【 窓 】 旭東教会の『週報』よりミニコラム


【 旭東教会の集会室に設置されているステンドグラス 「最後の晩餐」 】(下村満智子作)
【 旭東教会の集会室に設置されているステンドグラス 「最後の晩餐」 】(下村満智子作)

 京都在住のステンドグラス作家(キリスト者)・下村満智子さん作のステンドグラス・「最後の晩餐」が集会室の〈窓〉として納められています。

 大きさはなんと2m×1m程もあり、とってもおおきな立派ものです。わたしたち旭東教会のちょっぴり自慢の〈窓〉です。集会室が実に格調高い空間になっています。教会の側道からもご覧頂けるように設置されています。ぜひ、お出かけ下さってご覧下さい。本ステンドグラスは、教会員のK・正兄が献品して下さったものです。


※以下、バックナンバーは容量の都合で削除しています。


5月20日(日)はペンテコステ・聖霊降臨日 ジュニアサークル説教時のひとこま 講壇の掛布、聖餐式の掛布を見て頂いた場面。
5月20日(日)はペンテコステ・聖霊降臨日 ジュニアサークル説教時のひとこま 講壇の掛布、聖餐式の掛布を見て頂いた場面。

◎2018月5月20 ・ 【 窓 163号

        『 神秘 』

 5月17日(木)、定例の夜の祈祷会がで触れた「神秘」という語がある。

 

カトリック教会では、ごく自然に使われる言葉のようだが、私は今まで、教会の中で用いたことがなかった。

 

国語辞典の中でも、だいぶ詳しい部類に入る『精選版日本国語大辞典』でひいてみた。

 

そこには《人の知恵では計り知れない霊妙不思議な秘密。普通の理論や認識を超えた事柄。また、そのさま。》とある。いつもながら、国語辞典をひくとあれこれと気付かされることが多い。

 

夜の祈祷会で詩編78篇の学びの後、祈りを合わせ始める直前に「お祈りの課題はありますか?」と声掛けした私。

 

実は、「○□○□についての幻が与えられていて、この場で皆さんと祈り始めたいです」と言い出せずにおわってしまい悔いを残した。

 

翌日の5月18日(金)の朝、音響機器設備の業者との相談で来会された但し兄にその旨をお伝えすると「最近、私もずっと○□○□のことばかり考えておりました」と仰るではないか。

 

うーん、そうだったかぁ、と思いながら、偶然?いやいや神秘か?などと思いを馳せた。

 

今日、5月20日(日)は聖霊降臨日・ペンテコステだ。

 

使徒言行録2章17節の【若者は幻を見、老人も夢を見る】を思わずには居れない。

 

私が見た「幻」と正兄の「夢」。皆さんと共に祈り始める時が来るのかも知れない。そしてそうなるならば、幸せなことだなと思う。(もり)

 

 


5月13日(日)は「母の日」。礼拝堂のオルガンの上に、光代さんのお心配りによりカーネーションが置かれた。
5月13日(日)は「母の日」。礼拝堂のオルガンの上に、光代さんのお心配りによりカーネーションが置かれた。

◎2018月5月13 ・ 【 窓 162号

    『 礼拝の〈報告〉 』

 

4月から主任担任教師兼務者として仕え始めた十文字平和教会では第一週の礼拝後に役員会が行われる。礼拝が午後3時からだから、役員会が始められるのはお茶の時間をはさんでから、午後5時過ぎとなる。

 

先週(5/6)の役員会では「礼拝順序」を日本基督教団が提案している新しい式文を参考にして少しだけ改めることになった。

 

特に、《神の招き》《神の言葉》《感謝の応答》《派遣》という区切りの言葉も週報の式順の中に明示することになった。意義深いことだと思う。賛美歌付き聖書講演会ではないことを我々も大事にしたいものだと思う。

 

ここから記すことは、十文字平和教会で新たにした部分というわけではないのだが、少し考えてみたい大切なことだ。

 

十文字平和教会の礼拝では、「報告」は「献金」のすぐ後に置かれている。そして、その「報告」のあとに、賛美・祝祷・後奏と続く。

 

なぜだろう。

 

神学校の実践神学部門の授業のひとつ「礼拝学」で考えるような問いかけなのだが、「報告」の位置付けはかなり大切な意味を持っていると思う。

 

「報告」は礼拝の最後にチョコッとしておきましょう、聞いても聞かなくても構わないですよ。お急ぎの方はお帰りになっても大丈夫、というような性格のものとは違うことは明らかである。

 

「報告」も我々の伝道・宣教の課題として分かちあわれるべき重要な要素の一つだから、というのが答えだろうか。

 

それにしても、礼拝とは実に奥深いものであると思う。

 

ちなみに、「新来会者」が居られる時に、どのようなタイミングでその方をご紹介するのか、ということも重要な意味がある。もちろん、新来会者カードに「紹介、きょうは遠慮します」という欄に○が付いていれば行わないけれど、「お任せします」というような場合どうだろう。礼拝の後半でよいのか。それとも・・・・・・。

 

答えは一つではないだろう。いずれを選択するにせよ、その理由を明確に語れるか否かがもっとも問われることである。(もり)

 

 


5月6日(日)の礼拝堂・講壇の献花です。この時期らしい爽やかさと共に。
5月6日(日)の礼拝堂・講壇の献花です。この時期らしい爽やかさと共に。

 ◎2018月5月6 ・ 【 窓 161号

    『 礼拝堂での映画 』

 

大型連休中盤となる5月3日(木)の夜、〈旭東教会シネマ〉としては初の邦画を上映して楽しむ時をもった。

 

「邦画」と言えば普通は「字幕」はない。その結果わかったことが一つ。

 

それは、これまでの洋画は声が聴き取れなくても「字幕」に大いに助けられていた、ということだった。

 

そう言えば、半年程前の新聞の投稿欄に、映画を楽しみにしてきたご婦人が「歳を重ねるにつれ、邦画ではなく、字幕のある外国映画のほうが・・・」と書かれていたことを思い出した。

 

もちろん、わたし自身の聴力の衰えもあるけれど、どうやら映画が作られた時代とか観る人のことをそんなに考えていない時代の映画だったようで、半数くらいの方が、よく聞こえないのは自分だけ?と最初は心配になっていたことに気付いた。

 

映画の方は、現在も元気に活躍されている女優さん(1945年・昭和20年生)の初主演映画という知識位しかなかったのだが、敗戦後10年程の関東のとある街を舞台に、今日に続く戦後の闇、更には高度成長時代以後、失っていった日本の宝が垣間見えた。そして、昔はかくも喜怒哀楽がはっきりしていたのかと思ったりもした。

 

最終盤、定時制の学校に通いながら働くことになった主人公がアコーディオンを囲む女工達の歌声に希望を抱く姿に触れてふと思い当たったことがある。

 

それは、カネボウという紡績会社があった(現在は公園に変わった)という旭東教会のある西大寺の風景に重なって見えたのだった。

 

昭和30年代、つまり、私が生まれてくる頃なのだが、こういう大らかな時代でもあったのだなぁ、と色々と考えるきっかけとなった。

 

上映後、70代半ばを過ぎようとしているご婦人から「まるで私の人生を見るようでした。あのような別れがあり・・・」との声も聞こえた。

 

そんな思いを抱いて下さる方が一人でも居られたならば、心を込めて準備して下さった共育委員会の方々のご苦労も報われる、と思った次第である。(もり)


4月29日(日)の講壇の献花です。気品があるのです。感謝。
4月29日(日)の講壇の献花です。気品があるのです。感謝。

 ◎2018月4月29 ・ 【 窓 160号

    『 2018㎜のシャローム(平安・平和) 』

 

4月25日(水)の夜の部の「グリーフケアの集い」でのこと。

 

会の中盤以降、参加者で語らいをして居たときに、「人が安心して話ができる距離感についての話題が出た」。

 

その時、たぶん生まれて初めてだと思うのだが、〈息で話す〉という言葉を聴き、とっさにメモした。

 

たいへんお世話になった木田みな子先生というオルガニストが、無昔ながらのリードオルガンを大切になさる方で、「息」の大切さについて幾度もお話下さったことがあり、オルガンであるとか声楽との兼ね合いでは考えることがあったのが「息」だった。

 

グリーフケアの集いでの〈息で話す〉という言葉は新鮮な響きをもっていると感じた。

 

確かに、悲嘆を抱えている方がご自身について語るには、〈息で話す言葉〉をそれが小声であっても傾聴する距離くらいが適当だろうと思う。人生の悲嘆はマイクを通しては中々語れないし、〈発表〉のような形で語ることも難しい。

 

二日後に行われることになっていた(4/27(金))朝鮮半島の南北首脳会談。場所は軍事境界線がある板門店・平和の家。準備される楕円形の机は中央の幅が2018㎜だというニュースが流れた。

 

なるほどなぁと、思いメジャーを引っぱり出して机の大きさをあれこれ確かめてもみた。そして、Yahoo!ニュースで配信された写真で確かめた。

 

確かに、微妙な距離感だが決して遠すぎないようにも感じた。シャローム(平安・平和)を祈りたい。(もり)

 

 


4月22日(日)の講壇の献花です。雅代さんのご奉仕によるもの。感謝であります。
4月22日(日)の講壇の献花です。雅代さんのご奉仕によるもの。感謝であります。

 ◎2018月4月22 ・ 【 窓 159号

    『 9月の準備 』

 

日本最北の町にある稚内教会から着任後3年が過ぎた。JR岡山駅に夫婦二人で降り立ったのは2015年3月29日(日)の夕方だった。旭東教会のW兄姉がお迎え下さったことも懐かしい。

 

その日の朝はどうしても出席したい礼拝があり、大きな荷物は上野駅のロッカーに預けて常磐線の快速列車に乗り込み、茨城県の竜ケ崎教会に向かった。

 

敢えて申し上げるならば、礼拝説教が第一の目的ではなかった。大げさでなく、豊かで元気が出て、明るい気持ちになれる礼拝を毎週捧げる竜ケ崎教会全体から学びたいことが色々とあったのだった。

 

わたし自身は、竜ケ崎教会の礼拝に参加するのは二度目だった。その半年程前に礼拝奉仕をさせて頂く機会があったのだが、その時に受けた衝撃は本当に大きかったのを記憶している。こんなに生き生きとしている礼拝や教会があるのか、と感動したのだった。

 

何しろ、その日出会ったこどもたち10名ほど、教会に礼拝の前から(昼食で頂く野菜を収穫するところから始まった)居るのが心底楽しくて、礼拝後もゆっくりと過ごすのが当たり前なのである。そんな教会あるだろうか。

 

今年の秋、9月23日(日)には、その竜ケ崎教会から敬愛する飯塚拓也先生を旭東教会の礼拝と講演にお招きする。翌日には東中国教区の特別集会の講師もして下さるので、教区諸教会向けのご案内の第一弾の準備を始めた。

 

だが、準備を始めた案内内容の半分は、飯塚先生ご本にではなく竜ケ崎教会の礼拝出席している皆さんの写真である。

 

神の国を証しするのは、礼拝に集う皆さんの存在であり、伝道の力の源なのだ。パンくずひとかけらでもいいから、その力を受け、我々も新たな教会形成をと願っている。(もり)

 

 


4月16日(月)の午後、ジュニアサークルのイースター礼拝に出掛けたサイの公園に出掛けた。新緑の銀杏の木の下にサイのお尻。心がなごむ。
4月16日(月)の午後、ジュニアサークルのイースター礼拝に出掛けたサイの公園に出掛けた。新緑の銀杏の木の下にサイのお尻。心がなごむ。

 

◎2018月4月15 ・ 【 窓 158号

    『 素敵な嘘 』

 

旭東教会から車で30分と少し。

 

ハンセン病の療養所内にある光明園家族教会の礼拝形式の祈祷会の奉仕に出掛けた4月11日(水)は忘れられない一日となった。

 

当日は、妻の友人も大阪からやって来ていたので、3人で車に乗り込んで出掛けた。

 

その日の祈祷会には、とても快活なH子姉も出席されていた。お伴の方も居られてお嬢さんかな、という位の年齢の方。大阪府の堺市からお出でだという。

 

光明園家族教会の方が「いやぁ、H子姉には負けるなぁ」と仰る声が聞こえていたが、最初はなんことだかわからなかった。

 

わたしは手のひらに「H子」とメモ。あとで必ずご挨拶をと思った。

 

**************

 

祈祷会終了後のお茶の時間、H子姉は、随分昔から光明園家族教会の祈祷会に定期的にお出でになっている方と知ったが、わたしは初対面。でも、この日お目に掛かれて本当に幸いだった。

 

手作りの名刺を頂いたり、あれこれと話が弾んだのち、間合いを見計らって、わたしは「お歳をお聞きするのは失礼だと承知していますがお幾つですか?」とお訊ねした。

 

するとH子姉はにっこり笑顔で、「そう、先生、失礼ですよ。1920年生まれ」とお答えになった。

 

光明園家族教会の長老が90歳。それを超えてお歳を重ねられた方なのだなぁと感じてはいたが、一瞬頭が回らなかった。今年は2018年だから、98歳である。

 

大正9年生でこのお元気さはいったいどういうこと!と思わずにはおれない。

 

**************

 

H子姉からいろいろと伺っていると、週5日は俳句ほか予定がびっしりとあると言われる。「では、あとの二日は何を?」とお訊ねすると、「金曜と日曜は教会です。20分程歩いて通っています。帰りは送って頂くことが多いかしら」と続いた。

 

さらに、H子姉のお話に心を傾けていると、どうやら定期的に老人ホームのお茶汲みボランティアもなさるらしい。

 

「わたしが本当の歳を言うと、入所されている皆さん年下だから恐縮なさるでしょ。だから嘘をついてね。でも、この嘘だったら神さまも赦して下さると思ってます・・・」とお話になった。

 

アーメンである。

 

デジカメもごくごく普通に使いこなされ、先生、住所を教えて下さい。先生、写真できたらお送りしますから、と言われる。実際、数日後には丁寧なというのかチャーミングなお便りと共に、素敵な写真が堺市から届いた。

 

光明園からの帰りはJR西大寺駅までわたしの車に乗って頂いた。数年前の教会学校のイースター礼拝の時には、公園の木登りを、こどもたちと同じようになさったとか。木登りする95歳?のおばあちゃま、なんて初耳である。

**************

 

お元気の秘訣はおみ足が丈夫なことも大きいと感じた。日本各地の名山をほとんど登山されて来たそうで、足腰の丈夫さには相当な自信がお有りだとわかった。

 

H子姉を駅前に下ろしたあと、わたしは直ぐに、旭東教会の長老94歳の正兄に興奮気味に電話を入れた。

 

「す、す、すごい方に、光明園家族教会でお目に掛かりましたよ。98歳のH子姉。ほんと、ピンシャンです。正さんよりも毎日やりたいことがありそうなご様子でした」と。

 

「いやぁ、それは嬉しいです。負けてはおられませんな」が正さんの締めくくりのお言葉だった。

 

H子姉。

 

あまり先の予定は立てないとも仰った。どんな文脈だったかは忘れたけれど、地上での旅路の終わりは「明日かも知れないでしょ」とキッパリと光明園家族教会の長老に語られた。

 

本当に教えられること、励まされることの多い2時間余りだった。いのち輝くH子姉に出逢えて、ただただ感謝である。

 

またお話を聴きたいと思っている。(もり)

 


4月8日(日)のイースター礼拝・愛餐会のあと、十文字平和教会の方々と森牧師で記念の一枚 旭東教会礼拝堂にて
4月8日(日)のイースター礼拝・愛餐会のあと、十文字平和教会の方々と森牧師で記念の一枚 旭東教会礼拝堂にて

*4/1の窓は記述内容に鑑み、ホームページでは公開しておりません。 

◎2018月4月8 ・ 【 窓 157号

    『 十文字平和教会

      MMさんより

        旭東教会御中 』 

 

4月1日(日)は2018年の「イースター・復活祭」だった。この日から、旭東教会の牧師であるわたしは、神さまのお導きにより、この2年間礼拝応援に出掛けていた十文字平和教会の兼務主任担任教師としての責任を担うことになった。
 当日は、十文字平和教会の方々からのお申し出があり、旭東教会での合同礼拝となった。豊かな礼拝だった。そして、昼からは愛餐会と続いた。
 火曜日だったと思うが、以下にご紹介するお葉書が教会宛に届いた。何度読み直しても素晴らしい味わいのあるお便り。
 以下、ホームページ版は色々と考えて一部を削らせて頂いているけれど、それでも十分にMMさんの熱い思いが伝わってくる。味わって頂ければ幸いです。(もり)

                **************

 主に感謝
 旭東教会の皆様、本日は本当に有難うございました。
 長い間便り等、書いたこともない私が書かずにはいられなくて・・・・・・ 御すし、多くさんの食べ物、おいしかった。あれだけの量を作られた方々大変だったでしょう。
 そちらに居らせて頂いて居る間に、段々 段々 楽しくなって来て、皆様どなたもニコニコしてらしてやさしく接して下さり、私の心は温かくてたまらなくなった。
 くそ この楽しさ、嬉しさを ・・・・・・出ていたら もっと上手に 表現出来るのに。  ありがとう
              岡山市北区日近(ひじかい) MM

 


もう少し受難節・レントが続きました、当然、その先にあるイースターに向けての準備が必要ですね。寿子さん、美樹さんが知恵を絞り時を捧げてくださって完成の復活祭のご案内です。ほとんど牧師は口出ししていません。嬉しいです。
もう少し受難節・レントが続きました、当然、その先にあるイースターに向けての準備が必要ですね。寿子さん、美樹さんが知恵を絞り時を捧げてくださって完成の復活祭のご案内です。ほとんど牧師は口出ししていません。嬉しいです。

 ◎2018月3月18 ・ 【 窓 154号

       『 教会トイレ事情 』

 

びろうな話?

 

いえいえ、今週も大事なお話を一つ。

 

わたしも多くを学ばせて頂いている、ある伝道熱心な先生のご本によれば、「トイレは我慢して外に出てからよそで」という教会には、新来会者の方は二度とお出でにならないと記されている。

 

同様に、説教者の声が聞き取りにくい教会も要注意と言う。声が聞こえないということは様々な場面で疎外感を感じるし、周囲の人たちの配慮が必要、というのもうなずける。

 

さて、旭東教会の現在のトイレ事情はどうか。

 

昨年秋の大改装後、思いがけず続いた年末年始の葬儀、会堂が満杯となる100人規模の世界祈祷日の集会でも、安心してお客様をご案内できて一安心との声があった。

 

トイレのみならずではあるけれど、私もつい小まめに掃除をしたなる。

 

教会でのゆったりとした交わりの中、トイレ空間に身を置くとほっとする瞬間が生まれるのは有り難いことだと思う。

 

やはり、トイレの居心地、安心感はゆるやかではあるけれど深い所で伝道に通じているようだ。(もり)

 

 


3月11日(日)の礼拝後、創作紙芝居で『幸福の王子』を演じてくださった布下満さんは十文字平和教会の会員です。このサンタさんの作者でもあります。いや、よーくみると本当に精巧なお人形なのです。
3月11日(日)の礼拝後、創作紙芝居で『幸福の王子』を演じてくださった布下満さんは十文字平和教会の会員です。このサンタさんの作者でもあります。いや、よーくみると本当に精巧なお人形なのです。

 ◎2018月3月11 ・ 【 窓 153号

       『 説教者のつとめ』

 

私が献身する少し前の20代半ば頃(当時の私は、様々な小劇場の芝居をわりにこまめに観ていた)、劇作家・放送作家・小説家として知られる井上ひさしさんが当時主宰していた劇団「こまつ座」の芝居を東京・浅草公会堂で観て深く感動したことがある。

 

井上ひさしさんはカトリックの信者か、あるいはそれにかなり近い環境の中で幼少期を過ごした、と聴いたことがある方だ。

 

その井上ひさしさんの語録の一つに、「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」がある。

 

最近、出典を辿(たど)ってみた所、〈仏教の説教者〉の話術の極意を井上さん流に言い換えた言葉だと知った。印刷物としては劇団発行のものに載っているらしいことが、国立国会図書館への問い合わせ情報で確認できる。

 

「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」

 

深い言葉だと思うし、大事にしたいことだと無意識のときも含めて、常々考えている。井上ひさしさん、すごい!と心底思う。

 

てっきり、井上さんのことだから、書き物の関連の言葉なのだろうとの先入観があったのだが違った。

 

国語辞典を引くと「つとめ」は「務・勉・勤・努」の文字があてられる。学ぶに終わりなし、といつも思うのだが、説教者のつとめもたゆまぬ修行が必要だなと思う。

 

修行とはもちろん、座学を言うとは限らないのだが。(もり)

 


リフレッシュされた旭東教会の聖餐卓です(^^♪
リフレッシュされた旭東教会の聖餐卓です(^^♪

 ◎2018月3月4 ・ 【 窓 152号

    『 礼拝堂の二つのつくえ』

 

子どもと一緒に学ぶことが出来る、というのがうたい文句の『信仰問答』が改定されたと知り、キリスト教専門書店の岡山CLCまで出掛けて行って手にした。

 

『子どもと共に学ぶ  新・明解カテキズム』(教文館)という本で、長老主義教会の方々の力作。『明解カテキズム』『続・明解カテキズム』(キリスト新聞社刊)を合本し全面改定したという。

 

かつて、新潟の高田教会に仕えていた時代、礼拝後の学びに『明解カテキズム』を資料として使用していたことがあって懐かしい。

 

子どもと!とあるが、おとなが必要としている問答であることは言うまでもないし、世にあって定評のある世界的な信仰問答集よりも馴染みやすさが感じられる。

 

本を開くと、まず、「人が生きて行く為になくてはならないことは?」という問いがある。答えは「神に養われることであり、それは神から与えられる御言葉によります」とある。

 

そして、「何によって与えられますか?」という問いには「神の言葉である説教と、見える神の言葉である聖餐によります」と続いている。

 

礼拝で聖書が朗読され説教が語られるのが〈講壇〉。

 

そしてもう一つ肝心なのが、創立115周年記念事業として修理をお願いし、見事に美しくなり重みを増して戻って来た〈聖餐卓〉である。

 

せっかくの聖餐卓のリフレッシュ。

 

「見える神さまの言葉である聖餐」を重んじる者として生きることをあらためて心に留め直したいと思う。

 

そして、カテキズムを用いての信仰訓練も、何らかのかたちで取り入れていきたいものだなぁ、と考え始めている。(もり)

 

 

 


2018年2月17日(土)夜、西大寺の初春の風物詩会陽(えよう)という裸の男たちを追うのは・・・・・・旭東教会が誇る?教会写真家さんです。礼拝準備は大丈夫かな(^^♪
2018年2月17日(土)夜、西大寺の初春の風物詩会陽(えよう)という裸の男たちを追うのは・・・・・・旭東教会が誇る?教会写真家さんです。礼拝準備は大丈夫かな(^^♪

 ◎2018年2月18 ・ 【 窓 150号

      『 教会写真家 』

 

2月25日(日)に行う「生き生き教会作りの会」。

 

今年は、一年間の教会の歩みを振り返るために写真上映も行うことになった。ここ半年で、スクリーンやプロジェクターが格段に使い易くなったことも大いに影響している。

 

先週、会への参加を呼びかけてくださった光代姉が、写真を準備する人を「教会写真家」と紹介された。「教会写真家」とは不肖・この私のことなのだが、言い得て妙だと嬉しくなった。

 

世の中、確かに各地の教会の外観や礼拝堂の内部を撮影するプロカメラマンは存在する。会堂建築の参考になるような、見事な写真集も目にすることがある。

 

だが、ごく普通の教会生活の中でのあれやこれやの、生きた表情や笑顔、何かに熱中している姿や温かな交わりを追い続けている写真家を私は知らない。

 

数枚のスナップ写真を、大きな行事の時に撮ることがあっても、私のように日常的にカメラを脇に抱えている人も居ないことに気付いた。

 

福岡で一眼レフカメラを購入し。その後、北海道・稚内に暮らしていた頃からホームページへの写真提供を楽しみにしながらファインダーをのぞくようになったのだが、良い写真の条件は何より〈良い撮影素材〉であることを思う。

 

大自然も美しく素晴らしい被写体に違いない。

 

しかし、なによりも、わたしには人間が面白い。人間の美しさは何物にも代えがたいと信じている。(もり)

 

 


2017年3月ですから一年近く前、布下満兄をお迎えして上演して頂いた『フランダースの犬』のひとこま。
2017年3月ですから一年近く前、布下満兄をお迎えして上演して頂いた『フランダースの犬』のひとこま。

 ◎2018年2月11 ・ 【 窓 149号

      『 道 』

 

一年程前、こどもたちやそのご家族への伝道を願って手作り紙芝居の上演のためにお迎えした方が居られた。十文字平和教会の布下満(ぬのした みつる)兄だ。

 

その日は『フランダースの犬』を上演して下さり、旭東教会で鑑賞させて頂いた一同(こどもは結局不在で、おとな20名ほどが参加)、本当に感嘆と感涙に包まれたものだった。

 

あまりに美しく、あまりにはかなく、映画でも感じたことのないような衝撃を受けた記憶は今もなお消えない。

 

**************

 

布下満兄は昭和12年生まれの現在80歳。

 

『布下満 画集 絵をかいて40年 あ・し・あ・と』(2000年12月発行)の最終ページにある年譜にこう記しておられる。

 

「幼児期から絵をかくことが大好きで、小・中・高校を通して変わらなかった。敗戦後、極度の物不足の時に、できることは何でも自分で作る創作意欲を大いに駆り立て。小学4・5・6年の担任、米沢先生の励まし、薫陶を受けて、漠然と「絵かきになりたい」と思うようになり、17才・進路選択に際しては迷わず「絵の道」と決めた。」

 

ちなみに、満さんのお父上は布下耕読先生は、現在の日本基督教団岡山教会の牧師として仕えられた方。そして、旭東教会も応援下さった方である。

 

**************

 

岡山県内の中学校の教諭を経て、中国短期大学で教授を務められた他、岡山県立大学、岡山大学でも美術の講師を務められた方と最近知った。

 

お住まいの総社市の施設に作品が展示されたり、仲間と個展を開き続け、近く、二冊目の画集を出すような方だ。

 

**************

 

まことに野暮なことだったのだが、ある時、私が何かの拍子に「満さんは絵を描かない日があるのですか?」とお訊きすると、満兄は即座にこう仰った。

 

「筆を持つ持たないは別にしても、頭の中ではいつも絵を描いてます。何かを見ればこの構図がいいかなぁと考える調子ですわっ」と。

 

人生の最終盤近くで、なお、そうせずにはおれない何かに生きることの幸いを知った。さまざまに考えさせられる。

 

〈詩人〉とは詩が売れたから〈詩人〉なのではない。詩作をせずには生きて行けない人を〈詩人〉と言う、と戸村政博先生から教えて頂いたことを思い出す。

 

布下兄、3月11日(日)には旭東教会で別の紙芝居を上演して下さることになっている。『幸福の王子』かも知れないし、また別の作品かも知れない。

 

本当にありがたいこと。心底楽しみである。(もり)

 

 


2月4日(日)の午後、集会室でのスクリーンを見ながら歴史を学んだ時の映像。旭東教会の草創期の大切な伝道集会の様子を知ることが出来た。
2月4日(日)の午後、集会室でのスクリーンを見ながら歴史を学んだ時の映像。旭東教会の草創期の大切な伝道集会の様子を知ることが出来た。

 ◎2018年2月4 ・ 【 窓 148号

    『 満腹はいけん 』

 

木曜日夜の祈祷会の直前。

 

K兄と目(*お医者さまでもある)が合った。「お疲れは出ませんか?」と聞かれた私。

 

即座に「実はきのう、出ました」と苦笑いした。

 

特別伝道礼拝での説教の中で、「体とこころの栄養は大丈夫か」というような話をしたばかりなのに、水曜の午前3時頃〈救急車〉かという程の腹部膨満感を伴う猛烈な胃痛で飛び起きた。

 

心当たりが一つ。いささかのストレスを感じていたこの頃だった為か、腹一杯まで食べ続けることが続いていた。

 

恥ずかしい限りである。胃腸がストライキを起こしたのだろう。幸い、掛かり付け医から処方された薬でピタリとおさまった。

 

無論、食べ方も改めて腹7分目でやっております。(もり)

 

 


1月28日(日)の特別伝道礼拝の説教の中でふれた大分上野丘高校1年生当時(1976年・昭和51年・9月)の実力考査成績表。11月、1月と同様の状態が続いていた。
1月28日(日)の特別伝道礼拝の説教の中でふれた大分上野丘高校1年生当時(1976年・昭和51年・9月)の実力考査成績表。11月、1月と同様の状態が続いていた。

 ◎2018年1月28 ・ 【 窓 147号

    『 病床受洗 』

 

31年前、私が洗礼を受けたのは東京下町・浅草橋にある柳橋病院という、当時は順天堂大学の関連病院の一室だった。タクシーの運転手さんの指定病院であることや、川越しに、両国国技館の相撲の太鼓の音が聞こえて来ていたのを覚えている。

 

母教会・銀座教会で復活祭(*イースター)に幾人かの方々と一緒に受洗の予定だったが、20代半ばになってから闘病が始まったB型慢性肝炎(現在は奇跡的に完治)の幾度目かの急性悪化で、またもや入院という事情だった。

 

主任牧師の鵜飼勇先生を始め、副牧師の斎藤寿満子先生、福音会英語学校でご一緒したことからその後ずっとお世話になった年配のO姉、青年会のF君も居られたと思う。

 

その日の、思いも拠らない病室のベッド上での受洗が、その後の私に明確な決心を与える事になるとは思いもしなかった。それが病床伝道だった。

 

ちなみに当時の私は、肝癌で帰天した母と同じ52歳で人生は終わると信じていた。この命には限りがある。人生に悔いを残さないためにも、病床にある方たちの為に、救いの福音を運んで行く働きに専心仕えたいと真剣に祈り始めていた。

 

「受洗で何かが変わりましたか?」と問われるならば「変わりました」と即答する。

 

有り難いことに、私は新しい人となり今年58歳を迎える。今日は特別伝道礼拝の日曜日である。(もり)

 


1月21日(日)の説教の中で紹介した本がこれ。最後に星野正興先生の独自の宣教論が出てきて興味深い。
1月21日(日)の説教の中で紹介した本がこれ。最後に星野正興先生の独自の宣教論が出てきて興味深い。

 ◎2018年1月21 ・ 【 窓 146号

    『 よく聞こえるということ 』

 

先月から葬儀が続いた。

 

〇〇徹兄、〇〇信治兄、そして、〇〇伝道所の会員で88歳のご婦人の葬儀。クリスマス、お正月をはさんで、葬儀の日のみならず、さすがに緊張の日々だった。

 

これは上手に息を抜かないと〈まずい〉と思い、半年に一度位の割りでおしゃべりする同労の友人に電話をすることにした。

 

電話を置いたときの時間表示が1時間40分と出ていた。

 

その話の中で、〇〇信治兄の葬儀に列席された方がお葉書を下さり、更にその後、電話で話をした時に、嬉しく、かつ励まされた言葉を伝えた。

 

「森先生のような式辞は初めてでした。聞き取れない言葉が一つもありませんでした、と言われたんだ。こんな表現は初めて」と。

 

すると彼は〈目から鱗の言葉〉を口にした。

 

「それって滑舌の問題じゃないですよ。心に届いていたという意味ですよ」と。

 

そうだったか。(もり)

 

 

 


S君が二日間を見守った葬儀のお花の一部。
S君が二日間を見守った葬儀のお花の一部。

 ◎2018年1月14 ・ 【 窓 145号

        『 地獄? 』

 

〇〇信治兄の葬儀が執り行われた二日間をずーっと一緒に過ごした小学5年生の少年が居た。

 

安佐子姉の弟さん、K兄のご子息・S君だ。

 

以前、教会に来てくれた時は、ドッチボールを頑張っている、と話していた記憶がある少年だった。

 

信治兄の告別式を終えて、西大寺の斎場での火葬が始まり、待合室で皆さんとひと息いれ、一時間が過ぎた頃だったと思う。お父さんに連れられてS君が私の側にやって来た。

 

お父さんが「先生に質問があるんだよなぁ」と言うとコクリと肯いた。

 

聴いてみると、信治さんの葬儀、前夜式・告別式の式辞には〈天国〉はなんども出て来たけれど、〈地獄〉はなぜ出て来ないのか…、とのこと。

 

何とも素晴らしい質問だ。

 

少し慌てたが、マタイ福音書25章41節を交えながら一所懸命に話した。途中、お骨拾いが始まったので、席を移して食事の前にも続きを話した。

 

S君が聴きたかったことは見つかったのだろか。あるいは、ますます何かが気になり始めたのか。

 

後日、安佐子姉から、「時が来たらS君へ」と信治さんが買い置かれていたという、子どものための聖書を手にして帰宅したそうだ。さて、どこをめくっているだろうか。

 

楽しみに次の機会を待ちたい。(もり)

 

 


1月7日の礼拝報告時、1月最終日曜日の特別伝道集会に向けて、スクリーンを使っての声掛けがなされた
1月7日の礼拝報告時、1月最終日曜日の特別伝道集会に向けて、スクリーンを使っての声掛けがなされた

 ◎2018年1月7 ・ 【 窓 144号

    『 お雑煮から考える 』

 

私の〈ふる里の雑煮〉は、と言うのか、〈森家の雑煮〉なのかは微妙だが、幼い頃から慣れ親しんだ来た雑煮は、かしわと椎茸で出汁を取ったお汁に、ほうれん草・鳴門・人参・かしわが入ったもので、餅は丸餅だった。

 

各地の教会に仕え、その土地その土地の雑煮の話は聞くけれど、意外な程に、よその家の雑煮を食べることが少ない。

 

考えて見ると、人生57年と少し、すぐお隣の家のお雑煮を頂いたことが一度もない。多くの方もそれが〈普通〉かも知れない。

 

となると、雑煮ほど「これが普通」と思い込んでいて、違いが大きいものはないのでないか。

 

いかがだろう。

 

しかし生まれ育った時に口にした雑煮がひとつの基本となっていることは、どなたにとっても同じではないか。

 

キリスト教信仰の世界も、思いのほか〈普通〉の違いが大きい。祈り方、礼拝式順、週報の形式等々。

どれが一番ということはない。違いを認め合える在り方は成熟に結び付く。(もり)

 

 


ゆず茶です 教会のほっとタイムに登場 喉に効くのも安心 十文字平和教会で頂きました(^^♪
ゆず茶です 教会のほっとタイムに登場 喉に効くのも安心 十文字平和教会で頂きました(^^♪

 ◎2017年12月31 ・ 【 窓 143号

    『 クリスマスの忘れ物 』

 

12月24日(日)は、朝のクリスマス礼拝、15時からの礼拝応援に月に二度うかがっている十文字平和教会での賛美礼拝、19時からのイヴ礼拝と続き、喉がもつかなぁ、声は大丈夫だろうかと心配していた。

 

ところが蓋を開けてみると自分でも驚くほど声に張りがあった。不思議だった。そして、礼拝後には聖霊の力だったと確信。本当に感謝だった。その夜もさほど疲れを感じることもなかった。

 

翌日のクリスマス(12月25日(月))も元気に目覚めた。

 

早朝のスロージョギングを終えて、郵便ポストを覗くと、「あーら新聞屋さん。間違って朝刊二つ入れちゃったの?」と思いながら新聞を手にした。

 

が、それもつかの間だった。

 

わたしは笑いだしていた。

 

何のことはない。前日のわたし。新聞を読むどころか、ポストから取り出すのも忘れる程の緊張と自転車操業だったというのが、ことの顛末だったのである。(もり)

 

 

 


2017年12月12日(火)朝 徹さんの告別式の朝の礼拝堂にて
2017年12月12日(火)朝 徹さんの告別式の朝の礼拝堂にて

 ◎2017年12月17 ・ 【 窓 141号

       『 最期の言葉 徹さんの場合 』

 

※大辞林によれば 「同音語の「最後」は物事の一番おしまいのことであるが、それに対して「最期」は人の死にぎわのことをいう」とある。

 

12月10日(日)の朝、天国に召されていった〇〇徹兄の葬儀(*〈〇〇正兄〉の10歳下の弟さん)。

 

故郷・西大寺(*旭東教会)でのお別れはご家族だけのひとときとなり、「知らない人が一人もいなかった」という温かな時となった。

 

つまり、この度の葬儀は、教会員の列席はなかったわけだが、ご遺族の選択であり、しばらく教会から離れておられたご夫妻の日々から考えると、それが自然だったのだと思う。

 

**************

 

前夜式・告別式で一同で歌った賛美歌。

 

それは、徹兄が9月上旬の夕べに、ふらりと来会され時にリードオルガンで奏でられた「いつくしみふかき」「きよしこのよる」だった。

 

この時、徹兄は、わたしが着任してから初めて礼拝堂に足を踏み入れられたし、そうでなくとも、相当久しぶりの礼拝堂だったと思う。

 

「いやぁ、懐かしいなぁ」を繰り返しておられた。

 

**************

 

そして、もう一つの賛美歌は、9月10日(日)の恵老愛餐会でご自身が歌われた「うるわしの白百合」だった。

 

その日徹兄が歌われた「うるわしの白百合」は、決して上手に賛美できたわけではない。

 

愛餐会では、徹兄はご自分では、もう少し上手に歌えるイメージを抱いておられた様子が端から見て伝わって来ていたから(少なくとも私にはそう見えた)、ほろ苦い時間でもあった。

 

だが、それはそれですごくいいものだったと思う。

 

今振り返って見るならば、徹兄は、帰るべき場所に帰ってきた。天国への旅立ちの準備を始めておられたのだと気付かされる。

 

**************

 

告別式で〈思い出〉を語られたご長女によれば、召される二日前、耳元で「ママごんが来たよ」と伝えると、苦しい息の中「ママごん、ありがとう、ありがとう」を繰り返しておられたとのこと。

 

美しい言葉での旅立ちに感謝。

 

奥さまもその言葉を抱えて、今を、これからも生きて行けるはず。

 

わたしたちも倣いたい。(もり)

 

 


2017年12月10日(日)、アドヴェント第2主日の講壇の献花 期節の色・紫が静かに効いてます。感謝。光とマッチして本当に美しい。
2017年12月10日(日)、アドヴェント第2主日の講壇の献花 期節の色・紫が静かに効いてます。感謝。光とマッチして本当に美しい。

 ◎2017年12月10 ・ 【 窓 140号

       『 耶蘇の歌 』

 

祈祷会での賛美歌にまつわる話題を前週に続いてもう一つ届けたい。

 

団塊の世代(昭和23年生まれ)、富山県に生まれ育った教会のご婦人が幼い頃のことを思い出されて、「祖母が葬式から帰って来た時、《ヤソは葬式で歌をうたった》と話すのを子ども心に忘れられません」と言われた。

 

わたしが「○○さん、近くに教会があったんですか?」と尋ねると、「いいぇ先生、民家です。教会は高岡市の方にしか・・・」とのこと。

 

少女にとって「葬式で歌を歌う」という言葉は、相当にインパクトがあるものだったのだろう。

 

葬式の歌=賛美歌として結び付いたかどうかもわからない。

 

その数日後、わたしは1983年(*昭和58年)2月に召されていった自分の母の葬儀を思い出した。

 

九州は大分県大分市の海辺の部落でのことだ。

 

母の葬儀は、母屋の8畳ふた間の襖と障子を取り除いた部屋に座布団の空間が式場だった。白布と白黒の幕があったのだろうか。今となっては思い出せない。

 

あくまでも想像に過ぎないけれど、その夜、母の葬儀にご列席下さった方のお宅では、お一人くらいは、「和子さんのお葬式、歌を歌いよったんよ」と言われたかも知れない。

 

「和子さんの葬式、聖書の話を聞いたんよ」は無かったはず。

 

あらためて思う。賛美歌には力がある。(もり)

 


文集に出てくる祖父のNEB(THE NEW ENGLISH BIBLE)の最終ページ。万年筆を愛用していた祖父ならではの文字。ヨハネの黙示録22章です。私の宝もののひとつ。
文集に出てくる祖父のNEB(THE NEW ENGLISH BIBLE)の最終ページ。万年筆を愛用していた祖父ならではの文字。ヨハネの黙示録22章です。私の宝もののひとつ。

 ◎2017年12月3 ・ 【 窓 139号

   『 えんがわの歌 』

 

祈祷会では月初めのイエスさまの譬え話を学ぶ会以外は、こつこつと詩編を読み続けている。過日は、詩編71篇を祈祷会で学んだ。

 

71篇、作者はダビデの名を借りた老人(或いはそれに近い世代の人)と思われるが、この人は賛美歌を大切にしていることに気が付いた時、わたしは、なぜか父方の祖父・明麿(あきまろ)じいさんを思い出した。

 

**************

 

私は12歳まで、両親と姉と4人で〈納屋〉を改造した家に住んでいて、食事や風呂は祖父母の暮らす母屋で、という毎日だった。

 

トイレはあったものの、炊事場はなく、簡易ながらも流しが届いた時には飛び上がるほど嬉しかったものだ。

 

話は戻って、祖父のことである。

 

祖父・明麿は、孫が言うのもどうかなと思うが、勉強熱心なクリスチャンだった。というよりも、信仰の篤い人だったと思う。

 

**************

 

手元にある祖父の遺品、英語の新約聖書(THE NEW ENGLISH BIBLE)の最終ページの通読記録を見ると、1977年(昭和52年)に初めての精読了76歳と記録し、その時は2年間掛けている。しかも、他の英語聖書とも併読(Rsv)とある。

 

その後、1979年晩秋に78歳で読了、1981年早春読了、1983年初夏6月読了、1984年早春2月読了83歳、1987年早春1月読了86歳、1988年初秋9月1日読了87歳、1989年秋10月24日読了88歳とある。

 

神学校に入学したわたしのことをこの記録に拠れば知っていたことになる。

 

**************

 

だが、そんな祖父から、私は聖書の話をじかに聴いたことはなかった。

 

ところがである。祖父は縁側(えんがわ)にどっかりと腰を下ろして、しばしば音痴も気にせず賛美歌を歌っていた。

 

ただそれだけのことながら、振り返って見ると、その賛美歌を聴きながら私は間違いなく成長していったのだ。それは、祖父自身も知らざる伝道だった。

 

今、賛美歌が好きなわたしのルーツが「えんがわの歌」にあったことを知った。(もり)

 

 


11月26日(日)の15時頃、交換講壇を終えて、鳥取信和教会を出て、倉吉に向かった途中の峠にて 雪です!
11月26日(日)の15時頃、交換講壇を終えて、鳥取信和教会を出て、倉吉に向かった途中の峠にて 雪です!

 ◎2017年11月26 ・ 【 窓 138

   『 火鉢のぬくもり 』

 

先週(11/19)礼拝説教で触れた江戸時代・中期の米沢藩主・上杉鷹山(うえすぎ ようざん)。

 

彼は「為せば成る 為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」という歌を教訓として詠み与えた人でもある。

 

なかなか興味深い人で、内村鑑三がその著作『代表的日本人』(英語による著作)の中で〈西郷隆盛、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮〉の生涯と共に紹介する人でもある。

 

礼拝では、鷹山(ようざん)が、籠の中で手のひらに乗せて暖を取った〈火鉢〉に「ふーっ、フーッと」息を吹きかけた話を〈聖霊〉と関連付けて語った。

 

私自身は〈火鉢〉=〈父方の祖母=マスおばあちゃん〉という世界が深く記憶に残っていて、幼い頃の様々なことを思い起こす。

 

礼拝後〈み言葉カフェ〉の席でも〈火鉢〉の話題がでたのだ。ひとりのご婦人が「幼い頃の居場所は火鉢の側(そば)だったことを思い出しました。銀紙を火鉢に当てては伸ばして、宝物にしていたことも…」とお話下さった。

 

そこにも〈聖霊〉が降ったと思わずには居られない。(もり)

 

 

 


11月19日(日)の朝、教会の入口付近に置かれたのがこちら。イーゼルと言うらしいが、喫茶店とかチョットしたお店の前で見かけるものを、伝道協議会での八木谷涼子さんのお話をきいて、使い始めてみることになった。
11月19日(日)の朝、教会の入口付近に置かれたのがこちら。イーゼルと言うらしいが、喫茶店とかチョットしたお店の前で見かけるものを、伝道協議会での八木谷涼子さんのお話をきいて、使い始めてみることになった。

 ◎2017年11月19 ・ 【 窓 137号

   『ハイデッガーは分からなくても』

 

ハイデッガーという哲学者が居た。

 

いつもながら、恥ずかしいことがおおいのだが、名前は聞いたことがあったけれど、その人となりも含め何も知らない。

 

大昔の方かと思ったら違った。ドイツの哲学者で1889年に生まれ、1976年までご存命だったという。

 

**************

 

11月21日(火)、玉野教会で行われた地区の協議会に出席。今回はA教会の信徒さん・B兄の「ハイデッガー論」に聴き入った。

 

ハイデッガーは「哲学に神は不要」と言いつつも、彼を批判する立場の人から、〈教会で一人祈っている姿を見られたこと〉がある人らしい。

 

B兄の発表を聞いていて、うっすらと感じとれたのは、ハイデッガーという人物は、「哲学」と「信仰」を別物と考えていたようだ、ということ。

 

これは、「神学」と「信仰」にもあてはめられることなので、そういうものなのかぁ、と思いながら聞いていた。

 

**************

 

参加者からの質問がひととおり終わったところで、私はB兄に素朴な思いを伝えた。

 

「わたしの父は下村寅太郎という哲学者の元で学んだ人間なのに、わたしはと言えば、哲学的な思考など出来ず、組織神学的な発想も薄っぺらい者です。

 

 わたしの説教は、そういう点で足りない所があるという自覚があります。

 

 もしもわたしが、Bさんの所属している教会の牧師であるとしたら、毎週、きっともの足りない説教で、先生はもっとしっかり勉強してもらわないと困るなぁ、なんて思われるんじゃないでしょうか」

 

と。

 

**************

 

B兄、発題の時もかなりしっかりとした語り口(熱い!ということです)でお話されていたけれど、参加していた牧師たち一同を勇気づける言葉を口にされた。

 

「ただ、み言葉を語ってくださればいいんです。自説を聞きたいのでもありません。どうか先生方は、自信を、確信をもって語って下さい。それでいいんです。わたしは基本的に牧師を尊敬しております。み言葉を語って下さい」

 

と。

 

B兄の「み言葉を語って」という思いはとても素朴なものなのだろうと思う。

 

わたしは嬉しかった。そして安心した。(もり)

 

※『スーパー大辞林』によると《ハイデッガー》はこう紹介される
ハイデッガー(Martin Heidegger)ドイツの哲学者。キルケゴールやフッサールの影響下,人間を世界内存在としてとらえる基礎的存在論としての実存哲学を創始。1930年代以降,新たな転回を見せ,ヘルダーリンなどの詩を手がかりに存在そのものの解明を目指す新たな思索へと向かった。著「存在と時間」「形而上学とは何か」「森の道」「ニーチェ」など。

 

 

 


111月12日(日)はこども祝福礼拝の日曜日だった。花器とお花がみごとなハーモニー。
111月12日(日)はこども祝福礼拝の日曜日だった。花器とお花がみごとなハーモニー。

◎2017年11月12 ・ 【 窓 136号

    『 速読注意? 』

 

先日、キリスト教書専門店の「CLCブックス岡山店」に出掛けた際、『リビングバイブル(*日本語で言うと『日常語訳聖書』と帯にあります)』の2016年の改訳版を購入した。1982年版からだいぶ進化している。

 

1年程前から、新約だけは手元にあったものの、店頭でどれっと思い、旧約を開き、前日の祈祷会で学んだ「詩編70篇」が違った感じで迫って来るのを確認して即座に購入を決めた。

 

聖書の訳の読み比べが、聖書研究や説教準備の基本であることは幾人もの先生方の言葉や著書から知っていた。

 

だが、恥ずかしながら、長年その翻訳比較の中に「リビングバイブル」が入って居なかった。

 

ところが、いわゆる意訳されている部分の多い聖書の意義深さが、最近とりわけ身に染みてわかるようになってきた。それは、原文直訳以上に、解釈やより分かりやすい日本語という視点から考えることの大切さに通じていると思う。

 

米国のリック・ウォレンという牧師という方がおられるが、『人生を導く5つの目的』(パーパス・ドリブン・ジャパン発行)という大ベストセラーの後書きで、〈多くの聖書翻訳を使う理由〉についてこう語る。

 

以下、要約だが紹介しよう。

 

「いろいろな翻訳の聖書を意図的に使用しましたが(15種類が引用される)、それには二つの大切な理由があります。第一は、どんなに優れた翻訳であっても、そこには限界があること。第二は、み言葉があまりに耳に馴染んでしまうと、さっと読み過ごしてしまい、十分な意味を見逃すのです。神の真理を新鮮な気持ちで読むために、色々な翻訳を意図的に使用しました。」とある。

 

『人生を導く5つの目的』に引用される聖書の数は確かに多様で、実のところ、最初は違和感すら感じたものだった。しかし、今ならば、かなり違った思いで読めるのではないか、と思う。

 

先だっての聖徒の日の礼拝説教で紹介した、日本語初の聖書・ギュツラフ訳(*1837年・シンガポールで印刷・発刊)では〈愛〉が「カワイガル」だったし、神さまは「カシコイモノ」だった。

 

訳の違いはこのように、実に深くて面白いものなのだ。一日に新約1章、旧訳3章で全巻読破するのも一定の意義があるかも知れない。

 

しかし、それ以上に、読みたい箇所を丁寧に、じっくりと、スローペースで様々な翻訳を比較しながら味わい尽くす方が豊かなような気がしている。(もり)

 

 


10月29日(日)礼拝後、次週の聖徒の日の準備が始まった旭東教会の礼拝堂。一番うしろから見守るのは、旭東教会の元牧師の寿先生 今年96歳です。
10月29日(日)礼拝後、次週の聖徒の日の準備が始まった旭東教会の礼拝堂。一番うしろから見守るのは、旭東教会の元牧師の寿先生 今年96歳です。

◎2017年10月29 ・ 【 窓 134号

      『 沖縄発の力 』

 

夏期休暇後半、再び大阪の友人を訪ねた。

 

約束をしていたのでもなく、ふらっと。

 

直前に電話してみると、彼もどんぴしゃで休暇をとっていて、いい時間をもらった。

 

**************

 

沖縄出身の彼はキリスト教主義大学で「地域学習」という科目を担当する。

 

つい先頃も、フィールドワークで学生を沖縄に連れて行ったとのこと。講義の際に配るレジュメを見せてくれたりして、教えられた。

 

「パワーポイントの資料じゃなくて」と言うが、見せてくれた手作りの紙の資料は、何か温もりを感じた。私も大学で講義をしていた頃、紙を配り続けていた。

 

**************

 

お宅に上がり込んでホッとしたことがあった。

 

牧師館の食卓の横の部屋に、さまざまな資料が山積みになっているのが目に入ったことだ。簡単に整理できないものが、幾つもの山になっているのだなぁ、と知った時だった。オレと同じだと知った。

 

牧師館の食卓で目に留まったものがあった。

 

**************

 

沖縄から毎日取り寄せているという『沖縄タイムス』という新聞。一日遅れで届くという。

 

「家でじっくり読んでみたいから、持って帰っていい?」と頼んで、二日分持ち帰った。

 

帰宅後、一読して驚いた。すぐに感じたことがある。

 

新聞が生きていて力があるのだ。全国紙と呼ばれる新聞と何かが違う。

 

もちろん、内地の地方紙とも。

 

一体何が違うのだろうと考え調べてみると、県民・民衆の視点に立つ反権力のジャーナリズムに徹しているのだわかった。本来マスコミとはこうであるべし、という王道を堂々と進んでいるのだろう。

 

しかも、内向きでなく、沖縄から世界に目を向けて発信していることに気付いた。決して決してローカルな新聞ではない。

 

**************

 

そう言えば、かつて、彼の牧会する(前任地の)教会を訪ねると、礼拝堂に飾っているものがあった。

 

それは地球儀だった。

 

沖縄タイムスの力ある紙面や姿勢は、彼の牧会の姿勢にも通じていたのだ。

 

訪ねた日の夕方、ゴスペルを歌う会が始まるから、と語っていた。

 

はて、ゴスペル?と思ったが、あとで知ったのは、平和のための祈りを込めたゴスペルの会を大阪でもスタートした、そのゴスペルを歌う会だった。

 

今なお、夏休みの余韻は消えず、内なる力を抱いている自分に気付く。(もり)

 

 

 


大阪生野のコリアンタウンのキムチ屋さん 2017年10月19日(木)撮影
大阪生野のコリアンタウンのキムチ屋さん 2017年10月19日(木)撮影

◎2017年10月22 ・ 【 窓 133号

   『 つまみ食いが効きました 』

 

9月と10月にわけて、遅めに頂いた夏休みの後半。

再び大阪に出掛けた。

 

今回は友人の案内で、チン電とJRを乗り継いで、生野(いくの)という町のコリアンタウンを訪れキムチ屋さんにも寄った。

 

自動車での移動よりも遥かに目に入ってくる情報、感じる情報が多くたまらなく面白い。

 

**************

 

友人に連れられて(あとで分かったけれど、かなりの方向音痴と知って今更ながらおかしい)コリアンタウンに入って沢山のキムチ屋さんを通り過ぎて行く。

 

さて、どこまで行くのかなと思っていたら、絶対ここがおすすめというお店に連れて来てくれた。

 

人気店の大将、とにかく勧め方がうまい。声も大きいし、あっという間にひき込まれる。

 

「味見を」と言われ、セロリや切り干し大根のキムチを口に。

 

それぞれ500円分ずつ即決で買った。

 

他にも友人が「ぜひ、これを」とお土産に持たせてくれた、山芋とトマトのキムチまで頂いた。

 

**************

 

持ち帰って味わってみると、なるほど、本当に美味い。

 

いやそれにとどまらず、あまりにおいしくて、これから、近くのスーパーなどではキムチを買えないなぁ、と真面目に思う。

 

あとで調べて見れば、友人が連れて行ってくれたお店は、しばしばTVや雑誌などの取材を受けるような名店だった模様。

 

それにしても、今思うに、買い物の決め手は味見だったなと気付く。何しろ、つまみ食いをしなかったら、あの旨さは絶対に分からないのだから。

 

**************

 

過日行われた東中国教区の伝道協議会でのこと。

 

新来会者を迎えるのには、〈一見(いちげん)さん歓迎、礼拝中の出入り自由〉ぐらいの心も必要では、という講師の言葉も聴いた。

 

実際、そんな取り組みをしている教会も紹介された。

 

わたしたちも、〈み言葉〉や〈教会〉を一口だけでも「味見」してもらうためには、相当に柔らかな発想が要るのかも知れないと思う。(もり)

 

 


10月15日(日)主日礼拝の中でのインタビューによる証しの時間のひとこま。右側の文さんに光代さんがインタビュー。この日から講壇の位置が変わった。
10月15日(日)主日礼拝の中でのインタビューによる証しの時間のひとこま。右側の文さんに光代さんがインタビュー。この日から講壇の位置が変わった。

◎2017年10月15 ・ 【 窓 132号

      『 お隣の大先輩 』

 

10/11(水)の朝、私は電話口で「先生、伝道に行き詰まりを感じてます。話を聴いて頂けますか」と口にしていた。

 

電話の向こうに居られたのは直線距離で1.7㎞、徒歩20分の所にある日本同盟基督教団西大寺キリスト教会の主任牧師・赤江弘之先生・74歳。

 

40分後、庭の植木をいじりながら出迎えて下さったポロシャツ姿の赤江先生は普通のおじさんにしか見えない。

 

ざっくばらんに最近のわたしの思いを伝えると、「私たちも遅々とした歩みですよ」との開口一番の言葉から始まり、笑ったり、泣きそうになったりの1時間半はあっという間だった。

 

例えば、ここでご紹介してもご迷惑でないことを記すと、

 

「人間が作り出すのはビジョンではないですね。神さまが下さるのがビジョン。私にではなく二人の信徒さんにビジョンが与えられての今があります。初めて聴いたとき・・・・・・」

 

「今の時代の伝道の停滞は30年、40年前から予想していましたが、とりわけ、オウム真理教の問題が起きてから、著しい変化がありました。だから・・・・・・」

 

「旭東教会のホームページの〈西大寺発見〉って、先生、どんなことが載っているのですか・・・・・・」

 

他にも、教えられること、考えるきっかけとなることがあれこれとあった。

 

とりわけ、互いにひと言お祈りを、というお別れ間際の赤江牧師の祈りは、おそらくいつもそうなのだろうけれど、本当にかみ締めるような、ゆっくりとしたお祈り。

 

教えられた。

 

西大寺という同じ町で、教派を越えて先輩・後輩のお交わりを頂けることの有り難さ(正に字の通り)を、今、かみ締めている。

 

秋空の下、私の〈弱きの虫の音〉が少し静まったかも知れない。(もり)

 

 


野外バーベキューの会場となった十文字平和教会の「愛の鐘ロッジ」のステンドグラス。時を経て、あらためて見つめてみると、なんて素敵なステンドグラスなのだろう、と感じる。ベニヤと丸太に浮き彫りになる十字架。イエスさまが貼りつけにされるに相応しい十字架だ。ノアの箱舟の物語の虹への思いも起こされる。
野外バーベキューの会場となった十文字平和教会の「愛の鐘ロッジ」のステンドグラス。時を経て、あらためて見つめてみると、なんて素敵なステンドグラスなのだろう、と感じる。ベニヤと丸太に浮き彫りになる十字架。イエスさまが貼りつけにされるに相応しい十字架だ。ノアの箱舟の物語の虹への思いも起こされる。

  ◎2017年9月24 ・ 【 窓 NO.129

      『 史上初 バーベキュー礼拝 』

 

2016年4月から、礼拝応援ほかの為に月に2度伺っている十文字平和教会からのお招きを受け、総勢20名が愛の鐘ロッジでの野外バーベキューに参加した。

 

クルマ5台を連ねてのひとときは、単にドライブ以上の貴重な時間になったような気がする。他の4台の車中の様子は分からないが、おそらく、なにがしかの新しい何かを産み出すひとときとなったのではないだろうか。

 

旭東教会のこの20名という参加人数。

 

十文字平和教会の方たちからするとおそらく倍近い数。準備は緊張と不安も伴ったのではと思う。だからこそ、なおのこと、迎えてくださった十文字平和教会の方たちにはあらためて感謝で一杯だ。

 

当日は、十文字の方々10名と他教会10名の参加者があったのっでおよそ40名ほどの集い。

 

台風一過の爽やかな秋空の元、聖書を読み、『日々の聖句・ローズンゲン』を読み、賛美し、祈り、各自挨拶など、出会いを分かち合った。もちろん、肉や野菜・おにぎり・お好み焼き・栗・ピオーネ・アイスクリームも満喫。

 

わたしはと言えば、いつものようにカメラをもって、集った方々の笑顔を追っていたけれど、さまざまな場面での、主イエス・キリストにある語らいの場面が見られて幸せを感じた。それはまた、参加した一人ひとりの実感かも知れない。

 

野外バーベキューの終了の間際、ご自身が創作されたフランダースの犬の紙芝居を旭東で上演して下さった、この日の総合司会のN満兄が近づいて来られた。

 

そしてこう言われた。

 

「もり先生、終わりに祝祷お願い出来ないでしょうか」と言われた。

 

もちろん喜んで引き受けたのだが、祝祷する迄の数分の間に、私には思いも寄らなかった気付きが与えられたのだった。

 

それは、我々が40名が集い共に過ごしていたこの2時間余りは、実は、礼拝そのものだったのでは、というものという確信である。

 

祝祷するだけではもったいない、と思った私は、明確にこの時間が礼拝だったのだということが分かるようにするために、頌栄「父・子・み霊の」を賛美することにした。その意味するところの説明も行った。

 

そして祝祷。

 

祝祷の時、一同の心の目は開かれたのだと思う。そうだ、これは丘の上の〈バーベキュー礼拝〉だったのだと。(もり)

 

 


2017年9月 教会堂のトイレの大改装工事の初期段階で 二人の働き盛りの大工さん(40歳位か)の仕事ぶり お二人ともに笑顔が素晴らしい、そして、優しいです。
2017年9月 教会堂のトイレの大改装工事の初期段階で 二人の働き盛りの大工さん(40歳位か)の仕事ぶり お二人ともに笑顔が素晴らしい、そして、優しいです。

◎2017年9月17 ・ 【 窓 NO.128

       『  基本でした  』

 

9月11日の月曜から始まり次週も続くトイレの増設改修工事。っていたよりもはるかに大掛かりなものだと今になってようやく気付いた。

 

大工さんや職人さん達の仕事の様子を、迷惑のかからない範囲で見せて頂いた。

 

まず嬉しかったのは仕事が美しいこと。養生の仕方にせよ、片付けにしてもきちんとなさる。当たり前のようで当たり前ではないことではないだろうか。出入りする皆さんがそうだった。

 

**************

 

もう一つ、職人さんの腕には直接関係ないかも知れないが、職人さん達の笑顔も嬉しかった。

 

「順調ですか?」「次は何をするんですか」等ととついつい聞きたくなるのだが、声掛けがはばかられるような雰囲気とは正反対。いつもニコニコして向き合って下さる。本当にありがたい。

 

きれいな仕事と笑顔。わたしたちの教会にも求められていることだと気付いた。

 

大工さん、ありがとうございます。あっ、イエスさまも大工さんでしたね。(もり)

 

 

 


2017年9月10日(日)恵老祝福の日の午後、愛餐会にて。三人合わせて年齢の合計はもう少しで300歳。来年もご一緒いたしましょう。
2017年9月10日(日)恵老祝福の日の午後、愛餐会にて。三人合わせて年齢の合計はもう少しで300歳。来年もご一緒いたしましょう。

◎2017年9月10 ・ 【 窓 NO.127

       『  目的はどこに  』

 

9月4日(月)、倉吉市の中心部にある上井教会に出掛けた。

 

年に二度行われる東中国教区の宣教会議が開かれ、地区長とニュース誌委員会の代表者の立場で参加。

 

倉吉までは、わたしのようにトイレ休憩しながら行くと車で3時間と少し掛かる。今回は日帰りの会議で、修行は厳しかった。

 

**************

 

朝から晩まで、丸一日、伝道や財務の責任ある方々の発題3つを聴き真剣かつ熱心に論議。牧師だけではなく、信徒さんも交えての15名程の会議だ。

 

論じて方策を立てることが目的ではなく、じゃあ、実際どのような具体策を、どんな筋道で考え、実行に移して行けばよいのか、課題は大きい。

 

けれども、考えようによっては実にやり甲斐のある場面に身を置いているとも言える。そして出会っている仲間たちと共に力を合わせたいと思う。

 

**************

 

東中国教区のみならずなのだが、今、各地の、とりわけ地方のさらに言うならば〈地域教会〉の教勢は総じて下り坂にある。

 

高齢化社会が進む中、5年10年後に教勢は更にガクンと落ち込みそうだ。もちろん旭東教会も。

 

この度の宣教会議であたりまえに交わされた言葉は、もはや、一教会一牧師時代は終わりに近いということだった。

 

その課題を共有し始めていることの意味は大きい。

 

「情理」を尽くしての論議が求められると思う。

 

**************

 

私見ではあるけれど、各教会の伝統や立場の違いを尊重しながらも、大胆かつ身を削る〈変化〉が待ったなしで求められていると感じる。

 

本気になれるかどうか。これからの10年、否、7年位だろか。大胆な発想が必要だと思う。

 

全国的に見れば、所帯の小さな教区なのだから、祈りつつ、柔軟な歩みをと願う。賜物ゆたかな教区執行部のリーダーシップに期待したい。

 

**************

 

全く違う話のように思われるかも知れないが、今週、わたしたち旭東教会が行うトイレの改修工事も大切な変化だ。

 

トイレ工事は、単に快適さを求めることが最終目的ではない。今年度の「教会目標」に沿った宣教、そして、伝道のためと考えたいと思う。

 

忘れてしまっている方も居られるといけないので、念のために、〈2017年度の教会目標〉を掲げよう。

 

「 希望をもってみんなで〈伝道〉信仰に生きる喜びを証しし、愛に生きるために 」(もり)

  


2017年9月3日(日)礼拝の中でのジュニアサークルの時間、「キリストの平和」の賛美で始まりましたが、スクリーン掲示の際、いつもと違うものが活躍。手作りの指差し棒がデビューです。
2017年9月3日(日)礼拝の中でのジュニアサークルの時間、「キリストの平和」の賛美で始まりましたが、スクリーン掲示の際、いつもと違うものが活躍。手作りの指差し棒がデビューです。

◎2017年9月3 ・ 【 窓 NO.126

       『  博多に出掛けてよかった   』

 

西日本同信伝道会の研修に参加。メイン会場は九州キリスト教会館。

 

同信伝道会とは旭東教会も同じ流れに属する「会衆主義=組合教会系」のゆるやかな繋がりのグループだ。

 

その交わりにわたしは生かされ助けられていることが多いな、と感じている。出身の神学校を問わないそのおおらかな交わりは、有り難いものだといつも思っている。

 

同信伝道会、実に懐が深いのである。

 

**************

 

主題講演をされた同志社大学神学部の原誠先生のお話。本当に眠くなる暇がなかった。

 

結語は「創造的な少数者たれ=クリエイティブ マイノリティー」。旭東教会にもいつかお招きしたい方だと思った。

 

偶然ではあるけれど、原誠先生の弟さんは、わたしが神学校時代から親しい交わりを下さっている一年先輩だったので、重ねて嬉しいことだった。その先輩、今は関東以北の歴史ある町で長く伝道牧会されている。

 

**************

 

信徒の立場で発題されたAさんは旧知の大先輩。

 

講演題の「九州教区に於ける信徒の果たして来た役割」は信徒の働きを重んじる会衆主義の集いらしい内容であり、かつてお世話になった九州教区の歴史を概観できる貴重な時間となった。

 

Aさんの講演の最後、ほっとするお話も聴けた。

 

昨春の「熊本・大分地震」を経て、今春の九州教区の定期教区総会では重い課題について厳しい論議が交わされたものの、確かな変化を感じたという。

 

どんな変化かと言えば、「立場の違い越え、皆(みんな) やさしくなった」とのこと。

 

**************

 

少し前に、教会学校関係の教案誌にメッセージを記された方が熊本・大分地震の被災教会のK牧師だったことに気付いた。じつはそこでも、そのメッセージに、わたしが知っているK牧師とは違う、まさに優しさを身につけておられるのを感じていた。

 

だからこそ、今回のAさんの発題を聴いていて「あー、そうなのだなぁ」とあたたかな思いになった次第である。

 

**************

 

それにしても、やっぱり、時には外に出ていって新たな出会い、旧知の方々との再会、そしてそこで聴かせて頂く言葉、思い、感じる空気の中で、わたし自身も新たにされて行くのだなぁと再確認できたことは、実に大きな収穫だった。

 

福岡の名所でもある大濠公園あたりを、ゆっくりと散歩することができれば、なおのこと、良かったかなぁと感じているが、それはいずれまたの機会としたい。

 

そう、九州は大分で育ち、博多・天神近郊にも10年暮らしたわたしにとって、やはりその空気はやさしいものだった。(もり)

  


2017年8月27日(日)この日の献花は雅代さんのご奉仕 落ち着きと同時に、生きているなと感じる。
2017年8月27日(日)この日の献花は雅代さんのご奉仕 落ち着きと同時に、生きているなと感じる。

◎2017年8月27 ・ 【 窓 NO.125

       『  ひと言で大丈夫  』

 

井上洋治神父さまという方が居られた(1927年3月28日 ~ 2014年3月8日)。

 

「Wikipedia・ウィキペディア」冒頭の紹介文に依れば次のように書かれている。

 

【1950年東京大学文学部哲学科卒業と同時に渡仏し、カルメル会修道院に入会。リヨン大学、リール大学で哲学、神学を学ぶ。1960年、東京教区の司祭となる。1986年から、日本人の心情でイエスの教えをとらえようとする「風の家」を主宰。】

 

**************

 

わたし自身との最初のかかわりで言うならば、1993年当時、NHKラジオ第二放送の「宗教の時間『福音書を読む』」で教えて頂いた方。

 

ラジオ講座のテキストを開いてみると、日本キリスト教団出版局の井上洋治神父さまのご著書の宣伝文が目に入った。

 

『日本とイエスの顔』では【「日本人とキリスト教」「日本とキリスト教」という重い課題を一身に担って思索し苦闘してきた神父・・・】とある。

 

『余白の旅 思索のあと』の方は【「日本文化も、イエスの福音開花のために神が準備された苗床であるはずだ」】と記されている。

 

わたしも、西洋的キリスト教を押しつけないで、日本で生きる人々の心に届く言葉を伝えようとされた司祭として知られる方と言って間違いないと思う。

 

**************

 

かつて、一人の若者が神経症となり、光を見いだせず、もがき苦しんでいることを、とある学びの場に居られた井上神父さまに率直に語った時に、こう言われたそうだ。

 

「今日はとてもすばらしい話を聞かせてもらいました。ありがとう。しかし、ひとつだけ感じたことがある。信仰とは頭で考えることではなく、生きてみることではないだろうか。知ることではなく、歩いてみることではないだろうか」と。

 

日頃、わたしが考えていることに触れる言葉で心から賛同する。

 

**************

 

若者とは、評論家でもあり、薬草商もされ、最近では、詩人としても活躍し始めた若松英輔氏である。

 

わたしはこの井上洋治神父さまの言葉を、『悲しみの秘儀』(ナナロク社)の中で知った。

 

ちなみに、この『悲しみの秘儀』は「日本経済新聞」の夕刊に2015年の1月から6月迄、毎週掲載された「プロムナード」を一冊の本にされたものだ。

 

**************

 

若松氏は、このひと言で自分の生き方が明確に変えられたと、振り返っておられる。

 

「師について」としての項で、井上洋治神父さまとの思い出に触れながら、最後は『遺稿集 「南無アッバ」の祈り』からこの言葉を抜き取られていた。

 

【宗教は考えて理解するものではなく、行為として生きて体得するものです。たとえてみれば、山の頂上にむかって歩んでいく道であるといえましょう。人は二つの道を同時に考えることはできても、同時に歩むことは決してできません。】

 

まったくその通り、深いことをわかりやすく、やさしい言葉で語られるお方だ。

 

心の底からアーメンである。

 

**************

 

若松英輔氏もカトリックの信者だと聞いているが、井上洋治神父さまが記されたり語られたり記されている言葉の源泉を辿っていくならば、突き当たるのは、一冊の書=『聖書』であることは間違いない。

 

我々はその点をしっかりと心に刻みたい。

 

『聖書』とじっくり向き合うに相応しい秋がそこまでやって来ている。わたしたちは聖書の中から、たったひと言の力ある言葉を求めたい。ひと言ならば、きっと見つかるはずである。(もり)

 

  


2017年8月19日(土) 教会のある西大寺の町の風物詩 灯籠流しが行われた。こころ和む夜です。こんな町にある教会はしあわせかも知れない。
2017年8月19日(土) 教会のある西大寺の町の風物詩 灯籠流しが行われた。こころ和む夜です。こんな町にある教会はしあわせかも知れない。

◎2017年8月20 ・ 【 窓 NO.124

       『  やってみたわかったこと  』

 

「第1回きょくとう教会シネマ・夕涼み映画会」が無事に終了。

 

ごくごく身内である《 神の〈家族〉》を対象とする映画上映を教会で行った。楽しかった。

 

決してたくさんの来会者を求めていたわけではないけれど、1日目「ローマの休日」:16名、2日目 「カサブランカ」:18名はできすぎ。

 

**************

 

お出で下さった方々皆さんが、それぞれの思いを抱きつつ来会。楽しみにして居られたのだなぁ、という思いが自然に伝わってきた。

 

今後のさまざまな可能性が感じられ、企画の段階から相談しながら準備された共育委員の方々も一安心の様子。

 

なにしろ、定刻になっても映画が始まらない、なんていう悪夢を見たとは言われないけれど、かなり緊張して準備されたことは間違いない。

 

何度もスクリーンに写し出し、声は聞こえるか、大きすぎないか。

 

パソコンを使っているから、突然、マイクロソフトのupデートが始まったりしないか等など。本当に見えない所でのご苦労は計り知れない。

 

**************

 

10代後半から、それなりに、いやいやかなりの映画好き(だったはず)の私。

 

高校生の頃は、東京は池袋の文系座と文芸座地下だったか、二つの名画を上映する映画館によく出掛けたもの。どれほど多くのことを、そこで考え、吸収しただろうか。

 

40代前半の15年程前頃までは、日曜日の夜くたくたでも、深夜割引の上映を楽しみに出掛けていた。

 

ちょうど、当時暮らしていた新潟県の上越市にもシネマコンプレックスが誕生。日曜日の夜中まで、大いに楽しませて頂いたもの。

 

あるいは、福岡では、一般上映に先だっての試写会をよく申し込んでいたことを思い出す。

 

**************

 

ところが、そんな私だったはずなのに、この5年程で映画館行き自体がめっきり減ってしまった。

 

まだまだ還暦前(旭東教会の先輩方を前提にしての言葉です)の若さであるにもかかわらず「映画、いいんだけど疲れるなぁ。明日に響く」といつしか自己抑制し始めていた。

 

**************

 

この度の旭東教会での夜7時からの夕涼み映画会。

 

80代後半のご夫妻はラブラブに見えた。そしてとても楽しみにしていて下さったのが我々に伝わって来た。90代の方もお二人が来会。80代も、70代も居られた。

 

そう、いつもの教会ならば、夜でも安心・安全なのだ。これは実にたいせつな気付きと言える。

 

皆さん余力を残して名画を堪能し、家路につかれた。

 

私も、共育委員の皆さんも心の中に財産とも言えるおおきな力を頂いた。感謝。(もり)

 

  


2017年8月6日は平和聖日 聖餐式をおこなった 杯は備前焼 会員の陶芸家明美さん作
2017年8月6日は平和聖日 聖餐式をおこなった 杯は備前焼 会員の陶芸家明美さん作

◎2017年8月6 ・ 【 窓 NO.122

       『  神の言葉への期待  』

 

若松英輔という方が居られる。

 

『イエス伝』(中央公論新社)も書かれる随筆家であり批評家、そして薬草商でもある。1963年生まれだから同世代の方だ。

 

薬草商という珍しいし仕事に携わっておられることは実に興味深い。

 

そこにたどり着くまで、若松氏の人生の紆余曲折があるらしい。順風満帆からは程遠い歩みを経験されているそうだ。近しく思う。

 

**************

 

詩人の〈和合亮一氏〉は〈若松英輔氏〉と書簡のやり取りをする信頼し合う間柄だが(『悲しみが言葉をつむぐとき』岩波書店)、あるところで若松氏の詩を読み解かれ、こう記されている。

 

【私たちは薬草の「はたらき」のように、ゆっくりと確かに効能が現れてくる言葉や詩を欲している。若松英輔氏はそれを伝えたいのではないかと思った】と。

 

**************

 

私も初めての詩集だという『詩集 見えない涙』(亜紀書房)の作品「薬草」に惹かれた。

 

以下は、その一部。「言葉」に心を向けて黙想すると、実に深い余韻がある。以下、「言葉」に添えた〈〉は私の手によるもの。

 

**************

 

○「誰が命名したのか  言葉〉は その名のとおり 植物のはたらきに よく似ている 予期せぬ場所から 舞い降りて 人生の季節が変わったと しずかに告げる」

 

○「薬草が必要なときは どんなに苦くても ぐっとこらえて とり入なくてはならない 〈言葉〉も同じだ 苦い言葉も あるときは じっとこらえて 受け容れなくてはならない」

 

○「薬草は じっくり煎じてから飲む 効能が潜んでいるのは色素 薬効が からだに浸透するにも 少し時間を要する 〈言葉〉も同じだ 隠れている意味の色を 時間をかけて ゆっくり 味わい 感じなくてはならない」

 

○「ときには ひとつかみの 草を探すためだけに 山深く 分け入らなくてはならないように たった一つの〈言葉〉を探すために 人生の長い旅に出なくてはならないこともある」

 

**************

 

若松氏は「言葉」の力に信頼している方だと、薬草の効能のようにじんわり、否、確かに伝わって来る。

 

そう、もしかすると、聖書に馴染んで居られない読者には感じないかも知れないが、彼は明らかに、いつも聖書を心の片隅に置いているのだ。

 

実際若松氏は、井上洋治神父さま他の影響を受けたカトリックの信者さんだと聞いた。

 

**************

 

私たちはいったいどのような〈言葉〉を探す旅を続けているのだろう。

 

どんな効き目の〈言葉〉があれば、薬草がなくとも癒しや救いを経験できるのだろうか。

 

**************

 

共に思い巡らして見よう。

 

私たちには〈み言葉=イエス・キリスト〉があることを。

 

やはりそう想うのだ。(もり)

 

  


2017年7月23日(日)夏のファミリー礼拝の献花 雅代さん あらためて見ますと、やっぱり色合いが見事ですねぇ。旭東教会は幸せです。
2017年7月23日(日)夏のファミリー礼拝の献花 雅代さん あらためて見ますと、やっぱり色合いが見事ですねぇ。旭東教会は幸せです。

◎2017年7月30 ・ 【 窓 NO.121

       『  かたじけない  』

 

キリスト教放送局日本FEBCFEBCによる旭東教会の礼拝放送があった7月23日(日)午後9時半、周波数AM1566にダイアルを合わせ、牧師館の居間で放送開始を待った。

 

取材があったのは、2017年1月29日、半年が過ぎた。

 

あの日のことを思い起こしながらラジオの前に身を置いた多くの教会の皆さんが居られたはず。

 

      **************

 

韓国済州島(チェジュとう)からのラジオ放送は雑音も入るし、電波の受信状態が怪しくなることもしばしばある。

 

しかし、それでもなおと言うか、それだからこそ、今ここに聞こえて来る声に耳を、いや、身を傾けることになる。

 

      **************

 

幼い頃に、どちらの放送かは不明ながら、布団の上に正座して賛美歌を聴き、聖書のお話を聴いていたというご婦人のお話を思い起こす。

 

インターネット放送と異なり、全く同じ時間に、日本の各地で耳を傾け、司式者の祈りに、全国で一斉に「アーメン」し、オルガンと我々の声に合わせて賛美する方が居られるのだなぁと思うと、感謝あるのみだった。

 

かたじけないことだと心底思う。

 

考えてみるならば、この日は、何千人、否、何万人もの人々と共に時を同じくして礼拝していたのだなぁ、と今更ながら気付かされる。

 

      **************

 

翌朝9時、倉敷市内在住の70代のご婦人から、「先週、〈次週は日本基督教団旭東教会の礼拝にあずかりましょう〉と聴いてから、心待ちにしていました」との電話があった。

 

兎にも角にも、ひと言を伝えてくれようとする思いが心に届いた。

 

やはり、FEBC頼みの方が居られることを直接に知った。他にも、以前の放送でも聴きましたが、あらためて、聴き直しましたというお声が届いた。

 

FEBCのスタッフの皆さまのたゆみない貴いお働きが守られること、ここまでの歴史があることを改めて心にとめて、祈り、応援し続けたい。(もり)

 

 

  


2017年7月16日(日)の礼拝献花 雅代さんのさり気ないけれど、祈りのこもったご奉仕による夏の献花だなぁと 感謝
2017年7月16日(日)の礼拝献花 雅代さんのさり気ないけれど、祈りのこもったご奉仕による夏の献花だなぁと 感謝

◎2017年7月16 ・ 【 窓 NO.119

       『  "余滴"の"余滴"  』

 

毎日曜に発行の『み言葉"余滴"』。前週の説教要約(そもそも説教を要約するのは不可能と考えている)ではなく、皆さんのためにも、わたし自身の為にも少しでも違う視点からメッセージを書き続けている。

 

     **************

 

過日、かつて信仰生活を共にした新潟県妙高市の新井教会(*高田教会と兼務していた、現在、礼拝出席6名~7名程の教会)の長老・K兄(*昭和2年生まれ・90歳)に全号を贈った。

 

K兄は私の父と同い年の方。お元気で居て下さって嬉しい。

 

在任中は、日本酒をもってお詫びに出掛けたり、役員会のあとはしばしば食卓でごちそうになっていたご夫妻のご主人さまである。

 

     **************

 

K兄のお好きな写真などを送って来て下さり、『み言葉"余滴"』の最近号を数枚お送りしたところ、「信仰を養う上からも、〈伝道の書〉としても最高です。素直な信仰心が向上いたします」とお便りを下さり励まされたことが全号をお送りした切っ掛けだ。

 

このような実直な言葉はまさにK兄らしいもの。

 

その後、更に「24号に感銘」という電話があったことを妻から聴いた。読み返してみるとルカ福音書2章に登場する〈老シメオン〉についての号。

 

K兄の心に響いたのは、「神さまが必要とされるのは特別な人ではありません。・・・まじめ一筋のあなたを神さまは必要とされています」かなと想う。(もり)

 

         **************

 

以下、み言葉"余滴"の24号 貼りつけます。

K兄の心には他にも響いていたかなぁとも思うので。

 

    《  み言葉 余滴  》     NO.24
                      2015年9月13日
               『  大事なものの託され方  』
                            牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)

 

◎ルカによる福音書 2章28節~32節
  28 シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。29 「主よ、今こそあなたは、お言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます。30 わたしはこの目であなたの救いを見たからです。31 これは万民のために整えてくださった救いで、32 異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。」

 

シメオン。彼が一体何者であるのか実はよく分かりません。『ルカによる福音書』の最初に登場するザカリアが、「アビヤ組の祭司」として紹介されるのと大きな違いがあります。

 

ザカリアは【主の掟と定めをすべて守り、非の打ち所がない】(1:6)と紹介されていますが、実はシメオンも【この人は正しい人で信仰があつく】(2:25)と紹介されています。

 

けれども、シメオンの方は、その生い立ちも、務めも、家族のことも分からないのです。

 

                    **************

 

ここには深い意味があります。福音書記者ルカは、そーっとではあるけれど、明確な意図をもって伝えようとしていることに関連します。

 

ルカはごくごくふつうの、つまり「祭司」でも「預言者」でもない、世に身を置く実直な信仰者であるシメオンのような人を通じて、福音の広がりを描きたいのです。それが聖霊による導きです。

 

                    **************

 

ルカが記したこの福音書は不思議な魅力のある書だなぁと思います。1章~2章までと24章の最後の最後の場面設定が、当時のユダヤ地方の中心地、神殿のある「エルサレム」にあります。ルカはエルサレムを大切にしているのです。

 

そうであるにも関わらず、ルカは福音がエルサレムに限定されないものであることを明らかにします。彼はエルサレムから遠くはずれる、【異邦人】や【万民】のための福音がここから広がって行くことを、この『ルカによる福音書』と続編として記した『使徒言行録』で明確にするのです。

 

だからこそ、シメオンが祭司や預言者ではないことは重要です。神さまは、名前以外には何者であるのか分からない人を必要とされるのです。

 

                    **************

 

イエスさまを腕に抱いたときのシメオン。彼の腕は折れ曲がっていたと推測される書き方が原文ではされています。

 

老齢だったのでしょう。その腕には力強さはありません。けれども、弱い力しか残っていなかったシメオンを神さまは用いられたのです。

 

シメオンは「救い」を抱き抱えました。待ち続けていた救いをうっかり落としてしまってよいわけがないのです。

 

神さまが必要とされるのは特別な人ではありません。力は弱いけれど忍耐強く待ち望む、まじめ一筋のあなたを神さまは必要とされています。ここにも福音の喜びがあります。(end)

 


2017年5月7日(日)の献花はこちら。亮子さんが、本当にあれやこれやと工夫し祈りをもって準備されたもの。こころから感謝。
2017年5月7日(日)の献花はこちら。亮子さんが、本当にあれやこれやと工夫し祈りをもって準備されたもの。こころから感謝。

◎2017年5月7 ・ 【 窓 NO.109

       『  一汁一菜  』

 

お料理研究家・土井善晴さんの近著、『一汁一菜でよいという提案 』(グラフィック社)を読んだ。

 

後で知ったことだが、かなり話題の本らしい。

 

「日本の食卓は毎食一汁一菜でよい」という考え方、いや、生き方が記されていて、感動した、というのがわたしの率直な思いだ。

 

土井善晴さんは、わたしの母の世代が家庭料理について多くを教えて頂いた土井勝さんのご子息、と言う方がわかりやすいかも知れない。

 

**************

 

日本には「一汁三菜」という言葉もあるようだが、副食物としての汁一品、おかず一品だけの食事でよいのです、ということを丁寧に記される。

 

お料理の本というよりも、生き方の本と言うのがふさわしい。

 

もっというなら、人生哲学がそこにあることがわたしたちにも伝わってくる。

 

図書館で借りていたけれど、いつも手元に置いておきたいと感じたので、近く、購入しようと思う。

 

**************

 

どうやら土井さん、お料理の世界で生きて行こうとする中、紆余曲折を経て、『一汁一菜でよいという提案 』であきらかにされた思いに至ったようだ。

 

発酵食品のお味噌汁に重点を置き、家庭料理なのだから、残り物の野菜やら何やら(目玉焼やトマトでも)どんどんお味噌汁に入れてよいのです、という考え方をわかりやすく説かれる。

 

「へぇー、そんなんでいいのかぁ」と、気持ちが急に楽になる方が少なくないはず。

 

**************

 

特に、次の言葉にふれてわたしはうなった。

 

「毎日食べても飽きないご飯とお味噌汁、漬物は、人間が意図してつけた味ではありません。日本で古くから作られてきた味噌は微生物が作り出すもの。人間の技術で合成した美味しさとは別物。人間業ではない」

 

土井さんに「人間業ではない」と書かれると、こちらは「土井さん、やっぱりそれは、神業ですね!」と突っ込みたくなる。

 

**************

 

土井さんのご本の中でも少しふれられていた話題に、「ハレとケ」というものがある。

 

古来より、日本人は、普段通りの日常を「ケ」の日、祭礼や年中行事などを行う日を「ハレ」の日と呼んでいて、日常と非日常を使い分けていると言われる。

 

元々「ハレとケ」は、柳田國男によって見いだされた日本人の伝統的な世界観のひとつらしい。

 

土井善晴さんも「ハレとケ」にふれる。つまり、「ハレ」の日には、晴れ着を着たり、神聖な食べ物である餅や赤飯を食べたりするけれど、家庭の食卓は、「ケ」の普段通りの生活を送る日の繰り返しなのだ、と。

 

だからこそ土井さんは、あなたも、けっして力むこともなく、家庭料理こそ、いちばんのおご馳走という自信と確信をもって、一汁一菜の静かな暮らしを送ればよいのです、と言われるのだ。

 

**************

 

この考え方、そして、生き方。

 

毎日、今夜は何を作ろうかしら、と悩む方々への応援歌でもあり、飽食時代の「もっと、もっと」を求める時代への警鐘にも聞こえた。

 

**************

 

合わせて、結婚式の司式の折りにこれからご家庭を築き始めようとするお二人に読んで差し上げることも多かった星野富弘さんの言葉をご紹介しよう。

 

わたしの闘病時代に出会ったたいせつな一冊・『鈴の鳴る道』(偕成社)の中の作品のひとつ。

 

「日日草」

今日も一つ 悲しいことがあった
今日もまた一つ うれしいことがあった

笑ったり 泣いたり
望んだり あきらめたり
にくんだり 愛したり・・・・・・

 

そして これらの一つ一つを
柔らかく包んでくれた
数え切れないほど沢山の 平凡なことがあった


(星野富弘/『鈴の鳴る道』P23より)

 

**************

 

わたしが子どもの頃も、今振り返ってみれば、本当に質素な食卓だった。

 

祖父母を交えて6人で囲む小さな掘りごたつ型の食卓に、焼きたての鮭の塩焼きがでてくると(ほんとに小さな一切れだった)、飛び上がらんばかりに嬉しくて、「やったぁー、これで、今日はご飯三杯食べられる」と、子ども心に〈しあわせ〉を感じていたのが懐かしい。

 

昭和45年・1970年頃のことである。イエスさまもそこに居てくださったのだと心の底から思う。(もり)


2017年4月16日 イースターを迎えた。卵の樹の下にはこちらが。
2017年4月16日 イースターを迎えた。卵の樹の下にはこちらが。

 ◎2017年4月16日 ・ 【 窓 NO.106

       『  洗 足  』

 

洗足の木曜日の(4月13日)朝と夕。いつもなら祈祷会の時間に「受難の賛美と黙想のとき」をもった。

 

金曜日は「受難日礼拝」をささげ、そこでも感慨深いものがあったのだが、ここでは洗足の木曜日のひとときについて語ろう。

 

**************

 

この日のプログラム。お手本はなかった。つまり完全オリジナル。

 

過去に仕えて来た教会では「過越の食事」を行うことが数度あったけれど、今回はそれとも全く違うものだった。

 

クリスマス前には「アドヴェントを歌おう」「クリスマスを歌おう」という時間を祈祷会の日にもった。

 

しかし今回は、旭東教会で何十年と続いてきた歴史ある「受難週の早天祈祷会」(あまりに限られたメンバーしか参加できない状況を変えるべき、という理由)に代わるものだった。

 

そのため、ある種の重みが是非ともあるべき、と考えていて、会をもつと決まってからは、ボンヤリとプランを求め続けていたのだった。

 

**************

 

準備の際、『讃美歌21』や1954年版の『讃美歌』を手元に置き、ただ、受難・レントに分類される賛美歌だけを歌うのではなく、キリストの生涯を歌詞を味わいながらたどれるような構成を考えた。

 

特に、テゼ共同体の賛美歌、112・「イェスよ、みくにに」は是非ともじっくり歌うことにした。さまざまな意味で死を思うことは、この期節にどうしても必要だった。

 

英語の歌詞でも、日本語でも実際歌ったが、よかったと思う。繰り返し繰り返し賛美した。わずか数行の歌詞だから、その気になりさえすれば、誰でも確実に暗記できる。

 

**************

 

賛美歌以上に、たいせつにしたいな、と願っていたのが「洗足」だった。

 

かつて牧会した福岡の教会では、過越の食事の時に洗足を行った記憶がある。

 

そのときは、小学校3年生位の少年がお母さまに連れられてやって来たので、その子の足を洗ってあげた。

 

**************

 

旭東教会では、そう無理してもいかんな、と思いつつも、いろいろなことを想起することの意味は大きいと考え、先ずは形からと、〈たらい〉をさがした。

 

教会の台所には、何やらそれらしきものが隅っこに置かれていたものの、万が一にも、「先生、それ、お野菜を洗うためのものですよ」というようなことになっては目も当てられない。

 

思いたって、正兄のお宅に電話して助けを求めると、しばらくして「先生、丁度いいのがありました」との電話。さっそくあずかりに伺った。

 

礼拝堂の前方左側に、いろいろと工夫をしてセッティングもしてみた。落ち着きのある空間が生まれた。

 

**************

 

木曜日、朝10時前に、近くのドラッグストアにて新品のタオルを購入。

 

実際に、〈洗足〉ということになった場合、我が家の使い古しのタオルというわけにはいかない。さりとて雑巾なんてことも出来ないからだ。

 

ヨハネによる福音書13章の洗足の場面を含むみ言葉を味わいながら、プログラムが進んだ。

 

合わせて、光代さんが「せんせい、少しでもお役に立てば」と言って持って来て下さったロンドン テート・ギャラリー所蔵のブラウンの(当然コピー)「弟子の足を洗うキリスト」を解説しながら時を待った。

 

そして、式次第には記していなかったけれど、と前置きして、「ここに準備した〈たらい〉と〈タオル〉を使って、実際に、ひざまずいて洗足をしてみませんか。でも、やってみますという方が居られなくても、全く問題ないですから」と伝えてみた。

 

**************

 

午前の部、洗足についての時間を終わろうとしたその時、清美さんが「せんせい、わたし、やります。光子さんの足を洗わせて下さい」と申し出て下さった。

 

さらに、夜の部では、寿子さんが、「先生、わたし、します。K先生の足を洗わせて下さい」と嬉しい申し出。

 

その様子については、ホームページの今週の3枚!にあるのでご覧頂きたい。何ともうつくしい心に刻まれるひとときとなった。

 

**************

 

わたしは写真をとったりしながら、黙って様子を見守っていたが、どうやら、洗う役・洗われる役をされた双方、感慨深げな様子である。

 

いや、見守っているだけでも、あたたかな気持ちになってくる。

 

朝はあいにく、と言うか、うっかりして、お湯ではなく水だったけれど、それの方がかえってあとがあたたかい、という場合もあるらしい。

 

「これは人生が変わります」の言葉を口にしたのは夜の部で洗われる側を経験されたK兄。

 

シベリア抑留も経験された兄は、わたしたちには想像もつかない何かを思い起こされたのだろう。

 

**************

 

初めの方にも記したが、わたしは、ひとりの少年の足を洗わせて頂いたことはあるものの、まだ自分の足を洗われたことがない。

 

洗う役を務めたときも、こどもだから、という向き合いやすさがあった。しかし、今思うのは、おとなこそ経験すべきことなのだな、ということである。

 

しかも、洗う方も、洗われる方もどちらもしてみなければどうやら分からないことがあるのだとようやく気付いた次第である。(もり)

 

  


2017年4月2日(日)の礼拝後、洗礼式が無事におわり、寿子さんを祝福する握手をされる迪子さん。説教で女性陣には、寿子さんにhugを!とお願いした。その変型です。
2017年4月2日(日)の礼拝後、洗礼式が無事におわり、寿子さんを祝福する握手をされる迪子さん。説教で女性陣には、寿子さんにhugを!とお願いした。その変型です。

 ◎2017年4月2日 ・ 【 窓 NO.104

       『  祈り 』

 

私が洗礼を受けるはずだった日曜日。それは1987年4月19日のイースターだった。

 

しかし、実際の洗礼式は1987年4月26日の日曜日の夕べにベッドの上で行われた。

 

場所は東京の総武線浅草橋駅から10分程の所にある、柳橋病院の病室。

 

当時の主任牧師で信仰の父である鵜飼勇牧師と斉藤寿満子副牧師、そして、お世話になった小沢さん、青年会のH君の姿があったと記憶する。泣いて、泣いての洗礼式だった。

 

だが、このような経験こそが、わたし自身を病床伝道への召しの気付きとなり、献身へとつながっていくからどのような道が備えられているかは本当に分からない。

 

**************

 

今ではどうなったか定かではないが、順天堂大学医学部 附属順天堂医院(正式名称は病院ではない)の関連病院として紹介されたのが柳橋病院だった。

 

当時、柳橋病院はタクシー会社の方たちの指定病院だったようで、にぎやかな患者さんが大勢おられた。

「次の新車が入るから、俺は早く退院したい」というような声が大部屋で飛び交っていたのも懐かしい。

 

隅田川をはさんですぐ近くに見える両国国技館で大相撲が行われていた頃で、太鼓の音やお相撲さんの幟(のぼり)が立つ川辺も目に入るところだった。

 

当時のガールフレンドも沿線に暮らしており、仕事帰り、定期的に立ち寄ってくれた。

 

**************

 

わたしの病状はと言えば、消火器内科系のやっかいな慢性疾患であることが分かり特効薬もなく、入退院を繰り返し、やけのやンパチになってもおかしくない時代だった。

 

信頼する伯母のところに電話して涙することも無くはなかった。ため息をつくことも多かった。

 

だが、なぜか希望に燃え始めている頃だったのも本当だった。

 

病室でNHK第2放送で、東京神学大学の当時の学長・松永先生(この方のICU時代の同級生が、わたしの神学校入学時の同級生 わかります?だった)による新約聖書に関わるラジオ番組を必死になって聴いているのを見て、ある青年会の仲間からはあきれられたことを記憶している。

 

自分でも今ふり返ると不思議だ。

 

**************

 

その年の夏、一枚のやさしい文字で丁寧に記されたカードが届いた。

 

封書は残っていないので、郵便か或いは手渡しだったか忘れてしまったけれど、そのカードを今でも讃美歌にはさんで持ち歩いているたいせつな宝だ。

 

こう記されている。

 

**************

 

森 言一郎 様

 

主の御名を讃美いたします

 

受洗おめでとうございます。

 

貴兄がはじめて銀座教会にお見えになられたとき新来者係としてご案内させていただいた〇〇でございます。
 
そのとき貴兄のお名前の由来が「ヨハネ福音書1章の初めに言があったの言を父がつけてくれました」とおっしゃられたことをハッキリと記憶しております。
 
ご受洗とうかがいよろこびでいっぱいになりました。受洗予定のイースターにはお顔が見えず残念に思っておりましたが、その後、無事 病床受洗をなされた由、鵜飼牧師よりおしらせがありほっといたしました。心よりお祝い申し上げます。
 
その後順調に健康をとりもどされご活躍の御事と存じますが、このきびしい暑さをガッチリと受け止められ、お元気にお過ごしくださいますようお祈り申し上げます。
 
お元気なお姿にお目もじ出来ます日を楽しみにいたしております。現在私は教会学校の(CS中学2年担当)教師としてご奉仕させて頂いております。
 
 〇〇〇〇
                      1987年7月28日 

 

             **************
 
当時、まだ、教会学校の奉仕を始めていなかった頃だったこともあり、〇〇さんが誰かわからなかった。もちろん、その後、〇〇先生と呼ばせて頂くお交わりが続いた。
 
〇〇先生は、正真正銘おしとやかで堅実な方。

 

決して前面に出て来られるような方ではなく、知らないところで祈っていてくださる方が居られることが、本当にうれしい驚きとなった。
 
そして、手紙の中で使われていた「お目もじ」という言葉に、生まれてこの方、その時初めて触れたことも思いで深く忘れられない。なんとも上品な言葉ではないか!
 
                **************

 

きょう4月2日は、半年ほどの準備を経ての〇〇寿子姉の洗礼式。

 

寿子さんのために、ちいさいけれど、たくさんの深く確かな祈りがささげられてきたことだろう。

 

感慨深い朝を迎える。感謝(もり)

 

  


2017年3月26日(日)、礼拝説教前の子どもたちのための祈りのひとこま(と聞きました)
2017年3月26日(日)、礼拝説教前の子どもたちのための祈りのひとこま(と聞きました)

◎2017年3月26日 ・ 【 窓 NO.103

       『  真打ちの仕事 』

 

先日、上方落語を目の前で聴いた。

 

旭東教会からそう遠くないところで、会場は30畳もないのではと思われる公民館の和室。

 

正面には、にわか造りと言ってもよい舞台が置かれていた。

 

落語家さんがお囃子と共に入場すると、首をすくめないと頭が天井につくような具合だが、スポットライトもしっかり準備されている。

 

**************

 

演目はわからないまま噺は始まった。

 

最初は桂二葉(によう)さんが登場。「つる」を演じた。二葉(によう)さんは女性の落語家さんで昨年もいらしていた。

 

続いて、桂阿か枝さんは「厩火事(うまやかじ)」と続いた。

 

どちらの演目も、題名は知らないまま聴いたが、最後に日曜夕方の人気番組「笑点」の名物・大喜利もどきがあって、その時に教えてくださった次第。

 

**************

 

メインは〈桂よね吉さん〉という方でもちろん真打ち。

 

この方が、おそらくまだ売れない18年前から、そちらの公民館にいらして下さるからこそ続いている会だと聞いている。

 

よね吉さん

 

今は亡き人間国宝・桂米朝のお弟子さんの一人で今年46歳。NHKの連続テレビ小説「ちりとてちん」に万葉亭柳眉役で出演したと聞く第一線で活躍中の噺家さんだ。

 

よね吉さんの演目は京都祇園で働く太鼓持ちが旦那や芸子さんと春山のピクニックへ出掛ける「愛宕山」(あたごやま)だった。

 

ユーモラスなやり取りに溢れていて、まさに〈演ぜられる〉というのがぴったり。

 

今年は最前列の左端で観た。

 

**************

 

あれこれ印象深いが、芸子さんのかんざしがゆらゆらと揺れる場面(「お銚子じゃありませんよ」と解説していた)や、傘を開き、お囃子に乗って、崖から飛び降り、小判を拾う瞬間など、今でも目に浮かぶ程。

 

着物からさっと取り出した二種類の手拭いの使い方ひとつとっても、それはそれは美しいものだなぁ、と惚れ惚れした。

 

芸人さんの所作はほんとうに大事なものだと改めて思う。

 

**************

 

わたしにとって、田舎にある公民館でのよね吉さんを中心とする寄席は昨年に続いて二度目のことだったのだが、数日経ってみてもっとも感銘を受けたのは、場所を選ばぬ落語家さんたちの真剣さだった、とあとで気付いた。

 

うそいつわりなく、全国にそのまんまテレビ放映されても大丈夫、と太鼓判を押せる熱演こそ本物の真打ちの仕事なのだ。どこで噺をするにも手抜きなしだと知った。

 

すなわちそれは、み言葉を取りつぐつとめに仕える牧師の生き方にも深く通じることだと教えて頂いた。感謝。(もり)

  


2017年3月12日(日)、礼拝堂の献花の中に様々な春が隠れている。
2017年3月12日(日)、礼拝堂の献花の中に様々な春が隠れている。

   ◎2017年3月12日 ・ 【 窓 NO.101

       『  床屋さん 』

 

幼い頃のことも含めて引っ越しの多かったわたし。

 

これまで何軒の床屋さんに行ったことかなと思う。小学校の頃は、自転車で10分、江村理容店の土佐犬を自転車で散歩させていたこわーいおじさんと、かたや、まったく正反対のお人柄に見える優しいおばさんの所に一ヶ月に1度出掛けていた。

 

「げんちゃん、髪が赤いのは、わかめを食べんからや」と注意されるのが辛かった。

 

中学生の頃から、あーでもない、こーでもないと友人らと言いながら、少しでも自分の思いに近いカットをしてくれる床屋さんをさがし始めたような気がする。

 

**************

 

岡山に来てからも何軒かの床屋さんに行った。

 

ま、これ位ならいいか、と思って妥協することもあったし、安いから仕方ないなと考えたりもした。

 

いいかなぁ、と思いかけた床屋さんの店主が、こちらの好みを行く度に伝え直さなければならない人だと気付いてガッカリしたり、だった。

 

**************

 

ところが、心底素晴らしいなと思う理容師さんに、この度ついに出会った。お値段もフルコース?で2,500円は決して高くない。

 

お名前は土居さんと言う方で50代の女性。

 

とあるお店のスタッフで経営者でもない。一回目の時に「店長さんですか?」と私が言うと「とんでもないです」と言われた。

 

**************

 

何に感動するのか。

 

彼女にとっては当たり前らしいさり気ない職人技があるのだった。

 

理容師さんの世界では今では当たり前なのだろうか。初めて出会った時、おおむねのカットが終わったところで、「ドライヤーで乾かしてちょっと確認しますね」と言われたのにまず驚いた。

 

濡らしたままのカットでは確かに仕上がりがわからないとは思う。

 

でも、人生56年と数ヶ月。そんな風に言われた理容師さんは一人もいなかったのが現実。

 

**************

 

今回はシャンプーの丁寧さに驚いた。

 

前回は若手の方に分業するようにして任せられたので土居さんは担当されなかったのだが、シャンプーが始まって直ぐに何かが違うと感じ、終わる頃には確信に変わった。

 

お声を掛けて手を止めてもらって「不満ではなく、感謝ですよ」と伝えながら「土居さん、土居さんの洗い方、僕が自分で洗うのと全く同じ感じなんですよ。こんなの生まれて初めて」と。

 

**************

 

笑顔の彼女は嬉しそうに「自分の頭を洗う感じをいつも想いながらシャンプーするんですよ。前回も本部にメールに頂いて・・・・・・森さんには勇気づけられます」と言われた。

 

いいものや良いことに出会うと、自分の思いをお伝えすることが歳のせいか多くなったわたし。もう一つの気付きがあって更に続けた。

 

「土居さん、このお仕事が本当に好きなんですね」と。

 

肯く彼女は「休みの日も手を動かしてしまうんです」と仰った。

 

**************

 

YouTubeで「プロフェッショナル・仕事の流儀」という番組をたまーに見ることがある。

 

各分野でこつこつと当たり前のことを丁寧に続ける、その道の最高方の方々の仕事ぶりや信念、いや、生き方に本当に多くの刺激を受けている。

 

意識の高いプロフェッショナルとの出会いは、結果的には、牧師としてのわが身を顧みる最良の機会と思う。

 

学ぶに終わりなし、を思いながら仕えて行きたいものだ。(もり)

 


2017年2月某日、鷲羽山の展望台にて。山頂まで行かなくてもここで十分美しい。地元の方々の「今日は最高じゃ」に深く納得。
2017年2月某日、鷲羽山の展望台にて。山頂まで行かなくてもここで十分美しい。地元の方々の「今日は最高じゃ」に深く納得。

   ◎2017年3月5日 ・ 【 窓 NO.100

       『  吉井川の蜆(しじみ) 』

 

青天が続き、ふと思いたって瀬戸大橋の展望が世界一と信じている鷲羽山(わしゅうざん)に弁当をもって出掛けた。車で1時間程。

 

展望台に居られた〈常連と覚しきおじいちゃん〉が顔見知りの方に「きょうは最高じゃ」とお話しする声が聞こえるような日だった。

 

**************

 

帰り道、今夜の夕飯のおかずに児島(倉敷市)の魚屋さんで何かおいしい刺身を、ということになった。

 

ようやく見つけたお店の駐車場で待っていると「スジカツオを勧められたよ」と妻が戻って来た。

 

帰宅後、今回は漬け丼にしたがこれも本当に旨い。スジカツオは足の速い魚らしく、今まであまり口に入れることがなかった。

 

**************

 

もう一つは店頭に並んでいたという吉井川の特大シジミだった。

 

旭東教会のあるわが町西大寺のすぐそこを流れているのが吉井川。

 

間もなく3年目に入ろうとしている岡山暮らしなのに、シジミが獲れるとは知らなかった。

 

もっとも魚屋さんは「漁業権があるのはうちだけだよ」と言われたそうで、この辺りのスーパーで目にしないのも当然かも知れない。

 

後日、教会の関係者に聴いてみると、「そう遠くない某所でも獲れるはず・・・・・・主人が日曜日毎に出掛けてました」という声も聞こえた。

 

**************

 

「先生、天塩川(てしおがわ)のシジミは最高だよ!」と日本最北の町・稚内(わっかない)で聞き、実際そう信じて食べていた。

 

蜆ラーメンはほんとにおいしかったのも忘れられない。

 

**************

 

けれど、吉井川のシジミは大きさは〈アサリ〉に見間違えるほど立派だった。

 

普段、シジミは貝は小さくて食べられないので出汁だけ、ということがほとんどなのに、吉井川のシジミは〈アサリ並み〉なのだから、もちろん普通に食べることが出来てしまった。

 

いやー参りました。

 

岡山の食材は本当にあれもこれも凄いと思うものが本当に多い。

 

地元に長く暮らす方はその恵みに気付いていないことも多い。(もり)

 

 

 


2017年2月15日(水)教会から徒歩10分、西大寺の緑化プラザの梅がほんとうに見事。可愛らしく、愛しい。
2017年2月15日(水)教会から徒歩10分、西大寺の緑化プラザの梅がほんとうに見事。可愛らしく、愛しい。

  ◎2017年2月12日 ・ 【 窓 NO.97

       『  続・伝わることば 』

 

先週の本コラム・ホームページ版(まぐまぐ!メルマガ)を読んでくれた友人牧師からメールが届いた。

 

**************

 

「6年前にテレ朝のアナウンススクールに入りアナウンサーを目指す学生さんに紛れて勉強。教師もしていたのに小さな声しか出なかった私には大変有り難く、そこからマイクなしでも講演・説教できるようになりました」と。

 

(説教塾を開設するなど、説教学の先生として知られる)「加藤常昭先生が〈牧師は発声法を習うべき〉と言っておられたことが身にしみました」と続いていた。

 

**************

 

このことばは「牧師は寄席の落語を聴きに行って学ぶべし」と時々聴くことにも通ずる。

 

昨年末(と思い込んでいたら正確には確かめてみると元旦の夜)落語にも打ち込んでいたり興味をもっている二人の俳優さんの噺をNHK第1放送のラジオで聴いた。ナビゲーターは春風亭小朝さん。

 

演じたお一人は朝ドラ「べっぴんさん」に出演中のベテラン俳優・本田博太郎さん。もう一人はタレントでもあり女優もなさっている壇蜜さんだ。

 

二人とも確かに上手だった。

 

だが、落語に聞こえなかった。

 

**************

 

戸村政博先生という方が居られる。面識はないが、あるご本の「あとがき」にこう記されていてわたしは折々に読み直す。

 

【 “説教者”とは、たんなる職名ではなく、したがって単に説教する者が説教者であるのではない。説教の巧みなもの、それが説教者であるのではない。説教せざるを得ないように召されている者、わたしはそうせずにはおれない(第1コリント9:16)というアナンケーを持つ者が、説教者である。
 
たとえを設けるならば、詩を作る人が詩人であるのではない。詩作や作品やその評価によって、人は詩人になるのではない。詩を作るほか生きようがない者として、自分を自覚している者が詩人である】(『路上の生 山谷から』日本キリスト教団出版局)

 

**************

 

これこそが落語をせずには生きて行けない落語家と俳優さんの噺の違いだろうか。

 

そして、説教者である牧師もまた然り、とあらためて思い直している。(もり) 

 


2017年1月29日(日)の礼拝収録が終了したあと、日々のキリスト教放送局・日本FEBCのお働きについて伺っているときのひとこま。
2017年1月29日(日)の礼拝収録が終了したあと、日々のキリスト教放送局・日本FEBCのお働きについて伺っているときのひとこま。

  ◎2017年2月5日 ・ 【 窓 NO.96

       『  伝わることば 』

 

キリスト教放送局・日本FEBCからの旭東教会での「主日礼拝収録番組 全地よ主をほめたたえよ」の取材のために、スタッフでパーソナリティも務める安保ふみ江さんが来会。

 

控えめでありながら爽やかに収録のお仕事を終えられ、すーっと旭東教会を後にされた。

 

なんと、旭東教会をあとにされたあと、さらにもう一つの協会取材に向かわれたとあとで知った。

 

**************

 

数日後「なにか、実家に帰ってきたような安心感で過ごさせていただきました」

 

「お昼もとても美味しい〈かけ汁〉!そして、何より皆様の明るい笑顔が、一番のごちそうでした」

 

とのとの嬉しいメールが届いた。

 

肌に感じられた率直な思い、と素直に受け取らせていただこう。ありがたいこと。今頃、2月10日(金)朝10時からのインターネット放送に向けて編集作業中なのだろうか。

 

**************

 

さすが、放送局でのお仕事を長年続けて来られた方と気付いたことがある。

 

それは、FEBCの日々のお働きやリスナーの方々との深い交流の様子について〈あかし〉をして下さった時のマイクの持ち方がさり気なく、美しく、的確だったこと。

 

この道に入られて28年とお聞きしたので、もう完全に無意識の世界かも知れないけれど、口元に向けるマイクの角度、何㌢くらい離せばよいのか、声の大きさの加減を熟知しているのだ。聴きやすい。

 

ワイヤレスマイクをお渡しするときに「かなり感度がいいと思います」と伝えたことがあとで恥ずかしくなった。

 

**************

 

東京の同労の仲間たち=伝道者たちが、もう70歳に近い大先輩も仲間入りして、舞台俳優さんさんから発声を学んでいることを最近知った。

 

どんなに素晴らしい説教であれ講演であれ、それが、聴き手に伝わらなくては元も子もない。学ぶに終わりなしをふと思い出した。(もり)

 


2015年11月22日(日)の礼拝報告時、関田寛雄先生をあらためて紹介。関田先生、ここでフーテンの寅さんを引用しながらみんなをお笑いさせられました(^^♪
2015年11月22日(日)の礼拝報告時、関田寛雄先生をあらためて紹介。関田先生、ここでフーテンの寅さんを引用しながらみんなをお笑いさせられました(^^♪

◎2015年12月13日 ・ 【 窓 NO.37】

    『  恩師からの補講の直後に  』

            (『週報』のミニコラムにちいさな加筆をしています)

 

過日、旭東教会の特別集会においで下さった関田寛雄先生は私にとって恩師とも言うべき方の一人。とは言え、世には「関田寛雄先生こそ我が恩師」と思っている人は何千人、何万と居るだろう、というレベルの話なのだが。

 

それでも、間違いなく、私自身が人として生きるとはどういうことか、クリスチャンとして牧師として、いつもその存在は重しとなり、座標軸となっていると思う。

 

旭東教会にお迎えした11月22日(日)の夜、妻と共に西大寺の片隅で夕食をご一緒させて頂いた。かつてはマイ箸を持って歩いておられたけれどこの間は出されなかった。

 

地元の岡山の米ビールなるもの少し口にされ、あれやこれやと話をし、いつしか、神学的な話題も食事の席で出てきた。特に、現場から生まれてくる言葉の重さについて考えさせられお話が展開していた。

 

関田寛雄先生は、各地の神学校で説教学や牧会学の講義も担当された方。現場に出て20数年の私は今頃になって教えて頂きたいなぁと思うことが不意に胸から飛び出した。それは「葬儀説教」についてのものだった。

 

先生の言葉を必死になってノートしたわけではないので、そのままをご紹介するわけではないけれど、先生は私の質問に対して、深く頷き、身を乗り出しながら3つのことを口にされたと思う。私からの問い掛けは敢えて伏せるけれど、それでも、葬儀全般に通じる大事なことをお話下さったと思う。

 

「その人がどんな人生を歩もうとしたのかを語りたいねぇ」「未来志向でね」「教会だけでしか通じない言葉は使わないように」。

 

思い掛けない形の「説教学」「牧会学」を兼ねたような補講受講後2週が経って、K義兄が召天。葬儀を迎えることとなった。(もり)

 

 


文中の萩焼のお店。扇窯 佐久間正和さんのお店。萩市川上2662が住所。
文中の萩焼のお店。扇窯 佐久間正和さんのお店。萩市川上2662が住所。

◎2015年9月27日 ・ 【 窓 NO.26】

 

『  旅の楽しみ  』 (『週報』のミニコラムをそのまま転載しています)

 ※〈加筆版〉は別ブログの【森牧師の部屋】というBlogに(赤をclick)にアップ予定です。 

 

▼夏休みを頂き久しぶりに九州へ向かった。途中、心地よい思い出のある萩市にも出掛けた。

 

萩焼が目的というわけではなかったのだが、ぶらぶらと歩いている内に青色の珈琲カップとお皿のセットが目に止まり2千円の買い物となった。

 

▼店番の婦人に「何だか、気分がいい作りですね、このお店」と話しかけた。

 

「一ヶ月前に開店したばかりなんです。夫が焼いたものを置いているのですが、この辺りにずっと店を構えたいと・・・・・・」との声。

 

▼ここ数年、色んな場で声掛けすることが多くなった。

 

歳だろうか。

 

いやいや、教会での出会いの数に比例し話し好きな人になって来たようにも思う。(もり)