2017年4月29日(土) № 113 『 のんちゃん ありがとう 』

2017年4月27日(木)、のんちゃんをお訪ねしました。賛美し、聖書を読み、お祈りしていると、のんちゃん、すやすやし始めました。
2017年4月27日(木)、のんちゃんをお訪ねしました。賛美し、聖書を読み、お祈りしていると、のんちゃん、すやすやし始めました。

4月27日(木)の午後3時過ぎ。

 

教会員の寿子さんのご子息、望(のぞむ)さんが日々をお過ごしのお部屋を、わたくし(牧師のもりでございます)と美樹さんの二人でお訪ねしました。教会から車で45分程あれば着くところです。

 

望さん、ある病院内に併設されている病棟の四人部屋の窓辺のベッドで、軽い点滴を受けながら、数日前から発熱もあったそうですが、穏やかにお過ごしでした。お熱がでることもよくあるそうです。

 

以下、寿子さんのにっこり笑顔での了解のもと、ご報告を兼ねて記させて頂きます。

 

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寿子さんのご長男の〈のんちゃん〉。

 

お母さんのお腹の中からこの世に出てくるその時に、重大ないのちの危機に直面。

 

おそらく、母子共に危険な状態だったのではと想像します。

 

でも、神さまからいのちを与えられて、去年、病棟内での成人式を迎える人生の旅路を過ごして来られたそうです。

 

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のんちゃん

 

お母さんの寿子さんをはじめ、ご家族、そして、医療の分野、福祉関連の皆さん、教育畑の方々、また、地域の方たちに支えられて今に至っておられることをうかがいました。

 

ベッドの傍らで、そして、その後、病院の中にある、気持ちのいい景色の見える快適な空間に腰を下ろして、のんちゃん関連のことも含めてあれこれ語らいました。

 

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のんちゃんが日々を過ごしている施設は、入所希望が70人待ちというような状態と言われていたと思います。

 

ところが、全く思いがけず、2年程前に、「息子さんをお迎えする準備ができました、いかがなさいますか」という連絡を受けたそうです。

 

本来ならば、何年も、何年も待ち続けても入所は困難。そんな状態だとお母さんの寿子さんは思われていたようですが、他の方たちよりも優先して、「どうぞ、お出で下さい」という連絡が入ったと言われました。

 

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寿子さん

 

高校卒業までの18年と少し、ずーっと、一緒に居ることが当たり前だったのですから、施設の方々にご子息を預け、委ねることには、わたしたちには想像もつかないような逡巡があったと仰っていました。

 

「それ位、息子の状態は重症であると判断されたということだったんです。わたしとしては、首も据わらない息子の状態が当たり前で、入浴から、学校関連のこと、時々お世話になる救急車での搬送なども幾度もあり、慣れてしまっていて普通のことになっていました。でも、お医者さまやスタッフの方たちからすれば、そうじゃなかったということなんです」

 

そんなふうに教えて下さいました。

 

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さてさて、ベッドの傍らに三人が立って、しばらく様子をうかがったのちに、リクエストも頂いていた三つのことをいたしました。

 

一つは、賛美歌をぜひ息子の傍らで歌って頂けますかというもの。4人部屋なのでちいさな声になるかも知れませんが、それで構いません、と聞いていました。

 

二つ目と三つ目はセットのようなものですが、聖書を読んで、息子のためにお祈りをお願いします、ということでした。

 

もちろん、ごくごく当然のこととして、そうしてさし上げたかったのですが、お母さまの寿子さんから、なるほどと思われることをうかがっていました。

 

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「息子のために、何かをしてあげなくちゃ、と目の前のことでずっと走り続けて来ました。でも、お祈りをお願いします、ということは考えることが出来なかったし、それが出来ないままでした」と事前にも、お部屋を出てからもお聴きしたのです。

 

のんちゃん

 

誰かの呼びかけに、応えることは、基本的にはありません。お話もなさらない。

 

食事もいつからだったか明確に記憶できませんでしたが、今は胃瘻と呼ばれる形でとっておられます。

 

そんな中でしたが、わたくし、ベッドで寝ているのんちゃんの左手を握ったり包んだりしながら、話始めることにしました。

 

「のんちゃーん、お母さんの教会の森先生だよ。これから賛美歌を歌うよ、聖書を読むよ、お祈りもしようね」と。

 

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賛美歌は三つ、選んでました。

 

まず最初は「讃美歌21-490番 かみさまに感謝」でした。

 

かみさまに 感謝しましょう、
ハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ。
かみさまは よいものをくださった、
ハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ。

 

「よいものをくださった」を「望くんをくださった」に代えて、歌いました。

 

その他、「いつくしみ深き」(21-493)と、「貴きイェスよ」(21-67)という寿子さんの洗礼式の時に歌った賛美歌を歌いました。

 

のんちゃんの手を握りながら。

 

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その後、聖書を読む頃だったのか、賛美歌を歌っている頃だったか、のんちゃん、うとうとし始めました。

 

いつものことなのかなぁ、と思っていましたが、どうやら違うようです。

 

お母さまの寿子さん「緊張して、体が硬直していることが多いのに・・・」と言われました。

 

手を握ったり、触っているわたしも心地よかった、というのが本当なのですが、どうやら、その気持ちの良さは、のんちゃんにも伝わっていたようですし、のんちゃんも気持ちよかったのだと思います。

 

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そうです。

 

のんちゃん、何かを感じていてくれたのです。

 

「いつの間にか、おじさんみたいな声をだすようになって」とお母さんが言われる場面がありました。

 

声を出すと言っても、お話ではありません。苦しいから、「うー」なのか、たまたま、「あー」なのか。

でも、スヤスヤ、うとうとし始めたのんちゃん。

 

安心してくれたのかな、と思います。

 

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「望くんの名前が出てくるよ」

 

そんなことを言いながら、ヘブライ人への手紙11章1節を読みました。

 

【 信仰とは、望んでいる事柄を確信し、

  見えない事実を確認することです。】

 

わたし自身の言葉でもお祈りしましたが、しめくくりは、礼拝の最後の祝福でも祈る、民数記6章23節以下の祝福の言葉にしました。

 

【 主があなたを祝福し、あなたを守られるように。
 主が御顔を向けてあなたを照らし あなたに恵みを与えられるように。

主が御顔をあなたに向けて あなたに平安を賜るように。】

 

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シンガーソングライターの中島みゆきさんの歌に、こんな歌詞が出て来ます。

 

Remember   生まれた時 だれでも言われた筈
耳をすまして思い出して   最初に聞いた   Welcome

 

Remember   けれどもしも 思い出せないなら
わたし いつでも あなたに言う 生まれてくれて  Welcome

 

Remember   生まれたこと
Remember   出逢ったこと
Remember   一緒に生きてたこと
そして覚えていること 


 (中島みゆき・作詞作曲「誕生」より)

 

神さまからのお言葉とお祈りと同時に、こんな思いも携えて行きたいと思っていました。

 

そして、この日の訪問では、のんちゃんに、その心の、ほんとうに一部かも知れませんが、お届けできたのかなぁと感じています。

 

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のんちゃん

 

いつかクリスチャンになってくれる日が来るのではなかろうか。

 

そんな祈りを持ち始めています。のんちゃんの信仰告白は、手をつないで賛美し、聖書を読み、みんなで祈る。

 

その時に、眠り始めてくれたらそれでいいんじゃないか。

 

わたしは、今、そう思っています。

 

邂逅(かいこう)というような言葉でも言い尽くせない何かを感じて、教会に帰って来ました。

 

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木曜日でしたから、夜は祈祷会です。

 

お母さまの寿子さんもレギュラーメンバーです。

 

美樹さんがカメラマンになってくれて撮影した、この日の望くん訪問の様子を、皆さんにパソコン画面で紹介。

 

「讃美歌21-490番 かみさまに感謝」を再び歌いました。

 

歌詞を読み替えるところは、のんちゃん、寿子さんと入れ替えて、賛美できました。

 

豊かな一日でした。深い一日でした。

 

神さまはすべてをご存知です。のんちゃんをこの世におくって下さったのは神さまです。

 

寿子さんも、わたしたちも、それぞれに新しい芽吹きと息吹を頂いた。

 

そんな気持ちで今過ごしております。end

 


〈 のんちゃん 〉を 訪ねました また 出掛けるよ Clickで大きくなります



2017年4月22日(土) № 112 『 信仰の〈 かたち 〉 』

2017年・旭東教会の〈イースター卵の樹〉です。紫陽花の枝と共にうつくしい、と思いました。感謝
2017年・旭東教会の〈イースター卵の樹〉です。紫陽花の枝と共にうつくしい、と思いました。感謝

イースターおめでとうございます。

 

各地の教会、それぞれのお宅で、イエスさまのご復活の恵みが豊かに広がりますように。

 

さてさて、きょうのBlog・教会日記のタイトル。『信仰の〈かたち〉』といたしました。

 

なんだか、ちょっとむつかしい感じがするタイトルですが、これをもとに、わたくし(牧師のもりでございます)ご一緒に分かちあえればと願っています。

 

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2017年のイースターを迎えて、考えはじめていることがあります。

 

それは「イースター卵の樹」(勝手につけた名前ですが)が礼拝堂に飾られて、その創作のご奉仕をされた(風邪をひいて休んでいた)美樹さんの言葉を聴いたことが切っ掛けでした。

 

そして、あー、それって、とっても多くのことにつながって行く大切な鍵、或いは、扉なのではないかなという気付きを与えられたように思うからです。

 

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美樹さん、わたくしの妻の名前です。

 

牧師館で家族として共に暮らしているわけですが、4月16日のイースターの数日前から、発熱でダウン。

 

イースター前の大切なひととき、洗足の木曜日の「受難の賛美と黙想のとき」や聖金曜日の「受難日礼拝」にも出席できませんでした。ようやく、快復しつつあるこの頃です。

 

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美樹さん

 

復活祭に向けてたぶん3ヶ月近く前から何やら構想を練り始めて、イースターのシンボルのひとつである卵を使っての創作(工作に見えましたが)をこつこつと続けていました。

 

こんな感じになる、というのをご本人はイメージしていたのだと思いますが、わたくしの鈍感な感性では、カンセイ後の予想図が正直なところ分かりませんでした。

 

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イースター当日、陽射しがやさしく射し込む礼拝堂前方に置かれた〈卵の樹〉ほか、とってもうつくしいものでした。

 

美樹さん、教会に暮らして居るということで、体調がすぐれない中、前日の土曜日遅くに、わたしでは役に立たないこともあり、何日も前から完成していた飾りを降ろしました。

 

遠くから眺めても、近くから見てもうつくしいなぁと感じました。

 

人それぞれに受け止め方はあると思います。でも、どこかの書籍に全く同じものがあるのを観たこともありませんでした。

 

卵の樹の枝は紫陽花でした。書子(ふみこ)さんのお宅から頂いたものが、芽吹き、緑がまた素晴らしくうつくしい。感嘆しました。

 

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旭東教会ホームページを観て、美樹さん宛にですがお葉書が届いていました。信頼する信仰の友からのもの。

 

そこには「愛餐会で卵を配ることしか考えていなかったので反省しました」という意味のことが記されていました。

 

そうか、そうだよな、でも、普通はそれで精いっぱいだよなあ、○○さんの教会は大きな教会だし、と思ったものです。

 

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復活祭の夜か、その翌日だったか。美樹さんがぽつりとこう言いました。

 

九州は博多出身の美樹さんですから博多弁です。

 

「あの卵、わたしの信仰告白やけん」と。

 

その時も、素直になるほどと思いました。特に美樹さんの場合、人前で話をすることは苦手だなぁ、との思いがあるのかも知れません。

 

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そして、今、もう少し大きな目で〈信仰のかたち〉ということで思い巡らしてみると、人にはそれぞれの信仰の現し方があることに気付かされたのです。実に鈍感な話で恥ずかしくもありますが・・・。

 

考えてみれば、週毎の、礼拝堂に〈お花を生ける〉奉仕もしかり、礼拝の予告掲示のための〈毛筆〉奉仕もそうです。もちろん〈奏楽〉奉仕も立派な芸術であり信仰のかたちです。

 

愛餐会の〈お料理〉も、綿密な準備が必要。旭東教会のイースターの食卓に並んだ「ばら寿司や桜餅」。心底美しいものだと思いました。食べ始めるのがもったいないくらいきれいでした。

 

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わたくし、礼拝説教でも、世の同労の牧師たちと比べ、比較的たくさんのキリスト教絵画に触れることが多い者です。

 

そのようにしているのは、個人的にキリスト教絵画によって信仰の眼が開かれてきたいろいろな経緯があります。

 

そして、長いキリスト教会の歴史の中で、やはり、芸術は信仰のひとつのかたちとして、重んじられてきたことと無関係ではありません。

 

キリスト教はことばが重んじられる宗教だと言います。それは間違いないこと。神のみ言葉、聖書、説教、さんび、信仰の告白とどれもことば抜きでは考えられません。これからも変わらないでしょう。

 

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けれども、今一度、やわらかな心と感性で、考えて見る必要がありそうだと思い直しています。

 

信仰の立場にたって、プラカードを掲げて声を上げる生き方もあります。座り込みをすることもある。

 

芸術の世界も幅が広いものです。音楽の分野も含まれます。キリスト教絵画、あるいは、初めて見たときにわたしには奇異にさえ感じた、リタージカルダンス、というものもあります。

 

水野源三、星野富弘、八木重吉というキリスト教信仰に生きる(生きた)詩人たちも思い出します。

 

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信仰義認の立場を最重要と考える方たちからすると(例えばルター)、「藁(わら)の書簡」とすら呼ばれ、軽んじられた歴史もあるのは『ヤコブの手紙』です。

 

しかし、最先端を歩まれる聖書学の先生からすると、今日(こんにち)、『ヤコブ書』こそ、もっとも見直されるべき書簡である、ということも言われるのがキリスト教の世界の現実でもあります。

 

わたしなど、ことばで語り伝えることが当たり前のつとめに仕えていますから、苦労はあるにせよ、お話することを通して、信仰を表明するということに慣れすぎているのかも知れません。

 

もっとことばを添えるならば、存在の貴さ、Beingの貴さから、わたしたち、教会生活を考えて行く必要がありそうです。

 

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教会の世界、信仰の世界の奥深さを考える切っ掛けとなった旭東教会の〈イースター卵の樹〉。

 

そして、「あの卵、わたしの信仰告白やけん」ということば。

 

主がお示し下さったこととして、しっかり受け止めて行きたいな、と思った次第です。

 

どうぞ、旭東教会にどなたもお気軽においで下さい。一同、心よりお待ちいたしております。信仰の旅路をご一緒いたしましょう。end

 

以下、ミニ写真館で、ゆたかな信仰のかたちをお楽しみ下さい。


旭東教会 信仰のかたち (コメントなしです) Clickで大きくなります!



2017年4月15日(土) № 111 『 洗足の木曜日、そして受難日礼拝にて 』

2017年4月13日(木)の午前、「受難の賛美と黙想のとき」をもちました。その中で、ヨハネによる福音書13章に倣って洗足を実施!
2017年4月13日(木)の午前、「受難の賛美と黙想のとき」をもちました。その中で、ヨハネによる福音書13章に倣って洗足を実施!

こんにちは、明日はイースター・復活祭ですね。

 

Blog・教会日記のライターは今日もまた牧師のもりでございます。よろしくお願いします。

 

今、お昼の12時前。午後からは、教会のお台所で、明日の愛餐会に向けて、ばら寿司の仕込みが始まる頃です。

 

ばら寿司。

 

岡山にはじめて降り立ったときに、ご馳走して頂いたのが、JR岡山駅の駅ビルにある、とてもきれいなカウンターのお寿司屋さんのばら寿司でした。

 

それから、着任歓迎の愛餐会のメニューもばら寿司だったことを思い出します。キーボード入力しているだけでお腹がすいてきます。本当にたのしみだなぁと思います。

 

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さてさて、今回は、受難週の振り返りの日記です。

 

これまで何十年にもわたって続いてきたはずの「受難週・早天祈祷会」に代えて、今年は思いきって「受難の賛美と黙想のとき」を洗足の木曜日に、そして、きのうは「受難日礼拝」を守りました。

 

いずれも、朝10時からと夕方は19時半からの二回。

 

今年は5時過ぎに起きる早起きもないし、だいぶ楽な受難週になるかも知れない。そんな悪魔のささやきが、少なくともわたしの耳元には聞こえていました。

 

結果はどうだったか。正直に申し上げると、なかなか鍛えられる一週間でした。

 

すごーく恵まれましたが、なにぶん初めて取り組むことが多く、すこしばかり準備が大変だったのです。

 

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見本となるプログラムなどが手元にあるわけでもありません。さまざまなことを学ばせて頂いたり、経験して来た中でのオリジナルを創り始めました。

 

場所はいずれも礼拝堂。

 

でも、それだけで準備が整うわけがありません。日曜日の礼拝の席に座って、ただ何となく、賛美歌をめくっては歌い、立ち止まるというのではもの足りないなぁ、と思ったわたくし。

 

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火曜日の朝だったでしょうか。

 

そうだ、先ずは、礼拝堂のセッティングをしようと思いたちました。そして、下の方にupしたような、なかなか、goodな空間が誕生。

 

旭東教会では夕礼拝を5月から月に1,2度始めますが、夕拝もこんな形でしたいなぁ、と思う程に気分が落ちつく配置が生まれたのです。

 

夕礼拝の方は、椅子の移動が大変なのでちょっと無理だとは思いますが。

 

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でも、お席の準備が出来ても、それからのプログラム作りに悩みました。

 

「受難の賛美と黙想のとき」がおわってから、出席しておられた教会音楽に造詣が深い女性がこう言われました。

 

「先生、オラトリオでしたねぇ」「『礼拝と音楽』(季刊・日本キリスト教団出版局)に投稿したらどうですか」と。

 

まぁ、そんなことを感じるような、深く、豊かな、時になったということです。

 

よかった、嬉しいです。

 

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プログラムでは、まず【 降誕・公現 】【 生涯 】【 過越 】【 洗足 】【 裏切り 】【 苦難・十字架 】【 死 】【 信仰者の生き方 】【 永遠のいのちへの希望 】【 愛 】という項目立てを考えました。最後に【 主の祈り・祝福 】も置きました。

 

それから、ふさわしい賛美歌を、歌詞の内容からピックアップする作業が始まりました。

 

ヒムプレーヤーをかけたり、賛美歌略解をひらいたりしながら、ある賛美歌は2節だけ、ある曲は2節と4節、あるいはすべての歌詞、というような形で構成を練っていった次第です。

 

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わたくし、賛美していて泣けました。しばらく皆さんの歌声に心を傾けているだけの時間がありました。

うーん、何かのスイッチが入ったのでしょうか。

 

でも、それくらい豊かな、迫ってくるものが溢れるような時間だったのです。

 

参加された他の方たちはどうたったのか、まだ、聴いていませんが、たぶん、これまでに経験したことのないものに出会う経験をされたのではと思います。

 

いろいろな賛美歌の良さをあらためて学ぶ機会にもなりましたが、21-107「主イェスのみ名は」など、区分が「葬儀」に置かれている不運な賛美歌のようにおもいました。その歌詞の内容、そして、後半に入った辺りの高音の曲調、しびれました。

 

テゼ共同体の賛美21-112「イェスよ、みくにに」。

 

イェスよ、みくにに おいでになるときに
イェスよ、わたしを おもいだしてください。

 

こちらは繰り返しで(20回以上は続けました)、日本語でも日本語でも自由にどうぞ、ということで賛美しました。こちらも、すごい力をもっている賛美歌でした。

 

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とりわけ、「洗足」を実施したのは意義深いものとなりました。

 

ちょっとフライングぎみですが、2017年4月16日発行の週報:「窓」欄にその時のことを記していますので、ご紹介です。

 

                            *

 

【窓】『洗足(せんぞく)』


洗足の木曜日の(4月13日)朝夕。「受難の賛美と黙想のとき」をもった。主のご生涯をたどる賛美と共に〈洗足のイエス〉の姿も含まれるヨハネ福音書13章を朗読。

 

式次第には記していなかったけれど、水の入った〈たらい〉と新品の〈タオル〉も準備。洗足を行うことができた。

 

ひざまずいて足を洗う僕(しもべ)役を立候補された方から指名をお願いし「○○さんの足を洗わせて下さい…」という形で実施。

 

洗う役・洗われる役をされた双方、感慨深げな様子。「これは人生が変わります」のお声も聞こえた。

 

実はわたし、お子さんの足を洗わせて頂いたことはあるものの、まだ自分の足を洗われたことがない。どちらも必要、とようやく気付いた。(もり)

 

                            *

 

というような具合です。感謝な経験となりました。

 

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もう一つは、聖金曜日の「受難日礼拝」

 

朝に夕に、それぞれやってよかったなぁ、と思うことがありましたが、こちらも、ただ、聖書朗読して、お祈りして、賛美歌を歌いましょう、ではもの足りません。

 

何より、説教を準備するのに、式次第があるのとないのとでは全く違います。賛美歌を選び、祈りを配置し、黙想を入れ、聖餐式を行い、さいごは祝祷する。

 

普通ですと、この段階で語るべきことが見えて来ることが多いのですが、今回はメッセージが与えられるまでに、少し苦労がありました。

 

でも、今できる精いっぱいのことはやり切れたのでは、という感じもしています。メッセージそのものは、礼拝メッセージブログにアップロードしていますのでお聴きになれます。

 

よろしければどうぞ。

 

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説教うんぬん以上に、あの時間を共有できた方たちは、それを経験しなければわからない何かに触れられたのではと思います。

 

夜は、ある事情もあり、特に聖餐式を執り行ったのですが、今までに経験したことのない、主の血潮の力が迫ってくるひとときとなりました。

 

受難日に聖餐式。意義深いものだと教えられた次第です。

 

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18歳になったばかりの感性豊かなお嬢さんも出席してくれていて、

 

「もりぼくし、せんせいにあとででんわするかもしれない。いいですか」

 

と礼拝後に迫られて(笑)びっくりするやらうれしいやら。

 

そんな恵みにもあずかった次第です。

 

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たくさんの方でご一緒するのもうれしいですが、程々の人数で、しずかに、奥深く、過ごせた時間は貴重な経験となりました。

 

聖霊の導きを頂きながら、また、これからも受難週のプログラムをともに実践していきたいなぁ、と思った次第です。

 

つたないご報告でした。

 

旭東教会が経験しためぐみを少しでもお届けできれば幸いです。

 

素敵なイースター・復活祭をお迎え下さい!ご機嫌よう。end

 

下の写真はクリックで大きく美しく見えます(^^♪

 



2017年4月8日(土) № 110 『 抱きしめて お帰りなさい 』

2017年4月2日(日)礼拝にて 洗礼式の前に、受洗された寿子さんが皆さんの前で受洗への道を証しされました。うつくしい時でした。
2017年4月2日(日)礼拝にて 洗礼式の前に、受洗された寿子さんが皆さんの前で受洗への道を証しされました。うつくしい時でした。

2017年のイースター・復活祭を前に、旭東教会では、4月2日(日)の主日礼拝で洗礼式を執り行う恵みにあずかりました。

 

当初、イースターの洗礼式を目指していましたが、お仕事のご都合があり2週間早めた次第です。

 

でも、なんだかそれでよかった、いや本当によかったと確信しています。

 

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洗礼を受けられたのは寿子(ひさこ)さんです。

 

ホームページの今週の3枚!に、何ヶ月も前から、時々、ちらっとお顔が見えていたかも知れません。

 

昨年のアドヴェント前の大掃除の時には、頼りない男性陣にとってかわって、ワックスのモップ掛けのお掃除をしてくださっていた後ろ姿が眩しかったのを思いだします。

 

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先日の礼拝では、わたくし(牧師のもりでございます)の説教、そして賛美ののちに、寿子さんご自身が、礼拝堂の前方に置かれている、受難節が美しく表現されている昔の講壇の前で、証しもしてくださいました。

 

それから、めでたく無事に洗礼式と進みました。

 

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寿子さんの証し。

 

まるで、映画を観ているようなくらいに情景が思い浮かぶうつくしいものでした。幾人かの方がそう仰ってますし、わたしもそう感じました。

 

幼い頃から、東岡山方面で育った寿子さん。JR赤穂線が西大寺の方面に向かってゆらゆらと蛍が揺れるようにガタンゴトンと進む。

 

その姿を見ながら、なぜか「帰りたい、わたしもあれに乗って帰りたい」とずーっと思われていたそうです。

 

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お布団に座って祈っていたことがあったという少女時代の寿子さん。

 

聖書なんて手にしたことはなかった、と思っていたのに、旭東教会の交わりの中に入り、礼拝と祈祷会を大切にしながら過ごしているうちに、ある日突然、一冊の青い聖書を手にしていたことを思いだされた、とのこと。

 

祈祷会でその場面、幾人かの方が遭遇しています。

 

他にも、NHKのラジオ英語講座の勉強のために買ってもらったというラジオで、ルーテルアワーでしょうか。

 

キリスト教の番組で賛美歌が流れてきて、それを聴きながらどれほど慰められていたことでしょう、というお話もしてくださいました。

 

いやぁ、いけません。思いだすとわたくし涙がこぼれそうな感じです。

 

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後で聞くところに依ると、ご本人は原稿を手にしていたので、それを読もうと思っていたけれど、皆さんがわたしを見守っていてくださるのがわかり、原稿を読むのはやめられたそうです。

 

寿子さんの証し。とても聴きやすかったですね。

 

まるで、どちらかでお話の仕方のトレーニングをして来られたかのような感じすらあり、しっかりとした声のトーンで、証しを聴かせて頂いたみんなが引き込まれました。

 

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さてさて、タイトルの『抱きしめて お帰りなさい』ってなんですか、と思われるかも知れません。

 

礼拝メッセージブログを聴いてくださるとわかりますが、実は、礼拝の中で、女性陣にあることをお願いしていました。

 

「礼拝がおわったら、寿子さんをハグしてくださいね。男性陣は何か問題が起こるといけませんから遠慮するということで(笑)」と。

 

実際、「ハグ・hug・抱擁」があふれました。嬉しいです。本当によかった。

 

お写真を下の方に準備しましたので、ぜひ、ご覧ください。

 

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洗礼式の夜、わたくし牧師館でふとあることをつぶやきました。

 

不満ではありません。

 

「よかったなぁ、旭東教会で」という話です。

 

どうやら妻も同じようなことを思っていたようです。

 

教会によっては、洗礼を希望する方がどんどん与えられて、一度に数名一緒に受洗。そんなこともあるかも知れません。

 

でも、我ら旭東教会。2015年度の洗礼式は、高松在住で居室でお過ごしの文彦さんお一人でした。それ以来、二人目。

 

だからこそ、みんながゆっくりと、心から喜び、笑い、分かち合うことができたのです。

 

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イエスさまがルカによる福音書やマタイによる福音書で100匹の羊の譬え話をされています。

 

ひとりの魂の救いと復活を心から喜べる洗礼式は、イエスさまからの旭東教会への限りなく豊かな贈り物だったように思えてなりません。

 

寿子さんだけがよかったのではない。

 

共に生きているみんなが、ほんとうに豊かな恵みに触れた日曜日だったのではと思います。

 

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きょうはここで、お祈りします。

 

神さま、素晴らしい恵みを、救いのみ業を示してくださって本当に感謝いたします。わたしたちの思いや力を越えて、あなたが、ここまでお導きくださいました。

 

あなたの恵みゆえに、悔い改めが必要なことを思います。おゆるしください。

 

どうか、これからも、あなたのみ心を求めて、この地に立つ教会としての使命を、少しでも果たすことができるよう、憐れみのうちにお導きください。

 

心からの感謝と願い、救い主イエス・キリストのお名前によって、御前にお捧げいたします。アーメン

 

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では皆さまご機嫌よう。また、お目に掛かります。

 

あっ、どうぞ、いつでも旭東教会にお出かけください。一同心よりお待ち申し上げております。end

 


2017年4月2日(日) 寿子さん〈 受洗 〉の記念に  Clickで大きくなります



2017年4月1日(土) № 109 『 いつか また 何かを始めよう 』

2017年3月26日(日)9時からの礼拝の様子。ジュニアサークル礼拝ですが出席者の平均年齢はオーバー〇〇歳!
2017年3月26日(日)9時からの礼拝の様子。ジュニアサークル礼拝ですが出席者の平均年齢はオーバー〇〇歳!

こんにちは 4月、新年度に入りましたね。ライターは今週も牧師のもりでございます。

 

どんな話題をお届けしようかなぁー、と思いつつ写真を眺めていましたが、やっぱりこれにします。

 

『 いつか また 何かを始めよう 』なんだと思います?

 

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まず思い浮かぶお答えは、9時からの礼拝です。ジュニアサークルの礼拝と呼んでいました。

 

なんだ、先週のBlog・教会日記と同じ話題?と思われる方は、この頁のかなり通です。なにそれ、と言う方は、是非、先週の108号をご覧下さい。

 

俺って「オマージュ」を感じているのかな?とまず思いました。でも、オマージュの意味を正確に知らない。

 

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〈明解さん〉でおなじみの国語辞典によるとこうありました。わたしが感じた心の思いと、そう遠くはないようです。

 

【オマージュ】〔フランス語 hommage〕
その△人(事)に対して深い尊敬や称賛の念を表わす言葉。
例文:「オマージュを ささげる」新明解国語辞典 第七版 (C) Sanseido Co.,Ltd. 2013版より

 

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人に対してだけでない、と記してくれているのは、〈明解さん〉だけ。大辞林・広辞苑・明鏡・岩波・日本国語大辞典にも、(事)の補足がありません。

 

オマージュは(事)に対しても使ってよろしい、と思うと安心ですし嬉しい。

 

何しろわたくし、9時からの礼拝に対して、「深い尊敬や称賛の念」を間違いなく抱いていたと気付いたからです。そこには先達の祈り、涙、汗が隠れてます。

 

さすが、明解さんと思いつつ、なぜ、9時からの礼拝にオマージュ?を、解説してみましょう。

 

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先週ご報告の通り、9時から何十年と続けて来たジュニアサークルの礼拝=教会学校の礼拝。3月26日をもってひと区切りを付けました。

 

「〈やめた〉っていう言葉はぜったいに使わない、場所を変えて主日礼拝で行っています、これで行きましょう!」

 

とスタッフに念押しをしたわたくし。

 

それでも、仲間たちもおそらく感じたであろう、一抹の寂しさが胸に去来いたします。

だって、ほんとうに素晴らしい時間だったからです。

 

もしかすると、子どもたちが殆ど姿を見せない日が最近多かったからこそ、その貴さに気がつき始めていたのかも知れません。

 

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下のミニアルバムの写真の一枚いちまい。3月26日の9時からの礼拝説教時、あるいは、賛美のときのお一人おひとりの様子です。オマケも付いてますが。

 

どうです、ご覧になるだけで、わかるのではないでしょうか。その集中の度合い、きよさが。

 

楽しみでしたし、豊かだった。嘘を言っても仕方ありません。空しい気持ちになったことも一度もなかった。インタビュー礼拝というようなお楽しみの日も含めて、何か、あそこには秘められたものがあるのでは、と思えてなりません。

 

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「森先生、じゃ、また9時からジュニアサークルの礼拝始めるン?」

 

と言われると、それは直ぐにはないと思います。

 

永田町の言葉ではありませんが、総合的に考えて、今の旭東教会でベストかベターの選択をと祈りつつ、主日礼拝に異動したのですから。

 

でも、劇的な何かしらの変化が生じたり、先生、8時からやりましょうとか、思いがけない出来事が発生してくるならば、色んな可能性もあるのではと思います。

 

そして、やっぱり、ジュニアサークルのリーダーたちの賜物がいきなり土の中にしまわれたり、引き出しの中に隠れてしまうのは、何とももったいないことだと思います。

 

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一週間と少し前に、朝夕の祈祷会で、〈ファシリテーター〉の金香百合(キム カユリ)さんのことを紹介いたしました。

 

この〈ファシリテーター〉というまだあまり聞き慣れないことばを説明している国語辞典はスーパー大辞林でした。

 

ファシリテーター・facilitator〔後援者・補助役・まとめ役の意〕
ファシリテーションを行う人。→ ファシリテーション
スーパー大辞林3.0 (C) Sanseido Co.,Ltd. 2010

 

ま、この解説では私からすると大いに不満で、英語を母国語とする宣教師さんの言葉によれば、ファシリテートとは、「引き出すことだねぇ」と明確に仰っていました。

 

たぶん、それが一番わかりやすい解説で、わたしが語りたいことにつながります。

 

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実は、教会生活を送るっていうのは、イエスさまからファシリテートされていくことがとても大事なんでは、と思うのです。

 

古い言葉で申します。

 

ファシリテートされるとは、「神さま、そして、隣人のために、神さまが預けてくださっている賜物を捧げる生き方が出来るようになる幸せ」というヤツではないでしょうか。

 

人はいつしかその循環の中に置かれると、しあわせを感じるようになります。よろこびに満ち、平安があり、苦労が苦労でなくなるもの。

 

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実は、旭東教会では、5月から、ほんとうに回数が少ないのですが、夕礼拝を開始します。たぶん行われるはずです。

 

妙な言い方ですが、この夕礼拝。

 

リクエストがあった日曜日に、月に1~2度、午後7時~7時50分迄夕礼拝を行う、というものです。変でしょ、でも、とにかく始めてみます。

 

現在、月に2度は、車で1時間程の所にある十文字平和教会の15時からの礼拝応援、そして、そのうち1度は、教会のたいせつなミーティングにも参加する状況ですので、自ずと制限が生じてしまいます。

 

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でも、わたしはこの時間がまた、うつくしい澄んだ時間になっていくこと、そうしていくことへの期待を膨らませつつあります。ちなみに、開催日は、ホームページで明確にご案内しますので、よろしければ、みなさまお出かけ下さい。

 

5月からの夕礼拝。

 

大勢の出席を願っているわけではありません。お一人、おふたりの方と共に礼拝を捧げる。あっ、あの5人になっても大いにうれしいのです。ほんと楽しみです。

 

日曜日の遅めの時間に始まる礼拝ですから、50分でサッパリと終了いたします。聖霊が注がれる夜の旭東教会礼拝堂。とりわけうつくしいのではと思うと笑顔になります。

 

祈りつつ準備を始めたいと思います。

 

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そういうわけで、気ままな旭東教会の「Blog・教会日記」。2017年度もどうぞよろしくお願いいたします。新年度も、どんな形で新しい出会いが、出来事が起こることか。

 

神さまに期待しながら歩んでまいります。

 

めずらしく、ひとつ、み言葉を記して終わります。

 

「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。 だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。」

                             (マタイによる福音書7章より) 

ごきげんよう end


3/26(日)朝9時からの礼拝の様子 Clickで解説 そして 美しく 大きくなります!