2016年2月28日(日) №54 『 マスターは〈賛美歌〉も〈聖書〉も全部好き! 』

2016年2月28日(日)9時過ぎ、ジュニアサークルのインタビュー礼拝の話し手になって下さったのは、富雄さん。ステンドグラスを背にお話になっている方です。三國連太郎さんと親戚?という声もありますが定かではありません。それから、右の方が、文中に出てくる「足跡」という詩を手渡してくれたという正さんであります。
2016年2月28日(日)9時過ぎ、ジュニアサークルのインタビュー礼拝の話し手になって下さったのは、富雄さん。ステンドグラスを背にお話になっている方です。三國連太郎さんと親戚?という声もありますが定かではありません。それから、右の方が、文中に出てくる「足跡」という詩を手渡してくれたという正さんであります。

この日のジュニアサークル。

 

ふた月に一度くらいのペースで続けている「インタビュー礼拝」でした。

 

お迎えしたのは富雄さんです。

 

お宅から教会まで、車で50分ほどかかる所にお住まいですが、祈祷会、礼拝とそこに居られるのが当たり前のようなお方です。

 

この日もだいぶ早めに教会に到着のご様子。

 

普段の日曜日は、JCの礼拝が終わるか終わらないかの頃に、礼拝後のみーんなの楽しみ、ほっとタイムの珈琲を準備して下さっているマスターでもあります。

 

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インタビューアー健さんの「食べ物の好き嫌いはありますか?」のカーブのような質問にも戸惑う様子もなく、笑顔で楽しくこうお話になりました。

 

「生まれてこの方、納豆だけ食べていません。最近、私が納豆を口にしないことに気がついた孫に、〈納豆、なっとう〉とからかわれています」

 

こんな具合に、まずは一同の心を和ませてくれました。

 

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○○年前、旭東教会に導かれる前史として、市内のとある教会の伝道集会に出掛けられた富雄さん。

 

藤井先生という説教者がお出でになった教会に30分以上前に到着したものの、教会の前を行ったり来たり。

 

どうしても、一歩が踏み出せず、しばらく教会の扉を開くことが出来なかったそうです。

 

今日ここで教会に行けなかったら、自分はキリスト教と一生関係が無くなる、と思えば思うほど身動き出来ない。何だか様子が目に浮かびます。

 

昔を思い出してみると、初めての教会、というのはそれぞれに懐かしい思い出があるものかも知れません。

 

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わたくし(牧師のもりでございます)がインタビューをお聞きしていて、すごいなぁと思った言葉の一つはこれです。

 

「聖書にしても、賛美歌にしても、基本的に全部好きですね」

 

ナルホドと思いました。

 

祈祷会に出席される方のために作っているプリントがあるのですが、富雄さん、ご用でお休みされた時も、そのプリントをもらいに来て下さいます。嬉しいことです。

 

聖書については、率直にこうお話になりました。

 

「教会に来るようになるまで、聖書とは関わりがない暮らしを送っていました。

ですから、最初は、聞いていてもよくわからなかったのです」

 

「わたしが思っている常識と聖書的な考え方が違うことに戸惑いました」

 

そう言って触れられたのは、マタイによる福音書5章38節~39節のイエスさまのお言葉です。

 

確かに、ハードルかなり高いなぁと感じますね。

 

あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。

 しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。

だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。

 

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「聖書」以上に「賛美歌」がお好きだという富雄さん。

 

ご自身の大好きな賛美歌を3曲教えて下さいました。

 

一つは、「きよしこの夜」。
二つ目は、1954年版130番のメロディーで知られる「よろこべや」。
三つ目は、旭東教会でもダントツに愛唱賛美歌として親しまれている1954年版312番の「いつくしみ深き」。

 

富雄さんらしさを感じる3曲です。

 

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それから、愛唱の312番「いつくしみ深き」が、メロディーは同じなのに、別の歌詞で昔の音楽の教科書に収められていた時代があることをご紹介下さいました。この曲を聴いたのは小学校の高学年か中学の頃だったようです。

 

富雄さん、実際に、『星の界(ほしのよ)』(杉谷代水作詞、コンヴァース作曲)の楽譜を持参されていました。

 

そして、みんなにお配りになって、「ぜひ、教会の皆さんに歌って欲しいんです。わたしの夢でした!」とリクエストされました。

 

賛美歌のメロディーというのは、実際こういう形で、世界各地で様々に用いられているわかりやすい例だと思います。

 

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インタビューの最後、富雄さんは一つの「詩」を皆さんの前で朗読して下さいました。

 

ご自身の信仰の入門の原点を表していると同時に「座右の銘」としていると紹介されたものです。

 

富雄さんがその「詩」を知る切っ掛けは、6年前に体調を崩されて入院していた時に、この日も富雄さんのすぐ脇に着席してお話に心傾けて居られた〈正さん〉がプレゼントされた本の中にあったものだそうです。

 

それは、『あしあと』(原題「Footprints」)です。

 

さんよくご存知と思いますがと言いながら、ゆっくりと読み上げて下さいました。

 

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「砂の上のあしあと」

(富雄さんの朗読版)

 

ある晩、男が夢を見ていた。夢の中で彼は、神と並んで浜辺を歩いているのだった。

 

そして空の向こうには、彼のこれまでの人生が映し出されては消えていった。どの場面でも砂の上には二人の足跡が残されていた。

 

一つは彼自身のもの、もう一つは神のものだった。

 

人生のつい先ほどの場面が目の前から消えていくと、彼は振り返り砂の上の足跡を眺めた。

 

すると、彼の人生の道程には一つの足跡しか残っていない場面が幾つもあるのだった。

 

しかもそれは、彼の人生の中でも、特に、辛く悲しいときに起きているのだった。

 

すっかり悩んでしまった彼は、神にこのことを尋ねてみた。

 

「神よ。私があなたに従って生きると決めたとき、あなたはずっと私と共に歩いて下さると仰られた。しかし、私の人生のもっとも困難な時には、いつも一人の足跡しか残っていないではありませんか。私が一番あなたを必要としたときに、なぜ、あなたは私を見捨てられたのですか」

 

神は答えられた。

 

「わが子よ。私のたいせつな子どもよ。私はあなたを愛している。私はあなたを見捨てはしない。あなたの試練と苦しみの時に、一人の足跡しか残されていないのは、その時は、わたしがあなたを背負って歩いていたのだ」

 

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とーっても豊かで、濃い、20数分でした。

 

こどもたちのみならず、大人の方々にも、どんどんお出で頂きたいなぁと感じた時間でした。

 

心から感謝します。

 

この時間も含めて、旭東教会の日曜日、毎週、豊かに前進中です。まだ、旭東教会にお出でになったこのない方も、安心してお出かけ下さいませ!

 

富雄さんの煎れて下さった、ほっとタイムの珈琲もぜひ味わって下さい(^^♪

 

 



2016年2月20日(土) №53 『 文化財の保護です! 』

教会から直線距離だと300㍍程の、高野山真言宗別格本院西大寺「会陽(えよう)」。

 

室町時代の1510年より続くとお聞きしましたが、2016年は、2月20日(土)の夜行われました。

 

 

「西大寺会陽」の由来などについては以下をお訪ねになるとよくわかります。

 

http://www.saidaiji.jp/website/greeting】(左をclick!)

 

わたくし(牧師のもりでございます)、〈裸祭〉として知られるだけでなく、日本の〈三大奇祭〉と言われることもある「会陽(えよう)」がどのようなものか楽しみにしていました。

 

高い所から投げ込まれる護符である「宝木」(しんぎ)の争奪戦がチームで参加して行われるものですが、この地に立つ我らプロテスタントの教会と全く無縁とは思えません。

 

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当日、旭東教会から2時間程の所にある、新見市の新見教会献堂式が午後1時半から行われ、そちらに出席することもあり、夜10時過ぎ迄続く「会陽(えよう)」をぜーんぶを観る元気はとてもありませんでした。

 

でも、「会陽(えよう)」を包む熱気は十二分に感じることができました。

 

とりわけ、旭東教会のすぐお隣にある、旭電業(株)の皆さんが、社長さんをはじめとして、会社や関係の皆さんあげての相当な力の入れようで祭りを盛り上げる様子に触れられたのは幸いでした。

 

これから先、時間をかけてゆっくりと、旭電業(株)さんとも親しくさせて頂きたいなぁと願っています。

 

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めでたくも、国の重要無形民俗文化財に指定されることが2016年1月に決定した「西大寺会陽(えよう)」という名の〈お祭り〉。

 

ある神父さまのお言葉が記されたご本の一場面を思い起こしましたのでご紹介します。

 

そして、その神父さまのセンスを、わたしたちも倣う心持ちを、心のどこかに抱いておくことは大切かなぁと思っています。

 

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以下、『弱さの祝福』(井口貴志・サンパウロ 1997年)の「共同体というもの」からの抜粋です。

 

井口貴志さんは1940年生まれの方で、カトリックの信者さんです。

 

心理学、社会福祉学、カウンセリング、グループワーク等の世界に触れ、「精神保健上の様々な課題を持つ人々や家族の治療的リハビリテーション」を専門にするようになった方。

 

特に、キリスト教信仰に至る重要な切っ掛けを、パリ・ミッション会のジャン・ワレ神父さまとの出会いの中で与えられたそうで、神父さまは井口氏を洗礼へと導き、井口氏は神父さまを兄と慕い、師と尊敬されている、という関係にありますが、その最初期の出会いの場面です。

 

 

氷川神社という神社に、その神父(ジャン ワレ)と出かける機会があった。私は困ったなと思った。

 

私は、日本の文化とカトリックの信仰とがどう交わるのかをテーマに持ち続けていた。

 

つまり、日本の文化は日本人一人ひとり、そして私自身でもあるのだから、その尊厳がどう保証されていくのかということは真に重大なことであった。対し方によっては、自分の人生が左右されかねない恐さがあった。

 

ところが私の危惧とは裏腹に、彼は、賽銭箱にさい銭を入れて手を合わせて拝みだしたのである。

 

聞くと「文化財の保護です」という答えが返ってきた。

 

私はホッとした。日本人の、つまり日本の共同体の歴史や文化が、尊いものとして感動をもって評価されていると感じたのである。

 

今思えば「あなたは美しい。傷一つない」(雅歌)という共同体建設の道のあることを、私はそのとき感じさせていただいたように思う。そして洗礼を受けた。

 (引用おしまい)

 

 

関連の写真を何枚もとって、牧師館で整理していてようやく気付いたことがあります。

 

観音院さんの境内と言ってよいと思いますが、そこには、なんと立派な鳥居があり、「垢離取場」(こりとりば)と呼ばれ、身を清めるために男たちは冷水を浴びてから、「宝木(しんぎ)」の争奪に参加するのです。

 

いやいや、それ抜きでは参加はゆるされていないのです。

 

神仏習合が見事にそのまま残っていること、ある意味、感動しました。

 

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そんな街にある、わたしたち日本キリスト教団旭東教会です。

 

どのようにして共に在ることが出来るか、ゆーっくりと考えて行きます。

 

パリ・ミッションの「文化財の保護です」とジャン・ワレ神父さまが仰ったお心に余裕のある、含蓄あるお言葉。

 

本を通してですが、心から感謝いたします。end

 

以下、ミニ写真館をどうぞ。解説は略しますが、clickすると大きくなって、だいぶ臨場感が違います。

 

 

 




2016年2月14日(日) №52 『 始まりますよ! 絵手紙の会 』




写真はclickされるとぐーんと大きくなります。簡単なご案内文もあります。



上のマイクをお持ちのご婦人、〈書子さん〉です。

 

〈カキコさん〉ではなく、〈ふみこさん〉です。

 

昨年12月5日にご主人の〈和義さん〉を天国に送られて2ヶ月と少し。

 

3月10日(木)より「絵手紙の会」を旭東教会で始めよう、とあれこれと準備をして下さいました。

 

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これ、全く突然に思いがけないことが起こった、というわけではありません。

 

写真の中の一枚、「お猿さん」と「大きな海老」の絵手紙は、ご主人の和義さんの遺作です。2015年度の教会標語が記された、実はこれ、誕生カードです。

 

その他、懐かしい絵をご紹介です。clickをしてみて下さい。

 

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2015年の一年間。

 

和義さんの体調が今ひとつすぐれずお休みされていましたが、長年、お誕生日のカードの絵は和義さんが担当されていたのです。

 

旭東教会を目立たない形で支え続けておられた貴いご奉仕でした。

 

一年のブランクを経て、2016年の1月生まれの方たち向けに、随分早くからあれこれと思い巡らしながら、準備を始めて下さっていた、というわけです。

 

1月生まれの方たちのためのカード。既に11月下旬には仕上げられて牧師のところに届いていました。ほんとうに、急逝される少し前まで、ご奉仕されていたのです。

 

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段取りの詳細は確認していませんが、宛名と住所、切手貼りなどは書子さんが担当されていたのだろうと思います。

 

そこまで出来たものに牧師からのメッセージと教会の皆さんの署名がされ、お誕生カードが贈られていたというわけです。

 

和義さん急逝直後の、2月、3月分のお休みを経て、書子さんが音頭を取り、有志で楽しみながら、〈絵手紙 誕生カード描き〉の奉仕を始めることになったというわけです(拍手)。

 

「絵手紙の会」では、誕生カードだけを描かれるわけではないはずです。大いに楽しみながら末長く続けてほしいとわたくし(牧師のもりでございます)思います。

 

とにかく、嬉しい!

 

筆 青墨 硯 筆洗 ティッシュペーパー 顔彩 梅皿 フェルトの下敷き 画仙紙ハガキなど、あるものでまずは始めましょう、と案内があります。

 

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教会はイエスさまの復活の命に生かされる共同体。

 

主の甦りの命を生きる群れとして、絵手紙の会が豊かな交わりの場となるのでは、と期待しています。

 

きっと、天国の和義さんも大喜びされていることとでしょう。

 

そして、上からの祈りの力に支えられ、書子さんのお人柄とあいまって、絵手紙の会がじんわり・ほんわりと深まって行くように、わたくしも応援したいと思います。

 

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絵手紙の会がある旭東教会です。

 

ちょっといい感じでしょ(笑)

 

初めての方のご来会、そして、絵手紙の会へのご参加、お待ちいたしております。お気軽にお声がけ下さい。end

 

 


2016年2月7日(日) №51 『 この背中は何を語る 午後の旭東教会の日曜日  』


 以下、写真をclickすると、たのしい? ご紹介がございます。よろしければクリックをどうぞ!



2016年2月7日(日) №51 『 この背中は何を語る 午後の旭東教会の日曜日  』


 こんにちは!旭東教会牧師のもりでございます。

 

2016年も早くも12分の1ヶ月の時が流れて、2月に入りました。

 

今週のブログ・教会日記。

 

「写真の部屋」あらため「あの時の一枚!」に移行の作業などで手間取ってしまい、もうすぐ土曜日を迎えようという、金曜日の夜となってしまいました。

 

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さてさて、今年の「復活祭・イースター」は3月27日です。

 

そこからさかのぼって数えて行くと、2月7日が、今年最後の降誕節の礼拝となりました。

 

ブラジルのリオのカーニバル(謝肉祭)のニュースが伝わってくると同時に、教会の暦は「受難節・レント」がもうすぐそこに来ているということになります。

 

2月10日(水)は「灰の水曜日」。

 

ここから46日の間(6日間の日曜日を除けば40日)は、主の十字架への道行きを心に深くとめる季節です。

 

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この日の旭東教会。大きな行事がない静かな日曜日でした。

 

礼拝後に行われていた事と言えば、月に一度の『週報』等の発送作業。そして、『緑の牧場』という〈教会報〉の編集委員会打合せくらいです。

 

礼拝後の集会室のほっとタイムに残って居られた皆さん、それぞれに、のんびりとした様子で、話の花を咲かせていました。

 

ふと気がつくと、何だか、その背中で人生のオリジナルストーリーを物語っているように見える方が居られたりして、シャッターを続けて押してしまいました。

 

それが上のミニ写真館です。

 

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ヨハネによる福音書20章11節以下で、マグダラのマリアが身をかがめて墓の中を見ていた時、彼女の背中越しに復活のイエスは言われたのでした。

 

「女よ、なぜ泣いているのか」と。

 

するとマリアは、「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません」と答えるのです。

 

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実はわたくし、この聖書の場面が大好きです。

 

マリアの背中をイエスさまはしばらくの間、間違いなく見つめておられた。そしてそれからタイミングを見計らって「女よ…」と仰ったわけです。

 

マリアは、まさかイエスさまが自分の背中を見ておられるなんて、これっぽっちも思っていません。

 

もっとも無警戒かつ無防備な背中を見せているマリア。

 

彼女はこの時、偽善者(=演技する者)たり得るわけがなかったわけです。

 

正真正銘、ありのままの彼女をさらけ出していたのだなぁと思います。

 

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「はーい、撮りますよー」なんて掛け声も一切なしに、旭東教会集会室で話し込んでいた皆さんの背中、撮影してみました。

 

SDカードに記録された一枚一枚。

 

やはり一切演技なしのように思います。ありのまんまが映し出されました。

 

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背中で何かを伝えることが出来るようになったら映画俳優として一丁前などという話を聞いたことがあります。

 

日頃から、何かを演じる必要などない旭東教会の面々が、ますます、何かをごく自然に伝えてくれているように思った次第です。

 

小さな背中、少ーし丸くなり始めた背中、想像していたよりも遥かに細い背中がそこにあるように思います。

 

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牧師として教会の皆さんを送り出す瞬間というのは、何とも言えない気持ちになることがあります。

 

とりわけ、重荷を背負ってようやく教会に辿り着かれた方の足取りが、少しでも軽くなっているように見えたなら、こんなに嬉しいことはありません。

 

当然、その時、背筋が少しばかりぴーんと伸びているように見えることがあるのです。

 

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エマオ途上の旅人二人が描かれているルカによる福音書24章13節以下。

 

エルサレムからエマオという村に向かって歩きながら、話し合い論じ合っていたふたり。暗い顔をしていたわけです。

彼らの期待がすべて裏切られてしまった、と落胆していたのですから。

 

その時、イエスさまは二人にそーっと近づいて行かれたわけですけれども、その背中には、彼らの落胆した表情が映し出されていたに違いありません。

 

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【疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。】(マタイによる福音書11章28節)と言って下さるイエスさま。

 

耐えきれないなぁ、なんて思いながら教会に週毎に集うわたしたちの重荷を、全部、知っていて下さるのです。

ご出演の皆さま、どうもありがとうございました!

 

どうぞ、まだお目に掛かったことのない皆さまも、ご自分の十字架を背負って、旭東教会へお出かけになってみて下さい。

 

イエスさまは、必ずみ手を差し伸べてくださいます。その背中をいつくしみに満ちた眼差しでご覧になって。end