【 窓 】 旭東教会の『週報』よりミニコラム *補筆版です


【 旭東教会の集会室に設置されているステンドグラス 「最後の晩餐」 】(下村満智子作)
【 旭東教会の集会室に設置されているステンドグラス 「最後の晩餐」 】(下村満智子作)

 京都在住のステンドグラス作家(キリスト者)・下村満智子さん作のステンドグラス・「最後の晩餐」が集会室の〈窓〉として納められています。

 大きさはなんと2m×1m程もあり、とってもおおきな立派ものです。わたしたち旭東教会のちょっぴり自慢の〈窓〉です。集会室が実に格調高い空間になっています。教会の側道からもご覧頂けるように設置されています。ぜひ、お出かけ下さってご覧下さい。


※以下、バックナンバーは容量の都合で削除しています。


2019年11月初旬 総社市の総社吉備路文化館にて 絵画展開催の布下満さんの横顔 十文字平和教会の会員です。
2019年11月初旬 総社市の総社吉備路文化館にて 絵画展開催の布下満さんの横顔 十文字平和教会の会員です。

     2019年11月10日
   【窓】『続 画家と牧師と』

 

旭東教会では一年に一度、手作り〈紙芝居〉を演じて下さることで知られる画家・布下満さんの絵画展に総社へ出掛けた。以前もこの欄でふれたかと思うが、兼務する十文字平和教会の会員である。

 

総社市の総社吉備路文化館を訪ねたのは夕刻だった。奥さまが受付におられたが人影もまばらだったことをもあり、ご本人の解説を聴かせて頂く贅沢を堪能した。

 

いやいや正確に言えば、満さんが近づいてこられて「5時まであいてますから、遠慮なく何でもきいてください」と話し掛けて下さったのだった。

 

お声掛けを真に受けて「絵は歳をとるんですか?」「満さんの一番お好きな色は?」「絵の具はピンからキリまであるんですか?」等々。愚問の連発にも丁寧にお応え下さる満さん。「普段はこんなに話はせんのです」と言われる程だった。

 

本当に小さくなった鉛筆たちは、遠い過去のものかなと思ったら、どうやら現役この間まで働いてたものであったり、油絵は、費用の面からだろうか、幾つもの全く異なる絵が下に隠されていたりすること等々。本当に有り難い時間だった。

 

というよりも、おそらく、これから先の我が人生で、こんなに丁寧にご自分の作品達についてお話を聴かせて下さる芸術家とは出会うことはないだろう、と本当に思った。

 

出口の壁にはペン字で「作品はいつのときも目標に到達するどころか、描いても画いても遠ざかるばかり。終着駅のない旅はこれからも続きます。」との挨拶文。写真にとってあらためて読み直して見るとしみじみ感動する。

 

82歳の満さんは、まだまだ本当に描いて、画いて、かき続けるのだと思う。そうしないでは居られないのだ。はたして牧師の私が同じ年齢になった時に、その情熱(み言葉を語り続ける)と体力を持ち得るだろうか。

 

正真正銘の画家、しかもクリスチャンと出会えた。いや、いつも礼拝でご一緒して下さっている。幸せなことだと思う。(もり)

 

 


2019年11月5日(火)の午後出かけた、十文字平和教会の布下満画伯の案内看板(近くのPにあったもの)です。素敵です。
2019年11月5日(火)の午後出かけた、十文字平和教会の布下満画伯の案内看板(近くのPにあったもの)です。素敵です。

       2019年11月3日
    【窓】『やすもう屋にて』

 

「ちょっと一息 休もう屋」が始まって2ヶ月目に入った10月26日(土)の午後。

 

山陽リビングメディア編集部のABさんが取材に来て下さった。12月6日(木)に創刊予定の無料地域情報誌『さりお』(『リビングおかやま』が全く新しくなるとのこと)に、岡山の居場所探訪・紹介的な記事で掲載して下さる予定という。

 

いやぁ、そうだとしたら本当に有り難いこと。

 

当日の来会者はABさんお一人だった。

 

私が「今の状況で紹介されるに値しますか?」という意味の問いかけをすると、以前取材された、ボランティア教師が無償で教える「岡山自主夜間中学校」の代表・城之内庸仁代表が「今は多くの人が来るけれど、最初は、ずーっと僕ひとりだったんだ、と言われてましたよ」と励まして下さった。

 

ご事情があって、病室の簡易ベッドに泊まり続けておられると伺ったABさんが〈一息つけた〉ことに後で気付き、「あー、それだけでもよかったなぁ」としみじみ感じた次第だ。

 

ABさんに「ちょっと一息 休もう屋」について説明していて気付いたが、やはり「休もう屋」は町の喫茶店とは明確に違うものだとの思いが深くなった。

 

喫茶店に入って、「あのー、お隣でお茶ご一緒して、お話、聴かせていただいてもよろしいですか?」なんて話し掛けられることはないだろう。

 

そしてまた「間もなく閉店の時間となりました。さぁ、皆さんご一緒にラジオ体操第一をいたしましょう」ということもあり得ないのである。(もり)


この度発刊された画集『布下満 続・画集 絵を描いて60年 あ・し・あ・と』を手にされる布下満さんです。ぜひ、絵画展へお出かけを!
この度発刊された画集『布下満 続・画集 絵を描いて60年 あ・し・あ・と』を手にされる布下満さんです。ぜひ、絵画展へお出かけを!

                           2019年10月27日
                     【窓】『画家と牧師と』

 

先週の10月20日(日)の夕方、十文字平和教会の礼拝後のお茶の時、11月2日(土)~11月10日(日)迄、総社市の備中国分寺五重塔のすぐ近く、吉備路文化会館で絵画の個展を開催される布下満さんの言葉が腑にストンと落ちた。

 

一度、満さんにお聴きしたい、と思っていたことを質問した時の言葉である。

 

「絵は観る人それぞれが、ある意味勝ってきままに鑑賞し、何かを感じていると思うのですが、画家の思いや伝えたいことと焦点が違って受け取られませんか?」と私。

 

「絵というものは、観て下さる人が居て、そこで初めて完成するんです。自由でいいんですわ」と満さん。幼い頃から80歳を超える今に至るまで、特に、絵描きとして生きていくことを志して以来60数年、筆を持たないこと、何も描かない日など考えられないという満さんの言葉には説得力があった。

 

牧師の説教も似た所があると私は以前から感じてはいた。牧師の口を通して発せられる神の言は、聴き手が自由に解釈するもので、一番のポイントはここと幾ら思っていても、そうは受け取られないことが普通のことだからだ。

 

だがしかし、満さんが言われた「完成」とまでは説教の際には考えることが出来ていなかった。そうか!説教は教会の皆(みんな)と一つになってこそ紡がれ、完成するものなのだ。

 

完成原稿を最近は手にすることはほぼないのだが、「よし、出来たぞ」と思った説教は、実はまだ、完成していないということになる。(もり)

 

※布下満 プロフィール
1937年生まれ、中学・短大で美術教化を担当。2001年に退職後は、絵画制作を中心とし、農耕と地域文化活動に参加。生涯学習を楽しんでおられる。

 

 


2019年10月13日の旭東教会講壇献花 ステンドグラスともいいハーモニーです。感謝します。
2019年10月13日の旭東教会講壇献花 ステンドグラスともいいハーモニーです。感謝します。

       2019年10月13日

     【窓】『 月刊住職 』

 

これは、少し前の『毎日新聞』一面下の本の広告欄に出ていた紹介文字である。Webで検索してみたが、寺院住職の実務報道誌で創刊45周年の歴史ある雑誌らしい。

 

例えば2019年10月号の広告見出しには「民生委員の住職が直面する社会の危機」「認知症と仏教[直言]香山リカ(クリスチャンです)・嘉門タツオ」とある。他にも興味深いキャッチが続いて居る。

 

出版元に尋ねてみると月毎、一冊ごとの販売はなく、年間購読だけとのこと。18,000円は直ぐに準備出来なかった。さりとて、公立図書館にはないだろうなと思う。

 

同じく10日程前の『毎日新聞』には「現代社会とお寺」という企画があり、識者三者からの取材記事で「お寺は今、大きな転換期にある」「人口減時代を迎え、仏教寺院の存続が危ぶまれている」の言葉が目に入ってきた。

 

なにゆえに、こうしたことが気になるのか。言うまでもなく、お寺さんの問題ではなく、私たち地方に立つキリスト教会の課題がそのまんまお寺さんの問題でもあるということなのだ。

 

9月から旭東教会で始めた〈ちょっと一息 休もう屋〉と似たような開かれた場を設けているお寺さんの情報も目にした。そちらは、喫茶店のようなモーニングサービスを格安で行っていた。

 

「学ぶに終わりなし」と考える私。旭東教会の伝道の糸口を探し続けている。(もり)

 


2019年10月9日(水)夕方近く 光明園家族教会の祈祷会の終了後、邑久(おく)町の見事な田んぼにて 稲刈り間近(^^♪
2019年10月9日(水)夕方近く 光明園家族教会の祈祷会の終了後、邑久(おく)町の見事な田んぼにて 稲刈り間近(^^♪

    2019年10月6日

  【窓】『牧師の修行?』

 

キリスト教の新刊書批評・紹介誌・『本のひろば』の最新号に大嶋重徳牧師が記された『若者に届く説教』(教文館)という本が紹介された。大嶋先生は学生伝道の責任を長らくおっておられる方として私も時々お名前が目にとまる方。

 

評者の関川泰寛氏(大森めぐみ教会牧師で東京神学大学教授 歴史神学担当)の紹介の仕方も読みやすく優れているが、評者の言葉を読むにつれ、大嶋氏の論考は「若者向けの説教」に限られたものではないことに気付いた。

 

新潟県上越市の高田教会に仕えていた15年程前、講壇で語る言葉が会衆席に着地せず、フワフワと舞い上がって行くのを肌で感じながら説教を続ける自分に気付き落胆したことがある。おそらくその日の説教は、確信をもって語りたくとも、自分にとっては語るのにハードルが高いみ言葉だったのだと思う。

 

ところがである。その日の礼拝後、いつも礼拝堂の片隅にお座りになる、本当に熱心な笑子さんというおばあちゃまが私の所ににこにこしながら近づいて来られこう言われた。

 

「森先生、今日初めてこの箇所が分かりました。ありがとうございました。」と笑子さんは仰ったのだ。聖霊の働きと信じたし、大いに慰められた。

 

評者の関川先生。後半の四分の一は、ほとんど大嶋氏の言葉を抜き書きされる。それだけ力強く、そのまま紹介するに値する言葉なのだと思う。

 

「説教を届けるために一番たいせつなことは、説教者自身のリアリティある言葉です。その時に大切なことは、説教者自身が本当のことを語るということでしょう」という言葉など、いつも私自身がおぼろげに感じていることそのままである。

 

そして、「自分の説教はすべて録音して何度も聴くことが大切です」ともあるらしい。

 

たまーに、おそるおそる私も自分の説教を聴き直すことがあったが、これからは、時に、私の修行として実行してみようかなと思うのである。(もり)

 

 


2014年秋、北海道・洞爺湖に出掛けた時の紅葉です
2014年秋、北海道・洞爺湖に出掛けた時の紅葉です

   2019年9月29日
 【窓】『 昔は地図でしたが 』

 

遅めの夏期休暇を頂き大阪へ車で出掛けた。大阪都心のビジネス街であり繁華街を抜ける「新御堂筋(しんみどうすじ)」は片側だけで6車線もある大通りだ。

 

友人夫妻が暮らす箕面市(みのおし)に向かうにはこれが近道と何度かの大阪入りで学習。下道を通るよりもかなり早いので、何としても「新御堂(しんみどう=ホテルマンが使っていた呼び方です)」に乗りたかった。

 

新御堂を通り抜けて目的地に行くのに左端から大混雑の5車線を斜め横断して右端に進むという神業?が可能なのも理由(わけ)がある。

 

〈ナビ様〉が御座(おわ)すからである。我が家の車に初めてナビ様がお出でになったのは日本最北の町にある稚内教会に赴任する直前だったが、今や岡山でも日常的にご奉仕下さっている。最新のカーナビは、豪雨情報も知らせてくれる機能などもあり、かなり重宝している。

 

ところで、聖書を解き明かす牧師も〈ナビ〉の役割を担うのではと思う。私自身に力はないかも知れないが、聖書が今の時代の道を指し示してくれていることを取り次ぐのは大切な使命だと思う。

 

どうぞ、そのためにフルにお用い下さい。私はここに居ります。聖書を真剣に読むことは本当にたのしいことですから。(もり)

 

 


ちょっと一息 休もう屋 開店初日(9/18)解散前の体操タイムに
ちょっと一息 休もう屋 開店初日(9/18)解散前の体操タイムに

     2019年9月22日
      【窓】

『 新しい一歩

  ちょっと一息 休もう屋に寄せて』

 

9月17日(火)の夜は寝付けないまま時が流れた。喉が渇き、台所に水を飲みに行った時に壁掛け時計を見ると午前3時。数時間の睡眠を経て18日(水)の朝を迎えた。

 

疲れているはずなのに、少し興奮気味で眠りに入れなかったのは「ちょっと一息 休もう屋」が始まる前夜だったのかも知れないな、とあとで気付いた。

 

「ちょっと一息 休もう屋」は、毎月第3水曜日と第4土曜日に開店することに決まったが、開店第一日目の3時間前、直線距離で100㍍の〈西大寺ふれあいセンター〉を訪ねてみた。

 

受付で「館長さんにご挨拶したいのですが」と伝えると奥からひとりの女性が近づいて来られた。チラシと冊子、そして名刺をお渡し、「かくかくしかじかで、元職員の方が一同相談してみてはと助言下さり・・・・・・いつか、何かの形でご一緒できれば」と伝えた。

 

最初は〈無料でご招待〉とご案内すればよかったと後で後悔。もしかすると、初回サービス券の配布などは、有効なアピールになるのかも知れない。

 

翌日、何と嬉しいことに、館長さんから電話が入った。

 

「昨日の件、あれからスタッフといろいろと相談して・・・こんなことなら、費用も掛からず出来るかも知れません」の声掛けを下さった。「ふれあいセンターのスタッフ派遣はどんな形であれ5千円の費用が掛かるけれど、ボランティアで体操を教えたいというグループがありまよ」と仰るではないか。

 

その他にも、道路をはさんで向かいの、西大寺中郵便局の局長を訪ねてチラシを手渡したり、いつもフル回転でご活躍の光明園家族教会のNさんに「祈祷会の帰りにどうですか」と電話したりした。

 

地域に根差す何かの働きをみんなで工夫しながら盛りあげて行きたい。(もり)

 

※「ちょっと一息 休もう屋」専用ホームページは以下です。ぜひ、Clickしてお訪ねを。
  http://yasumouya-okayama.jimdosite.com

 


2019/9/15(日)兼務する十文字平和教会の講壇にて
2019/9/15(日)兼務する十文字平和教会の講壇にて

    2019年9月15日
【窓】『〈信仰の父〉から今学ぶ 』

 

東京での研修会に参加の折、久し振りに母教会の日本基督教団 銀座教会に立ち寄ったことが切っ掛けで、故・鵜飼勇牧師(銀座教会牧師、1956年~1998年迄在任)の奥さま鵜飼栄子夫人が記されたご著書・『微笑みをつないで 教会と共に90年』(教文館)を贈って頂いた。

 

お世話になった栄子先生のご本を読んでいて驚いたことがある。

 

いつも凜(りん)とされ、少しもお身体が弱そうには見えなかった鵜飼牧師である。もちろん、時には病院に行かれる様子も見聞きしてはいた。

 

が、鵜飼牧師ご自身は栄子夫人に対して「僕は体が弱いからね」という意味の言葉を時に口しておられた、とあるではないか。

 

丁寧に読んでいると、戦後のお若い頃に、私の父・誠太郎と同じ肋膜(ろくまく)を患っていたという。露ほども知らなかった。

 

パイプオルガンの奏者としての研鑽を積むためにドイツに留学されご結婚されてお子さんまで与えられていたご長女との別れについても触れられ、そこから導かれたことも率直に明らかにされていることも重ね重ね驚いた。

 

公に販売されているご本に記されていることなので、少し引用させて頂くが、ご長女が、人間の罪深い現実を突きつけられて不審のどん底に突き落とされ、心が病んで行ったこと。

 

そして、日本を離れて十六年目、数え切れないほどの重荷と寂しさの限りの中で神に助けを求めながら苦しみ、ついにはご自身で地上の生涯の終わりを選ばれ、永遠の旅路へと去られたことまでも綴られている。

 

「・・・・・・が亡くなりました」との電話を受けられた鵜飼牧師夫妻は、しばらく言葉を失い涙もなく座り続ける。

 

そして、その夜中、鵜飼牧師は「栄子、祈ろう」と言い「この切り裂かれた苦しみ、悲しみ、寂しさを今まで多くの教会員が味わっていたのを私達は知らなかった」と牧師としての悔い改めの祈りが続いたそうだ。

 

「悔い改め」は、主イエス・キリストがそのご生涯の初めに宣言されたお言葉である。そして、私自身、伝道者として歩みだしてから、いつも立ち帰らされ考えさせられている重要なテーマである。

 

マルコによる福音書1章14節以下にイエスさまの宣言が記される。

 

「ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。」と。

 

悔い改めが、伝道者・牧会者の生涯の中でどのようにして起こるのか。あるいは、悔い改めをどのように言葉にして行くことが出来るのか。この度は、全く新しい視点から「悔い改め」を生きる道が示されたように感じている。

 

心して歩みたい。(もり)

 

 


文中でご紹介の画家〈布下満さん〉11月に記念絵画展を総社市で開催
文中でご紹介の画家〈布下満さん〉11月に記念絵画展を総社市で開催

        2019年9月8日

    【窓】『目の前におられた画家』

皆さんは人生の途上で本物の画家と出会っておられるだろうか。

 

旭東教会では手作り創作紙芝居の上演(フランダースの犬、くつやのマルチン他 40年程前の作品)で知られているかも知れない十文字平和教会の布下満さん82歳から、155頁に及ぶ『続・画集 絵を描いて60年 あ・し・あ・と』を教会に頂いた。「随筆」・「年譜」付で本当にみていて飽きない。

 

以前、私の愚問に答えられた満さんが「筆を持たない日など考えられません。毎日何か描いとります」と仰ったことを思い出しながら魅(み)せて頂いている。

 

故・戸村政博牧師が『路上の生 山谷から』(日本キリスト教団出版局)の「後書き」でこう記されている。

 

「“説教者”とは、たんなる職名ではなく、したがって単に説教する者が説教者であるのではない。説教の巧みなもの、それが説教者であるのではない。説教せざるを得ないように召されている者、わたしはそうせずにはおれない(第1コリント9:16)というアナンケーを持つ者が、説教者である。例えて言うならば、詩をつくる人が詩人ではない。作品やその評価によって人は詩人になるのではない。詩を作るほか生きようがない者として自分を自覚する者が詩人である」という言葉を想う。

 

これは、私が旭東教会の就任式で引用させて頂いた言葉である。

 

私は、そしてあなたは、果たして今、何者であるのだろうか。私は説教せずには居れない者として生きているか。そうであればその努力を続け、まだ足りなければ、いっそう励みたい。(もり)

 

 


2019年9月1日 さんびの歴史を学ぼうの準備をして下さった光代さんのご本あれこれ
2019年9月1日 さんびの歴史を学ぼうの準備をして下さった光代さんのご本あれこれ

    2019年9月1日

   【窓】『 母教会へ 』

 

私が洗礼を受けたのは(*正しくは「病床洗礼」)東京駅の八重洲口から歩いて12分ほど、車なら2分の銀座四丁目にある銀座教会だ。八重洲口の反対側は丸の内、皇居側ということになる。

 

1993年春に卒業した日本聖書神学校の卒業生研修会に参加の折、東京駅に11時半過ぎに到着。これ幸いと毎日12時15分に始まる銀座教会の正午礼拝めがけて走った。

 

最初からそのような計画をもっていたわけではないが、銀座がちらっと見えたところで、辛抱たまらず、という状態になった。

 

久し振りの大礼拝堂。20人と少しくらいの方が居られただろか。当日は牧師の説教ではなく、信徒さんが丁寧に準備されたペトロの手紙一からのみ言葉だった。1954年版の賛美歌を久し振りい歌った。

 

そうこうしているうちに目が行ったのは30年前座っていた席の辺りだった。長椅子の前後の間隔は、そう広くもないと感じた。

 

礼拝堂は3階と4階部分だが、2階の受付付近で、近況を知りたいと思い何週分かの週報を頂いた。現在の主任担任教師の高橋牧師ともご挨拶することが出来て感謝だった。かつての私を知っておられるようで、「お互い白髪が増えました・・・」というような会話があった。

 

電車での移動の合間に週報を楽しみに眺めていると、当然のこととは言え伝道の為にあれこれと工夫していることを知った。日曜の礼拝は10時30分からの主日礼拝と18時からの夕礼拝は昔のまま。しかし今春より15時からの「主日第二礼拝」を始めていた。

 

今春というのは、岡山に戻ってから、親しくさせて頂いているご婦人に電話を入れ、「●●子さん、第二礼拝はいつから」と尋ねて教えてもらってわかったこと。

 

時間は正午礼拝と同じ全体で30分位で、夕礼拝を担当する牧師が説教をするそうだ。オルガニストは夕礼拝の奏楽者がなさるそうで苦労もありそうだった。集会統計を見ると20名は確実。さらに、夕礼拝は私の時代とかわり、毎週50名を超えている。驚いた。そして、伝道の力が満ちているのにも驚かされた。

 

第2礼拝と同じ時間、私は十文字平和教会で第二礼拝を捧げているのだなぁと思った。そして、これからは、ふと同じ時間に礼拝をしている母教会を思い出すこともありそうだ。

 

それにしても、週報を読んでいると当然ながら知っている人の名前が減っている。私のことを知っている方も当たり前ながら少なくなったことだろう。

 

一ヶ月間の夏の夏期伝道実習の神学生の受入を都心の教会でされているのも驚きだった。

 

母なる教会は、私には家族の教会という意味では大分県大分市内にもう一つあるのだが、帰る場所があるということは、やはり何とも言えない心の安定に繋がるものだと感じた次第である。神学校に向かう前、銀座教文館の裏口にも久し振りにたった。(もり)


2019年8月25日(日)の午後三時前、森牧師が兼務する十文字平和教会まで5分のところ。稲穂が色づき始めました。
2019年8月25日(日)の午後三時前、森牧師が兼務する十文字平和教会まで5分のところ。稲穂が色づき始めました。

                    2018年8月25日
          【窓】『進むと嬉しい話 』

 

2017年3月12日の本欄で『床屋さん』を記した。少々大袈裟に聞こえるかも知れないが、ある意味運命的な出会いの職人さんで、Dさんは、その後一度も浮気することなくお世話になる絶対の信頼を置く稀な方。車で30分、南区大福(おおふく)のお店が少しも遠くない。

 

8月19日の月曜日、2カ月近く振りに出掛け、いつもながら安心して身を任せてウトウトしていた。い

 

やいやいきなり眠り始めたのではなく、席に座ってからすぐ、自分がいかに面倒くさい男であるのかを、過敏性腸症候群で苦しむことがあることを笑いながら話をしていた。過敏性腸症候群とは、つまりこれ、大便にも関わるようなびろうな話なのだが、Dさんには、気兼ねなく話ができるのだから有り難いことだと思う。

 

仕上げの頃に「25歳の息子が、急に結婚するって言い出したんです。彼女は20歳。お金を貯めてきたそうなですが、結婚式をどこでするか決めかねて・・・」というではないか。

 

「ぼく、Dさんの息子さんなら、なおのこと、うちの教会で結婚式してあげたいですよ」とお伝えし名刺をお渡しした。

 

さて、どうなるかなぁと思っていた3日後の夜、礼儀正しい電話が入った。月曜日~土曜日まではお仕事で忙しいとのこと。9月上旬、互いの時間を合わせてお目に掛かる予定である。end(もり)

 

※2017年3月の『床屋さん』の加筆版を以下に貼り付けます。

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◎2017年3月12日 ・ 【 窓 NO.101】

    『  床屋さん 』
幼い頃のことも含めて引っ越しの多かったわたし。

 

これまで何軒の床屋さんに行ったことかなと思う。小学校の頃は、自転車で10分、江村理容店の土佐犬を自転車で散歩させていたこわーいおじさんと、かたや、まったく正反対のお人柄に見える優しいおばさんの所に一ヶ月に1度出掛けていた。

 

「げんちゃん、髪が赤いのは、わかめを食べんからや」と注意されるのが辛かった。

 

中学生の頃から、あーでもない、こーでもないと友人らと言いながら、少しでも自分の思いに近いカットをしてくれる床屋さんをさがし始めたような気がする。

 

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岡山に来てからも何軒かの床屋さんに行った。

 

ま、これ位ならいいか、と思って妥協することもあったし、安いから仕方ないなと考えたりもした。

いいかなぁ、と思いかけた床屋さんの店主が、こちらの好みを行く度に伝え直さなければならない人だと気付いてガッカリしたり、だった。

 

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ところが、心底素晴らしいなと思う理容師さんに、この度ついに出会った。お値段もフルコース?で2,500円は決して高くない。

 

お名前はDさんと言う方で50代の女性。とあるお店のスタッフで経営者でもない。一回目の時に「店長さんですか?」と私が言うと「とんでもないです」と言われた。

 

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何に感動するのか。

 

彼女にとっては当たり前らしい、さり気ない職人技があるのだった。 理容師さんの世界では今では当たり前なのだろうか。初めて出会った時、おおむねのカットが終わったところで、「ドライヤーで乾かして、ちょっと確認しますね」と言われたのにまず驚いた。

 

確かに、濡らしたままのカットでは仕上がりがわからない。

 

でも、人生56年と数ヶ月。そんな風に言われた理容師さんは一人もいなかったのが現実。

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今回はシャンプーの丁寧さに驚いた。

 

前回は若手の方に分業するようにして任せられたのでDさんは担当されなかったのだが、シャンプーが始まって直ぐに何かが違うと感じ、終わる頃には確信に変わった。

 

お声を掛けて手を止めてもらって「不満ではなく、感謝ですよ」と伝えながら「Dさん、Dさんの洗い方、僕が自分で洗うのと全く同じ感じなんですよ。こんなの生まれて初めて」と。

 

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笑顔の彼女は嬉しそうに「自分の頭を洗う感じをいつも想いながらシャンプーするんですよ。前回も本部にメールに頂いて・・・・・・森さんには勇気づけられます」と言われた。

 

いいものや良いことに出会うと、自分の思いをお伝えすることが歳のせいか多くなったわたし。もう一つの気付きがあって更に続けた。

 

「Dさん、このお仕事が本当に好きなんですね」と。

 

肯く彼女は「休みの日も手を動かしてしまうんです」と仰った。

 

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YouTubeで「プロフェッショナル・仕事の流儀」という番組をたまーに見ることがある。

 

各分野でこつこつと当たり前のことを丁寧に続ける、その道の最高峰の方々の仕事ぶりや信念、いや、生き方に本当に多くの刺激を受ける。

 

意識の高いプロフェッショナルとの出会いは、結果的には、牧師としてのわが身を顧みる最良の機会と思う。 学ぶに終わりなし、を胸に刻みながら仕えて行きたいものだ。(もり)

 

 


Dさんの告別式が行われた十文字平和教会礼拝堂
Dさんの告別式が行われた十文字平和教会礼拝堂

     2019年8月18日

       【窓】

   『 火葬場の帰り道に 』


8/11(日)朝10時過ぎ、兼務する十文字平和教会のFさんから「大変なことが起こりました。アパーで独り暮しのDさん73歳が召天」との電話。

 

他にも重なることがあり、礼拝から夜中まで、怒濤のような慌ただしい日曜日が始まった。

 

旭東教会の役員会の日程などが重なり、総社に向かったのは午後7時過ぎていたと思う。夜10時近くにある施設を出て葬儀社に岡山市北区の葬儀社での打ち合わせが始まった。会計役員のHさんも同行して下さった。

 

8/13(水)午前11時。十文字平和教会での葬儀はいつもの礼拝のときのように会員の君枝さんが白色と紫色を基調とした清楚なお花。遺影はほぼ一年前の8月の誕生会でのDさんらしい穏やかな笑顔の一枚をデータのファイルに探し当てて使うことが出来た。

 

三ヶ月前にまとまったばかりの教会員への愛唱賛美歌のアンケートから、「いつくしみ深い」「ああ主のひとみ」「主よ、終わりまで」をどれも歌詞をかみ締めて賛美した。いずれも、Dさんの信仰の歩みにピタリと重なることがうかがわれて、たぶん、忘れることが出来ない選曲となったと思う。

 

もちろん、聖句もお知らせ頂いていたので、開式に用いた。「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」(マタイ22章37節)だった。

 

総社市斎場でのお骨上げは「神の家族」である教会の皆さんで行った。暑い暑い夏の午後だった。

 

帰りの車中、会員の大工さんの敏久さんが開口一番こう言われた。

 

「Dさんに教会があって本当によかったですねぇ」

 

私は「ほんとに(アーメン)」とうんうんと深く肯(うなず)いた。

 

           **************

 

ちなみに、8/18(日)の十文字平和教会の『週報』にはこう記した。

 

【想い出は満さん、治生さん、房子さんが思いを込めて語られました。近年のDさんは、教会で礼拝の奏楽を担当され、「ヒムプレーヤー」の操作を毎週欠かさず続けて下さいました。告別式ではコヘレトの言葉3章とマルコ福音書11章が読まれ、主イエスが十字架の待つエルサレム入城の際に必要とされたのは「ちいろば」であり、その「ちいろば」はDさんだったことを森牧師は語りました。また、Dさんにとって十文字平和教会は本当になくてはならないものだったのであり、十文字平和教会にとっても、Dさんは居て下さらなければならない掛け替えのない存在であったことを分かち合いました。】

 

(もり)


2019年8月11日・日曜日の礼拝 前半のジュニアサークルの時間で 旭東教会初登場・リスくんと森牧師
2019年8月11日・日曜日の礼拝 前半のジュニアサークルの時間で 旭東教会初登場・リスくんと森牧師

2019年8月11日
【窓】

『(*外部向けの) 夏からのチャレンジ』※Click・日本初の教会単独での葬儀専用ホームページ開設に寄せて

  

▼今求められている、キリスト教会の葬儀・お葬式を考えておられる 岡山にお住まいのあなたへ、新しいご提案。お迎えするのは〈 1名さま 〉から〈 12名さま位 〉まで。

 

▼〈 人生の締めくくり〉は、心あたたまる本物を 旭東教会ならではのお葬儀で。おすすめは 夜のお葬式〈 午後7時からの告別式 〉・〈 朝の光の中でのご出棺 〉。〈 清楚なお花 〉でのお見送りは、歴史と伝統ある礼拝堂だからこそ似合います。

 

▼〈 挨拶状 〉は 葬儀をご一緒できなかった大切な方の為にも 心をこめてお手伝い。〈 結婚式もキリスト教だったね 〉という方が帰ってくる場所がここにあります。

 

▼お式の中で生演奏のクラリネットで(*プロの音楽家による)「アベマリア」をお聴き下さい。演奏される〈いずみさん〉はご自身のお父さまを旭東教会で送られた方です。このようにおっしゃっています。

 

「わたくしはどんなに大きなコンサートホールでの演奏よりも、お一人おひとりのお顔が見える、かけがえのない出会いの場として与えられた教会でのお別れの時に、深い感謝と祈りをこめて、アベマリアを捧げられることを本当に光栄なことだ思っています」と。

 

▼告別式のあとの〈お食事〉は心落ち着く空間で選りすぐりのお料理と飲み物・デザートまでどうぞ。お飲み物は、教会でも〈森カフェ〉をオープンし、もてなしている牧師が、自ら豆を挽いてお淹れするドリップコーヒーをどうぞ。珈琲豆は、牧師が信頼する焙煎のプロがおられる珈琲店(出雲市・ストリングスさん ほか)から取り寄せの最高品質の新鮮な厳選の豆です。紅茶や日本茶も、コレしかない!との思いでお選びしたものを味わって頂きます。オリジナルの味わい深いデザートも心を込めてご準備いたします。

 

▼わたしたちはこの時間も、癒しと慰めのために大切に考えているからこそ、一所懸命に準備し、ご一緒させて頂きます。旅立ちの朝を待つための穏やかな備えの時となるのです。朝の光の中、午前9時半の〈ご出棺〉は澄み切った空気の礼拝堂。「神ともにいまして」(*讃美歌 405番)はテノールによる賛美で心をこめてお見送り。

 

▼こんなお葬儀どうかしら。旭東教会が始めます(もり)

チャレンジの詳細はClick【 https://kyokuto-omoide.jimdofree.com/】でご覧いただけます。

 


2019年8月2日(金) とあるところで撮影した、新潟県長岡市の世界に誇る2019年の壮大な花火 絵ではありません
2019年8月2日(金) とあるところで撮影した、新潟県長岡市の世界に誇る2019年の壮大な花火 絵ではありません

    2019年8月4日
【窓】『50年前の夏の落ちない話 』


大分県の大分市、現在の大在地区で育った私の子どもの頃、6人家族の森家全員が集合するのは夕食の時間だった。6人は、冬は掘りごたつとして使う食卓に足を伸ばして囲んでいた。

 

夏になると、薄青色の網戸にはカナブン、テントウムシ、細身のイトトンボがいつも居た。

 

考えて見ると、その頃(もしかすると、私の周囲だけだろうか)、冷房・エアコンなどという言葉はなかったと思う。涼を感じるのは、網戸を時に抜けていく風、そして、うちわだった。

 

一家に一台の扇風機は、家長のおじいちゃんを中心に廻っていて、孫の私の所には風は届かなかった。

私は扇風機に「あーーっ」と声を出して遊び、父が飲む由緒正しいキリンのビンビールの泡を口にしてはしゃいでいた。

 

夏はナスの味噌汁が多く、油揚げと豆腐のみそ汁が出ると心が弾んだ。

 

散髪に行くと、髪の赤かった私は、江村理容店のコワーイおじさんに「言ちゃん、ワカメを食べんから髪が赤くなるんでぇ」と言われていたので、みそ汁のワカメを見ると、江村のおじさんの顔がいつもセットで思い出された。

 

母はおそらく気分転換というか祖母とのあつれきを少しでも癒すために、畑によく出ていた。そこで獲れたキュウリとナスの漬物に励んでいたが、味の素と醤油をたっぷりかけていた。

 

そうそう、残飯は、庭に穴を掘って埋めていた。

 

夏みかんジュースは生半可な酸っぱさではなく、飛び上がるほどだったのも懐かしい想い出である。(もり)

 


2019年7月28日のジュニアサークルの時間 JCリーダーとしてはじめて絵本を読む寿子さん こーちゃんも世界に入ってます(^^♪
2019年7月28日のジュニアサークルの時間 JCリーダーとしてはじめて絵本を読む寿子さん こーちゃんも世界に入ってます(^^♪

             2019年7月28日
  【窓】『効き過ぎ注意? 』

 

左足の薬指と中指付近に痛みを感じ始めて10日程が過ぎた7/25(木)の朝。ついに辛抱できなくなり、祈祷会を休会して頂いて、岡山市民病院の整形外科で受診。

 

痛風?と数日前に一瞬思ったけれど、痛風は親指付け根の痛みだから違う。

 

今や、〈Google先生〉に聞けば、たいがいのことはわかってしまう時代で、この度のことは自分でも事前に調べてみたが、どうやら骨の問題ではなく「モートン病」という関節や足裏の神経障がいの模様。

 

どうりで、頭痛の持に使うかなり強い痛み止めや湿布がさっぱり効かないわけである。

 

いや、正確に言うならば、7月21日(日)の夜、痛みを感じて、湿布を貼って休んでみると、翌朝は、すっかり痛みがなく、「おー、奇跡だ、湿布がこんなに効き目があるなんて」と思い込み、薬屋さんでさらに購入して、せっせと貼り続けていた、というのが本当のところだった。当然、ボルタレンという強烈な痛み止めも効いているのだ、と信じてしまった。

 

神経とは不思議な存在。

 

市民病院での昼過ぎの診察の時には、薬も飲まないのにつゆほども痛みがなくなっていたのでちょっと困った。なぜ、急に痛みが消えてしまうのだろうか。

 

診察を受けた後、飲み始めた薬は、かなりの眠気が伴うもので、飲み方に工夫が必要である。薬の処方時に聴いていたが、これはやっかいだ。

 

せっかくなので、これも何かを学ぶ機会としたいと思う。

 

それにしても、人間、痛みに弱いものだと思う。いや、〈私が〉に過ぎないのだろうか。(もり)

 

 


2019年5月中旬 岡山市の隣、総社市の吉備路にて 五重塔 森言一郎撮影
2019年5月中旬 岡山市の隣、総社市の吉備路にて 五重塔 森言一郎撮影

     2019年7月21日 【窓】

   『 ボランティア募集開始 』

              *もちろん教会の皆さんもどうぞ

 

9月下旬の立ち上げを目標に始めようとしている会がある。その名は「ちょっと一息 休もう屋」である。

 

7月の定例役員会で大筋での了解を得て、ゆるやかに伝道に結び付く会をという気持ちはあるが、先ずはこの地で世に仕える開かれた教会として深まりを求めたい。

 

お迎えしたいのは一所懸命に〈介護〉・〈看護〉を続けている方、或いは、その働きについては卒業したけれど、燃えつきてしまい、目標を見失っているような方々の「安心できる居場所」である。

 

日程はいずれも案の段階ではあるけれど、月に二度、第3水曜日と第4土曜日の午後2時~4時半を予定。

 

参加費200円で、特選の珈琲・紅茶・日本茶を飲み放題とし、身の置き場、心の置き場を捜している方々のために備えたい。

 

多くのことは望まないし、出来ないだろうが、それでも、そのような求めが世にあることを様々に感じている。そして、お互いのための出会いが与えられれば幸いだ。

 

「ちょっと一息 休もう屋」。

 

最後はラジオ体操で爽やかに解散予定だ。わたし自身の、本当にあかるい開放型のとある病院での入院時の有難くも忘れ難い経験に基づくものである。

 

教会外のノンクリスチャンの〈グリーフケアの集い〉のメンバーお二人に声掛けすると「ぜひ、参加させて下さい」という弾む声が聞こえた。ご自身の経験に基づく、〈ピア カウンセリング〉の働きを担える方々だと思う。

 

じっくりと腰を据えた働きを始められたら、本当に嬉しいこと。祈り始めたい。(もり)

 

 


幼子の賛美にと準備された〈手作りマラカス〉「先生、マラカスじゃないよ」とご指導ありo(^-^)o
幼子の賛美にと準備された〈手作りマラカス〉「先生、マラカスじゃないよ」とご指導ありo(^-^)o

   2019年7月14日 

 【窓】『 一緒にさんびしよう 』

 

「オレは賛美歌に救われた」。

 

ご自身のお父さまの言葉を引用しながら、振り返って語られたのは日本有数の賛美歌の先生でもあり、新約学者でもある、故・川端純四郎さん(『讃美歌21』の賛美歌を見事に紹介されている方)である。

 

『教会と戦争』(新教出版社・2016年刊)という一見すると堅苦しい題名の本に、川端先生が各地の教会で、オルガニストとして講演された、実に、滋味豊かな記録も収められている。これは手に取って読まない手はない。

 

川端先生はこう続ける。

 

「キリスト教は歌う宗教だということです。これはキリスト教の大きな特徴です。仏教はあまり歌いません。キリスト教ぐらい歌う宗教はありません。なぜ歌うのかと。歌わずにいられないから歌う。理屈抜きです、これは。なぜならキリスト教は救いの宗教だからです。罪の赦しの宗教だからです」(「礼拝と賛美」より)。

 

先週、初めて来会してくれた幼子と赤ちゃんの〈ご兄妹きょうだい〉は居てくれるだけで礼拝が豊かになっていった。お兄ちゃんは二歳半、妹さんは6ヶ月。二人に〈むつかしい言葉〉での賛美を求めるのは無理な話である。

 

では、川端先生がキリスト教は歌う宗教だと仰るのを受けとめる私たちは、幼子と一緒に楽しく礼拝で賛美するにはどうしたらよいだろう。

 

聖書には重要なヒントと道が示されている。詩篇150篇には幾つもの楽器が見えるし、出エジプト記15章20節以下を見ると、モーセの姉ミリアムは紅海を無事に渡り終えた時に、跳ね踊りながら太鼓を叩いている。ダビデは琴を奏でてサウルを癒した。

 

なお、川端先生ご一家は旭東教会の産みの親とも言える、現在の日本基督教団岡山教会の牧師先生ご一家である。(もり)

 

 


ありし日の礼拝帰りの《きくちゃん》の後ろ姿
ありし日の礼拝帰りの《きくちゃん》の後ろ姿

        2019年7月7日

  【窓】『〈きくちゃん〉の伝道 』

 

先週に続いて召天された喜久恵さんの話題。

 

葬儀から10日して、孤軍奮しておられるご家族が挨拶にお出で下さった。まだ、諸々の手続きが必要で緊張がとけない忙しさの中にあるご様子である。

 

ご家族は開口一番、「お世話になっていた〈S苑〉の方が、僕も死んだら同じように旭東教会で葬儀をお願いしたいと話しておられましたよ」と言われた。

 

感謝である。

 

確かに葬儀の時、礼拝堂後方で男女四人の方々が窮屈そうに身を寄せて座っておられたのをハッキリと記憶している。一列3人掛けが普通なので、ふたてに別れてお二人ずつ座って頂いた。

 

私は「きくちゃん、ありがとう」とつぶやいた。

 

あのきくちゃんは「せんせぇ、ほらなっ。きくちゃんじゃからなぁ」とでも天国から笑っているように感じる。

 

折をみて一度S苑をお訪ねしよう。

 

四人の方の中のお一人にでも、「お声掛け下さったら、旭東教会は、どなたのお葬儀でも、本当にお受けしますよ」とご挨拶してみたと考えている。(もり)

 

 


きくちゃんが愛し大切にしていた、昭和35年製のミヤタ自転車
きくちゃんが愛し大切にしていた、昭和35年製のミヤタ自転車

    2019年6月30日

【窓】『きくちゃんを天に送る』

 

喜久恵さんが96歳(「季具枝」はペンネームでした)9ヶ月で召された。

 

告別式の前夜、ご長男の奥さまと2人のお孫さん(女性達)と、教会での告別式を前に、葬儀でお世話になっているホールの一室で、その足跡を辿りながら語らう有難い時間を持った。

 

30分程の予定が、あっという間に一時間半程が過ぎた。ちなみに、ご長男は体調がすぐれずお式にもお出でになれなくてお辛かったと思う。

 

三人に、「最後にひと言で、きくちゃんはどんな人でしたか?」と尋ねると「母には全部負けます。競争する必要はないのですが」とお嫁さん。ご自身の結婚式の際にはウェディングドレスを縫ってくれたことも聞いた。

 

お孫さん方は「おばあちゃんはキャリアウーマンだと思ってました」「世の普通のおばあちゃんとは全く違う人」と声を揃えた。きくちゃんは喫茶店を切り盛りした方であり、お料理教室の先生もし、帽子作りの店もなさり、お洋服を創ることが出来た人だった。

 

三人はその日の別れ際に「あー、楽しかった」と言ってくださった。四年前にきくちゃんから昔話を聴いていて、パソコン入力してメモをしていたことが大いに生かされてよかった。

 

2009年イースターの受洗時に「実家に里帰りでもするよう・・・」と証しされた喜久恵さん。よく通る声が、これからも、どこからか聞こえてきそうだと思っていたら、教会員のある方も同じようにおっしゃった。

 

実は、召されて行く日の前夜、思いがけない形できくちゃんは私の前に現れていた。「せんせぇ、もう、ええなぁ」と言いに来て下さったのだと信じている。

 

ありがとうきくちゃん。西大寺の可愛らしい「野の花」でした。(もり)

 


ちょっと思いでの写真をあげます 三年か二年前前の恵老祝福記念集合写真です
ちょっと思いでの写真をあげます 三年か二年前前の恵老祝福記念集合写真です

    2019年6月16日

 【窓】『 旭東教会であること 』

 

2016年7月号の『福音と世界』というキリスト教の世界では歴史ある雑誌にカナダ合同教会の元議長のショート牧師の言葉がある。

 

その前の文脈も大切だが、一先ず以下を。

 

「伝統と慣習とを混同してはならない。我々が守るべきは伝統であり慣習ではない。その違いをわきまえよう」。

 

この言葉、頭の中ですぐ理解出来る言葉ではない。

 

でも、30年近く前に入学した神学生の頃《経験》と《体験》の違いに気付いた時と同じような新鮮な言葉だと思うし、たいせつな事を告げてくれている。

 

明解さんの愛称もある『新明解国語辞典』を開いてみた。

 

《伝統》の解説は「前代までの当事者がして来た事を後継者が自覚と誇りとをもって受け継ぐところのもの」とある。

 

《慣習》とは「そのような時にはそうするものと昔から決まっている、生活上の節目としての行動様式」と説明されている。

 

様々な事情の中、定期教会総会で決議して、次週から、先ずは真夏に入るこれから、礼拝場所を別の空間に変える私たち。

 

目を覚まして、耳を澄まし、祈りを合わせ、様々な事柄を誠実に考えて行きたい。(もり)

 

 


2019年6月9日(日)はペンテコステ・聖霊降臨日でした。聖餐式にてエピクレーシス・聖霊を求める祈り
2019年6月9日(日)はペンテコステ・聖霊降臨日でした。聖餐式にてエピクレーシス・聖霊を求める祈り

     2019年6月9日

  【窓】『恩人との再会』

 

6月5日(水)『本のひろば』というキリスト教書の新刊紹介と批評が載る月刊誌の編集者で主事のTさんから電話入った。

 

『本のひろば』は、地元のキリスト教書店から、毎月初めに届く『信徒の友』の入った箱のなかに入れられていて私自身も楽しみにしている小冊子だ。

 

電話を下さった方は、かつてわたしの学んだ神学校で学ばれた後輩で(年齢は同じ位ながら同じ時期に机は並べていない)、さて何事だろう?と思いながら話を聴いてみると「かくかくしかじかで巻頭のエッセイをお願いします」という光栄な依頼だった。

 

どうやら『主よ、お用いください、召命から献身へ』(2019/6/24発刊・日本キリスト教団出版局)に拙文も入ることが目にとまったようだ。

 

さっそく『本のひろば』のバックナンバーを開いて見ると【出会い・本・人】というのが正確な題名だとわかった。直ぐに丁寧なメールも届いて、ご寄稿のお願い、とあった。【出会い・本・人】というテーマで、さーて困ったとな、と正直なところ思ったが、宿題はさっさと済ませたい性分の私。その晩直ぐにパソコンの前に座った。

 

しかし、その時は、何を書いてよいものか、あてもなかった。

 

すると、30年数年前まで、とある月刊誌で魂を込めて本を紹介し続けていたひとり人の存在を、懐かしくも不意に思い出した。たぶんその月刊誌は、神学校の入学を志す頃まで買い続けていたかも知れない。

 

あちこちで小劇場の芝居に出掛けたり、映画をみたり、美味いものでも一流のものを食しにいったりしていた頃に、多方面に示唆を与えてくれていたのがその人だいうことは、これまで考えもしないことだった。長い闘病生活が始まった頃でもある。

 

でも、私にとって、本と真剣に向き合う醍醐味を教えてくれたのはこの人であるのは間違いない。それほどにその連載には力があり魅力があった。

 

Nさんは、ご自身のことを「“面白本のオススメ屋”」と自認しておられたそうだが、私にとっては読書、そして本の〈伝道師〉だったのだと思う。

 

【出会い・本・人】について思いがけず、想い巡らすことが出来て心から感謝している。(もり)


2019/4/28  復活節第二主日の講壇献花より
2019/4/28 復活節第二主日の講壇献花より

 ◎2019年4月28日

『 福音の〈使徒K〉の言葉 』

   【窓・209号】

 

はじめに
〈使徒K〉とは〈使徒パウロ〉と同じような意味でここに記している。

 

**************

 

過日、次のような文面の手紙を下さっていた、昭和2年1月1日生まれのKさんが召された、という知らせが届いた。Kさんは92歳だった。ご本人もご家族も、もしかして100歳までは大丈夫、と思っていたはずなので、驚いた。

 

実はわたしの父の誕生日がKさんと同じ昭和2年4月1日なので、いつも、あー、オヤジと同じ歳なんだよなぁ、と思い巡らすことができる貴重な存在だった。父は、わたしと違って160㌢もない小柄な人だったが、Kさんは更に小柄な方だったのだ。

 

かつてわたしは新井教会に兼務者として仕えていたのだが、Kさの所には、一升瓶を抱えて謝りに行ったこともあるし、どうやらコワイ先生、と思われていたふしもある。身長の差があまりに大きいので、Kさんは見下ろされている、或いは、見上げている感が強かったことも大いに影響しているかも知れない。

 

Kさんは、新潟県の豪雪地帯のひとつ新井という町(信州・長野県寄り)の小さな新井教会(*現在礼拝出席4名~6名ほど)の〈教会守〉と呼ぶに相応しい方だった。〈教会守〉はどこにでもいそうで居ないものだと思う。本当に平日の教会に足繁く通って下さっていたことを知っている。

 

Kさんは、時折、元気な万年筆で記された手紙で私を励まして下さっていた方だ。これもまた、少し、父と似たところがある。父はいつも万年筆を使っていた。

 

例えばKさんは、こんなことを記して下さっていた。

 

「み言葉”余滴”を読み創めて今日は「終末を見つめる生き方」(№19)です。どの一枚を手にしても余滴は短文にして明解、親しく読みやすく、読むほどに心捕らえる名文です。感謝致します。・・・・・・み言葉”余滴”は、本にして出版されたらキリスト教伝道に大きな力になることを確信しつつ感謝して読み続けて参ります。本当にありがとうございました。」(*2017年7月1日付)

 

思わず、本気でそうかなぁ、と思いそうになってしまうくらい、勇気づけられる言葉だった。

 

そして、毎週、だいぶ努力して記している『み言葉"余滴"』に込めているわたしの思いを、殆どすべてくみ取って下さっている、数少ない方の一人だったのだ。

 

2007年7月15日に無事に終わった、新井教会の会堂改装・補修工事は、全国289教会と1団体、そして、228名の方々と共に、主のみ業に仕えさせて頂いた、思いで深い取り組みだった。年間予算の4倍位の規模の工事だったので、現在の旭東教会に当てはめると、その工事の大きさが推測できる。

 

手元にある、その工事の感謝報告書の表紙の写真は、Kさんが朝早くにシャッターチャンスを狙いに狙って撮影してくださったもので、新井教会の誇らしさが溢れていて見る度に惚れ惚れする。

 

同時にまた、裏表紙は、2006年1月の豪雪時に撮影したもので、雪に埋もれる会堂、そして後ろに青空が広がる、それはそれは美しい写真で、全国募金を始めようとした時に用いたものだった。Kさんが愛してやまなかった新井という町を象徴するような美しさが感じられる。

 

写真好きのKさんにとって、生涯に於ける傑作の二枚ではなかったか、と推察している。

 

お世辞を聞いたことのない〈使徒Kさん〉の言葉に支えられ、今週「み言葉"余滴"」は200号を迎えた。(もり)

 

 


2019年4月21日 イースター愛餐会にて 賛美歌のイントロ当てクイズをしましたが・・・・問題を出す方のご苦労をご覧頂きます。ヒムプレーヤーは旧型の方がスピード調整がしやすいので選ばれます(^^♪
2019年4月21日 イースター愛餐会にて 賛美歌のイントロ当てクイズをしましたが・・・・問題を出す方のご苦労をご覧頂きます。ヒムプレーヤーは旧型の方がスピード調整がしやすいので選ばれます(^^♪

  ◎2019年4月21日

   『 新しい歌 』

   【窓・208号】

 

4月11日(木)の《夜》の「祈祷会」では詩編98篇を学んだ。冒頭の98篇1節「新しい歌を主に向かって歌え」について、朝の会では全く思いもしなかったことを、夜の会では気付いたら30分近く語ってしまっていた。

 

というのも、その日の郵便物の中に、日本聖書神学校の学報があり、現在、礼拝学ほかを担当されている荒瀬牧彦先生の巻頭の説教に出会い、心底感動し、そのことを夜の祈祷会に参加しているメンバーに伝えずにはおれなかったのである。

 

目から鱗が落ちたというか落とされたというのか、「どんなに新しい賛美歌を歌っても、自分自身、或いは教会に、神によって変えられていく信仰の姿勢がなければ新しい歌にはならない。〈新しい〉は歌う者の新しさから来る」というメッセージだった。


※「メッセージ」として記したのは、荒瀬先生の言葉そのままではない。私が受けとめ、窓欄に紹介するためにまとめるとこういう風になりました、ということをご了解頂きたい。絵画でもそうだし、私が語る説教もそうなのだが、描き手や語り手の一端離れた作品は、もはや、受け手にどのように受けとめられても自由というか、仕方ないのである。

 

さらに言葉を添えると、荒瀬牧彦先生は、詩編98篇を元に説教されているわけではない。ヨハネの黙示録の連続講解説教を教会でなさり、その文脈と、現在の日本という国の文脈を織り交ぜながら、語っておられる(だけ)である。

 

それだけでも傾聴に値するし深く考えさせられたのだが、当日の詩編98篇の学びと考え合わせたり、4月から、小さいながらも聖歌隊を始めましょうという声が上がっている旭東教会において、これは、しっかり立ち止まる意味があると感じた次第である。

 

上の荒瀬牧彦先生のメッセージは、〈賛美歌を歌う〉ことの本質的な意味を教えてくれる。見方を変えると、昔ながらの賛美歌も、いつでも新しい歌になり得るということだと思う。

 

嬉しいことに、荒瀬先生のお父さま〈荒瀬正彦牧師〉と私は、日本聖書神学校に入学した時の同級生であり友人であることも実に感慨深い。そして、荒瀬牧彦先生は私と同じ歳。大いに刺激を受けている。(もり)

 


2019年4月14日・棕梠の主日に合わせて礼拝堂の片隅に飾られていた。
2019年4月14日・棕梠の主日に合わせて礼拝堂の片隅に飾られていた。

      ◎2019年4月14日

  『こんな人になりたい』【窓・208号】


4月12日(金)、○□教会での葬儀に出席した。〈MMさん〉という〈団塊の世代〉の方が召され、関係の方から連絡を頂き、告別式に参列した。

 

教会関連の小さな交流の中で、あー、このような方と仕事をしてみたものだと惚れ込み、とある会のメンバーが欠員となり、是非とも、とお誘いして二年間をご一緒して来た。

 

そして、想像していた通り、かゆいところまで手が届く目配りをしてくださって、本当に頼りになるお方だった。

 

一年以上前に、体調が今ひとつである旨、かなりむつかしいご病気であることはお聴きしていたが、偶然、昨年10月のある日の会合の直後に、部屋の片隅で〈余命数ヶ月〉との話を直に伺い、そのおりにお祈りを合わせた。

 

教育畑を歩み抜かれたMMさんらしく、教え子さんたちがご自宅や療養先でのことまでお世話してくれることを心から喜ばれていた姿を想い起こす。えーっ、そんなことまでしてくださるのかと驚いた記憶がある。

 

人生の終い支度をされていること、乗ってみたいとずっと思っていた赤色の車につい最近乗り換えてハンドルを握っていることも教えてくださった。

 

「あなた、また乗り換えたのと言われてもいいんです」と仰っていたが、小学生時代からの車好きのわたしにとっては、本当にしみじみ感じ入る言葉だった。

 

そして、それからというもの、同じ車種の、同じ色の車を見かけると、あっ、Mさんの・・・と思うようになったし、これからも永遠にそうだと思う。

 

いつも凜としているお姿やお話の様子から、てっきり信仰の大先輩と思い込んでいたが、受洗は2000年のクリスマスと知り驚いた。もちろん、子どもの頃から、クリスチャンのお母さまからの素晴らしい感化を受けていたようだ。

 

甥っ子さんのお話に「小学4年の授業参観の帰り道、泣きじゃくるわたしに、母は、いいのよ、大丈夫よ、神さまは全部ご存知だから」と語られていたことがでて来た。

 

葬儀説教では、昨年11月最初の日曜日の礼拝出席直前に、牧師先生宛に届いたメールが紹介された。確かこのような内容だったと思う。

 

「わたくし、一度だけ奇跡をお祈りしましたが、その後は、神さま、み業(*ご自身が括弧をつけて以下を記入とのこと「奇跡ではありません」)をお示しください」

 

それが最期までの祈りだったと紹介された。

 

わたし宛の年賀状を取り出してみたが、そこには「今年をもちまして、賀状による新年のご挨拶」は最後とさせていただきたく存じますので、ご理解のほどよろしくお願いいたします」とある。

 

そして、手書きで「お祈り感謝します」と添えられていた。

 

葬儀会場の教会礼拝堂には、おそらく、お若い頃の教え子さんとおぼしき方々が沢山出席されていた。

 

参列されることを予想した教え子さんたちのために、牧会され、葬儀も司式をされた先生に「彼らのために聖書からの福音を説き明かしてください」と頼まれていたのではないか、と思うメッセージが講壇から語られた。

 

MMさん、出会いに、本当にほんとに感謝します。限られた時間でしたが、ご一緒させて頂き、幸せでした。天国で会いましょう。(もり)

 


       ◎2018月4月7日・【窓 207号】
        『あなたはどこにいるのか』

 

▼1989年4月。東京・目白駅(山手線)を降りて徒歩10分の小さな森の中にある夜間の神学校(日本聖書神学校)に入学した。入学式の賛美歌は、当時の小林利夫校長が選ばれた、「心を高く上げよ!」(その頃は、第二編の一番)だったことを鮮明に記憶している。

 

▼入学して間もなくのこと。それまで考えたこともなかった言葉が飛び込んで来た。耳にした言葉は、私と歳が同じ○○□□さんという最上級生の先輩が口にした、「あのさぁ、結局さ、俺たちの実存がどこにあるのかが問題なんだよ」というものだった。確か29歳だった私。B型肝炎の治療の情報はだいぶ知っていたけれど、恥ずかしながら「実存」等ということは考えたことも無かった。

 

▼4月に入り、2019年度も新年度が始まった。1993年に神学校を卒業して26年目に入ったが、「今のあなたの実存は?」と問われるならば、明確に答えられるのはこれだけだなと思う。「向こう岸に向かっている〈旭東教会丸〉にイエスさまと皆さんと乗っています」と。

 

▼嵐で波にもまれることもあるだろうし、方向を見失いそうになることもあるかも知れない。それだからこそ、永遠に変わることのない神の言葉に信頼する航海を続けたい。もしも沈没するしたとしても、イエスが共におられるのであれば本望(ほんもう)である。end(もり

 

 


2019年3月31日(日)の講壇にて 森牧師が洗礼を受けたときに届いた〈ひさか先生〉からのカードを説教のさいごに朗読
2019年3月31日(日)の講壇にて 森牧師が洗礼を受けたときに届いた〈ひさか先生〉からのカードを説教のさいごに朗読

◎2019月3月31日・【窓 206号】

      『  原点への招き 』 

 

 

▼手前味噌という言葉を知っている。念のため辞典を引くと「自分のことを誉めたり自慢すること」とある。遠からずの感ありだが、以下、嬉しいことなのでご報告。

 

▼日本キリスト教団出版局書籍編集部の方から便りが届いた。中身は「『信徒の友』でこの十年間連載が続いた「神に呼ばれて」(正確にはその前にも続いて居た)を6月に書籍化予定。

 

ついては、2014年6月号の森牧師執筆〈力は弱さの中でこそ 人生の転機となった病床洗礼〉の掲載の可否をお知らせ下さい」というもの。

 

▼早速、同封されていたの拙文を読み直した。そこにあるのは「神に導かれてキリスト者となり、アッいう間に献身し、いかに伝道者として回り道して生きて来たか。振り返るとそこにある自分自身の原点は〈病・弱さ・小ささ〉なのです」と証ししている。

 

▼必要であれば若干の赤字修正をとのこと。感謝して取り組みたい。このような者の証しが少しでもお役に立てるのならばこんな感謝なことはないと素直に思う。

 

「初心忘るべからず」のみ声が聞こえた。(もり)


2019年3月24日(日)のジュニアサークルの時間 ヨハネ13章を読み、洗足を実際に行った場面 Nくん張り切ってます(^^♪
2019年3月24日(日)のジュニアサークルの時間 ヨハネ13章を読み、洗足を実際に行った場面 Nくん張り切ってます(^^♪

 ◎2019月3月24日・【窓 205号】

    『  もう一度 君に会いたい 』 

 

数日前の夜7時過ぎ頃。

 

「お預かりしていたパソコン修理が終わりました」という連絡が入り、教会から車で7分程のところにある大手家電量販店に出掛けた。

 

厳重に梱包された、かなり大きめの液晶画面をもつパソコンで、これはうっかりすると落としかねないなと思い、ガラガラと音のする手押しのかごに乗せ恐る恐る店外に運びだそうとしていた私。

 

はたからみると、だいぶ危なっかしいおじ(い)さんに見えたのだろう。

 

店内で目に入っていた高校二年生位とおぼしき背の高い青年が「持ちますよ」と言って近づいて来てくれた。

 

「あっ、ありがとう」と言いながら今度は自家用車の近くで、再び私はもたついた。ドアを開けるのに手間取ったのだった。

 

すると、先程の青年が再び、「お入れしましょう」と声を掛けてくれて、後部座席に置いてくれたのだった。あまりに親切なので「お店の人?」と聴くと、彼は笑顔で首を振り、自転車で爽やかに立ち去っていった。

 

彼はこの町に暮らして居るのだろうか。

 

ほんと、イイやつだよなと、何度思い出しても嬉しくなる。そしておじさんは、年甲斐もなく、オレも倣いたいな、と素朴に思うのだった。

 

迷惑を掛けないように、しなければなりませんが。(もり)

 


2019年3月17日 礼拝堂献花より
2019年3月17日 礼拝堂献花より

 ◎2018月3月17日・【窓 204号】

    『  召天後20年の〈伝道集会〉 』  

 

淑子(よしこ)さんが召されたのは1999年(平成11年)1月25日のこと。それから2ヶ月後の3月17日、ご主人の照夫さんが召されている。

 

半年程前、関西在住のご子息・Sさんから丁寧なご相談があり、3月16日(土)午前、20周年の記念会を礼拝堂で行った。

 

5年に一度の時を定められての記念会。故人やご遺族が相当意識をしていなければ、続けるのはむつかしいものだと思う。キリスト教は、法要はどうなっているのですか? 先祖を大事にしないのですか?等という声が聞こえてくることがあるので、お手本だと思う。

 

Sさんからのご依頼・相談のお手紙には、「私ども、クリスチャンは限られています。私たち夫婦は、集う者一同への〈伝道〉をと願っております」という意味の言葉が添えられていた。

 

記念会に仕えることは、牧師としていつも心を込めてなすことと思っているが、いつも以上に、確かな目標をもって準備を進めることが出来て感謝だった。さらには、当時の教会内の交わりや資料をひもとくことが出来たことも幸いだった。

 

その後、Sさんからは、お心のこもった感謝のお便りが届いた。こんなことばが添えられている。

 

**************

 

旭東教会を訪れるたびに、母が神さまと皆さまに守られて生き生きと信仰のはせ場を走りきった姿を思い描くことができ、信仰の先輩としての一面を見る思いがしております。

 

また、Hさんのご指摘通り、「照れ屋」の父をも教会の方々がやさしいお交わりの中に入れて下さって、「おじいちゃん、クリスマスに来たんよ」とうれしそうに見せてくれた写真には、礼拝堂の椅子に座る父の照れくさそうな姿が写っていました。

 

父が「**さんがお花を喜んでもらってくれた」と目を細めていたことも思い出します。ありがとうございます。

 

教会の方々にもどうぞよろしくお伝えくださいませ。お礼まで。

 

**************

 

少しでもお役に立てたのならば、こんな感謝なことはないのだが、伝道できたかどうかは、「ただ神のみが知る」のである。(もり)

 


2019年3月10日・受難節・レント第1主日の講壇
2019年3月10日・受難節・レント第1主日の講壇

   ◎2018月3月10 ・【 窓 203号

       『  あれは元年だった 』

 

1989年の早春、山手線巣鴨駅から徒歩7分の所にあった勤め先から六畳一間のアパートに帰ると、赤鉛筆を片手に必死になって読んでいた本があった。故・清水恵三先生著『イエスさまのたとえ話』だった。

 

夜間の神学校である日本聖書神学校への入学を志した私は、事務局で進められたのか、神学校で出会った福永先輩から教えられたのか、「過去問」を購入した。

 

おそるおそる過去問を開いてみると、新約聖書の試験には、「イエスの譬え」がかなり高い確率で出ることを知った。これは学ぶしかない、と思い、とある日曜日の午後、東京・銀座にある〈教文館〉というキリスト教書店に乗り込んだ(というか、不安げな顔で立ち寄った)。

 

おそらく、何時間も迷い悩んだ末、独習でも、辛うじてわかるような気がして購入した本が『イエスさまのたとえ話』と思う。

 

2年前の5月、教会の祈祷会での学びが『詩編』だけでは不足と考えた私。月に一度の割りで皆さんと読み始め、先日、めでたく読了した。

 

それにしても、『イエスさまのたとえ話』が、今でも自分には丁度良い、と感じるのは、いったい何を意味しているのだろう。

 

5月から元号が変わるが、献身後30年の時が流れている自分にふと気付いた。(もり)

 

 


◎2018月3月3 ・【 窓 202号

     『  落語と牧師と 』

 

休暇を頂き車で大阪へ。

 

コンビニのおにぎりをほおばりながら、上方落語の昼席公演を目指して、「天満天神繁昌亭(てんまてんじん はんじょうてい)」に滑り込んだ。

 

晩年クリスチャンになられたことで知られる、上方落語協会会長も務められた、〈露の五郎兵衛さん〉の直弟子と言われた、〈露の団六さん〉の噺も聴けた。

 

「あんたぁ、まだ、教会いってんのぉ」・「イエス」。

 

「あんたこそぉ、相変わらず仏(ぶつ)かいな」・「ほっとけー」。

 

ちなみに、露の五郎兵衛さんのキリスト者としての歩みは、『五郎は生涯未完成 ―芸と病気とイエスさま―』(発行:マナブックス、販売:いのちのことば社)に詳しい。わたしの大切な一冊だ。

 

**************

 

前半のトリでは、一年前に同じ場所で惚れ惚れと聴き入り、その存在を知った、私と同い年の〈笑福亭松喬(しょきょう)さん〉だった。

 

私にとっては、偶然とは思えぬ再会。

 

当時は、松喬襲名前の〈三喬〉さんだったが、以来、ABCラジオなどの番組で声を聴く度に、相当な勉強家であり実力者だと気付いた次第だった。

 

〈松喬さん〉、この度は『転宅』という演目を演じられた。

 

東京の噺家は「お妾さん」と言い換える「お手掛けさん」と「盗人(ぬすっと)」のやり取りを、ほのかな色気、とろろ汁のお椀をきゅーっと口に運んで聴衆の腹を空かせる芸ををきっちり30分。

 

まるで目の前に映画の情景が広がるようで、数日経った今でも、その場面が思い浮かぶのだから芸の奥深さに頭がさがるばかりだ。

 

講壇から語る牧師の説教もかくあるべし、と思う。(もり)


今年の会陽(えよう)の風景 A(株)さんの関係者の男衆です。右手奥がA(株)さんの社屋です。日本三大奇祭のひとつとされていますが、奇祭なんてことはありません。大切な伝統文化だなと思いますよ(^^♪
今年の会陽(えよう)の風景 A(株)さんの関係者の男衆です。右手奥がA(株)さんの社屋です。日本三大奇祭のひとつとされていますが、奇祭なんてことはありません。大切な伝統文化だなと思いますよ(^^♪

 ◎2018月2月24 ・【 窓 202号

 『 お隣A(株)さんから〈福〉来たる 』 

 

旭東教会役員会の3ヶ月ほど前からの継続課題に「A(株)さんの駐車場 日曜日使用の件」があった。

 

ひと先ずの結論は「牧師が時を見定め、打診に赴くことで一任」となっていた。

 

現在は、教会の駐車場数台の他、教会ホームページの中にも掲載しているが、100メートル程の所にある栗原医院(小児科)さんの駐車場に車を停めて来る方が多い。

 

しかし、そこからの距離に年齢に関わらず、歩くことの困難を覚える方や、それでなくとも「栗原医院の駐車場」と聞いて〈?〉と思われる新来会者のこと等を考えると、少しでも近くの駐車場確保は長年の課題で在り、高齢化が進む今日この頃では、急務だと思っていた。

 

とは言え、A(株)さんのへの打診は、なかなか難しいものだなと感じていたし、訪ねてみるとお留守だったり、言い出しにくい話でもあったのだ。

ところがである。

 

全く思いも寄らぬ形でその扉が開いたというとオーバーだろうか。

 

旭東教会がたつ町・西大寺名物・会陽の〈福男〉を祝福する【福受け式とその後の片付け】に関連し、今年の〈祝い主〉だったお隣のA(株)さんが、「この度は私共の配慮が・・・・・・」と丁寧なご挨拶に来て下さったのだ。

 

お出で下さったのは、東備支店の支店長さん、そして、本社の取締役さんだった。

 

ちなみに、岡山県の地元紙・山陽新聞には、当日のことが、こんな風に取りあげられていた。web siteからの内容を貼り付ける。

 

**************

 

【会陽祝い主・A(株)が福受け式】(Clickで山陽新聞へ)


西大寺会陽の祝い主、A(株)(岡山市南区西市)は17日未明、福男のグループを祝福する福受け式を、同社東備支店(同市東区西大寺中)で行った。

 

午前0時すぎ、宝木を手に寺坂グループのメンバーら約10人が到着すると、役員や従業員ら約100人が拍手で歓迎。西大寺観音院の坪井全広名誉住職が読経した後、宝木を厨子(ずし)に納め、福男に守護札の牛玉紙(ごおうし)を授けた。

 

M常務は行灯(あんどん)に「御福頂戴」と揮毫(きごう)。M社長はあいさつで、西大寺が同社創業の地であることに触れ「宝木に会社の発展を願い、これからも会陽を通じて町を盛り上げていきたい」と述べ、鏡割りや乾杯で福男をねぎらった。

 

**************

 

A(株)さんからの「この度は、本当に・・・」のご挨拶を受け、あれこれ穏やかにお話しているときに、私はふと、もしや「時は満ちたているのかも知れぬ」と感じて思いを定め、日曜日の駐車場の貸し出しについて、お二人に腹を割って相談することにした。

 

「実は、私たちの教会、毎月第二日曜日に、役員会を行っていますが、そこで、継続議案となっている課題があります。それが・・・・・・」

 

すると「どんなことでしょう。あぁ、駐車場ですか。もう、どうぞ遠慮なく、ご近所さまのお付き合いですから。賃料? とんでもない。遠慮なくお使い下さい。教会の使用とわかる標識を準備くださればそれで結構です」と快諾下さったのだった。

 

少しの迷いもない、即答だった。

 

双方が笑顔となり、全く思い掛けない展開となった。

 

わたしたち旭東教会にも、今年の会陽(えよう)の「祝い主・A(株)さん」から〈福音〉が届いた。何より、じいっと見守り続けて下さっていた神さまのみ手が差し伸べられた、としか思えない、本当に感謝な出来事である。

 

地元西大寺の一員として感謝しつつ共に歩ませて頂きたいと心から思う。(もり)

 

 


2月17日 森牧師が兼務する十文字平和教会の庭にて 見事な蝋梅(ろうばい)
2月17日 森牧師が兼務する十文字平和教会の庭にて 見事な蝋梅(ろうばい)

 ◎2018月2月17 ・【 窓 201号

    『 牧師のしあわせ 』

 

10日程前のことである。所用の帰り道、ちょっと立ち寄ることが出来た、八重子さん宅におじゃまし、久しぶりにコタツでぬくぬくしながらお話をしていた時に感動したことがある。

 

八重子さん、「せんせい、わたし、毎晩寝る前、(ジュニアサークルの時間に歌う)〈キリストの平和〉を手話をしながら歌っています。」と教えて下さったのだ。他にも、主の祈りを祈ると仰ったかも知れない。

 

《牧師冥利》というものがもしもあるとしたら、まさにその瞬間だった。

 

直後、いつもはゆっくりと行動される八重子さん、すっ、パッと立ち上がり、『讃美歌』を大事そうに抱えてもって来られた。聖書かなと思ったら違った。

 

八重子さんが開かれたのは470番の『やさしい目が』だった。「自分は教会で一番後ろかも知れないんですけど、この歌の歌詞のように、イエスさまについて歩こうと思うんです」と言われた。

 

『やさしい目が』にはこうある。

 

1
やさしい目が、きよらかな目が、
きょうもわたしを 見ていてくださる。
「まっすぐに あるきなさい」と
見ていてくださる。

 

2
大きな手が、あたたかい手が、
きょもわたしを 支えてくださる。
「はなれずに あるきなさい」と
支えてくだある

 

3
かぎりのない ひろい心が、
きょうもわたしを 守ってくださる。
「やすらかに あるきなさい」と
守ってくださる。

 

歌詞の下には、ルカによる福音書22章61節のイエスのまなざしを感じながら大泣きして大祭司の中庭から出ていくペトロの姿が指示されている。

 

聖書をひもとき、歌詞をこうやって味わうと楽しいですよと伝えた。

 

そして、心を込めて二人で歌った。

 

歌い終わってから、八重子さんが言うには、娘さんが関西から帰省されたとき、「歌ってもらえるかな」と言うと、「わたしは歌ったことがないなぁ」と言いながらギター片手に歌ってくれたものの、少し難しかったようだ。

 

失礼する直前、「八重子さん、あのねぇ、賛美歌は上手に歌えなくても大丈夫。一番から毎日一曲ずつ、歌詞をじっくりと読んで味わうだけでもいいんですよ」とお伝えした。

 

数日後、八重子さんから電話があった。

 

電話口から「…先生から教えていただいたとおり、賛美歌をはじめから読み始めています」と弾む声が聞こえた。(もり)

 


2月10日 十文字平和教会の布下満(画伯)さんをお招きして、約40年前の手作り紙芝居『くつやのマルチン』を上演。そのワンシーン。
2月10日 十文字平和教会の布下満(画伯)さんをお招きして、約40年前の手作り紙芝居『くつやのマルチン』を上演。そのワンシーン。

 ◎2018月2月10 ・【 窓 200号

    『 賛美歌の力 』

 

先週本欄でご紹介した十文字平和教会のTさん(先月召天)は賛美歌を深く愛する方でもあった。

 

礼拝後のお茶の時間(十文字平和教会では伝統的に「愛餐会」と呼んでいる)に、「森山良子さんはクリスチャンですかねぇ。私は彼女の賛美歌のCDを聴いて、歌に合わせてピアノを弾いています」とよく語っておられた。

 

ご主人を天に送られた奥さまは、今、そのCDを流してお過ごしだと電話口で言われた。

 

Tさんの青年時代に交流があった仙台北教会のオルガニストで、東北学院大学で宗教哲学を教えられた川端純四郎先生が居られた。川端先生、新約学者のブルトマンという一時代を築いた著名な先生の元で学ばれた稀有の日本の神学者のひとりだが、牧師ではない。

 

その川端先生が天に召されたのち、論文や講演が一冊の本にまとめられた『教会と戦争』(帯には「キリスト者の生き方」「論文・講演・エッセイ類から28編を精選」とある本)がある。題名はだいぶ固めだが、中身は多様で読みやすい。バッハからオルガニストの講習会でのお話も含まれる素晴らしい一冊なのだが、そこにこんなことが講演記録として記されている。

 

「自分は賛美歌も奏楽も素人だが、見様見真似(みようみまね)でここまで来ました。父も賛美歌に救われたとずっと言っていました」「賛美歌はもう一つの説教です」「賛美歌を上手く歌うとか関係ないのです」

 

これらの言葉。大いに刺激を受け教えられるものだ。十文字平和教会のTさんの死、葬儀のお世話を通じて、川端先生のご本を読み直したのだが、いいものはやっぱりいいな、と感じた次第だ。

 

私は旭東教会が胸を張れる豊かさの一つに、たかーい天井をもつ歴史ある礼拝堂に響き渡る賛美があるとずーっと思ってきた。4月以降の2019年度、なんとかこの長所を伸ばしたいものだ。

 

何しろ賛美歌が嫌いという方は少ない。無い物ねだりをするよりも、みんなの力が既に満ち満ちている賛美をきっかけにして、本当の意味で豊かな教会生活、礼拝を共に求めて行きたいと考えている。(もり)

 

 


2月3日 森牧師が兼務する十文字平和教会の講壇献花は、文中のT兄を記念して房子さんがささげられたもの。
2月3日 森牧師が兼務する十文字平和教会の講壇献花は、文中のT兄を記念して房子さんがささげられたもの。

 ◎2018月2月3 ・【 窓 199号

    『 シメオンの召天 』

 

1/29日(火)の朝、十文字平和教会でご一緒しているTさんのご家族から電話が入った。87歳のTさんが召されたとの知らせに驚いた。

 

Tさんは二週前の礼拝に出席。礼拝後のお茶の時間には、「先生から勧められた『リビングバイブル』を手にしましたが、よくわかりますね」と語っておられた。

 

というのも、「聖書をひとり読むのですが、むつかしいです。どうしたらいいんでしょう」と一度ならず仰っていたので、思いきって勧めてみたのが『リビングバイブル』だった。

 

どうかなと思って見守っていたところ、さっそく購入され、ご自宅で読んで下さっていたことがわかった時は、牧師の小さな幸せをかみ締める経験となった。

 

ご家族からの相談があり、ご家庭での静かなお別れの式を行うことになった。いわゆる家族葬だった。それも本当にお身内だけで行う葬儀に仕えさせて頂いた。

 

葬儀でルカ福音書2章25節以下を選び、式辞を語ることにした。

 

そこには、老シメオンが幼子イエスを腕に抱き締めた時、「主よ、今こそあなたは、お言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます。私はこの目であなたの救いを見たからです。」と讃美する姿がある。

 

これは言い換えれば、「私はいつ死んでも構いません。救いを見たからです」となるだろう。

 

T兄は大学で地形学を専攻され、ついには日本でも数少ない珊瑚礁の専門家としてご活躍された方だった。ご著書の後書きには、お若い頃から一本の道を求め哲学を学びたいと考えられていた記されていた。珊瑚礁を求めて、徳之島や奄美大島の平磯(ひらいそ)と呼ばれる珊瑚礁の海岸を歩くことと、聖書を読み信仰の道を求めることは別の事柄ではなかったのだ。

 

私は、賛美歌をこよなく愛するTさんが『リビングバイブル』によって「聖書がわかるようになった」と感じられたその時、イエスを確かにその胸に、人生の最後に抱き締められたのだと悟った。否、T兄はイエス・キリストによってしっかりと抱き締められたのだ。

 

きっと喜びに満ちて、穏やかに感謝の賛美歌を歌われていたことだろう。

 

救急車で病院に運ばれる前日まで、ご家族とスーパーマーケットで買い物されていたTさんは急逝されたかのように見えた。

 

しかし実はそうではなく、神さまに備えられていた時を穏やかに迎えられたのだ、と今は信じている。(もり)

 


1月27日の特別伝道礼拝で説教する森牧師 さて、二度打ちはどんな具合だったかな? YouTube・音声ブログで聴けます(^^♪
1月27日の特別伝道礼拝で説教する森牧師 さて、二度打ちはどんな具合だったかな? YouTube・音声ブログで聴けます(^^♪

 ◎2018月1月27 ・【 窓 198号

    『 落語の〈二度打ち〉と説教 』

 

一年程前になるが、本格的な上方落語を初めて目の前で見たのは〈繁昌亭(はんじょうてい)〉という大阪の寄席でのことだった。

 

関東では、もちろん、寄席にも行っていたし、旭東教会のある西大寺の雄神(おがみ)地区には桂米吉さんが公民館にやって来て毎年落語を聴かせてくれるので、これまで三度聴きにいっている。

 

繁昌亭のその日の〈とり〉は、「笑福亭松喬(しょきょう)」を襲名する直前の頃の「笑福亭三喬(さんきょう)」さんだった。たぶん、襲名披露のための、お囃子等との調子合わせも兼ねてのお稽古を兼ねた出番だったのではと思う。

 

その噺の旨さ、深さ、落語の世界の豊かさに心底驚かされたのを記憶している。感動した。当時のわたしは、松喬さんが上方落語の世界はもちろんのこと、関西方面では相当な人気者であることを知らなかった。

 

その後、あれこれ注意してアンテナを張っていると、ABCラジオの番組のパーソナリティーもしておられる松喬さんが居た。日曜日の朝は8時過ぎから毎週お出ましだし、先日は水曜夜の番組で、上方落語の言葉の世界の一端を聴かせてくれた。

 

上方落語は伝統芸能であり、その世界だけで使う独特の言葉が出てくること、その言葉を使う必然があることを語られた。そして上方落語を知らない人が多い場面では、「二度打ちしますねん」と言われた。

 

例えば「おまん」(=饅頭)や「おため」(=当座のお返し)は、即座に意味がわかるよう「二度打ち」するそうだ。他にも独特な言葉を口にされたと思う。

 

どうやら「二度打ち」とは、言葉の置き換えのことのようだ。

 

きょう1月27日は旭東教会の創立116周年を祝いつつも、同時に、特別伝道礼拝の日だ。

 

もしも、新来会者が与えられたならば、キリスト教にとって肝心かなめの一語「贖い(あがない)」をいきなり語るのはハードルが高いと私的には感じている。

 

わたしも「二度打ち」が必要だろう。(もり)

 

 


2/10 (日)に森牧師が兼務する十文字平和教会の満さんがやって来て、紙芝居を上演してくれます。今年で三回目。「くつやのマルチン」をファミリー礼拝でたのしみます(^^♪
2/10 (日)に森牧師が兼務する十文字平和教会の満さんがやって来て、紙芝居を上演してくれます。今年で三回目。「くつやのマルチン」をファミリー礼拝でたのしみます(^^♪

 ◎2018月1月20 ・【 窓 197号

    『 語ることの秘義 』

 

今週の題『語ることの秘義』は、正直なところ、なんとも格好良すぎなものだと思っている。

 

実はこれ、最近、偶然手にしていたく感動した『キリスト教図書総目録 2014年版』の「25周年記念号 巻頭エッセイ」のひとつ、若松栄輔さんの『読むことの秘義』の“もじり"である。

 

そこではCSルイスの代表作のひとつ『痛みの問題』(新教出版社刊)の前書きの最後の一行が引用されている。

 

わたしの【窓】欄の短文とどれほど関係があるかと言うと、表面的には一切無し、というのが実情である。

 

ただし、2019年1月20日の使徒言行録からの礼拝説教『手引きするのは誰ですか』には、根っこの所でだいぶ関係あり、と私的には考えているのだからややこしい。

 

若松さんが引用されたCSルイスの言葉をちょっと紹介しておこう。ルイスは1898年に生まれ、1963年に召されていった英国の小説家・英文学者で信徒である。あの『ナルニア国ものがたり』の原作者だ。

 

**************

 

ルイスはこう言っている。

 

【神学者には、わたしがどんなものを読んだか――というより、どんなわずかしか読んでいないか、すぐにわかると思います。】

 

それに続けてに、若松さんはこう言われている。

 

【ここにルイスの謙遜を読むのは十分ではない。むしろ、彼の「読む」ことをめぐる、ほとんどゆるがない自負を感じ取るべきなのだろう。・・・・・・彼が願ったのは、多くの言葉に出会うことではなく、魂の奥にとどく、真実のコトバとの邂逅だった。よろこばしき者が来訪するとき、出会いを成就させたいと願うなら、私たちはその場を離れず、静かに佇んでいかなくてはならない。ときに動かないことはもっとも積極的な営みとなる。】

 

以下、週報のミニコラムは、上に引用させて頂いた、若松栄輔さんの言葉やCSルイスの言葉とどれほど関係があるかと言うと、〈ない〉のだけど〈あるのです〉と記しておきたいと思う。

 

**************

 

月に一度、祈祷会で清水恵三先生のご著書を辿りながら、「イエスの譬え話」を学ぶ時間はいつも楽しい。清水先生の丁寧で深い講解にふれると、良い意味での溜め息が最後に出てしまう。

 

ただし、私は清水先生のご本を牧師室で一人孤独?に予習していても、よく分からないことも多く、時間切れで、祈祷会を行っている木曜の朝を迎えてしまうのだ。

 

「こりゃ、ぶっつけ本番だな」というのに近い状況の中、祈祷会の出席者の前で、立ち止まっては解説し、横道にそれているうちに、はたと気付くことが出てくるのだ。そして、やっぱり皆で学ぶというのは素晴らしいことだな、有り難いことだな、学ぶとはこういうことか、といつも思う。

 

先日、朝の祈祷会の時間には見えていなかったことを、夜の祈祷会ではかなり明確に語ることが出来た。

ルカ福音書13章の「イチジクの譬え」で、聖書に文字としては記されていないイエスの言葉が、すくと立ち上がって見えたのだ。

 

それは、「もし、それでもだめなら〈私=イエスを、十字架の上で〉切り倒してください」という主の愛の言葉だった。

 

〈私=イエスを、十字架の上で〉は見えないけれど見え、語るようにと促されたと言うのはオーバーだろうか。

 

わたしの牧師としての〈つとめ〉は、読むこと、聴くこと、触れること、そして、何気ない日常のすべてが統合されて、語ることに結び付いているのだろうなと思う。(もり)

 


1/27 (日)は教会創立116周年記念日の日曜日。そして、森牧師が講師を務める〈特別伝道礼拝〉ということで、先ずは教会の皆さんに光代さんがアピール。スケッチブックが大活躍 (^^♪
1/27 (日)は教会創立116周年記念日の日曜日。そして、森牧師が講師を務める〈特別伝道礼拝〉ということで、先ずは教会の皆さんに光代さんがアピール。スケッチブックが大活躍 (^^♪

 ◎2018月1月13 ・【 窓 196号

  『 「そうだよなぁ」と思いつつ 』

 

「スペインに巡礼旅行に出掛けていました」という言葉が手書きで添えられていた同労の友からの年賀。

 

一度読んだだけで深く心に残り、思い起こしては反芻(はんすう)した。印刷文の方には、「自分にしか出来ないことを大切にしたいと思っています」という意味のことも記されていたからだろうか。

 

その友は、真に開かれた教会形成をと願い、あるところで懸命に開拓伝道に取り組み、〈LGBT〉の働きにも努力して関わって来た人。

 

今は(おそらく熟考と祈りの末に)教会という場を離れ、賜物をさらに生かす道を歩み始めていて、すごいなぁと思っている。

 

「自分にしか出来ないこと」。

 

じつは、その言葉を私自身に当てはめると、正直なところ、少し落ちこむような気もする。

 

なぜなら、今の私に出来ることは、牧師として、〈ごく普通の働きを、日々、コツコツと続けているに過ぎない〉からだろうと思う。

 

だが、同時に、「それでも、俺も、自分にしか出来ないこと」をしているのかなぁ、と思ったりもするし、そう思いたいと感じている自分が居ることに気が付く。

 

小学二年生頃だろうか。

 

「ぼくは おもちを五こ たべました」などと、大きな字で書き、競いあっていた年賀状がなぜか懐かしくなった。(もり)

 

 


2018年12月24日(月)のクリスマスイヴ礼拝にて 前週の窓の写真と見くらべて下さると、その変化もたのしいかも知れません(^^♪
2018年12月24日(月)のクリスマスイヴ礼拝にて 前週の窓の写真と見くらべて下さると、その変化もたのしいかも知れません(^^♪

 ◎2018月12月23 ・【 窓 193号

    『 祈りの宝箱 』

 

12月20日(木)の祈祷会の時間には「クリスマスを歌おう」。同じく13日(木)には「アドヴェントを歌おう」という会を行った。今年で3回目だ。旭東教会の恒例となってきたが、いずれもとても良い時間だったと感じている。

 

同様の会を行っている教会があるのだろうか?とふと思うことがあるが、この会は、「どこかの教会でやっていることを学んで来て似たような会を始めました」ということではない。少し自慢げに言うならば、「エッヘン、オリジナルなんですよ」ということになる。

 

とは言え、気まぐれで好きな賛美歌を歌うということをしているわけではない。限られた時間の中でアドヴェント・クリスマスの賛美歌を歌うための準備は必要だ。

 

特に、本としての賛美歌集の中の分類を超えたところに隠されているものを探し当てるのは何とも言えない喜びであり楽しみでもある。

 

それにしても、賛美歌の「歌詞」を皆でゆっくり読んで味わったり、紹介してから歌ったり、関連の聖書箇所を開いてみると、多くの学びや気付きがあることを今年も再認識した。

 

私はお祈りをする時に賛美歌の歌詞を参考にしながら祈ることがある。それは、神学校の時代に礼拝学やキリスト教教育を講義して下さった今橋朗先生が、「祈祷書としての賛美歌」ということを時々口にされていたことにも通じている。

 

先日の「クリスマスを歌おう」の夜の部でそのことを告げてから実際にお祈りしてみた。元来、賛美歌の歌詞は言葉が吟味されているものだから、歌詞を元に祈ることで、祈りがとても豊かになっていくのが参加者には伝わったのではと思う。

 

そう言えば朝の部では、「この賛美歌の歌詞をつなぎ合わせて、少し言葉を変えていくと、クリスマスのメッセージ=説教になりますね」とも語った。

 

自分自身を顧みても、祈りに〈賛美〉や〈悔い改め〉の言葉が少ないことに気付かされることが多いので、お祈りの本としての賛美歌は、誰にもお薦め出来る。正に太鼓判を押せるものなのである。(もり)

 


2018年12月16日(日)旭東教会のアドヴェントクランツです。第三のロウソクも灯されて、降誕日が近づいて来た。
2018年12月16日(日)旭東教会のアドヴェントクランツです。第三のロウソクも灯されて、降誕日が近づいて来た。

 ◎2018月12月16 ・【 窓 192号

    『 インド再訪 』

 

先日、37年振りにインドを旅する時間をもてた。

 

と言っても、『ガンジスに還る』(原題「HOTEL SALVATION」)という映画の中の話である。

 

当時は恐い物知らずで、大きなリュックを背負い、一泊200円程を払い、寝袋で寝ていた。飛行場のロビーでも眠れたのが今では信じられない。

 

故郷大分の母からは、マラリア予防の薬ほか夏みかんの箱の小包で送られて来たのを思い出す。

 

余談ながら、当時は、国鉄の駅留めという荷物の受け取り方があって、武蔵小金井駅(その頃、東京都府中市に住んでいて最寄り駅だった)によく出掛けたことを思い出す。まだ、宅配便というシステムがよちよち歩きの頃なのだと思う。

 

映画『ガンジスに還る』の舞台はインド北東部にある「バラナシ」(英語読みでは「ベナレス」)という町の現在だ。そこはヒンズー教の聖地として知られる。

 

主人公の父は75歳で死期を悟り、働き盛りのサラリーマンの息子を無理矢理そこに連れて死を待つ為の宿にやって来る。そこが原題での「HOTEL SALVATION」という設定だった。

 

私がバラナシを訪ねた時に泊まった「久美子の家」という民宿のようなゲストハウスは、現在も存在するようで、Wikipedia・ウィキペディアでも検索できて、懐かしい。

 

以下、Wikipediaより少し引用
【1977年頃に26歳でインド人と結婚し、インドに渡ったガンゴパダヤイ久美子が、1982年頃にバラナシのガンジス川に面する3階建ての自宅を改修し、安宿として開業。現在も一泊100ルピーの安価な相部屋のゲストハウスとして国内外のバックパッカーに知られた存在。・・・・・・】(引用おわり)

 

私が21歳の時、ガンジス川のほとりに立って感じたことがある。それは、1㎜の誇張もなく心底ガーンと来て目が覚めるおもいをしたのだが、火葬がなされるそのすぐ横で、人々は歓喜に満ちて沐浴し、ガンジスの水を喜んで飲み、感謝を捧げる光景だった。

 

映画を通じてではあるが、バラナシは今も全く変わらなかった。映像に映し出される、りきしゃが行き交い、アンバサダーというタクシー専用車の天上に荷物を載せる光景も、男たちがのんびりと昼間から座り込んで話し込む姿も、本当に変わらない。

 

日本各地のこの40年近くの変わりようと、全く違うことにある主のカルチャーショックすら覚えた。

 

死を前にして父は息子に言う。映画の中のアクセントとして使われていた携帯電話を指差しながら「食事中くらい携帯を切れ」と。

 

その一方で、「私は長年、お前を自分のものだと思ってきた」と語り、生きるとは何であるか、死ぬとはどういうことかを、哲学させてくれたのだった。

 

『ガンジスに還る』を観に行って、映画のよさを再認識した時間となった。感謝。end

 

【追伸】

 これまた余談になるが、インドの、どの町だったか。映画館に入り大興奮したことが懐かしい。観客は、スクリーンのヒーローたちに拍手喝采し、笛を吹き、歌っていた。いまだかつて、日本ではそのような映画館を見たことがないし経験していない。

 このような映画館での光景も、おそらく何の変わりもなく今も続いているのがインドという国であり、これからも変わらないと思う。猛烈な下痢が襲って来る恐怖がなければ、もう一度行ってみたいところだ。(もり)

 

 


2018年12月2日(日)待降節・アドヴェント第1主日を迎えた旭東教会の玄関先で クリッペが大好きな八重子さんと共に
2018年12月2日(日)待降節・アドヴェント第1主日を迎えた旭東教会の玄関先で クリッペが大好きな八重子さんと共に

 ◎2018月12月2 ・【 窓 190号

    『 交換講壇のお昼に 』

 

11月25日(日)は鳥取県の倉吉市にある倉吉上井教会に交換講壇で出掛けた。奥田望牧師が牧会される教会だ。

 

礼拝後には、わたし自身が自己紹介を兼ねて説教の中で語った、B型肝炎による闘病生活や居場所が与えられての信仰の喜び・受洗について前向きに応答して下さって、実は、わたしの弟が・・・とお話下さる方も居られ、有り難いことだと思った。

 

「お昼はお弁当です」と事前にお聞きしていたので、以前、東中国教区の会議で伺った時のおいしい〈あのお弁当〉かなと期待してしていたところ、今回は〈スシロー〉という回転寿司屋さんの9種類のネタ入り〈海鮮ちらし〉だった。スシローに走られたTさん曰わく「倉吉で20人も並んで待っているお店は初めてですよ」と皆さんに報告された。

 

実はこの回転寿司屋さんのちらし寿司という割り切り方が、私にとっては本当に良かった。というのも、あまり準備に力がこもりすぎているのも申し訳ない気持ちになることも少なくないからだ。私達の教会でも大いに参考になることだなと感じた。

 

さらに、お味噌汁もチューブをしぼりお湯を注ぐものであることも嬉しかった。このチューブのお味噌をしぼって頂くお味噌汁。これは、私が東京の銀座教会の神学生の頃、早天祈祷会後の朝食と同じ仕方なのだ。何か懐かしさを感じて、ひそかに心が弾んでいた。

 

迎えて下さった方の中には銀座教会の礼拝に出席されたことのあるご夫妻も居られた。

 

お昼ご飯会話が弾む中、一人の方が、お帰りになった求道者の言葉を伝えて下さった。

 

「私のために、奥田牧師が森牧師にあらかじめ相談して、こういう人が居るから、こんなお話をして下さいとお願いしていたのですか?と言われたんですよ。」と。

 

さてさて、〈真相はいか〉にと言うまでもなく、そんなことはあり得ない。何より、その求道者の方が、心のそこからみ言葉を求めるこころを持っておられたのだなぁ、と感じた。

 

それにしても、神さまは不思議な働きをなさる方だとあらためて知った。何とも言えない感謝の余韻の残る交換講壇となった。いや、交換講壇には必ず何かしらのドラマがあるような気がする。神さまが準備された物語が。

 

いつかまた、倉吉上井教会の礼拝におじゃましたいと思う。(もり)

 

 


2018年11月25日(日)交換講壇で訪れた、鳥取県倉吉市・倉吉上井教会の礼拝にて
2018年11月25日(日)交換講壇で訪れた、鳥取県倉吉市・倉吉上井教会の礼拝にて

 ◎2018月11月25 ・【 窓 189号

     『 新潟県 妙高市より 』

 

かつて、新潟県上越市の高田教会時代に兼務していた新井教会。雪の重みで会堂からミシミシと音がするような豪雪地帯にある。

 

その新井教会の昭和2年・元日生まれの〈Kさん〉より便箋でお便りを頂いた。

 

少し前に、『み言葉余滴』と共に教会報『緑の牧場』をお送りしての応答。

 

かたじけない言葉に力を頂き、何度も読み返した。

 

「『緑の牧場』巻頭随想より『バルトと蕎麦(そば)の花』を知りすぐに取り寄せました・・・信濃村伝道所と影山讓先生の話から、当時、信濃村におられた〈清水恵三牧師〉により新井伝道をつなげて頂いた時の事を思い出します。主日礼拝に誰一人見えず、牧師と二人の時、私が自転車で礼拝に来る様、声をかけて廻った時もありました。今にして思うと、これも神の摂理であったと感謝しています。このことから、清水恵三牧師の本を求め、今回は『近づきたもうキリスト』『辺境の教会』・・・を手に入れることが出来ました。今、読み続けています。ありがとう」

 

〈Kさん〉とは大喧嘩してしまい、ご自宅に、ある日の夕刻、日本酒を片手にもって詫びを入れにいったりした思い出もある。

 

さいごに〈Kさん〉「森 言一郎牧師の伝道手段として、わたしは高く評価し、感謝しています」と記して下さり、「主の御名により感謝し アーメン 2018年11月19日 K 」で締めくくられた。

 

昭和2年と言えば、今は亡きわが父・誠太郎と同じ歳である。元気でいて頂きたいと心から思う。ありがとうございます。(もり)

 


2018年11月11日(日)秋のファミリー礼拝を兼ねた子ども祝福礼拝の献花と講壇
2018年11月11日(日)秋のファミリー礼拝を兼ねた子ども祝福礼拝の献花と講壇

 ◎2018月11月11 ・【 窓 187号

  『 2018年 聖徒の日を終えて 』

 

今月、わたしは58歳の誕生日を迎える。

 

わたしの母が亡くなった時の年齢は52歳。7年程の闘病生活を経てのことだった。姉は41歳と更に若い。育ち盛りの男の子をふたり残して無念だったと思う。姉も、母と同じ位の間、病と闘い、計り知れない苦悩があったのだろう。

 

「ついで」と言ってはなんだが、父は70歳で召された。今考えると、みんな早く逝ったのだなぁと気付く。

 

母や姉たちにとって、「もう少しだけ時間を」という思いがあってしかるべきだったことを考えると、「言ちゃん、あなた、わたしたちの分もしっかり頑張りなさい」と言われているような気もする。

 

**************

 

作家の伊集院静(いじゅういん しずか)さんが一年程前、わたしが愛聴している大阪ABCラジオの道上洋三さんの朝の番組にゲスト出演された時にこう言われた。

 

「いつ終わってもいい人生を生きる」

 

それは、さり気なかったけれど、確信をもって語っておられた言葉だった。

 

伊集院さん、本当のことしか書かない、言わない方。そして、誰に対してもぶれない。だからこそ信頼できるなといつも思っている方だ。

 

**************

 

過日、天に召され行った樹木希林さんを追悼する言葉を毎日新聞の〈新・心のサプリ〉に記されていた海原純子(うみはら じゅんこ)さん。

 

「死を見つめ 丁寧に生きる」というエッセイでこう言われる。

 

【先日なくなった樹木希林さん・・・・・・・がんの治療と仕事の他によくここまで丁寧になさっていたなぁ、と感じた。「丁寧に生きる」。その言葉が最もふさわしいと思ったが、その生き方の根底にあるのは、「死をみつめデッドラインに気付く」ことにあったのではないだろうか。】

 

【死を見つめる生き方は、残された時間を十分に活かし生きることを可能にする。〆切というのは、本当に大切だ。・・・・・・人生の〆切を意識してしたいことを明確にしてみると、時間が豊かになるような気がした】

 

*いずれも、2018年10月7日(日)号

 

**************

 

先日、11月8日(木)夜の祈祷会。

 

マタイによる福音書25章14節以下の「タラントンのたとえ」を清水恵三先生のご本をもとに学ぶ時間をもったのだが、その際わたしは、「これが最後の礼拝になるかも知れない、という緊張感は大切ですよね」と語っていた。

 

聖徒の日、信仰の先達達の写真と共に、家族の写真も礼拝堂に置かせて頂いたことは、こんな思いを紡がせてくれたように思う。(もり)

 


2018年11月4日(日)の午後 教会墓地で行った墓前の祈りで賛美した賛美歌 秋空の陽射しが楽譜に美しく射し込んでいる
2018年11月4日(日)の午後 教会墓地で行った墓前の祈りで賛美した賛美歌 秋空の陽射しが楽譜に美しく射し込んでいる

 ◎2018月11月4 ・【 窓 186号

  『 お祈りはいたしません 』

 

2ヵ月に一度の「グリーフケアの集い」。「布教・宣教」はしないことを掲げ、教会ホームページにもその存在を知らせコツコツと続けている。

 

「グリーフケアとはなんですか」と言われれば、死別のみならず、人生途上の様々な悲嘆を抱える方(ペットロス、転職、引っ越し、病気による喪失など領域は幅広い)、寄り添いを続けている方の為にコツコツと続けている会ということになると思う。

 

先週水曜の朝は6名が参加されたが、半数は教会員以外の方だった。

 

お一人は、教会員の中学生時代の同級生が参加して居られ、これもまた奇遇というか、神さまのお導きとしか思えない。

 

少し遅めに集会室に入って行くと、ステンドグラスの近くに居られたUさん。私を見るなり「5回連続で来ました」と照れながら挨拶して下さる。さらに「YouTubeで礼拝みましたよ」と声掛けして下さった。

 

様々推測すると、礼拝や祈祷会にお出でになるのはハードルが高いと感じたUさんを想いつつYouTubeによる礼拝・祈祷会の配信準備をして来たので、心底嬉しかった。そしてまだ、試験配信中だが、手応えを感じた。

 

9月に茨城県からお迎えした飯塚拓也先生が礼拝と午後からの講演を終えたあと、ジュニアサークルのスタッフたちとの懇談をしていたとき、「この部屋はいいですねぇ。色んな可能性がありますよ」と言われていたことも思う。

 

2回目になる参加者有志(今回は全員参加)での昼食は150円のパンと紅茶だった。朝、コンビニで買ってきたパンと差入れの柿などみんなで分け合って頂くだけなのにとても美味しい。程よい人数であることも深く関係しているかも知れない。

 

昼食が終わると、Uさん「よー聴いてもらったぁー」と呟きながら教会を後にされた。足取りは私には少し軽く見えた。

 

次回は12月26日(水)、クリスマスの翌日である。朝10時と夜7時半から行っている。(もり)

 


「もったいない言葉」をくださった〈M子さん〉を送る
「もったいない言葉」をくださった〈M子さん〉を送る

◎2018月10月21 ・【 窓 184号

 『 もったいない言葉です 』

 

大正13年(*1924年)生まれのM子さん。94歳で天国へ帰られた。〈前夜の祈り〉の後、その時に集うことが出来たお子さん・お孫さん・ひ孫さん計14名と小一時間を過ごした。

 

予想していたよりも遥かに多い方たちが集まられたことで、お話の聴き方を急きょ予定変更。

 

「おばあちゃんの素晴らしいところを、ひと言書き込んで教えてください」と部屋にあったメモ用紙を渡して1分後に回収した。

 

無記名としたので、「これは誰が書かれた言葉かな」と私が読み上げ、手を挙げていただき、少し言葉を添えてお話していただくことを繰り返した。

 

「ファイトばかりの人でした」「何事にも積極的で前向きな人生」とは晩年の30年程をご一緒されたご家族お二人の言葉だった。もうそれだけでも、M子さんという方がどのような生き方をされたのかが浮かび上がる。

 

告別式の朝、式辞の準備をしつつ、あれこれを思い巡らす中で、旭東教会の教会員の方々何名かに「どんな思い出をお持ちですか」と電話して備えた。

 

「厳しくも優しい方でした」

 

「今の私があるのはM子さんの存在」

 

「5分あるとしたら、あと5分しかないではなく、まだ5分あるじゃないと言われる方」

 

「35年前に先にご主人が先に召されました。献体されるということで、ご主人をご自宅から見送られるとき、〈あなたあ、天国で会いましょうねぇ〉とずーっと手を振り続けて居られたのを忘れられません。天国への期待する信仰をしっかりともって居られる方だ思っていました」

 

等のお声を聴けた。

 

いずれも、そのまま式辞で紹介したわけではないけれど、本当の意味での家族葬だったがゆえに、わたしは教会の皆さんの思いを抱きながら葬儀に臨みたかった。

 

晩年、聴力が弱られていたM子さん。耳元で話し掛けてもようやく何かを聴き取られる位だったと思う。それでも、教会備え付けの補聴器を使うことなく礼拝出席を続けられた。当然、わたしは説教が聞こえていないことを知っていた。

 

ある日「いいんですか」と訊ねると「先生の顔が見えればねぇ」とほほ笑まれた。

 

確かに、M子さんは、いつも講壇の方をじいっと見上げたまま、いつもそこに居られたのだ。私も支えて頂きました。ただ感謝あるのみ。(もり)

 

 

 


10月14日(日) 兼務する十文字平和教会 Hさんが撮影された「あきあかね=赤とんぼ」
10月14日(日) 兼務する十文字平和教会 Hさんが撮影された「あきあかね=赤とんぼ」

◎2018月10月14 ・ 【 窓 183号

     『 みんなで伝道 』

 

お隣の教会・西大寺キリスト教会の赤江牧師が来会された。

 

「終活です」と手渡して下さった先生のご本『聖書信仰に基づく教会形成 西大寺キリスト教会の歩みを一例として』を読ませて頂いたのち、我が身を振り返る時間があった。

 

ご著書の終盤、「長屋の教会から取り組んできたこと」の項に〈心がけて来た牧師像〉として「頼もしいお父ちゃん・面倒見のよい親分・月光仮面・面白くて一緒にいたい・謙遜な祈りの人を心がけて来た」とある。

 

さすが、赤江先生だと深く教えられながらも、何かを比較してしまう自分に気が付き少し気持ちが落ちてしまったが、気を取り直して?スイッチを入れ直す。

 

先週の礼拝説教でのこと。数分の間だが、私は会衆席にマイクを渡した。何を目指していたのかは礼拝報告時にひと言触れたのだが、その復習(おさらい)です。

 

あのひと時の究極の目標、それは〈皆さんの伝道力の引き出し〉にありました。

 

今週は「信徒伝道週間」。(もり)

 

 


9月30日(日)礼拝堂前方のスクリーンを指すときに使用する自家製の〈指差し棒〉ですが、この日からバージョンup。長くなりました。
9月30日(日)礼拝堂前方のスクリーンを指すときに使用する自家製の〈指差し棒〉ですが、この日からバージョンup。長くなりました。

◎2018月9月30 ・ 【 窓 181号

 『 老舗菓子店 喫茶ルームにて 』

 

先週の水曜(9/26)、夏期休暇を利用し、お世話になっていたにも関わらず、ご無沙汰してしまってい先輩牧師を〈関西〉に訪ねた。

 

昼過ぎには到着してご一緒に遅めの昼食のつもりが、2号線も山陽道も事故のため渋滞。なかなか目的地に着かず、J先輩からは幾度も携帯に電話が入った。待っていて下さることが、じわっと伝わって来た。

 

龍野西インター付近で見つけた焼き肉のお店のランチがお値段のわりにかなり上質で息抜きになったのは幸いだった。

 

J先輩からは、ある駅付近を指定されたのだが、その駅が地下にあるとは関西音痴のわたしは露知らず、さらにまた、目的地付近でご一緒するのに時間がかなり必要となった。

 

駐車場を探し、良く知られる商店街をぶらぶらと歩きながら案内して下さったのは、神学者にして医師であったS博士も愛したお菓子で知られる老舗喫茶ルームだった。

 

既に午後3時を過ぎていたと思うが、2階の喫茶ルームは程よく空いていて、こちらにとっては好都合。話が弾み始めた。

 

J先輩は、牧会の第一線を離れられて数年が経つ恩師とも言える方。年賀状の交換程度は続けていたが、いったいどうしておられるのか伺っていなかった。いや、うかがえなかったというのが本当だった。

 

この日、J先輩から伺ったお話は、わたしが想像していたのとは全く異なる日常だった。

 

「家内の体調が悪くてね、今ねぇ、僕、主夫してます。一日三食の準備があるから、遠くには行けないんです。今日は」。その言葉に耳を疑ったが、こちらは驚きながらも少し平静を装った。奥さまのために日々介護状態とは露知らなかった。

 

もっともJ先輩は奥さま共々、ある教会の会員となってお過ごしのご事情もお話下さった。そうかぁ、そういうことかとわたしは自分を納得させる自問自答を続けていた。J先輩が近況をお話できるようになったのも、一定の時間が経過したからではないか、と思ったりもした。

 

先輩と初めて出会った時、末っ子さんは幼稚園の年長さんだったはず。今は成田空港でのお仕事に就かれていると聴いた。時の流れは何とはやいものだろう。

 

先週だったか、わたしは伝道の現場に経って中間地点に居るとしたら、あと25年、83歳迄は牧会の現場を目指したい、等とこの『窓』欄に記したのだが、複雑な気持ちになった。

 

やっぱり、何があるのか分からないのが人生。そんな思いを抱かざるを得なかった。伊集院静氏が、〈いつ終わってもいい人生を生きよ〉と言われているが、そんなことも思うひとときとなった。

 

ご馳走して下さった喫茶ルームはまことに居心地がよく、「もり先生、つよくなったわぁ」などと少し真顔で言われ恐縮。わたしも、「先生、ぼく、辛酸なめ尽くしてますが、無駄なことはひとつもありませんでした」と真顔で応えていた。

 

話の流れの中で、「僕、近かったら森先生の教会行くのになぁ」とこれ以上ない励ましの言葉を頂いた。

旭東教会で履物のまま会堂に入れるようにしたこと、車椅子でも従来以上に快適に安心してトイレに入れるようになったこともお伝えしたが、J先輩にとっては、お連れ合いと共に礼拝に出掛ける時、とっても安心材料だからだと思った次第である。

 

またお訪ねしたい人、場所が与えられ心から感謝。(もり)

 

 


9月9日(日)お昼からの恵老祝福愛餐会の終了後、今年はじめて恵老対象者としお迎えした八重子さんをhugする寿子さんが居られました。
9月9日(日)お昼からの恵老祝福愛餐会の終了後、今年はじめて恵老対象者としお迎えした八重子さんをhugする寿子さんが居られました。

◎2018月9月9 ・ 【 窓 178号

    『 独学より共学 』

 

敬愛する清水恵三牧師(1931~1987)が書かれた『イエスさまのたとえ話』(YMCA同盟出版・絶版 そう分厚い本ではありません、念のため)を月に一度、祈祷会で読んでいる。読み進む中で深く思うことがある。

 

それは、このご著書が聖書の決してやさしくない譬え話を、奥深く、豊かに説き明かす名著だということ。

 

三鷹教会で牧会しつつ、農村伝道神学校の責任を負われたこともある清水先生の力が満ち満ちている50代前半に、いわゆる神学をわきまえながら講解を進めるその手腕には、オーバーではなく驚嘆する。

 

むつかしいことを〈専門家〉だけがわかれば良いように記すことは普通のことだと思うからだ。

 

この『イエスさまのたとえ話』を初めて手にしたのは、1989年の春、母校日本聖書神学校の入学試験に備えるために、東京銀座の教文館3階・キリスト教書専門店の棚の前に立ったときだった。

 

「過去問題集」を手にしてみると、どうやら、イエスの譬え話はしばしば出題されているようだと分かり、助けになりそうな本を探したのだった。とは言え、その時に参考にできたのは18ある講解のうちの半分に満たなかった。

 

旭東教会の祈祷会で取りあげた切っ掛けは、詩編のわたしによる講解も一定の意味があるとは言え、ずーっと詩編だけを読み続けるのはトータルで考えるといかがなものか、と考えたからだった。もちろん、わたしも時には違うことを学びたかった。

 

しかし、恥ずかしくも、いい加減なことを正直に言うと、講解する立場で予習をしていても半分も頭に入ってこないことがある。先日も「第14講  やもめと裁判官」を前日に読み直して見たものの、どうもぴんとこない。いわば、ぶっつけ本番のような朝を迎えてしまった。

 

ところが、不思議なことが起こる。

 

というよりもしばしば経験してきた事なのだが、皆さんに読み聞かせながら立ち止まり、小さな気付きを思い巡らして語っていると、何かが急に見えてくる瞬間が来るのだ。

 

つまり、私はよく分かったから皆さんに話せるのではなく、一緒に学ぶからこそ何かが感じられるし、なーるほど、そういうことかと納得できるのだった。

 

独学も意義深いし、楽しいものだと思う。しかし、共に学ぶ喜びと秘儀がここにある。思いがけない質問が結果として皆のためになることも多い。だから、月に一度のこの学びは当分やめられそうにない。

 

そう言えば、8月の下旬、神学校の卒業生研修会に参加した際、夜だいぶ遅くまでみんなで語らいの時を持っているとき、ある方が清水恵三先生に関連して嬉しい話をしてくださった。

 

「今の自分の説教の理想は、清水恵三先生なんです」とハッキリとおっしゃった。

 

これまた、我々の祈祷会の学びを継続させていく上で大いに勇気づけられる言葉だった。「そうなんだ、やっぱりそうなのだ」と励まされた次第である。

 

清水先生の実際のお声や語り口は想像しかできないけれど、それはそれで未知のままでいることも良いことなのかも知れないと思っている。(もり)

 

 

 


8月5日(日)の礼拝堂献花です。歴史ある講壇の柱とあいまって今週も素晴らしい。夏ですね。
8月5日(日)の礼拝堂献花です。歴史ある講壇の柱とあいまって今週も素晴らしい。夏ですね。

◎2018月8月5 ・ 【 窓 173号

    『 餃子の王将にて 』

 

時に出掛けることがある〈餃子の王将〉という庶民に味方の中華料理の店がある。

 

東岡山店であるとか、岡山京山店には行くことがあったが、先日の昼、初めて岡山市中区の平井店に入りカウンターに座った。

 

同じ〈王将〉の中でも平井店の店内は格段に綺麗で好印象だ。

 

カウンター越しの2㍍前方には注文を一括采配する店長の後ろ姿。

 

厨房の仕事は細分化され、餃子担当、鍋を振る人、麺類担当等、全体の動きがほぼ丸見えである。

 

皆さん忙しくというか本当に、こんなに忙しくて、あまりにハードなのでは、とこちらが心配になる。それ程人気店の模様。

 

斜め左で展開する電話注文の受け答えも素晴らしい。なる程、来客が絶えないわけだ。

 

        **************

 

そんな中、私は、思わず食すのも忘れる40分弱が2㍍先で続いた。店長さん、餃子の焼き具合を見て「焦げた餃子は出さない!」と少しの容赦もない。

 

一度のことではなく、少なくとも4度は職人さんにダメを出しをした。そして、即廃棄。しかも、餃子担当の職人さん、本当に顔色一つ変えずに、黙々と餃子を焼き続ける。

 

その一部始終を、実は、わたしに見えているだけでなく、他の職人さんなり、アルバイトの方たちも全て知っているのだった。つまり、他の担当の方たちも、明日は我が身の可能性があることを知っているのだ

 

余所(よそ)なら構わず客席に運ばれたり、お土産に使うのならばこの程度大丈夫、OKなのにと私には見えたが、プロの仕事の厳しさを見た。

 

「餃子の王将」との看板を掲げるプライドだけでなく、社長さんを筆頭にしての徹底的にやりなさい、という指示があるのか。それとも、店長さんが心を鬼にして厳しく新人を鍛えているのだろうか。

 

        **************

 

かつて、神学生を夏期伝道実習に迎え入れていた頃(5年連続で迎えた時期もある)、私は「プロの牧師になろうよ」という意味の声掛けを実習にお出でになった方々に話していたことがある。

 

今では赤面ものだが、その当時は真面目にそう思っていたし、一所懸命に伝えたものだ。

 

さて我々は、現在の教会生活の中で「餃子の王将」で垣間見たような厳しさをもっているだろうか。そんなもの要らないとも言える。

 

だが、大事なことを突き付けられたように思うのも事実なのである。また、あのカウンターに座って餃子を食べたいと思う。王将ラーメンも美味しいですが!(もり)

 


7月29日(日)の礼拝堂献花より。うつくしい、本当にそう思います。
7月29日(日)の礼拝堂献花より。うつくしい、本当にそう思います。

◎2018月7月29 ・ 【 窓 172号

    『 ロボコン 』

 

外履きのまま教会で過ごせるようになってから早いもので一年が過ぎた。

 

あの時思いきって購入した「ロボットクリーナー(愛称:ロボコン)」(ダスキンさんが取り扱う〈Panasonic製〉)には教会の掃除をする上で大いに助けられている。

 

いわゆる、〈土足解禁〉を教会の皆さんに始めましょうよ、と提案した言い出しっぺとしては、なんとしてもこれまで以上に教会内が美しく、しかも、お掃除当番の方々の負担増がないように、と願っていたのだった。

 

何しろ、創立115年目にしての大変革?だった。

 

実は、ロボコンが活躍するためには人の手が様々に掛かる。

 

いきなり彼に働いてもらうのでは負担が大きすぎるし、彼の得意分野が生かされない結果になりかねないのである。

 

下準備というのか、一応のモップ掛けやクイックルワイパー系のものを使って掃除をする。そして、それからあとの、細かなところをロボコンに助けてもらっている。

 

したがって、ロボコンが働きやすい環境をつくるために、応援部隊の目立たないところでの奉仕、例えば〈椅子〉や〈ゴミ箱〉の移動や、ロボコンのあらぬところへの侵入を防ぐ手立ては必須なのである。

 

わたし自身、毎日曜の夜遅くには礼拝堂と集会室にモップ掛けをして彼の出番に備える。30分程掛かるけれど、そんなひと時が、土日の緊張をほぐしてくれる場となっている。何しろ、わたしの神学生時代の仕事のひとつは、とある教会での清掃だったのである。

 

先週、ロボコンのだいじな回転ブラシを初めて交換した。開ききってしまって、お湯につけて整えることも不可能になってしまったのだった。

 

開ききった一年と少し使用してきたブラシと新品のブラシを比べてみると、あらためて「ロボコン、一年間ありがとう」と思った次第である。

 

そう言えば、先の大地震を想定しての避難訓練。表通りへの避難となれば、靴の履き替えどころではなかったことに気付く。やっぱり土足解禁してよかったのだなと思う。(もり)

 


6月24日(日)聖霊降臨節第6主日の献花です。何という落ち着き。色合いのすばらしさ。感動しました。
6月24日(日)聖霊降臨節第6主日の献花です。何という落ち着き。色合いのすばらしさ。感動しました。

◎2018月6月24 ・ 【 窓 168号

   『 マタイが好きです 』

 

6月22日(金)、教会から車で10数分。旭東教会からだと岡山市内中心地寄りの〈可知(かち)〉という町の方に用があり、金曜の夕刻、八重子さんのお宅を訪問した。

 

2015年4月5日は「イースター・復活祭」だった。その日が私にとって旭東教会での初説教の日曜だったのだが、八重子さんはその日に初来会の同級生にあたる。

 

その後、八重子さんは、洗礼を受けられた神戸の他教派の教会から旭東教会への転入会に導かれた方。

 

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八重子さんのお話を聴いているうちに、何かの拍子に、毎朝、兵庫県に在住の娘さんから携帯に届くという聖書日課のお話が出て来た。

 

わたしはそのことを以前にも聞いていたが、どうやら、毎日娘さんからの配信を元に、八重子さんは忠実に聖書を開いて読まれているご様子。おそらく、お祈りとセットだろうと思う。

 

同時に、ご自分のペースで娘さんから届く聖書日課とは別に、聖書を読んでおられることがわかった。

八重子さん、笑顔でこう言われたのだ。

 

「先生、私、マタイ福音書が好きなんです」

 

私はその言葉を聞いて、少しオーバーに言えば、飛び上がるほど嬉しかった。なぜなら、4年前の八重子さんは、福音書の違いがどれほどあるのかということなどハッキリと理解されていなかっただろうと思う。

 

さらに、「好きな福音書はマタイです」と言えること自体に、信仰生活の深まりが表れていることを確信したからだった。

 

私は神学校の最終学年の頃に、新約学の教授から、とある場所で、「森さんは、どの福音書が好きですか」と聴かれたことをハッキリと記憶している。

 

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更に耳を傾けていると、八重子さんの日々を支える大切なみ言葉はマタイによる福音書6章34節「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」だということを知った。

 

「その日、その日を感謝して生きることを大切にしています。それが一番大事だと思っているので、誰に対してもそう伝えられるのです」という意味のこともお話になった。

 

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30年近く前、東京都練馬区の桜台という町の6畳ひと間と小さな台所のあるアパートに暮らしていた私は、地下鉄有楽町の氷川台駅(東武東上線と相互乗り入れ)から電車に乗り込んで会社勤めをしていた。

 

満員に近い列車の中、受洗時に頂いた聖書を体をよじらせながらも読み、自分を支えてくれるみ言葉を探していた当時のことを思い出した。列車を降りてから、会社までの徒歩10分程が貴重なお祈りの時間だった。

 

牧師として生きている今、説教する者として聖書を読みがちな自分が居る。昔は、単純に、いいなぁ、と思う救いの言葉を探していたと思う。

 

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「私は教会で奉仕が何もできなくて申し訳なく・・・・・・」とおっしゃる八重子さん。

 

私からすると、「いえいえ、それは八重子さんにしか出来ない伝道ですよ、本当にすごい!有り難い」と思うような執りなしをなさっていることも言葉にされた。

 

もっと正確に言うならば、八重子さんは、それが伝道であるとか執りなしと考えておられるわけではない。

 

ご自分の控えめに語られる信仰生活を静かに語り伝えていることが、実は最大の伝道なのだ、と無意識のうちに証しされているのである。

 

こういう嬉しいことが起こると、私はすごく安心して元気が出る。

 

何より、聖書を信頼し、毎日を感謝してお過ごしの八重子さんの素朴な信仰にふれ、私は信仰の原点に立ち帰らせて頂いたと感じている。心から感謝。(もり)

 


6月17日(日)早朝、お台所でカレーを食べる会の準備をしてくださっている女性たち。Sさん、ここでも心をこめてご奉仕下さってました。
6月17日(日)早朝、お台所でカレーを食べる会の準備をしてくださっている女性たち。Sさん、ここでも心をこめてご奉仕下さってました。

◎2018月6月17 ・ 【 窓 167号

   『 小六で覚えた賛美歌 』

 

6月13日、水曜日の夜、受洗後1年目講座の時間をもった。私ともう一人役員さんに居て頂くことにしてSさんを迎えた。

 

会の冒頭「Sさんの今お好きな賛美歌は?」とお尋ねすると、即座に「504番の〈主よ、み手もて〉です」と答えられた。

 

「なにか切っ掛けがありますか?」と聞くか聴かないうちに、「NHKラジオ講座の基礎英語を聴くために父が買って来たラジオで、夜9時からいつも流れていた番組があって覚えました。辛いことがあった頃でした。布団の上で歌詞を暗記するほど好きで大人になっても口ずさみました。」と続けてくださった。

 

そして、「クリスチャンでもない私が大きな声で歌ってよいのだろうかと、ずーっと思ってました」とお話になった。

 

これは、受洗準備の頃にも伺った言葉だったかも知れない。しかし改めて聴くと、Sさんの誠実さを思わずには居れない。

 

小学校6年生の時から、教会にお出でになるまでのあいだ、ずーっと〈主よ、み手もて〉を心の支えにして来られたこと。それは、神さまのご計画だったのだなぁと確信する。

 

そして、40年以上前、独りの少女の魂に、み言葉ではなく、まず賛美歌が福音として宿っていたことに驚きを覚える。賛美歌ってやっぱり素晴らしいなぁ、とつくづく思うのだ。

 

Sさん、「504番の3節はまったく知りませんでした。ラジオで流れてなかったのかも知れません。今は3節が一番好きです」と教えて下さった。3節にはこうある。

 

   主よ、飲むべき わがさかずき、
   えらびとりて さずけたまえ。
   よろこびをも かなしみをも、
   みたしたもう そのまま受けん

 

1年近く前から、旭東教会の礼拝では賛美歌の歌詞をスクリーンに写し出しているのだが、その歌詞の準備を担当して下さっているのはSさんだ。初めは数曲だったが、今では全曲となっている。

 

この奉仕を続けていかれると、Sさん、ますます賛美歌の歌詞を大切にされる信仰が深まっていくことだろう。

 

「もう一つくらい、お好きな賛美歌あるでしょ?」とお聴きすると、「513番の〈主は命を〉」ですと即答頂いた。やはり歌詞を大事に思って居られることを教えて下さった。

 

日頃からそういう思いを抱いておられることがずーんと伝わって来て感慨深い。

 

礼拝や祈祷会では、じつに生き生きと大きな声で賛美するSさんのお姿が目に入ってくるこの頃である。ただただ主に感謝。(もり)

 

 

 


4月16日(月)の午後、ジュニアサークルのイースター礼拝に出掛けたサイの公園に出掛けた。新緑の銀杏の木の下にサイのお尻。心がなごむ。
4月16日(月)の午後、ジュニアサークルのイースター礼拝に出掛けたサイの公園に出掛けた。新緑の銀杏の木の下にサイのお尻。心がなごむ。

 

◎2018月4月15 ・ 【 窓 158号

    『 素敵な嘘 』

 

旭東教会から車で30分と少し。

 

ハンセン病の療養所内にある光明園家族教会の礼拝形式の祈祷会の奉仕に出掛けた4月11日(水)は忘れられない一日となった。

 

当日は、妻の友人も大阪からやって来ていたので、3人で車に乗り込んで出掛けた。

 

その日の祈祷会には、とても快活なH子姉も出席されていた。お伴の方も居られてお嬢さんかな、という位の年齢の方。大阪府の堺市からお出でだという。

 

光明園家族教会の方が「いやぁ、H子姉には負けるなぁ」と仰る声が聞こえていたが、最初はなんことだかわからなかった。

 

わたしは手のひらに「H子」とメモ。あとで必ずご挨拶をと思った。

 

**************

 

祈祷会終了後のお茶の時間、H子姉は、随分昔から光明園家族教会の祈祷会に定期的にお出でになっている方と知ったが、わたしは初対面。でも、この日お目に掛かれて本当に幸いだった。

 

手作りの名刺を頂いたり、あれこれと話が弾んだのち、間合いを見計らって、わたしは「お歳をお聞きするのは失礼だと承知していますがお幾つですか?」とお訊ねした。

 

するとH子姉はにっこり笑顔で、「そう、先生、失礼ですよ。1920年生まれ」とお答えになった。

 

光明園家族教会の長老が90歳。それを超えてお歳を重ねられた方なのだなぁと感じてはいたが、一瞬頭が回らなかった。今年は2018年だから、98歳である。

 

大正9年生でこのお元気さはいったいどういうこと!と思わずにはおれない。

 

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H子姉からいろいろと伺っていると、週5日は俳句ほか予定がびっしりとあると言われる。「では、あとの二日は何を?」とお訊ねすると、「金曜と日曜は教会です。20分程歩いて通っています。帰りは送って頂くことが多いかしら」と続いた。

 

さらに、H子姉のお話に心を傾けていると、どうやら定期的に老人ホームのお茶汲みボランティアもなさるらしい。

 

「わたしが本当の歳を言うと、入所されている皆さん年下だから恐縮なさるでしょ。だから嘘をついてね。でも、この嘘だったら神さまも赦して下さると思ってます・・・」とお話になった。

 

アーメンである。

 

デジカメもごくごく普通に使いこなされ、先生、住所を教えて下さい。先生、写真できたらお送りしますから、と言われる。実際、数日後には丁寧なというのかチャーミングなお便りと共に、素敵な写真が堺市から届いた。

 

光明園からの帰りはJR西大寺駅までわたしの車に乗って頂いた。数年前の教会学校のイースター礼拝の時には、公園の木登りを、こどもたちと同じようになさったとか。木登りする95歳?のおばあちゃま、なんて初耳である。

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お元気の秘訣はおみ足が丈夫なことも大きいと感じた。日本各地の名山をほとんど登山されて来たそうで、足腰の丈夫さには相当な自信がお有りだとわかった。

 

H子姉を駅前に下ろしたあと、わたしは直ぐに、旭東教会の長老94歳の正兄に興奮気味に電話を入れた。

 

「す、す、すごい方に、光明園家族教会でお目に掛かりましたよ。98歳のH子姉。ほんと、ピンシャンです。正さんよりも毎日やりたいことがありそうなご様子でした」と。

 

「いやぁ、それは嬉しいです。負けてはおられませんな」が正さんの締めくくりのお言葉だった。

 

H子姉。

 

あまり先の予定は立てないとも仰った。どんな文脈だったかは忘れたけれど、地上での旅路の終わりは「明日かも知れないでしょ」とキッパリと光明園家族教会の長老に語られた。

 

本当に教えられること、励まされることの多い2時間余りだった。いのち輝くH子姉に出逢えて、ただただ感謝である。

 

またお話を聴きたいと思っている。(もり)

 


4月8日(日)のイースター礼拝・愛餐会のあと、十文字平和教会の方々と森牧師で記念の一枚 旭東教会礼拝堂にて
4月8日(日)のイースター礼拝・愛餐会のあと、十文字平和教会の方々と森牧師で記念の一枚 旭東教会礼拝堂にて

*4/1の窓は記述内容に鑑み、ホームページでは公開しておりません。 

◎2018月4月8 ・ 【 窓 157号

    『 十文字平和教会

      MMさんより

        旭東教会御中 』 

 

4月1日(日)は2018年の「イースター・復活祭」だった。この日から、旭東教会の牧師であるわたしは、神さまのお導きにより、この2年間礼拝応援に出掛けていた十文字平和教会の兼務主任担任教師としての責任を担うことになった。
 当日は、十文字平和教会の方々からのお申し出があり、旭東教会での合同礼拝となった。豊かな礼拝だった。そして、昼からは愛餐会と続いた。
 火曜日だったと思うが、以下にご紹介するお葉書が教会宛に届いた。何度読み直しても素晴らしい味わいのあるお便り。
 以下、ホームページ版は色々と考えて一部を削らせて頂いているけれど、それでも十分にMMさんの熱い思いが伝わってくる。味わって頂ければ幸いです。(もり)

                **************

 主に感謝
 旭東教会の皆様、本日は本当に有難うございました。
 長い間便り等、書いたこともない私が書かずにはいられなくて・・・・・・ 御すし、多くさんの食べ物、おいしかった。あれだけの量を作られた方々大変だったでしょう。
 そちらに居らせて頂いて居る間に、段々 段々 楽しくなって来て、皆様どなたもニコニコしてらしてやさしく接して下さり、私の心は温かくてたまらなくなった。
 くそ この楽しさ、嬉しさを ・・・・・・出ていたら もっと上手に 表現出来るのに。  ありがとう
              岡山市北区日近(ひじかい) MM

 


もう少し受難節・レントが続きました、当然、その先にあるイースターに向けての準備が必要ですね。寿子さん、美樹さんが知恵を絞り時を捧げてくださって完成の復活祭のご案内です。ほとんど牧師は口出ししていません。嬉しいです。
もう少し受難節・レントが続きました、当然、その先にあるイースターに向けての準備が必要ですね。寿子さん、美樹さんが知恵を絞り時を捧げてくださって完成の復活祭のご案内です。ほとんど牧師は口出ししていません。嬉しいです。

 ◎2018月3月18 ・ 【 窓 154号

       『 教会トイレ事情 』

 

びろうな話?

 

いえいえ、今週も大事なお話を一つ。

 

わたしも多くを学ばせて頂いている、ある伝道熱心な先生のご本によれば、「トイレは我慢して外に出てからよそで」という教会には、新来会者の方は二度とお出でにならないと記されている。

 

同様に、説教者の声が聞き取りにくい教会も要注意と言う。声が聞こえないということは様々な場面で疎外感を感じるし、周囲の人たちの配慮が必要、というのもうなずける。

 

さて、旭東教会の現在のトイレ事情はどうか。

 

昨年秋の大改装後、思いがけず続いた年末年始の葬儀、会堂が満杯となる100人規模の世界祈祷日の集会でも、安心してお客様をご案内できて一安心との声があった。

 

トイレのみならずではあるけれど、私もつい小まめに掃除をしたなる。

 

教会でのゆったりとした交わりの中、トイレ空間に身を置くとほっとする瞬間が生まれるのは有り難いことだと思う。

 

やはり、トイレの居心地、安心感はゆるやかではあるけれど深い所で伝道に通じているようだ。(もり)

 

 


3月11日(日)の礼拝後、創作紙芝居で『幸福の王子』を演じてくださった布下満さんは十文字平和教会の会員です。このサンタさんの作者でもあります。いや、よーくみると本当に精巧なお人形なのです。
3月11日(日)の礼拝後、創作紙芝居で『幸福の王子』を演じてくださった布下満さんは十文字平和教会の会員です。このサンタさんの作者でもあります。いや、よーくみると本当に精巧なお人形なのです。

 ◎2018月3月11 ・ 【 窓 153号

       『 説教者のつとめ』

 

私が献身する少し前の20代半ば頃(当時の私は、様々な小劇場の芝居をわりにこまめに観ていた)、劇作家・放送作家・小説家として知られる井上ひさしさんが当時主宰していた劇団「こまつ座」の芝居を東京・浅草公会堂で観て深く感動したことがある。

 

井上ひさしさんはカトリックの信者か、あるいはそれにかなり近い環境の中で幼少期を過ごした、と聴いたことがある方だ。

 

その井上ひさしさんの語録の一つに、「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」がある。

 

最近、出典を辿(たど)ってみた所、〈仏教の説教者〉の話術の極意を井上さん流に言い換えた言葉だと知った。印刷物としては劇団発行のものに載っているらしいことが、国立国会図書館への問い合わせ情報で確認できる。

 

「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」

 

深い言葉だと思うし、大事にしたいことだと無意識のときも含めて、常々考えている。井上ひさしさん、すごい!と心底思う。

 

てっきり、井上さんのことだから、書き物の関連の言葉なのだろうとの先入観があったのだが違った。

 

国語辞典を引くと「つとめ」は「務・勉・勤・努」の文字があてられる。学ぶに終わりなし、といつも思うのだが、説教者のつとめもたゆまぬ修行が必要だなと思う。

 

修行とはもちろん、座学を言うとは限らないのだが。(もり)

 


1月28日(日)の特別伝道礼拝の説教の中でふれた大分上野丘高校1年生当時(1976年・昭和51年・9月)の実力考査成績表。11月、1月と同様の状態が続いていた。
1月28日(日)の特別伝道礼拝の説教の中でふれた大分上野丘高校1年生当時(1976年・昭和51年・9月)の実力考査成績表。11月、1月と同様の状態が続いていた。

 ◎2018年1月28 ・ 【 窓 147号

    『 病床受洗 』

 

31年前、私が洗礼を受けたのは東京下町・浅草橋にある柳橋病院という、当時は順天堂大学の関連病院の一室だった。タクシーの運転手さんの指定病院であることや、川越しに、両国国技館の相撲の太鼓の音が聞こえて来ていたのを覚えている。

 

母教会・銀座教会で復活祭(*イースター)に幾人かの方々と一緒に受洗の予定だったが、20代半ばになってから闘病が始まったB型慢性肝炎(現在は奇跡的に完治)の幾度目かの急性悪化で、またもや入院という事情だった。

 

主任牧師の鵜飼勇先生を始め、副牧師の斎藤寿満子先生、福音会英語学校でご一緒したことからその後ずっとお世話になった年配のO姉、青年会のF君も居られたと思う。

 

その日の、思いも拠らない病室のベッド上での受洗が、その後の私に明確な決心を与える事になるとは思いもしなかった。それが病床伝道だった。

 

ちなみに当時の私は、肝癌で帰天した母と同じ52歳で人生は終わると信じていた。この命には限りがある。人生に悔いを残さないためにも、病床にある方たちの為に、救いの福音を運んで行く働きに専心仕えたいと真剣に祈り始めていた。

 

「受洗で何かが変わりましたか?」と問われるならば「変わりました」と即答する。

 

有り難いことに、私は新しい人となり今年58歳を迎える。今日は特別伝道礼拝の日曜日である。(もり)

 


S君が二日間を見守った葬儀のお花の一部。
S君が二日間を見守った葬儀のお花の一部。

 ◎2018年1月14 ・ 【 窓 145号

        『 地獄? 』

 

〇〇信治兄の葬儀が執り行われた二日間をずーっと一緒に過ごした小学5年生の少年が居た。

 

安佐子姉の弟さん、K兄のご子息・S君だ。

 

以前、教会に来てくれた時は、ドッチボールを頑張っている、と話していた記憶がある少年だった。

 

信治兄の告別式を終えて、西大寺の斎場での火葬が始まり、待合室で皆さんとひと息いれ、一時間が過ぎた頃だったと思う。お父さんに連れられてS君が私の側にやって来た。

 

お父さんが「先生に質問があるんだよなぁ」と言うとコクリと肯いた。

 

聴いてみると、信治さんの葬儀、前夜式・告別式の式辞には〈天国〉はなんども出て来たけれど、〈地獄〉はなぜ出て来ないのか…、とのこと。

 

何とも素晴らしい質問だ。

 

少し慌てたが、マタイ福音書25章41節を交えながら一所懸命に話した。途中、お骨拾いが始まったので、席を移して食事の前にも続きを話した。

 

S君が聴きたかったことは見つかったのだろか。あるいは、ますます何かが気になり始めたのか。

 

後日、安佐子姉から、「時が来たらS君へ」と信治さんが買い置かれていたという、子どものための聖書を手にして帰宅したそうだ。さて、どこをめくっているだろうか。

 

楽しみに次の機会を待ちたい。(もり)

 

 


2017年12月12日(火)朝 徹さんの告別式の朝の礼拝堂にて
2017年12月12日(火)朝 徹さんの告別式の朝の礼拝堂にて

 ◎2017年12月17 ・ 【 窓 141号

       『 最期の言葉 徹さんの場合 』

 

※大辞林によれば 「同音語の「最後」は物事の一番おしまいのことであるが、それに対して「最期」は人の死にぎわのことをいう」とある。

 

12月10日(日)の朝、天国に召されていった〇〇徹兄の葬儀(*〈〇〇正兄〉の10歳下の弟さん)。

 

故郷・西大寺(*旭東教会)でのお別れはご家族だけのひとときとなり、「知らない人が一人もいなかった」という温かな時となった。

 

つまり、この度の葬儀は、教会員の列席はなかったわけだが、ご遺族の選択であり、しばらく教会から離れておられたご夫妻の日々から考えると、それが自然だったのだと思う。

 

**************

 

前夜式・告別式で一同で歌った賛美歌。

 

それは、徹兄が9月上旬の夕べに、ふらりと来会され時にリードオルガンで奏でられた「いつくしみふかき」「きよしこのよる」だった。

 

この時、徹兄は、わたしが着任してから初めて礼拝堂に足を踏み入れられたし、そうでなくとも、相当久しぶりの礼拝堂だったと思う。

 

「いやぁ、懐かしいなぁ」を繰り返しておられた。

 

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そして、もう一つの賛美歌は、9月10日(日)の恵老愛餐会でご自身が歌われた「うるわしの白百合」だった。

 

その日徹兄が歌われた「うるわしの白百合」は、決して上手に賛美できたわけではない。

 

愛餐会では、徹兄はご自分では、もう少し上手に歌えるイメージを抱いておられた様子が端から見て伝わって来ていたから(少なくとも私にはそう見えた)、ほろ苦い時間でもあった。

 

だが、それはそれですごくいいものだったと思う。

 

今振り返って見るならば、徹兄は、帰るべき場所に帰ってきた。天国への旅立ちの準備を始めておられたのだと気付かされる。

 

**************

 

告別式で〈思い出〉を語られたご長女によれば、召される二日前、耳元で「ママごんが来たよ」と伝えると、苦しい息の中「ママごん、ありがとう、ありがとう」を繰り返しておられたとのこと。

 

美しい言葉での旅立ちに感謝。

 

奥さまもその言葉を抱えて、今を、これからも生きて行けるはず。

 

わたしたちも倣いたい。(もり)

 

 


文集に出てくる祖父のNEB(THE NEW ENGLISH BIBLE)の最終ページ。万年筆を愛用していた祖父ならではの文字。ヨハネの黙示録22章です。私の宝もののひとつ。
文集に出てくる祖父のNEB(THE NEW ENGLISH BIBLE)の最終ページ。万年筆を愛用していた祖父ならではの文字。ヨハネの黙示録22章です。私の宝もののひとつ。

 ◎2017年12月3 ・ 【 窓 139号

   『 えんがわの歌 』

 

祈祷会では月初めのイエスさまの譬え話を学ぶ会以外は、こつこつと詩編を読み続けている。過日は、詩編71篇を祈祷会で学んだ。

 

71篇、作者はダビデの名を借りた老人(或いはそれに近い世代の人)と思われるが、この人は賛美歌を大切にしていることに気が付いた時、わたしは、なぜか父方の祖父・明麿(あきまろ)じいさんを思い出した。

 

**************

 

私は12歳まで、両親と姉と4人で〈納屋〉を改造した家に住んでいて、食事や風呂は祖父母の暮らす母屋で、という毎日だった。

 

トイレはあったものの、炊事場はなく、簡易ながらも流しが届いた時には飛び上がるほど嬉しかったものだ。

 

話は戻って、祖父のことである。

 

祖父・明麿は、孫が言うのもどうかなと思うが、勉強熱心なクリスチャンだった。というよりも、信仰の篤い人だったと思う。

 

**************

 

手元にある祖父の遺品、英語の新約聖書(THE NEW ENGLISH BIBLE)の最終ページの通読記録を見ると、1977年(昭和52年)に初めての精読了76歳と記録し、その時は2年間掛けている。しかも、他の英語聖書とも併読(Rsv)とある。

 

その後、1979年晩秋に78歳で読了、1981年早春読了、1983年初夏6月読了、1984年早春2月読了83歳、1987年早春1月読了86歳、1988年初秋9月1日読了87歳、1989年秋10月24日読了88歳とある。

 

神学校に入学したわたしのことをこの記録に拠れば知っていたことになる。

 

**************

 

だが、そんな祖父から、私は聖書の話をじかに聴いたことはなかった。

 

ところがである。祖父は縁側(えんがわ)にどっかりと腰を下ろして、しばしば音痴も気にせず賛美歌を歌っていた。

 

ただそれだけのことながら、振り返って見ると、その賛美歌を聴きながら私は間違いなく成長していったのだ。それは、祖父自身も知らざる伝道だった。

 

今、賛美歌が好きなわたしのルーツが「えんがわの歌」にあったことを知った。(もり)

 

 


2017年8月6日は平和聖日 聖餐式をおこなった 杯は備前焼 会員の陶芸家明美さん作
2017年8月6日は平和聖日 聖餐式をおこなった 杯は備前焼 会員の陶芸家明美さん作

◎2017年8月6 ・ 【 窓 NO.122

       『  神の言葉への期待  』

 

若松英輔という方が居られる。

 

『イエス伝』(中央公論新社)も書かれる随筆家であり批評家、そして薬草商でもある。1963年生まれだから同世代の方だ。

 

薬草商という珍しいし仕事に携わっておられることは実に興味深い。

 

そこにたどり着くまで、若松氏の人生の紆余曲折があるらしい。順風満帆からは程遠い歩みを経験されているそうだ。近しく思う。

 

**************

 

詩人の〈和合亮一氏〉は〈若松英輔氏〉と書簡のやり取りをする信頼し合う間柄だが(『悲しみが言葉をつむぐとき』岩波書店)、あるところで若松氏の詩を読み解かれ、こう記されている。

 

【私たちは薬草の「はたらき」のように、ゆっくりと確かに効能が現れてくる言葉や詩を欲している。若松英輔氏はそれを伝えたいのではないかと思った】と。

 

**************

 

私も初めての詩集だという『詩集 見えない涙』(亜紀書房)の作品「薬草」に惹かれた。

 

以下は、その一部。「言葉」に心を向けて黙想すると、実に深い余韻がある。以下、「言葉」に添えた〈〉は私の手によるもの。

 

**************

 

○「誰が命名したのか  言葉〉は その名のとおり 植物のはたらきに よく似ている 予期せぬ場所から 舞い降りて 人生の季節が変わったと しずかに告げる」

 

○「薬草が必要なときは どんなに苦くても ぐっとこらえて とり入なくてはならない 〈言葉〉も同じだ 苦い言葉も あるときは じっとこらえて 受け容れなくてはならない」

 

○「薬草は じっくり煎じてから飲む 効能が潜んでいるのは色素 薬効が からだに浸透するにも 少し時間を要する 〈言葉〉も同じだ 隠れている意味の色を 時間をかけて ゆっくり 味わい 感じなくてはならない」

 

○「ときには ひとつかみの 草を探すためだけに 山深く 分け入らなくてはならないように たった一つの〈言葉〉を探すために 人生の長い旅に出なくてはならないこともある」

 

**************

 

若松氏は「言葉」の力に信頼している方だと、薬草の効能のようにじんわり、否、確かに伝わって来る。

 

そう、もしかすると、聖書に馴染んで居られない読者には感じないかも知れないが、彼は明らかに、いつも聖書を心の片隅に置いているのだ。

 

実際若松氏は、井上洋治神父さま他の影響を受けたカトリックの信者さんだと聞いた。

 

**************

 

私たちはいったいどのような〈言葉〉を探す旅を続けているのだろう。

 

どんな効き目の〈言葉〉があれば、薬草がなくとも癒しや救いを経験できるのだろうか。

 

**************

 

共に思い巡らして見よう。

 

私たちには〈み言葉=イエス・キリスト〉があることを。

 

やはりそう想うのだ。(もり)

 

  


2017年3月12日(日)、礼拝堂の献花の中に様々な春が隠れている。
2017年3月12日(日)、礼拝堂の献花の中に様々な春が隠れている。

   ◎2017年3月12日 ・ 【 窓 NO.101

       『  床屋さん 』

 

幼い頃のことも含めて引っ越しの多かったわたし。

 

これまで何軒の床屋さんに行ったことかなと思う。小学校の頃は、自転車で10分、江村理容店の土佐犬を自転車で散歩させていたこわーいおじさんと、かたや、まったく正反対のお人柄に見える優しいおばさんの所に一ヶ月に1度出掛けていた。

 

「げんちゃん、髪が赤いのは、わかめを食べんからや」と注意されるのが辛かった。

 

中学生の頃から、あーでもない、こーでもないと友人らと言いながら、少しでも自分の思いに近いカットをしてくれる床屋さんをさがし始めたような気がする。

 

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岡山に来てからも何軒かの床屋さんに行った。

 

ま、これ位ならいいか、と思って妥協することもあったし、安いから仕方ないなと考えたりもした。

 

いいかなぁ、と思いかけた床屋さんの店主が、こちらの好みを行く度に伝え直さなければならない人だと気付いてガッカリしたり、だった。

 

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ところが、心底素晴らしいなと思う理容師さんに、この度ついに出会った。お値段もフルコース?で2,500円は決して高くない。

 

お名前は土居さんと言う方で50代の女性。

 

とあるお店のスタッフで経営者でもない。一回目の時に「店長さんですか?」と私が言うと「とんでもないです」と言われた。

 

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何に感動するのか。

 

彼女にとっては当たり前らしい、さり気ない職人技があるのだった。

 

理容師さんの世界では今では当たり前なのだろうか。初めて出会った時、おおむねのカットが終わったところで、「ドライヤーで乾かして、ちょっと確認しますね」と言われたのにまず驚いた。

 

確かに、濡らしたままのカットでは仕上がりがわからない。

 

でも、人生56年と数ヶ月。そんな風に言われた理容師さんは一人もいなかったのが現実。

 

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今回はシャンプーの丁寧さに驚いた。

 

前回は若手の方に分業するようにして任せられたので土居さんは担当されなかったのだが、シャンプーが始まって直ぐに何かが違うと感じ、終わる頃には確信に変わった。

 

お声を掛けて手を止めてもらって「不満ではなく、感謝ですよ」と伝えながら「土居さん、土居さんの洗い方、僕が自分で洗うのと全く同じ感じなんですよ。こんなの生まれて初めて」と。

 

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笑顔の彼女は嬉しそうに「自分の頭を洗う感じをいつも想いながらシャンプーするんですよ。前回も本部にメールに頂いて・・・・・・森さんには勇気づけられます」と言われた。

 

いいものや良いことに出会うと、自分の思いをお伝えすることが歳のせいか多くなったわたし。もう一つの気付きがあって更に続けた。

 

「土居さん、このお仕事が本当に好きなんですね」と。

 

肯く彼女は「休みの日も手を動かしてしまうんです」と仰った。

 

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YouTubeで「プロフェッショナル・仕事の流儀」という番組をたまーに見ることがある。

 

各分野でこつこつと当たり前のことを丁寧に続ける、その道の最高峰の方々の仕事ぶりや信念、いや、生き方に本当に多くの刺激を受ける。

 

意識の高いプロフェッショナルとの出会いは、結果的には、牧師としてのわが身を顧みる最良の機会と思う。

 

学ぶに終わりなし、を胸に刻みながら仕えて行きたいものだ。(もり)

 


2017年1月29日(日)の礼拝収録が終了したあと、日々のキリスト教放送局・日本FEBCのお働きについて伺っているときのひとこま。
2017年1月29日(日)の礼拝収録が終了したあと、日々のキリスト教放送局・日本FEBCのお働きについて伺っているときのひとこま。

  ◎2017年2月5日 ・ 【 窓 NO.96

       『  伝わることば 』

 

キリスト教放送局・日本FEBCからの旭東教会での「主日礼拝収録番組 全地よ主をほめたたえよ」の取材のために、スタッフでパーソナリティも務める安保ふみ江さんが来会。

 

控えめでありながら爽やかに収録のお仕事を終えられ、すーっと旭東教会を後にされた。

 

なんと、旭東教会をあとにされたあと、さらにもう一つの協会取材に向かわれたとあとで知った。

 

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数日後「なにか、実家に帰ってきたような安心感で過ごさせていただきました」

 

「お昼もとても美味しい〈かけ汁〉!そして、何より皆様の明るい笑顔が、一番のごちそうでした」

 

とのとの嬉しいメールが届いた。

 

肌に感じられた率直な思い、と素直に受け取らせていただこう。ありがたいこと。今頃、2月10日(金)朝10時からのインターネット放送に向けて編集作業中なのだろうか。

 

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さすが、放送局でのお仕事を長年続けて来られた方と気付いたことがある。

 

それは、FEBCの日々のお働きやリスナーの方々との深い交流の様子について〈あかし〉をして下さった時のマイクの持ち方がさり気なく、美しく、的確だったこと。

 

この道に入られて28年とお聞きしたので、もう完全に無意識の世界かも知れないけれど、口元に向けるマイクの角度、何㌢くらい離せばよいのか、声の大きさの加減を熟知しているのだ。聴きやすい。

 

ワイヤレスマイクをお渡しするときに「かなり感度がいいと思います」と伝えたことがあとで恥ずかしくなった。

 

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東京の同労の仲間たち=伝道者たちが、もう70歳に近い大先輩も仲間入りして、舞台俳優さんさんから発声を学んでいることを最近知った。

 

どんなに素晴らしい説教であれ講演であれ、それが、聴き手に伝わらなくては元も子もない。学ぶに終わりなしをふと思い出した。(もり)

 


2015年11月22日(日)の礼拝報告時、関田寛雄先生をあらためて紹介。関田先生、ここでフーテンの寅さんを引用しながらみんなをお笑いさせられました(^^♪
2015年11月22日(日)の礼拝報告時、関田寛雄先生をあらためて紹介。関田先生、ここでフーテンの寅さんを引用しながらみんなをお笑いさせられました(^^♪

◎2015年12月13日 ・ 【 窓 NO.37】

    『  恩師からの補講の直後に  』

            (『週報』のミニコラムにちいさな加筆をしています)

 

過日、旭東教会の特別集会においで下さった関田寛雄先生は私にとって恩師とも言うべき方の一人。とは言え、世には「関田寛雄先生こそ我が恩師」と思っている人は何千人、何万と居るだろう、というレベルの話なのだが。

 

それでも、間違いなく、私自身が人として生きるとはどういうことか、クリスチャンとして牧師として、いつもその存在は重しとなり、座標軸となっていると思う。

 

旭東教会にお迎えした11月22日(日)の夜、妻と共に西大寺の片隅で夕食をご一緒させて頂いた。かつてはマイ箸を持って歩いておられたけれどこの間は出されなかった。

 

地元の岡山の米ビールなるもの少し口にされ、あれやこれやと話をし、いつしか、神学的な話題も食事の席で出てきた。特に、現場から生まれてくる言葉の重さについて考えさせられお話が展開していた。

 

関田寛雄先生は、各地の神学校で説教学や牧会学の講義も担当された方。現場に出て20数年の私は今頃になって教えて頂きたいなぁと思うことが不意に胸から飛び出した。それは「葬儀説教」についてのものだった。

 

先生の言葉を必死になってノートしたわけではないので、そのままをご紹介するわけではないけれど、先生は私の質問に対して、深く頷き、身を乗り出しながら3つのことを口にされたと思う。私からの問い掛けは敢えて伏せるけれど、それでも、葬儀全般に通じる大事なことをお話下さったと思う。

 

「その人がどんな人生を歩もうとしたのかを語りたいねぇ」「未来志向でね」「教会だけでしか通じない言葉は使わないように」。

 

思い掛けない形の「説教学」「牧会学」を兼ねたような補講受講後2週が経って、K義兄が召天。葬儀を迎えることとなった。(もり)

 

 


文中の萩焼のお店。扇窯 佐久間正和さんのお店。萩市川上2662が住所。
文中の萩焼のお店。扇窯 佐久間正和さんのお店。萩市川上2662が住所。

◎2015年9月27日 ・ 【 窓 NO.26】

 

『  旅の楽しみ  』 (『週報』のミニコラムをそのまま転載しています)

 ※〈加筆版〉は別ブログの【森牧師の部屋】というBlogに(赤をclick)にアップ予定です。 

 

▼夏休みを頂き久しぶりに九州へ向かった。途中、心地よい思い出のある萩市にも出掛けた。

 

萩焼が目的というわけではなかったのだが、ぶらぶらと歩いている内に青色の珈琲カップとお皿のセットが目に止まり2千円の買い物となった。

 

▼店番の婦人に「何だか、気分がいい作りですね、このお店」と話しかけた。

 

「一ヶ月前に開店したばかりなんです。夫が焼いたものを置いているのですが、この辺りにずっと店を構えたいと・・・・・・」との声。

 

▼ここ数年、色んな場で声掛けすることが多くなった。

 

歳だろうか。

 

いやいや、教会での出会いの数に比例し話し好きな人になって来たようにも思う。(もり)