2017年1月27日(金) № 100 『 天国はここにあります 』

1/22(日)「天国に居ると思いました」という思いを抱かれた正さんの横顔と背中。カナダから(一年ぶりくらいですが)帰国された弘美さんを歓迎の場面。
1/22(日)「天国に居ると思いました」という思いを抱かれた正さんの横顔と背中。カナダから(一年ぶりくらいですが)帰国された弘美さんを歓迎の場面。

こんにちは。

 

ほぼ、毎週お届けしている旭東教会の「Blog・教会日記」。

 

何気なくナンバーリングを続けておりましたが、めでたく、100号に今号で到達しました。

 

2015年4月の新・ホームページ開設以来、わたしたち旭東教会の平凡ではありますが何かしらをお届けし、神さまの福音の香りのちいさな分かち合いができれば、と願いつつブログの更新も続けて来ました。

 

遠方の教会のメンバーはもちろん、そのご家族。そして元教会員の方、さらに東中国教区のお交わりの中で出会った皆さん。

 

その他、思いがけない形でお訪ね下さっている皆さまにも、旭東教会の今をお知らせできる幸いを思います。

 

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そう遠くない以前に、ある方とわたくし(牧師のもりでございます)、こんなお話をしたことを思い出します。

 

「旭東教会のホームページ、神秘的なところがないよねぇ」と。

 

互いに深く納得しながら、わたしたち大笑いしました。このホームページを時々お訪ね下さっている皆さんであれば、大笑いの理由はお分かりになると思います。

 

世の教会に一つぐらいこんなホームページがあってもよろしいのではと信じて、これからもコツコツと発信をしたいと思っています。

 

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さて、ルカによる福音書17章にこんなみ言葉があります。

 

【20 ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。21 『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」】

 

このブログを記す直前に念のためにコンコルダンスで調べて見ましたが、実は「天国」という言葉は、聖書『新共同訳』・『新改訳』では使われていません。

 

聖書『口語訳』では、マタイによる福音書だけに32回「天国」は出てきます。実は、先だっての1月22日(日)、旭東教会で思いがけない形で、その「天国」に触れたのです。

 

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上の写真では後ろ姿が見える、正さん。礼拝後の集会室、幾人かも同席していたほっとタイムのテーブルの片隅に座ったまま、わたしにはっきりとこう言われました。

 

「なんだか、ぽーっとしとってねぇ。頭がオカシクなったのか、勘違いして、今、天国に居るんだと思っていました」と。

 

旭東教会のホームページでもそのお元気な姿を見かけることも多い正さん。

 

わたくしが太鼓判を押して申し上げますが、〈オカシクなる〉なんてことが起きたことは一度たりともありません。

 

もちろん、ご自身の中では、お歳を重ねられて、「最近は忘れることが多くなって」というようなことを口にされることがあります。

 

でも、間もなく93歳とはとても思えないお元気ぶりで、わたしも含めて、教会のみんな頼りにしていることが今もなおたくさんありますし、きっとこれからもご一緒して下さることと思います。

 

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「今、ここは天国じゃないかと思いました」

 

そのお言葉が正さんから発せられる切っ掛けかなぁと思うこともありました。

 

それはまず、カナダ・バンクーバーから帰国して故郷の教会の礼拝に出席された弘美姉のご主人の言葉でした。

 

弘美さん経由ですが、「主人が、日本に帰って来た時は、旭東教会に出席しなさい。とても雰囲気がいいよ」と言っている、と伝えて下さったのです。

 

それを、お茶の席にお座りになった正さんにお伝えして暫くしてから口にされたのでした。

 

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九州のキリスト教系の病院で長年ホスピス・終末期医療の働きのために仕えて来られた貴いお働きを続けて来られたドクター(牧師でもあります)の口癖があります。

 

かつて、その病院の協力牧師会でご一緒させて頂く機会がだいぶ長い間ありましたので、はっきりと記憶しています。

 

「わたくしが出会ってきた患者さま皆さんが、わたくしの先生です。わたし自身が患者さまと同じような、終末期の状態で死と向き合うことは経験したことがないのですから・・・」と。

 

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このドクターのお言葉の延長線で「天国」について考えますと、「まだ、わたしは死んだことがないですし、ましてや天国には行ったことがないのでわからないけれど・・・」ということになります。

 

でも、イエスさまがファリサイ派の人たち、そして弟子たちにも語られた「実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ」というお言葉は、正さんが何の気なしに口にされた言葉とハッキリと結び付くように思わずには居られません。

 

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時に、牧師のわたくしに正さんはこう仰ることがあります。

 

「きょうの礼拝、豊かでしたねぇ」と。

 

実は、これ以上に幸せを感じる言葉は、わたしにはありません。

 

豊かだなぁと感じられる礼拝のひととき、礼拝をささげる教会の交わりこそ、天の国・神の国を実感できる場所なのではないでしょうか。そこには、メジャーでは測ることができない奥深さ、そして、もしかすると本物の神秘というような出来事が秘められているのかも知れません。

 

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たいせつなもの、うつくしいものは、わたしたちが遠くどこかに行かなくても見いだせる。むしろ平凡な日常の中にこそ、備えられているのでしょう。

 

その恵みに気付かせて頂いた日曜日が旭東教会にありました。感謝です。

 

どうぞ皆さま、機会がありましたら、わたしたち旭東教会にお出かけ下さい。ご一緒に、神の国・天の国の恵みにあずかりましょう。end

 

※追伸
これが天国です、というお写真は残念ながらありません(笑)でも、多分、ホームページのTOP「今週の3枚!」を丁寧にご覧いただければ、その扉がいくつも見え隠れしているのではないかと思います。是非、さがしてみて下さい。

 

あの時の一枚のお部屋や、グリーフケアの集いのお部屋にも、隠されている何かがあるかもと思います(^^♪


2017年1月21日(土) № 99 『 〈まきば〉を成長させたいな 』

うどん屋さんの暖簾(のれん)も準備されました。まきばの文字もバッチリ染め抜かれたかのように見えます(ウフ)
うどん屋さんの暖簾(のれん)も準備されました。まきばの文字もバッチリ染め抜かれたかのように見えます(ウフ)

 子どもたちとそのご家族が一緒に日曜日の礼拝にお出でになりやすいように。

 

そして、子どもたちへの伝道に努めることが、教会全体の働きとなり、大人から子どもたちへの一方通行ではなく、いつしか、子どもたちから大人へのベクトルが生まれるように。

 

さらには、神さまのみ手の中に教会があることを喜び、幼子からご高齢の方までが安心して居場所を見いだせれば。

 

少しオーバーに言えば、そんなことを願って少しずつ回を重ね始めているのが、数ヶ月に一度、「まきば礼拝」を行う旭東教会の日曜日です。

 

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その「まきば礼拝」が1月15日(日)に行われました。他にも、旭東教会には「ファミリー礼拝」という呼び方の完全な合同礼拝もあります

 

が、先だっての「まきば礼拝」の方は、いわゆる大人向けの説教中は、スタッフと子どもたちが別室でアニメーションの映画を観る時間を設けています。いわゆる分級の変型でしょうか。

 

分級がおわると、大人の礼拝の説教の終盤あたりに礼拝堂に戻って来て、さいごは献金、派遣と祝福の言葉を受けるという具合です。

 

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アニメ映画?と思われるかも知れません。

 

アニメと言いましても、「旧約聖書の世界へタイムトラベル キミも探偵団の仲間だ」いうキャッチが添えられているシリーズを楽しむのです。

 

一話の平均時間は24分。とてもよく考えられた時間だと思います。

 

第一弾の《アブラハム物語》には「誕生!パソコン探偵団」「大炎上!悪の町ソドム」「悲しみの短剣」「井戸ばたの花嫁」のお話が準備されている、という具合です。

 

今回は「悲しみの短剣」を上映しました。観てはおりませんが、タイトルから想像するに、創世記22章のアブラハムがイサクを献げる場面だったかなと想像します。

 

これが全部で26話・全13巻ありまして、他には《ヨセフ物語》《モーセ物語》《さばきつかさ(士師)物語》《サムエル物語》《ダビデ物語》《善王物語》と続くのです。

 

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先日の回、スタッフの安佐子さんと、ひと組の親子が映画を楽しみました。

 

木曜日の祈祷会の時に、安佐子さんから、「とってもいい内容でした。面白いです。こういう時代だからこそ・・・。大人でもいいかも知れません」という嬉しいご報告もありました。

 

うーん、おじさん(牧師のもりでございます)も観たい、と正直思います。VHSビデオによるものなので、パソコンにつないで直ぐにというわけにいかないのが残念です。

 

「まきば礼拝」の時も、それなりのスクリーンを準備し、暗室を確保。気分も盛り上がっての上映でした。

 

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それにしても、旭東教会がこのような素敵な聖書のビデオシリーズをどうして備えているのか。お金持ちなのでしょうか?

 

カセットの裏を見ると決してお安いものではありません。単品ですと1本8,000円!全部セットの価格で93,000円というではありませんか。

 

旭東教会のジュニアサークルが太っ腹なのか。いえいえ違うのです。そこにはワケがあります。

 

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実は、「子どもたちへの伝道にわが人生を献げよう」という決心をもっておられる大阪出身のおいちゃん、〈信治(のぶはる)さん〉という頼もしい方からの献げ物なのです。

 

他にも教会の某所に蔵書されている福音ビデオ多数。

 

そして、その信治さんの奥さまが安佐子さんなのですが、安佐子さんがそっと教えて下さったところによれば、「主人はお小遣いを少しずつ貯めて、ビデオをそろえていました。子どもたちの伝道のために使って頂くのが一番です」と仰るではありませんか。

 

何と感謝なことだろう、とあらためて思います。

 

貯金箱にお財布から少しずつ、珈琲一杯ぶんか、お昼代なのか、バス代なのか。グッと我慢して子どもたちのために、というその姿を想像するだけで、単純なわたくし胸が熱くなります。

 

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キリスト者という存在。

 

洗礼を受けてイエスさまに従って行くというのは、それ以前と、それ以後とでは、それが〈人知れずに〉であったとしても、その人の人生の中で、よしっという決心をもって自覚的に歩みはじめる。そんな決意も大切なものです。

 

振り返ってみれば、子どもクリスマス会の時も、クリスマス礼拝後に楽しんだアニメも信治さんからの献品ビデオでした。

 

こうなると、もはや新たに製造されなくなったと聞いているビデオデッキが壊れないように大切に使うことを真剣に考えなければ、なんてことも思います。

 

わたしたち、信治さんの祈りに支えられて子どもたちへの伝道の働きを続けています。

 

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いつのまにか、「まきば」が市民権を得始めている旭東教会ですが、1月15日(日)の「まきば礼拝」の後は、普段のほっとタイムのお茶の時間ではなく、「まきばうどん」を開店。

 

こちら、ジュニアサークルが運営というわけではなく、教会全体の働きの一部としてのひとときですが、今回、「まきばうどん」の段取りをしてくれたのは安佐子さんと亮子さんでした。

 

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日本一のうどん処「讃岐うどん」で知られる〈さぬき〉は旧国名の一つで、現在の香川県に相当します。

岡山と香川県は1988年の瀬戸大橋完成後、いよいよ、正に目と鼻の先くらいの感じに、変わったのです。

 

高速道で岡山と香川は20分もかかりません。旭東教会の会員さんも3名が高松市在住です。

 

宇高連絡船(明治43年・1910年開業)が初就航した以前からだろうと思いますが、讃岐うどんの影響か、関西からの影響かはわかりませんが、岡山は昔から「うどん大好き!」な方々が多い風土なのです。

 

「わたし〈朝ご飯にうどん〉をよく食べますよ」という方も旭東教会の中で存じております。

 

そのことが、この日、「まきばうどん」の時間にも感じられました。他のメニューだとすーっと帰宅部になられるであろう方たちも、「あっ、おうどんなら、食べて帰ろうかなぁ」ということもあったかも知れません。

 

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「まきばうどん」は大盛況。前日のみならず、安佐子さんのお宅で、亮子さん、明美さん、光子さんも交えてうどんパーティーを事前に開催。お出汁やトッピングの研究もなさった成果が見事に発揮され、上品でニコニコ笑顔になるお味でした。

 

その背後には、とある〈おうどん屋さん〉で長年仕込みも含めて一切を見守り今も切り盛りしている雅代さんのナイスなアドバイスもあったとのこと。嬉しい限りです。

 

旭東教会の集会室は「まきば礼拝」の恵みをさらに深めるひとときとなりました。ひとり参加の小学生のお子さんも、お母さんと一緒に食べる以上に、93歳の正さんと席を並べ、おうどんをというのが楽しみだった様子。「こっち、こっち」という感じで正さんを席に案内していたと思います。

 

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子どもたちを交えて、焼きそばを焼いたり、たこ焼きを焼いたりも楽しいものでした。そして今回の「まきばうどん」も、これからの旭東教会で、ときどき登場しそうに思います。

 

こうなると、準備の段階から子どもたちにも入ってもらって、可愛らしいエプロンとバンダナを頭に巻いて、「いらっしゃいませー!」の声を聞かせてもらいたいものです。

 

そういう方向でゴロンゴロンと動き始めると、子どもたちの参加がぐーんと増えるかも知れませんし、保護者の方たちも自然と日曜日の教会に居場所を作れるようになるかも、と期待を膨らませております。

 

心配があるとしたら、教会から直線距離だと90㍍程のところにある、うどん屋さんの売上が減ること、でしょうか(笑)

 

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実践神学の分野で多大な貢献をされて数年前に召されていった、わたしの大切な先生のお一人・今橋朗(あきら)先生がこう仰っていたことをあらためて思い出します。

 

「教会では子どもたちを放牧しましょう」と。ふかーいお言葉であります。旭東教会の〈まきば〉も力をつけていきたいものです。end

 

以下、ミニ写真館を設けます。Clickでぐーんと楽しめます。大きくなって、秘密のコメントも。


2017年1月14日(土) № 98 『 大工のイエス 続編? 』

1月8日(日)のこどもメッセージで高久眞一著・『キリスト教名画の楽しみ方』から「大工の仕事場」を紹介中。絵画の大判は下の方に準備しています。
1月8日(日)のこどもメッセージで高久眞一著・『キリスト教名画の楽しみ方』から「大工の仕事場」を紹介中。絵画の大判は下の方に準備しています。

タイトルを見ても、何が〈続編〉だかお分かりにならない方がほとんどかも知れません。

 

新年2回目の日曜日となった1月8日の主日礼拝。成人祝福の日としての祈祷(対象者は今年は居られませんでした)を捧げた後。いつものように、こどもメッセージの時間がありました。

 

そこに、H理一郎兄と章子さんご一家が広島から帰省され、お二人のお子さん、小学生の遙花ちゃんと保育園の花乃子ちゃんも礼拝堂に居りましたので「前に出ておいで」と招き、お話をしたのです。

 

ちなみに、「西大寺の風」(http://kyokuto-words.seesaa.net/)というメッセージブログでその時のお話もお聞きになれます。

 

今号は、その延長線のとある出来事のご紹介です。なお、理一郎さんご一家の写真は、下の方で礼拝報告時に一家揃って挨拶されているところをupしています。

 

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1月8日の主日礼拝。

 

マタイによる福音書3章13節以下から説教では、洗礼者ヨハネによるイエスさまへの洗礼の場面を語りました。

 

が、その直前に、こどもメッセージで、イエスさまの幼年時代について語ることにして、その際、一枚の絵を見ながらお話しました。

 

その時手にしていたのが、『キリスト教名画の楽しみ方 イエスの生涯』(高久眞一著・日本キリスト教団出版局)シリーズの『イエスの生涯』です。

 

高久眞一先生は、わたしたち夫婦のこころの中での恩師的な札幌在住の方です。その14㌻にあるのが、『大工の仕事場』という、ジョン・エバレット・ミレイというイギリスのヴィクトリア朝絵画を代表するという方の作品でした。

 

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イエスさまのことを、まだ、ほとんど知らない二人のお子さんに、わたしも、どうしたら聖書のお話が伝わるだろうか、としどろもどろになりそう?なのをひた隠しにして、「この絵の中で、イエスさまはどれかなぁ」等と言いながら。何とかメッセージを語り、その後、祝福をしました。

  

当然、この時、ご両親のみならず、会衆席の皆さんもじーっと聴いておられたのですが、どんな風に心傾けておられるかは、全くわかりません。子どもたちのことで手一杯、頭もいっぱいでした。

 

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さてさて、ここからが本論です。

 

それから数日経った、1月12日(木)の夜の定例祈祷会でのこと。

 

詩編48篇を学び、一同での祈りの時間も無事終了。解散の時間になった時に、こころの美しい一人の女性が(今週の3枚!でJC説教を担当のご婦人です)あるものを一枚、取り出されたのです。

 

それが、ジョン・エバレット・ミレイの『大工の仕事場』の絵でした。

 

どうやら、朝日新聞社が2008年か2009年頃、定期購読者へのプレゼントで、「ミレイとイギリス絵画の至宝」というシリーズの中に、この度の『大工の仕事場』が含まれていたというのです。

 

「先生、家に帰って引っぱり出してみたら、やっぱりこれだったわぁ」と画用紙ほどの大きさの絵を見せて下さり、『大工の仕事場』に隠されている隠喩・メタファーというのでしょうか。ご自身で学ばれたことも含めて、たのしく、美しく解説して下さいました。

 

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そこでわたくし、牧師館にいったんお借りして、撮影した次第です。それが下にある大判のものです。じっくりとご覧いただければと思いますが、いろいろと秘められたことがあります。

 

高久眞一先生の解説も含め、少しご紹介しようと思います。画家というのは、色々と考えて絵を描くものです。

 

ちなみに、画用紙ほどの大きさの絵の裏には、さいごこうかかれていました。

 

「モデルを理想かすることこそ宗教画の本質とされていた当時、本作品のあまりに現実的な描写は、多くの批評家によって酷評の嵐にさらされた」

 

わたしたちにとってはそんな批評は全く無縁です。

 

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右側の少年は、水の入った〈たらい〉?を持っています。腰に巻いているのはラクダの毛衣。つまり、イエスよりも少しだけ年上の洗礼者ヨハネです。

 

その左隣のおじさんが、イエスの父の役割を果たした大工のヨセフ。

 

真ん中の少年がイエスさまですが、既にこの時、イエスの手のひらには十字架の磔刑で打ち抜かれる傷跡が見えて、十字架での受難が預言されています。たらりと落ちた血は足にまで落ちているのです。

 

「坊や、どうしたの」と近づく母マリアの左後ろには、釘抜きも見えます。

 

そして、テーブルからは大きな木槌がぶら下がっています。イエスの手のひらを打ち抜くのには十分な大きさの木槌です。

 

その他、右端には、十字架が作られるための木材が並びます。梯子の上には聖霊の象徴としてのハト。三角形の道具は三位一体を意味するとのこと。

 

さらに、扉の後ろには、道に迷う人々を象徴する羊たちの姿、という具合です。

 

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わたしが嬉しいなぁ、と思うこと。

 

それは、こどもメッセージがおとなの方にまで確実に届いていて、語らせて頂いたことが余韻となり、お宅でもう一度礼拝でのことを思い起こされていた、という、正にその出来事です。

 

教会生活・礼拝の恵みとは、教会だけのことに留まらず、帰路、あるいは、週日の暮らしの中で、礼拝の力が広がって行くことなのだ、と常々考えているからです。

 

こんな恵み、皆さんにも分かち合わずには居れません。聖書を開きなおしたり、讃美歌を口ずさむことが出来るようなことにも通じる余韻のある日曜日が、旭東教会にはこの日、確かにあったに違いありません。教会としての大きな喜びです。

 

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この日も、主日礼拝説教で別の場面・『人々の前に現れるイエス』という絵をカラーコピーして皆さんには配布していました。

 

キリスト教絵画の力というのは、誠にあなどれないものです。

 

それは、数年前まで経験していた、キリスト教に全く興味のない大学生たちとの交流のなかで気付かされていたことです。今回は、こころ美しい信仰生活の長いご婦人からの応答に、大いに元気を頂いたのであります。

 

どうぞ、旭東教会の礼拝へ、皆さまもいつでもお出かけ下さい。

 

巡り合わせがよいと?絵画のコピー配布も行われるかも知れません。end

 

下の写真をお楽しみ下さい。ミレーの絵を大写しにしました。一番下は、Clickで大きくなりますよ。左はミレイの別の作品です。


これが、朝日新聞社が読者へのプレゼントとして準備していた絵です。
これが、朝日新聞社が読者へのプレゼントとして準備していた絵です。


2017年1月6日(金) № 97 『 2017年がSTART! あなたに平和がありますように 』

2017年1月1日(日)の元旦礼拝のさいごに〈平和のあいさつ〉を交わしました。そのひとこまです。
2017年1月1日(日)の元旦礼拝のさいごに〈平和のあいさつ〉を交わしました。そのひとこまです。

1月もはや6日。〈エピファニー・公現日〉を迎えました。

 

遅くなりましたが、旭東教会のホームページ、そして、このBlog・教会日記にお立ち寄り下さる皆さま。

 

2017年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

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元旦(1月1日)が日曜日と重なり、里帰り組みの礼拝出席があったりして旭東教会のお正月は和やかでした。

 

平和のあいさつも交わしました。その笑顔のひとつが、上の写真です。

 

手を差し出して、握手をして「○○さん、あなたに平和がありますように」「○○さんの上にも平和がありますように」

 

そんな感じで、ご夫婦も含めて、前後左右に限らず、礼拝がおわってから、一同であいさつを交わした次第です。

 

礼拝の中のどのタイミングで平和のあいさつをするか。これは、様々な仕方があります。旭東教会では説教の前にする場合もありますが、この日は、皆さんが散って行く場面で行いました。

 

場合によっては「hug・抱擁」の方がよいことにも、とあることから気付きました。よかったです。遠慮なく、平和のあいさつで「hug・抱擁」を交わして頂ければいいなぁと思います。

 

それが自然に交わせる教会って、いいなぁと思いますもの。

 

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2017年は、よりいっそう、主イエス・キリストからのミッション・伝道にもみんなで力を注ぎたいものです。

 

だって、今日は「エピファニー・公現日」ですもの。

 

あらためて「エピファニー・公現日」の言葉の意味を確認してみましたら、日本語の辞典では、『大辞林』が次のように解説していました。なかなかしっかり記しています。

 

【キリスト教の祝日。異邦人である東方の三博士によって幼子イエスが見いだされた(公に現れた)ことを記念し、救いがユダヤ人の外に広がったことを祝う。一般的にはクリスマス(12月25日)から数えて12日目の1月6日があてられるが、1月2日以後の最初の日曜日とする宗派もある。主顕日。顕現日。】

 

なるほど、わかりやすいです。

 

特に忘れがちなのは、「救いがユダヤ人の外に広がったことを祝う」というくだりかも知れませんが、ちょっと足りないこともあるかも知れません。

 

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そこで、わたしが神学校で礼拝学をはじめとして、ほんとうに多くのことを学ばせて頂いた、故・今橋朗先生のご本を開いてみました。

 

押さえの学びをご一緒にしておきましょう。

 

個人的には名著だと確信する、『礼拝を豊かに 対話と参与』(日本キリスト教団出版局・もともとは『信徒の友』に連載)の中でこう記されています。

 

【・・・そしてクリスマスは1月6日の「公現日」(エピファニー)まで続きます。この日は、主の降誕を知った東方の学者たちがやっとベツレヘムに到着し、み子を礼拝した記事、すなわち主イエスが異邦人にも公に現されて(エピファイノー)世界の救い主であることを示された日、すなわち、世界宣教開始の日です。・・・・・・そこで、クリスマス・ツリーは公現日(または顕現祭)まで飾ります。】

 

ということです。

 

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更に、今橋朗先生。こう記して居られます。

 

【この意義をさらに展開させているのが、イエスの受洗の記事です。そこで古来、公現日の次の主日の聖書日課は、主の受洗を提示していますし、教団の日課でもそうなっています。主の公の生涯の開始です。】

 

そういうわけで、わたしたち旭東教会の次週・1月8日(日)の礼拝の予告は次のようになっております。毎週、トップページでもご案内しています。礼拝案内看板の毛筆による書の写真と共に(「今週の3枚!」の一番上はこの写真です)。

 

○1月8日(日)午前10時15分  降誕節第3主日
 説教 : 『 これがわたしの愛する子 』 森 言一郎 牧師
 聖書 :  マタイによる福音書 3:13~17
 賛美 「馬槽の中に」(21-280)
    「罪なき神の子」(21-277)
    「ガリラヤの風」(21-494)

 

聖書朗読箇所は日本キリスト教団の聖書日課からで、今橋先生が仰っている通り、イエスさまの受洗の場面からメッセージを語らせて頂きます。

 

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教会の暦を座標軸にして聖書を読む。

 

この読み方に、今橋朗先生が牧会されていた横浜・蒔田教会の礼拝に神学生として出席して初めて触れたとき、実はわたし、オーバーではなく、衝撃を受けたものです。

 

礼拝後、今橋先生に興奮気味に、そのことをお伝えした記憶があります。1990年か1991年の歳晩礼拝でのことでした。

 

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次週に限らずですが、わたしは、日曜日が楽しみです。

 

神と人が出会い、更に、人と人も出会える。何かの出来事が起こります。あるいは、出来事を生み出して行く力が与えられるのが日曜日の教会であり、礼拝です。

 

まだ、旭東教会の礼拝にお出でになったことのない方も、この㌻をご覧になっているかも知れません。或いは、久しぶりの方も。

 

来会を一同こころよりお待ちしています。ご一緒に歌い、祈り、み言葉の力に与りましょう。2017年の皆さまの歩み、祝福が豊かでありますように、主イエス・キリストのみ名によってお祈りいたします。end