2017年8月22日(火)130号 『 み言葉カフェ〈手は口ほどにものを言う?〉の巻 』

2017年8月20日(日)の礼拝後 礼拝堂の後方 丸椅子に座り語らう み言葉カフェ にて
2017年8月20日(日)の礼拝後 礼拝堂の後方 丸椅子に座り語らう み言葉カフェ にて

こんにちは、関東以北は涼しい夏、雨模様の夏とニュースでは聞いておりますが、ここ岡山市はまったく違います。

 

かーなり残暑きびしい毎日でありまして、週間天気予報など見ますと、夏本番がまた来るのかしら、という感じすらいたします。

 

まことに、秋が待ち遠しいというのが本音のこの頃でございます。

 

とは言え、お宅によっては、数日前、或いは一週間ほど前から、自宅ではエアコンなしで大丈夫です、とか、夜はエアコンなしで大丈夫ですよ、という声も教会の皆さんからは聞こえてきております。

 

岡山市東区近郊でも、ところによって、温度差?か、風のぬけ具合がかなり違うようです。

 

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さてさて、残暑とはまったく関係ございませんが、2017年度の5月、つまり、固く申しますと定期教会総会が終わりまして、今年度は、これも頑張って取り組みましょうね、ということで始まった集いが旭東教会にはございます。

 

その名は「み言葉カフェ」と申します。

 

なんだか素晴らしい呼び名だなぁと、ネーミングをいたしましたわたくし、自画自賛的に思うのですが(書き手はいつもと同じ、牧師のもりでございます)・・・・・・

 

実際、名前に負けないくらい、5月、6月、7月、8月と、み言葉カフェ、なかなかいい感じの会として始動しております。

 

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「何ですか、そのみ言葉カフェ?」という方が居られるかも知れません。

 

えー、それはですね、旭東教会の『週報』でご案内した記事からコピーしてくると、こんな感じになります。

 

▼いよいよ、来週から始めますよ、という頃のご案内
【5月21日(日)・週報でのご案内】
○《次週から「み言葉カフェ」が始まります》礼拝・教会だからこその、日曜日の恵みである、み言葉、賛美歌も含めて、喜び、感謝を分かち合う有志による集いです。呼びかけはK姉です。求道者の方も遠慮なくご参加下さい。いつもの、ほっとタイムが集会室で行われている時間に、礼拝堂の後方辺りで、丸椅子に座って行う感じです。30分程の会です。話し合いではなく、各自に与えられた心に聴き、静かに持ち帰ることを大切にします。まずは、月に一度のペースで行う予定です。

 

▼4回目となり、だいぶ簡略になりまして、8月のみ言葉カフェは以下のようなご案内がでました。
【8月20日(日)・週報でのご案内】
○《本日は「み言葉カフェ」の日曜日です》礼拝・み言葉・賛美などの恵みを分かち合う豊かな会です。初めての方も心配なくご参加下さい。静かに聴いているだけでも大丈夫な気楽な会です。礼拝堂の後方にて。

 

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み言葉カフェ、毎回、少しずつメンバーの入れ替わりがありますが、いつも参加される常連さんが多分5,6名は居られます。10名前後の方たちが集まって来て、約束通りに、開始後30分以内に解散、という会の持ち方を徹底しています。

 

当然、礼拝メッセージの内容についての思い、恵み、気付きを語って下さる方も居られます。或いは、それ以外の日曜日の恵み、が様々に語られるのも楽しいものです。

 

今回も「きょうは、キリスト教基礎講座にでられて本当によかった。・・・今ひとつ最近元気がでなかったのだけど、今朝、教会カレンダーを見るとキリスト教基礎講座があることを思い出して・・・」とか、

 

「昨日は所用があって遠方に出掛け、体調も崩していました。実はほとんど寝ていません。でも、こんな時に神さまが考えて下さって・・・」というような声も聴かせて頂きました。

 

或いは、「礼拝で森先生が語られた・・・・・・集いのことを聴いていて・・・ときのことを思い出しました」という声もありました。

 

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礼拝後の集会室での「ほっとタイム」での気楽で気さくなお茶のみの時間も楽しいものです。うそいつわりなく、ほっとする時間です。

 

でも、月に一度でも、教会らしい形で、信仰の言葉・信仰の出来事に互いが心傾けることができるのは本当に嬉しいことですし、教会生活を送る人々の集いの場の意味を思うと、幸せを感じます。

 

み言葉カフェ。

 

基本的に質問なし、感じたことをそのまんま語ることを大切にしていますので、聴くことに徹する時間もやはりとてもよいものだな、と思うのです。

 

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もう一つ、み言葉カフェで大切にしているのは、腹7分目位で終わりましょう、ということかも知れません。

 

時間は30分以内で必ず終了とすることを徹底しています。それより早く終わる場合もあり、と考えています。

 

世の中、食べ過ぎて健康によい、という話は聞いたことがありません。同様に、食べ過ぎて信仰によい、というのもないのです。

 

腹8分でも多すぎる、腹6分だと物足らない。7分目だと、次回が楽しみになりますね。

 

説教でもそうかも知れません。わたくしの語る説教も、礼拝にお出でになっている方たちの満腹を目指すよりも、腹7分目位がおそらく丁度よろしいのだろう、と考えています。

 

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今号の写真。下にミニ写真館を置いておきますが、参加者の手の動きに少し注目してみました。

 

手は口ほどに物を言う、なんて言葉はありません。でも、実際は手は口ほどに物を言っているようです。

 

力をこめて語るわけではないはずなのに、何か、内なる思いを語ろうとするとき、ごく自然に、手も動き出しているのです。

 

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み言葉カフェのような集いを、とある教会ではほぼ毎週おこなっているという話を牧師センセイから直接聞いたことがあります。しかも、全員参加型で。

 

わたしたちは、とてもそこまでできません。

 

けれども、多分、これからもずっと続きそうな会として、み言葉カフェは落ち着きつつあるように思います。牧師が不在でもできる会。そういうこともかなり大事なポイントです。

 

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旭東教会のみ言葉カフェの時間。ぜひ、あなたも仲間入りして下さい。心より歓迎いたします。

 

ひと言もお話なさらなくても大丈夫ですよ。キリスト教会というもの、信仰をもっている方々のありのままを自然に感じられます。

 

すごーく楽な気持ちになる、本当によい時間でございます。聖霊が確かに働いているのだ、といつも思っています。end

 

 


ミニ写真館 み言葉カフェ  2017年8月20日 より Clickで大きくなります



2017年8月18日(金)№ 129『 旧約聖書を学ぶなら オススメはこれ 』

旧約聖書のみならず、と言えるのですが、聖書物語を読んでから、ふつうの「聖書」を読み始めますと、いっそう理解が深まるのではと思うのでございます。
旧約聖書のみならず、と言えるのですが、聖書物語を読んでから、ふつうの「聖書」を読み始めますと、いっそう理解が深まるのではと思うのでございます。

今週の写真、先日の日曜日の朝、9時10分~55分に行った「キリスト教基礎講座」で紹介した本です。

 

このブログの最後に丁寧にご紹介しています。

 

キリスト教基礎講座の時間。

 

わたくし(牧師のもりでございます)が信頼する伝道熱心な先生の〈ノート型のテキスト〉に従って、教会に来はじめて間もない方も、昔から来ている方も、ご一緒に、ちょっぴり深く、しかも楽しく学べる時間をもっています。

 

木曜日の祈祷会の前半の時間には、聖書そのものをじっくり学ぶ、いわゆる〈聖書講義〉を行っています。でも、キリスト教基礎講座ではそれはしていません。

 

もちろん、聖書がわかるようになるためのお話はたくさんありますが、聖書味読、というような時間とは違うのです。

 

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聖書というもの。間違いなく、世界中で一番発行部数の多い書物です。

 

でも、その中身がどんなふうであるのか。新約だけでなく旧約聖書を一人で読み始めてみて、「内容がよくわかりました」と言われる方に、少なくともわたしは、出会ったことがありません。

 

よく頑張った方でも、出エジプト記の20章までは、すごくおもしろかったですと言えるかも知れませんが、「レビ記」あたりで読む意味がわからなくなります。そして。だんだん迷路に入って行き・・・・・・ということが多いのでは、と思うのです。

 

もちろん、かく言うわたくしも、何がなんだかわからない頃が長くありました。

 

でも、それでは悔しいし、特に、神学校の受験前にはせめて一度は聖書全巻を読破しなければ、神学校なんてそもそも入れてもらえないのでは、と思いつつ、慌てていたのを思い起こします。

 

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このたびのキリスト教基礎講座では、もちろん、S先生のテキストに沿ってのお話もいたしましたが、わたしが参加者にお勧めしたのは、いわゆる「聖書物語」と呼ばれる書物の助けを借りる方法です。

 

旧約全巻の流れが直ぐに分かる人は居りません。それでまず、聖書の大筋を知って頂くにはどうすればいいのか、ということを考えてみますと、「聖書物語」を先に読んでおいてから、旧約の一巻一巻をゆっくり読み始める仕方が、わたし的にはぜったいお勧めなのです。

 

なーんだ、子ども向けの本ですか?そんなのは勘弁して下さい、と思われますか。

 

でも、本当に馬鹿に出来ないのが、世にある多くの聖書物語です。何より、牧師の説教も、格調高さを感じるような語り口でよく分からない話をすることの方が簡単なのです。

 

故・井上ひさしさんが、「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」と語られたことにも通じます。

 

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牧師であるわたくし自身が、このような聖書物語によってどれ程助けられてきたか、わかりません。

 

今でも時々開いてみることがあります。

 

自分の頭の整理にもなりますし、聖書を物語る、ということは説教の原点ですので、頭の中が整理されるだけでなく、聴き手の心に届きやすい言葉や表現についても考える切っ掛けとなるからです。

 

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もう一つついでにと言ってはなんでございますが、定番中の定番かも知れない、故・榎本保郎先生の名著『旧約聖書一日一章』にもお世話になって来ました。

 

これを傍らに置いて、旧約聖書を3章くらいずつ読むのも、良いものだと思います。

 

神学生時代に当時の校長先生による説教演習に近い時間を持っていたとき、同級生が指導教授からの「黙想が足りない」という指摘を受けた時にこう言いました。

 

「出来ないッスよ。せいぜい、おれらに出来るのは、榎本保郎先生の一日一章から考えるくらいしか・・・」と口にしたことが忘れられません。

 

話は戻りまして、とにかく、やはり写真にあるような聖書物語を手にされた方がいい、と今は考えているのです。その後で、旧約聖書とじっくり向き合って頂けると、概ねの筋が先に分かっているわけですから、理解度がぜんぜん違います。

 

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もう一つ少し違う角度からお話いたしましょう。

 

実に、福音書をはじめとする新約聖書を理解する上で、旧約聖書の面白さや勘所を押さえているか居ないかは、決定的な違いがあるのです。

 

何しろ、イエスさまご自身が、旧約聖書を聖書として読んでおられた方ですし、イエスさまが福音書を書かれたわけではありません。

 

例えば、富士山山頂を目指すことをイメージしてみましょう。

 

いきなり七合目辺りまでヘリコプターで運ばれたとしたら、確かに楽な部分があります。時間も相当短縮されるのです。

 

でも、それは登山の面白さの大半を捨ててしまっているのと同じです。登山口の辺りまで車でやって来る方法をとったとしてもです。

 

やはり、基礎と申しますか、土台と申しますか、山裾の美しさや入り組んだ道を知って居てこそ、山頂付近に達した頃の喜びの度合いが違って来るわけです。

 

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恥ずかしながら、のお話を少しばかり記します。

 

振り返って見ると、伝道者として駆け出しだった頃のわたくし。正直申し上げると旧約聖書から逃げたい、という気持ちをもっていたのです。

 

だからこそ、旧約からの説教に取り組みました。決してそれだけが理由ではありませんけれども、自らに言いきかせていたものです。旧約、きゅうやくも、キュウヤクから、と。説教者としても本当に勉強不足、力不足だったなぁと思います。

 

イザヤ・エレミヤ・エゼキエルなどの大預言書、その他の小預言書を一節一節ていねいに学び終えたのは、身体をこわしての休養中のこと。次の任地に備えて有り余る時間があったので、ようやく向き合えたというのが正直なところなのです。

 

ちなみに、旧約聖書の中の福音書と呼ばれることのある「詩編」の本格的な学びは、今、旭東教会の祈祷会でやっております。ようやく詩編60篇代に入りましたが、気合いを入れて150篇までというのはわたし自身、伝道者になってこれが初めてです。たのしみつつ、苦労しつつの現在進行形です。

 

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神さまのなさることは、みなその時に適って美しいなぁ、と思うことが、キリスト教基礎講座のある日には不思議に起こります。

 

8月13日(日)の10時15分からの主日礼拝の説教の中で、キリスト教基礎講座で語ったことに数度触れることになったからです。語り出す前にはそういう展開になるとは思いもしませんでした。説教の準備メモにも当然なにも記していません。

 

偶然そうなったのか、と言えば、そうではないと思います。神さまからすると必然なのです。そして基礎講座に参加されていた方の説教の理解度は、相当奥深いものになったのではと思います。

 

なぜなら、40分程前に、キリスト教基礎講座で聴いたことが、思いがけず、創世記19章のみ言葉を理解するときに証明されていったはずだからです。

 

お時間がありましたら、礼拝音声メッセージ・「http://kyokuto-words.seesaa.net/」の説教ブログで、8月13日の説教を聴いて頂けると何かを感じられるはずです。さいごの最後にどんでん返し的なことが語られます。

 

不思議だなと感じるところには、既に、神さまが働いておられます。はい。

 

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おしまいに、上にある写真の本の中で、特にお勧めを紹介しておきましょう。

 

1)『聖書物語365話』(斎藤寿満子訳)
*わたしの手元には〈同盟社版〉がありますが、講談社の文庫版が存在するはずです。誰かのところにいって、今見当たりません。訳者はわたしのたいせつな先生のお一人「寿満子先生」です。この本があれば、旧約聖書の大筋は必ずわかるようになります。

 

2)『はじめての聖書 1 旧約篇 古くからの約束』(こぐま社)
*これも素晴らしいです。簡潔ですが、決してあなどれないです。新約篇もあります。

 

キリスト教基礎講座の中では、他にも、あれこれと、わたし自身が取り組んで来た、旧約聖書の読み方についてのお話しております。

 

どうぞ、どなたでも参加できる講座ですので、興味のある方は、これから仲間入りして下さいね。ご一緒できる日が来ることを楽しみにお待ちしています。

 

なお、旭東教会では、おひとりお一人のご都合に合わせての、入門講座、聖書の読み方の講座も臨機応変に随侍行います。教会が初めての方、聖書を読んだことのない方も心配なくお問い合わせ下さい。それではごきげんよう。end

 

 

2017年8月11日(金)№ 128『 教会で戦争体験を聴くということ 』

2017年8月6日 平和聖日インタビューのひとこま。インタビューを受けて下さったのが真ん中の靖さん。聴き手は左が安佐子さん、右側が森牧師です。
2017年8月6日 平和聖日インタビューのひとこま。インタビューを受けて下さったのが真ん中の靖さん。聴き手は左が安佐子さん、右側が森牧師です。

 

こんにちは。皆さんの教会では、平和聖日をどんなふうにお過ごしになりましたか?

 

あるいは、まだ教会につながっていない方は、今年の夏、平和への思いをどのように深めるきっかけを持とうとしておられるでしょう。

 

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わたしたち旭東教会では、昨年に続いて、礼拝後の報告のあと35分程ですが、戦争体験インタビューという形でお話をお聴きする時間をもちました。

 

昨年は、光子さんより、広島県呉市に疎開をされていた当時のことを中心に伺いましたが、今回は、昭和4年・1929年生まれの靖さんがお話し下さることになりました。

 

写真がその時の一枚です。

 

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岡山空襲が1945年6月29日の未明にあった。

 

それは去年、会員の関係者が、高校生に舞台で演じてもらう形で、演出助手的な立場で製作に関わっておられたことから、私も(牧師のもりでございます)はっきりと知るようになりました。

 

岡山に来てから、まだ、3年目ですので、知らないことが当然たくさんあります。

 

それでも、今回、靖さんのお話を聴いていて、そうか、そうなんだと、B29の飛来の姿、大量の焼夷弾を落としていく様子が、これまでよりは、かなりリアルに思い浮かぶようになりました。

 

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当日は全部で16ページにわたる『岡山空襲の記憶』という冊子を教会内でも配りました。どうやら、小学生以上のお子さんたちの平和学習のための資料のようです。

 

そこには1944年11月29日から始まったと思われる、日本各地でのアメリカ軍による空襲の年譜がわかりやすくまとめられています。

 

もちろん、わたしたち、戦争に対する加担責任もありますから、その点は決してけっして忘れてはならないものです。零戦が奉納されることを祈願する、祈りを、日本基督教団はささげておりました。わたしたちはその責任を担って行くことも必要です。

 

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さて、インタビューを受けて下さった靖さんですが、実は、そのまま読み上げて下さってもよかった手書きの原稿が準備されていました。

 

88歳のご婦人がそれをまとめるのは、わたしがキーボード入力するのとはわけが違います。あっちこっちにしまい込まれていた情景、音、匂い、そして、恐怖や悲しみ。

 

そうしたものを紡いで下さるのに、どれほどのエネルギーが必要だろうか、ということを、今こうしてBlog・教会日記に書き始めて改め知るものです。

 

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とても小柄でいらっしゃる靖さん。お疲れになるのも当然だろうな、と思います。

 

インタビューが終わってからのほっとタイムというお茶の時間に、教会の方々と一緒に写っている写真には、疲労の色が感じられました。

 

へぇー、やっぱりそういうものなのか、と思うことがありました。それは、いつも靖さんと一緒に礼拝にお出でになるご長女の言葉です。

 

ひとづてに先日聴いたことですが、そのお嬢さんも、平和聖日礼拝で初めて、お母さまの空襲体験を聴かれた、ということです。この事実に触れて、わたくしあらためて、戦争とはどういうものなのか、を考えさせられます。

 

今は亡きわたくしの父方のクリスチャンの祖父が居りました。明治43年・1910年生まれで、平壌、現在の北朝鮮での少年院関係の仕事に就いていたことを知っています。しかし、平壌でのことについて殆ど語ろうとしなかったと思いますし、聴かせてもらう努力も、足りなかった。今更ながら思います。

 

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神の家族として生きるわたしたち。こんな形でお話を聴くことが出来るのは、とても意義深いことだと思い直しています。

 

いつもとは違う、遠いどこかに出掛けて行って戦争の恐ろしさについて学ぶ、ということではなく、わたしたちクリスチャンにとって日常空間である、礼拝後の報告時に、席を移動することなくお話に心傾けることが出来たこと。

 

これが何よりの恵みだと思います。礼拝の空間でこうしたお話を聴くこと。他の教会でもそれぞれ工夫をされているとしても、意外にむずかしいことではないかと思うのです。

 

そういう意味からも、わたしたち旭東教会、このような時間を続けられる限り、努力しながら、なんとか続けていきたいと考えております。

 

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わたしの母は昭和6年生まれであります。30数年前に52歳で召されていきましたが、中学生だったであろう母の終戦はどんな風だったのか。

 

残念ながら、わたしは知りません。父は昭和2年生まれ。父の終戦もはっきりと聴いた記憶がないのです。

 

これまた少し複雑な思いになります。そして、だからこそとも言えるかも知れません。

 

神の家族の証言を、教会の礼拝堂で、神の家族と共に聴き続けることをたいせつにしていきたいと。end

 

 


平和聖日インタビューの様子をもう少し写真でどうぞ Clickで拡大



2017年8月3日(木)№ 127『 〈病床訪問〉聞こえていますね いつも 』

病室をお訪ねしたとき、勝子さんのご主人の正さんが、可愛らしいお菓子の袋詰めと共にカードをくださいました。安佐子さんも、懐かしいお味のビスケットと冷たくて美味しい緑茶を準備してくださり、その後の歓談のときに頂きました。
病室をお訪ねしたとき、勝子さんのご主人の正さんが、可愛らしいお菓子の袋詰めと共にカードをくださいました。安佐子さんも、懐かしいお味のビスケットと冷たくて美味しい緑茶を準備してくださり、その後の歓談のときに頂きました。

 

入道雲がいちばんふさわしい季節を迎えました。

 

旭東教会のある西大寺からも、きょうの午後、北の方の空の端っこに、見事な入道雲たちが連なって見えました。うろこ雲も見え始めるのもそう遠くないかも知れません。

 

わたくし(牧師のもりでございます)なんとも言えず、幸せな気持ちになったものでございます。

 

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さてさて、7月30日(日)の夕方16時過ぎの嬉しい出来事をご報告したくて、今、「Blog・教会日記」を記し始めています。

 

この日、礼拝が終わり、午後の壮年会・女性の会も終了。いったん、休憩してから、市内にありますキリスト教精神に基づく病院の病床を訪問いたしました。

 

そちらの病院。

 

理事長先生から「賛美歌は、いつでも、遠慮なくおおきな声で歌って下さい、わははぁ」とのお墨付きも頂いておりまして、とても安心してお訪ねできる環境があります。

 

訪問先は、偶然お部屋が並んで入院治療中の、〈勝子さん〉と〈信治さん〉のお二人でした。

 

お部屋を訪ねたのは、それぞれのご家族である正さんと安佐子さん、そして、泰さんと寿子さん、そして牧師夫妻という組み合わせでした。

 

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うっかり、カメラをもっていくことを忘れてしまいましたので、病室での写真はありませんが、深く心に残る、ひとときを過ごすことになりました。

 

それぞれのお部屋で、いつものようにちいさな礼拝の時をもちました。

 

まず、〈勝子さん〉のお部屋では「主われを愛す」を賛美し、詩編139篇を朗読。このような一節がある詩編です。

 

主よ、あなたはわたしを究め
わたしを知っておられる。

わたしの舌がまだひと言も語らぬさきに
主よ、あなたはすべてを知っておられる。

 

 その後、メッセージを語りました。

 

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しかも、そのメッセージでは、教会の近況を、勝子さんに聞いて頂きたいと思い、ご一緒した方たちが勝子さんの枕元でお話しする、というスタイルをとったり、その延長線で、正さんが力を入れている野菜作りのことなどを、勝子さんに聴いて頂いたのです。

 

勝子さん

 

最近は、なかなか目をパッチリ開いてお話を聴かれるということが少ないとお聴きしておりました。

 

ところが、この日の勝子さん。

 

本当に不思議な位に、つぶらな瞳を開いてくださったのです。

 

賛美の時間もそうでした。また、皆さんの語り掛けの時間もそうでした。

 

「勝子、きょうはよかったなぁ、よかったなぁ」という正さんの別れ際の声掛けにも力が入りました。

 

我々、訪問させて頂いた一同も、幸せな気持ちになりました。お訪ねできてよかった、と心から嬉しくなりました。

 

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続いてお訪ねしたのは、お隣のお部屋の〈信治さん〉でした。

 

信治さんは大阪ご出身の方。

 

高校時代は、かつて高校野球で甲子園を目指すとしたら「波商」(現在の大阪体育大学浪商中学校・高等学校)だろう、という時代がありましたが、その「波商」野球部に部員が100名を超える位在籍された頃の球児です。

 

ですから、お部屋に入って直ぐに、夏の高校野球の話題を耳元でお話したあと、今度は「いつくしみふかき」を賛美し、詩編56篇の9節を読みました。

 

 あなたはわたしの嘆きを数えられたはずです。
 あなたの記録に
 それが載っているではありませんか。
 あなたの革袋にわたしの涙を蓄えてください。

 

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信治さんは、子どもたちへの伝道の重荷を喜んで負って下さる方です。

 

今、病床にあって、お声は聞こえませんが、祈り続けてくださっていることと思います。

 

ですので、7月23日(日)の「夏のファミリー礼拝」の様子を報告。久しぶりにお出でになった、Sちゃんの保護者のAさんが、教会で初めて涙を流されたこと、幾人かの方にhugされてホッとされたことなどもお伝えしたのです。

 

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その後のことです。

 

信治さんも、お身体を思うように動かすことができなくなって数年が経過。わたしも旭東教会に着任してからお声を聞くことができないままでした。

 

ところが、この日、わたしたち信治さんのお声を聴いたのです。

 

とは言え、それは16年ほど前のもの。キリスト教放送局FEBCさんから、つい最近ご家族の安佐子さんが頂いたCDの中の声です。

 

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在阪の頃、信治さんが当時在籍して居られた、大阪のとある教会をキリスト教放送局FEBCさんが取材に訪れ、その日の礼拝で、お祈りをされたのが信治さんだったことを奥さまの安佐子さんが思い出されました。

 

そして、旭東教会の1月29日の取材の折りに、「あの時の放送のダビングを頂けないでしょうか」とリクエスト。

 

なんと、旭東教会の取材に来て下さったスタッフの安保ふみ江さんが、7月23日(日)FEBCの旭東教会の礼拝がラジオ放送でオンエアとなる直前に探し出して下さり、録音を贈って下さったのでした。

 

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話は戻ります。

 

7月30日(日)の信治さんのお部屋でのちいさな礼拝時、その信治さんがお祈りされたお声も収録されている放送を静かにCDプレーヤーで掛け続けて待ちました。

 

そして、そろそろ礼拝のためのお祈りという時に、一同、心を合わせようとしたのです。

 

とその時です。

 

いつもはお休みになっていることが多く、お話をしても、どんな風に聞こえているのだろうか、やっぱり無理かなぁ、なんて思いそうになることもあるわたくしですが、信治さんのお耳、はっきりと聞こえていることがわかりました。

 

信治さん、ご自分の声がCDプレーヤーのスピーカーから流れ始めた瞬間、今までに見たことがない位に大きく目を開かれ、じっと耳を澄ましているではありませんか。

 

我ら一同、心からの感謝をこめて、信治さんの祈りに「アーメン」いたしました。

 

先程、安保ふみ江さんに電話で、病室での出来事をお伝えいたしました。安保さん、「スタッフ皆に伝えさせて頂きます」と喜んでくださいました。

 

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わたしは教会の日曜日が大好きです。

 

きょうは、どんな出会いがあり、どんな福音の出来事が起こるのだろうか、備えられているのだろう、と考えるとわくわくします。本当に楽しみなのです。

 

この日も、教会でもさまざまに嬉しいことがあったのですが、とりわけ、お二人の病室で小礼拝をまもったひとときは格別なお恵みに与れたなぁと思っています。

 

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今、旧約聖書のイザヤ書40章28節~31節を思います。

 

あなたは知らないのか、聞いたことはないのか。主は、とこしえにいます神
地の果てに及ぶすべてのものの造り主。倦むことなく、疲れることなく
その英知は究めがたい。
疲れた者に力を与え
勢いを失っている者に大きな力を与えられる。
若者も倦み、疲れ、勇士もつまずき倒れようが
主に望みをおく人は新たな力を得
鷲のように翼を張って上る。
走っても弱ることなく、歩いても疲れない。

 

**************

 

わたしたち、それぞれに、新たなる力を頂いたことを確信いたしました。

 

ぜひ、このホームページをご覧下さっているあなたも、このような福音の出来事、ご一緒してください。

 

教会員一同、心よりお待ち申し上げております。end