【 窓 】 旭東教会の『週報』よりミニコラム


【 旭東教会の集会室に設置されているステンドグラス 「最後の晩餐」 】(下村満智子作)
【 旭東教会の集会室に設置されているステンドグラス 「最後の晩餐」 】(下村満智子作)

 京都在住のステンドグラス作家(キリスト者)・下村満智子さん作のステンドグラス・「最後の晩餐」が集会室の〈窓〉として納められています。

 大きさはなんと2m×1m程もあり、とってもおおきな立派ものです。わたしたち旭東教会のちょっぴり自慢の〈窓〉です。集会室が実に格調高い空間になっています。教会の側道からもご覧頂けるように設置されています。ぜひ、お出かけ下さってご覧下さい。本ステンドグラスは、教会員のK・正兄が献品して下さったものです。


※以下、バックナンバーは容量の都合で削除しています。


2018年12月2日(日)待降節・アドヴェント第1主日を迎えた旭東教会の玄関先で クリッペが大好きな八重子さんと共に
2018年12月2日(日)待降節・アドヴェント第1主日を迎えた旭東教会の玄関先で クリッペが大好きな八重子さんと共に

 ◎2018月12月2 ・【 窓 190号

    『 交換講壇のお昼に 』

 

11月25日(日)は鳥取県の倉吉市にある倉吉上井教会に交換講壇で出掛けた。奥田望牧師が牧会される教会だ。

 

礼拝後には、わたし自身が自己紹介を兼ねて説教の中で語った、B型肝炎による闘病生活や居場所が与えられての信仰の喜び・受洗について前向きに応答して下さって、実は、わたしの弟が・・・とお話下さる方も居られ、有り難いことだと思った。

 

「お昼はお弁当です」と事前にお聞きしていたので、以前、東中国教区の会議で伺った時のおいしい〈あのお弁当〉かなと期待してしていたところ、今回は〈スシロー〉という回転寿司屋さんの9種類のネタ入り〈海鮮ちらし〉だった。スシローに走られたTさん曰わく「倉吉で20人も並んで待っているお店は初めてですよ」と皆さんに報告された。

 

実はこの回転寿司屋さんのちらし寿司という割り切り方が、私にとっては本当に良かった。というのも、あまり準備に力がこもりすぎているのも申し訳ない気持ちになることも少なくないからだ。私達の教会でも大いに参考になることだなと感じた。

 

さらに、お味噌汁もチューブをしぼりお湯を注ぐものであることも嬉しかった。このチューブのお味噌をしぼって頂くお味噌汁。これは、私が東京の銀座教会の神学生の頃、早天祈祷会後の朝食と同じ仕方なのだ。何か懐かしさを感じて、ひそかに心が弾んでいた。

 

迎えて下さった方の中には銀座教会の礼拝に出席されたことのあるご夫妻も居られた。

 

お昼ご飯会話が弾む中、一人の方が、お帰りになった求道者の言葉を伝えて下さった。

 

「私のために、奥田牧師が森牧師にあらかじめ相談して、こういう人が居るから、こんなお話をして下さいとお願いしていたのですか?と言われたんですよ。」と。

 

さてさて、〈真相はいか〉にと言うまでもなく、そんなことはあり得ない。何より、その求道者の方が、心のそこからみ言葉を求めるこころを持っておられたのだなぁ、と感じた。

 

それにしても、神さまは不思議な働きをなさる方だとあらためて知った。何とも言えない感謝の余韻の残る交換講壇となった。いや、交換講壇には必ず何かしらのドラマがあるような気がする。神さまが準備された物語が。

 

いつかまた、倉吉上井教会の礼拝におじゃましたいと思う。(もり)

 

 


2018年11月25日(日)交換講壇で訪れた、鳥取県倉吉市・倉吉上井教会の礼拝にて
2018年11月25日(日)交換講壇で訪れた、鳥取県倉吉市・倉吉上井教会の礼拝にて

 ◎2018月11月25 ・【 窓 189号

     『 新潟県 妙高市より 』

 

かつて、新潟県上越市の高田教会時代に兼務していた新井教会。雪の重みで会堂からミシミシと音がするような豪雪地帯にある。

 

その新井教会の昭和2年・元日生まれの〈Kさん〉より便箋でお便りを頂いた。

 

少し前に、『み言葉余滴』と共に教会報『緑の牧場』をお送りしての応答。

 

かたじけない言葉に力を頂き、何度も読み返した。

 

「『緑の牧場』巻頭随想より『バルトと蕎麦(そば)の花』を知りすぐに取り寄せました・・・信濃村伝道所と影山讓先生の話から、当時、信濃村におられた〈清水恵三牧師〉により新井伝道をつなげて頂いた時の事を思い出します。主日礼拝に誰一人見えず、牧師と二人の時、私が自転車で礼拝に来る様、声をかけて廻った時もありました。今にして思うと、これも神の摂理であったと感謝しています。このことから、清水恵三牧師の本を求め、今回は『近づきたもうキリスト』『辺境の教会』・・・を手に入れることが出来ました。今、読み続けています。ありがとう」

 

〈Kさん〉とは大喧嘩してしまい、ご自宅に、ある日の夕刻、日本酒を片手にもって詫びを入れにいったりした思い出もある。

 

さいごに〈Kさん〉「森 言一郎牧師の伝道手段として、わたしは高く評価し、感謝しています」と記して下さり、「主の御名により感謝し アーメン 2018年11月19日 K 」で締めくくられた。

 

昭和2年と言えば、今は亡きわが父・誠太郎と同じ歳である。元気でいて頂きたいと心から思う。ありがとうございます。(もり)

 


少し前ですが、2018年10月末、出雲に出かけた時に遭遇した日本海の日没
少し前ですが、2018年10月末、出雲に出かけた時に遭遇した日本海の日没

 ◎2018月11月18 ・【 窓 188号

     『 盗塁王の今 』

 

私が小学生の時代にプロ野球・阪急ブレーブスで活躍していた選手に〈福本豊さん〉が居られる。長嶋茂雄さん、王貞治さんらと同時代の方である。

 

福本さんの盗塁数1065という記録は未だに世界記録だし、確か、13年連続盗塁王やベストナインとかゴールデングラブ賞も幾度も受賞されているはず。

 

現在71歳の福本さん。関西を活躍の場として野球評論家・解説者、タレントとして活躍され、そのお声をラジオで聞くことがある。

 

かつて国民栄誉賞のお声がかかったときに辞退されたことは知る人ぞ知る話らしい。

 

先日、福本さんのことを、大阪のラジオ局ABCの私と同年代のアナウンサー伊藤史隆(いとう しりゅう)さんが「心底尊敬する人」として名前をあげた。日頃から仕事でご一緒している福本さんを側で見ていて、深く教えられている、という。

 

私は日頃から伊藤史隆さんの発信の仕方に注目していて一目も二目も置いて信頼している。だから、「福本さん、誰に対しても態度が変わらないんです。子どもも大人もない。本当にいつも一緒なんです。」という言葉を素直に信じて聴いた。

 

ちなみに、福本さんが国民栄誉賞を辞退したとき、「松下電器の人を通じて、政府が国民栄誉賞を考えてるって聞いたから、『立ちションベンもできんようになるがな』っていいましたわ。ボクはあの頃、酔っぱらったら(立ちション)してたからね。国民の手本にはならへん、無理や、ということで断わりました」と語ったことなっているらしい。

 

しかし、本当は次の理由だという。

 

「ボクには王さんのように野球人の手本になれる自信がなかった。野球で記録を作るだけでなく、広く国民に敬愛されるような人物でないといけない」

 

実にこの謙虚さこそ、誰に対してもその態度を変えない、自然体で生きる福本豊という方の魅力だと思う。

 

「誰に対しても同じように」とは本当に誰にも簡単に出来ないこと。

 

福本さんの野球解説の日が来シーズンは楽しみだ。そして、その姿勢を、一人の人として少しでも盗み倣いたい。(もり)

 

 


2018年11月11日(日)秋のファミリー礼拝を兼ねた子ども祝福礼拝の献花と講壇
2018年11月11日(日)秋のファミリー礼拝を兼ねた子ども祝福礼拝の献花と講壇

 ◎2018月11月11 ・【 窓 187号

  『 2018年 聖徒の日を終えて 』

 

今月、わたしは58歳の誕生日を迎える。

 

わたしの母が亡くなった時の年齢は52歳。7年程の闘病生活を経てのことだった。姉は41歳と更に若い。育ち盛りの男の子をふたり残して無念だったと思う。姉も、母と同じ位の間、病と闘い、計り知れない苦悩があったのだろう。

 

「ついで」と言ってはなんだが、父は70歳で召された。今考えると、みんな早く逝ったのだなぁと気付く。

 

母や姉たちにとって、「もう少しだけ時間を」という思いがあってしかるべきだったことを考えると、「言ちゃん、あなた、わたしたちの分もしっかり頑張りなさい」と言われているような気もする。

 

**************

 

作家の伊集院静(いじゅういん しずか)さんが一年程前、わたしが愛聴している大阪ABCラジオの道上洋三さんの朝の番組にゲスト出演された時にこう言われた。

 

「いつ終わってもいい人生を生きる」

 

それは、さり気なかったけれど、確信をもって語っておられた言葉だった。

 

伊集院さん、本当のことしか書かない、言わない方。そして、誰に対してもぶれない。だからこそ信頼できるなといつも思っている方だ。

 

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過日、天に召され行った樹木希林さんを追悼する言葉を毎日新聞の〈新・心のサプリ〉に記されていた海原純子(うみはら じゅんこ)さん。

 

「死を見つめ 丁寧に生きる」というエッセイでこう言われる。

 

【先日なくなった樹木希林さん・・・・・・・がんの治療と仕事の他によくここまで丁寧になさっていたなぁ、と感じた。「丁寧に生きる」。その言葉が最もふさわしいと思ったが、その生き方の根底にあるのは、「死をみつめデッドラインに気付く」ことにあったのではないだろうか。】

 

【死を見つめる生き方は、残された時間を十分に活かし生きることを可能にする。〆切というのは、本当に大切だ。・・・・・・人生の〆切を意識してしたいことを明確にしてみると、時間が豊かになるような気がした】

 

*いずれも、2018年10月7日(日)号

 

**************

 

先日、11月8日(木)夜の祈祷会。

 

マタイによる福音書25章14節以下の「タラントンのたとえ」を清水恵三先生のご本をもとに学ぶ時間をもったのだが、その際わたしは、「これが最後の礼拝になるかも知れない、という緊張感は大切ですよね」と語っていた。

 

聖徒の日、信仰の先達達の写真と共に、家族の写真も礼拝堂に置かせて頂いたことは、こんな思いを紡がせてくれたように思う。(もり)

 


2018年11月4日(日)の午後 教会墓地で行った墓前の祈りで賛美した賛美歌 秋空の陽射しが楽譜に美しく射し込んでいる
2018年11月4日(日)の午後 教会墓地で行った墓前の祈りで賛美した賛美歌 秋空の陽射しが楽譜に美しく射し込んでいる

 ◎2018月11月4 ・【 窓 186号

  『 お祈りはいたしません 』

 

2ヵ月に一度の「グリーフケアの集い」。「布教・宣教」はしないことを掲げ、教会ホームページにもその存在を知らせコツコツと続けている。

 

「グリーフケアとはなんですか」と言われれば、死別のみならず、人生途上の様々な悲嘆を抱える方(ペットロス、転職、引っ越し、病気による喪失など領域は幅広い)、寄り添いを続けている方の為にコツコツと続けている会ということになると思う。

 

先週水曜の朝は6名が参加されたが、半数は教会員以外の方だった。

 

お一人は、教会員の中学生時代の同級生が参加して居られ、これもまた奇遇というか、神さまのお導きとしか思えない。

 

少し遅めに集会室に入って行くと、ステンドグラスの近くに居られたUさん。私を見るなり「5回連続で来ました」と照れながら挨拶して下さる。さらに「YouTubeで礼拝みましたよ」と声掛けして下さった。

 

様々推測すると、礼拝や祈祷会にお出でになるのはハードルが高いと感じたUさんを想いつつYouTubeによる礼拝・祈祷会の配信準備をして来たので、心底嬉しかった。そしてまだ、試験配信中だが、手応えを感じた。

 

9月に茨城県からお迎えした飯塚拓也先生が礼拝と午後からの講演を終えたあと、ジュニアサークルのスタッフたちとの懇談をしていたとき、「この部屋はいいですねぇ。色んな可能性がありますよ」と言われていたことも思う。

 

2回目になる参加者有志(今回は全員参加)での昼食は150円のパンと紅茶だった。朝、コンビニで買ってきたパンと差入れの柿などみんなで分け合って頂くだけなのにとても美味しい。程よい人数であることも深く関係しているかも知れない。

 

昼食が終わると、Uさん「よー聴いてもらったぁー」と呟きながら教会を後にされた。足取りは私には少し軽く見えた。

 

次回は12月26日(水)、クリスマスの翌日である。朝10時と夜7時半から行っている。(もり)

 


2018年10月25日(木)神在月の出雲です 大社のお隣の美術館
2018年10月25日(木)神在月の出雲です 大社のお隣の美術館

 ◎2018月10月28 ・【 窓 185号

  『 神在月(かみありづき)の出雲 』

 

遅めの夏期休暇を頂き、日本海に面する出雲へ出掛けた。出雲には二度出かけたことがあったが宿泊は初。宿は日本風であるけれど〈女将〉が居るような処ではない。

 

部屋で頂くというような食事ではなく、夕食会場で担当のいわゆる仲居さんとのやり取りが重なる中、ふとした気付きがあり話し掛けた。

 

わたしは名札を見ながら「今回の宿泊で、一番長い時間接することになるのは○○さん、あなたですよ」と声掛けをした。そして「大吉!」と伝えた。

 

すると○○さん、ふくよかなお顔でさらにユーモアたっぷりに笑顔でこうおっしゃる。「えへっ、女将のつもりで頑張ってます」と。

 

いやいや、間違いなく彼女は私にとって宿の顔だった。

 

翌朝6時過ぎ、スロージョギングを兼ね、ひとり出雲大社を表敬訪問した。日本各地から神さまが大集合するという神在月(かみありづき)の大社(たいしゃ)。

 

凜としていて背筋が少し伸びた。

 

チェックアウトをしてからもう一度大社を訪れたのだが、その時に、あらためて気付かされたことがあった。

 

出雲大社は縁結びの神さまとして広く知られているからだろう。ひとりでお出での女性の姿が目に入った。いや、カメラに記録されていたというのが正しいか。

 

皆さん、手を合わせて15秒もお願いをすると立ち去るように見えたのだが、ひとりの妙齢のその方は、他の狙いでシャッターを切った写真にずーっと写り続けていたのだった。

 

神在月の出雲大社は、日本各地の神さま大集合で、特別にお願いしがいのある月だったのかも知れない。(もり)

 

 


「もったいない言葉」をくださった〈M子さん〉を送る
「もったいない言葉」をくださった〈M子さん〉を送る

◎2018月10月21 ・【 窓 184号

 『 もったいない言葉です 』

 

大正13年(*1924年)生まれのM子さん。94歳で天国へ帰られた。〈前夜の祈り〉の後、その時に集うことが出来たお子さん・お孫さん・ひ孫さん計14名と小一時間を過ごした。

 

予想していたよりも遥かに多い方たちが集まられたことで、お話の聴き方を急きょ予定変更。

 

「おばあちゃんの素晴らしいところを、ひと言書き込んで教えてください」と部屋にあったメモ用紙を渡して1分後に回収した。

 

無記名としたので、「これは誰が書かれた言葉かな」と私が読み上げ、手を挙げていただき、少し言葉を添えてお話していただくことを繰り返した。

 

「ファイトばかりの人でした」「何事にも積極的で前向きな人生」とは晩年の30年程をご一緒されたご家族お二人の言葉だった。もうそれだけでも、M子さんという方がどのような生き方をされたのかが浮かび上がる。

 

告別式の朝、式辞の準備をしつつ、あれこれを思い巡らす中で、旭東教会の教会員の方々何名かに「どんな思い出をお持ちですか」と電話して備えた。

 

「厳しくも優しい方でした」

 

「今の私があるのはM子さんの存在」

 

「5分あるとしたら、あと5分しかないではなく、まだ5分あるじゃないと言われる方」

 

「35年前に先にご主人が先に召されました。献体されるということで、ご主人をご自宅から見送られるとき、〈あなたあ、天国で会いましょうねぇ〉とずーっと手を振り続けて居られたのを忘れられません。天国への期待する信仰をしっかりともって居られる方だ思っていました」

 

等のお声を聴けた。

 

いずれも、そのまま式辞で紹介したわけではないけれど、本当の意味での家族葬だったがゆえに、わたしは教会の皆さんの思いを抱きながら葬儀に臨みたかった。

 

晩年、聴力が弱られていたM子さん。耳元で話し掛けてもようやく何かを聴き取られる位だったと思う。それでも、教会備え付けの補聴器を使うことなく礼拝出席を続けられた。当然、わたしは説教が聞こえていないことを知っていた。

 

ある日「いいんですか」と訊ねると「先生の顔が見えればねぇ」とほほ笑まれた。

 

確かに、M子さんは、いつも講壇の方をじいっと見上げたまま、いつもそこに居られたのだ。私も支えて頂きました。ただ感謝あるのみ。(もり)

 

 

 


10月14日(日) 兼務する十文字平和教会 Hさんが撮影された「あきあかね=赤とんぼ」
10月14日(日) 兼務する十文字平和教会 Hさんが撮影された「あきあかね=赤とんぼ」

◎2018月10月14 ・ 【 窓 183号

     『 みんなで伝道 』

 

お隣の教会・西大寺キリスト教会の赤江牧師が来会された。

 

「終活です」と手渡して下さった先生のご本『聖書信仰に基づく教会形成 西大寺キリスト教会の歩みを一例として』を読ませて頂いたのち、我が身を振り返る時間があった。

 

ご著書の終盤、「長屋の教会から取り組んできたこと」の項に〈心がけて来た牧師像〉として「頼もしいお父ちゃん・面倒見のよい親分・月光仮面・面白くて一緒にいたい・謙遜な祈りの人を心がけて来た」とある。

 

さすが、赤江先生だと深く教えられながらも、何かを比較してしまう自分に気が付き少し気持ちが落ちてしまったが、気を取り直して?スイッチを入れ直す。

 

先週の礼拝説教でのこと。数分の間だが、私は会衆席にマイクを渡した。何を目指していたのかは礼拝報告時にひと言触れたのだが、その復習(おさらい)です。

 

あのひと時の究極の目標、それは〈皆さんの伝道力の引き出し〉にありました。

 

今週は「信徒伝道週間」。(もり)

 

 


10月7日(日)の献花です。よーくみると、コスモス発見かな。
10月7日(日)の献花です。よーくみると、コスモス発見かな。

◎2018月10月7 ・ 【 窓 182号

     『 ごちそう 』

 

皆さん、「子どもの頃のご馳走の記憶は?」と聞かれたら、何と答えられるだろう。

 

私には今でも思い出すと幸せになる食卓の風景がある。そこには今は召されて行った家族がみんな居るからだろうか。

 

今思えば、敢えて言うなら、敗戦からわずか15年後に生まれた私である。何しろ今現在のことで考えると15年前の2013年は、さして昔などではなく、ついこの間だのことになる。

 

私に物心と言えるようものがついたのは、高度成長期に入った昭和40年頃になると思う。当時の私、大分県大分市の海辺の静かな村だった大在(おおざい)に暮らし、のんびりと過ごしていた、ぼんやり、ぼけーっとした少年だったと思う。

 

実は、その頃の私には胸がわくわくだった食卓の思い出がある。

 

森家の焼き魚専用の皿に〈紅鮭一切れ〉がのって登場すると飛び上がる程うれしい夕飯となり、「よっしゃ、これで今日はご飯三杯はいける」と即座に計算。

 

食後はお腹も心も満腹で幸せだった。

 

焼き魚は、例えば、今ではブランドものになっているという〈関アジ〉ということが豊後灘(別府湾)で育った私の家では割によくあったが、〈関アジ〉丸々一匹でも、子ども心は弾まなかった。

 

あの〈紅鮭〉の塩っぱさがご飯の有力なおかずとなり、ご飯がたまらなくおいしくなったのだと思う。

 

先週の礼拝後のこと、共育委員会が行われる前、事前に昼食の準備について思い巡らして下さった光代さんの心配りがあり、皆で〈蒸したて豚まん〉を頬張った。さらには、レトルトをちょっと工夫して下さったという〈中華スープ〉まで頂いた。

 

腹が減ったままの会議はろくなことにならない。

 

食後程なくして、お隣に居られたシベリア抑留の経験を持ち、現在はおそらくお一人で食事をされることの多い正さんがニコニコ笑顔でこう仰った。

 

「今日はご馳走ですねぇ」と。

 

うむ、確かにおいしく幸せな食卓だった。グルメとかコースとかまったく不要の〈ごちそう〉を、私たちは教会で一緒に頂いたのだ。(もり)

 

 


9月30日(日)礼拝堂前方のスクリーンを指すときに使用する自家製の〈指差し棒〉ですが、この日からバージョンup。長くなりました。
9月30日(日)礼拝堂前方のスクリーンを指すときに使用する自家製の〈指差し棒〉ですが、この日からバージョンup。長くなりました。

◎2018月9月30 ・ 【 窓 181号

 『 老舗菓子店 喫茶ルームにて 』

 

先週の水曜(9/26)、夏期休暇を利用し、お世話になっていたにも関わらず、ご無沙汰してしまってい先輩牧師を〈関西〉に訪ねた。

 

昼過ぎには到着してご一緒に遅めの昼食のつもりが、2号線も山陽道も事故のため渋滞。なかなか目的地に着かず、J先輩からは幾度も携帯に電話が入った。待っていて下さることが、じわっと伝わって来た。

 

龍野西インター付近で見つけた焼き肉のお店のランチがお値段のわりにかなり上質で息抜きになったのは幸いだった。

 

J先輩からは、ある駅付近を指定されたのだが、その駅が地下にあるとは関西音痴のわたしは露知らず、さらにまた、目的地付近でご一緒するのに時間がかなり必要となった。

 

駐車場を探し、良く知られる商店街をぶらぶらと歩きながら案内して下さったのは、神学者にして医師であったS博士も愛したお菓子で知られる老舗喫茶ルームだった。

 

既に午後3時を過ぎていたと思うが、2階の喫茶ルームは程よく空いていて、こちらにとっては好都合。話が弾み始めた。

 

J先輩は、牧会の第一線を離れられて数年が経つ恩師とも言える方。年賀状の交換程度は続けていたが、いったいどうしておられるのか伺っていなかった。いや、うかがえなかったというのが本当だった。

 

この日、J先輩から伺ったお話は、わたしが想像していたのとは全く異なる日常だった。

 

「家内の体調が悪くてね、今ねぇ、僕、主夫してます。一日三食の準備があるから、遠くには行けないんです。今日は」。その言葉に耳を疑ったが、こちらは驚きながらも少し平静を装った。奥さまのために日々介護状態とは露知らなかった。

 

もっともJ先輩は奥さま共々、ある教会の会員となってお過ごしのご事情もお話下さった。そうかぁ、そういうことかとわたしは自分を納得させる自問自答を続けていた。J先輩が近況をお話できるようになったのも、一定の時間が経過したからではないか、と思ったりもした。

 

先輩と初めて出会った時、末っ子さんは幼稚園の年長さんだったはず。今は成田空港でのお仕事に就かれていると聴いた。時の流れは何とはやいものだろう。

 

先週だったか、わたしは伝道の現場に経って中間地点に居るとしたら、あと25年、83歳迄は牧会の現場を目指したい、等とこの『窓』欄に記したのだが、複雑な気持ちになった。

 

やっぱり、何があるのか分からないのが人生。そんな思いを抱かざるを得なかった。伊集院静氏が、〈いつ終わってもいい人生を生きよ〉と言われているが、そんなことも思うひとときとなった。

 

ご馳走して下さった喫茶ルームはまことに居心地がよく、「もり先生、つよくなったわぁ」などと少し真顔で言われ恐縮。わたしも、「先生、ぼく、辛酸なめ尽くしてますが、無駄なことはひとつもありませんでした」と真顔で応えていた。

 

話の流れの中で、「僕、近かったら森先生の教会行くのになぁ」とこれ以上ない励ましの言葉を頂いた。

旭東教会で履物のまま会堂に入れるようにしたこと、車椅子でも従来以上に快適に安心してトイレに入れるようになったこともお伝えしたが、J先輩にとっては、お連れ合いと共に礼拝に出掛ける時、とっても安心材料だからだと思った次第である。

 

またお訪ねしたい人、場所が与えられ心から感謝。(もり)

 

 


9月23日(日)茨城県・龍ヶ崎教会より飯塚拓也先生を迎えた礼拝。説教後の賛美21-480「新しい時をめざし」の歌詞通り、「みんなで手と手つなぎあって今」をやりましたよ!これも礼拝改革でしょうね(^^♪
9月23日(日)茨城県・龍ヶ崎教会より飯塚拓也先生を迎えた礼拝。説教後の賛美21-480「新しい時をめざし」の歌詞通り、「みんなで手と手つなぎあって今」をやりましたよ!これも礼拝改革でしょうね(^^♪

◎2018月9月23 ・ 【 窓 180号

  『 わたしたちの宗教改革 』

 

1517年、マルティン・ルターによつて始まった「宗教改革は礼拝改革でした」。その言葉を初めて聴いたのは、1991年当時在学していた日本聖書神学校の「礼拝学」の時間だった。

 

担当の今橋朗先生のひと言は私には相当な衝撃だった。いや、もう少し言葉を添えるならば、今橋先生の授業は、クラス一同(7名程か)いつも目から鱗が落ちる思いで聴き続けていて、まさに、眠たくなることなど一度も無かったと言い切れる。

 

「宗教改革は礼拝改革でした」という言葉は今橋先生が起原なのかは不明ながら、その頃の私には今橋先生のお言葉と感じた。キリスト教史で教わるような「聖書のみ、信仰のみ」という型通りの解説ではなく、プロテスタント教会誕生の切っ掛けを礼拝学の視点から独自に示されたのにはびっくりだった。

 

1960年に始まった「第二バチカン公会議」も大いなる礼拝改革だったと学んだけれど、ルターの宗教改革が礼拝改革だったとは、素晴らしい事柄の捉え方だと思った。

 

先日の夜の祈祷会でのこと。

 

祈りを合わせる前に何か課題はありますかと呼びかけると、「次の礼拝には車椅子でお出でになる方をお招きしましたが駐車場は・・・」との声があった。

 

翌朝、駐車場のことも気になったが、翌朝わたしは礼拝堂に立ち、自走する車椅子はすーっと入れるのだろうか、としばらく思案していた。程なく、長椅子の移動を始めた。

 

するとどうだろう。

 

思いのほか自由な空間が生まれたのだった。冷静に考えてみればわかることだが、長椅子は風格もあり、様々な点で意味あるものなのだろう。しかし、ちょっとだけ動かすということが重さの点でも困難だし、座席に二名座っているだけでちょっと動かすことなど不可能だ。

 

つまり、臨機応変の応用が効かない。

 

長椅子が置かれていたところに、集会室で使用しているごく普通の椅子を運んで来て置いてみると、これはいいじゃないか、と感じた。だれでも簡単に動かせる。

 

常日頃から、礼拝空間の創造のために微々たるものではあるけれど様々な工夫や気遣いをしてきたつもりだったが、これには驚いた。

 

そして、礼拝で神の国を見出すための弛(たゆ)まぬ努力は宗教改革に通じているかなと思う。

 

実は、宗教改革は今もなお続いているのだ。そして、礼拝は時代の移り変わりの中で、教会と共にいつも新しくされ続けていくのに違いない。100年、200年、500年前の礼拝を守り続けることに大きな意味はないのだから。(もり)

 


9月16日(日)森牧師が兼務する十文字平和教会の礼拝後のテーブルにて「イノシシに負けられん」と勝さん。イノシシはどうやら栗も大好きらしい。棘なんてヘッチャラとのこと。
9月16日(日)森牧師が兼務する十文字平和教会の礼拝後のテーブルにて「イノシシに負けられん」と勝さん。イノシシはどうやら栗も大好きらしい。棘なんてヘッチャラとのこと。

◎2018月9月16 ・ 【 窓 179号

     『 マラソン 』

 

こどもの頃の私の憧れはマラソン選手だった。

 

古い話であるが(本当にだいぶ古くなってきた、ほぼ半世紀前)〈宇佐美〉という名を記憶していて調べてみた。宇佐美彰朗(あきお)と出てくる。1970年(昭和45年)福岡国際マラソン優勝と日本新記録とある。

 

この人だ。

 

10歳の時、白黒テレビの画面の中の宇佐美選手は決して格好いい方ではなかったが、それも少年は胸おどらせ、突然、外に走りだしたことを思い出す。

 

いや正確に言うと、この時だけ飛び出したのではなく、しばしば走りだしたりしていた。

 

でもその後の私は、42.195㎞というマラソンのフルコースはおろか、ハーフマラソンも一度も走ったことはない。

 

なんでこんなことを記したのだろうか。

 

今年58歳になる私。1993年から伝道者として歩み出して25年。先頃、旭東教会でご一緒して下さることになった隠退牧師の大先輩が80歳を前に一線を引かれていることも切っ掛けとなっているかも知れない。

 

マラソンのことを考えながら、もしも今が折り返し地点だとすると、83歳まで現役で頑張るのに、重要なのはペース配分だろうか。

 

がむしゃらに走り続けると長持ちしないだろうな、と思う。体力は落ち始めているし、病気だってするかも知れないのだから。

 

それにしても25年間でも随分といろいろなことがあったと思う。あっという間のことにも感じるし、前任地、その前の任地での日々が、遠い昔のことのように思えるのはなぜだろう。

 

使徒パウロはフィリピの信徒への手紙3章14節で「目標目指してひたすら走る」ことを勧めている。

もちろん、み言葉なので、キリスト者としてそれに倣おうとするのが自然なのだが、うっかりその通りにすると、58歳の膝もアキレス腱も相当に危ない。

 

83歳なんて、とてもではないが、おぼつかなくなる。(もり)

 

 

 

 

 


9月9日(日)お昼からの恵老祝福愛餐会の終了後、今年はじめて恵老対象者としお迎えした八重子さんをhugする寿子さんが居られました。
9月9日(日)お昼からの恵老祝福愛餐会の終了後、今年はじめて恵老対象者としお迎えした八重子さんをhugする寿子さんが居られました。

◎2018月9月9 ・ 【 窓 178号

    『 独学より共学 』

 

敬愛する清水恵三牧師(1931~1987)が書かれた『イエスさまのたとえ話』(YMCA同盟出版・絶版 そう分厚い本ではありません、念のため)を月に一度、祈祷会で読んでいる。読み進む中で深く思うことがある。

 

それは、このご著書が聖書の決してやさしくない譬え話を、奥深く、豊かに説き明かす名著だということ。

 

三鷹教会で牧会しつつ、農村伝道神学校の責任を負われたこともある清水先生の力が満ち満ちている50代前半に、いわゆる神学をわきまえながら講解を進めるその手腕には、オーバーではなく驚嘆する。

 

むつかしいことを〈専門家〉だけがわかれば良いように記すことは普通のことだと思うからだ。

 

この『イエスさまのたとえ話』を初めて手にしたのは、1989年の春、母校日本聖書神学校の入学試験に備えるために、東京銀座の教文館3階・キリスト教書専門店の棚の前に立ったときだった。

 

「過去問題集」を手にしてみると、どうやら、イエスの譬え話はしばしば出題されているようだと分かり、助けになりそうな本を探したのだった。とは言え、その時に参考にできたのは18ある講解のうちの半分に満たなかった。

 

旭東教会の祈祷会で取りあげた切っ掛けは、詩編のわたしによる講解も一定の意味があるとは言え、ずーっと詩編だけを読み続けるのはトータルで考えるといかがなものか、と考えたからだった。もちろん、わたしも時には違うことを学びたかった。

 

しかし、恥ずかしくも、いい加減なことを正直に言うと、講解する立場で予習をしていても半分も頭に入ってこないことがある。先日も「第14講  やもめと裁判官」を前日に読み直して見たものの、どうもぴんとこない。いわば、ぶっつけ本番のような朝を迎えてしまった。

 

ところが、不思議なことが起こる。

 

というよりもしばしば経験してきた事なのだが、皆さんに読み聞かせながら立ち止まり、小さな気付きを思い巡らして語っていると、何かが急に見えてくる瞬間が来るのだ。

 

つまり、私はよく分かったから皆さんに話せるのではなく、一緒に学ぶからこそ何かが感じられるし、なーるほど、そういうことかと納得できるのだった。

 

独学も意義深いし、楽しいものだと思う。しかし、共に学ぶ喜びと秘儀がここにある。思いがけない質問が結果として皆のためになることも多い。だから、月に一度のこの学びは当分やめられそうにない。

 

そう言えば、8月の下旬、神学校の卒業生研修会に参加した際、夜だいぶ遅くまでみんなで語らいの時を持っているとき、ある方が清水恵三先生に関連して嬉しい話をしてくださった。

 

「今の自分の説教の理想は、清水恵三先生なんです」とハッキリとおっしゃった。

 

これまた、我々の祈祷会の学びを継続させていく上で大いに勇気づけられる言葉だった。「そうなんだ、やっぱりそうなのだ」と励まされた次第である。

 

清水先生の実際のお声や語り口は想像しかできないけれど、それはそれで未知のままでいることも良いことなのかも知れないと思っている。(もり)

 

 

 


8月26日の礼拝のための献花 講壇のさまざまな色合いと見事なハーモニーに感嘆!
8月26日の礼拝のための献花 講壇のさまざまな色合いと見事なハーモニーに感嘆!

◎2018月8月26 ・ 【 窓 176号

  『 半歩前進 グリーフケアの集い 』

 

「行き当たりばったり」で行わざるを得ない面をもつ〈集い〉を始めてから4年。

 

現在、二ヵ月に一度開催中の〈グリーフケアの集い〉のことだ。ホームページ通じて教会外・ノンクリスチャンの方にも開かれた集いであるため、頑固にお祈りもしない会を貫き通してぼちぼち続けている。

 

そもそもグリーフとは、死別の悲嘆だけでないことを我々は深く自覚する必要があるとあらためて思わされているこの頃である。グリーフ・悲嘆は人生の途上のあちらこちらに転がっているし誰もが経験しているのだ。

 

香山リカさんの『悲しむのは、悪いことじゃない』(筑摩書房)をパラパラと読んでいると、グリーフへのさまざまなケアの必要性についてやさしく考えさせてくれて有り難い。

 

マイクを使わなくても互いの話に心傾けられることが肝心なので、わたしとしては決して拡大路線を求めているのでもない。一度の会に最大7名位がご一緒できる限界だろうな、と感じている。

 

8月22日(水)は午前の部を終えると、少し前から計画していた会費100円でサンドイッチ他の軽食を初めて囲んだ。教会員以外の方々にも、おそらく居心地のよい時間になったと思う。わたし自身もMさんとの会話が一弾みあっという間に時計は1時を過ぎていた。

 

「次はキュウリのビール漬け持ってきます」という声や「もっと(代金を)とって下さい」のカンパがあったりで嬉しかった。ほんとうの意味での癒しの空間となるようにグリーフケアの集いを続けて行きたい。

 

冒頭の「行き当たりばったり」とは〈イイカゲン〉という意味ではない。初来会の方があれば最大限の心配りを忘れない〈好い加減〉のこと。お一人でも初顔の方が居られれば最初に戻り、かつて読んだ絵本でも読み直す。

 

出たとこ勝負はスリルもあるしかなりの緊張もある。しかしそれが苦労であり、喜びでもあるのだ。(もり)

 

 


8月21日(火)兼務する十文字平和教会近くの田んぼで あとで写真を見て気付いたが、これは、相当な力作でしょ。作者の遊び心が素晴らしい(^^♪ 
8月21日(火)兼務する十文字平和教会近くの田んぼで あとで写真を見て気付いたが、これは、相当な力作でしょ。作者の遊び心が素晴らしい(^^♪ 

◎2018月8月19 ・ 【 窓 175号

      『 名画座 』

 

8月16日(木)の夜・旭東教会の礼拝堂を会場とする旭東シネマ・夕涼み映画会で『神の道化師、フランチェスコ』を観た。

 

1950年製作・公開のロベルト・ロッセリーニ監督によるイタリアの白黒映画だ。

 

睡眠不足気味だったが、世界に引き込まれ、私はふと16歳・高校二年生の頃のことを思い出した。

 

1976年・昭和51年の4月、大分県大分市の田舎から当時のTDA・東亜国内航空に飛び乗り、東京・巣鴨という町(おばあちゃんの原宿で知られる町)にお上りさんで上京。

 

既に大学生として東京に居た姉・啓子との二人暮らしが始まった私だった。その頃出会ったのが名画座だ。

 

いちばん近くにある大きな町・池袋までは、巣鴨から山手線で二駅。そして、名画座は池袋駅から徒歩3分程のJRの線路に近い、うら寂しいところにあった。

 

確か、「文芸座」と「文芸地下」という映画館があったと思う。二つがどのように違う映画館だったか、〈Google先生〉にでも尋ねれば数秒で分かるかも知れないが、今はもう忘れてしまった。

 

とにかく、数百円で旧作を楽しめたはず。いやどんなに高くても千円程度だったか。

 

切っ掛けは、父に連れられて東京の私立高校の受験をした際に、時間を持て余し、「映画でも観に行くか」ということになった時の映画館がそこだったと思う。

 

確か、阪東妻三郎が主演の『無法松の一生』を感動しながら観たはず。まだ確実に感性が柔らかかったから、『無法松の一生』のような名作とので出会いは好運だったと思う。だからこそ、次につながったのかも知れない。

 

振り返って見ると、あの頃から私は明確に自分探しを始めていたのだなぁと思う。いや、それは単なる自分探しの旅ではなく、「神探しの旅」の始まりだったのかも知れない。

 

高校、大学時代、とにかく、妙に必死になって映画を観に出掛けた記憶がある。探していたのだ、間違いなく、何かを。引っ越しに伴い出かける映画館は変わったと思うが、吉祥寺、神保町、新宿と若さに任せてどこへでも出かけて行った。

 

やがて、20代前半頃からは小劇場の芝居に魅かれていった。夢の遊民社(野田秀樹)、第三舞台(鴻上尚史)、スーパーエキセントリックシアター(三宅裕司)、天井桟敷(寺山修司)、情況劇場(唐十郎)、こまつ座(井上ひさし)等など。

 

今考えれば、東京ならではの、しかも力に満ちた一流の芝居(或いはその予備軍)に出会うことが出来ていたのだった。たまには洒落たミュージカルの舞台も観に行っていた。西武劇場で毎年クリスマス近くに上演されていた「ショーガール」(木の実ナナ主演)なども懐かしい。

 

この度、共育委員会の方々が準備してくれた『神の道化師、フランチェスコ』は久し振りに自分探しの世界に引き戻してくれるのを感じた。

 

清貧の教えを広めるアッシジのフランチェスコら一行の旅路が10のエピソードとしてスクリーンに広がるのだが、いつしか、聖書の中のイエスさまと弟子たち一行と見事に重なっていき、もしかすると、こんな旅をイエスさまは弟子たちと共に続けて居られたのかと思いながら観ていた。

 

いやぁ、やっぱり映画っていいものだね、と確信出来る時間を与えられた。次も楽しみに待ちたいし、心から有り難く思う。(もり)

 


8月5日(日)の礼拝堂献花です。歴史ある講壇の柱とあいまって今週も素晴らしい。夏ですね。
8月5日(日)の礼拝堂献花です。歴史ある講壇の柱とあいまって今週も素晴らしい。夏ですね。

◎2018月8月5 ・ 【 窓 173号

    『 餃子の王将にて 』

 

時に出掛けることがある〈餃子の王将〉という庶民に味方の中華料理の店がある。

 

東岡山店であるとか、岡山京山店には行くことがあったが、先日の昼、初めて岡山市中区の平井店に入りカウンターに座った。

 

同じ〈王将〉の中でも平井店の店内は格段に綺麗で好印象だ。

 

カウンター越しの2㍍前方には注文を一括采配する店長の後ろ姿。

 

厨房の仕事は細分化され、餃子担当、鍋を振る人、麺類担当等、全体の動きがほぼ丸見えである。

 

皆さん忙しくというか本当に、こんなに忙しくて、あまりにハードなのでは、とこちらが心配になる。それ程人気店の模様。

 

斜め左で展開する電話注文の受け答えも素晴らしい。なる程、来客が絶えないわけだ。

 

        **************

 

そんな中、私は、思わず食すのも忘れる40分弱が2㍍先で続いた。店長さん、餃子の焼き具合を見て「焦げた餃子は出さない!」と少しの容赦もない。

 

一度のことではなく、少なくとも4度は職人さんにダメを出しをした。そして、即廃棄。しかも、餃子担当の職人さん、本当に顔色一つ変えずに、黙々と餃子を焼き続ける。

 

その一部始終を、実は、わたしに見えているだけでなく、他の職人さんなり、アルバイトの方たちも全て知っているのだった。つまり、他の担当の方たちも、明日は我が身の可能性があることを知っているのだ

 

余所(よそ)なら構わず客席に運ばれたり、お土産に使うのならばこの程度大丈夫、OKなのにと私には見えたが、プロの仕事の厳しさを見た。

 

「餃子の王将」との看板を掲げるプライドだけでなく、社長さんを筆頭にしての徹底的にやりなさい、という指示があるのか。それとも、店長さんが心を鬼にして厳しく新人を鍛えているのだろうか。

 

        **************

 

かつて、神学生を夏期伝道実習に迎え入れていた頃(5年連続で迎えた時期もある)、私は「プロの牧師になろうよ」という意味の声掛けを実習にお出でになった方々に話していたことがある。

 

今では赤面ものだが、その当時は真面目にそう思っていたし、一所懸命に伝えたものだ。

 

さて我々は、現在の教会生活の中で「餃子の王将」で垣間見たような厳しさをもっているだろうか。そんなもの要らないとも言える。

 

だが、大事なことを突き付けられたように思うのも事実なのである。また、あのカウンターに座って餃子を食べたいと思う。王将ラーメンも美味しいですが!(もり)

 


7月29日(日)の礼拝堂献花より。うつくしい、本当にそう思います。
7月29日(日)の礼拝堂献花より。うつくしい、本当にそう思います。

◎2018月7月29 ・ 【 窓 172号

    『 ロボコン 』

 

外履きのまま教会で過ごせるようになってから早いもので一年が過ぎた。

 

あの時思いきって購入した「ロボットクリーナー(愛称:ロボコン)」(ダスキンさんが取り扱う〈Panasonic製〉)には教会の掃除をする上で大いに助けられている。

 

いわゆる、〈土足解禁〉を教会の皆さんに始めましょうよ、と提案した言い出しっぺとしては、なんとしてもこれまで以上に教会内が美しく、しかも、お掃除当番の方々の負担増がないように、と願っていたのだった。

 

何しろ、創立115年目にしての大変革?だった。

 

実は、ロボコンが活躍するためには人の手が様々に掛かる。

 

いきなり彼に働いてもらうのでは負担が大きすぎるし、彼の得意分野が生かされない結果になりかねないのである。

 

下準備というのか、一応のモップ掛けやクイックルワイパー系のものを使って掃除をする。そして、それからあとの、細かなところをロボコンに助けてもらっている。

 

したがって、ロボコンが働きやすい環境をつくるために、応援部隊の目立たないところでの奉仕、例えば〈椅子〉や〈ゴミ箱〉の移動や、ロボコンのあらぬところへの侵入を防ぐ手立ては必須なのである。

 

わたし自身、毎日曜の夜遅くには礼拝堂と集会室にモップ掛けをして彼の出番に備える。30分程掛かるけれど、そんなひと時が、土日の緊張をほぐしてくれる場となっている。何しろ、わたしの神学生時代の仕事のひとつは、とある教会での清掃だったのである。

 

先週、ロボコンのだいじな回転ブラシを初めて交換した。開ききってしまって、お湯につけて整えることも不可能になってしまったのだった。

 

開ききった一年と少し使用してきたブラシと新品のブラシを比べてみると、あらためて「ロボコン、一年間ありがとう」と思った次第である。

 

そう言えば、先の大地震を想定しての避難訓練。表通りへの避難となれば、靴の履き替えどころではなかったことに気付く。やっぱり土足解禁してよかったのだなと思う。(もり)

 


7月22日(日)の礼拝堂献花より。
7月22日(日)の礼拝堂献花より。

◎2018月7月22 ・ 【 窓 171号

   『 コチコチ頭の私 』


 だいぶショックを受ける文章を読んだ。

 

書棚に眠っていた『福音と世界 2015年1月号』・特集「教会とは何か」の中にある、(当時?)熊本のルーテル教会に仕えて居られた西川晶子牧師の論考「普段の牧会の中から」を読んでから、考え込んでしまう自分が居る。

 

              **************

 

西川先生は「教会は〈数〉が一種の〈偶像〉になってしまう危険性がある」「数的な成長は決して第一の目的となってはならない」と言われ「小規模教会であっても生き生きと生かされている教会は多くある」とも言われる。※いずれもかなり短くまとめ。

 

他にも、さまざまに引用したくなる言葉が散見する。何より、やさしい言葉で奥深い課題をわかりやすく書かれる筆の力は並大抵ではない。

 

たとえば、結語の近くに置かれた次の言葉は同世代なのかなと思わせる一面も含みつつ考えさせられる。

 

【日本は高度成長期以降、質よりも量が大きくなることを「成長」とみなしてきた。量的な成長が停滞したときに、その高度経済成長の幻影にとらわれすぎてしまったことが、質的な成長、社会として成熟する方向へと舵を切ることを難しくしてしまった一つの要因ではないかと思う。】(本文そのまま引用)

 

              **************

 

とにかく、私としては特集の中でも秀逸な小論だと確信する。

 

実はこの特集の中で、他の(少し名の知れた)先生方の文章は読んでいたのに、西川晶子先生のものだけ、すっ飛ばしていた。たぶん見たことも聞いたこともない方だから、というそれだけの理由だと思う。

 

そういう価値判断こそ、何とも情けない話である。

 

              **************

 

わたしは、何にショックを受けたのだろうかと考えてみた。

 

すると、どうやら、自分は西川先生に心より賛同しつつも、実のところ、数の虜になっている恥ずかしい自分に気付かされたからではないか、という結論に至るのだった。

 

どこかでいつの間にかすり込まれてしまい、体に染みこんでいる価値観があるのだろう。そして柔軟性に欠ける心、頭になってしまっている。

 

              **************

 

先週は他の場面でも「本質を見極める」ことの大切さをある先生から学ぶ機会があった。「how-to」や「上っ面のこと」ではなく、大切なのは本質だと。

 

人や時代に流されず、〈本質的〉なことを見極める眼(まなこ)を持ち、真の意味で自由な者でありたいと願う。(もり)

 

 

 

 


7月11日(水)絵手紙に初参加の「ひ」さんの作品 夏到来ですね
7月11日(水)絵手紙に初参加の「ひ」さんの作品 夏到来ですね

◎2018月7月8 ・ 【 窓 170号

   『 そういうことかな』

 

子どもの頃から運動好きの私なのだが、25歳の頃、お酒とは関係なく肝臓が弱いということがわかり、闘病生活が始まりスポーツからすっかり遠ざかった。

 

以来、随分ながーい間、安静を第一にする生活をしていたこともあり、運動らしい運動はずっと避けてきていた。

 

幸い、本当に奇跡としか言いようがない形で、40歳を過ぎてから肝機能の悪化はストップしていることが分かった。

 

もちろん、過去に於いてウイルスによる攻撃を受けて傷付いた肝臓の持ち主ではあるけれど、薬とも入院とも肝臓の病気では完全に無縁となり元気になったのだった。

 

とは言え、何となーく、運動からは遠ざかっていた。

 

ところが、体重増加でズボンが苦しい、というとても情けない事情が切っ掛けで、昨年の5月以降、スロージョギングを始めた。そして何とここまでほぼ休むことなくスロージョギングを続けている。

 

ただし、ダイエット効果には限界あり、というのが分かってきたこの頃でもある。

 

**************

 

振り返って見ると、スポーツの中でも個人競技、つまり一対一のスポーツが苦手でいつも避けて来たことに気付く。

 

それじゃあ、何が好きなのかというと団体競技なのだ。

 

サッカーは11人、野球なら9人、バスケットボールは6人という具合に、チームでするスポーツをいつの間にか選んでやってきた。

 

なぜなんだろう、と考えて見た。

 

すると、どうやら、いやもしかして、負けても一人だけで責任を負わなくてよいのが理由だったのかな、と感じている。

 

**************

 

最新の『み言葉 余滴』。タイトルは「悔い改めさせることは出来ますか」だが、その号を書き上げた際、教会での配布版、字数オーバーで追記を諦めたことがある。

 

それは、イエスさまが〈二人ひと組で〉弟子たちを遣わされることの〈良さ・利点〉についてだった。なぜ、イエスさまは二人ひと組を命じられたのか、じっくりと考えたことはなかった。

 

唯一、とある新興宗教団体が、必ず、二人ひと組で家庭・地域を訪問するときの理由を誰かに説明するときに、何かしらのことを思い浮かべることがあるのだった。

 

**************

 

最近、私はとある場面で伝道の困難さ、無力さをしみじみというか、つくづくというのか経験をした。

 

だがそのような落ちこみの経験をした時にこそ〈ぼやき・つぶやき・慰め合える〉同労の一人の友が必要だと教えられたのだった。

 

そう、二人ひと組はイエスさまが、弟子たちの失敗は挫折を前提としてのご配慮だったのかも知れない、と今は思うのである。(もり)

 


6月24日(日)聖霊降臨節第6主日の献花です。何という落ち着き。色合いのすばらしさ。感動しました。
6月24日(日)聖霊降臨節第6主日の献花です。何という落ち着き。色合いのすばらしさ。感動しました。

◎2018月6月24 ・ 【 窓 168号

   『 マタイが好きです 』

 

6月22日(金)、教会から車で10数分。旭東教会からだと岡山市内中心地寄りの〈可知(かち)〉という町の方に用があり、金曜の夕刻、八重子さんのお宅を訪問した。

 

2015年4月5日は「イースター・復活祭」だった。その日が私にとって旭東教会での初説教の日曜だったのだが、八重子さんはその日に初来会の同級生にあたる。

 

その後、八重子さんは、洗礼を受けられた神戸の他教派の教会から旭東教会への転入会に導かれた方。

 

                **************

 

八重子さんのお話を聴いているうちに、何かの拍子に、毎朝、兵庫県に在住の娘さんから携帯に届くという聖書日課のお話が出て来た。

 

わたしはそのことを以前にも聞いていたが、どうやら、毎日娘さんからの配信を元に、八重子さんは忠実に聖書を開いて読まれているご様子。おそらく、お祈りとセットだろうと思う。

 

同時に、ご自分のペースで娘さんから届く聖書日課とは別に、聖書を読んでおられることがわかった。

八重子さん、笑顔でこう言われたのだ。

 

「先生、私、マタイ福音書が好きなんです」

 

私はその言葉を聞いて、少しオーバーに言えば、飛び上がるほど嬉しかった。なぜなら、4年前の八重子さんは、福音書の違いがどれほどあるのかということなどハッキリと理解されていなかっただろうと思う。

 

さらに、「好きな福音書はマタイです」と言えること自体に、信仰生活の深まりが表れていることを確信したからだった。

 

私は神学校の最終学年の頃に、新約学の教授から、とある場所で、「森さんは、どの福音書が好きですか」と聴かれたことをハッキリと記憶している。

 

                **************

 

更に耳を傾けていると、八重子さんの日々を支える大切なみ言葉はマタイによる福音書6章34節「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」だということを知った。

 

「その日、その日を感謝して生きることを大切にしています。それが一番大事だと思っているので、誰に対してもそう伝えられるのです」という意味のこともお話になった。

 

                **************

 

30年近く前、東京都練馬区の桜台という町の6畳ひと間と小さな台所のあるアパートに暮らしていた私は、地下鉄有楽町の氷川台駅(東武東上線と相互乗り入れ)から電車に乗り込んで会社勤めをしていた。

 

満員に近い列車の中、受洗時に頂いた聖書を体をよじらせながらも読み、自分を支えてくれるみ言葉を探していた当時のことを思い出した。列車を降りてから、会社までの徒歩10分程が貴重なお祈りの時間だった。

 

牧師として生きている今、説教する者として聖書を読みがちな自分が居る。昔は、単純に、いいなぁ、と思う救いの言葉を探していたと思う。

 

                **************

 

「私は教会で奉仕が何もできなくて申し訳なく・・・・・・」とおっしゃる八重子さん。

 

私からすると、「いえいえ、それは八重子さんにしか出来ない伝道ですよ、本当にすごい!有り難い」と思うような執りなしをなさっていることも言葉にされた。

 

もっと正確に言うならば、八重子さんは、それが伝道であるとか執りなしと考えておられるわけではない。

 

ご自分の控えめに語られる信仰生活を静かに語り伝えていることが、実は最大の伝道なのだ、と無意識のうちに証しされているのである。

 

こういう嬉しいことが起こると、私はすごく安心して元気が出る。

 

何より、聖書を信頼し、毎日を感謝してお過ごしの八重子さんの素朴な信仰にふれ、私は信仰の原点に立ち帰らせて頂いたと感じている。心から感謝。(もり)

 


6月17日(日)早朝、お台所でカレーを食べる会の準備をしてくださっている女性たち。Sさん、ここでも心をこめてご奉仕下さってました。
6月17日(日)早朝、お台所でカレーを食べる会の準備をしてくださっている女性たち。Sさん、ここでも心をこめてご奉仕下さってました。

◎2018月6月17 ・ 【 窓 167号

   『 小六で覚えた賛美歌 』

 

6月13日、水曜日の夜、受洗後1年目講座の時間をもった。私ともう一人役員さんに居て頂くことにしてSさんを迎えた。

 

会の冒頭「Sさんの今お好きな賛美歌は?」とお尋ねすると、即座に「504番の〈主よ、み手もて〉です」と答えられた。

 

「なにか切っ掛けがありますか?」と聞くか聴かないうちに、「NHKラジオ講座の基礎英語を聴くために父が買って来たラジオで、夜9時からいつも流れていた番組があって覚えました。辛いことがあった頃でした。布団の上で歌詞を暗記するほど好きで大人になっても口ずさみました。」と続けてくださった。

 

そして、「クリスチャンでもない私が大きな声で歌ってよいのだろうかと、ずーっと思ってました」とお話になった。

 

これは、受洗準備の頃にも伺った言葉だったかも知れない。しかし改めて聴くと、Sさんの誠実さを思わずには居れない。

 

小学校6年生の時から、教会にお出でになるまでのあいだ、ずーっと〈主よ、み手もて〉を心の支えにして来られたこと。それは、神さまのご計画だったのだなぁと確信する。

 

そして、40年以上前、独りの少女の魂に、み言葉ではなく、まず賛美歌が福音として宿っていたことに驚きを覚える。賛美歌ってやっぱり素晴らしいなぁ、とつくづく思うのだ。

 

Sさん、「504番の3節はまったく知りませんでした。ラジオで流れてなかったのかも知れません。今は3節が一番好きです」と教えて下さった。3節にはこうある。

 

   主よ、飲むべき わがさかずき、
   えらびとりて さずけたまえ。
   よろこびをも かなしみをも、
   みたしたもう そのまま受けん

 

1年近く前から、旭東教会の礼拝では賛美歌の歌詞をスクリーンに写し出しているのだが、その歌詞の準備を担当して下さっているのはSさんだ。初めは数曲だったが、今では全曲となっている。

 

この奉仕を続けていかれると、Sさん、ますます賛美歌の歌詞を大切にされる信仰が深まっていくことだろう。

 

「もう一つくらい、お好きな賛美歌あるでしょ?」とお聴きすると、「513番の〈主は命を〉」ですと即答頂いた。やはり歌詞を大事に思って居られることを教えて下さった。

 

日頃からそういう思いを抱いておられることがずーんと伝わって来て感慨深い。

 

礼拝や祈祷会では、じつに生き生きと大きな声で賛美するSさんのお姿が目に入ってくるこの頃である。ただただ主に感謝。(もり)

 

 

 


5月29日(火)岡山教会の駐車場には軽トラックが一台。岡山県北部地区の信徒議員さんの○○さん87歳が140キロを運転されてお出でになっていた。外側はピカピカなので新車かと見間違ったが、中は使い込んでいる様子がある。よそ行き用にワックスを掛けられたのか。確か会員は数人の教会。しみじみ感動した。
5月29日(火)岡山教会の駐車場には軽トラックが一台。岡山県北部地区の信徒議員さんの○○さん87歳が140キロを運転されてお出でになっていた。外側はピカピカなので新車かと見間違ったが、中は使い込んでいる様子がある。よそ行き用にワックスを掛けられたのか。確か会員は数人の教会。しみじみ感動した。

◎2018月5月27 ・ 【 窓 164号

      『 東京駅八重洲口仲間 』

 

先週の月曜日~火曜日に掛けて、ある会合での学びと交流のために出掛けた。

 

参加してよかったと強く思うことが幾つかあった。中でも、転任されてきた〈○○牧師49歳〉との出会いはこれからが本当に楽しみになった。

 

穏やかなお人柄にも惹かれたが、前任地でのお辛い経験を皆さんに率直に語られるひと言ひと言にも共感。何だか、わたしがかつて経験したようなことと似通っているではないか。

 

しかも、献身前までサラリーマンとして働いて居られた場所が東京駅から徒歩1分の八重洲口(*皇居のある丸の内と反対側とも言える)と言えば昔の私と同じではないか。

 

立ち話で「僕は大和銀行の入っていたビルにいましたよ」と問いかけると、殆ど隣同士かその隣くらいのビルの中で仕事をしていたようだ。「八重洲地下街の日本橋よりの水餃子のお店ご存知ですか」などと何とも懐かしく嬉しい。

 

「森先生の教会は水島から遠いですか」の言葉に、1時間と少しの距離が近くなると直感した。

 

その後、教区総会でご一緒した時にも、神田神保町の古本屋街のことやら何やら、懐かしい場所の話題がすぐに互いにわかり合えて不思議な感じがする。

 

人との出会いは神さまのお計らいと思う。東京駅八重洲口仲間、心強い同労の友が与えられた。(もり)

 


5月20日(日)はペンテコステ・聖霊降臨日 ジュニアサークル説教時のひとこま 講壇の掛布、聖餐式の掛布を見て頂いた場面。
5月20日(日)はペンテコステ・聖霊降臨日 ジュニアサークル説教時のひとこま 講壇の掛布、聖餐式の掛布を見て頂いた場面。

◎2018月5月20 ・ 【 窓 163号

        『 神秘 』

 5月17日(木)、定例の夜の祈祷会がで触れた「神秘」という語がある。

 

カトリック教会では、ごく自然に使われる言葉のようだが、私は今まで、教会の中で用いたことがなかった。

 

国語辞典の中でも、だいぶ詳しい部類に入る『精選版日本国語大辞典』でひいてみた。

 

そこには《人の知恵では計り知れない霊妙不思議な秘密。普通の理論や認識を超えた事柄。また、そのさま。》とある。いつもながら、国語辞典をひくとあれこれと気付かされることが多い。

 

夜の祈祷会で詩編78篇の学びの後、祈りを合わせ始める直前に「お祈りの課題はありますか?」と声掛けした私。

 

実は、「○□○□についての幻が与えられていて、この場で皆さんと祈り始めたいです」と言い出せずにおわってしまい悔いを残した。

 

翌日の5月18日(金)の朝、音響機器設備の業者との相談で来会された但し兄にその旨をお伝えすると「最近、私もずっと○□○□のことばかり考えておりました」と仰るではないか。

 

うーん、そうだったかぁ、と思いながら、偶然?いやいや神秘か?などと思いを馳せた。

 

今日、5月20日(日)は聖霊降臨日・ペンテコステだ。

 

使徒言行録2章17節の【若者は幻を見、老人も夢を見る】を思わずには居れない。

 

私が見た「幻」と正兄の「夢」。皆さんと共に祈り始める時が来るのかも知れない。そしてそうなるならば、幸せなことだなと思う。(もり)

 

 


4月16日(月)の午後、ジュニアサークルのイースター礼拝に出掛けたサイの公園に出掛けた。新緑の銀杏の木の下にサイのお尻。心がなごむ。
4月16日(月)の午後、ジュニアサークルのイースター礼拝に出掛けたサイの公園に出掛けた。新緑の銀杏の木の下にサイのお尻。心がなごむ。

 

◎2018月4月15 ・ 【 窓 158号

    『 素敵な嘘 』

 

旭東教会から車で30分と少し。

 

ハンセン病の療養所内にある光明園家族教会の礼拝形式の祈祷会の奉仕に出掛けた4月11日(水)は忘れられない一日となった。

 

当日は、妻の友人も大阪からやって来ていたので、3人で車に乗り込んで出掛けた。

 

その日の祈祷会には、とても快活なH子姉も出席されていた。お伴の方も居られてお嬢さんかな、という位の年齢の方。大阪府の堺市からお出でだという。

 

光明園家族教会の方が「いやぁ、H子姉には負けるなぁ」と仰る声が聞こえていたが、最初はなんことだかわからなかった。

 

わたしは手のひらに「H子」とメモ。あとで必ずご挨拶をと思った。

 

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祈祷会終了後のお茶の時間、H子姉は、随分昔から光明園家族教会の祈祷会に定期的にお出でになっている方と知ったが、わたしは初対面。でも、この日お目に掛かれて本当に幸いだった。

 

手作りの名刺を頂いたり、あれこれと話が弾んだのち、間合いを見計らって、わたしは「お歳をお聞きするのは失礼だと承知していますがお幾つですか?」とお訊ねした。

 

するとH子姉はにっこり笑顔で、「そう、先生、失礼ですよ。1920年生まれ」とお答えになった。

 

光明園家族教会の長老が90歳。それを超えてお歳を重ねられた方なのだなぁと感じてはいたが、一瞬頭が回らなかった。今年は2018年だから、98歳である。

 

大正9年生でこのお元気さはいったいどういうこと!と思わずにはおれない。

 

**************

 

H子姉からいろいろと伺っていると、週5日は俳句ほか予定がびっしりとあると言われる。「では、あとの二日は何を?」とお訊ねすると、「金曜と日曜は教会です。20分程歩いて通っています。帰りは送って頂くことが多いかしら」と続いた。

 

さらに、H子姉のお話に心を傾けていると、どうやら定期的に老人ホームのお茶汲みボランティアもなさるらしい。

 

「わたしが本当の歳を言うと、入所されている皆さん年下だから恐縮なさるでしょ。だから嘘をついてね。でも、この嘘だったら神さまも赦して下さると思ってます・・・」とお話になった。

 

アーメンである。

 

デジカメもごくごく普通に使いこなされ、先生、住所を教えて下さい。先生、写真できたらお送りしますから、と言われる。実際、数日後には丁寧なというのかチャーミングなお便りと共に、素敵な写真が堺市から届いた。

 

光明園からの帰りはJR西大寺駅までわたしの車に乗って頂いた。数年前の教会学校のイースター礼拝の時には、公園の木登りを、こどもたちと同じようになさったとか。木登りする95歳?のおばあちゃま、なんて初耳である。

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お元気の秘訣はおみ足が丈夫なことも大きいと感じた。日本各地の名山をほとんど登山されて来たそうで、足腰の丈夫さには相当な自信がお有りだとわかった。

 

H子姉を駅前に下ろしたあと、わたしは直ぐに、旭東教会の長老94歳の正兄に興奮気味に電話を入れた。

 

「す、す、すごい方に、光明園家族教会でお目に掛かりましたよ。98歳のH子姉。ほんと、ピンシャンです。正さんよりも毎日やりたいことがありそうなご様子でした」と。

 

「いやぁ、それは嬉しいです。負けてはおられませんな」が正さんの締めくくりのお言葉だった。

 

H子姉。

 

あまり先の予定は立てないとも仰った。どんな文脈だったかは忘れたけれど、地上での旅路の終わりは「明日かも知れないでしょ」とキッパリと光明園家族教会の長老に語られた。

 

本当に教えられること、励まされることの多い2時間余りだった。いのち輝くH子姉に出逢えて、ただただ感謝である。

 

またお話を聴きたいと思っている。(もり)

 


4月8日(日)のイースター礼拝・愛餐会のあと、十文字平和教会の方々と森牧師で記念の一枚 旭東教会礼拝堂にて
4月8日(日)のイースター礼拝・愛餐会のあと、十文字平和教会の方々と森牧師で記念の一枚 旭東教会礼拝堂にて

*4/1の窓は記述内容に鑑み、ホームページでは公開しておりません。 

◎2018月4月8 ・ 【 窓 157号

    『 十文字平和教会

      MMさんより

        旭東教会御中 』 

 

4月1日(日)は2018年の「イースター・復活祭」だった。この日から、旭東教会の牧師であるわたしは、神さまのお導きにより、この2年間礼拝応援に出掛けていた十文字平和教会の兼務主任担任教師としての責任を担うことになった。
 当日は、十文字平和教会の方々からのお申し出があり、旭東教会での合同礼拝となった。豊かな礼拝だった。そして、昼からは愛餐会と続いた。
 火曜日だったと思うが、以下にご紹介するお葉書が教会宛に届いた。何度読み直しても素晴らしい味わいのあるお便り。
 以下、ホームページ版は色々と考えて一部を削らせて頂いているけれど、それでも十分にMMさんの熱い思いが伝わってくる。味わって頂ければ幸いです。(もり)

                **************

 主に感謝
 旭東教会の皆様、本日は本当に有難うございました。
 長い間便り等、書いたこともない私が書かずにはいられなくて・・・・・・ 御すし、多くさんの食べ物、おいしかった。あれだけの量を作られた方々大変だったでしょう。
 そちらに居らせて頂いて居る間に、段々 段々 楽しくなって来て、皆様どなたもニコニコしてらしてやさしく接して下さり、私の心は温かくてたまらなくなった。
 くそ この楽しさ、嬉しさを ・・・・・・出ていたら もっと上手に 表現出来るのに。  ありがとう
              岡山市北区日近(ひじかい) MM

 


もう少し受難節・レントが続きました、当然、その先にあるイースターに向けての準備が必要ですね。寿子さん、美樹さんが知恵を絞り時を捧げてくださって完成の復活祭のご案内です。ほとんど牧師は口出ししていません。嬉しいです。
もう少し受難節・レントが続きました、当然、その先にあるイースターに向けての準備が必要ですね。寿子さん、美樹さんが知恵を絞り時を捧げてくださって完成の復活祭のご案内です。ほとんど牧師は口出ししていません。嬉しいです。

 ◎2018月3月18 ・ 【 窓 154号

       『 教会トイレ事情 』

 

びろうな話?

 

いえいえ、今週も大事なお話を一つ。

 

わたしも多くを学ばせて頂いている、ある伝道熱心な先生のご本によれば、「トイレは我慢して外に出てからよそで」という教会には、新来会者の方は二度とお出でにならないと記されている。

 

同様に、説教者の声が聞き取りにくい教会も要注意と言う。声が聞こえないということは様々な場面で疎外感を感じるし、周囲の人たちの配慮が必要、というのもうなずける。

 

さて、旭東教会の現在のトイレ事情はどうか。

 

昨年秋の大改装後、思いがけず続いた年末年始の葬儀、会堂が満杯となる100人規模の世界祈祷日の集会でも、安心してお客様をご案内できて一安心との声があった。

 

トイレのみならずではあるけれど、私もつい小まめに掃除をしたなる。

 

教会でのゆったりとした交わりの中、トイレ空間に身を置くとほっとする瞬間が生まれるのは有り難いことだと思う。

 

やはり、トイレの居心地、安心感はゆるやかではあるけれど深い所で伝道に通じているようだ。(もり)

 

 


3月11日(日)の礼拝後、創作紙芝居で『幸福の王子』を演じてくださった布下満さんは十文字平和教会の会員です。このサンタさんの作者でもあります。いや、よーくみると本当に精巧なお人形なのです。
3月11日(日)の礼拝後、創作紙芝居で『幸福の王子』を演じてくださった布下満さんは十文字平和教会の会員です。このサンタさんの作者でもあります。いや、よーくみると本当に精巧なお人形なのです。

 ◎2018月3月11 ・ 【 窓 153号

       『 説教者のつとめ』

 

私が献身する少し前の20代半ば頃(当時の私は、様々な小劇場の芝居をわりにこまめに観ていた)、劇作家・放送作家・小説家として知られる井上ひさしさんが当時主宰していた劇団「こまつ座」の芝居を東京・浅草公会堂で観て深く感動したことがある。

 

井上ひさしさんはカトリックの信者か、あるいはそれにかなり近い環境の中で幼少期を過ごした、と聴いたことがある方だ。

 

その井上ひさしさんの語録の一つに、「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」がある。

 

最近、出典を辿(たど)ってみた所、〈仏教の説教者〉の話術の極意を井上さん流に言い換えた言葉だと知った。印刷物としては劇団発行のものに載っているらしいことが、国立国会図書館への問い合わせ情報で確認できる。

 

「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」

 

深い言葉だと思うし、大事にしたいことだと無意識のときも含めて、常々考えている。井上ひさしさん、すごい!と心底思う。

 

てっきり、井上さんのことだから、書き物の関連の言葉なのだろうとの先入観があったのだが違った。

 

国語辞典を引くと「つとめ」は「務・勉・勤・努」の文字があてられる。学ぶに終わりなし、といつも思うのだが、説教者のつとめもたゆまぬ修行が必要だなと思う。

 

修行とはもちろん、座学を言うとは限らないのだが。(もり)

 


2018年2月17日(土)夜、西大寺の初春の風物詩会陽(えよう)という裸の男たちを追うのは・・・・・・旭東教会が誇る?教会写真家さんです。礼拝準備は大丈夫かな(^^♪
2018年2月17日(土)夜、西大寺の初春の風物詩会陽(えよう)という裸の男たちを追うのは・・・・・・旭東教会が誇る?教会写真家さんです。礼拝準備は大丈夫かな(^^♪

 ◎2018年2月18 ・ 【 窓 150号

      『 教会写真家 』

 

2月25日(日)に行う「生き生き教会作りの会」。

 

今年は、一年間の教会の歩みを振り返るために写真上映も行うことになった。ここ半年で、スクリーンやプロジェクターが格段に使い易くなったことも大いに影響している。

 

先週、会への参加を呼びかけてくださった光代姉が、写真を準備する人を「教会写真家」と紹介された。「教会写真家」とは不肖・この私のことなのだが、言い得て妙だと嬉しくなった。

 

世の中、確かに各地の教会の外観や礼拝堂の内部を撮影するプロカメラマンは存在する。会堂建築の参考になるような、見事な写真集も目にすることがある。

 

だが、ごく普通の教会生活の中でのあれやこれやの、生きた表情や笑顔、何かに熱中している姿や温かな交わりを追い続けている写真家を私は知らない。

 

数枚のスナップ写真を、大きな行事の時に撮ることがあっても、私のように日常的にカメラを脇に抱えている人も居ないことに気付いた。

 

福岡で一眼レフカメラを購入し。その後、北海道・稚内に暮らしていた頃からホームページへの写真提供を楽しみにしながらファインダーをのぞくようになったのだが、良い写真の条件は何より〈良い撮影素材〉であることを思う。

 

大自然も美しく素晴らしい被写体に違いない。

 

しかし、なによりも、わたしには人間が面白い。人間の美しさは何物にも代えがたいと信じている。(もり)

 

 


1月28日(日)の特別伝道礼拝の説教の中でふれた大分上野丘高校1年生当時(1976年・昭和51年・9月)の実力考査成績表。11月、1月と同様の状態が続いていた。
1月28日(日)の特別伝道礼拝の説教の中でふれた大分上野丘高校1年生当時(1976年・昭和51年・9月)の実力考査成績表。11月、1月と同様の状態が続いていた。

 ◎2018年1月28 ・ 【 窓 147号

    『 病床受洗 』

 

31年前、私が洗礼を受けたのは東京下町・浅草橋にある柳橋病院という、当時は順天堂大学の関連病院の一室だった。タクシーの運転手さんの指定病院であることや、川越しに、両国国技館の相撲の太鼓の音が聞こえて来ていたのを覚えている。

 

母教会・銀座教会で復活祭(*イースター)に幾人かの方々と一緒に受洗の予定だったが、20代半ばになってから闘病が始まったB型慢性肝炎(現在は奇跡的に完治)の幾度目かの急性悪化で、またもや入院という事情だった。

 

主任牧師の鵜飼勇先生を始め、副牧師の斎藤寿満子先生、福音会英語学校でご一緒したことからその後ずっとお世話になった年配のO姉、青年会のF君も居られたと思う。

 

その日の、思いも拠らない病室のベッド上での受洗が、その後の私に明確な決心を与える事になるとは思いもしなかった。それが病床伝道だった。

 

ちなみに当時の私は、肝癌で帰天した母と同じ52歳で人生は終わると信じていた。この命には限りがある。人生に悔いを残さないためにも、病床にある方たちの為に、救いの福音を運んで行く働きに専心仕えたいと真剣に祈り始めていた。

 

「受洗で何かが変わりましたか?」と問われるならば「変わりました」と即答する。

 

有り難いことに、私は新しい人となり今年58歳を迎える。今日は特別伝道礼拝の日曜日である。(もり)

 


1月21日(日)の説教の中で紹介した本がこれ。最後に星野正興先生の独自の宣教論が出てきて興味深い。
1月21日(日)の説教の中で紹介した本がこれ。最後に星野正興先生の独自の宣教論が出てきて興味深い。

 ◎2018年1月21 ・ 【 窓 146号

    『 よく聞こえるということ 』

 

先月から葬儀が続いた。

 

〇〇徹兄、〇〇信治兄、そして、〇〇伝道所の会員で88歳のご婦人の葬儀。クリスマス、お正月をはさんで、葬儀の日のみならず、さすがに緊張の日々だった。

 

これは上手に息を抜かないと〈まずい〉と思い、半年に一度位の割りでおしゃべりする同労の友人に電話をすることにした。

 

電話を置いたときの時間表示が1時間40分と出ていた。

 

その話の中で、〇〇信治兄の葬儀に列席された方がお葉書を下さり、更にその後、電話で話をした時に、嬉しく、かつ励まされた言葉を伝えた。

 

「森先生のような式辞は初めてでした。聞き取れない言葉が一つもありませんでした、と言われたんだ。こんな表現は初めて」と。

 

すると彼は〈目から鱗の言葉〉を口にした。

 

「それって滑舌の問題じゃないですよ。心に届いていたという意味ですよ」と。

 

そうだったか。(もり)

 

 

 


S君が二日間を見守った葬儀のお花の一部。
S君が二日間を見守った葬儀のお花の一部。

 ◎2018年1月14 ・ 【 窓 145号

        『 地獄? 』

 

〇〇信治兄の葬儀が執り行われた二日間をずーっと一緒に過ごした小学5年生の少年が居た。

 

安佐子姉の弟さん、K兄のご子息・S君だ。

 

以前、教会に来てくれた時は、ドッチボールを頑張っている、と話していた記憶がある少年だった。

 

信治兄の告別式を終えて、西大寺の斎場での火葬が始まり、待合室で皆さんとひと息いれ、一時間が過ぎた頃だったと思う。お父さんに連れられてS君が私の側にやって来た。

 

お父さんが「先生に質問があるんだよなぁ」と言うとコクリと肯いた。

 

聴いてみると、信治さんの葬儀、前夜式・告別式の式辞には〈天国〉はなんども出て来たけれど、〈地獄〉はなぜ出て来ないのか…、とのこと。

 

何とも素晴らしい質問だ。

 

少し慌てたが、マタイ福音書25章41節を交えながら一所懸命に話した。途中、お骨拾いが始まったので、席を移して食事の前にも続きを話した。

 

S君が聴きたかったことは見つかったのだろか。あるいは、ますます何かが気になり始めたのか。

 

後日、安佐子姉から、「時が来たらS君へ」と信治さんが買い置かれていたという、子どものための聖書を手にして帰宅したそうだ。さて、どこをめくっているだろうか。

 

楽しみに次の機会を待ちたい。(もり)

 

 


2017年12月12日(火)朝 徹さんの告別式の朝の礼拝堂にて
2017年12月12日(火)朝 徹さんの告別式の朝の礼拝堂にて

 ◎2017年12月17 ・ 【 窓 141号

       『 最期の言葉 徹さんの場合 』

 

※大辞林によれば 「同音語の「最後」は物事の一番おしまいのことであるが、それに対して「最期」は人の死にぎわのことをいう」とある。

 

12月10日(日)の朝、天国に召されていった〇〇徹兄の葬儀(*〈〇〇正兄〉の10歳下の弟さん)。

 

故郷・西大寺(*旭東教会)でのお別れはご家族だけのひとときとなり、「知らない人が一人もいなかった」という温かな時となった。

 

つまり、この度の葬儀は、教会員の列席はなかったわけだが、ご遺族の選択であり、しばらく教会から離れておられたご夫妻の日々から考えると、それが自然だったのだと思う。

 

**************

 

前夜式・告別式で一同で歌った賛美歌。

 

それは、徹兄が9月上旬の夕べに、ふらりと来会され時にリードオルガンで奏でられた「いつくしみふかき」「きよしこのよる」だった。

 

この時、徹兄は、わたしが着任してから初めて礼拝堂に足を踏み入れられたし、そうでなくとも、相当久しぶりの礼拝堂だったと思う。

 

「いやぁ、懐かしいなぁ」を繰り返しておられた。

 

**************

 

そして、もう一つの賛美歌は、9月10日(日)の恵老愛餐会でご自身が歌われた「うるわしの白百合」だった。

 

その日徹兄が歌われた「うるわしの白百合」は、決して上手に賛美できたわけではない。

 

愛餐会では、徹兄はご自分では、もう少し上手に歌えるイメージを抱いておられた様子が端から見て伝わって来ていたから(少なくとも私にはそう見えた)、ほろ苦い時間でもあった。

 

だが、それはそれですごくいいものだったと思う。

 

今振り返って見るならば、徹兄は、帰るべき場所に帰ってきた。天国への旅立ちの準備を始めておられたのだと気付かされる。

 

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告別式で〈思い出〉を語られたご長女によれば、召される二日前、耳元で「ママごんが来たよ」と伝えると、苦しい息の中「ママごん、ありがとう、ありがとう」を繰り返しておられたとのこと。

 

美しい言葉での旅立ちに感謝。

 

奥さまもその言葉を抱えて、今を、これからも生きて行けるはず。

 

わたしたちも倣いたい。(もり)

 

 


文集に出てくる祖父のNEB(THE NEW ENGLISH BIBLE)の最終ページ。万年筆を愛用していた祖父ならではの文字。ヨハネの黙示録22章です。私の宝もののひとつ。
文集に出てくる祖父のNEB(THE NEW ENGLISH BIBLE)の最終ページ。万年筆を愛用していた祖父ならではの文字。ヨハネの黙示録22章です。私の宝もののひとつ。

 ◎2017年12月3 ・ 【 窓 139号

   『 えんがわの歌 』

 

祈祷会では月初めのイエスさまの譬え話を学ぶ会以外は、こつこつと詩編を読み続けている。過日は、詩編71篇を祈祷会で学んだ。

 

71篇、作者はダビデの名を借りた老人(或いはそれに近い世代の人)と思われるが、この人は賛美歌を大切にしていることに気が付いた時、わたしは、なぜか父方の祖父・明麿(あきまろ)じいさんを思い出した。

 

**************

 

私は12歳まで、両親と姉と4人で〈納屋〉を改造した家に住んでいて、食事や風呂は祖父母の暮らす母屋で、という毎日だった。

 

トイレはあったものの、炊事場はなく、簡易ながらも流しが届いた時には飛び上がるほど嬉しかったものだ。

 

話は戻って、祖父のことである。

 

祖父・明麿は、孫が言うのもどうかなと思うが、勉強熱心なクリスチャンだった。というよりも、信仰の篤い人だったと思う。

 

**************

 

手元にある祖父の遺品、英語の新約聖書(THE NEW ENGLISH BIBLE)の最終ページの通読記録を見ると、1977年(昭和52年)に初めての精読了76歳と記録し、その時は2年間掛けている。しかも、他の英語聖書とも併読(Rsv)とある。

 

その後、1979年晩秋に78歳で読了、1981年早春読了、1983年初夏6月読了、1984年早春2月読了83歳、1987年早春1月読了86歳、1988年初秋9月1日読了87歳、1989年秋10月24日読了88歳とある。

 

神学校に入学したわたしのことをこの記録に拠れば知っていたことになる。

 

**************

 

だが、そんな祖父から、私は聖書の話をじかに聴いたことはなかった。

 

ところがである。祖父は縁側(えんがわ)にどっかりと腰を下ろして、しばしば音痴も気にせず賛美歌を歌っていた。

 

ただそれだけのことながら、振り返って見ると、その賛美歌を聴きながら私は間違いなく成長していったのだ。それは、祖父自身も知らざる伝道だった。

 

今、賛美歌が好きなわたしのルーツが「えんがわの歌」にあったことを知った。(もり)

 

 


野外バーベキューの会場となった十文字平和教会の「愛の鐘ロッジ」のステンドグラス。時を経て、あらためて見つめてみると、なんて素敵なステンドグラスなのだろう、と感じる。ベニヤと丸太に浮き彫りになる十字架。イエスさまが貼りつけにされるに相応しい十字架だ。ノアの箱舟の物語の虹への思いも起こされる。
野外バーベキューの会場となった十文字平和教会の「愛の鐘ロッジ」のステンドグラス。時を経て、あらためて見つめてみると、なんて素敵なステンドグラスなのだろう、と感じる。ベニヤと丸太に浮き彫りになる十字架。イエスさまが貼りつけにされるに相応しい十字架だ。ノアの箱舟の物語の虹への思いも起こされる。

  ◎2017年9月24 ・ 【 窓 NO.129

      『 史上初 バーベキュー礼拝 』

 

2016年4月から、礼拝応援ほかの為に月に2度伺っている十文字平和教会からのお招きを受け、総勢20名が愛の鐘ロッジでの野外バーベキューに参加した。

 

クルマ5台を連ねてのひとときは、単にドライブ以上の貴重な時間になったような気がする。他の4台の車中の様子は分からないが、おそらく、なにがしかの新しい何かを産み出すひとときとなったのではないだろうか。

 

旭東教会のこの20名という参加人数。

 

十文字平和教会の方たちからするとおそらく倍近い数。準備は緊張と不安も伴ったのではと思う。だからこそ、なおのこと、迎えてくださった十文字平和教会の方たちにはあらためて感謝で一杯だ。

 

当日は、十文字の方々10名と他教会10名の参加者があったのっでおよそ40名ほどの集い。

 

台風一過の爽やかな秋空の元、聖書を読み、『日々の聖句・ローズンゲン』を読み、賛美し、祈り、各自挨拶など、出会いを分かち合った。もちろん、肉や野菜・おにぎり・お好み焼き・栗・ピオーネ・アイスクリームも満喫。

 

わたしはと言えば、いつものようにカメラをもって、集った方々の笑顔を追っていたけれど、さまざまな場面での、主イエス・キリストにある語らいの場面が見られて幸せを感じた。それはまた、参加した一人ひとりの実感かも知れない。

 

野外バーベキューの終了の間際、ご自身が創作されたフランダースの犬の紙芝居を旭東で上演して下さった、この日の総合司会のN満兄が近づいて来られた。

 

そしてこう言われた。

 

「もり先生、終わりに祝祷お願い出来ないでしょうか」と言われた。

 

もちろん喜んで引き受けたのだが、祝祷する迄の数分の間に、私には思いも寄らなかった気付きが与えられたのだった。

 

それは、我々が40名が集い共に過ごしていたこの2時間余りは、実は、礼拝そのものだったのでは、というものという確信である。

 

祝祷するだけではもったいない、と思った私は、明確にこの時間が礼拝だったのだということが分かるようにするために、頌栄「父・子・み霊の」を賛美することにした。その意味するところの説明も行った。

 

そして祝祷。

 

祝祷の時、一同の心の目は開かれたのだと思う。そうだ、これは丘の上の〈バーベキュー礼拝〉だったのだと。(もり)

 

 


2017年8月6日は平和聖日 聖餐式をおこなった 杯は備前焼 会員の陶芸家明美さん作
2017年8月6日は平和聖日 聖餐式をおこなった 杯は備前焼 会員の陶芸家明美さん作

◎2017年8月6 ・ 【 窓 NO.122

       『  神の言葉への期待  』

 

若松英輔という方が居られる。

 

『イエス伝』(中央公論新社)も書かれる随筆家であり批評家、そして薬草商でもある。1963年生まれだから同世代の方だ。

 

薬草商という珍しいし仕事に携わっておられることは実に興味深い。

 

そこにたどり着くまで、若松氏の人生の紆余曲折があるらしい。順風満帆からは程遠い歩みを経験されているそうだ。近しく思う。

 

**************

 

詩人の〈和合亮一氏〉は〈若松英輔氏〉と書簡のやり取りをする信頼し合う間柄だが(『悲しみが言葉をつむぐとき』岩波書店)、あるところで若松氏の詩を読み解かれ、こう記されている。

 

【私たちは薬草の「はたらき」のように、ゆっくりと確かに効能が現れてくる言葉や詩を欲している。若松英輔氏はそれを伝えたいのではないかと思った】と。

 

**************

 

私も初めての詩集だという『詩集 見えない涙』(亜紀書房)の作品「薬草」に惹かれた。

 

以下は、その一部。「言葉」に心を向けて黙想すると、実に深い余韻がある。以下、「言葉」に添えた〈〉は私の手によるもの。

 

**************

 

○「誰が命名したのか  言葉〉は その名のとおり 植物のはたらきに よく似ている 予期せぬ場所から 舞い降りて 人生の季節が変わったと しずかに告げる」

 

○「薬草が必要なときは どんなに苦くても ぐっとこらえて とり入なくてはならない 〈言葉〉も同じだ 苦い言葉も あるときは じっとこらえて 受け容れなくてはならない」

 

○「薬草は じっくり煎じてから飲む 効能が潜んでいるのは色素 薬効が からだに浸透するにも 少し時間を要する 〈言葉〉も同じだ 隠れている意味の色を 時間をかけて ゆっくり 味わい 感じなくてはならない」

 

○「ときには ひとつかみの 草を探すためだけに 山深く 分け入らなくてはならないように たった一つの〈言葉〉を探すために 人生の長い旅に出なくてはならないこともある」

 

**************

 

若松氏は「言葉」の力に信頼している方だと、薬草の効能のようにじんわり、否、確かに伝わって来る。

 

そう、もしかすると、聖書に馴染んで居られない読者には感じないかも知れないが、彼は明らかに、いつも聖書を心の片隅に置いているのだ。

 

実際若松氏は、井上洋治神父さま他の影響を受けたカトリックの信者さんだと聞いた。

 

**************

 

私たちはいったいどのような〈言葉〉を探す旅を続けているのだろう。

 

どんな効き目の〈言葉〉があれば、薬草がなくとも癒しや救いを経験できるのだろうか。

 

**************

 

共に思い巡らして見よう。

 

私たちには〈み言葉=イエス・キリスト〉があることを。

 

やはりそう想うのだ。(もり)

 

  


2017年4月2日(日)の礼拝後、洗礼式が無事におわり、寿子さんを祝福する握手をされる迪子さん。説教で女性陣には、寿子さんにhugを!とお願いした。その変型です。
2017年4月2日(日)の礼拝後、洗礼式が無事におわり、寿子さんを祝福する握手をされる迪子さん。説教で女性陣には、寿子さんにhugを!とお願いした。その変型です。

 ◎2017年4月2日 ・ 【 窓 NO.104

       『  祈り 』

 

私が洗礼を受けるはずだった日曜日。それは1987年4月19日のイースターだった。

 

しかし、実際の洗礼式は1987年4月26日の日曜日の夕べにベッドの上で行われた。

 

場所は東京の総武線浅草橋駅から10分程の所にある、柳橋病院の病室。

 

当時の主任牧師で信仰の父である鵜飼勇牧師と斉藤寿満子副牧師、そして、お世話になった小沢さん、青年会のH君の姿があったと記憶する。泣いて、泣いての洗礼式だった。

 

だが、このような経験こそが、わたし自身を病床伝道への召しの気付きとなり、献身へとつながっていくからどのような道が備えられているかは本当に分からない。

 

**************

 

今ではどうなったか定かではないが、順天堂大学医学部 附属順天堂医院(正式名称は病院ではない)の関連病院として紹介されたのが柳橋病院だった。

 

当時、柳橋病院はタクシー会社の方たちの指定病院だったようで、にぎやかな患者さんが大勢おられた。

「次の新車が入るから、俺は早く退院したい」というような声が大部屋で飛び交っていたのも懐かしい。

 

隅田川をはさんですぐ近くに見える両国国技館で大相撲が行われていた頃で、太鼓の音やお相撲さんの幟(のぼり)が立つ川辺も目に入るところだった。

 

当時のガールフレンドも沿線に暮らしており、仕事帰り、定期的に立ち寄ってくれた。

 

**************

 

わたしの病状はと言えば、消火器内科系のやっかいな慢性疾患であることが分かり特効薬もなく、入退院を繰り返し、やけのやンパチになってもおかしくない時代だった。

 

信頼する伯母のところに電話して涙することも無くはなかった。ため息をつくことも多かった。

 

だが、なぜか希望に燃え始めている頃だったのも本当だった。

 

病室でNHK第2放送で、東京神学大学の当時の学長・松永先生(この方のICU時代の同級生が、わたしの神学校入学時の同級生 わかります?だった)による新約聖書に関わるラジオ番組を必死になって聴いているのを見て、ある青年会の仲間からはあきれられたことを記憶している。

 

自分でも今ふり返ると不思議だ。

 

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その年の夏、一枚のやさしい文字で丁寧に記されたカードが届いた。

 

封書は残っていないので、郵便か或いは手渡しだったか忘れてしまったけれど、そのカードを今でも讃美歌にはさんで持ち歩いているたいせつな宝だ。

 

こう記されている。

 

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森 言一郎 様

 

主の御名を讃美いたします

 

受洗おめでとうございます。

 

貴兄がはじめて銀座教会にお見えになられたとき新来者係としてご案内させていただいた〇〇でございます。
 
そのとき貴兄のお名前の由来が「ヨハネ福音書1章の初めに言があったの言を父がつけてくれました」とおっしゃられたことをハッキリと記憶しております。
 
ご受洗とうかがいよろこびでいっぱいになりました。受洗予定のイースターにはお顔が見えず残念に思っておりましたが、その後、無事 病床受洗をなされた由、鵜飼牧師よりおしらせがありほっといたしました。心よりお祝い申し上げます。
 
その後順調に健康をとりもどされご活躍の御事と存じますが、このきびしい暑さをガッチリと受け止められ、お元気にお過ごしくださいますようお祈り申し上げます。
 
お元気なお姿にお目もじ出来ます日を楽しみにいたしております。現在私は教会学校の(CS中学2年担当)教師としてご奉仕させて頂いております。
 
 〇〇〇〇
                      1987年7月28日 

 

             **************
 
当時、まだ、教会学校の奉仕を始めていなかった頃だったこともあり、〇〇さんが誰かわからなかった。もちろん、その後、〇〇先生と呼ばせて頂くお交わりが続いた。
 
〇〇先生は、正真正銘おしとやかで堅実な方。

 

決して前面に出て来られるような方ではなく、知らないところで祈っていてくださる方が居られることが、本当にうれしい驚きとなった。
 
そして、手紙の中で使われていた「お目もじ」という言葉に、生まれてこの方、その時初めて触れたことも思いで深く忘れられない。なんとも上品な言葉ではないか!
 
                **************

 

きょう4月2日は、半年ほどの準備を経ての〇〇寿子姉の洗礼式。

 

寿子さんのために、ちいさいけれど、たくさんの深く確かな祈りがささげられてきたことだろう。

 

感慨深い朝を迎える。感謝(もり)

 

  


2017年3月12日(日)、礼拝堂の献花の中に様々な春が隠れている。
2017年3月12日(日)、礼拝堂の献花の中に様々な春が隠れている。

   ◎2017年3月12日 ・ 【 窓 NO.101

       『  床屋さん 』

 

幼い頃のことも含めて引っ越しの多かったわたし。

 

これまで何軒の床屋さんに行ったことかなと思う。小学校の頃は、自転車で10分、江村理容店の土佐犬を自転車で散歩させていたこわーいおじさんと、かたや、まったく正反対のお人柄に見える優しいおばさんの所に一ヶ月に1度出掛けていた。

 

「げんちゃん、髪が赤いのは、わかめを食べんからや」と注意されるのが辛かった。

 

中学生の頃から、あーでもない、こーでもないと友人らと言いながら、少しでも自分の思いに近いカットをしてくれる床屋さんをさがし始めたような気がする。

 

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岡山に来てからも何軒かの床屋さんに行った。

 

ま、これ位ならいいか、と思って妥協することもあったし、安いから仕方ないなと考えたりもした。

 

いいかなぁ、と思いかけた床屋さんの店主が、こちらの好みを行く度に伝え直さなければならない人だと気付いてガッカリしたり、だった。

 

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ところが、心底素晴らしいなと思う理容師さんに、この度ついに出会った。お値段もフルコース?で2,500円は決して高くない。

 

お名前は土居さんと言う方で50代の女性。

 

とあるお店のスタッフで経営者でもない。一回目の時に「店長さんですか?」と私が言うと「とんでもないです」と言われた。

 

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何に感動するのか。

 

彼女にとっては当たり前らしいさり気ない職人技があるのだった。

 

理容師さんの世界では今では当たり前なのだろうか。初めて出会った時、おおむねのカットが終わったところで、「ドライヤーで乾かしてちょっと確認しますね」と言われたのにまず驚いた。

 

濡らしたままのカットでは確かに仕上がりがわからないとは思う。

 

でも、人生56年と数ヶ月。そんな風に言われた理容師さんは一人もいなかったのが現実。

 

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今回はシャンプーの丁寧さに驚いた。

 

前回は若手の方に分業するようにして任せられたので土居さんは担当されなかったのだが、シャンプーが始まって直ぐに何かが違うと感じ、終わる頃には確信に変わった。

 

お声を掛けて手を止めてもらって「不満ではなく、感謝ですよ」と伝えながら「土居さん、土居さんの洗い方、僕が自分で洗うのと全く同じ感じなんですよ。こんなの生まれて初めて」と。

 

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笑顔の彼女は嬉しそうに「自分の頭を洗う感じをいつも想いながらシャンプーするんですよ。前回も本部にメールに頂いて・・・・・・森さんには勇気づけられます」と言われた。

 

いいものや良いことに出会うと、自分の思いをお伝えすることが歳のせいか多くなったわたし。もう一つの気付きがあって更に続けた。

 

「土居さん、このお仕事が本当に好きなんですね」と。

 

肯く彼女は「休みの日も手を動かしてしまうんです」と仰った。

 

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YouTubeで「プロフェッショナル・仕事の流儀」という番組をたまーに見ることがある。

 

各分野でこつこつと当たり前のことを丁寧に続ける、その道の最高方の方々の仕事ぶりや信念、いや、生き方に本当に多くの刺激を受けている。

 

意識の高いプロフェッショナルとの出会いは、結果的には、牧師としてのわが身を顧みる最良の機会と思う。

 

学ぶに終わりなし、を思いながら仕えて行きたいものだ。(もり)

 


2017年1月29日(日)の礼拝収録が終了したあと、日々のキリスト教放送局・日本FEBCのお働きについて伺っているときのひとこま。
2017年1月29日(日)の礼拝収録が終了したあと、日々のキリスト教放送局・日本FEBCのお働きについて伺っているときのひとこま。

  ◎2017年2月5日 ・ 【 窓 NO.96

       『  伝わることば 』

 

キリスト教放送局・日本FEBCからの旭東教会での「主日礼拝収録番組 全地よ主をほめたたえよ」の取材のために、スタッフでパーソナリティも務める安保ふみ江さんが来会。

 

控えめでありながら爽やかに収録のお仕事を終えられ、すーっと旭東教会を後にされた。

 

なんと、旭東教会をあとにされたあと、さらにもう一つの協会取材に向かわれたとあとで知った。

 

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数日後「なにか、実家に帰ってきたような安心感で過ごさせていただきました」

 

「お昼もとても美味しい〈かけ汁〉!そして、何より皆様の明るい笑顔が、一番のごちそうでした」

 

とのとの嬉しいメールが届いた。

 

肌に感じられた率直な思い、と素直に受け取らせていただこう。ありがたいこと。今頃、2月10日(金)朝10時からのインターネット放送に向けて編集作業中なのだろうか。

 

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さすが、放送局でのお仕事を長年続けて来られた方と気付いたことがある。

 

それは、FEBCの日々のお働きやリスナーの方々との深い交流の様子について〈あかし〉をして下さった時のマイクの持ち方がさり気なく、美しく、的確だったこと。

 

この道に入られて28年とお聞きしたので、もう完全に無意識の世界かも知れないけれど、口元に向けるマイクの角度、何㌢くらい離せばよいのか、声の大きさの加減を熟知しているのだ。聴きやすい。

 

ワイヤレスマイクをお渡しするときに「かなり感度がいいと思います」と伝えたことがあとで恥ずかしくなった。

 

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東京の同労の仲間たち=伝道者たちが、もう70歳に近い大先輩も仲間入りして、舞台俳優さんさんから発声を学んでいることを最近知った。

 

どんなに素晴らしい説教であれ講演であれ、それが、聴き手に伝わらなくては元も子もない。学ぶに終わりなしをふと思い出した。(もり)

 


2015年11月22日(日)の礼拝報告時、関田寛雄先生をあらためて紹介。関田先生、ここでフーテンの寅さんを引用しながらみんなをお笑いさせられました(^^♪
2015年11月22日(日)の礼拝報告時、関田寛雄先生をあらためて紹介。関田先生、ここでフーテンの寅さんを引用しながらみんなをお笑いさせられました(^^♪

◎2015年12月13日 ・ 【 窓 NO.37】

    『  恩師からの補講の直後に  』

            (『週報』のミニコラムにちいさな加筆をしています)

 

過日、旭東教会の特別集会においで下さった関田寛雄先生は私にとって恩師とも言うべき方の一人。とは言え、世には「関田寛雄先生こそ我が恩師」と思っている人は何千人、何万と居るだろう、というレベルの話なのだが。

 

それでも、間違いなく、私自身が人として生きるとはどういうことか、クリスチャンとして牧師として、いつもその存在は重しとなり、座標軸となっていると思う。

 

旭東教会にお迎えした11月22日(日)の夜、妻と共に西大寺の片隅で夕食をご一緒させて頂いた。かつてはマイ箸を持って歩いておられたけれどこの間は出されなかった。

 

地元の岡山の米ビールなるもの少し口にされ、あれやこれやと話をし、いつしか、神学的な話題も食事の席で出てきた。特に、現場から生まれてくる言葉の重さについて考えさせられお話が展開していた。

 

関田寛雄先生は、各地の神学校で説教学や牧会学の講義も担当された方。現場に出て20数年の私は今頃になって教えて頂きたいなぁと思うことが不意に胸から飛び出した。それは「葬儀説教」についてのものだった。

 

先生の言葉を必死になってノートしたわけではないので、そのままをご紹介するわけではないけれど、先生は私の質問に対して、深く頷き、身を乗り出しながら3つのことを口にされたと思う。私からの問い掛けは敢えて伏せるけれど、それでも、葬儀全般に通じる大事なことをお話下さったと思う。

 

「その人がどんな人生を歩もうとしたのかを語りたいねぇ」「未来志向でね」「教会だけでしか通じない言葉は使わないように」。

 

思い掛けない形の「説教学」「牧会学」を兼ねたような補講受講後2週が経って、K義兄が召天。葬儀を迎えることとなった。(もり)

 

 


文中の萩焼のお店。扇窯 佐久間正和さんのお店。萩市川上2662が住所。
文中の萩焼のお店。扇窯 佐久間正和さんのお店。萩市川上2662が住所。

◎2015年9月27日 ・ 【 窓 NO.26】

 

『  旅の楽しみ  』 (『週報』のミニコラムをそのまま転載しています)

 ※〈加筆版〉は別ブログの【森牧師の部屋】というBlogに(赤をclick)にアップ予定です。 

 

▼夏休みを頂き久しぶりに九州へ向かった。途中、心地よい思い出のある萩市にも出掛けた。

 

萩焼が目的というわけではなかったのだが、ぶらぶらと歩いている内に青色の珈琲カップとお皿のセットが目に止まり2千円の買い物となった。

 

▼店番の婦人に「何だか、気分がいい作りですね、このお店」と話しかけた。

 

「一ヶ月前に開店したばかりなんです。夫が焼いたものを置いているのですが、この辺りにずっと店を構えたいと・・・・・・」との声。

 

▼ここ数年、色んな場で声掛けすることが多くなった。

 

歳だろうか。

 

いやいや、教会での出会いの数に比例し話し好きな人になって来たようにも思う。(もり)