2016年8月26日(金) № 79 『 古谷先生ご夫妻が誉めてくださったこと 』

写真は8月21日(日)の礼拝後のひとこまです。

 

7月末に横浜からお出でになった、古谷正仁先生ご夫妻が旭東教会でのご奉仕を無事に終えられて、何気なく口にされたお褒めの言葉と結び付く瞬間の一枚でもあります。

古谷先生ご夫妻こう言われました。

 

広くて使い勝手のよいお台所もしみじみご覧になったあとのこと。

 

「よく考えられた作りですねぇ、本当に」

 

教会全体の構築、部屋の配置、台所、そしておトイレ、さらには牧師館も(礼拝前後にご案内。くつろいで頂きました)含めての言葉なのです。

 

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恐らく、ご自身が牧会されて、高校生の頃から育ってきた蒔田教会が一つの基準になっているのだろうと思います。蒔田教会素敵な教会ですよ!

 

あるいは、伝道者として、静岡、金沢、横浜のもう一つの教会などを経て、仕えて来られた教会の建物のあれこれが物差しになっているのは間違いありません。

 

そんな古谷先生ご夫妻からの、お世辞などでは決してないお褒めの言葉は最高の励ましでした。旭東教会の歴史を担い、仕えて来られた皆さんにも伝えなければなりません。

 

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旭東教会も20年ほ前に完成した付属館、つまり、おもて通りに面したところにある集会室が出来るまでは、「礼拝の空間」と少し大きめな「愛餐会を行う時の空間」は同じ場所だったはずです。

 

わたしも(牧師のもりでございます)各地の教会でいろんな工夫をしながら教会生活を送ってきましたのでだいぶ学んだことがあります。そういう点でも複数の教会を歩んで来たことは感謝なことと最近思います。

 

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今の旭東教会。礼拝後の礼拝堂は静かな語らいも出来ますが、しばらくすると人の姿はなくなります。

 

外が「サウナ状態」(現次郎さんのお言葉)のような猛暑でも、26度・弱風設定の新型エアコン2台。そして、屋根に設置されたシーリングファンを弱で回転させると本当にいい気持ちになる礼拝堂なのですが、人の気配がなくなればスイッチも切られます。

 

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いったい皆さんどこに行かれるのか。

 

もちろん、報告が終わると直ぐに帰路に就かれる方も居られます。少しのお交わりを玄関ホール辺りで済ませて「さようならぁ」という方も一定数必ず居られます。それもまたごく自然なこと。

 

その他、さまざまに担っているご奉仕が始まります。

 

礼拝後直ちに奥の方のお部屋で、次週礼拝案内を書き始める明美さん、説教テープのダビングを始める泰さん、音響器機の不具合を確認整理をされる正さん、講壇の上に長年置かれてきた白竹のお世話を始めるWさんご夫妻、という具合でしょうか。もちろん、他にも献金を秩序ただしく整理するご奉仕などもあります。小さな打合せが始まったりもしています。

 

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そして、3分の1位の方が進んでいくのが、最後の晩餐のステンドグラスが一番奥に鎮座している集会室です。

 

そこで始まるのがほっとタイム。丁寧な解説はまたあとでいたしますが、奥の方には、教会のある西大寺という町にお仕事で3年間滞在予定のベトナムからのお二人の姿も。

 

どっしりと腰掛けたい方は背もたれのある、それはそれは座り心地の良いブルーの椅子にお座りになります。お疲れの方、お年を召された方はこちらがお好みです。

 

そして、ちょっとまぁ腰掛けてという方は〈丸椅子〉でも大丈夫。どこへでも速やかに移動が可能です。

 

実はこの丸椅子。この空間の無言の大切な演出家であり、縁の下的な役割を果たしてくれています。

 

なぜなら、机の角っこ、隅っこに自身を少しもアピールすることなく人を導いてくれるからです。邪魔には決してなりません。積み重ねれば6台まではメーカーも安全保証という優れもの。

 

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今回上でご紹介した一枚。カメラを構えているところに、ふと目に入ってきたのは、左の靖さんが、〈道〉を求めて教会に集い始めている右側のSさん(お写真は以前からですがすべて了解済みです)との親しい会話のひとこま。

 

どんなことからこのような展開になっているのか、詳細はわたしも存じません。

ハッキリしているのは、信仰の、そして人生の大先輩である《靖さん》が三浦綾子さんの文庫本を手渡していることです。

 

80代半ばになって、少し弱さを覚えられることもある靖さん。信仰の〈道〉を真心を込めてお伝えする為に、プロテスタントの作家として多くの文学を遺された三浦さんのご本を手渡しているところ、というわけです。確か、風呂敷か何かにやさしく包まれていたのではと思います。

 

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この時のお二人の座り方に注目してみましょう。

 

何よりも信仰という名の杖を支えにしておられる靖さんですが、ほっとタイムの時間、どっかりとお座りになる背もたれ付きの椅子はどうしても必要です。

 

ですから、その椅子に腰掛けられています。

 

一方のSさん。

 

大きな椅子だと机の角っこで程好い距離感を持ちにくいもの。でも、小さな丸椅子だと、いとも簡単にお二人が居心地の良い距離感がつくれるのです。

 

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一列後ろには、仲良しの60代コンビの男性お二人の背中も写っています。

 

この距離感。どっしりと構えた椅子では不可能!なんと仲睦まじいお二人でしょう。いつも、その様子を見ては不思議に思うほどです。

 

何かを一緒に見るには丸椅子がつくり出してくれる近さがぴったりなのです。写真を見て改めて思います。

 

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神さまはいろいろな形での福音の種蒔きを導いてくださいます。

 

靖さんが手渡された三浦綾子さんの文庫本。何だったなぁ?『道ありき』などは既に前回までに終了し、大型の小説かも知れません。いつか聴いてみたいと思います。

 

8月の暑い暑い夏の午後ですが、旭東教会は穏やかに時が流れています。

 

どうぞ、初めての方も、安心してお出かけ下さい!一同、心よりお待ちいたしております。end

 


2016年8月19日(金) № 78 『 2016年 旭東教会版 夏休み日記! 』ミニ写真館付

2016年8月14日(日)の礼拝、Kちゃん、恐怖が消えて安心の肩に手を置いての祝福です。お父さん、お母さん、そして神の家族に見守られて
2016年8月14日(日)の礼拝、Kちゃん、恐怖が消えて安心の肩に手を置いての祝福です。お父さん、お母さん、そして神の家族に見守られて

 8月の日曜日が楽しみだなぁと思うことの一つ。

 

それは、故郷に帰省される方たちが教会を、ひとり、二人、ご家族で訪ねて来てくれることです。

 

わたくし(牧師のもりでございます)、旭東教会の牧師としてはまだまだ2年目の〈小僧〉ならぬ〈小牧師〉。

 

それだからこそ、旭東教会の昔話を聞けたり、懐かしい者同士が再会したり出来る場面に遭遇し、その〈おこぼれ〉や〈パンくず〉に共に与(あずか)れることは、何とも言えない幸せなことです。

 

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去年の夏は、戦後間もない頃、無牧師時代の旭東教会の堂守役をお引き受け下さったSさんご一家がたーくさん来会。

 

教会墓地に納骨堂に納骨堂に汗をだくだく流しながらご一緒したり、ご母堂の生涯が記されているご本の存在も知ることが出来たるしてとても有意義な出会いでした。

 

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先だっての、平和聖日・8月7日(日)にも、旭東教会で少年時代を過ごした青年、もとい、おっちゃん、違った「たかしさん」が北海道は函館から「はーるばる 来たで」と里帰り。彼の地でカメラマンとしてご活躍です。

 

聖霊の導きを覚えます。西大寺に帰省されたのが日曜日だったことも幸い。

 

間違いなく、遠方に居られるお母さまの祈りもあったのでしょう。本当に突如、20年振り位に礼拝に姿を見せてくれました。

 

「20年振り位」というのは、1990年代に牧会されていた大賀牧師のことを明確に覚えておられて、それ以降の先生方の記憶はない、と仰ったからです。

 

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少年時代の教会学校では同学年に「たかし君」が3人揃っている頃があったそうで、そのうちの、二人の「たかし君」がめでたく再会。

 

教会学校で奉仕していた女性のリーダー(先生)には「〇〇さーん、小さくなったねぇ」とお声掛けをされたとのこと。

 

子ども心に「〇〇さんは大きな存在だった」ということがよーくわかりました。〇〇さん、今も身長を測ると小さめなはずですが・・・・・・なぜかおっきな存在。

 

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北海道から里帰りの「たかし君」は70歳代のお母ちゃんと同じ年代の▽▽姉と再会した瞬間、お互いしっかりとhug・hug!

 

たかしさん、窒素しかかっていました。もとい、感激していました。

 

礼拝後のほっとタイムの時には、「▽▽さんは、コワイよぅー!おれ」なんてことをお話していましたが、▽▽さんに、そんなことを言い合える神の家族は幸せです。

 

他の方々からも、「よぅ、帰って来たなぁー」とWelcomeの嵐。

 

説教を聴いて下さるそのご様子も、身を乗り出して、という感じで心から感謝でした。

 

里帰りのたかしさん、面白いことを言われていました。「小さい頃、説教中は、この時間が早く終わらないかと、礼拝堂の椅子の聖書置きのテーブルが友だちでした。ジイッと下を向いて・・・」と。

 

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いつもながら、前置きが長くなりました。堪忍を!

 

さてさて、ようやく8月14日(日)のお話です。と言っても少しだけですが。

 

この日は、岡山から広島と神戸に出て行ってからそれぞれ15年、或いは、もう20年を越えたI姉と弟くんのH兄がご一家で帰省され礼拝に出席。一挙に礼拝出席の数も増員(^^♪

 

特に嬉しかったのは、弟君のH兄がわたくしとは初対面だったこと。広島でのハードな日々?を抜け出しての里帰りはさぞかし心なごむ時間となったと推測します。

 

想像ですが、毎月定期便としてお送りしている『週報』や会報『緑の牧場』、そして『牧師室便り』や何かで、旭東教会のあれこれは伝わっていたのかなぁ?と思います。H兄、どうだったでしょう。

 

今度はゆっくりひざを交えていっぱいやりましょう。残念ながらわたしは下戸ですが、珈琲はマスターを目指していますので、お好みをうかがい、(あるものの中からですが)豆を挽く所からご準備しお煎れいたします。

 

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H兄ご夫妻。今回は2015年9月12日に誕生したご長女Kちゃんも連れて来てくれて礼拝堂は賑やかーな感が増しました。

 

こども達へのエッファタの1分間メッセージのあと、わたくしが〈祝福をいたしましょう〉と近づいて行くときのKちゃんのまなこ。獲物に狙われたことを瞬時に悟った感が溢れてます。

 

つぶらな瞳にはウソがありません。恐かったのねぇ。ごめんなさいね。

 

それでも、可愛らしい11ヶ月の肩にそっと手を置かせて頂き皆で心を合わせてお祈りできたことは、これまた神の家族としての大きな喜びです。続け、ちびっ子!と祈るばかりです。

 

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まだまだ猛暑の夏が終わったわけではありません。

 

どんな夏の出来事が起こるのか。リオのオリンピックや甲子園の感動とは違いますが、それはそれで、考えてみると、人生のとーっても深い出会いのひとこまが与えられているように思えてなりません。

 

そう、旭東教会くらいの大きさだからこそ、一コマひとこまが深くなり共有できるのです。このようなめぐみに。

 

お久しぶりのみなさーん、どうぞ、遠慮なく、夏の思い出に〈母なる旭東教会〉へお出で下さいませ。もちろん、初めての皆さんも大歓迎です。お待ちいたしております。end

 

以下、写真はクリックで大きく、リアルに楽しめます。

 


2016年 写真版 夏の思い出日記  Click!



2016年8月12日(金) № 77 『 戦争と平和を語り伝えるということ ~91歳光子さんと共に~ 』

2016年8月7日(日)は平和聖日でした。礼拝報告時、光子さんを真ん中にお迎えし、戦争の時代についてインタビューをしました。
2016年8月7日(日)は平和聖日でした。礼拝報告時、光子さんを真ん中にお迎えし、戦争の時代についてインタビューをしました。

光子さんへ 戦時下のインタビュー ミニ写真館 Click!で小さなコメントも



戦争と平和を語り伝えるということ ~91歳光子さんと共に~


 旭東教会では8月7日(日)《平和聖日礼拝》の報告の時間に、〈〇〇光子姉に戦時下のインタビュー〉を計画。

 

光子さんは、1925年・大正14年9月1日生まれですから間もなく91歳。この時点では90歳でいらっしゃいますが、少しおまけ?です。大東亜戦争・太平洋戦争の時代、東洋一の軍港広島県呉市で女学校時代を過ごされた光子さんからお話をお聴きしたインタビューアーは、わたくし牧師の森でした。

 

この日の準備のために、前週の半ばの朝、2時間程かけて事前にお話を伺い、少なくともわたしの頭の中には光子さんの〈あの頃〉の歩みはおぼろに浮かぶ状態ではありました。

 

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インタビューを行った光子さんの写真を教会の女性カメラマンさんが幾枚も撮っていてくれました。その日の夜、教会ホームページにアップロードする準備の作業を兼ねて一日を振り返ってる時に、はた、と気づいたことがありました。そして少し心配になりました。

 

光子さんにとって、皆さんの前で言葉を紡ぎ出すことって、大仕事だったのだなぁ、と。

 

インタビューのさいごの方には光子さんの笑顔があります。ほっとタイムでも、笑顔が見えます。でも、写真を見るまで気がつきませんでした。少し心苦しくなりました。翌朝、お嬢さんの安佐子さんにメールを送りました。

 

「お母さま、お疲れになっているのではと心配しています」
「大丈夫、母は守られています」

 

ほっとしました。

 

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光子さんのお隣に座らせて頂きマイクを差し出す時にも、微妙に、いえいえ、はっきりと感じていたのは、光子さんが会衆席の方にお顔を上げられないことでした。

 

光子さんご自身でピンマイクを持っておられましたが、そのマイクも口元からすーっと離れがち。

 

慎み深いお人柄。もちろん、それも本当です。でも、その光子さんたちにしか分からない感覚がどうやらあるのです。経験された方でなければわからないことが・・・。

 

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わたくし、昭和35年生まれ、西暦で言うと1960年の11月生まれです。戦争が終わったのは昭和20年8月15日。

戦後15年経過して生まれたわたしが育ったのは大分市の大在というのどかな村でした。

 

よく遊びに行ったのは仲良しの、たかゆきちゃん、あだち君の家がある平野(ひらの)地区でした。自転車を息を弾ませて10数分。毎日のように遊びに行ったものです。

 

缶蹴りをしたり、鬼ごっこ、パッチン(めんこ)、ビーロン(ビー玉)で遊んだり、キャッチボールをしたりと遊びも盛りだくさん。

 

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ただ、平野(ひらの)地区には、通りがかると、世界が変わる空間がありました。そこには防空壕が何本か掘られていたのです。ただそれだけのことです。

 

でも、こども心には、そこに身を寄せ合って空襲を逃れる人たちが居たとか、B29からの爆弾を逃れるための穴だった、などと考えることは出来ませんでした。入口付近には草が茂っていました。足を踏み入れることも、踏み入れたいとも思いませんでした。

 

「ボウクウゴウ」だと思いながら前を自転車で通り過ぎていました。

 

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今現在からさかのぼって15年前の自分は何をしていただろうか。このブログをお読みになっている皆さんは数分もあれば思い出せますか?2001年頃のことです。

 

主人が定年を前にして、息子が、娘が結婚して、初めての孫が生まれて・・・・・・でしょうか。いずれにしても、ついこの間のはずです。わたくしも、あー、あの頃はあの教会で仕え、乗っていた車がよく故障したとか、直ぐに思い起こせます。

 

でも、たった15年前に終わったばかりのはずの戦争。そのきな臭さとか、敗戦を通しての悲しみや呻きというものを、両親や祖父母からも真っ正面から聴くことはなかったのです。

 

おやじもおふくろも、おじいちゃん、おばあちゃんは、なぜ、なにも語らなかったのだろうか、と思うのです。思い出したくなかったのかも知れません。いいえ、少し話をしてくれても、わたしの心には残らなかったのか。

 

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光子さん。昭和2年4月1日生まれのわたくしの父よりほんの少しお姉さんです。母は昭和6年生まれですから少し大きなお姉さん。

 

小さなお身体が、初めて出会った頃より、一層ちいさくなってきのではと思います。が、日曜毎の礼拝、そして祈祷会に来るのを楽しみにして居られます。教会では一番小さいけれど、重くてたいせつな存在です。

 

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光子さんの人生91年。折り返し地点は二で割れば45歳頃になるのです。光子さん仰いました。中心点はどの辺りか。

 

「戦争の頃、呉の女学校時代です」と。

 

以下、少し、光子さんのお話をご紹介。

■戦艦大和をはじめ、多くの戦争関連の船舶が造船された呉港。男の人の姿ばかりだった。日本の各地から集められた、或いは、働きに来た方々がいっぱいでした。

 

■朝方、山の手から一斉に港の造船所に向かって降りて行く靴音で目が覚めました。

 

■ぞうすいを皆でよく食べました。雑炊がおいしかった。

 

■港には女学生たちが揃って戦禍から遺骨となって帰って来られた方々を迎えました。

■父親代わりのおじさんが、息子さんの出征の折りに呉にやって来て、戦地に送り出し、代わりに京都に連れて行ってくれました。そこでは、もんぺ作りに女学生たちは励んでいました。

 

■疎開先の京都から呉に向かう途中、空襲警報がなり始めると汽車が何度も停まりました。そして、飛び降りては身を隠すことを繰り返しました。

 

■やなぎごうり(柳行李)に、父と母の写真を入れて逃げたのです。そのおかげで、今でもその写真を見ることが出来ます。※【柳行李】を調べて見ました
 行李(=こうり)とは、柳(やなぎ)や竹で編(あ)んだ箱形(はこがた)の入れ物のこと。昔はおもに旅行や引っ越しの時に、荷物を入れて運搬するのに用いられた。今でも衣類の保管などに使われる。

どれも、明るいお顔で、朗らかにお話できるような話であるはずがありません。

 

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ただ、そんな中で、イエスさまとの出会いがあったのです。

 

前述の、京都在住の父親代わりのおじさまが、素晴らしい宣教師との出会いを経てクリスチャンだった。そのことゆえに、光子さんの一番多感な頃に、京都で、聖書、イエスさまに出会う機会を準備して下さったことも語られました。

 

あの経験があるから、あの苦労があるから、どんなことがあっても大丈夫。そう仰る光子さんでした。

 

戦後、おばさまを頼りにして岡山は旭東教会が立つ西大寺に移り住まれた光子さん。ご結婚され、その後、三人のお嬢さん、二人のご子息に恵まれます。妻として、母として、クリスチャンとして懸命に歩み続けられた光子さん。

 

そのお顔が笑顔に変わったのは一つのエピソードを語られる時でした。戦争、特に、空襲を経験されたがゆえなのですが、こう語られました。

 

        ―  ご自身、笑い出すのをこらえるように、お顔を、ふたつの 小さな 手のひらで隠し、しばらくうつむいたのち ―

 

「いつでも逃げ出せるように、荷物を一つまとめていました」

 

ご家族とのたくさんのご苦労はあっても、主の慈しみにゆえの恵みの日々があったのですね。そして、わたしたち旭東教会の一員として、この時代を生き抜いて来られた。

 

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光子さん。この度は、貴重なお話を聴かせて頂き、本当にありがとうございました。

 

聴かせて頂いたわたしたち、心から感謝です。そしてまた、このブログを通して、そのひとかけらでも、伝わる何かがあることと思います。お元気でいらして下さい。

 

これからもイエスさまに従う平和をつくり出す道をご一緒いたしましょう。end 


2016年8月3日(水) № 76 『 〈古谷正仁(まさよし)先生〉in  旭東教会 こぼれ話? 』

旭東教会で講演中の古谷正仁(まさよし)先生です。正真正銘の丸顔でしょ。
旭東教会で講演中の古谷正仁(まさよし)先生です。正真正銘の丸顔でしょ。

「丸顔で小柄な牧師先生はいいなぁ」

 

実際に、そんな声が聞こえてきたわけではありません。

 

でも、わたくし(牧師のもりでございます)が、そんな気持ちになった、古谷正仁(まさよし)先生を神奈川県の蒔田(まいた)教会からお迎えしてから3日経っての一個人の感想です。

 

ちなみに、わたくしは、背が高めで、ほそおもて(どうやら英語でslender faceと言うようです)です。

 

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7月30日(土)の午後1時半、岡山駅の新幹線改札口でお迎えした古谷先生。

 

もしや、お疲れかも、と心配いたしましたが杞憂に終わりました。

 

何しろ、旭東教会での翌日曜日午後3時過ぎ迄のご奉仕を終えてから、こういう会話があったのです。

 

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「古谷先生。これからの予定を考えますと、まず、昨日お話した通り、教会から10分のショッピングモールでお土産を買いに行きます。続いて、今、桃が届いたので、古谷先生に持って帰って頂きたい、という電話も入りましたので、Wさんのお宅に寄ります。それから、せっかく岡山にお出でになったのですから、日本の名園のひとつ〈後楽園〉にご案内する・・・・・・となりますと、新幹線・のぞみ号に乗るのは18時半頃かと思います。夏の陽射しは強いです。お疲れでしょうからご無理せずに、岡山駅に直行というのもありですが・・・・・・」

 

古谷先生「大丈夫だよねぇ」

直美さん「うん」

 

仲が良く、呼吸もピッタリ合った古谷先生と直美さんご夫妻。以上がすべてでした。

 

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疲れのかけらも見せずとは言え、わたしが運転する移動中の車内でコクリコクリ。でも7分ほどで完全復活された古谷先生。

 

後楽園でも案内表示版の前で立ち止まってはしばし読み込み、さらには、カメラを取り出してはスナップ写真の撮影を繰り返されました。この好奇心こそ元気の源かも知れません。

 

月曜日には、さっそく、神学校に出掛けられ、あれこれと仕事をなさったとのこと。「やりたかったことの半分くらいですが神学校で仕事をしました」と元気にお過ごしの様子が伝わって来るご連絡を下さいました。

 

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教会が元気に信仰を継承して行くためには何が必要なのか。

 

共に育つ教会とはどういうものなのか。

 

わたしたち旭東教会が今もこれからもコツコツと何に取り組んで行けば良いのだろうか、という課題を考える切っ掛けをと願う二日間であり、準備期間でした。

 

たぶん、このような古谷先生のひと言が、皆さんの心に残っているのではないかと思います。

 

「午後の集会まで残っている皆さんに、今、教会が楽しいですか? なんてお聞きするのが野暮、というものかも知れません・・・・・・、一人ひとりが、生き生きと生きることに尽きます」

 

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現状を肯定して下さり、安心を頂きました。

 

「旭東教会の賛美は素晴らしい!」というお褒めの言葉も、ますます、我らの礼拝賛美を豊かにしてくれるものだと思います。

 

「わたしが(母教会でもある蒔田)教会の主日礼拝に初めて出席した時のことです。年配の方々がそれはそれは大きな声で、かつ真剣に主の祈りを祈っている姿に圧倒されました。これはおかしい。何か裏があるに違いない、と思っていたら半年後に受洗していたのです」

 

これも古谷先生からの単純素朴な励ましです。

 

そうか、主の祈りを声を揃えて真剣に祈っている姿こそ、伝道の原点になりうるのだと確信しました。

 

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ふだんの古谷先生。牧会されている蒔田教会の礼拝では、前任の主任牧師である故・今橋朗先生がそうなさっていたように、日本語の説教の後に、英語でその要約を語り直す事情があります。

 

海外の方々、海員キリスト者との宣教協約の兼ね合いもあって多くの方々が来会されるからです。最近は減ってきたとは言われていましたが。

 

ですから、日頃は説教を英語で語ることを前提に準備するのだけれど、旭東教会ではそれから解放されてお話できるのでほっとしています、と仰っていました。

 

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明らかに激務の日々をお過ごしの古谷先生。

 

新幹線のぞみ号を新横浜で降りて、ご自宅に戻られてからすぐ、こんなメールを下さいました。

 

【本当にお世話になり、有難うございました。今、帰宅しました。旭東教会は、私たちにとって、癒しの郷でした。ご配慮の数々に、心から感謝しています。】

 

これもまた、旭東教会のこれからを力づけてくれるメッセージに他なりません。

 

お迎えした旭東教会の一同が、それぞれの賜物を活かし、先生を歓迎しつつ共に学ぶ機会を創って行ったこと。

 

実にそのこと自体が、実は、今回のもっとも大きな収穫かも知れないからです。

 

そうかぁ、旭東教会は癒しの郷になれるのだ、と気づかされました。感謝です。

 

自信を持とう旭東教会!と感じます。

 

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歓迎昼食会の準備が女性陣を中心に教会の台所で進んでいる頃。

 

わたくしはと言いますと、さしたる掃除もしていない、普段のままの牧師館の居間にご夫妻をご案内していました。

 

「先生、隠退したら珈琲店の主人になりたいわたくし森なんです。エメラルドマウンテンベースでマンデリンを少しブレンドして豆を挽く所から珈琲を煎れますので、是非、礼拝前に召しあがって下さい」

 

なんて言うおくつろぎの時間もありました。先生、珈琲が大好きで、若い頃は渋谷の珈琲の名店で1年ほどアルバイトされていたとのこと。少し緊張しました。

 

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岡山から重い手土産を持たせては大変ということで、旭東教会からの感謝として、「ピオーネ・シャインマスカット」という岡山特産のぶどうの詰め合わせをお贈りしました。古谷先生、飛び上がらんばかりに喜んでおられる様子のメールが入りましたが、会員の皆さまが召しあがる程の数はありません。おゆるしを。

 

いつかまた、信仰の歩みが深まった旭東教会にお招きし、今度は、倉敷の歴史あるたたずまいや、瀬戸大橋訪問もゆっくりとご案内したいものです。

 

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わたしたち旭東教会。尽きせぬ恵みが宿りましたので、ボチボチ、時にシャキッとしながら歩んでまいります。

 

古谷正仁先生、直美さん。そして蒔田教会の皆さま、伝道師の縣洋一先生(奇遇にも、神学生当時に稚内にお迎えした方です)。この度は本当にありがとうございました。end 

 


古谷正仁(まさよし)先生  in  旭東教会 ミニ写真館 Clickで綺麗に見えます!