学校の入学試験がらみで1988年頃購入したはず。

 

わたしの母校となった日本聖書神学校の入試で、「あなたの知っているイエスの譬え話について述べなさい」というような問題(当時はやさしかった?)が過去に幾度も出ていたのが切っ掛けだった。

 

わたしは銀座教会の会員だったので、礼拝の帰り道、徒歩2分のところにある教文館という歴史あるキリスト教書専門店に立ち寄り、ずいぶん時間がかかったと思うけれど、自分で捜し求めたのだった。

 

他に比較できるような書があったかどうかは記憶がない。でも、これなら辛うじて自分でも読めるかな、と思って手にした一冊だ。

 

懐かしい。

 

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清水恵三先生。

 

わたしがかつて兼牧していた、新潟県の新井教会から車で30分程の所にある、現在の信濃村教会(当時は伝道所)の牧師だった方。

 

神学校の入学試験に備えていた頃は、そんなことは気にもしなかったが、実はその後、奥さまとお嬢さん、そして、お孫さんたちが新井教会の礼拝に出席してくださったことがあった。

 

あれやこれやとお話が出来た楽しい思い出があり、決してご縁のない方ではなく親しみがある。

 

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清水先生は、農村伝道神学校の教師もなさった方。

 

久しぶりにパラパラとめくってみたけれど、一読してすぐに分かるような内容ではない。神学的な考察が丁寧になされているのだ。

 

例えば、それぞれの譬え話の「生活の座」ということについて探りながらしっかりとした視点をもって読み解かれていて、相当な深さのある本だと気付いた。

 

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実は、イエスが語られた〈譬え話〉は、決して分かりやすいものとは言えない、とわたしは思っている。

 

清水先生のご本では18の譬え話が扱われているが、目次に鉛筆で〈丸印〉をつけているのは半数ほどに過ぎない。

 

その〈丸印〉はいったい何を意味するのかと言うと、これなら、何とかオレにも分かるかな、という印なのだと記憶している。

 

神学校への入学を志していた頃からすると間もなく30年。

 

少しは理解力がましただろうか。「やっぱりよく分からん」ということもあるような気がするのが正直なところでもある。

 

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でも、それはそれ。

 

普段の詩編と違って、深い調べ方はせずに、幾つかの聖書の翻訳の比較程度にとどめ、素読を楽しみたいと思っている。

 

出席者のこころに働きかけてきた福音の分かち合いから、どんな世界が見えて来るだろうか。

 

このホームページをご覧の方も含めて、新しい方、久しぶりの方も気楽にご一緒いただければと願っている。(もり)

 


2017年4月24日(月)旭東教会から高速道を使って車で1時間15分 高梁市の春の山桜 のどかでした
2017年4月24日(月)旭東教会から高速道を使って車で1時間15分 高梁市の春の山桜 のどかでした

◎2017年4月23 ・ 【 窓 NO.107

       『  み翼の陰に  』

 

東京の小規模教会で牧会されている大先輩のA牧師という方が居られる。

 

かつては礼拝出席100名程の教会に仕えて居られたが、ある種の潔さをもって、今は礼拝出席が20名に満たない程の教会の牧師をされている。

 

**************

 

ある年の同窓研修会の貸し切りバスの中で、たまたま近くに座っていたところ、A牧師はさらに大先輩のW牧師に熱心に質問を繰り返し、なお、牧師としてのこれからの身の処し方など聞いておられたのが心に残っている。

 

もう、A先生くらいだったら、何も聞かなくてもよろしいのでは、と思う頃だったので、本当にびっくりしたものだった。

 

**************

 

そのA牧師から、ふとした拍子に「森君、詩編を学べよ。祈祷会でやるといいぞおー」と10年程前に言われた。

 

考えてみるとそういう言葉を下さる方は意外に少ないもの。

 

神学校の旧約の先生だった平出亨牧師(日本基督教団ではなく、日本基督教会の方)から「若いときに、こつこつと聖書を学びなさい」と講義の中で言われた他に個人的には記憶がない。

 

**************

 

無任所の時代。

 

時間はたっぷりあったので、その時は、旧約の預言書をせっせと学んだのに、なぜだか、『詩編』に取り組む思いは少しも持てなかった。

 

だが、A牧師から「森君、詩編を・・・」と言われた言葉は脳裏を離れなかった。

 

そしてこれは何としてもと願い続けていたが、今、打てば響くと感じられる旭東教会のメンバーと共に、祈祷会でようやく少しずつ学べるようになった。

 

おそらく、良い意味で〈適当に準備する〉という仕方もあるのかも知れない。だが、面白さもあってか力が入るし実際準備が楽しい。

 

同時に、力不足ゆえ準備には相当時間がかかっている。

 

**************

 

だが、詩編の学びを進める祈祷会で、時々だが、ご褒美のような喜びが訪れるのだ。

 

だから苦労が一瞬にして報われる。

 

過日学んだのは詩編57篇。その2節に「あなたの翼の陰を避けどころとします」のみ言葉があった。

 

受洗間もないS姉。熱心に夜の祈祷会に出席しているメンバーのおひとりだが、時々、ご自身の少女時代の聖書やキリスト教との接点を思い出されることがある。

 

その記憶にたどり着く瞬間に、参加者一同もまさに出くわすのである。これが何とも感慨深いものなのだ。

 

57篇を読み終わったとき、S姉はこう言われた。

 

「今、きょうみんなで詩編を学んでいて、中学校の英語の教科書に〈みつばさのかげに〉という歌詞の賛美歌があったのを思い出しました」と。

 

**************

 

S姉

 

以前は、「こうして教会に来て初めて聖書を手にしたと思っていましたが、青いちいさな聖書を実家の布団の上で読んでいたことを思い出しました」と言われたこともあった。

 

その他、ルーテルアワーのことだろうか。

 

「小学校の高学年の頃、NHKのラジオ英語講座を聴くために買ってもらったラジオで、この賛美歌を聴いていたのを今ハッキリと思い出しました」と仰ったこともあったと思う。

 

S姉、受洗後は、「もうこれからは、自分も大きな声で賛美歌を歌っていいんだなぁ、と思うと嬉しいんです」と言って下さった。

 

そういう経験を明確に言葉にして下さると、賛美することが当たり前のことではないのだと教えられ新鮮だ。

 

しみじみ感謝だなと思う。

 

**************

 

詩編57篇2節の「あなたの翼の陰を避けどころとします」とS姉の賛美歌の記憶を紡いでいってみると、どうやら、1954年版の『讃美歌』の405番3節のことだとわかった。

 

そこで、大慌てで書棚から『讃美歌』持って来て皆で最後に歌うことにした。

 

『讃美歌』405番 「かみともにいまして」

 

3節
御門(みかど)に入る日まで、
いつくしみ ひろき
みつばさの かげに、
たえず はぐくみませ。

 

また会う日まで、
また会う日まで、
かみのまもり
汝が身を離れざれ。

 

**************

 

牧師になってからというもの、讃美歌405番は、告別式や火葬の時など、棺を送り出す葬送時に歌うことが殆どだった。

 

だが、この日、全く違う形で「かみともにいまして」の賛美歌が甦った気がする。嬉しくゆたかな分かち合いだった。

 

他にも、正兄が、詩編57篇は、1954年版『讃美歌』の交読文に入っていることをご指摘下さり、久しぶりに、[ 交読文16 詩57篇 ]をみんなで読んだりもした。本当に豊かな時となった。

 

神さま、ありがとうございます。(もり)

 

 

  


2017年4月16日 イースターを迎えた。卵の樹の下にはこちらが。
2017年4月16日 イースターを迎えた。卵の樹の下にはこちらが。

 ◎2017年4月16日 ・ 【 窓 NO.106

       『  洗 足  』

 

洗足の木曜日の(4月13日)朝と夕。いつもなら祈祷会の時間に「受難の賛美と黙想のとき」をもった。

 

金曜日は「受難日礼拝」をささげ、そこでも感慨深いものがあったのだが、ここでは洗足の木曜日のひとときについて語ろう。

 

**************

 

この日のプログラム。お手本はなかった。つまり完全オリジナル。

 

過去に仕えて来た教会では「過越の食事」を行うことが数度あったけれど、今回はそれとも全く違うものだった。

 

クリスマス前には「アドヴェントを歌おう」「クリスマスを歌おう」という時間を祈祷会の日にもった。

 

しかし今回は、旭東教会で何十年と続いてきた歴史ある「受難週の早天祈祷会」(あまりに限られたメンバーしか参加できない状況を変えるべき、という理由)に代わるものだった。

 

そのため、ある種の重みが是非ともあるべき、と考えていて、会をもつと決まってからは、ボンヤリとプランを求め続けていたのだった。

 

**************

 

準備の際、『讃美歌21』や1954年版の『讃美歌』を手元に置き、ただ、受難・レントに分類される賛美歌だけを歌うのではなく、キリストの生涯を歌詞を味わいながらたどれるような構成を考えた。

 

特に、テゼ共同体の賛美歌、112・「イェスよ、みくにに」は是非ともじっくり歌うことにした。さまざまな意味で死を思うことは、この期節にどうしても必要だった。

 

英語の歌詞でも、日本語でも実際歌ったが、よかったと思う。繰り返し繰り返し賛美した。わずか数行の歌詞だから、その気になりさえすれば、誰でも確実に暗記できる。

 

**************

 

賛美歌以上に、たいせつにしたいな、と願っていたのが「洗足」だった。

 

かつて牧会した福岡の教会では、過越の食事の時に洗足を行った記憶がある。

 

そのときは、小学校3年生位の少年がお母さまに連れられてやって来たので、その子の足を洗ってあげた。

 

**************

 

旭東教会では、そう無理してもいかんな、と思いつつも、いろいろなことを想起することの意味は大きいと考え、先ずは形からと、〈たらい〉をさがした。

 

教会の台所には、何やらそれらしきものが隅っこに置かれていたものの、万が一にも、「先生、それ、お野菜を洗うためのものですよ」というようなことになっては目も当てられない。

 

思いたって、正兄のお宅に電話して助けを求めると、しばらくして「先生、丁度いいのがありました」との電話。さっそくあずかりに伺った。

 

礼拝堂の前方左側に、いろいろと工夫をしてセッティングもしてみた。落ち着きのある空間が生まれた。

 

**************

 

木曜日、朝10時前に、近くのドラッグストアにて新品のタオルを購入。

 

実際に、〈洗足〉ということになった場合、我が家の使い古しのタオルというわけにはいかない。さりとて雑巾なんてことも出来ないからだ。

 

ヨハネによる福音書13章の洗足の場面を含むみ言葉を味わいながら、プログラムが進んだ。

 

合わせて、光代さんが「せんせい、少しでもお役に立てば」と言って持って来て下さったロンドン テート・ギャラリー所蔵のブラウンの(当然コピー)「弟子の足を洗うキリスト」を解説しながら時を待った。

 

そして、式次第には記していなかったけれど、と前置きして、「ここに準備した〈たらい〉と〈タオル〉を使って、実際に、ひざまずいて洗足をしてみませんか。でも、やってみますという方が居られなくても、全く問題ないですから」と伝えてみた。

 

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午前の部、洗足についての時間を終わろうとしたその時、清美さんが「せんせい、わたし、やります。光子さんの足を洗わせて下さい」と申し出て下さった。

 

さらに、夜の部では、寿子さんが、「先生、わたし、します。K先生の足を洗わせて下さい」と嬉しい申し出。

 

その様子については、ホームページの今週の3枚!にあるのでご覧頂きたい。何ともうつくしい心に刻まれるひとときとなった。

 

**************

 

わたしは写真をとったりしながら、黙って様子を見守っていたが、どうやら、洗う役・洗われる役をされた双方、感慨深げな様子である。

 

いや、見守っているだけでも、あたたかな気持ちになってくる。

 

朝はあいにく、と言うか、うっかりして、お湯ではなく水だったけれど、それの方がかえってあとがあたたかい、という場合もあるらしい。

 

「これは人生が変わります」の言葉を口にしたのは夜の部で洗われる側を経験されたK兄。

 

シベリア抑留も経験された兄は、わたしたちには想像もつかない何かを思い起こされたのだろう。

 

**************

 

初めの方にも記したが、わたしは、ひとりの少年の足を洗わせて頂いたことはあるものの、まだ自分の足を洗われたことがない。

 

洗う役を務めたときも、こどもだから、という向き合いやすさがあった。しかし、今思うのは、おとなこそ経験すべきことなのだな、ということである。

 

しかも、洗う方も、洗われる方もどちらもしてみなければどうやら分からないことがあるのだとようやく気付いた次第である。(もり)

 

  


2017年4月13日は洗足の木曜日。その日の、「受難の賛美と黙想のとき」に備えてのセッティングができた。桶は正さん宅からのもの。
2017年4月13日は洗足の木曜日。その日の、「受難の賛美と黙想のとき」に備えてのセッティングができた。桶は正さん宅からのもの。

 

 ◎2017年4月9日 ・ 【 窓 NO.105

       『  涙  』

 

祈祷会では現在は詩編を学んでいるが(5月から福音書を読む日が月一入る)、先日は詩編56篇を読んだ。
 
9節にはこうある。
 
●新共同訳 あなたはわたしの嘆きを数えられたはずです。あなたの記録に それが載っているではありませんか。あなたの革袋にわたしの涙を蓄えてください。
 
●口語訳 あなたはわたしのさすらいを数えられました。わたしの涙をあなたの皮袋にたくわえてください。これは皆あなたの書に しるされているではありませんか。

 

**************

 

参加者の幾人かが涙した。

 

「本当によかった」と言われると、涙腺の弱いわたしもほろっと来る。

 

そして、わたし自身も、心底素晴らしい詩編だなと思った。
 

**************

 

夜の部、「今日だけはわたしもひと言」と語られた方が居られた。
 
ご自身の手術時、唯一持参されたのが新書版『詩編―古代ヘブル人の心―』という本で、その際、深く慰められたのが56篇だったとのこと。

 

著者は旧約学者にして骨太な牧師として知られた浅野順一先生(1899年・明治32年生~1981年・昭和56年)。岩波書店から出ている。
 
浅野先生の本の中ではこう訳される。
 
●浅野順一訳 汝はわがさすらいを数え給えり わが涙を汝の革袋の中に貯え給え」

 

**************

 

牧師館に戻ってさっそく二つの本を開いてみた。

 

浅野先生は、以下を、同じく旧約学者の松田明三郎(あけみろう)先生の『詩編』(旧約聖書注解シリーズ13・新教出版社・絶版)の注解を参照しつつ、こう紹介された。

 

「詩人は異国に流離の旅を続けつつ、故国を思い、幾度か故郷喪失の涙を流したことであろう。しかしその涙は地に落ちて空しく消え去ってしまうのではなく、それが神の革袋に、貯えられんことを乞い願っている。この革袋は悲しみや災いに出会った友人を慰めんとて訪れる時それを携えて友人の涙袋の中に貯えるものだと言う。神もまた人の涙を空しく見過ごしにしない。その一滴一滴を革袋の中に貯えて置くのだというのである」

 

と。

 

**************

 

現在、文書伝道に関わっているある(神学校の後輩にあたる)牧師が、聖書を読めないような思いも依らない入院時に、み言葉の暗唱=暗唱聖句の大切さが身に染みてわかったと言われていた。

 

実際、これに通じることをわたしも恩師のことばとして伝え聞いている。

 

わたしの信仰の父・鵜飼勇牧師(東京・銀座教会を長年牧会された)が、晩年、ホスピス病棟でお過ごしだったとき、気管切開か何かの事情で、話をすることが困難になったときに、病室を見舞っておられた信頼する方々に対して、いつもあることを穏やかに促し、求めて居られた、と聞いている。

 

それは、指先で、数字の〈2〉と〈3〉を示すことだったという。

 

鵜飼牧師が大切にされていた「詩編23篇」を読んで欲しい、という促しだったのだ。

 

**************

 

誰もがやがて平等に経験する天国への旅立ちの時に、愛誦のみ言葉が耳元で聞こえて来るならば、深い慰めを受けることだろう。

 

わたしも最期のときを迎えるときが来る。

 

かっこ悪い、情けない場面に直面することの多かったわが牧師人生。これからもそうかも知れない。

 

だが、せめて終わりくらいは、み言葉をリクエストできるような、さわやかな召され方をしたいものだと、ふと思った次第である。(もり)

 

 


2017年4月2日(日)の礼拝後、洗礼式が無事におわり、寿子さんを祝福する握手をされる迪子さん。説教で女性陣には、寿子さんにhugを!とお願いした。その変型です。
2017年4月2日(日)の礼拝後、洗礼式が無事におわり、寿子さんを祝福する握手をされる迪子さん。説教で女性陣には、寿子さんにhugを!とお願いした。その変型です。

 ◎2017年4月2日 ・ 【 窓 NO.104

       『  祈り 』

 

私が洗礼を受けるはずだった日曜日。それは1987年4月19日のイースターだった。

 

しかし、実際の洗礼式は1987年4月26日の日曜日の夕べにベッドの上で行われた。

 

場所は東京の総武線浅草橋駅から10分程の所にある、柳橋病院の病室。

 

当時の主任牧師で信仰の父である鵜飼勇牧師と斉藤寿満子副牧師、そして、お世話になった小沢さん、青年会のH君の姿があったと記憶する。泣いて、泣いての洗礼式だった。

 

だが、このような経験こそが、わたし自身を病床伝道への召しの気付きとなり、献身へとつながっていくからどのような道が備えられているかは本当に分からない。

 

**************

 

今ではどうなったか定かではないが、順天堂大学医学部 附属順天堂医院(正式名称は病院ではない)の関連病院として紹介されたのが柳橋病院だった。

 

当時、柳橋病院はタクシー会社の方たちの指定病院だったようで、にぎやかな患者さんが大勢おられた。

「次の新車が入るから、俺は早く退院したい」というような声が大部屋で飛び交っていたのも懐かしい。

 

隅田川をはさんですぐ近くに見える両国国技館で大相撲が行われていた頃で、太鼓の音やお相撲さんの幟(のぼり)が立つ川辺も目に入るところだった。

 

当時のガールフレンドも沿線に暮らしており、仕事帰り、定期的に立ち寄ってくれた。

 

**************

 

わたしの病状はと言えば、消火器内科系のやっかいな慢性疾患であることが分かり特効薬もなく、入退院を繰り返し、やけのやンパチになってもおかしくない時代だった。

 

信頼する伯母のところに電話して涙することも無くはなかった。ため息をつくことも多かった。

 

だが、なぜか希望に燃え始めている頃だったのも本当だった。

 

病室でNHK第2放送で、東京神学大学の当時の学長・松永先生(この方のICU時代の同級生が、わたしの神学校入学時の同級生 わかります?だった)による新約聖書に関わるラジオ番組を必死になって聴いているのを見て、ある青年会の仲間からはあきれられたことを記憶している。

 

自分でも今ふり返ると不思議だ。

 

**************

 

その年の夏、一枚のやさしい文字で丁寧に記されたカードが届いた。

 

封書は残っていないので、郵便か或いは手渡しだったか忘れてしまったけれど、そのカードを今でも讃美歌にはさんで持ち歩いているたいせつな宝だ。

 

こう記されている。

 

**************

 

森 言一郎 様

 

主の御名を讃美いたします

 

受洗おめでとうございます。

 

貴兄がはじめて銀座教会にお見えになられたとき新来者係としてご案内させていただいた〇〇でございます。
 
そのとき貴兄のお名前の由来が「ヨハネ福音書1章の初めに言があったの言を父がつけてくれました」とおっしゃられたことをハッキリと記憶しております。
 
ご受洗とうかがいよろこびでいっぱいになりました。受洗予定のイースターにはお顔が見えず残念に思っておりましたが、その後、無事 病床受洗をなされた由、鵜飼牧師よりおしらせがありほっといたしました。心よりお祝い申し上げます。
 
その後順調に健康をとりもどされご活躍の御事と存じますが、このきびしい暑さをガッチリと受け止められ、お元気にお過ごしくださいますようお祈り申し上げます。
 
お元気なお姿にお目もじ出来ます日を楽しみにいたしております。現在私は教会学校の(CS中学2年担当)教師としてご奉仕させて頂いております。
 
 〇〇〇〇
                      1987年7月28日 

 

             **************
 
当時、まだ、教会学校の奉仕を始めていなかった頃だったこともあり、〇〇さんが誰かわからなかった。もちろん、その後、〇〇先生と呼ばせて頂くお交わりが続いた。
 
〇〇先生は、正真正銘おしとやかで堅実な方。

 

決して前面に出て来られるような方ではなく、知らないところで祈っていてくださる方が居られることが、本当にうれしい驚きとなった。
 
そして、手紙の中で使われていた「お目もじ」という言葉に、生まれてこの方、その時初めて触れたことも思いで深く忘れられない。なんとも上品な言葉ではないか!
 
                **************

 

きょう4月2日は、半年ほどの準備を経ての〇〇寿子姉の洗礼式。

 

寿子さんのために、ちいさいけれど、たくさんの深く確かな祈りがささげられてきたことだろう。

 

感慨深い朝を迎える。感謝(もり)

 

  


2017年3月26日(日)、礼拝説教前の子どもたちのための祈りのひとこま(と聞きました)
2017年3月26日(日)、礼拝説教前の子どもたちのための祈りのひとこま(と聞きました)

◎2017年3月26日 ・ 【 窓 NO.103

       『  真打ちの仕事 』

 

先日、上方落語を目の前で聴いた。

 

旭東教会からそう遠くないところで、会場は30畳もないのではと思われる公民館の和室。

 

正面には、にわか造りと言ってもよい舞台が置かれていた。

 

落語家さんがお囃子と共に入場すると、首をすくめないと頭が天井につくような具合だが、スポットライトもしっかり準備されている。

 

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演目はわからないまま噺は始まった。

 

最初は桂二葉(によう)さんが登場。「つる」を演じた。二葉(によう)さんは女性の落語家さんで昨年もいらしていた。

 

続いて、桂阿か枝さんは「厩火事(うまやかじ)」と続いた。

 

どちらの演目も、題名は知らないまま聴いたが、最後に日曜夕方の人気番組「笑点」の名物・大喜利もどきがあって、その時に教えてくださった次第。

 

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メインは〈桂よね吉さん〉という方でもちろん真打ち。

 

この方が、おそらくまだ売れない18年前から、そちらの公民館にいらして下さるからこそ続いている会だと聞いている。

 

よね吉さん

 

今は亡き人間国宝・桂米朝のお弟子さんの一人で今年46歳。NHKの連続テレビ小説「ちりとてちん」に万葉亭柳眉役で出演したと聞く第一線で活躍中の噺家さんだ。

 

よね吉さんの演目は京都祇園で働く太鼓持ちが旦那や芸子さんと春山のピクニックへ出掛ける「愛宕山」(あたごやま)だった。

 

ユーモラスなやり取りに溢れていて、まさに〈演ぜられる〉というのがぴったり。

 

今年は最前列の左端で観た。

 

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あれこれ印象深いが、芸子さんのかんざしがゆらゆらと揺れる場面(「お銚子じゃありませんよ」と解説していた)や、傘を開き、お囃子に乗って、崖から飛び降り、小判を拾う瞬間など、今でも目に浮かぶ程。

 

着物からさっと取り出した二種類の手拭いの使い方ひとつとっても、それはそれは美しいものだなぁ、と惚れ惚れした。

 

芸人さんの所作はほんとうに大事なものだと改めて思う。

 

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わたしにとって、田舎にある公民館でのよね吉さんを中心とする寄席は昨年に続いて二度目のことだったのだが、数日経ってみてもっとも感銘を受けたのは、場所を選ばぬ落語家さんたちの真剣さだった、とあとで気付いた。

 

うそいつわりなく、全国にそのまんまテレビ放映されても大丈夫、と太鼓判を押せる熱演こそ本物の真打ちの仕事なのだ。どこで噺をするにも手抜きなしだと知った。

 

すなわちそれは、み言葉を取りつぐつとめに仕える牧師の生き方にも深く通じることだと教えて頂いた。感謝。(もり)

  


2017年3月19日(日)、幼い頃、旭東教会の教会学校に来ていたお母さんと共に、二人の娘さんたち。報告時に。手前のアタマはご愛敬。素敵な笑顔に心なごみます。
2017年3月19日(日)、幼い頃、旭東教会の教会学校に来ていたお母さんと共に、二人の娘さんたち。報告時に。手前のアタマはご愛敬。素敵な笑顔に心なごみます。

◎2017年3月19日 ・ 【 窓 NO.102

       『  見聞録(けんぶんろく)

 

2月26日(日)、交換講壇で伺った倉敷水島教会。

 

愛餐会も終わり礼拝堂に荷物を取りに行くと、二人の男性が軽やか、かつ、楽しげ?に掃除を始めて居られた。他の方たちは愛餐会の片付けをしている頃だ。

 

その日は、月に一度の『こころの友』の配布と〈音楽関連の伝道集会のチラシ〉を分担して配りに行くと伺っていたので、ちょっと驚いた。

 

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一人はモップ、もうひとりは掃除機を手にされ、心なしか、いそいそとなさっているように見える。

 

そんな風に見えたのは理由(わけ)がある。

 

昨秋、礼拝堂に外履きのまま入堂出来るように決断した際、会堂の床を一新されたことを聴いていたからだった。

 

駐車場のスペースも見事に舗装がなされ、泥を会堂内部に運び込むこともなくなったのは勿論のこと、ほこりや塵(ちり)が舞うことの無いようにと力も入るだろうと想像した。

 

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「いかがですか?スリッパ履きを返上され、土足解禁となって、何か失ったものがありますか」という意味の質問をしてみた。

 

どうやら、良いことが殆どらしい。皆さん、よかった、と確信しておられる様子。

 

新たに生まれたのは、率先して掃除をしようよ、という喜ばしい奉仕であり、実際に動きだした方々だったことを知った。(もり)

 


2017年3月12日(日)、礼拝堂の献花の中に様々な春が隠れている。
2017年3月12日(日)、礼拝堂の献花の中に様々な春が隠れている。

   ◎2017年3月12日 ・ 【 窓 NO.101

       『  床屋さん 』

 

幼い頃のことも含めて引っ越しの多かったわたし。

 

これまで何軒の床屋さんに行ったことかなと思う。小学校の頃は、自転車で10分、江村理容店の土佐犬を自転車で散歩させていたこわーいおじさんと、かたや、まったく正反対のお人柄に見える優しいおばさんの所に一ヶ月に1度出掛けていた。

 

「げんちゃん、髪が赤いのは、わかめを食べんからや」と注意されるのが辛かった。

 

中学生の頃から、あーでもない、こーでもないと友人らと言いながら、少しでも自分の思いに近いカットをしてくれる床屋さんをさがし始めたような気がする。

 

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岡山に来てからも何軒かの床屋さんに行った。

 

ま、これ位ならいいか、と思って妥協することもあったし、安いから仕方ないなと考えたりもした。

 

いいかなぁ、と思いかけた床屋さんの店主が、こちらの好みを行く度に伝え直さなければならない人だと気付いてガッカリしたり、だった。

 

**************

 

ところが、心底素晴らしいなと思う理容師さんに、この度ついに出会った。お値段もフルコース?で2,500円は決して高くない。

 

お名前は土居さんと言う方で50代の女性。

 

とあるお店のスタッフで経営者でもない。一回目の時に「店長さんですか?」と私が言うと「とんでもないです」と言われた。

 

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何に感動するのか。

 

彼女にとっては当たり前らしいさり気ない職人技があるのだった。

 

理容師さんの世界では今では当たり前なのだろうか。初めて出会った時、おおむねのカットが終わったところで、「ドライヤーで乾かしてちょっと確認しますね」と言われたのにまず驚いた。

 

濡らしたままのカットでは確かに仕上がりがわからないとは思う。

 

でも、人生56年と数ヶ月。そんな風に言われた理容師さんは一人もいなかったのが現実。

 

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今回はシャンプーの丁寧さに驚いた。

 

前回は若手の方に分業するようにして任せられたので土居さんは担当されなかったのだが、シャンプーが始まって直ぐに何かが違うと感じ、終わる頃には確信に変わった。

 

お声を掛けて手を止めてもらって「不満ではなく、感謝ですよ」と伝えながら「土居さん、土居さんの洗い方、僕が自分で洗うのと全く同じ感じなんですよ。こんなの生まれて初めて」と。

 

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笑顔の彼女は嬉しそうに「自分の頭を洗う感じをいつも想いながらシャンプーするんですよ。前回も本部にメールに頂いて・・・・・・森さんには勇気づけられます」と言われた。

 

いいものや良いことに出会うと、自分の思いをお伝えすることが歳のせいか多くなったわたし。もう一つの気付きがあって更に続けた。

 

「土居さん、このお仕事が本当に好きなんですね」と。

 

肯く彼女は「休みの日も手を動かしてしまうんです」と仰った。

 

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YouTubeで「プロフェッショナル・仕事の流儀」という番組をたまーに見ることがある。

 

各分野でこつこつと当たり前のことを丁寧に続ける、その道の最高方の方々の仕事ぶりや信念、いや、生き方に本当に多くの刺激を受けている。

 

意識の高いプロフェッショナルとの出会いは、結果的には、牧師としてのわが身を顧みる最良の機会と思う。

 

学ぶに終わりなし、を思いながら仕えて行きたいものだ。(もり)

 


2017年2月某日、鷲羽山の展望台にて。山頂まで行かなくてもここで十分美しい。地元の方々の「今日は最高じゃ」に深く納得。
2017年2月某日、鷲羽山の展望台にて。山頂まで行かなくてもここで十分美しい。地元の方々の「今日は最高じゃ」に深く納得。

   ◎2017年3月5日 ・ 【 窓 NO.100

       『  吉井川の蜆(しじみ) 』

 

青天が続き、ふと思いたって瀬戸大橋の展望が世界一と信じている鷲羽山(わしゅうざん)に弁当をもって出掛けた。車で1時間程。

 

展望台に居られた〈常連と覚しきおじいちゃん〉が顔見知りの方に「きょうは最高じゃ」とお話しする声が聞こえるような日だった。

 

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帰り道、今夜の夕飯のおかずに児島(倉敷市)の魚屋さんで何かおいしい刺身を、ということになった。

 

ようやく見つけたお店の駐車場で待っていると「スジカツオを勧められたよ」と妻が戻って来た。

 

帰宅後、今回は漬け丼にしたがこれも本当に旨い。スジカツオは足の速い魚らしく、今まであまり口に入れることがなかった。

 

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もう一つは店頭に並んでいたという吉井川の特大シジミだった。

 

旭東教会のあるわが町西大寺のすぐそこを流れているのが吉井川。

 

間もなく3年目に入ろうとしている岡山暮らしなのに、シジミが獲れるとは知らなかった。

 

もっとも魚屋さんは「漁業権があるのはうちだけだよ」と言われたそうで、この辺りのスーパーで目にしないのも当然かも知れない。

 

後日、教会の関係者に聴いてみると、「そう遠くない某所でも獲れるはず・・・・・・主人が日曜日毎に出掛けてました」という声も聞こえた。

 

**************

 

「先生、天塩川(てしおがわ)のシジミは最高だよ!」と日本最北の町・稚内(わっかない)で聞き、実際そう信じて食べていた。

 

蜆ラーメンはほんとにおいしかったのも忘れられない。

 

**************

 

けれど、吉井川のシジミは大きさは〈アサリ〉に見間違えるほど立派だった。

 

普段、シジミは貝は小さくて食べられないので出汁だけ、ということがほとんどなのに、吉井川のシジミは〈アサリ並み〉なのだから、もちろん普通に食べることが出来てしまった。

 

いやー参りました。

 

岡山の食材は本当にあれもこれも凄いと思うものが本当に多い。

 

地元に長く暮らす方はその恵みに気付いていないことも多い。(もり)

 

 

 


2017年2月26日(日)交換講壇でお邪魔した倉敷水島教会の講壇のお花です。春満開。朝9時半頃に静かな礼拝堂で撮影。
2017年2月26日(日)交換講壇でお邪魔した倉敷水島教会の講壇のお花です。春満開。朝9時半頃に静かな礼拝堂で撮影。

   ◎2017年2月26日 ・ 【 窓 NO.99

       『  ようこそ 18歳  』

 

2月23日(木)朝の祈祷会。

 

いつものように準備していた変則の六角形に並べた机が満席となる12名の盛会だった。

 

本当にうれしく感謝なこと。

 

礼拝出席35名程の旭東教会。夜の祈祷会の参加者を合わせれば、三分の一のメンバーが集うことになる。素晴らしい出席率だと思う。

 

**************

 

この日、12名の出席の内の一人は書子(ふみこ)姉の娘さんのご長女〈みっちゃん〉だった。

 

彼女は18歳。

 

おばあちゃまの処(ところ)に泊まり「あなたも一緒に行く?」と誘われて、ついて来たとのこと。

 

3週ほど前、初めて主日礼拝にお出でになった時(おじいちゃまの葬儀でいわゆる礼拝は知っている)に、わたしは(忘れてしまっていたけれど)「時々でもお出でよ」と別れ際に話し掛けたようだ。

 

わたしの記憶にあったのは「教会はね、学校では教わらないことを考えたり学べるよ」と話し掛けたことだった。

 

実はこれ、ジュニアサークルの保護者に表現を変えて伝えていることでもある。

 

**************

 

18歳の、しかも、キリスト教にほとんど触れたことのない方ということで、わたしは何とか退屈させないようにと思い、いつも以上に力が入った。握りこぶしはつくらなかったけれど。

 

「祈祷会っていうのはねぇ、長年教会に来ている方でも知らないことの多い聖書を学び、その後、感想を語り合い、お祈りを・・・」という説明から始め、普段とはもしかするとだいぶ違う感じでの詩編の講義になったかも知れない。

 

それはそれで自分としてはある意味楽しかった。

 

**************

 

常連のメンバーによる分かち合いが、最初、あまりに静かだったので、「ほらほら、みっちゃんが来てるだから盛り上げて・モリアゲテ!」と身振り手振りで声掛けした辺りから、メンバーは口を開いてくれた。

 

ひとまわりし、落ちついたところで〈みっちゃん〉に感想を聞いてみた。

 

すると、「わからないけれど、ちょっと深いなぁって思いました」との言葉がすーっと出てきた。

 

先週の本欄に記した「deeply」(深く・濃く etc.)を図らずも聞けたことになる。

 

〈しみじみ〉嬉しい朝となった。(もり)

 


2017年2月18日(土)夜9時頃、旭東教会の真ん前はこんなふうでした。伝統の会陽(えよう)という裸祭です。観音院にお隣の旭電業さんの一団も向かいます。
2017年2月18日(土)夜9時頃、旭東教会の真ん前はこんなふうでした。伝統の会陽(えよう)という裸祭です。観音院にお隣の旭電業さんの一団も向かいます。

   ◎2017年2月19日 ・ 【 窓 NO.98

       『  しみじみ 』

 

市立図書館で見つけた『おいしい珈琲をごいっしょに』(甲斐一恵著・幻冬舎)という本を読んだ。

 

最近、暇をみつけては珈琲関連の本も読むことがある。

 

どんな珈琲がおいしいのかに辿り着くまで、豆の選び方、焙煎の仕方、器具、コーヒーのいれ方、そもそものお店の探し方やQ&Aの後、締めくくり近くに意表を突く言葉があり興味深い。

 

甲斐一恵さん、こう記されている。

 

**************

 

「ちなみに私は、いろんな銘柄を試して、結局おいしければどれでもいいや、というところに落ちつきました」

 

「おいしい珈琲というと、さぞかしおいしいんだろう、と期待されるかも知れませんが、特別なインパクトを与えるものでもありません。むしろ、すごく平凡な味だったりします」

 

**************

 

もっともなことと思う。味噌汁だってそうだもの。

 

と同時に、スペシャリティ珈琲とかなんとかでなくても、面倒なこともなく手に入れられて、違和感なくすっと口に出来る珈琲の日常性の大切さが伝わって来て少し反省させられる。

 

**************

 

きっと、毎日のように口にするものは〈大〉がつくような感激や感動とは無縁な位の方がよいのだろう。

 

教会もいつものもの。「しみじみいいよなぁ」と感じるのが〈好い加減〉かも知れない。

 

「しみじみ」を英語で何と言うか調べて見ると、「deeply」という場合もあるようだ。

 

日本語にすれば「深く・濃く」ということになる。

 

さて、我らの教会はどうだろう。(もり)

 

 


2017年2月15日(水)教会から徒歩10分、西大寺の緑化プラザの梅がほんとうに見事。可愛らしく、愛しい。
2017年2月15日(水)教会から徒歩10分、西大寺の緑化プラザの梅がほんとうに見事。可愛らしく、愛しい。

  ◎2017年2月12日 ・ 【 窓 NO.97

       『  続・伝わることば 』

 

先週の本コラム・ホームページ版(まぐまぐ!メルマガ)を読んでくれた友人牧師からメールが届いた。

 

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「6年前にテレ朝のアナウンススクールに入りアナウンサーを目指す学生さんに紛れて勉強。教師もしていたのに小さな声しか出なかった私には大変有り難く、そこからマイクなしでも講演・説教できるようになりました」と。

 

(説教塾を開設するなど、説教学の先生として知られる)「加藤常昭先生が〈牧師は発声法を習うべき〉と言っておられたことが身にしみました」と続いていた。

 

**************

 

このことばは「牧師は寄席の落語を聴きに行って学ぶべし」と時々聴くことにも通ずる。

 

昨年末(と思い込んでいたら正確には確かめてみると元旦の夜)落語にも打ち込んでいたり興味をもっている二人の俳優さんの噺をNHK第1放送のラジオで聴いた。ナビゲーターは春風亭小朝さん。

 

演じたお一人は朝ドラ「べっぴんさん」に出演中のベテラン俳優・本田博太郎さん。もう一人はタレントでもあり女優もなさっている壇蜜さんだ。

 

二人とも確かに上手だった。

 

だが、落語に聞こえなかった。

 

**************

 

戸村政博先生という方が居られる。面識はないが、あるご本の「あとがき」にこう記されていてわたしは折々に読み直す。

 

【 “説教者”とは、たんなる職名ではなく、したがって単に説教する者が説教者であるのではない。説教の巧みなもの、それが説教者であるのではない。説教せざるを得ないように召されている者、わたしはそうせずにはおれない(第1コリント9:16)というアナンケーを持つ者が、説教者である。
 
たとえを設けるならば、詩を作る人が詩人であるのではない。詩作や作品やその評価によって、人は詩人になるのではない。詩を作るほか生きようがない者として、自分を自覚している者が詩人である】(『路上の生 山谷から』日本キリスト教団出版局)

 

**************

 

これこそが落語をせずには生きて行けない落語家と俳優さんの噺の違いだろうか。

 

そして、説教者である牧師もまた然り、とあらためて思い直している。(もり) 

 


2017年1月29日(日)の礼拝収録が終了したあと、日々のキリスト教放送局・日本FEBCのお働きについて伺っているときのひとこま。
2017年1月29日(日)の礼拝収録が終了したあと、日々のキリスト教放送局・日本FEBCのお働きについて伺っているときのひとこま。

  ◎2017年2月5日 ・ 【 窓 NO.96

       『  伝わることば 』

 

キリスト教放送局・日本FEBCからの旭東教会での「主日礼拝収録番組 全地よ主をほめたたえよ」の取材のために、スタッフでパーソナリティも務める安保ふみ江さんが来会。

 

控えめでありながら爽やかに収録のお仕事を終えられ、すーっと旭東教会を後にされた。

 

なんと、旭東教会をあとにされたあと、さらにもう一つの協会取材に向かわれたとあとで知った。

 

**************

 

数日後「なにか、実家に帰ってきたような安心感で過ごさせていただきました」

 

「お昼もとても美味しい〈かけ汁〉!そして、何より皆様の明るい笑顔が、一番のごちそうでした」

 

とのとの嬉しいメールが届いた。

 

肌に感じられた率直な思い、と素直に受け取らせていただこう。ありがたいこと。今頃、2月10日(金)朝10時からのインターネット放送に向けて編集作業中なのだろうか。

 

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さすが、放送局でのお仕事を長年続けて来られた方と気付いたことがある。

 

それは、FEBCの日々のお働きやリスナーの方々との深い交流の様子について〈あかし〉をして下さった時のマイクの持ち方がさり気なく、美しく、的確だったこと。

 

この道に入られて28年とお聞きしたので、もう完全に無意識の世界かも知れないけれど、口元に向けるマイクの角度、何㌢くらい離せばよいのか、声の大きさの加減を熟知しているのだ。聴きやすい。

 

ワイヤレスマイクをお渡しするときに「かなり感度がいいと思います」と伝えたことがあとで恥ずかしくなった。

 

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東京の同労の仲間たち=伝道者たちが、もう70歳に近い大先輩も仲間入りして、舞台俳優さんさんから発声を学んでいることを最近知った。

 

どんなに素晴らしい説教であれ講演であれ、それが、聴き手に伝わらなくては元も子もない。学ぶに終わりなしをふと思い出した。(もり)

 


2017年1月22日(日)弘美さん、背中が正さん。向こう側がMr.アダムズ。奥の小柄なご婦人は弘美さんのお母さまの光子さん。
2017年1月22日(日)弘美さん、背中が正さん。向こう側がMr.アダムズ。奥の小柄なご婦人は弘美さんのお母さまの光子さん。

  ◎2017年1月29日 ・ 【 窓 NO.95

         『  教会の秘密 』

 

1月22日(日)の礼拝後、集会室での〈ほっとタイム〉。

 

カナダ・バンクーバーから一時帰国され、旭東教会のある岡山市の東部の町、故郷・西大寺に帰省されたアダムズ姉がご主人と共に出席された。

 

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アダムズ姉「主人がとても良い雰囲気の教会だから、帰国した時にはこの教会に来ると良いと話しています」とわたしに教えて下さった。

 

うゎー、これは嬉しいお声掛けと思っていたちょうどその時、旭東教会の長老のおひとり、K.正兄が腰を下ろされたので、Mr.アダムズの言葉を伝えた。

 

念のために記しておくと正兄、間もなく93歳ながら、教会の中でも一番柔らかな心をお持ちの方で、何事につけても好奇心をもっていつも教会のために出来ることに全力を尽くして下さる。決して過言ではない。

 

**************

 

話の輪が広がるというわけではなかったのだが、その時、思いがけない嬉しい言葉を正兄から聞くことになる。

 

正確に言うと正兄は、その時、喜んで語られたことでもなかったかも知れない。

 

暫くしてから、正兄はポツリとこう仰った。

 

「なんだか、ぽーっとしてねぇー。頭がオカシクなったのか、今、天国に居るんだと思っていました」

 

と。

 

すごい言葉だと思った。いや、これ以上嬉しい教会の喜びはない、と感じた。

 

**************

 

数日前の祈祷会での詩編49篇の学びの時、【人は永遠に生きようか。墓穴を見ずにすむであろうか】等の言葉にふれたあと、兄はこう言われていた。

 

「自分が死ぬことを考えていなかった・・・・・・少し考え直さなきゃいけない」と。

 

兄は間もなく93歳である。その時も感動したものだった。

 

イエスさまのお言葉〈実に、神の国はあなたがたの間にある〉(ルカによる福音書17章21節)を思い起こした。

 

余韻は直ぐには消えず、時が経ってもなお、あとを引き続けている。(もり)

 

 


2017年1月15日(日)は「まきば礼拝」という旭東教会独自の子どもたちとの合同礼拝。その後、いつものほっとタイムはお休みにして「まきば」うどんを開店。暖簾は歴史あるもの。〈まきば〉と〈セルフでどうぞ〉はNEW(^^♪
2017年1月15日(日)は「まきば礼拝」という旭東教会独自の子どもたちとの合同礼拝。その後、いつものほっとタイムはお休みにして「まきば」うどんを開店。暖簾は歴史あるもの。〈まきば〉と〈セルフでどうぞ〉はNEW(^^♪

  ◎2017年1月22日 ・ 【 窓 NO.94

         『  脇役の力 』

 

〈うどん〉と大きく縫い付けられた暖簾(のれん)に、〈まきば〉・〈セルフ〉の文字も隅っこに添えられていた先週の「まきばうどん」の時間。

 

お昼が過ぎて、小腹がすいた頃の真冬のうどんは、集会室の三つの小さな島のテーブルに、老若男女を大勢引き寄せ、心まで温めてくれた。

 

**************

 

その後、1月19日・木曜夜の祈祷会で「まきばうどん」を支える力に改めて気付かされる言葉に触れる機会があった。

 

「先生、ホームページの写真を見ていたら、丸椅子があったから、あれだけの人数が一緒に食べられたんですねぇ」と。

 

**************

 

実は、少し前にも他の方から、「この丸椅子が本当に丁度いいんです。職場にある木の丸椅子は上質だけど重くて・・・」とふとした拍子に言われていた。

 

実際、丸椅子はいつの間にか、話が弾んだり、お隣にちょこんと居させてもらったりという交わりを創ってくれていることが多い。

 

映画の世界だけでなく、教会でも脇役たちが私たちを支えてくれる。(もり)

 


2017年1月15日(日)、寒波が日本列島をおそったけれど、会堂には春を感じさせてくれる木瓜(ぼけ)がささげられた。
2017年1月15日(日)、寒波が日本列島をおそったけれど、会堂には春を感じさせてくれる木瓜(ぼけ)がささげられた。

  ◎2017年1月15日 ・ 【 窓 NO.94

     『  気になる男(ひと) 』

 

子供の頃から『世界の名車百選』の類いを愛読してきた車好きなわたし。

 

トヨタ自動車の社長・豊田章男さんの言動が少し気になる。

 

ご自身鍛錬を重ね、テストドライバーの運転技術を身に付けて、自動車レースに挑む程に車を愛し〈いい車、作ろうよ〉と何万人もの社員を引っぱる。

 

**************

 

総合経済情報WEBサイト・SankeiBizの大型インタビューでこう語っているのを読んだ。ここでは本の一部の紹介になるが・・・・・・。

 

「成功だけを評価すると誰も失敗をしたくなくなります。打席に出たらまずバットを振れと言う。三振にはきちんと『ナイストライ!』と声を掛ける体制がなくては」。

 

売れ筋車のプリウスの開発主査に対しても、歯に衣着せずに「ずっと言ってます〈カッコ悪い〉って」と言い続けてきたそうだ。

 

すごいな、と思う。

 

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使徒パウロがエフェソの教会への手紙エフェソ書4:15が語ったように、「愛に根ざして真理を語る」姿勢を感じる。

 

だからからこそ、(配下で苦労している方々が存在することは承知の上で記すけれど)生き生きした社員の枝々があることを思う。

 

主イエス・キリストは教会の頭であり土台。

 

〈いい教会になろうよ〉という思いで、祈りを合わせ、手を取り合い、汗を流し、涙するわたしたちに対して「失敗しても大丈夫」「打席に立ったら、とにかくバットを振ってみよう」と言われるお方であると信じている。(もり)

 

 


文中の幸子さんのPassケース。
文中の幸子さんのPassケース。

  ◎2016年12月25日 ・ 【 窓 NO.91

     『  朝6時に出発で礼拝へ 』

 

12月20日(火)、少し霞んでいる瀬戸大橋をわたり、高松自動車道を経て出掛けた高松でのミニキャロリング。10時に教会を出発すると昼前には目的地にほど近い所に到着できる。

 

妻と正さんと3人での小旅行。今回はお楽しみの〈うどん〉の昼ご飯はいつものお店とは違う人気店を選んだ。

 

すると、単においしかった、というだけでなく、一同、一致して香川のうどんの底力を知らされたような満足感と、「おそれいりました」という感想を抱くような時となった。

 

ぜひまた訪ねたい。

 

**************

 

最初の訪問先はAさんご夫妻の居室。午後1時から3時迄の2時間。とても深い時間となった。

 

小児科医として切磋琢磨されたお二人を交えての5人でのひと時は、生命倫理に関わるようなものまで展開。

長生きすることの喜びと苦悩とが入りまじる、濃厚な時間となった。

 

**************

 

そのような会話を振り返りつつの私のクリスマスメッセージを含む小礼拝の後、Aさんご夫妻からの率直な喜びの応答はこころに滲みた。

 

「いい話だったぁ」。

 

そう語られるご主人のFさんはぜったいに嘘がつけない方。お上手も言えない。

 

同行して下さった正さんのハーモニカ演奏にも「ありがとう」を繰り返され、二人は手を取り合っておられた。

 

**************

 

その後、車で10数分の施設にお暮らしのS幸子姉を訪問。

 

幸子さんには、正さんからの心尽くしの素敵な聖家族の超小型の宝石のようなクリッペ(よくぞ探し出されたと感心するもの)が贈られたり、ハーモニカによる賛美も捧げられた。

 

そして、三人の博士たちのクリスマスの絵本をわたしが読んで差し上げて、楽しいひと時を過ごした。

 

**************

 

さらにその後だったと思うが、数ヶ月に一度、高松市内からJRを乗り継いで旭東教会にお出でになるにはどのようにして居られるのかが話題になった。

 

すると、幸子さん、車椅子を動かして、大切なあれこれをしまっているハンドバッグから何かを引っぱり出して、我々に見せてくれようとした。

 

バッグから取り出したのは「Passケース」だった。

 

**************

 

そこには、施設の職員さんがワープロ打ちしてくださった、「次の岡山行きのマリンライナーで西大寺まで乗りますので、岡山駅と西大寺駅に連絡をよろしくお願いします」と書かれた年季の入った紙が収められていた。

 

他にも、福祉タクシーの運転手さんに示すためのものらしい、施設の場所と駅が一目で分かる地図もある。

 

施設からの最寄り駅は、昔、岡山市内の子どもたちが遠足で出掛けたという〈屋島〉のふもとにある高徳線・屋島駅。

 

そちらまでは福祉タクシーを利用するようだ。施設の方の送り迎えがあると勝手に思い込んでいたが違った。

 

**************

 

何時の列車に乗るのかを聞いているうちに、どうやら、6時には施設にタクシが来る手配をしていることに気付いた。

 

「起こしてもらうの?」とわたし。

 

「うーん、ちがう」と言っているように聞こえる幸子さんの声。

 

「自分で起きるの?」とわたし。

 

「はぁい」と肯きながら笑う幸子さん。目覚ましをご自分でかけたり止めたりするのはむつかしいだろうと思う。

 

「6時出発だと、土曜日は寝られないねぇ、さっちゃん」と呼び掛けると、今度は廊下まで響くような大きな声で「はあーい」と返事があった。

 

**************

 

愚かなことに、わたしは、そんな幸子さんの礼拝出席のための努力について思い巡らすことすら出来ていなかった。

 

でも、気付かせて頂いてよかった、と心から思う。

 

これもまた、高松でのミニキャロリングの確かな神さまからのプレゼントだった。(もり)

 

 


文中のY子さん(左)が立ち止まったまさにその場面。11月27日(日)の午後、教会の大掃除と共にアドヴェントの飾り付けが行われた。
文中のY子さん(左)が立ち止まったまさにその場面。11月27日(日)の午後、教会の大掃除と共にアドヴェントの飾り付けが行われた。

  ◎2016年12月18日 ・ 【 窓 NO.90

     『  こどもも大人も一緒? 』

 

11月27日(日)のアドヴェントの始まりの午後から教会玄関に置かれている元来は〈飼い葉桶〉を意味する「クリッペ」と呼ばれる人形たち。

 

天使は屋根に、そして飼い葉桶のキリストとマリアとヨセフ、羊飼いや博士達が並んでいる。あれこれ調べていると、仲間たちを増やしたくなる。

 

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飾り付けが始まった大掃除の終盤、立ち止まって興味を持って下さったのは本格的な教会生活二年目のY子さんだった。元々可愛らしいお人形がお好きなのかも知れない。

 

いやそれ以上に、去年の飾り付けの場所が変わったこともあるにせよ、Y子さんが聖書の降誕物語やその周辺の福音の出来事についてはっきりと心にとめて居られるのだなぁ、と感じられたことも幸いだった。

 

そして、その時の様子をカメラに収めたこともあり心に残った。

 

**************

 

ジュニアサークルのクリスマス会が12月10日(土)の午後行ったが、礼拝メッセージでは、羊飼いのクリスマス物語を絵本で辿(たど)ったのち、聖餐卓に運んで来たクリッペを使って語った。

 

こどもと同数の保護者やスタッフがご一緒したけれど、大人の方たちも聴き入っている、と感じたのは気のせいだろうか。

 

毎週のジュニアサークルの礼拝で、リーダー達が、様々な手作り品や紙芝居、そして絵画を工夫しながらお話されるが、私がつまらない、と思ったことは一度たりともなく、いつもわくわくしていると言っても過言ではない。(もり)

 

 


2016年12月11日(日)礼拝後にアドヴェントクランツの消灯。直前に手前の一本の消し方について指導があり、その後のチャレンジ。一年後もたぶん「やりたい」と言ってくれそう。
2016年12月11日(日)礼拝後にアドヴェントクランツの消灯。直前に手前の一本の消し方について指導があり、その後のチャレンジ。一年後もたぶん「やりたい」と言ってくれそう。

  ◎2016年12月11日 ・ 【 窓 NO.89

     『  10分間の電話 』

 

クリスマスの賛美歌を歌う会の日の午後(12/8・木)、信頼する遠方の友人牧師と教務の合間を縫って語り合った。

 

突然電話を入れた、というわけではなかった。月曜の段階でショートメールを入れてみたところ、やはり信徒さんが召された直後で、葬儀の準備が始まったことが分かった。

 

「木曜午後なら大丈夫です」と連絡を頂いていた。

 

**************

 

定額制の携帯(ガラケー)という安心感もあるが、電話を閉じる時にディスプレイを見ると、1時間半の経過を知り驚いた。

 

我々の電話の途中で、買い物から戻って来た妻が「まだ話てるのー・・・」と呟くのが聞こえるのも無理はない。

 

決して無駄話というようなことでなく、伝道牧会の中で、主の僕としての務めについて意見を聞きたいことがあり、どうしているのかなぁと話してみたいことが幾つかあった。

 

互いにタイプが異なることを知っているが故、貴重な視点からの声を聞かせてもらえる。腹の底から本音で語り合える有り難い同労者だとつくづく思う。年下であっても全く関係ない。

 

「あー、それは全く同じことが、先日後輩からも聞きましたよ」ということがあったり、互いの苦労を語ることは時に必要なのだ。

 

**************

 

 

翌朝、お礼と先方のホームページを見ての感想など記したメールを送った。説教も掲載されていてじっくりと読ませて頂いていた。

 

旭東教会のホームページも電話をしながら見てくれていて「あの時の一枚」なんて凄くいいですねぇ、等と教えてくれた。

 

また、説教ブログでは「もり先生、毎週これくらいの時間、話されるんですか」と、さすがに目の付け所が面白い。

 

**************

 

彼からのメールの最後には「昨日は何と90分の語らいだったのですね。僅か10分程に感じました。本当です」と記されていた。

 

それは私からしても同じで、確かにあっという間の90分だった。

 

「お祈りは神さまへの電話ですよ」という幼子への教えがふとよぎった。呟きも、神さまはゆるしてくださるはずだと思いながら。(もり)

 

 


2016年12月4日(日)朝9時過ぎ、ジュニアサークル礼拝開始と共に、二本目のロウソクに点火。直ちゃんの心にも灯がと祈りつつ
2016年12月4日(日)朝9時過ぎ、ジュニアサークル礼拝開始と共に、二本目のロウソクに点火。直ちゃんの心にも灯がと祈りつつ

  ◎2016年12月4日 ・ 【 窓 NO.88

     『  FEBC礼拝取材への備え 』

 

救い主イエス・キリストの来臨に備えるのがアドヴェントだが、「キリスト教放送局 日本FEBC」のスタッフが、番組作成のため(「全地よ、主をほめたたえよ」という主日礼拝の50分番組)にお出で下さることになった。

 

そちらの準備も始める必要を覚える。

 

放送はインターネットが、2017年のとある週の金曜日の朝10時以降から2週間。なんと、再放送もあるそうで、2017年の夏以降の金曜日の朝10時以降から2週間の聴くことができるとのこと。

 

さらに、ラジオが2017年○月○日(日)夜9時半~50分間と連絡をくださった。他にも、ラジオ毎月便というものもあるらしい。

 

**************

 

いやはやこれは牧師としても感謝であると同時に覚悟も必要。そして、教会全体として来会に備えが必要だと思う。

 

担当スタッフの方を、ただボンヤリとお迎えするのでは申し訳ない。そう思って、何回かに分けてお送りくださった、FEBCの近況が分かる幾つかの資料に目を通し始めた。財務内容も厳しさがある。そして、何よりお祈りを願って居られることを知った。

 

11月には役員会で相談し、旭東教会からも、ささやかではあるけれど(たぶん久しぶりに)献金をささげさせて頂いている。

 

資料の中には「キリスト教放送局 FEBC 支援教会(Listen to His voice)」のオリジナルワッペン型シールが含まれていて、近く、教会の前の掲示板の片隅に貼りたいと思う。

 

**************

 

いったんは勘違いしてしまったのだが、放送に関わりなく(最初は我々の取材と同じように礼拝の様子を放送した教会と勘違い)日本各地の教会を訪問され取材記をWEB(ホームページ)上で公開されていることも知った。

 

そう、こつこつと教会巡りをして居られるのだ。

 

教派を越えて、足を使って、時間をささげ、主の教会に仕える姿を知り頭がさがるばかり。故郷にあるもう一つの母教会の様子や町(大分市の駅前など)の変ぼうぶりも、偶然知ることが出来た。

 

**************

 

わたしの個人的ことで恐縮だが、FEBCには〈御恩〉のようなものがある。

 

消火器内科系の疾患のため入退院を繰り返し、人生に道を見いだせずにいた30年前頃(つまり20代半ば)、東京・練馬の6畳一間のアパートの窓辺で毎晩9時半からのラジオ放送に支えられていたのだった。

AMラジオの周波数1566メガヘルツをキャッチし続けるのがたいへんで、窓辺でじーっとラジオに心傾けて聴いていた。

 

どれほど助けられたことだろうか。

 

まずは祈りから始めたい。(もり)

 

 


左の教会員の八重子さん。昨年4月から本格的に礼拝に出席し始めて、いろんなことがわかり始めて楽しいです、と仰る。この日は聖家族のクリッペに興味をもってくださった。
左の教会員の八重子さん。昨年4月から本格的に礼拝に出席し始めて、いろんなことがわかり始めて楽しいです、と仰る。この日は聖家族のクリッペに興味をもってくださった。

  ◎2016年11月27日 ・ 【 窓 NO.87

     『  学ぶに終わりなし 』

 

話題の多い政治家・小池百合子氏(現・東京都知事)。

 

政治塾も主催しているとは聞いていたが、先日読んでいた毎日新聞で、カナダ留学中の高校3年で18歳の青年も入塾していることを知った。

 

新聞記者さん(中村美奈子さん)の若者へのインタビューを記事(「若者の投票箱」)に、うーんなるほどと思わされることがあった。

 

**************

 

小池氏は「マクロとミクロの視点で一日一回そのフィルターで物事を見て」と語り、具体的には「個人の視点の〈虫の目〉、上空から見渡す〈鳥の目〉、群れやグループ・共同体として見る〈魚の目〉を大切に」と開塾式当日の講義で語ったらしい。

 

それを受けて、入塾した彼は「僕は政治は基本的にプロデュースだと思っています」と言い切っている。

 

実は、牧師にもそのような働きが求められることが時にはある。

 

18歳の頃の自分を思うと、いやはや、この子の感性はと驚く。

 

**************

 

彼は小池百合子氏の講義を聴いて、「政治以外にも使える視点だと受け取りました」と語るのだが、同時に「視点は幾つも持ち、自分のフィルターにかけ落とす所は落とします」と〈冷静〉だった。

 

わたしは〈霊性〉を身に纏(まと)いながら、小池氏と18歳からも謙虚に学びたいと思う。

 

**************

 

最近、明らかに立場が違う方の発言に傾聴の価値あり、と思わされることが多い。

 

そして、真摯な若者の心意気からも謙虚に学びたいと願っている。本当に素晴らしい。(もり)

 

 


レマちゃんが埋葬されたご家族の墓地の一角にて。いわば、告別式とも言えるような時を過ごしました。
レマちゃんが埋葬されたご家族の墓地の一角にて。いわば、告別式とも言えるような時を過ごしました。

  ◎2016年11月20日 ・ 【 窓 NO.86

     『  ある家族の旅立ち 』

 

昨年秋の11月22日、特別礼拝の講師にお迎えした関田寛雄先生の論文に「異種家族(いわゆるペット)とその葬儀について」がある。

 

『「断片」の神学』という書に収められた真摯なもの。元々は、青山学院でご苦労された関田先生らが、コツコツと自主的な発行を続けられた『基督論集』に入っていたものだ。

 

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獣医師からの「人間だと100歳を越えているかな」の声を聞き、遺族となる覚悟を備えを始められ、実際ワンちゃんを看取られた教会員にコピーして差し上げていた。

 

序にこうある。「最近の日本の社会の家族関係の変化、即ち核家族化、高齢者の独居生活、家庭崩壊や不登校、引きこもり現象…そこには動物との交わりによる癒しとも言われている牧会的な課題がある」と。

 

**************

 

人生の旅路を整えて行く上で、誠実かつ信仰的な論述から学ぶことは多い。関田先生の専門は実践神学だが、教会にはやはり感情的な思いや経験だけでなく、神学的な思考や営みが必要だとあらためて感じる。

 

異種家族を見送った方々の語らいは、昨年来続けている〈グリーフケアの集い〉でも歓迎したいと思う。『週報』にはペットロスの文字も記してきたけれど、まだ市民権を得ていないかも知れない。(もり)

 

※関連のことを記した「レマちゃんを記念して」という題の「Blog・教会日記」を既にホームページにupしています。

 

 


2016年11月13日(日)、子ども祝福礼拝のひとこま。女の子の双子ちゃんです。ガウンをまとうことが少し続きました。
2016年11月13日(日)、子ども祝福礼拝のひとこま。女の子の双子ちゃんです。ガウンをまとうことが少し続きました。

  ◎2016年11月13日 ・ 【 窓 NO.85

     『  詩編45篇を読み解けた理由(わけ)』

 

先に発行された会報『緑の牧場 №31』の編集後記に取りあげられていたが、祈祷会では『詩編』をコツコツと学んでいる。

 

牧師になって20数年を経てやっと講解が出来るようになった、という感もある。

 

大先輩から、「詩編をしっかり読むといいよ」と10年ほど前に言われたことが忘れられなかったが、念願?かなって楽しく学びを続けている。よき聴き手が居ないと取り組むのもむつかしい部分もあると思う。

 

**************

 

先日学んだ45篇。

 

表現はむつかしいが一筋縄ではいかなかった。私も一生懸命に準備したもののスッキリとした福音を読み取れずにいたのだった。

 

午前の部の最後に、自由な感想を伺う中、洋子姉が語られた素朴な読み方「私はこう読みました」を聴いて、目から鱗が落ちた。もう少し言葉を添えるなら、光明が射し込んできた。

 

**************

 

そして、昼食後、牧師館の食卓で洋子姉の読み方を思い起こしながら学び直してみた。

 

妻から「どうしたの?」と言われるようなタイミングでこれは本当に珍しいこと。

 

そして夜の部。新たな気持ちで出席者に向かった。

 

新たな原稿なんて準備するなどということはしなかったが、今度は自分でも納得できる、福音のメッセージを講解が出来たと感じたし、参加者も何かを感じ取られたのではなかろうか。

 

**************

 

さまざまな文献にあたったり、翻訳を比較したりの地道な学びも楽しく有意義だと思う。

 

だが、洋子姉の素朴な読み方は、どんな著名な旧約学者の解説よりも素直にうなずけるものとなり、忘れ難い恵みの経験となった。

 

詩編45篇、全150篇の中でも、不思議な形で忘れない一篇ととなったのは間違いない。(もり)

 

 


11月3日の文化の日、納骨式が終わったあと、偶然撮影されていた文中のどんぐりの木の下を通っているところ。
11月3日の文化の日、納骨式が終わったあと、偶然撮影されていた文中のどんぐりの木の下を通っているところ。

  ◎2016年11月6日 ・ 【 窓 NO.84

     『  どんぐりの木の近くで  』

 

11月3日・文化の日。

 

故・N兄の納骨式が穏やかに行われた。ご家族やお近くの方々が多数集われた。

 

**************

 

お墓はご自宅から歩いて数分の所にある。奥さまの書子(ふみこ)さんは納骨式が終わってから「この通りはカーナビにも出ていないでしょ。こんなに広くなったのは最近で、昔は、3㍍も幅がない道だったんです」と言われた。

 

農村地帯とも言える、まさに田舎の田んぼの真ん中でもある。

 

周囲はNさんと同じ名前が刻まれた墓碑がたくさん立っている。地域の墓所のようだ。

 

**************

 

道路端に車を止め、墓地に歩いて行く途中、これ以上大きなものは見たことがないと思うような〈どんぐりの木〉に気付いた。

 

どんぐりが山ほど落下している。「どんぐりコロコロ」の歌を思い出し、大人心がくすぐられた。

 

**************

 

木登りをしなくなってどれくらい経つだろう。

 

物心付く前から、幼小中高の途中まで育った九州・大分市の実家の脇には、決して大きくはないが、秘かに登って隠れて居られる〈わたしの木〉があってご機嫌だった。

 

田舎の村の通りがかりの人を枝葉に隠れて見守っていたしちょっとしたものを隠しておくことも出来た。

 

**************

 

N兄は幼い頃から足がご不自由だった。

 

だが、今はもう、天国で思うままに木に登られるだろう。

 

きょうは聖徒の日。召天者記念礼拝が捧げられる。(もり)

 

 


10/23(日)は「まきば礼拝」をささげ、その後、「まきばカフェ」。季節のものだからおいしいを越えて、豊かな日曜日だから美味しかった。サツマイモは文中のM兄ご夫妻からのもの。感謝。
10/23(日)は「まきば礼拝」をささげ、その後、「まきばカフェ」。季節のものだからおいしいを越えて、豊かな日曜日だから美味しかった。サツマイモは文中のM兄ご夫妻からのもの。感謝。

  ◎2016年10月23日 ・ 【 窓 NO.82

        『  天国の扉  』

     ※加筆版は「新・森牧師の部屋」にup

今年の4月から月に2度のペースで日曜日の午後3時からの礼拝応援に伺う十文字平和教会。

 

礼拝後には毎回お茶の時間がある。先週、信望厚いM兄がふとした拍子にこう語られた。

 

「自分はもう少しのところで天国に行けそうにないと思うとる。聖書を読んでも右から左に抜けて行くばかり。癒しの業など自分はしたこともないし、これからも出来そうにないしなぁ」。

 

思いがけず天国のことが話題になったが、テーブルを囲んで話を聴いていた他の9名は、その時、確かに癒された。

 

車に乗り込んだ私たち夫婦に向け、外に立って、笑顔で大きく手を振り続けて居られたのはM兄だった。(もり)

  ※今号は加筆は一文字もありません。この字数が週報のコラム・《窓》のオリジナルです。

 


2016年9月25日(日)、牧師の夏期休暇で、講壇で証しをして下さった艶子姉が、車椅子の幸子さんを福祉タクシーまでお送りする場面。
2016年9月25日(日)、牧師の夏期休暇で、講壇で証しをして下さった艶子姉が、車椅子の幸子さんを福祉タクシーまでお送りする場面。

      ◎2016年9月25日 ・ 【 窓 NO.78

           『  岡山のめぐみ  』

 

▼遠方に暮らす同労の牧師に健康にまつわる近況を報告した。すると「私も先生より少し年下ですが、病気の〈予防〉の努力が必要と痛感してます」との言葉。50代も半ばを過ぎて、深く頷(うなず)く歳になってきたことを実感する。

 

▼この夏、岡山という地の有り難さが身に滲みたことの一つは、医療環境の充実の恵みに触れたことにもある。無事におわった心臓のアブレーションカテーテル手術が車で30分程の所で3泊4日で受けられる等、日本各地の医療過疎地では考えられない。

 

▼日本の多くの地で、原因不明のまま「まぁ、しばらくは様子を見ましょう」で終わっても不思議ではない。

 

▼もう一つ、いや、それにもましてかも知れないが、葡萄(ぶどう)各種・桃・鰆(さわら)の美味しさが更に深まって来た夏となった。ぶどうは去年もスゴイと思ったが今年はさらに種類が増えた。桃は去年は外れ年だったかと思う程。そして鰆は、刺身はもちろん、煮ても、焼いても、揚げても何でもほんとうにおいしい。

 

▼おそらく、岡山で生まれ育った方たちにとっては、慣れてしまっていることで当然のことかも知れない。だが、よそからやって来た私や妻は、ほんとうに顔を見合わせては、こんなにおいしいなんてと驚嘆している。

 

▼正に、「有難い」こと。慣れてしまわぬように、と心してあゆんでいきたい。(もり)

 

 


2016年9月11(日)の恵老祝福礼拝での聖餐式のひとこま。聖杯はこの地ならではの備前焼。教会員の明美さん作。
2016年9月11(日)の恵老祝福礼拝での聖餐式のひとこま。聖杯はこの地ならではの備前焼。教会員の明美さん作。

      ◎2016年9月11日 ・ 【 窓 NO.75

           『  あかし  』

 

9月8日(木)夜の祈祷会。

 

「証しって何ですか」という質問があり出席していた皆さんで考えた。その日は詩編40篇を学んでいて、特に、10節~11節の関連だ。そこにはこんなみ言葉がある。

 

【40:10 大いなる集会で正しく良い知らせを伝え 決して唇を閉じません。主よ、あなたはそれをご存じです。11 恵みの御業を心に秘めておくことなく/大いなる集会であなたの真実と救いを語り 慈しみとまことを隠さずに語りました。】

 

わたしが信仰に導かれた東京・銀座教会では信徒による証しの場が、当時は毎週火曜日・朝7時からの早天祈祷会の聖書講義後にあり楽しみだった。

 

朝の礼拝出席は300名程の大教会ながら小礼拝堂での早天祈祷会は20名弱の出席。時にはその方の声を初め

て聴く、或いは、初めてお目にかかる機会となり眠くなることなど皆無。

 

まさに身を傾けて聴いた。

 

半年に一度は当時の副牧師のおひとり寿満子先生より「森くーん、お恵みよ」とのお声掛けがあった。

 

苦労しつつ準備して語らせていただく機会は貴重な訓練となった。

 

教会生活、自分でも気付かぬ内に語る〈何気ない話〉が結果として〈証し〉となる場があればそれはとても貴く深い交わりが生まれると感じる。(もり)

 

数ヶ月前から「礼拝と同様、祈祷会でもぜひ補聴システムをワイヤレスで使いましょう」と提案したいと思いながら、実は出来なかった私。

 

ようやく、夜の部で開始前にセットして(参加者にも簡単に説明して)使うことになった。

 

『詩篇 40篇』の学びの後のお祈りの時となった。祈祷会のような場でマイクを使って祈ることに慣れている人は少ない。

 

五角形型のような机の配置をして、互いがそう遠くに座っているわけではない。

 

見た目にはそんなマイクなんて使わなくても、大きい声なら聞こえるようにも見える。だが、聴力に不安がある方にとっては・・・・・、聞こえない言葉が多いはず。

 

その日は、人前で初めてお祈りをされる方も含めて、オリンピックの四〇〇㍍リレーのように、マイクがバトンされた。

 

終了直後、専用のイヤフォンを使われたK兄が「今日はよかったぁ」と満面の笑顔。

 

「いつもはみんなのお祈りの時、こうして身を乗り出していたけれど聞こえるのは半分位で・・・」と。

 

感謝はしばしば懺悔(ざんげ)と共にやって来る。(もり)

 


2016年9月8日(木)、11日(日)の恵老祝福に合わせて準備が整ったカードと、とある素敵な贈り物セットの一枚。
2016年9月8日(木)、11日(日)の恵老祝福に合わせて準備が整ったカードと、とある素敵な贈り物セットの一枚。

      ◎2016年9月4日 ・ 【 窓 NO.74

           『  これからも是非  』

 

9月に入り夏休み休会となっていた祈祷会が再開した。

 

数ヶ月前から「礼拝と同様、祈祷会でもぜひ補聴システムをワイヤレスで使いましょう」と提案したいと思いながら、実は出来なかった私。

 

ようやく、夜の部で開始前にセットして(参加者にも簡単に説明して)使うことになった。

 

『詩篇 40篇』の学びの後のお祈りの時となった。祈祷会のような場でマイクを使って祈ることに慣れている人は少ない。

 

五角形型のような机の配置をして、互いがそう遠くに座っているわけではない。

 

見た目にはそんなマイクなんて使わなくても、大きい声なら聞こえるようにも見える。だが、聴力に不安がある方にとっては・・・・・、聞こえない言葉が多いはず。

 

その日は、人前で初めてお祈りをされる方も含めて、オリンピックの四〇〇㍍リレーのように、マイクがバトンされた。

 

終了直後、専用のイヤフォンを使われたK兄が「今日はよかったぁ」と満面の笑顔。

 

「いつもはみんなのお祈りの時、こうして身を乗り出していたけれど聞こえるのは半分位で・・・」と。

 

感謝はしばしば懺悔(ざんげ)と共にやって来る。(もり)

 


2016年8月21日(日)、礼拝の1分間メッセージ。直ちゃん、髪形がまたカッコヨクなった。
2016年8月21日(日)、礼拝の1分間メッセージ。直ちゃん、髪形がまたカッコヨクなった。

        ◎2016年8月21日 ・ 【 窓 NO.73

             『  見えない所を  』

 

今回入院時の主治医は190㌢で30代半ばと覚しき専門医。

 

外来を担当される為におもてに出て来られるスタッフドクターの中では一番若手ながら、前面に出てくるひたむきさが感じられる。

 

お世話になったクリニックのホームページの自己紹介には、【香川県立中央病院や離島、山間部などで地域医療に従事。総合内科医として勤務した経験を、岡山の地で活かしたいと思います。また、恵まれた上司のもと、病気の診断・治療のみならず、人間的にも成長し、そして皆様に心(ハート)のこもった温もりのある医療を・・・】とある。

 

退院前あれやこれやの話を家族と共に30分程した。

 

最後に「どーんとしていて下さい」との助言を受けた。これがまた簡潔で嬉しい。

 

**************

 

「他に何かありますか」と言って下さったので、ぜひと考えていた質問をした。これは、まともな就職を初めてした時に、「一番やり甲斐があるのはどんなことですか?」ととある会社で30数年前の面接で聴いたことにも通ずる。

 

「先生方にとって、このような専門的な施術(しじゅつ)をなさる時に、何が一番難しいのですか」。

 

説明のためのパソコン画面が二つあるデスクの片隅から手に取られたのは〈カテーテル〉だった。

 

「(事前に様々に撮影した箇所を参考にしながら)何も見えない所にこの管(くだ)を送り込み、手の感覚だけで、心臓が焼け焦げないように焼き付けること」

「(カテーテルと手元のスイッチのようなパフパフ?を見せながら)これだけですから。やってみます?」と言われた。

 

先生に近い所に座っていた妻が手にして動かし始めた。

 

「全然分からない」との声。どうやら、何とか扱えるようになる迄に最短2年は必要だそうだ。

 

目に見えない所にTeamで心尽くされる切磋琢磨の一端だと思った。

 

**************

 

Professionalに出会えることは嬉しい。

 

牧会の現場に向けて良き刺激を受けた。我々も見えないものに目を向ける者なのだから。(もり)

 

※今号、さらに加筆して週末までにこちらにup予定です。

 


2016年8月14日(日)、夏休みということで、広島在住の宏さんも帰省。ご長女は11ヶ月。この直後に、祝福をした。
2016年8月14日(日)、夏休みということで、広島在住の宏さんも帰省。ご長女は11ヶ月。この直後に、祝福をした。

        ◎2016年8月14日 ・ 【 窓 NO.72

             『  真夏の背広  』

 

8月10日(水)。

 

午後1時からは、岡山県東部地区ではお隣の教会となる光明園家族教会の祈祷会奉仕だった。

 

わたしは2ヶ月に一度、説教の奉仕をさせて頂いている。ハンセン病の療養所内にある教会だ。近隣の教会ほか、さまざまな形で出会いが与えられた先輩方や仲間たちが出掛けている。

 

暑さ厳しい日だったが、旭東教会から妻のほかに、お二人の方が同行して下さった。

 

安佐子姉は青年会時代以来とおっしゃったので「10数年ぶりですね」と車の中で話ながら向かう。

 

ふみえさんは全くの初めてながら、お隣にお住まいだったおばあちゃんが、看護師として長年、長島愛生園か光明園のいずれかでお働きだったということで、「ぜひ、わたしもお願いします」とお声掛け下さった。

 

出会いが生まれることは福音の出来事が起こる場となる。ほんとうに楽しみだ。

 

**************

 

礼拝堂前方には、いつもの座布団席に90歳を越えるK長老の姿。かつては「点字聖書を舌で読んでおられたのよ」と役員さんの幸矢(さつや)さんから今回初めてお聞きした。

 

どこかでそのような方が居られると聴いていたが、帰宅してから想像するだけで、本当に凄いことだと思う。

 

K兄。今では聴力もだいぶ弱られたご様子ながら、スピーカーを頼りに毎回集中してじいっと説教を聴いて下さる。

 

いえいえそれどころか、歩くことだって、立ち上がることだって容易ではない。

 

**************

 

お茶の時間になるとちゃぶ台を二つ準備する。だが、座布団にお座りになったK長老は自力ではちゃぶ台の方向にむき直すことはもはや出来ない。そうなると、座布団ごとくるっと向きを変えることになる。

 

斜め前に静かに身を置いておられるK兄のうすいグレーの背広が目に止まった。暑いのに大変だと思った。そして洒落ている。そして白いシャツが映える。

 

妻は妻で挨拶時に「Kさん背広かっこいいねぇ」と声を掛けたそうだ。すると「先生が来られるからねぇ」と仰ったとのこと。

 

K兄のユーモアもあるかも知れない。

 

だが、それ以上に、もったいないお言葉だ。ただ、感謝しかない。(もり)

 


2016年8月7日(日)は平和聖日の礼拝。罪責の告白をし、聖餐に与るのが旭東教会のならわし。偶然、聖餐の開始間もなく撮影しているカメラがあった。白布が除かれ、配餐用の葡萄酒の蓋も外れている。
2016年8月7日(日)は平和聖日の礼拝。罪責の告白をし、聖餐に与るのが旭東教会のならわし。偶然、聖餐の開始間もなく撮影しているカメラがあった。白布が除かれ、配餐用の葡萄酒の蓋も外れている。

        ◎2016年8月7 ・ 【 窓 NO.71

             『  アーメンです  』

 

教会ホームページを御覧になって朝の8月3日(水)の〈グリーフケアの集い〉に来会された方を玄関で見送るとき、「私のようなクリスチャンではない者が本当に来ても良いんですか?」と尋ねられた。

 

ホームページの案内には「宗教的な立場を超え、語り、聴き、ゆっくりと歩みだすことを願う集い」と記している。

 

素朴にそう思われたのだろうと思う。

 

次の機会を約束してお別れした。

 

夜の部の方は、何の話からか、表通りの毎週の毛筆による礼拝予告に触れられた。

 

説教題の脇に添えられている〈どなたもお出で下さい〉をぜひ続けて下さい、とお話下さり、「先生、今すぐにお出でになれなくても、見ている方は必ずいますから」と。

 

コツコツと励みたい。(もり)

 

※本号、8月10日(水)には〈新・森牧師の部屋〉に補筆版をアップロード予定です。

 

 


2016年7月31日(日)の17時過ぎ、講師としてお迎えした古谷正仁(まさよし)先生を、岡山市内の後楽園にご案内した時のひとこま。
2016年7月31日(日)の17時過ぎ、講師としてお迎えした古谷正仁(まさよし)先生を、岡山市内の後楽園にご案内した時のひとこま。

        ◎2016年7月31 ・ 【 窓 NO.70

             『  安心して旅立つ  』

 

5年以上の長きにわたっての入院生活を送っておられたH姉の告別式(7月28日(木))は外部のホールで13時に開式となった。

 

木曜日は祈祷会の日。

 

この日を楽しみにしている方が一人でも居られるならば、何とかしたいなぁと考え、朝の祈祷会は11時に解散としたものの予定通り行った。

 

限られた時間を、どのような時を過ごそうかと考えたが、予定していた詩編の学びは休止とし、昨年11月の『信徒の友』〈葬儀関連特集〉より、加藤常昭先生という隠退牧師が奥さまをお送りになった葬儀をめぐっての随想から学び、限られた時間だったが、気付きを分かち合った。

 

2ヶ月ほど前に、N兄の葬儀の時にも、「前夜の祈り」について記されていたことを思い出し、読み直した文章だった。

 

特に朝の祈祷会では、2時間後に始まる実際の告別式の式辞で語ろうと考えていたメモを元に、死と直面する中での病床聖餐の大切さについて語った。もちろんその他にも考えることがあった。そして、実際に、告別式でも丁寧に語ることに努めた。

 

前夜式とのメッセージの違いやお出でになる方々のこと、場所のことも含めてその意図も語った。

 

H姉のご子息が葬儀の打合せの席で、「母は穏やかに召されました。苦しむのは辛いですから」と語られた。そのことは、病床でのみ言葉と聖餐に深く結ばれていることを思う。

 

H姉は横になったままでありながらも、み言葉を聴く時には明らかに姿勢を正され、きりっとした表情でその時を過ごされた。

 

さまざまな事情はありながらも、福岡の教会でもご一緒した姉妹を岡山で見送るとことになるとは思いもよらないこと。

 

神さまのなさるわざは計り知れない。(もり)

 


2016年7月17日(日)、集会室のステンドグラスの前にて。涼しげで嬉しくなった。
2016年7月17日(日)、集会室のステンドグラスの前にて。涼しげで嬉しくなった。

        ◎2016年7月17 ・ 【 窓 NO.68

             『  my 聖書  』

 

最近、お二人の方が新しい聖書を手にされた。いずれも求道を開始した方。

 

お一人はご自分で道に迷いながら?岡山CLCへ行かれ、書棚をにらめっこして選ばれた模様。それはそれでとても貴重な時間だったと思う。

 

もうお一人は岡山CLCのカタログを開いたものの、ひとりでは何を選んで良いのやら、分かりにくいことも多く、旭東教会の信仰の先輩から「わたし日本聖書協会の回し者みたい」と言われながら、有り難い助言を受け注文された。

 

本屋さんから届いた時、「これで書き込みが出来ます。わたしあれこれ書くのが好きなんです。みんなに選んでもらったから嬉しい」と言われた。

 

何れもお好きな色のチャック付きのカバーの付いた薄手(紙の質が違う模様)の洒落たもの。

 

もちろん2人ともに『讃美歌 21』も手にされた。

 

わたしたち位の規模の教会で牧師として何か上向きな気持ちになることの一つに、「自分の聖書を買いたいのですが」という人が起こされる瞬間だ。

 

**************

 

私の場合、サラリーマンとして働いていた30年前、東京銀座のど真ん中にある教文館という古めかしい建物の中にあるキリスト教書の図書館のような書店でドキドキしながら初めての聖書を購入した。

 

神学生になる前、なってからも、本当にしばしば通ったもの。

 

当時、東京駅前八重洲口の会社勤めをしていて、銀座教会で求道していた。新共同訳の最初の版が1987年の発行になるから、その4年程前のことになる。なぜか、えんじ系の聖書を選んだ。

 

あれ以来、用途の異なる様々な聖書を手にした。また、ある時には聖書を記念品に選んだことも。

 

それぞれに思い出がある。最近では。日本のキリスト教出版の世界に貴い足跡を遺された恩人とも言うべき方が、晩年、ご自宅の枕辺で読んでいた聖書を好む。

 

鉛筆のレ点の書き込みを見ると想像が膨らみ故人を偲ぶことになる。(もり)

 

 



2016年6月26日(日)、講壇交換で出掛けた鳥取市の湖山教会の礼拝にて。子どもの礼拝が組み込まれていてメッセージをされるYさんと森牧師。
2016年6月26日(日)、講壇交換で出掛けた鳥取市の湖山教会の礼拝にて。子どもの礼拝が組み込まれていてメッセージをされるYさんと森牧師。

 

      ◎2016年6月26 ・ 【 窓 NO.65 

 

             『  利尻教会  』

 

TBS系のラジオ番組に長く出演されていた永六輔さんがこう言われたのを記憶している。

 

「番組宛てのお便りには必ずその日にお返事を書きます。返事を書けないくらい忙しい暮らしをしていたら何かがおかしい」。

 

それを聴いた時、耳が痛いと感じ、全くその通りと思った。しかし「その日のうちに返事を書く」ことの実践はかなりハードルが高い。

 

『信徒の友 6月号 日毎の糧』を通じて教会宛に80通近いお便りが届いた。いや、100通に近いだろうか。お祈り頂く日が水曜日だったことの影響も大きいにしてもありがたいこと。

 

役員会で「今回はお返事を」という声が上がり、手分けしてお返事することになった。

 

その際、埼玉和光教会からの「利尻教会の森先生ですよね」の葉書を再読した。

 

感謝しつつまた笑った。

 

もちろんこれは、前任地で「利尻昆布バザー」に仕えていたからであり、主にあってお交わりを頂いた恵みを思う。

在任したのは稚内教会、バザーで売ったのは利尻昆布。

 

だが、残念ながら〈利尻島〉にプロテスタント教会はない。

 

過去に他教派も含めて伝道の取り組みが行われた時期はあったはずながら、現在、形ある教会はカトリック教会だけである。島での伝道は容易ではない。(もり)

 

 


2016年4月19 日(火)高松市内の施設から見えた鯉のぼり! 小学校のグランドとは撮影時は気づかず。
2016年4月19 日(火)高松市内の施設から見えた鯉のぼり! 小学校のグランドとは撮影時は気づかず。

◎2016年4月24 ・ 【 窓 NO.56 

 

       『  20匹の鯉のぼり  』

 

幸子姉がお住まいの施設を4/19(火)高松に訪問した。

 

約束の時間に少し遅れ気味に到着すると、幸子さん、車椅子に乗って、玄関付近で待っていて下さった。

 

**************

 

1階の団欒(だんらん)の場はホールが提供された。

 

当然そうとうに広い。

 

でも少しも寂しくなく、とてもいい気分だった。

 

約一年前の訪問時の写真を、正さんのタブレットPCを使ってホームページを探してみた。あった「あの時の一枚!」の中に。

 

**************

 

これまた正さんのハーモニカによる伴奏に合わせていつくしみふかきを歌ったりして、ふと窓辺を見ると鯉のぼりが泳いでいるのが目に入った。

 

すると〈さっちゃん〉が、自分の部屋のある5階に上がろうと促す。

 

**************

 

正さんと美樹さんとさっちゃんの私の四人でさっちゃんの部屋のベランダに出た。

 

すると、強い風に吹かれ見事に空を泳ぐ鯉が見える。

 

後で写真を数えてみると、何と20匹もの鯉!

 

帰宅後調べて見ると、市立小学校の校庭だと知った。

 

**************

 

帰り道「あんなにたくさんの鯉のぼりは初めて」「子どもを大切にしたい気持ちが伝わってくるねぇ」と話も弾んだ。

 

さて、旭東教会で子ども達が大切にされていると感じてくれるシンボルは何だろう。

 

もしかすると、直ぐそこにあるのかも知れない。(もり)

 


2016年4月19 日(火)夕暮れが近くなってきた瀬戸内海。瀬戸大橋の与島パーキングエリアにて。四国を望む。
2016年4月19 日(火)夕暮れが近くなってきた瀬戸内海。瀬戸大橋の与島パーキングエリアにて。四国を望む。

◎2016年4月17 ・ 【 窓 NO.55 

 

              『  from 聖書  』

 

大事にしているつもりでも、いつしか傷んでくるのが聖書。

 

最近、妻に頼んで強力なボンドで背表紙を補修してもらうことが続いた。

 

いずれも20年選手。牧師になって使い始めたものだからもっと長いか。書き込みなど見ると、懐かしい、あの時この時を思い起こすことがある。

 

**************

 

神学校で厳しくご指導下さった恩師のO先生という方が居られる。

 

旧約学と宣教論や牧会学を担当された方。

 

あの頃、一番前に座って講義を受ける時、いつも小型聖書を使っておられるのを見て不思議に思っていた。神学校に持って来る聖書だったからなのだろうか、いや違うだろう。使い込んだ聖書だったと思う。

 

確実に老眼が進んでいるはずなのに何故だろう?と思った。当時、O先生は60歳位だった。

 

**************

 

ところが、最近の私。

 

小さめの聖書を手にすることが多くなってきた。

 

どうやら、狭い机の上で、幾つかの聖書を開く時にも邪魔にならず、手のひらに乗せても扱いやすいからのような気がする。

 

**************

 

どこかで恩師の背中を追う私が居るのも本当だ。

 

そして、わたしもいつしか、初めて神学校で出会った頃のO先生とそう違わない年齢に近くなってきた。(もり)

 

 

 


2016年1月10日の夕べ、何年も療養・治療が続く恭子さんの病室を訪ねたおり、詩編23篇を素敵なカードに書いてくださっていた。恭子さん、カードを手にしておられる。この前には、ストーリーテリングをしてくださった。正さんの姿は奥にチラッと見える。
2016年1月10日の夕べ、何年も療養・治療が続く恭子さんの病室を訪ねたおり、詩編23篇を素敵なカードに書いてくださっていた。恭子さん、カードを手にしておられる。この前には、ストーリーテリングをしてくださった。正さんの姿は奥にチラッと見える。

◎2016年1月10日 ・ 【 窓 NO.41】

 

    『  満腹の夜に  』

 

1月7日(木)の夜、祈祷会が終わり皆さんが家路につかれた後、牧師館に戻り、大納言という立派な小豆の〈ぜんざい〉を頂いてしばし休憩。

 

その後、書斎=牧師室の椅子に座った。

 

**************

 

朝から一日よく働き疲れていたはずだった。

 

だが、何とも言えぬ充足感を感じた一日だった。

 

だからだろうか。

 

次週の聖書箇所、詩編24篇を学んでおこうという力が溢れていた。

 

**************

 

振り返ってみれば、「嬉しいことがあったので」と電話を入れたくなるような好日だった。

 

お目に掛かってお話ししたいなぁと願っていた教会外の方(求道者になって下さればと心にとめている方)に電話をしてみたところ、本当にお出で下さった。

 

それはまた、教会のひとりのご婦人の何気ない私への声掛けが切っ掛けだったので、ますます嬉しかった。

 

**************

 

だが、ピカイチは、夜の祈りの時間にある方が祈られたこの言葉かも知れない。

 

「今夜の詩編23篇の学びで、私は今お腹一杯です」

 

これはその日の私の実感と重なるものだった。

 

いや同席の多くの方も感じたと思う。

 

それほど詩編23篇のみ言葉は豊かだった。

 

**************

 

私に洗礼を授けて下さったU牧師が、終末期医療のホスピス病棟で、来会の教会員に対して、「2」「3」と指を出して朗読を求めて居られたことを聴いていたこの詩編23篇。

 

改めて学んでみると、恩師の思いが染みるように伝わって来るのを感じた。

 

**************

 

「腹八分目が肝心」という言葉をしばしば聞くけれど、み言葉の腹一杯なら神さまも喜んでくださるだろう。

 

そして聴く私たちのお腹の消化もよろしいのではなかろうか。

 

**************

 

その日、祈祷会にされた幹子さんは、日曜日(1/10)の夕べ、正さんとわたしと三人で、長期入院中の恭子さんのお見舞いに出掛けた折、素敵なカードに、何と、口語訳の詩編23篇を書き写して来てくださり、枕元で朗読してくださった。

 

嬉しい出来事だった。

 

余韻はそこでもまた響いてきたのだった。感謝。(もり)

 


2015年11月22日(日)の礼拝報告時、関田寛雄先生をあらためて紹介。関田先生、ここでフーテンの寅さんを引用しながらみんなをお笑いさせられました(^^♪
2015年11月22日(日)の礼拝報告時、関田寛雄先生をあらためて紹介。関田先生、ここでフーテンの寅さんを引用しながらみんなをお笑いさせられました(^^♪

◎2015年12月13日 ・ 【 窓 NO.37】

    『  恩師からの補講の直後に  』

            (『週報』のミニコラムにちいさな加筆をしています)

 

過日、旭東教会の特別集会においで下さった関田寛雄先生は私にとって恩師とも言うべき方の一人。とは言え、世には「関田寛雄先生こそ我が恩師」と思っている人は何千人、何万と居るだろう、というレベルの話なのだが。

 

それでも、間違いなく、私自身が人として生きるとはどういうことか、クリスチャンとして牧師として、いつもその存在は重しとなり、座標軸となっていると思う。

 

旭東教会にお迎えした11月22日(日)の夜、妻と共に西大寺の片隅で夕食をご一緒させて頂いた。かつてはマイ箸を持って歩いておられたけれどこの間は出されなかった。

 

地元の岡山の米ビールなるもの少し口にされ、あれやこれやと話をし、いつしか、神学的な話題も食事の席で出てきた。特に、現場から生まれてくる言葉の重さについて考えさせられお話が展開していた。

 

関田寛雄先生は、各地の神学校で説教学や牧会学の講義も担当された方。現場に出て20数年の私は今頃になって教えて頂きたいなぁと思うことが不意に胸から飛び出した。それは「葬儀説教」についてのものだった。

 

先生の言葉を必死になってノートしたわけではないので、そのままをご紹介するわけではないけれど、先生は私の質問に対して、深く頷き、身を乗り出しながら3つのことを口にされたと思う。私からの問い掛けは敢えて伏せるけれど、それでも、葬儀全般に通じる大事なことをお話下さったと思う。

 

「その人がどんな人生を歩もうとしたのかを語りたいねぇ」「未来志向でね」「教会だけでしか通じない言葉は使わないように」。

 

思い掛けない形の「説教学」「牧会学」を兼ねたような補講受講後2週が経って、K義兄が召天。葬儀を迎えることとなった。(もり)

 

 


2015年11月4日(水)の瀬戸大橋。後部座席からの撮影ですからご安心を。助手席の方の耳はK原先生こと正さん。私は運転中。小春日和のよき日。いや、出来事自体が素晴らしい一日だった。
2015年11月4日(水)の瀬戸大橋。後部座席からの撮影ですからご安心を。助手席の方の耳はK原先生こと正さん。私は運転中。小春日和のよき日。いや、出来事自体が素晴らしい一日だった。

◎2015年11月8日 ・ 【 窓 NO.32】

 『  高松にて  』

            (『週報』のミニコラムにちいさな加筆をしています)

 ※〈大幅加筆版〉は別ブログの【森牧師の部屋】というBlogに(赤をclick)にアップ予定です。 

 

▼「K原先生が高松に来られて主人が急に洗礼を受けたいと申しています。どうすれば宜しいでしょうか。私は嬉しいのですが」とお便りを下さったのは高松のA姉。


▼秋晴れの11月4日(水)、前述のK原兄と妻と三人で、瀬戸大橋を通って一路A姉のお連れ合い文彦さんがベッド上でお過ごしの高松に向かった。しばらくA姉のお話を伺った後、お部屋へ。昭和4年・1929年生まれの文彦さん。わたしが先入観でお耳が遠いと思い込んで話始めると、「耳はいいから普通に話し手いいよ」とおっしゃった。なんだかおかしくなった。わたしの父が昭和2年生まれだからほぼ同世代となる。たぶん、息子さんのお友だちくらいに見えたことだろう。


▼「僕は社交が出来ないんだ」との実直なお言葉を聴いた後はミニ礼拝の時を持つことにした。文彦さんと短時間でわたしが何かをお伝えするにはこれしかない、と思った。あれこれ他にも抱えて持っていったけれど役に立たないと感じた。小礼拝は部屋にいた5人にとって大きな意味がある。選んだみ言葉は「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコによる福音書1:15)だ。イエスの宣教の初めの言葉だ。


▼日本語になった「悔い改め」とは「向きを変えること」ですと、私自身の病床受洗から始まり今に至るまでの方向転換の日々を枕元で一気に語った。西大寺出発時には考えもしなかった準備会だった。み業がまた動き始めた。感謝(もり)




文中の萩焼のお店。扇窯 佐久間正和さんのお店。萩市川上2662が住所。
文中の萩焼のお店。扇窯 佐久間正和さんのお店。萩市川上2662が住所。

◎2015年9月27日 ・ 【 窓 NO.26】

 

『  旅の楽しみ  』 (『週報』のミニコラムをそのまま転載しています)

 ※〈加筆版〉は別ブログの【森牧師の部屋】というBlogに(赤をclick)にアップ予定です。 

 

▼夏休みを頂き久しぶりに九州へ向かった。途中、心地よい思い出のある萩市にも出掛けた。

 

萩焼が目的というわけではなかったのだが、ぶらぶらと歩いている内に青色の珈琲カップとお皿のセットが目に止まり2千円の買い物となった。

 

▼店番の婦人に「何だか、気分がいい作りですね、このお店」と話しかけた。

 

「一ヶ月前に開店したばかりなんです。夫が焼いたものを置いているのですが、この辺りにずっと店を構えたいと・・・・・・」との声。

 

▼ここ数年、色んな場で声掛けすることが多くなった。

 

歳だろうか。

 

いやいや、教会での出会いの数に比例し話し好きな人になって来たようにも思う。(もり)