2015年11月29日(日)NO.41 『 扇風機さん ?十年間 回り続けてくれてありがとう 』

おそらく少なくとも30年以上、もしかすると40年位の間、この会堂で回り続けてくれた扇風機さんに別れを告げました。ありがとう!
おそらく少なくとも30年以上、もしかすると40年位の間、この会堂で回り続けてくれた扇風機さんに別れを告げました。ありがとう!

説教の時、足もとがぶるぶる震えてくるような寒さを感じながら語ったのは久しぶりのことでした。おっと、わたくし牧師のもりでございます。


こんなに寒いと感じるとは・・・・・・油断しておりました。


暖房が効きすぎてまいった、ということは時々ありますが、大掃除に合わせての大型ストーブ出し作業を予定していた我ら旭東教会。


一週、出遅れてしまったようです。


礼拝後に聞こえて来た声に依れば、やはり会衆席の皆さんも「きょうは寒かったぁ」と感じて居られたようです。例年よりも3℃暖かい11月だったと気象庁が天気予報で言ってますから、来年は気をつけなければいけません。


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さて、アドヴェントと言えば、クリスマスのリースが飾られはじめ、アドヴェントクランツが備えられる季節です。

クランツのキャンドルに意味があります。


1週目から順に「預言のキャンドル」(1週目)、「天使のキャンドル」(2週目)、「羊飼いのキャンドル」(3週目)、「ベツレヘムのキャンドル」(4週目)と呼ばれることもあります。


それぞれ「希望」「平和」「喜び」「愛」を意味するものです。


旭東教会でも、あれこれと工夫がされながら年毎にアドヴェントクランツが準備されて来たようです。


今年のクランツは5本目があります。キリストのキャンドルと呼ばれます。クリスマスを祝う礼拝(アドヴェント第4週のこともあります)やクリスマスイブかクリスマスに灯されるものです。


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さて、タイトルに掲げました本題に入りましょう。旭東教会ではこの日大掃除が行われました。


普段、ワックス掛けをすることが多いのですが、今年はワックス掛けをする日曜日は12月27日(日)として(恥ずかしながらこの日まで、わたくし忘れていました)、あちらこちらの掃除を念入りにしよう。


そして、使わなくなったもの、埃をかぶったままのもの、忘れ去られて30年なんていうようなものは、廃棄処分にしようということになりました。


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結果は大正解だったようです。捨てることはある種の壮快さがありますね。


事前の作業をして下さっていた方が居られたからかも知れませんが、2時間と少しの作業としてはかなり充実感を覚える片付け具合となりました。


そして、掃除の終盤には、30年以上は夏になると窓辺の高い所に取り付けられて首を振ってくれていた扇風機が処分されることになりました。プラスチックの部分がボロボロと崩れ落ちる状態となって、劣化が一気に進んでしまったようです。


長い間、本当におつかれさまでした。


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というわけで、今日のBlogの写真は、在りし日の扇風機さんの美しい姿を記念に使うことにしました。2015年の夏の写真です。


同じような扇風機が再び歴史ある旭東教会の礼拝堂に姿を見せるのかどうか、今の所まったく想像がつきません。

時の流れの中でそっと姿を消して行った扇風機さんに心から感謝です。


そして、時が移りゆけば、このようにして様々な変化が少しずつ起こるのだなぁとあらためて思った日曜日となりました。


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クリスマスに向けてのアドヴェント・待降節は、信仰生活にとって、非常に意味深い期節です。


このBlogをご覧になっていて、教会に一度行ってみようかなぁ、クリスマスがいいかなぁ、なんていう方は、ぜひ、クリスマス前のアドヴェントから礼拝にお出かけ下さい。


クリスマスの歓びがより一層深くなること、お約束いたします。end


※追伸
もう一枚下に、写真をupいたします。忍者が窓辺に張り付いている様子が見えますか? うふ、もちろん違います。窓ふきのためだけでなく、歴史ある会堂の古風な窓のとある修復作業もして下さっています。命綱をつけなくて大丈夫なのか、と思いますが、天上から下がっている電灯の交換もお茶の子さいさいですので、今の所はお任せであります。bye-bye

梯子の上の方、本当に身軽です。命綱をつける方法はないのかしら、と真面目に考えるのですが。
梯子の上の方、本当に身軽です。命綱をつける方法はないのかしら、と真面目に考えるのですが。


2015年11月23日(月・休)NO.40 『 文彦さんの〈 病床洗礼式 〉 in  四国・高松 』(ミニ写真館付)

2015年11月23日(月・勤労感謝の日)の午後、高松の居室にて、文彦さんの洗礼式を執り行いました。後ろから支える手は奥さまの史生さん。洗礼盤は泰さんが持ちます。旭東教会の洗礼盤は備前焼の陶芸家・明美さんの作です。
2015年11月23日(月・勤労感謝の日)の午後、高松の居室にて、文彦さんの洗礼式を執り行いました。後ろから支える手は奥さまの史生さん。洗礼盤は泰さんが持ちます。旭東教会の洗礼盤は備前焼の陶芸家・明美さんの作です。

感慨深い洗礼式でした。勤労感謝の日、高松のとあるお部屋でのことです。

 

奥さまの史生(あき)さんが仰いました。

 

「62年待ちました」

と。

 

ご結婚されてからの年月でしょう。

 

そして、文彦さんのための手作りの大切なカードを額に入れて準備されていたものを紹介して下さったあと、ご主人に手渡しました。

 

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奥さまの史生さんの献身あっての文彦さんの洗礼式、それは間違いありません。

 

けれども、一番スゴいのは、神さまの緻密なご計画でしょうか。不思議です。

 

不思議と感じる所に、既に、神働き給う、をこの日あらためて実感です。

 

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昭和4年・1929年の2月生まれの文彦さんは現在86歳。思うように体を動かす元気は今はありません。

 

「人生の終末を、罪贖われて、生きて行きたい」

 

そう仰る言葉に、だれもが静かにうなずき、噛み締めました。

 

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洗礼式直後、文彦さんは言われました。

 

「みんなぁ、きょうは遠くから、よお来てくれたぁ」と。

 

洗礼式の後、正さん仰いました。

 

「わしはなぁ、あんたが言う通り、偽善者なんじゃ」と。

 

これにも言葉がありません。

 

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その日の朝、出発は午前11時。

 

その10分前、教会の玄関前に、出かけることは出来ないけれど、と見送りに来てくれた一子さんと幸子さんも祈りの輪に加わりました。

 

わたくし(牧師のもりでございます)、皆さんにお願いしました。

 

「旅行気分でわたしたち高松にこれから出かけるのではありません。誰もそんなことは思っていないでいしょうが、あえて申します。これから私たちは伝道の旅に行きます。神さまのみ業に参与するために一緒に出掛けましょう。・・・・・・自己紹介するときには、今、自分が一番困っていること、悩んでいることを語る準備をしてお話下さい。どんな形かは分かりませんが、覚悟して出かけましょう」

と。

 

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洗礼式後、集った一人ひとりが手を取っておめでとうございますの挨拶しました。

 

文彦さんには、わたしがお願いしました。

 

「文彦さんの大切な務めは、みんなのことをお祈りすることですよ。ベッドの上で動けなくても、これを続けて下さい」と。

 

旭東教会の一員としてのたいせつな宣教の使命を託しました。

 

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高速を使って、瀬戸大橋を渡っての片道約1時間40分程の道。

 

あの20世紀の壮大な構築物とも言える瀬戸大橋が存在しなければ、一泊二日の旅になるような所です。

 

でも幸い、90数キロで辿り着きます。

 

この距離、少なくとも今の時代にあっては、遠いとは言えません。教会には車いすの幸子さんが二ヵ月に一度位のペースでJRを乗り継いでお出でになるのです。

 

努力は必要ですが、乗り越えられない距離ではないのです。

 

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洗礼式。

 

素晴らしいなぁといつも思います。

 

聖礼典は恵みの想起の出来事として一同を激しく揺さぶります。

 

この日、喜びに与ったのは、文彦さんと史生さんご夫妻だけではありません。

 

みんなが、みんなが、確かに力を受けたのです。

 

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旭東教会前に帰り着いたのは18時過ぎでした。

 

光代さんが笑顔で仰いました。

 

「わたしねぇ、森先生が、病床で洗礼を受けられた方で、その森先生の旭東教会での最初の授洗者が病床の文彦さんだっていうことがスゴいと思うんよぉー!」

と。

 

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忘れておりました、わたくし。

 

そうなのです。神さまは、そのようにして弱さを持つ伝道者を用いて下さる。いつもグイッと原点に引き戻されるのです。立ち帰れ、忘れてはいかんよ、と

 

さて、文彦さんを一員に加えた旭東教会は、どんな旅が始まっているのでしょう。

 

キリスト・イエスのみ足跡を見失わないように、覚悟をもって従いたいと願います。end


※下にミニ写真館あります。写真はclickすると大きくなってコメントが読めます。


2015年11月23日(月)高松での文彦さん・洗礼式  写真集です



2015年11月22日(日)NO.39 『  関田寛雄先生〈 この最後の者にも 〉in  岡山・旭東教会 』

2015年11月22日(日)午後、旭東教会の集会室で、午後の講演の時の1枚です。ステンドグラス作家の下村満智子さんの『最後の晩餐』をバックに熱く、気迫を込めて、そしてやさしさに満ちた言葉でお話下さいました。
2015年11月22日(日)午後、旭東教会の集会室で、午後の講演の時の1枚です。ステンドグラス作家の下村満智子さんの『最後の晩餐』をバックに熱く、気迫を込めて、そしてやさしさに満ちた言葉でお話下さいました。

こんにちは!旭東教会より喜びと感謝のご報告です。わたくし牧師のもりでございます。

 

11月22日(日)の旭東教会、礼拝堂の席の皆さんの背筋が伸びました。

 

少なくとも5㎜は確実でございます。

 

1928年・昭和3年生まれと言えば、私などからすると父の世代です。

 

でも、わたしが存じあげている関田先生。例えば、2004年に新潟・上越市内の教会に在任中、特別礼拝にお迎えした頃とまったく変わりない、という位お元気でした。

 

写真をご覧になっても、お感じになって頂けると思います。

 

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1990年頃、関田先生はわたしが学んだ神学校で説教学、そして、聖書解釈ゼミを担当して下さっていました。某神学大学から関田先生ご了解の上でモグリの受講生も居られました。

 

関田先生、小さな寺子屋のような教室にお入りになると、今回の講壇でのご様子と全く同じ口調で言われました。

 

ゆっくりとした穏やかな口調でカバンを置くとすぐに、

 

「皆さん、こんばんは」(夜学でした)

 

年齢に幅のある神学生たちであるにしても、二十歳そこそこの同級生も居りました。

 

当時の私は30歳位。

 

どんな時でも、一人の人間として対等に向き合って下さる。決して「君」とは呼ばず「さん」と呼ばれる。ほとんどの先生がそういう姿勢をもっておられましたが、関田先生は格別でした。

 

いつも深々と頭を下げてから講義を始められたものです。

 

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この度の旭東教会でのご奉仕。

 

礼拝説教と午後の講演の二本立てでした。

 

いずれも力に満ち満ちたもの。それは元気がいいとか、そういうことではありません。

 

もちろん、元気はつらつでしたが、声が大きい元気さとは違います。

 

言葉に聖霊が宿るのを感じられるような、そして、真理であるがゆえに恵みに包まれている。

 

さらに、やさしさと悲しみとユーモアが共存する言葉。

 

うーん、やはりライブで関田先生に出会って下さる恵みに勝るものはありません。

 

出会いこそが受肉の言葉の契機ですから。

 

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「来年も関田先生を違う主題でお招きしましょう」という声がどこからか聞こえて来ても不思議ではありません。

 

今年は「今、平和を作り出す民として」ということで旭東教会にはお招きしましたが、「悲しみと喜びに寄り添う民として」というような感じで、2016年度の教会形成を視野に置いての伝道計画を!との声が聞こえてくるように、と願っている次第です。

 

『讃美歌21』の486番《飢えている人と》の歌詞にこうあります。

 

「沈黙する人と」「悲しみの人と」「友のない人と」「無気力な人と」をイメージしつつ、我々のために、そして隣人のために、再び、岡山市の西大寺・旭東教会でお目に掛かることが出来れば幸いです。

 

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関田先生。

 

ご奉仕が終わられて一休みされた後、夜、西大寺のとある小さな空間で、岡山のお米ビールを口にしながら言われました。ちなみにわたくしはお水。

 

「恵みはいつも後追いなんですよ。その時には分からない」

 

そう仰いました。

 

うーん、深いですねぇ。

 

そしてまた、わたくし、とあることを質問いたしました。牧師としてこれからも出会う可能性の高い場面での出来事を思い巡らし、実際に起こったことを紹介しつつの問いかけでした。

 

「そういうときはねぇ、それでいい。……未来志向の言葉を語ればよいのです。教会でしか通じない言葉は語らないようにねぇ」と。

 

関田寛雄先生からの久しぶりの説教学・続編でした。

 

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もちろん、わたくしのみならず、旭東教会でこの日の礼拝と講演の恵みと喜びに触れた方々の足取りは確実に軽くなり、その目線は朝よりも2㌢は上向きになったように思います。

 

山田洋次監督がメガフォンをとり、渥美清さんが演じたフーテンの寅さんをこよなく愛する関田寛雄先生。

 

次週は、東北の鉄に関係する町にふらりと登場予定とのこと。

 

関田先生、ますますお元気で伝道の旅をお続け下さいませ。心よりお祈り申し上げます。end

 

※関田先生の当日の説教・講演は、「西大寺の風」というメッセージBlogにて公開します。説教は既に公開済み。講演はもう少し準備に時間がいります。お待ち下さいませ(11/26昼現在)(^^♪

 



2015年11月15日(日)NO.38 『 中国山地を越えて 交換講壇で倉吉教会に出かけました 』(Miniミニ写真館付)

2015年11月15日(日)朝6時半に旭東教会を出発。倉吉に向かう途中の奥津湖近くだと思いますが、小休憩。山を越えると日本海側を感じ支える天気に変わります。気温もたぶん4~5℃低めの感じです。
2015年11月15日(日)朝6時半に旭東教会を出発。倉吉に向かう途中の奥津湖近くだと思いますが、小休憩。山を越えると日本海側を感じ支える天気に変わります。気温もたぶん4~5℃低めの感じです。

『 中国山地を越えて 交換講壇で倉吉教会に出かけました 』

こんにちは!牧師のもりでございます。


11月は旭東教会としては盛りだくさんの日曜日が続いています。1日は聖徒の日の礼拝や納骨式、そして8日は子ども祝福礼拝、さらに、15日は東中国教区の交換講壇でした。来週22日は関田寛雄先生をお迎えする礼拝と講演会、29日からはアドヴェント・待降節に入りますし、大掃除もあります。


さて、15日(日)、旭東教会は鳥取県西部地区の倉吉教会と交換講壇となりました。日程は自由に設定できますので、全教区が同時にということではりません。倉吉教会は11月29日(日)にも第二弾の交換講壇を行うそうです。


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旭東教会の様子は、さすがにわたしが記すのは無理があります。倉吉教会の牧師の柴田彰(しばた しょう)先生の説教はテープ録音されていましたので、15日(日)の夜、休む前に聴かせていただきました。


その時の様子のいったんは、上の写真でもご覧頂けます。11月22日(日)迄はホームページのTOPに「今週の3枚!」の欄で写真や小さなコメントをご覧頂けます。


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柴田先生は前日の土曜日、旭東教会のある西大寺にお入りになりましたが、わたくしは、当日の朝6時30分に妻の美樹さんと二人で自動車に乗り込んで出発進行。


高速道路を通るルートもありますが、前日、旭東教会の頼もしいJCリーダー・健さんから「霧ができるから下道の方が」という助言をいただき、途中ゆっくりとした休憩も含めて3時間掛けて鳥取県の倉吉市にある倉吉教会へ出かけました。 *これはかなりゆっくりペースです。


瀬戸内市、赤磐市を通って久米南町に入りました。ここから53号線に入り、見崎町、そして中国自動車道のインターがある院庄(いんのしょう)を抜けひたすら北上というのか日本海側に向かいました。


鏡野町、奥津湖、奥津温泉、人形峠の人形トンネルなどを抜け、倉吉の手前の三朝(みささ)温泉を経て歴史ある倉のある町倉吉に着きました。


途中見つけた紅葉が上の写真の一枚です。中国山地というだけあって、岡山市近郊よりも早く紅葉がすすんでいました。


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さて、毎週20名程の方たちで礼拝を捧げている倉吉の方々。本当に温かに迎えて下さいました。しかも何の力みも無く、自然体で。感謝でした。


アキレス腱を切って久しぶりに礼拝、という女性も居られたりしました。


礼拝前にその言葉の意味がわからなかったのですが、「上にも礼拝堂があるんです」ということの意味が礼拝後にわかりました。


写真をクリックして下さるとよいのですが、3階には、何年前からかはお聴きしませんでしたが、普段は使用しない立派な礼拝堂があるのです。エレベーターのない階段を上まで登る大変さ。そしてあれやこれやの利便性(お茶や愛餐会・交流・会議の時間も含めてでしょう)も考えてのことでしょう。


昨日は、1階の附属保育園のホールに折りたたみ式の椅子を並べ、机を出しての礼拝となりました。何も聞かなければ、このような形式の教会がある事は不思議ではありません。


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礼拝後、3階の礼拝堂、柴田彰牧師が育てているぶどうの樹やからし種の樹の鉢植えを見せていただいたりしました。案内はお連れ合いの円さん。


そしてお昼ご飯となりました。楽しくおいしい団らんの中、愛餐会に残られた10名ほどの方たちと温かな時を過ごしました。


一人の方が「こどもの姿は旭東教会にありますか」とお尋ね下さいましたので、最近のJC礼拝の様子、そして、先週のこども祝福礼拝の様子をお話ししました。


「一度に何かが変わるのは大変だけど、少しずつ変わるといですね。でも、小さくても深い根を降ろした教会形成に希望を持てれば」とお伝えしたりしました。


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倉吉教会でも最近ホームページが立ち上がり、教会の様子が徐々に発信されています。「倉吉教会のこと」で検索するか、以下をどうぞ、clickしてみて下さい。

倉吉教会のホームページ




柴田先生のBlogには既にこんな言葉がありました。


「11月15日の日曜日は、岡山市東区の旭東(きょくとう)教会の礼拝で説教のお役を果たしました。広域の交流プログラムの一環です。旭東教会の森牧師は倉吉教会で説教のお務め。いわゆる、そのときだけトレードです。


 このような交流は楽しいです。教会それぞれに個性があって、雰囲気や聞こえる声、礼拝の流れが新鮮です。初めての旭東教会の礼拝ですが、最初から温かい空気に包み込まれるようで、和みました。この居心地のよさは、多くの教会で共通しているかもしれません。」




他にも、牧師の食卓、という名物㌻になる予感の楽しい部屋ももあります。ぜひ、お訪ね下さいませ。


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帰り道、倉吉の町を散歩しようかと思いましたが、jeansにスニーカーの時にしよう、ということで今回は取りやめ。


水産会社が母体という大きなスーパーに行き、柴田牧師が記して居られた「あかエビ」の買い物をたのしみました。これは、北海道などでは甘エビと呼んでいるもののようです。


安さにびっくり。エビの写真は撮り損ねましたが(美樹さんが直ぐにさばいてしまいましたので)、ひとパック税込み150円程でかなりの量が売られています。刺身にして本日(11/16・月)の食卓に出るはず。


それから、道の駅に立ち寄ってわたしは車の中で一眠り。


妻は買い物をして戻って来ると、「柴田牧師がお店に居たよ」と言うではありませんか。本物のスポーツカーに乗って居られる柴田先生、羽根がついていたのでは、と思う程でした。


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遠方の教会が、互いのことをゆるやかに知り合いながら、いっしょに歩んで行くことが出来る交換講壇。


たいへん有意義なことが多いと思います。それぞれの教会、そして牧師も、新鮮な経験、気付きを与えられて、結果的には宣教・伝道の絆が深まって行くことを確信しました。


旭東教会での柴田牧師の礼拝説教テープも聞かせて頂きましたが、先生でなければ語ることができない福音が溢れていました。こども祝福のメッセージでの〈なおちゃん〉も大きくなる切っ掛けとなったことでしょう。


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倉吉教会の週報には附属施設の保育園の報告もありました。


《11月から途中入園1名があり、園児数は45名です》と。


頑張ってますね!


感謝しつつ、御地に於ける宣教を覚えて祈り、また、重荷を負い合いながら歩んでまいりたいと思います。end



2015年11月8日(日)NO.37 『 神の国を感じたよ! 2015年 こども祝福礼拝 』(clickで楽しめるミニ写真館付で

写真はぜひクリックしてみて下さい。大きくなって楽しめます。コメント付き。

2015年11月8日(日)『 神の国を感じたよ 2015年度のこども祝福礼拝 』

こんにちは! この日の旭東教会。喜びの余韻が深く残る日曜日でした。

 

そう、まるで神の国の先取りを感じるような、オーバーではなく、そういう日曜日でした。たのしかったですよー。

 

わたくし(牧師のもりでございます)、正直に申しますと、日曜日の夜の眠りがあさかったのです。だいぶ興奮ぎみでした。役員会が礼拝後にありましたが、何だか、相談・決定したことの一部が思い出せません。

 

教会の男性会員では現時点でもっとも大先輩の《正さん》が礼拝堂から出て来られた時に仰いました。

 

「きょうの礼拝は豊かでしたねぇ」

 

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これまた正直に申し上げます。

 

これは牧師みょうりに尽きる、最高の励ましの言葉です。いえいえ、牧師のためだけにある言葉なんかではありません。

 

われら旭東教会にとって最高に幸せな言葉だろうと思います。

 

説教がほめられるよりも遥かに大事なことです。豊かな礼拝は!

 

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練りに練った礼拝、ということでもありません。わたしも忘れていたことがありました。

 

例えば、十字架をもってのこどもたちの入場。

 

新潟県の教会で牧師として仕えていた時代、毎週そうしていたことでした。が、時間の経過と共に忘れてました。少し歳をとったかも知れません。

 

こどもたちを最初から礼拝堂の最前列によい子に座らせておくのは大変、と気付いたオルガニストの光代さん。

 

何とこどもたちにお話になっていたか、忘れてしまいましたが、こどもたちの整列入場をやりましょう、と声掛けして下さいました。

 

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早めに教会に到着された大人の方たちに、「かくかくしかじかで、5つのパンと二匹の魚のお話をします。・・・・・・ですから、それまでは、パンをバッグの中、ポケットの中に隠しておいて下さい。こどもたちがパン探しの旅に出掛けますから」と6名にお願い。

 

二匹の魚は、土曜日から日付が変わって午前1時頃出来上がりましたが、これまた二人の方に預けました。

 

ペトロの魚=ピーターズ・フィシュとは似ても似つかないけれど、赤鯛とマグロを準備。富雄さんは頼んでも居なかったアドリブの台詞で応答して下さいました。

 

うれしかったなぁ。みんなが参与する礼拝。たのしいです。

 

こどもの聖書朗読や聖歌隊。そして司式。

 

いつか実現するかも知れません。いや、きっとできるはず。

 

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95歳に間もなくなられる、脇本寿牧師のこども祝福も素晴らしく嬉しいことでした。

 

寿先生のひ孫さん達3人がご両親に連れられて神戸からやって来ました。大きいおじいちゃまが牧師センセイだぁって、確かに伝わったはずです。

 

寿先生も間違いなく喜んで下さったと思います。感謝です。

 

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みんなの日曜日の夜はどうだったのだろうか、と今思います。

 

ジンワリと興奮していたのは私だけかも知れないですが、熟睡できませんでした。とにかく喜びが大きかったのです。

 

神学的にも誠実な学びを重ねて来られた《正さん》の言葉にも大いに力づけられました。

 

**************

 

とは言え、いつもこんな感じにはできません。そうする必要もないのでしょう。

 

これは完成形ではなく、《 beginning 》と思います。

 

じっくり、しっかり、本質的に大切なことを見極めるクールなこころと、ほっとするこころ、あったかな心。

 

両方を大切にしながら、牧師であるわたくし、みなさんと、ゆたかな礼拝を形作って行きたいなぁと心から願うのです。

 

ことばでお伝えするよりも、今週の3枚!にも既にupしたお写真と共に、分かち合いのご報告をいたします。

 

ご機嫌よう!end

 

※礼拝の様子をメッセージブログで聞くことができます。以下をclick!

  http://kyokuto-words.seesaa.net/

 



2015年11月1日(日)NO.36 『 200年プリント? 〈聖徒の日の写真帖〉です 写真はぜひクclickを! 説明文が出てきます 』

2015年11月1日(日)『 200年プリント? 〈聖徒の日の写真帖〉です 』

※写真はclickで大きくなり、簡単な説明文が読めます。


この日は日本キリスト教団の聖徒の日。旭東教会では召天者記念礼拝を行いました。

 

わたくし(牧師のもりでございます)、旭東教会に着任一年目のよちよちさん。旭東教会のこの日にはどのような準備が必要なのか、まだ分からないことが多くあります。

 

とりわけ、既に11冊目が必要になった『写真帖』を一体どのように礼拝堂に設置するのかとても気になりました。

 

とは言え、その設置の構図がさっぱり絵が思い浮かばないわたくしでした。

 

長年キリストの僕としてご奉仕なさっている正さんからも、木曜日夜の祈祷会終了後の準備の時間、「森先生はここに座って見ていてください」と言われるような具合でした。まっ、実際は右往左往しながらご一緒いたしましたが。

 

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歴史ある教会で、創設当時の牧師写真や歴代の牧師の写真が会堂の片隅に掲げられている、ということは時々見かけておりました。

 

けれども、旭東教会では、聖徒の日には、会員と近い関係にあった天上の聖徒たちの写真を、書道の専門店などで扱われている屏風のような形の一冊に、14人程ピシッと貼りつけているものを並べるのです。

 

その数、今年で11冊目。100名は随分前に超えて150名に迫っているということになります。

 

その壮観な様子は幾枚かの写真を上に掲げていますのでご覧頂けると思います。

 

とは言え、見慣れない方にとってはさまざまな意味でドキッとしたり、子どもたちも「コワイ」と小声で口にする可能性もあるかも知れません。

 

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しかーし、キリスト教会が大切にしている「主の晩餐」のための「聖餐卓」を囲むという信仰的なイメージを明確にすると、なんだか、嬉しい気持ちになってきました。

 

イエスさまからの命のみ言葉である食卓のパンを、聖徒たちと共に分かち合う、と考えると豊かな気持ちに包まれたのです。

 

やっぱり聖餐って大切ですね。

 

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さて、屏風のようになった写真帖。

 

その発想はどなたのものだったかは、さすがに91歳の正さんもハッキリとはわからないようです。

 

でも、この日の夕刻、ちょっとした時間があって正さんにわたくしが「一体、あの写真帖はいつ頃から」と質問をした時に、とても嬉しそうにさっと手帳を開き、簡潔な歴史をご教授下さいました。

 

「よくぞ聞いて下さいました。調べておきました」と口にされたその内容は概ね以下の通りです。

 

つい先ほど、『日本基督教団旭東教会一〇〇年史』をわたくしも自ら開いて学習しなおしてのご報告です。

 

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〇1953年(昭和28年) 伝道師 西村 哲 先生の時代
 5月24日 教会創立50周年及び献堂30周年記念式典
 同時に、「物故教会員追悼」「信仰永続者表彰」

 

〇1960年(昭和35年)牧師 脇本 寿 先生の時代 *着任2年目
 9月18日 物故教会員記念会 物故者アルバム作成

 

〇2005年(平成17年) 牧師 指方信平 先生の時代
 この年から、9月に行われていた記念礼拝を、日本基督教団の行事暦に倣い、11月の第一主日に実施。

 

というような歴史があるようです。なるほど、物故者アルバムが最初の頃の呼び方だったようです。

 

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一冊目写真帖には、着物を召された聖徒たちが見えます。昔ながらに髪を結われたご婦人の写真もあります。

 

そして、写真の裏には、その後の全ての写真帖も含めてですが、以下のことが記録されて、貼りつけられています。

 

●氏 名(AD   ~  )
●受洗年月日
●系譜
●略歴
●横顔
●永眠年月日

この記録の文字がまた何ともやさしく美しい!

 

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医療の分野で長年お働きになっていた正さんから、「そうだったのか!」というお話を伺いましたので、それを記して今号を終わります。

 

正さんは小児科医として旭東教会の立つ町で出来ることは何でもしよう、という祈りをもってとにかく誠実なお働きを続けて来られた方です。

 

子どもたちのレントゲン写真も撮りますし、現像も自らなさってきた。

 

そうです。実に、旭東教会の写真帖の200年プリント!は、それゆえに、既に60年近くの年月が経過しても、全く色あせることなく、維持されてきたというわけです。

 

正さん。少しでも納得いかないものは採用せず、満足できる状態に近いものを、寝る間を惜しむか、食べる間を惜しみながらご奉仕下さっていたわけです。ありがたいことです。

 

むしろ、最近のカラープリントの方が、今後の維持が大変かも知れません。

 

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講壇に段組をして設置するのはそろそろ限界、という声も聞こえてきます。

 

しかし、講壇に乗せなくても、礼拝堂を取り囲むようにして、毎年の聖徒の日に並べる工夫をすれば、300年先でも、聖徒たちと共に旭東教会は礼拝を守り続けているのではないか。

 

そんなことを夢に見る、わたしなのであります。end